( 301162 )  2025/06/21 07:59:47  
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英下院、「安楽死」容認法案を可決 イングランドとウェールズ対象

毎日新聞 6/20(金) 22:32 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/78b717740d50efa9dd00a701586a3c296188fcd4

 

( 301163 )  2025/06/21 07:59:47  
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2025年6月20日、英国下院で「安楽死」を合法化する法案が可決された。

法案によれば、終末期患者で余命6カ月未満と診断された成人が対象であり、医師2人の同意や専門家パネルの承認が必要とされる。

安楽死は医師が用意した薬物を患者自身が摂取する形式となる。

この問題については過去にも審議があり、今回は労働党の下院議員が提案し、自由投票で可決された。

安楽死合法化支持が高まっており、他の欧米諸国でも既に合法化されているところがある。

一方、日本では刑事罰の対象となり、合法化はされていない。

(要約)

( 301165 )  2025/06/21 07:59:47  
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英下院で「安楽死」を合法化する法案が可決され、喜ぶ人々=ロンドンの国会議事堂近くで2025年6月20日、ロイター 

 

 英下院は20日、終末期患者の「安楽死」を認める法案の最終採決を実施し、賛成多数で可決した。賛成314票、反対291票だった。今後、上院での審議で内容が修正される可能性もあるが、スイスやオランダ、カナダなどに続く安楽死の合法化に近づいた。 

 

 英メディアによると、合法化された場合に安楽死が認められるのは、イングランドとウェールズに居住し、余命6カ月未満と診断された成人(18歳以上)の患者。医師2人の同意のほか、弁護士、精神科医、ソーシャルワーカーで構成する専門家パネルの承認が必要となる。命を絶つ方法は、医師が用意した薬物を患者自身が摂取するとしている。 

 

 法案は2024年11月の第1回採決で可決されて以降、下院での審議でさまざまな修正が加えられた。医師や薬剤師らが安楽死への関与を拒否できると明記されたほか、医療従事者が18歳未満の患者に対し、安楽死の話題を持ち出すことを禁じる条項も設けられた。 

 

 与党・労働党のレッドビーター下院議員が法案を提出し、党議拘束のない自由投票で採決された。 

 

 24年の第1回採決では賛成330票、反対275票だった。最終採決は賛否の差が縮まり、僅差となった。スターマー首相(労働党)やスナク前首相(保守党)は賛成した一方、保守党のベーデノック党首は反対票を投じた。3氏の投票行動は第1回と同じだった。 

 

 英議会では過去にも同様の法案が何度か審議されたが、否決されてきた。24年7月の総選挙で、安楽死を認める議員が比較的多い労働党が14年ぶりに与党に返り咲いたことが、可決に至った一因とみられる。5月の英調査会社ユーガブの世論調査では、安楽死の合法化支持が75%で、不支持の14%を大きく上回った。 

 

 英国内ではスコットランドでも安楽死合法化の法案が議会で審議されている。北アイルランドでは議論は進んでいない。 

 

 欧米では、米国の一部の州、オランダ、ベルギー、スイス、カナダなどで医師の薬物投与などによる安楽死が合法化されている。キリスト教徒の中で特に自殺をタブー視するカトリック信者が多いスペインでも、21年に法制化された。フランス下院も今年5月に安楽死を認める法案を可決し、上院で今後審議される。 

 

 一方、日本では刑事罰の対象で、自殺ほう助罪や嘱託殺人罪などに問われる可能性がある。【ロンドン福永方人】 

 

 

( 301164 )  2025/06/21 07:59:47  
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安楽死に対する意見は賛否両論ありますが、安楽死導入に肯定的な声が多く挙がっています。

病気で苦しみながら命を延ばすことと、穏やかに最期を迎えることの選択肢があることの重要性が強調されています。

また、日本の超高齢化社会において安楽死が介護負担の軽減や個人の尊厳を守る面で貢献できる可能性も指摘されています。

一方で、厳格な運用が必要であるとの懸念や、倫理的な観点からの慎重な議論が求められているといった声もあります。

(まとめ)

( 301166 )  2025/06/21 07:59:47  
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=+=+=+=+= 

 

命を大事にするという考えのもと、安楽死を容認しないという考えも分かりますが、私は安楽死の導入には肯定的です。病を患う当事者からすると、死にたくても死ねない、とてもつらい状況にいます。遺族にとっても、最後の死に際ぐらいは苦しまず安らかに亡くなってほしいと思う方もいるのではないでしょうか?今の日本では安楽死の導入に関する討論などはあまり積極的に行われていないような気がします。肯定・否定どちらにしろ、まずは日本が安楽死導入について話し合える環境になっていくといいと思います。 

 

▲19494 ▼378 

 

=+=+=+=+= 

 

私は、もし食事ができないほどに弱くなった時は、胃ろうで無理やり栄養を流して苦しみながら延命するよりも、もっと自然に身を任せて静かに終わりたいと思う。そして、もし病気でどうしようもなくなってしまったときは、こういう安楽死という苦しまずに最後を迎える選択ができたらいいなと思う。苦しくない終わり方があると思うと、これからを安心して生きていける。日本でも早く導入して欲しい。 

 

▲13143 ▼204 

 

=+=+=+=+= 

 

どう生きるか。 

いろんな価値観があった方が良いと思います。 

短絡的に考えず命と言うもの自体が重いものだと思うので、安楽死に対して、どう死ぬか...と捉えるより人としてどう生きるかと捉えた考え方を尊重できると自分は思います。 

身体も思う様に動かす事が出来ない状態で、自分の意思も伝えられなくなってまで生に固執したくないです。最後まで「自分」を保てた意識の中で自然に命を終えたいものです。 

 

▲2001 ▼66 

 

=+=+=+=+= 

 

人間は自然の摂理に反することで進化を遂げた生き物です。より暖をとり、食べ物の幅を広げるべく、生き物が怖がる火を手に入れた。病を治したいから薬やワクチンが生まれた。ならば、死を受け入れる際になるべく楽な手段を選ぶのも人間の進化の過程と捉えられないだろうか。生の始まりに無痛分娩や麻酔必須の帝王切開という自然に抗う処置が許されるなら、苦痛なき死を個人でも選択できるべき。 

 

▲1033 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

20代の時に母が癌になりました。 

ステージ4で治療ができず、治療しない患者は大学病院にはいられず、離れた病院に転院になりました。 

大好きな母だったけれど、亡くなった時、悲しいのと同時に正直ホッとしました。 

 

就職したばかりで仕事では同期に後れを取り、仕事が終わったら洗濯物を取りに遠くの病院へ向かう、この生活が何年続くのだろうと思っていました。 

 

今自分が母と同じ年になって、治療不可能な状態になったら迷わず安楽死を選びたいです。 

家族はいないけれど、色んなことを自分で片付けた上で死を選びたいです 

 

▲1612 ▼50 

 

=+=+=+=+= 

 

日本でも自分の望む形で人生の最期を決めることができる権利を認めるべきですね。そしてそれがこれから数十年続く日本の超高齢化社会(=超暗黒時代)を少しでも改善させるために役立つはずです。 

 

こうすることで、何より人々の「生きる」ことに対する意識が必ず変わると思います。惰性でただ長生きするのではなく、もっと自分にとって有意義な人生を送ることを重視する人が増えると思います。 

 

