( 298843 ) 2025/06/13 06:14:08 0 00 日本の農業問題に大きく関わる…農業協同組合(JA)は今後どうあるべきなのか?(写真:アフロ)
「日本のコメは大丈夫だ。輸出で取る分の方が絶対大きい」(船橋洋一『宿命の子』文藝春秋、2024年)──。この言葉は、かつて自民党の農水族として知られた松岡利勝元農林水産大臣のものである。松岡氏は続けて、「農業を改革しなければ、農民の基盤そのものがなくなってしまう」と指摘した。この警句は、今日の日本の農政、農業協同組合(JA)、そして農林水産省が直面する課題の本質を突いている。時代は変わり、農業を取り巻く環境も大きく変化しているが、旧態依然とした構造と発想から抜け出せないでいるのが日本の農業の現状である。本記事では、小泉進次郎農相の改革と、それに反対する派閥との関係を整理しながら、日本の農業問題の解説する。
2025年6月7日、盛岡市での講演で、自民党の森山裕幹事長は、生産性向上に向けた田んぼの大区画化、農業のIT化、そして輸出対応のための予算として、自民党内で2兆5,000億円規模の対策で合意し、総理や農林水産大臣に申し入れたと述べた。
一見すると、前向きな農業政策への取り組みのように聞こえる。しかし、この発言には看過できない問題点が潜んでいる。
森山氏は、消費税減税に対しては財源の裏付けがないことを理由に一貫して慎重な姿勢を示し、いわゆる「103万円の壁」の見直しや、ガソリン暫定税率の廃止といった国民負担の軽減策にも消極的であった。そのような人物が、自らの影響力がおよぶ農業分野、言い換えれば自身の票田ともなり得る領域に対しては、巨額の予算を投入することに積極的な姿勢を見せる。
この二重基準とも取れる態度は、国民全体の利益よりも特定の業界や支持層への利益配分を優先しているのではないかという疑念を抱かせる。財政規律を声高に叫ぶ一方で、特定の分野には手厚く資金を配分する姿は、多くの国民にとって到底受け入れられるものではないだろう。
森山氏は同講演で、米価高騰について「コメの流通のあり方について検証しなければなりません」と述べつつ、「主食であるコメを外国に頼ってはいけないと思います。何としても国産で、国民の皆さんに安心していただける農業政策を打ち立てていくことが本当に大事だと思っております」と強調した。
この発言は、一見すると国民の食料安全保障を憂慮する責任ある政治家の言葉のように聞こえるかもしれない。
しかし、一方で、自民党は農産物の輸出を積極的に推進しようとしている現実がある。貿易は相互主義が原則であり、日本だけが一方的に輸出を拡大し、輸入は一切行わないなどということは国際社会において通用しない。
森山氏のような農水族のドンが、この基本的な国際経済の原則を理解していないわけがない。そうであるならば、「コメだけは外国に頼らない」という言葉は、国内の農業保護を求める層に向けた一種の「ガス抜き」であり、本質的な国際競争力強化や構造改革から目を逸らさせるためのレトリックである可能性を否定できない。
このような内向きで保護主義的な発想こそが、日本の農業の可能性を狭め、結果として国際市場での競争力を削いできたのではないだろうか。
筆者が官邸関係者に取材をしたところ、匿名を条件に次のような実情が語られた。
「全国の漁業協同組合の多くは、すでに何らかの形で水産物の輸出を経験しており、その多くが海外の市場の動向や消費者のニーズを強く意識するようになっています。たとえば、ホタテ貝などは、輸出によって漁業者の年収が2,000万円を超えるケースも出てきているほどです。一方で、コメに関しては、まだそのような意識改革が進んでいるとは言えません。日本の米は、その品質の高さから、海外でも間違いなく高い評価を得られる潜在力を持っています。輸出に取り組めば、農家の収益力が高まることはほぼ確実なのですが、いかんせん、これまで本格的に取り組んだ経験が乏しく、また、現状の国内市場の仕組みの中で、必ずしも大きな不満を抱いていない一部の農家にとっては、海外市場への挑戦という新しい取り組みの必要性やメリットが理解しづらい面があるのです。まさに、彼らにとって海外市場は未知の世界(It’s new to them)なのです」(官邸関係者の証言) このコメントは、日本のコメ農家やJAが、内需志向から脱却し、グローバルな視点を持つことの重要性と、そこに横たわる意識の壁を示唆している。
