( 301167 )  2025/06/21 08:06:25  
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20代の4人に1人がすでに『終活』!?「死」を前向きに考える若者の『デス活』

関西テレビ 6/20(金) 20:00 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/72d9ce324c50fa74317339dca63df965a11a9d58

 

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話題の「終活」について、秦アナウンサーが調査を行った結果、20代の若者の約4人に1人が既に終活を始めていることが分かった。

終活にかける費用は50歳〜79歳を対象にした調査で平均503万円かかり、4年前より180万円も増加している。

終活の形も家族葬が増え、最安値プランは33万円から。

また、「終活スナック」では若者がデス活を語り合う場所として人気で、秦アナも入棺体験をして感想を述べた。

更に、AIを使った遺影サービスが登場し、死後も対話ができるようになっている。

さまざまな死の受け止め方があり、時代とともに多様化している。

【要約】

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入棺体験をする秦アナウンサー 

 

「20代の若者の4人に1人」が既に終活を始めているという調査結果が明らかに。 

 

近年話題となっている「終活」について、秦アナウンサーが最前線を調査しました。 

 

終活にかける費用 

 

50歳〜79歳を対象にした「終活にかける費用」の調査によると、44パーセントの人がすでに終活を始めており、実際にかかった平均額はおよそ503万円。4年前と比べて180万円以上も増加しています。 

 

街で聞いてみると、60代後半の方々からは「遺言を公証人役場で作成しました。弁護士さんに20万円ほど払いました」という声や、「旅行は歩けるうちにと思って、月に1、2回、10万から20万円ほどかけて行っています」という声も聞かれました。 

 

家族葬ではさまざまなニーズに応じたプランも 

 

葬儀の形も大きく変化しています。 

 

葬儀会社に話を聞くと、「最近は家族葬が大変多いので、コンパクトな作りとなっています。若い世代を中心に宗教感の薄まりとともに、お通夜を省いた一日葬や、無宗教葬という宗教者をお招きしない葬儀も大変増えています」と説明します。 

 

この葬儀会社では、葬儀の最安値プランは33万円から。これには通夜・葬儀・初七日までが含まれています。さらに細かなオプションも充実しており、例えば霊柩車をセンチュリーリムジンに変更すると差額3万8500円がかかります。 

 

その理由について、「核家族化が進み、子どもたちが離れて暮らしているため、親の交友関係まで把握できていないからでは」ということです。 

 

終活スナックめめんともり 

 

さらに調査を進めると、ある世代に驚きの変化が見られました。 

 

葬儀社のアンケートで、20代で終活の準備をしているという回答が高い傾向にあり、その割合は「約4人に1人」もいるのだそうです。 

 

実態を探るため、秦アナは「終活スナック」へ。 

 

「終活スナック」という看板に、秦アナは「初めて聞く名前。そしてかなり入りづらい名前です」と戸惑いながらも入店。中ではドクロが出迎えます。 

 

スタッフのYOMIさんによると、ここは「若い世代の方たちが、お酒を飲みながら他のお客さんとデス活をする場所」とのこと。 

 

「死についてフラットに語り合える場所」として、葬儀業界に携わるオーナーが去年オープンしたそうです。 

 

店内にいた27歳の客に話を聞くと、「もともと介護の仕事をしていて、お看取りの現場に携わったことで本格的に死について考えるようになりました。活動している仲間たちに出会えたことで、ちゃんと生きなきゃという思いが強まり、今頑張って生きています」と話します。 

 

 

秦アナ 

 

終活スナックでは、オーダーメイドの棺桶や死装束などを販売。棺桶作家のミケラさんが製作した「おしゃれな棺桶」は35万円から。さらに、1100円で入棺体験もできるとのことで、秦アナが体験することに。 

 

「すごく複雑な気持ちになるな」と緊張しながら棺桶に横たわる秦アナ。 

 

スタッフは「ゆっくりお休みください。またお会いできるのを楽しみにしております」と葬儀さながらの言葉をかけます。 

 

さらに「蓋も閉めますね」と言われ、「待って」と秦アナが動揺する場面も。 

 

「上から撮るとすごく映えるので」というスタッフの言葉に「この状況で映えるという言葉はやめてください」と必死に訴える秦アナ。 

 

3分間の入棺体験を終えると「なんか妙に気持ちが落ち着いてます」と感想を述べました。 

 