▲282 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

日本でも本人の意思を尊重して安楽死を認めていくべきでしょう。 

現在は医療の発達により命を落とす事を回避できる様になったかもしれないが、見方によっては死ねずに苦しみを長引かせているだけの負の側面も顕在化しているのではないか?実際、ALS患者が安楽死を望んでいるのにそれが叶わず、それを幇助した医師が逮捕されて実刑になっている裁判もある。 

そして、今後は少子高齢化により、介護を希望する人よりも介護してくれる人が少なくなる事態も避けられない。現在でも比較的費用が安い特養に入ることですら数年待ちの現実もあり、金持ち以外は介護されずに放置されて寂しく亡くなるかの将来しか見えません。子供達の未来を潰してまでも家族に介護されたくない親もいるし、無理に家族に介護させて虐待を受けた末の悲しい結末も数多く報道されている。 

命は大切とのキレイ事だけではどうにもならず、安楽死を拡大していくべきだと思います。 

 

▲5473 ▼131 

 

=+=+=+=+= 

 

ちょっと驚き。積極的に法制化すべきではないし、厳格な運用が求められる。現代医学では不治の病とされ、耐え難い身体的苦痛を伴い、本人の意思が期間を置いて何度も確認でき、裁判官とか弁護士とか法律の資格を持つ者、医師、家族など複数人が同時にそれを確認でき、公的書類に書名、押印みたいな手続きぐらいは必要だ。日本では憲法9条改正より難しいんじゃないかな。 

 

▲36 ▼410 

 

=+=+=+=+= 

 

日本は命を大切にするあまり人間の尊厳を踏みにじる医療制度であり、国民は常に残虐な延命医療に怯えて生きなければいけない。 

 

尊厳死はもちろん認められるべきだし、苦痛を取り除けない場合の安楽死についても議論を進めるべき時だと思う。 

安楽死を認めないということは、時に人に無限の苦痛を強制することになる。頭ごなしに反対する人は、決して苦しみを代わって引き受けてなどくれない。 

 

▲4216 ▼83 

 

=+=+=+=+= 

 

母を若くして急性心筋梗塞で亡くしましたが、その時、病床で酸素マスクを着け、顔をバタバタ激しく左右に振り、もがき苦しむ様子を眼前に見てしまいました。 

 

最後の手段といわれる鎮静注射(緩和医療の一種)をして、意識を落としましたが、それでも時折目を開け、(点滴を外してしまわないよう)拘束されてた手で胸を擦る仕草を繰り返していました。 

 

急性心筋梗塞の痛みは、焼いた鉄の棒(焼きごて)を喉の奥にガーッと突っ込んだようだといいますが、母は意識も落ちてなければ、その激痛も消えてなかったのです。 

 

鎮静注射をしても消えない、焼きごてを突っ込んだ痛みに数週間も耐えながら死んでいった母を思うと、安楽死には賛成せざるを得ません。 

 

▲3128 ▼46 

 

 

=+=+=+=+= 

 

どう生きるかとどう死ぬかは同じくらい重要。生と死は表裏一体ですからね。 

 

寝たきりで誰かの介助が必要な状態になってまで自分は生きていたくないから、安楽死制度を日本でも早く導入して欲しいと思ってます。 

 

一定年齢以上になったら、何歳まで生きるかということを自分で計画的に決めることができれば、老後資金を無駄に貯めなくていいですしね。 

 

この制度も利用したい人が利用すればいいだけなのでね。制度として用意してもらえると救われる人は一定数いると思います。 

 

▲2809 ▼62 

 

=+=+=+=+= 

 

正直、これが合理的だと思いますね。本人が何らかの形で死を免れない状況にある場合で、かつ死を受け入れている場合、かつ生きていることが本人の生活水準を著しく低下させている場合において少なくとも違法にしない、というのは大事だと思います。自分がやっていることが自分でもわからなくなって他人、特に自分に親しい人たちに迷惑をかけるくらいなら、生前に然るべき手続きを経て、自分の望む死を与えられる、それでいいと思います。 

もちろん、それを悪用される可能性はありますが、悪用されるのは悪用する人間が悪いのであって、それ自体は悪くない一つの選択肢ではあると思う 

 

▲2847 ▼80 

 

=+=+=+=+= 

 

いくらでも逃げ道のある状況から逃げる手段として死を選ぶ人もいるから安易な容認には否定派だけども、本例みたいに逃げ道のない病苦から解放するための安楽死はとても良いことだと思う。 

なんなら自然死よりもちゃんとしたお別れができるだろうし。 

 

でも余命6カ月未満という条件だと「死にはしないけど治りもしない痛く苦しい病気」なんかがあった場合に解放されないのは気の毒。 

今後うまく適用範囲が拡張されることを願います。 

 

▲1812 ▼51 

 

=+=+=+=+= 

 

安楽死に関しては日本でも議論すべき時に来ている。もし自分が介護される側になるのも嫌だし、治る見込みがない状況になったら楽になりたい。また無駄なコストをかけて欲しくない。そうなるくらいなら、少しでも親族や関係者にお金と時間を無駄にせず使って欲しいと思う。今のままで自ら死を選ぶと少なからず誰かに迷惑がかかることになってしまう。早く議論が盛り上がるのを期待したいです。 

 

▲1729 ▼36 

 

=+=+=+=+= 

 

少子化が急速に進む日本。しかも高齢出産も増え、40歳くらいで初産、子供はそのまま一人っ子という人も少なくない。中には子供0才、両親40歳、両祖父母65歳ということもあるだろう。その場合、30年後、子供30歳、両親70歳、両祖父母95歳。両親、両祖父母、皆存命の可能性がある。極端かもしれないが、仕事をしている1人対6人。 

将来の国民負担を考えると、安楽死の議論は絶対に避けて通れないと思う。容易に想像がつく未来について、特に今の自民の重鎮は、この議論を避けて引退することは許されないのではないか。 

 

▲1930 ▼120 

 

=+=+=+=+= 

 

日本では昨年の党首討論で、国民民主党の玉木代表が「高齢者の終末期医療の見直しに取り組み、尊厳死の法制化も選択肢に含めている」と発言し、その目的に「社会保障費の抑制」が含まれていたことから、現代版の“姥捨て”ではないかとの批判も大きくなりました。しかし、そもそも日本では尊厳死に関する議論自体がほとんど進んでいないのが実情です。 

 

患者本人が望んでいないにもかかわらず、高額な医療費をかけて延命する現状は、かえって人々の不幸を生んでいる一面もあります。 

医療の進歩で長寿が増えた現代、欧州を中心として、少しずつ安楽死や尊厳死を認める方向に進んでいます。 

時間はかかるかもしれませんが、日本でもタブー視せずに、建設的な議論を進めてほしいと思います。 

 

▲1664 ▼36 

 

=+=+=+=+= 

 

日本ではリアルな場で安楽死の議論すら難しい空気がありますが、イギリスのように制度的な枠組みの中で国民自身が方向性を決めていける社会は本当に素晴らしいと思います。誰もが迎える終末期について、個人の尊厳をどう守るかという大事なテーマなのに、日本では「命は尊い」の一言で蓋をされてしまいがちです。慎重な制度設計が前提ではありますが、そろそろ私たちも向き合う時期に来ているのではないでしょうか。 

 

▲1474 ▼38 

 

=+=+=+=+= 

 