インターネット上では、JA改革や米の流通自由化に対して、否定的な意見や不安の声が散見される。「コメの流通が外資に乗っ取られ、日本の食が危険にさらされる」といった、やや陰謀論めいた主張も見受けられる。
このような声の中には、中小規模の農家のものも含まれていると考えられる。「JAが株式会社のように利益追求に徹するようになれば、採算の合わない中小農家向けの細やかなサービスや、赤字覚悟で行ってきた地域貢献活動などが切り捨てられてしまうのではないか」という不安を抱いているのだろう。
長年JAに依存してきた農家にとって、組織のあり方が大きく変わることへの戸惑いや恐怖感は理解できる。しかし、たとえば、Brandanoらが2012年に発表したイタリアのワイン生産協同組合と民間企業の比較研究によれば、生産者協同組合は民間企業と比較して技術的効率が低く、規模の経済性も低下傾向にあることが示されている。
この研究結果は、JAのような協同組合組織が、市場原理に基づく民間企業に比べて本質的に非効率性を抱えやすいことを示唆している。この非効率性は、結果として組合員である農家の手取りを減少させ、農業経営の圧迫要因となり得る。JA改革は、このような非効率性を解消し、経営の透明性を高め、組合員である農家の利益を最大化することを目指すものであり、適切に進められれば中小農家にとっても大きなメリットがある。
とはいえ、これもまた、多くの農家にとっては「未知の世界(It’s new to them)」であり、変化に対する漠然とした不安感が、改革への抵抗感を生んでいる側面は否定できない。
現在、小泉進次郎農林水産大臣が進めた備蓄米の随意契約(行政が話し合いによって契約する)で市場に放出するという施策は、まさに米流通のあるべき未来の姿、農家と消費者の双方にとってより良い関係を築くための1つの試金石と言える。
従来の米価の変動は、しばしば消費者と生産者の間のゼロサムゲームとして捉えられてきた。米の値段が上がれば消費者は家計を圧迫され、農家は一時的に潤う。逆に米の値段が下がれば消費者は安価な米を手に入れられるが、農家の経営は苦しくなる。全体で見れば、国民経済の中でお金が移動するだけで、プラスマイナスゼロであるかのように見える。しかし、問題の本質はそこにはない。これまでの農水省の説明は、あたかもこんなゼロサムゲームであるかのような前提をとることが多かった。
消費者と生産者の間には、ドンキホーテの経営者が指摘したように、複雑で時に不透明な流通機構が存在し、そこで発生する非効率性や中間マージンが、結果として農家の手取りを減らし、消費者の負担を増やしている。この流通システムを効率化し、無駄をなくすことができれば、農家はより多くの収入を得ることができ、消費者はより安価で質の高い米を手に入れることができる。これはゼロサムゲームではなく、双方にとって利益のあるウィンウィンの関係を築くための改革なのである。
冒頭に掲げた松岡利勝元農林水産大臣の言葉は、まさにこの点を鋭く指摘している。補助金や関税に代表される過度な保護は、一見すると農家を守っているように見えるかもしれない。しかし、長期的には農業の効率性を弱め、国際競争力を削ぎ、結果として日本の農家自身を弱体化させてしまうのである。
進次郎農相には、目先の反対や抵抗に臆することなく、中小農家の未来のため、そして日本の食卓を支える一般家庭のために、農政およびJAの構造改革を力強く進めてほしい。備蓄米の随意契約による放出は、その大きな改革への小さな、しかし重要な一歩となるであろう。この国の農業の未来は、旧世代のしがらみを断ち切り、新しい発想と勇気ある行動を受け入れるかにかかっている。
執筆:ITOMOS研究所所長 小倉 健一
|
![]() |