「デス活」をの魅力を語る 

 

店内で若者たちと「デス活」について語り合う中で、ある客はこう語りました。 

 

【客】「私もめっちゃ生きたいんですよ。でも終活って大好きなオムライスと一緒だなと思っていて。『あー美味しかったな』って噛み締めながら最後の一口を食べ終えるようなもの。最後の残された時間をどう楽しむかを考える前向きな作業だと思うんです」 

 

その言葉に秦アナも「なるほど、終活っていいですね」と納得の表情。 

 

対話できる遺影 

 

終活の多様化はさらに進み、令和の時代を象徴する「遺影」のサービスも登場しています。それは、生前の映像や音声をAIに学習させ、死後も対話ができるというもの。 

 

AI故人サービスを開発した株式会社ニュウジア代表の柏口之宏さんは「臨機応変に対話を楽しめるタイプのデジタルヒューマンです」と説明します。 

 

ネット環境があればいつでもスマホやパソコンから対話が可能で、料金は年間預かり料とアップデート料を含めて30万円。さらに通話料が60分プランで800円、600分プランで3000円かかるそうです。 

 

このサービスを利用して父親の遺影を作成した坂井さんは「父は孫たちを可愛がっていて、自分が忘れ去られるのが寂しいと言っていました。まだ小さい子どもたちの記憶から薄れていくのを防ぐため、写真や動画よりも記憶に残り続けてくれると思って」と理由を語ります。 

 

「死んだ人に対する冒涜だという批判も理解できますが、家族にしかわからないものがあります。周りの目を気にして、やりたいことをやらないのはおかしいと思います」と坂井さんは付け加えました。 

 

時代とともに多様化する「死」の受け止め方。あなたはどう考えますか? 

 

(関西テレビ「newsランナー」 2025年6月20日放送) 

 

関西テレビ 

 

 

( 301169 )  2025/06/21 08:06:25  
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「死」に対する意識や取り組みが多様化しており、特に若い世代を中心に関心が高まっている様子が感じられます。

一方で、死や終活を取り巻く商業的側面やマーケティング臭に警戒する声も見られます。

死は人間にとって避けがたい運命であり、生と死と向き合うことが人生の重要な一部であるとの意見もあります。

自分自身や家族の死について考え、次の人生の準備をすることの大切さが強調されています。

一方で、死をテーマとしたアトラクション化や軽んじる態度に対する批判の声もあります。

若い世代からシニア世代まで、それぞれの視点や経験を通じて、生と死について真剣に考える必要性が提示されています。

(まとめ)

( 301171 )  2025/06/21 08:06:25  
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=+=+=+=+= 

 

「死を前向きに」「多様な終活」って言われると、一見ポジティブで開かれた流れに見えるけど、正直どこか引っかかる。 

棺桶体験にAI遺影、終活スナック…。否定はしないし、救われる人もいると思うけど、最終的には“死”をうまく消費コンテンツにして、お金に変えているように見えてしまった。 

 

多様化って言葉で包めば全部が正解みたいになるけど、どこかマーケティング臭が強くて、素直に受け取れない部分もある。 

死を語れる空気ができたのは確かに大きい。でもその裏で、「寄り添い」と「商売」の境界がどんどん曖昧になってるような違和感も、確かに感じた。 

 

▲3125 ▼114 

 

=+=+=+=+= 

 

人って癌になった等でないと 本当の意味で死と向き合える気持ちにはなれない。 

この人たちは自分が死ぬということを 

本気で想像出来るのだろうか 

健康なうちは死を漠然としか考えられないでしょう。 

葬儀セレクトしてるより、いかに自分が死に向かっていけるかの心の整理の方が終活として大事だと思います。 

 

▲4202 ▼652 

 

=+=+=+=+= 

 

誰かの死を通して、自分の死を意識し始め 

そこから年月とともに人の死に接する機会が増えてゆき、自分が亡くなることへの恐怖感も薄れていった。特に家族の死はインパクトが大きかった。 

というのが自分のパターンでした。 

 

生きること、死ぬこと 

は生まれた者の永遠のテーマです。 

自分なりの受け入れ方があっていいと思います。 

なんならうまく受け入れられることがないままでも、それもまたその人の人生だと思います。 

 