表向きには人道的な「選択肢の拡充」として語られる安楽死だが、結果的には医療・介護にかかる社会的コストの抑制につながっている側面も否定できないと思う。 

 

イギリスがこの方向へ舵を切った背景には、日本と同様に高齢化、医療費の増大、そして長期介護の負担といった構造的な問題がある。 

そう考えれば、税金の使い道が別の分野へと回るようになったのは、現実としては「助かる話」だと受け止める人も少なくない気も。 

 

スイス、オランダ、カナダといった国々ではすでに安楽死が合法化されていて、この流れは今後、他国にも波及していく可能性が高いが、 

仏教や儒教的な価値観の根強いアジア圏では、この思想を拒絶する人が多い印象。 

 

「長生きは善」「高齢者を敬うべきだ」といった道徳観が浸透している社会では、医療者であっても悪気なく“無駄に”延命しようとする風潮がある。 

常識を疑うべきはどちらの価値観なんだろうね。 

 

▲1403 ▼97 

 

=+=+=+=+= 

 

日本にも是非導入して欲しい。 

持病で毎日が苦行、頼れる親族もなく、一般的な人と同等の仕事も出来ず、それでも家賃や必要経費は払わないといけないし、誰も助けてはくれない。 

最後の心の拠り所としてこの選択肢があるのとないのでは大きく違う。 

 

更に、私の親は余命宣告を受け鎮痛剤を投与しながら苦しんで寝たきり生活を送っていたが、あの状況になるのなら私は動けるうちに選択をしたい。 

 

▲1045 ▼30 

 

=+=+=+=+= 

 

私も安楽死には肯定的です。 

命は尊いものだし、粗末にしてはいけない。 

それは重々承知。 

誰だって穏やかな最期を迎えたい。 

だけど、自分が病に苦しみ、これ以上生きながらえるのが辛い・苦しいとなった時、この選択肢があるならばこれを選びたい。 

治るかもわからない病にお金や時間を掛けてまで家族には迷惑を掛けたくないし、自分も辛い。 

日本はこの選択肢に前向きではないようだけど、本人が望むなら最期ぐらい本人の気持ちを尊重出来る選択肢を作ってほしい。 

現実問題、綺麗事ばかりではないと思う。 

 

▲590 ▼20 

 

 

=+=+=+=+= 

 

肉体的・精神的に死よりも辛い思いを抱えながら、死ぬことを許されず、苦悶と絶望の中で生き長らえされている人というのは、必ず存在するだろう。 そういった人に対して、自ら死ぬことは許されないと言い張る権利が誰にあるのか。 自死の権利を認めないという意見の裏にあるのは、恐らく宗教的なものなのだろうが、同じ宗教を信仰している人であっても、例え聖書の教えに背いてでも、もうこの苦痛から解放されたいという人もいるだろう。 先進国で進む高齢化と少子化。 そうした環境を考えても、安楽死は認められるようにするべきと思う。 

 

▲438 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

日本も早く安楽死を導入してほしいと、日本国民はただただ願っております。 

 

日本は自殺率が非常に高い上、高齢少子化もある。 

また見放された氷河期世代の老後を考えると、孤独死も増えるのは確実。 

 

そもそも、自分の命の有無を他人に反対される筋合いもない。 

 

安楽死のシステムを早く導入して、一人ひとりが死にたい時にいつでも楽にできる制度は、もはや必要不可欠ですね。 

 

▲573 ▼59 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的にはいつまでも続く激しい苦しみの中生きるなら、痛みや苦しみを緩和され少しでも穏やかに終えたいです。 

もちろん個々の価値観や状況など人それぞれで、本人の意思が尊重され、悪用されないルール作りは重要てす。 

医療費(税金)削減が目的であっても、本人が望まない無理な延命は誰得なのでしょう。 

選択肢があることでどれだけ心が救われるか。 

 

▲247 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

今の日本は老老介護が当たり前になって来ていて、高齢出産も増えているとなると未来を見据えての安楽死の選択私もありだと思います。 

子供側もやっと社会に慣れた数年で終わりの見えない介護突入になる若い人達も増えると思ってるんです。 

既に今でさえ医療が病院自体が老人ホーム化してること、医師も足りない。 

延命治療とかいうけど、痛みを我慢して苦痛の表情しながらフラッシュされ頑張って生き続ける事ではないと看取りをする度感じて来た。 

 

お見送りする際には担当ナースが必ずと言っていい程同じ言葉をかける。 

もう我慢しなくていいよ。 

よくここまで頑張ったね。 

と…… 

 

苦痛を命尽きる限界までしないと終わらない治療するよりもよっぽど安楽死の方が本人にも残される家族にもいいと思ってます。 

 

▲320 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

私は賛成派です。 

実際に家族が難病指定の脳の病気になり、時間と共に身体が動かなくなり呼吸もできなくなる病気なりました。 

本人は思考などはハッキリしているが日々、体も動きずらくなり転倒も増え、歩けなくなり話せなくなり、呼吸も苦しくなり、食事も飲み込めず口から食べれなくなりました… 

意思疎通ができなくなり、一方的に話してスケッチブックや瞬きで会話をした時間は家族にとっては良い時間でしたが…選択肢があったらどうだったんだろうと考えます。 

緩和ケア病棟に最期までお世話になり、身体のお世話、痰吸引など日常は全てサポートして頂きました。病院の方にはとても感謝しております。 

しかしこれから先、人生の選択肢が増えてもいいんじゃないかと思っています。 

 

▲248 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

身内が癌で亡くなった姿を見ています。 

痛みでのたうち回り苦しんでいる姿は見ていられません 

頼むから殺してくれと頼まれましたが、今を乗り越えたら良くなるからと必死に励ましました。 

 

安楽死は認めるべきだと思います。 

余命宣告を受け助からないと分かっている人を最後まで延命するのは拷問に等しいと思います。 

 

余命宣告を受け本人が希望している場合は良いと思います。 

家族としては1日でも長く生きて欲しいと思いますが、 

本人の苦しみを思うと早く楽にしてあげるべきかと思います。 

 

▲136 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

非常にデリケートな問題だと思います。その為、人の死に対する議論は避けられつつありますが、 

患者の苦しみや、現実的な医療費の問題など、必ずしも延命だけがいいとは限らない時代に入っているのかもしれない。受け入れるには相当な時間と苦悩があるかもしれないが、そういう選択肢もあってもいいのかもしれない。 

自分の身に飽きたとしたら看取る家族に迷惑をかけなくないという気持ちも芽生える可能性もあるし、なにが良いかわからないけど、選べる方法の一つとしてあっても良いのかなとも感じる。 

 

▲163 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

高齢者施設勤務看護師です。これは非常に難しい問題。 

外国には日本に比べ寝たきり老人が少ないと聞きます。日本は命を救う、伸ばすことが先でその人の尊厳の話をしてこなかった。30年前看護師になりたての頃は老衰でもう吸収しないのに無理やり細い血管に点滴を入れていました。すぐ漏れるから何度も差し直す‥。 

今はだいぶマシになり胃ろうなど積極的には勧めません。 

でも安楽死の議論をするにあたっては慎重さが必要で、高齢で寿命が本当に近い方はもう死んでもらいましょう、少子高齢社会だから高齢者には減ってもらうべき、みたいな意見が沢山書かれているのには怖さを感じます。 

疾患が重度で治療困難で苦しみが耐え難いから安楽死の選択肢を、という話と高齢者の問題を一緒にしてはいけないと思います。 

 