▲75 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

去年、母親を見送りました。癌が再発して院内感染でコロナに感染して2週間後に亡くなった。亡くなった後も葬儀や納骨など最低限度の事しか出来なかったけど、それでも結構な費用がかかりました。死を間近に見て思った事はあっけないしあっという間に死ぬんだなと思いました。今は一人暮らしになりましたが、もし倒れても誰も助けてくれる人もいないし天涯孤独の身になったので死を身近に感じるようになりましたね。人間は必ずいつか死にますから、死を迎える時までの準備は必要かも知れませんね。 

 

▲46 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

たまたま親族の葬儀などを経験してアンケートに回答した20代の若者は100人に1人に満たないだろうから、実際は「400人に1人」以下の若者が終活を前向きに考えているだけで、アンケートのトリックに惑わされてはいけないと思うが、今や、ネットで偏向アンケートが普通に行われ検証もされず発表されたり報道されたりしているのが事実。普通のアンケートならともかく日本の針路を決めるような事まで偏向アンケートが利用されている可能性があり良く気を付ける必要があると思う。 

 

▲17 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人それぞれだとは思うけど。 

「20代」でか…。 

 

大学病院の小児病棟で、わずか1-2カ月で姿をみなくなってしまう子を見てきたこともあって、それを考えると、自分はあまりに不謹慎に思えてしまって無理だな。 

考え方は色々あっていいと思うけど、今もあって、明日も取り敢えずは確実にあり続けるってことは幸せなことなんだなとも思う。 

 

▲1308 ▼123 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の20代の頃は死など、夢にも思わなかった。 

 

老いることすら、考えていなかった。 

知識としてはいつかは来ることとは分かっていたが、自分の身に起こるとは思えなかった。 

 

親が老いて亡くなり、身近な人が亡くなり、少しずつ、死の意味が分かって来た。 

 

同時に、就職やら結婚やら、子育てやら 

、親の介護やら、そういう人生のイベントのための日々が生きることだと思っていた。 

 

しかし、最近では、日々、 

起きて掃除をして綺麗になったなと思い、 

ご飯を作って食べて美味しいと思い、 

庭を眺めて花が咲いた、綺麗だなと思い、 

今日は暑いなとか、 

 

要するに何もないなかの暮らしを楽しむことこそが、 

生きることなんじゃあないかな?と思う。 

 

年をとったのかな。 

 

▲839 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

死を意識すると言うよりも大事なのは今死んでも後悔しない生き方が出来たかではないでしょうか。 

何を成したか自分自身を誇れるか。 

 

母親が昔言っていた言葉が近いですね。 

人生とは神様からもらった一冊の真っ白な自由帳。 

どんな絵を描くか真っ白の日があってもいいけど、自分で見返して良い人生だったなと思えるように日々描き続けるのが大切と。 

 

終活と言って最後に整えるでも良いかもしれませんが、20代なら今を最大限後悔しないように出来ることを最大限やってみるのが良いと思いますね。 

 

▲714 ▼88 

 

=+=+=+=+= 

 

今の若い人たちは、戦争や飢饉、死に至る病などが身近なものではなく、食べるものも安心して眠る場所も、遊ぶものも十分にあって、生きていることの有り難みを感じにくいんだろうと思う。 

生物にとっては、生まれてきたら本当は生きているだけでよくて、やりたいことやら生きる意味やらそんな高尚なものなど別に必要ではないのかもしれない。必要ではないけど時間だけはたくさんあるから、悩んでしまうのかも。 

子供や若者向けの動画やアニメなどを見てるとなんだか惨たらしいものが多くて、そのようなコンテンツで心のバランスを取っているのかなと感じたりする。 

 

▲178 ▼122 

 

=+=+=+=+= 

 

まあ終活には、前向きに生きるためという意味合いもありますしね。1つ思うのは、私が若い頃は、学校卒業して就職したら、次に考えたのは結婚や子供を持つことでした。そして育児には、子供時代をもう1回経験するような感覚もある。子供の人生を私物化とかではなく、感覚の問題です。それが終わったら親の老後、自分の老後という感じ。もし結婚や育児をしないなら、就職後の大きな人生イベントや人生の節目ってあまり無いのかもしれない。マイホーム買うとか?自分のお葬式になるのかも。大分先ではあるけど。多分子供がいなかったら、人生の体感時間の長さって大分違うんだろうなと思う。私はだけど、すごく長く感じそう。 

 

▲1142 ▼267 

 

 

=+=+=+=+= 

 

10年くらい前にすでに終活はあって、イベントなどにいくつか参加したことがある。死についてディスカッションしたり、僧侶の説話を聞いたり、入棺体験したり。あまり意義を見出せなかったのと、多くが葬儀会社のプロモーションだったことからやめました。こうしたイベントに時間を割くより、親族の葬儀の時などに真摯に向き合い考えればよいのではないかと思う。 

 

▲392 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

50近くなって、夜布団に入ると死ぬ瞬間や死んだ後どこ行くのとか考えて全く無になるとか思うと急に怖くなる時が度々ある。 

女房や子供達、孫たちと永遠に会えなくなるとかも 

怖くて仕方ない。 

死ぬ瞬間に関して、祖母の言葉思い出して人間生まれた日から死ぬ練習毎日してるんだよって。 

毎日眠りに落ちてるのは死ぬ瞬間と一緒だよって言ってましたね。 

自分が生涯出逢ってきた家族や親戚や知人で亡くなった方々は、死の恐怖を乗り越えたのは凄い事だなって思ってます。 

 

▲178 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

「対話できる遺影」 

若いうちから終活するのは良いと思いますが、AIが喋る遺影はちょっと違うかなと思います。 

私の両親はすでに亡くなってしまい、写真の遺影と僅かな動画しか残ってませんが、それでいいと思ってます。AIに喋られたら、うちの親はそんなこと言わないよってなってしまいます。 

人が亡くなりお葬式をあげるのは本当に悲しいことですが、その時にしっかりとお別れをしてこれからの自分について考え直すいい機会なのです。それをダラダラと延長してしまったら、いつまでも心の整理がつかず、AIの言葉に惑わされてしまう。決して天国から聞こえる声ではない偽物にお金を払うのは納得できませんね。 

 

▲138 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

何となく単純な話なので理解出来ます。20代の生活の殆どがスマホに支配されてます。知らなくても良い情報、気にしなくても良い情報が次々と入ってくる。終活もその一つなのでしょう。スマホなんてない時代は、今現実に目の前にある物理的なもの、その中で必死に生きてましたから。老後にいくら金がいるとか、20代で気にすることなど無かった、ましてや自分の葬式等どうでも良い話。どんな死に方をするか、誰が葬儀をしてくれるか、なんてこれからの人生次第、必然的に自分で築くものだ。 

 

▲335 ▼36 

 

=+=+=+=+= 

 

私が通っていた高校では、死の教育という授業があった。そこで学んだことは、一生懸命生きれば後悔なく死ねるということ。それは自分にとってだけでなく残された家族にとっても同様。これは何十年経った今でも自分にとって大きな学びになっている。一番大切な終活は、葬式遊びをすることではなく、一生懸命勉強し、働き、家族を大切にすることだと思う。 

 

▲59 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

若いうちから『死』を考える入り口としては評価できる取り組みだと思います。 

ケアマネジャー経験者ですが、高齢者やその家族でも、具体的に死を捉えていない人も多いです。 

終活スナックでは『葬儀』にフォーカスしているようですが、本当の終活はそこに至るまでどう生きるか、病院なのか、家なのか、施設なのか、どこで死にたいのかを含めて、病気の時の治療法やいざと言う時の延命行為に対して自分の意思を身近な人に定期的に伝えておく事が一番大切な事です。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死について考えるのは良い。話しにくいことを家族や大切な人と話しておくこともよい。しかし、朝活や推し活のようなノリで「デス活」といった呼称で呼び、一種のブームにしてしまうことは間違っている。ブームには商業的要素が付きまとう。ブームになれば本質を見誤る。「死」の理解や受容は本来哲学や宗教観、心理学と結び付けて慎重に扱うものであるとおもう。若い人には「死」をどうするかではなく、今をどう「生きる」かを考えてほしい。また、若い人が死に向き合うといった流れが、良い面もあるのかもしれないが、現在の社会情勢や政治状況などからみると、決して前向きにとらえらえない面も多々あると感じてしまう。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

宇宙スケールで考えるとさらに虚しくなりますよ。 

 