▲993 ▼289 

 

=+=+=+=+= 

 

難しい問題で賛否はありますが、病気で改善が望めず苦しみ続け、一時的な感情ではなく長期的に本人が望むならば救いにもなります。 

 病気で生活や維持に莫大な費用が掛かり、本人はもちろん家族なども辛く継続が難しいケースもあるようです。 

 日本では現段階では難しいですが、理解し希望に添った救いにもなることを選択できるようになればと思います。 

 

▲86 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

もう医者にどうする事もできないと判断され死ぬまで苦痛に悶えなくていけない状況であれば安楽死も選択肢にあっても良いのではと私も考えます 

 

私自身もそうなったら安楽死したいです 

 

多様性、多様性というのであれば死に方も多様性があってもいいと思います 

 

あとは安楽死のラインをしっかり法整備する事が重要になると思います 

 

▲101 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

いつ終わるとも知れぬ心身の苦痛に毎日何とか耐えているが、家族は1日でも長く生きて欲しいと願うし、自分もそれに応えねばと思う気持ちもある。 

只、もし安楽死という選択肢も可能であれば、いざとなればその手段も選べるという安心と希望を持って、病と対峙し続ける気力が湧くと思う。 

 

ある難病と闘う患者さんの言葉です。 

 

▲118 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

難しい問題ですが、個人的には安楽死の選択肢は有って欲しいと思います。 

症状の改善の見込みが無く、寝たきりでただ延命処置を受ける状態になったとしたら、治療と呼べるものではなく、本人にとって痛みだけの拷問に近い状態がずっと続くことになる。それよりは自分で終わり方を決められる方がマシだと思います。 

命の扱いは勿論、財産や保険等も絡む問題になるので、遺言書以上に厳格な手続きや認定条件が必要でしょうが、本人の意識が明確な段階でその意思表示を行える選択肢は欲しいと思います。 

自分も全身麻酔による手術を受けた経験はありますが、手術後の痛みがあっても治る見込みがあるからまだ頑張れるのであって、回復の見込みが無く、痛みだけで体の自由も無くなるなら厳しいと思うし、それだったらまだ麻酔後のように眠るように亡くなる方が自分にとって救いになると思います。 

 

▲19 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

余命だけでなく、現代の医療技術で完治困難とされた患者さんも含めて欲しいですね。 

最終的な判断が患者さんに委ねられているのなら、余命宣告を受けた方だけではなく、病で苦しんでいる方も対象になれば、この制度で救われる方は多いのでないでしょうか。 

また、日本でも安楽死の法整備を進める段階に来ていると思います。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

病気で精神的にも体力的にも苦痛的にも 

苦しんでいる患者さんが安楽死を望む人達がいるのも確かだと思います 

そこは本人の思いを尊重してあげてもいいかと思います 病気の苦しみは本人しか分からないのですから 私が同じ病気で苦しむとしたら安楽を希望します なので賛成です 

日本も本人の意思で決断できるようになればと思います 

 

▲56 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

三週間の間に、父と母を相次いで亡くしました。 

父は、軽い認知症でしたが、精神科病院に入院させた為、過鎮静の状態にされ、5ヶ月の入院を経て、退院の許可が出た後、39日目で、意識もないまま、自分がどのような状態かも理解すらすることなく、壮絶な死を遂げました。 

母は、4年前に難病に罹患し、徐々に自身の身体を動かせなり、いずれはそのままと告知されておりましたが、父の死を知らされ、生きる力を無くしたのか、後を追うように、17日後に亡くなりました。 

この経験で、「死」と言うものを毎日のように考えるようになり、せめて自分は、尊厳を持ったまま、自身の意思で、「その時」を迎えたいと切に思うようになりました。 

 

▲72 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

長年救急病院、またホスピスに関わってきている理学療法士です。 

 

様々な方、またその方々の背景にあるものを見ながら日々生死について考えさせられています。 

生きたいと願う人があれば、その逆を願う人がいるのも事実であります。 

 

私個人では、それに関わり携わる人の精神的なケアや負担が少なくきちんと整理されたものであるなら、安楽死は賛成です。 

 

生きるということがただ苦痛でしかない人も、世の中にはいて私も多く見てきています。 

人間、誰しもが幸せになる権利があるのと同様に、楽で居たいと思うものです。 

楽で居られる権利も私はあると思っています。 

 

16歳で死にたいと思えば、大人はまだ未来がある、生きていればきっと良いことがあると話し、死を肯定することは良くないこととなるのが一般的です。けど80歳ならいいのか?と言えば、そうではなく、楽を望む上での生死の価値はどちらも同じです。 

 

▲72 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

臨終に何度か立ち会ったけど、現場では延命治療の中断という形で既にそれに近いことが行われています。 

家族の意志ではなく、本人の意志でもっと早く楽にしてあげられたらいいなと思います。 

日本も法律を整備してほしいですね。 

 

▲222 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

闘病生活は本当に大変だと思う。余命宣告されても、それよりも長く生きられるケースがある事もわかるし、それよりも極端に短くなる事もある。 

自分の最期が見えていて、かつ選べるのであれば、この法案はあってもいいと感じる。 

コレを執行するかしないかの選択肢だってあるのだし、余命が見えているのであれば、個人の意志を尊重してもいいと思います。 

 

▲16 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

3年前、母ががんを患い病床についた。 

入退院を繰り返した末に、自宅で死にたいとの本人の希望で在宅で看取った。 

幸運にも痴呆はなく、自宅に帰る際にはっきりと自身の口から 

「延命治療はしない。辛くなったらモルヒネを使う。葬式は直葬でいい。」 

と宣言した。 

我が母ながら、なんて潔く強い人だと思った。 

最後まで自分の足でポータブルトイレに立ち、訪問看護の人達に「ありがとう」と言える人だった。 

生も死も、自分自身が納得できるように法整備を進めて欲しい。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大変難しい問題。家族や本人だけでなく、医師にも負担のかかる話。超高齢化社会の生み出したジレンマにも思える。今までの倫理観や固定概念もシフトしていかないといけないとも感じる。本人の気持ちを家族だからといって正確に汲み取れるか、自信がない。父の最期の時期に延命か打ち切りか悩みに悩んだが、延命を選んだ。亡くなった今は後悔もある。もっと早く楽にさせてあげられなかったかと。仮に本人の意思が確認出来ていたとしても、それは本意なのか分からない。結局、選択肢を前に、自分は悩むと思う。 

 

▲3 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

大変難しい問題。家族や本人だけでなく、医師にも負担のかかる話。超高齢化社会の生み出したジレンマにも思える。今までの倫理観や固定概念もシフトしていかないといけないとも感じる。本人の気持ちを家族だからといって正確に汲み取れるか、自信がない。父の最期の時期に延命か打ち切りか悩みに悩んだが、延命を選んだ。亡くなった今は後悔もある。もっと早く楽にさせてあげられなかったかと。仮に本人の意思が確認出来ていたとしても、それは本意なのか分からない。結局、選択肢を前に、自分は悩むと思う。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分はどんな死に方をするのだろうとたまに考えることが昔からありました。もちろん積極的に死にたいわけではないですが、端的にいえば、死ぬことより死までの過程が怖いなと思います。 

もう充分に生きたと思えて、もし身体的につらい状況が延々と続くようなら、早く楽になりたいと願う気持は自然なことだと思います。 

 

▲30 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

命を大切に。命は大切に。 

その命は誰のもの? 

苦しみ抜いてまで守らせる命って誰のため? 

それまで精一杯頑張って生きて来た命はその人のもの。 

その人の生き方に委ねるべきと思います。 

委ねられる様にしてください。 

辛い事も悲しい事もありましたが良い事も幸せを実感した時も沢山ありました。 

私は私の人生に悔いはありません。 

しかし、この先に辛い苦しい決して逃れることはできない長い闘病生活が私の人生の最終盤になる事がほぼ決まりました。 

頑張ります。 

生きるってことを大好きな家族に伝えたいです。 

でも、もういいでしょう。 

そう私が思った時に選択できる道を準備してください。 

微笑みながら私の人生の感謝を大切な人達に伝えられるその時までは頑張ります。 

本当の最後は自分で納得して逝きたいと思います。 

 

▲59 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

選択肢が増えるのは良いと思います。 

ただ私は否定派です。 

生きたくても、治療費や看病する人達を考えて安楽死を選ぶ人がいるのではないでしょうか。 

大切な人を安楽死で見送った翌日に、効果的な治療法が見つかったら後悔してもしきれないと思います。 

私は今命に関わる病気をしていないので、安楽死を否定するのかもしれません。 

将来的に考えが変わるかもしれませんが、今は与えていただいた命を、最後まで精一杯生きようと思います。 

 

▲8 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

精子と卵子の出会いは宝くじ1等が当たる確率よりも小さい事からすれば、この世に生まれてきた事が奇跡、かっこいい言い方すれば全ての人間は「選ばれた者」になります。 

その命を自分の判断で終焉を迎えることは、あらゆる手立てを取っても生きて行くことが耐え難い苦痛であり、尊厳死を選ぶことさえ出来ない状況ならば、安楽死を選択できる権利は高度化された社会の中で認められる一つの進歩だと思う。 

ただ本人と家族の意思確認は無論大切だが、この権利を悪用する犯罪も同時に頭を過る。これまで以上に法の整備が重要になるのでしょう。 

 

▲18 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

最近病気を患い死を身近に感じて思いました 

自分の死に方も自分で決めたいと 

自死を罪のように捉える傾向にありますが 

病気に殺されるくらいなら安楽死を選びたい 

ただただ若者にありがちな願望ではなくて本当に苦しんで死を切望する人たちはいます 

きちんと選定を行って本人の意思で人生を終わらせる選択を与えてほしいです 

 

▲67 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

私は安楽死という選択肢を作って欲しいと思います。 

治療してもしなくても辛い痛みのある病気がある事は、家族を見ていて知りました。 

安楽死できるなら自分なら海外に移住してその権利を得たいと思うくらいです。 

まず子どもたちに苦労をかけたくない。 

今はがんのステージ4とかでも治ってくる場合も多いので、治療の様子を数ヶ月ごとに確認しながら、本人や家族に何回も確認をして、 

選択肢が分かれていけるようにすれば、 

治ったかも知れないのに、、という後悔が少なくなるのではないでしょうか。 

日本にも早く制度を作って欲しいです。 

治療したいならすればいいことですから。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

友達が病気になった時 

1日でも長く生きていたいって言ってたけど 

最後は「今日何日?今日死にたい」と朦朧としながら言ってたのを目の当たりにして 

強い薬で痛みはないはずなのに 

頭は朦朧としてほぼ眠ってるのに 

死にたいと思うほどの苦しみなんだって思いました。 

延命治療をするかしないかは元気なうちに言い残せるけど 

自ら命を終わらせれるのはいけないのかもしれないけどその人の身体的な状態で 

選択できたらいいのにと思います 

 

▲87 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

命は重いです。ただ延命だけを選択にしかないのは違うと思います。好きでみんな病気になる訳じゃない、1日でも長く生きたい人の選択は延命に繋がるし、自分がおかしくなるほど苦痛にもがいて最期を迎えたくない人の選択も延命なのは違う。当事者にしかその痛みは分からず人によって痛さの感覚も違う、痛い場所が違うだけでも感じ方が違う、反対の人はしない選択がすでにあるから。私は尊厳死は賛成です。一生懸命生きたんだから最後は苦痛なく笑顔でさよならしたい。 

 

▲53 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

日本も安楽死や尊厳死を認めるようにすべきかと思います。 

もちろん基準作りや本人の意思表明のやり方などは吟味してですけど。 

ただ法令作りの1番の問題は、法令を作る役人は身の保身と国が控訴されないように、個人や医師などに責任を押し付けるトンチンカンで実行困難な法令を作り上げることです。 

現実的に実行可能な法令を民間の有識者グループが複数提案し、その中でより良いものを選ぶようにすれば良いのではと思ってます。 

 

▲63 ▼6 

 

 

=+=+=+=+= 

 

間もなく関わるかもしれない年齢層なのに、胃婁などという延命があるとは最近まで知りませんでした。 

 

昨年も病気で1週間絶食、点滴と水だけで過ごしましたが、その後回復して流動食から粥、普通食と正常化する有難みを経験しました。 

 

回復する見込みもあり、絶食とはいえ体が動いたのは点滴のおかげと思います。ただ絶食中でも歩けるようになり、試しにスクワットを10回ほどやっただけで酷い筋肉痛、その昔10代の頃にウサギ飛びをやらされた後の痛みを思い出しました。 

 

絶食中でもスクワットができたのは、普段10キロウォーキングをしていたおかげかと思います。その後退院してひと月くらいで再開しました。 

 

一方回復の見込みがないなら、ただ延命のためだけの医療処置は願い下げたいものです。苦痛軽減のほうが重要と思います。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

祖母がパーキンソン病でした。亡くなる少し前から、口に太い管を入れられてました。口腔内は乾燥してしまい、かなり苦しかったと思います。 

意識はしっかり保てていたので、そうした状態ですが介助した方に御礼を述べていたそうです。 

同じ状態でしたら、私は安楽死を望みます。 

 

安楽死に至る際、本人が主体的な意思表示を異なる時期に複数回行い、それを異なる医師等が確認する必要があります。家族等の意思 

による安楽死では、安楽死ではありません。 

 

キチンと制度化されている安楽死であれば、 

病気等によりますが、選択肢に含めたい。人生の最後が寝たきりでは、辛いです。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本も『安楽死』を条件付きでいいから容認してほしい。 

 

死を待つだけの患者が苦しみながら、あるいは意識は失せていても肉体の生命活動が停止するまで生命維持装置に繋がれて『生かされ』るのは人道に反していないとは言えないと思うのです。 

 

末期患者が自らの意志で死を選択できる権利を与えてほしい。 

 

『死は医学の敗北』と論じて恥じない医学博士もいるが、必ずしもそうではないのだから。 

 

死を以て患者の苦痛を断ち切り、穏やかな最期を迎えさせてあげる『安楽死』は、人道に添った最後の手段です。 

 

▲71 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

私は靭帯の手術を受けたが、術後初日の夜は耐えがたいほどの痛みに襲われ、長く寝たままの状態による腰痛も本当につらかった。その時、もしこれが末期がんの患者で、回復の見込みが全くないとしたら、どれほどの苦痛を味わっているだろうかと考えた。私だったら、迷わず自殺を選ぶかもしれない。だからこそ、私は安楽死を強く支持する。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的には安楽死は大賛成です。 