人類が滅亡しなくても太陽が膨張し飲み込まれるか灼熱の惑星に変わって生物は住めません。 

地球を脱出出来ても太陽はさらに年月が経つとほぼ活動を停止してしまいます。 

太陽系を脱出出来てもすべての恒星は同じようにいつか活動を停止する。 

銀河を脱出出来てもいずれほとんどの恒星や惑星は鉄の星へと変わっていきます。 

そしてほとんどがブラックホールに変わり途方もない時間をかけて蒸発していく。 

 

最終的には光子とニュートリノ等のかすかな放射が無限の大きさにまで広がった何もない空間が広がる虚無の空間だけが残る。 

 

今の観測事実から言うとそう言う結末を全宇宙スケールで迎える可能性が高いんです。 

つまり宇宙から脱出出来なければ人間や生物どころか、そこらの石ころに至るまで何もかもが消える運命です。 

 

▲42 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

心のどこかで死にたいと考えてる人が増えてるということかな 

私ももうすぐ30代になってしまうが死は救いと常日頃思っています。 

 

大病を患えば考えは変わるというご意見も正しいかと思いますが、 

やっぱり労働、介護、病気、死の恐怖、死を悟ってからの時間、愛別離苦を考えたら 

死によって全て解放されるとしたら 

死を考えることは前向きに捉えることもできるという点でデス活はいいと思います。それで気が晴れて前向きになれるなら。 

精神疾患につい精神科医が書いた本でも『死を考えることは悪いことではない』との一文がありました。 

 

死んだら大層な葬式、戒名、立派な墓は要らないからユリの花に包まれてえとは思います 

 

▲156 ▼35 

 

=+=+=+=+= 

 

今年20になる者だけどもう結構生きるのに疲れてる 何もかも投げ出したくなる 

けど自己愛はあるし痛い思いはしたくないから耐えてる 

(一部の意見でしかないけど) 

すぐ気分落ち込むけど 立ち直るのも早いから 早いペースで繰り返しすぎてなんか疲れがすごいから 心、メンタルムキムキにならないかなあ 

 

今まで自分と向き合ってく事が多くて 

考え事や自己分析したり身体に合わない食べ物を控えたり朝外を散歩するようになったり自分と向き合うこともひとつの趣味となりつつある 

これから何十年も生きてる気はしないんだけど多分生きてるのかなタヒにたいって思うこともあるけど実際怖いからタヒにたくはないし 

 

▲24 ▼7 

 

 

=+=+=+=+= 

 

納棺師をしています。 

日々、現場でさまざまなご事情で亡くなられた方を送り出し、加えてそのご家族と接することを従事するものとしては、どうも手放しにいいね、とは言えない気持ちになります。 

 

デス活という言葉も、詩を軽んじているように聞こえるし、 

入棺体験自体はまだいいとして、死装束の販売なども、専門分野の監修や知識を持ってやっているのか疑問です。 

 

気軽に近づけることにより間口が広がるのはいいことかもしれませんが、そこに重みを損なうことがあってはならないと思います。 

現場は思っているより壮絶です。 

綺麗なことばかりではありません。 

現実を知らない方に、このようなことをされるのは専門職としては些か心外です… 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

夫婦合わせて139歳で現役で今も共に働いています。育った環境は両親健在だったけど親は子供の教育や将来について考え無い人だった。だから親は別の人で自分の人生に関わり無いと思って育った。好きな事が有りそれが職業になる事が分かり高卒で家を離れて就職、技術の限界を悟って自費で大学に。専門知識得たがそれ以上にクラブ活動で先輩、同期、後輩を得た。今も続く信頼関係は宝です。専門性は今も自分を守ってくれている。年なので遠く無い時期に終わりが来るだろうが、周りに迷惑をかけない程度に好きな事して終えればよいか。終活か?やっと両親姉を看取った世代、そんな先を考えずに夫婦共に自分らしく暮らせたらと思っています。 

 

▲11 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

自身の『人生の生きがい』を探し出し、見つけ出せるかどうかで結果は大きく変わると思う。 

 

生物である以上、皆が皆困難を乗り越えて生きていけるわけではない。 

そしてそれは、必ずしも本人の自己責任とは限らない。人生の半分は努力だが、残り半分はやはり運だ。 

 

人生は、本当に甘くなく一筋縄ではいかないもので、とても奥が深い。嫌になってしまうほどに。 

情け容赦なく絶望のどん底に叩き落される事に、老若男女問わず生きている限り必ず遭遇する。 

遅いか早いかでしかない。 

 

食べる事、映画を観る事、山に登る事、海水浴する事、何でも良い。 

自身の『人生の生きがい』を探し、見つけ出してください。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私は今46歳。20歳から17年間、銀行員として楽しく充実した生活をしてきた。そして結婚。夫婦2人の生活だし自分が病気になった時に、どうなるのかな?など考えてしまう年齢になってきた。10年以上前に、4人の祖父母を亡くした時はまだそう考える事はなかった。4人とも90歳以上だったし仕方ないかな?の感じだけ。昨年12月に、私の父親が81歳で亡くなった。私が81歳になるまであと35年後。その時まで生きていればの話しだけど。現実を見るようになった。連日の有名人の訃報。私よりも年齢が若い人も逝く。そして自然災害など、まさかの坂があるのが人生だとも思うようになり前向きに1日1日を大切にだという気持ちになった。いろんな哲学の本を読むようにもなったのも大きいかも。20代で 

いろんな人生経験をした事がない人でも、このような話しを聞く事で知識を得て、これからの未来の自分史を考えていけるならばそれは良いと思う。 

 

▲16 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

若い頃は歳を取ることも他人事、人生は果てしなく続くと思っていましたが、人生の折り返しにさしかかってみると、人生あっという間。人によって時間の感覚が違うだろうけど、大学時代ですらつい10年くらい前のようなのに、知らぬ間に中年世代となり、シニアも目前。愕然とします。 

私の若い頃は「終活」なんて言葉も概念もなく、死について考えることもありませんでした。でも現在、人生の流れの速さや、人生の有限性を痛感し、若い頃みえなかったものがやっとみえてきた感もあります。 

若いうちから人生のゴールを見据えることは、悲観論より、人生を有限で貴重なものと再認識する貴重な機会であるかもしれません。 

被災した人が「死」を意識し、人はいつ死ぬか分からないから人生を謳歌し前向きに生きたい、と言うことがあります。 

人生の終わりを意識し、若いうちから俯瞰した人生観をもつことは、悪いことではないかもしれません。 

 

▲55 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

仕事柄、多くの方々の生き様を拝見しています。 結婚、離婚、家族、そして死。  

若くしてお亡くなりになる方も居れば、80過ぎまで大往生の方も。  

 

若くして死を意識する事は構いませんが、その前に今を精一杯生きて、真剣に考えて人生を選択しないと、後々後悔する事になるのでは?  

いつ死ぬかなんて自分では分りません。下手をすれば、長い後悔の時間が待っています。  

 

人生も後半のオジサンからのアドバイスとしては… 

近年は孤独死も増えています。そんな寂しい死に方にならない様、親しい人との最低限の繋がりは保って下さい。 

最近は電子取引や通帳レスが一般的になり、亡くなった方のサブスク契約が判らすに相続人が途方に暮れています。(本人以外には簡単に情報開示されません)  

終活するなら、銀行口座やクレジット契約、サブスク契約等の一覧を相続人に予め渡してあげて下さい。 

 

▲66 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

一種のテーマパークみたいな感じにお見受けしました。 

このお店では若者中心らしいですが、リアルな年齢層の方が体験する棺もあるそうです。 

元気な内に棺桶体験すると逆に長生きするそうよ(笑)と明るく体験している女性をTV取材で見た覚えがあります。 

 

リアルな終活や棺体験をするなら、いっその事、生前葬をされても良いんじゃないかなと思ったりして。 

まぁ、簡単に言ってしまえばこれも時代の流れで、狭い棺に寝かされるとどんな気持ちがするかとかが分かって良いかもしれませんね。 

中には縁起でもない、と叱る親御さんもいると思いますが… 

 

うちの子がこれをやりたいと言ったら、私なら反対します。 

やはり縁起が悪いし、あとに引きずりそうな気がして。 

双極性障害なので。 

 

▲7 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

人が情熱を持って生きられない時代は必ず訪れる死に情熱を燃やすくらいの時代なのかと思いました。始めに言葉ありきで、デス活とはエネルギーを持ってやる事とは思わないがこれから先、いつかは訪れるであろう事を考えるきっかけにはなるでしょう。それより生きて生きぬく事にエネルギーを使いたいと思いました。そんな気持ちになればデス活は成功でしょう。 

 