大病を患って治る見込みのない病気に親族に多大な費用を負担させたり 

半ば寝たきり状態で親族に介護の負担をかけるぐらいなら、自分自身で「見切り」をつけて自分で人生の幕を閉じることは尊重されてもいいのではないかと常々思ってます。 

確かに親族が亡くなることは大変悲しいでしょう。 

しかし亡くなってしまえば自然と悲しみは段々と薄れていくものかな?と個人的に思ってます。 

命は尊いかもしれないが、他の人に迷惑をかけて生きながらえるよりも「これからの人たち」の人生が大事なので未来ある人たちの負担にはなりたくないですね。 

 

▲32 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

本当に病気や怪我で例え薬を使用しても 

効き目が弱かったり、苦痛に耐えながら 

これから生きていても辛いと思う人で 

ないと分からない苦闘があります。 

苦しんで死ぬよりも全身麻酔の様に 

そーっと意識が無くなり穏やかに逝去 

できるのなら、それこそ人間の 

尊厳と親族ときちっとしたお別れが 

できるのではないかと思います。 

勿論、法的には本人の意思及び専門の 

公務員と親族数名、病院職員が立ち会う等 

条件の厳格化は当然ですが日本も導入検討 

の時期に来ていると思いますが、中々、 

立案しにくいのでしょうが避けては通らない 

課題だと思います。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

多くの意見が安楽死に肯定的である。即ち人格と肉体の関係には甚だ熟慮する機会が多いためか、意見の一つ一つに短絡的ではない思慮深さを読み取れる。尊厳死は緻密な議論が必要なテーマで、優生思想に陥ることがあってはならず、また意思確認の運用設計も必要だ。「自分の命だからその扱いを自分が決めれる」のは当然であっても社会的に見れば客観的な可視化は必要不可欠であり、尊厳という内心と観察可能性の矛盾を今後の議論によってどう煮詰めていくか、課題はありながらも前進する可能性を感じさせるニュースである。 

 

▲11 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

基本的には賛成。ただし要件は相当厳しくしないといけないでしょうね 

 

例えば別の機関に所属する複数の医師が余命半年で今後苦痛を伴う、あるいは植物人間の状態から回復の見込みがないという診断を下し、かつ1親等の成人の親族に安楽死に関する講習を受けてもらった上で全員の同意が得られた時に限るくらいのハードルは必要じゃないかな 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私は、余命に関係なく安楽死は個人の尊厳の在り方として当然に選択できるべきだと思います。 

「生きたい」と思うのは人の欲望です。 

「生きたくない」と思うのは人の希望です。 

死の先に、希望を求めて自らの生を閉じることを選択するひともいるのです。 

その選択が苦痛と罪悪感に満たされるものであっては、人の尊厳を気づつけます。 

希望する人であれば、だれしも生き方の選択肢の一つとして、尊厳死を選ぶことができる世の中であればと思います。 

死ぬことは、生きることの選択肢に一つというだけです。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私も安楽死を導入すべきだと思いますね。 

末期がんのような耐え難い苦痛を伴ったり、寝たきり状態や意識がない状態など、ただ延命されているような状態なら、楽に向こうの世界へ行きたいと思ってしまいます。 

何故そう思うかと言うと、手術で全身麻酔の経験があるからなんですよね。 

全身麻酔って楽に眠らせてくれて、そのまま意識を失うだけですからね。 

人生の最期は、こうやって人の手で楽にさせて欲しいなーと思いました。 

(別に心が病んでいるわけではありません) 

ただ、全身麻酔は死の体験ができると個人的に思っているので、こういう経験をすると安楽死を認めるべきだって考えになりますよ。 

安楽死の導入に向けて、国会議員の方にはぜひ議論してほしいなと感じています。 

 

▲16 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

これは非常に重い話題ですよね。 

残念ですが、たしかに現代の医学でも、どうしても助けられない病は存在するのは事実です。 

しかも終末期には非常な痛みと苦痛が襲ってくると言う事が、ハッキリと分かっているのだ。 

それに対する対応が所謂「終末医療」だろうと思う、 

それは「麻薬による痛みの緩和」を行う「緩和ケア」の初期段階から、終末に進むと患者を大量の麻薬漬けにして「意識のないただ生きているだけ」の状況にしているようです。 

勿論この方法は「患者の人権問題」と「医療リソースの莫大な消費問題」を抱えています。 

そこに登場したのが「患者当人の意思に基づく安楽死の問題」ですね。 

英国が最終的に「安楽死」を選択するかを、かたずをのんで見守っている自分がいます。 

 

▲36 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

50年後か100年後か、医学の更なる発展がなされて、治せない病気や怪我なんてほぼ無くなるまでになる間だけでも、安楽死の制度は本人や家族の意思を尊重する観点からも広く認められて良いと思います。 

 

どうやっても無くせない痛みや苦しみがずっとある状態で、あとはゆっくり死を待つのみといった生き方以外の選択肢が無い状態は、私は想像しかできませんが、これ以上に「つらい」ことは無いのだろうと推察します。 

 

変な話、このまま支えていくことが難しく、本人や家族に自殺者が出てしまうようになるよりも、自我や尊厳が残っているうちにとか、これ以上残された家族に負担や迷惑がかからないようにと、ご本人が悩んで考え抜いた先にそう望むのならば、せめてそれだけでも叶えてあげられる世界であっても私は良いと思います。 

ただ、どんなこととなっても生きていてほしいと願う、支える側の気持ちも計り知れないですね。 

 

▲21 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

安楽死を選択できる。 

大抵の場合は病気等で長い時間を苦しみながら死んでいく。 

そんな状況での当人に選択肢を与えるものだと思います。 

安楽死を選択する場合、そこには必ず医師の承諾が入る。 

無闇に自殺するという事を防止や回避できるという事だろう。 

日本も医療の現場に安楽死を導入するべき時期に来ている気がします。 

 

私の両親も病気で苦しみながら死を迎えました。 

医師曰く、安楽死という事が認められていないため、無理に生かす事をしなければならない状況は非常に苦しいと話していました。 

 

家族である私や兄弟姉妹は父や母が何ヶ月も苦しみ抜いて息を引き取るまで、ただただ見ているしか無いという状況はこの上無い苦しみです。 

父も母も死なせて欲しいと何度も懇願する、その苦悶の表情を忘れる事が出来ません。 

 

▲21 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

安楽死制度に消極的な理由として、生命を大切にすること、社会的弱者が安楽死選択に追い込まれるというのがありますが、私はそうは思いません。 

 

生命(生命活動)を長く続けさせることは寿命の観点からは生命を大切にすることになるのかもしれないけど、自分の人生の選択や尊厳という面では人を大切にしていないことになります。 

 

また社会的弱者が追い込まれると言っても、社会的弱者だって苦しい状態で生きているより、早く楽になりたい人も多いのではないか。また大病したときの安心にも寄与する。 

 

個人的には、一定年齢を超えたら病気や余命の有無に関係なく安楽死を認めて欲しい。定年後の人生の計画も立てやすい。私の価値観ではメリットの方が遥かに多い。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

これを議論すべき先生方の多くは老後の心配や難病になっても手厚い看護を受けられるので真剣に受け止めることはないのでしょう。 

私は50代で反復性鬱病と診断され早期退職に追い込まれ63歳の今でも仕事の夢でうなされたりフラッシュバックで当時の事を思い出し辛い思いをしている。 

しかしながら家族にでさえもその辛さがわかってもらえない。 

世の役にたたなくなった自分など早々に消える事が一番の貢献と考えても許されない。 

痛みや苦しみの大小は当人でないと分からない。 

そんな人間にも選択肢を与えてほしい。 

 

▲6 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

安楽死は賛成です。認められれば、逆に生きる希望にもなると思います。 

安楽死だけでなく、尊厳死も認めて欲しいです。自分の意思がはっきり伝えられる状態であることが望ましい。 

ただ余命半年ってどうなんだろう。一体いつから希望を伝え、認められるのか。 

それに、誰が実行するかです。全部医師任せにするのか。 

喜んで引き受ける人は少ないと思います。 

また、寝たきりだの、認知症だの言われますが、以前より尊厳死を希望していた場合、医師が実行するのはかなり重圧かと。 

海外の場合、点滴で最後に実行するのは本人でしたが、身体が動かない、わからない状態で自分で出来ない場合、厳しいですが、家族が実行するなど、色々考えなければいけないかと。 

とはいえ、早く日本も認めて、議論も進め選択肢が増えてほしいです。 

 

▲46 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

倫理観も大事だけど、社会の実情も考慮に入れて「合理性」の側面からも判断していく必要性があると思う。 

日本は少子高齢社会、人手不足が深刻化することが確定している。 

 

例えば、 

臓器提供意思カードのように、不慮のことで自分が意思疎通がはかれなくなり、寝たきりで意識回復の見込みがなく完全介護が必要な状態になった場合、その半年後とか1年後には延命措置の中止を希望することができる、とか。 

 

例えば、 

体の自由が効かなくなる、耐え難い苦痛が伴い薬などでの緩和に限界がある、など、生きていると本人が身体的な困難により精神的な苦痛を強いられるだけになるような場合、本人の意思により、尊厳死を希望できる、とか。 

 

人手不足は、せっかく生まれたくれ子どもたちの人生のうち、長い時間を家族のお世話など強いることになってしまう心配もある。 

大事なその子・その人の人生の尊厳までも考えてあげられるような社会になってほしい。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は、先日、白血病と診断されました。 

今、抗がん剤治療中です。もう若くないので、 

死ぬ事には、迷いはありません。むしろ、経済的負担、家族の介護の負担を考えると安楽死が認められいる国が羨ましいぐらいです。自ら命を断つことも出来ず、完治が見込めないのに、治療を続ける意味がわからない。家族は、完治を願ってくれているけど、やはり、経済的負担、家族への負担、そして、いつ終わるかもしれない苦しい治療、尊厳死を認めて、安楽死を願います。 

 

▲45 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

いま、母の看取りケア中です。 

子供の立場から「苦しむ、痛む事がないように静かに最期を」という思いから延命せずに残りの日々を過ごしています。 

私自身、癌サバイバーなので 最期の過ごし方を考えた経験から「安楽死」は死に方ではなく、最期を迎える為の生き方なのだと感じています。 

人それぞれ考え方があるので何とも言えませんが、本人の意思を尊重して欲しいなぁと思います。 

 

▲45 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

治る見込みなく、苦痛と戦うだけの辛さから、 

逃げる手段としての安楽死は理解できる 

しかし、よほど制限をしっかりしないと、 

安易な判断での選択が怖い 

後悔しても戻れないというより後悔も出来ない 

 

また、犯罪との境界線の曖昧さも怖い 

認知症となったら、誰の判断となるのか 

しっかりとした議論を進めて欲しい 

 

▲4 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

外国の方が考え方が進んでいる。日本人がスイスで安楽死を望み、最後までの様子を見たことがある。治る見込みが無く、痛みが伴う苦しみは当事者しかわからない。自分の死を受け止める準備は出来るし、家族がいれば話し合いも出来る。私は安楽死に肯定的で、難しいかも知れないが、日本も安楽死について前進してほしい。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

緩和ケアで、段々と鎮痛剤で痛みを感じなくして行って亡くなるのは、直前ではあるけれど安楽死のような気がする。 

余命6ヶ月以内でその間苦しみしか無いなら、安楽死が良いな。側で見る人も死ぬと分かっていながら本人が望まないのに長い間苦しむのを見るのも辛いと思う。永遠の別れは辛いけれど、辛さを味合わせるのも辛いよ。 

 

▲11 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

「終末期患者」なら、状況によっては良いと思います。 

 

何も出来ず苦痛に耐えながら寝ているだけで、死にたくても死ぬ事さえ出来ない人が居ます。 

本人が強く希望するならアリでしょう。 

 

ただ、とてもデリケートな問題で確認事項が多そうですね。 

犯罪絡みや心理操作的な件がクリアになるのであれば日本でも検討して貰いたい。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大切にしないといけないのは命ではなくて生き方、死に方じゃないでしょうか。 

ただでさえ人生苦しいのに、大きな病気になって、手術して痛い思いして、治療で苦しい思いして、死ぬ間際まで苦しんで。 

 

医学が進歩する前より、今の方が死ぬまでに味わう苦しみの大きさと回数は多いのではと、個人的に考える時があります。 

 

▲23 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

これは良い判断だろう。 

日本でも尊厳死、安楽死について議論すべきだ。 

生を受けたからには寿命全うするまで…は生きる権利があるのは当然だが、耐え難い病気を抱えていたり、認知症などでどんどん自分でなくなり、周りに醜態を晒しながら生きていくのが苦痛な人等、ケースバイケースで認められるべき。 

食事もとれずチューブに繋がれ、下の世話も自身で出来ない人生をただ生きるだけならどんな罰ゲームかよと自分は思う。 

ただそれでも生きていたい人は生きるべきだと思う。 

 

▲66 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

知り合いのお父さんが末期がんで入院していた頃の話を、少しだけ聞いたことがありますが。 

とにかく辛いから殺してくれ。いつ終わるんだ?いつ死ねる?と何度も言われたそう。 

亡くなった時は悲しさももちろんあったけど、お疲れ様。ようやく楽になれたね。という気持ちもあったそう。 

 

少し前に安楽死希望して他の国に行った家族のニュースを見ましたが。海外に行かなくても日本でそういう選択ができるようになるといいですよね。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

良いことだと思いますね。 

 

死に方というのは、生き方の一部です。生き方を選ぶ自由は認めるべきと考えるのでしたら、死に方を選ぶ自由も認めるべき。 

 

安楽死を認めると、事実上、死を選ぶことが強制されるからダメだという見解が、いつも聞こえてきますけど、事実上、死を選ぶことが強制されることは当然にダメですよ。だけど、それと、安楽死を認めることとは、別です。 

 

▲28 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう選択肢があってもいいと思います。難病や末期の癌など助からない上に治療費が嵩むならって考えもあります。しかも、殆どの人が老後や病に対して不安に思ってるでしょうし、そういう選択肢があるってだけで不安が少しでも軽くなるのなら自分は肯定的な考えです。 

 

▲100 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

治ることのない障害者にも安楽死の選択が欲しいです。 

余命はありませんが、次、手術をすれば最低でも植物になると言われました。 

現在の医師はそんな意地悪なことは言いませんが、病気の悪化を見るたびに神妙な顔をします。27年前の手術による脳機能障害です。 

今は働いているけれど、将来、間違いなく寝たきりまで行くでしょう。今の日本の福祉では安心して生きていくことができません。 

長生きしたいと思わない。真剣に考えて欲しい 

 

▲19 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

高齢で認知症の義親を介護して数年。最期まで責任をもって看取りたいと思っています。しかし自分は別。認知症を含め寝たきりになる前に安楽死してほしい。介護施設に入っても子どもや家族がかかわることは分かっているので、子どもに負担はかけたくない。そして暴れてしまう義親を見て、自分が自分でななくなる怖さを感じている。「認知症になっても幸せ」って誰かが言っていたけどそれは理想の話。 

 

▲6 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

もともと、病気を抱えた老齢の方が、通院や投薬を行わない自由はどの国にもある。まして高額な治療や検査となると、年齢を理由に辞退するケースも多いと思う。実際に同様の不満を抱えつつ、通院や投薬を受けていた親を間近で見てきた経験から言うと、長生きは必ずしも幸福では無い。薬や治療による延命は、完治も快方に向かうことも無い。眠れなくなったり、トイレに悩まされたり、鬱になったり。人生の最後に、どうしてこうも苦しまなくてはいけないのか?と、薬や医学の進歩を呪うことにもなる。そうした苦難を甘受して、あえて延命する理由とはなんぞやと心底思い知る事になる。トリガーを引く事になる安楽死とは、似て非なるものか?週末患者にとって、明日に向けた努力とは存在しない。闇雲な延命は、宗教や通念的正義で、人の尊厳を軽視する行為かもしれない。医学の進歩した結果の皮肉な現実。人は正しく判断しなければならない。 

 

▲3 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

痛みも苦しみもなく安らかに眠るように永眠出来る。 

もしこれが、こんなハードルの滅茶苦茶高い法でなく 

なんとなくでも構わないと自由に出来るようになった 

らどうなるんだろうなあ。 

予約で一杯になって数年待ちとかになるのかな。 

全然流行らないのかな。 

死生観がガラッと変わったりするんだろうか。 

いつでも自由に楽に、となれば生きてようと 

思える内は精一杯生きようとなるんだろうか。 

催眠術とかで本気で信じ込ませた人100人とか 

1000人集めて実験したらどうなるんだろう。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

日本でも安楽死は必要でしょうね 

病気で苦しんで死んでいくより安楽死を選ぶかも知れない 

経済的に苦しく生きていくのが辛い境遇の人も安楽死を選ぶかも知れない 

尊厳死と名ばかりで苦し見ながら死ぬのは本人にも家族にも辛いことです 

また自殺などで飛び降りたり、首を吊ったり、電車に飛び込むより安楽死を選ぶのが綺麗な死に方です 

働いて収入があってもい今後の日本では生きていくのが辛いと思います 

 

▲29 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

イギリス下院が安楽死容認法案を可決したことは、社会が個人の尊厳と選択の自由に向き合い始めた証だ。終末期において、延命よりも「安らかな死」を選ぶ権利は、患者の人生を尊重する行為にほかならない。多段階の審査制度や年齢・余命制限、精神的配慮の規定など、安全網も整備されている点は評価に値する。ただし、社会的孤立や経済的困窮が「死の選択」を後押ししないよう、十分な福祉とケア体制の強化が前提であるべきだ。命を大切にするからこそ、「最期の自由」を尊重する。この判断を日本社会も、単なる是非の議論に留まらず、個人の尊厳と医療の役割を問い直す契機として受け止めてほしい。 

 

▲22 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

命は大切だと思います。 

ですが私は安楽死に賛成です。 

 

辛い病気に罹ったり、治る見込みのない病気、年老いて介護が必要になった時、それぞれ様々な理由で生きて病院にいても生きがいだったお酒が飲めないなど希望のある未来があるわけでもなくただその時を待つだけになった時、痛みや苦しみから解放されたい時、家族や施設の方に迷惑かけてまで治る見込みのない体の為にお世話してもらう事を考えた時、私は安楽死を選択したいです。 

 

生きてて欲しいのは本人ではなく家族や身近な人達のエゴであって、本人の意思は尊重されてない。 

 

とても難しい問題ではあるが、言葉も話せず伝えたい事も伝えれなくなる前に自分の意思表示が出来ていれば、終活の準備をする時間があったり家族と過ごし思い残す事のないよう心の準備をする時間が作れる。 

 

あくまで個人的な意見です。 

 

だけど、大切な人には生きてて欲しいと思う、複雑な感情があるのも事実。 

 

▲44 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

私は人間の死はパーソナルな問題であり、そこに国家が介入すべきでは無いと考えています。私の父はガンで亡くなりましたが、医師からは見放され自宅療養でした。父は生前から安楽死を希望していましたが、ベッドの中でオレはもうすぐ死ぬんだ…と呟きながら、長い日々を震えて過ごす結果となりました。 

私自身も安楽死肯定派です。特養など介護関係の仕事を経験こともありますが、悲惨という他はないケースをたくさん見て来ました。やはり生まれるに時があり、死ぬに時があるのだと思います。本人の意思の確認と医師の許可さえ得られれば、然るべき時にこの世を離れるのは、自然なことでしょう。延命医療などで死ぬことを許されない方が、むしろ不自然で気の毒な気がするのです。 

 

▲18 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

私の父は末期がんで亡くなりました。死の一ケ月前から「誤嚥して肺炎を起こして死ぬといけないから」という理由で食事を全く与えてもらえませんでした。「腹減った」と言いながらガリガリに痩せて死んだ父のことは今でも後悔しています。 

私は父と同じ状況になったら、安楽死を望みます。私の人生ですから、最期は私が決めたい。それができる日本を望んでいます。 

 

▲20 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

安楽死は賛成。 

長らく医療現場にいるけど、意識もなく管に繋がれてただただ生かされてる人、癌終末期の苦痛に耐えきれず殺してと叫ぶ人。 

 

誰のための命?死に際くらい自分で決めさせて。私自身は安楽死が認められるなら将来への不安の一つがなくなる。迷惑をかけてまで、苦しんでまで、自分が自分でなくなるまでして生きていたくない。 

延命のためにかかるお金をこれからの世代のために使ってほしい。 

 

▲23 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

悪用の恐れ・事実上の「自殺ほう助」になる恐れ、など懸念はありますが、自分は制度作成に賛成です。 

もしガンなどで余命宣告を受けたら、薬治療とか長い寝たきりとかはなしで、家族に手間・迷惑をかけたくないと考えているので、自分は選択すると思います。 

「そうは言ってもその時なったら、じゃないの?」と言う人もいるかもしれないけど、それくらいは想像できるので、そうならないよう今から自分の心と精神に言い聞かせてます。 

自分の性格から考えて、多分実行出来ると思う。まあ、制度があれば、の話ですけど。 

 

▲24 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

生きる辛さはその人にしかわからない。本人以外がとやかく言うことではないし、その人に関わった人たちが本人だけに人生の責任(生きること)を押し付ける感じがしてならない。人を始めることを選択できないなら、せめて人を終える選択は与えてほしいと思う。 

 

今の日本には、人を殺すという欲求を満たすために自殺ほう助をするような輩もいる。人としての最後の尊厳(自らの意思)を守るためにも合法死を認める必要があるのではないか。もちろん、本人と執行人を確実に守る制度設計が前提である。 

 

▲3 ▼0 

 

 

 
 

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