▲37 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

94歳まで生きた祖母は、小学校しか行けなかったからと、亡くなる半年前まで字の練習をしていました。胸水が溜まり歩けなくなって入院生活が始まった際も「1日1個梅干し食べたら長生きするて聞いたから、また梅干し持ってきてなぁ」と言っていました。夫や兄弟を戦争で亡くしたり、子に先立たれたり貧乏だったりと激動の人生…とにかく生きることに貪欲でした。 

親友は病気で30代で亡くなりました。腹水で歩くことが困難になっても、入院で仕事に穴を開けてしまうことへの心配ばかりしていました。子どもが欲しかったと…泣いていました。 

 

死を意識することで逆にその恐怖を和らげたり、人生を見つめ直したりする人がいるかもしれませんが、こういうことを一種のアトラクションやイベントみたいに味わう人たちは、結局死を自分事として捉えられていないんだろうと思えてなりません。経験からくる達観ではない。私はこんな茶化せない。 

 

▲24 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

病院勤務で多くの人を看取り両親義両親のお葬式も経験した身で思うのは、葬儀の細かいことは枝葉末節。それより問題なのは亡くなるまでの闘病と意思決定、亡くなった後の各種手続きです。 

葬儀は遺族が喪失を受け入れるためにあるもの、終活で葬儀を考えるなら遺影を決めておくくらいで良いでしょう。 

リビングウィルについて考え、銀行口座のまとめや保険の確認、遺産の内容と相続人の把握などが『本番に備えた終活』だと思います。 

 

▲7 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

人は、いつかは死を迎える。私の親友はある日突然‥余命は1年あまりと宣告されました。お子さんは当時、5歳でした。目標として、お子さんの小学校の入学式に参列すること。その1年で、ご主人と、ご家族と、私とで、色々な準備を整えました。急遽的に始まった終活‥ターミナルケア。親友も、私とも、苦楽を共にしたナースだから、できたのかもしれません。無事に、車椅子ながらも、お子さんの入学式に立ち会えて、その2カ月後のGWで、家族との旅行をし、旅立ちました。若いうちに準備をしておくことは、大切かと思います。でも‥リアルになったとき、慌てないようにできるか‥。そこかと思われます 

 

▲13 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

記事を読んだけど、死が切迫していない、今日と同じ明日が来るだろうと思っている若者のお遊びに感じました。話題に事欠いたメディアの穴埋め記事ではないでしょうか。 

最近、流行っているアニメや小説は「転生もの」が多く、どこか平安時代の浄土思想に似通っている気がします。現世に魅力を感じないのかもしれませんが、日々を丁寧に生きていればちょっとしたことにも喜びや楽しさ、美しさが感じられ、捨てたものじゃないのも人生です。一度しかない人生ですから、きちんと生き切りたいと思っています。終活も大切ですが、まずはそこからだと思ってます。 

 

▲8 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

自分も20代だけど生まれつきの病気があるから長く生きられるとは思ってない。 

だから今できること、やりたいことを後悔しないようにやるようにしてる。 

必ずまだ若いんだから〜って言われるけど、人間どんな理由でいつ死ぬかなんて分からないんだから、年齢関係なくこういう考え方があっても良いよねと思う。 

 

▲34 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

別に前向きにならなくてもいいが、死をタブー視する必要もない。 

子供の自殺が相次いだ2000年頃から、死をタブー視する風潮が強まったと 

思う。その頃から「ポジティブ」という言葉が持て囃され、 

人生応援歌的な歌ばかりが流行るようになった。ネガティブなことや死が 

否定されると、暗い感情や辛い思い、ひいては自省的な態度自体が 

否定されてしまう。昭和の歌謡曲には度々「死」という歌詞が 

出てくるが、それだけ生や愛や幸福が真剣で切実なものだった証だ。 

ちなみに自分は自殺も否定しない。自殺者を尊敬してさえいる。 

「人生は素晴らしい。この世は美しい」というのが真実なら 

「人間は醜く、人生は生きるに値しない」というのも全き真実だからだ。 

自殺した人は、現世と人間にきっぱりと絶縁状を突き付けた人である。 

シオランじゃないけど、私自身も自殺の可能性を自分に残しているから 

出口のない人生をなんとか生きていけている。 

 

▲11 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

人は必ず死にます。死なない人はいない。 

死ぬことは人間の運命です。 

 

だからこそ、生きていることは宿命です。 

 

死ぬことを考えるのが、自分の生き様を 

考えることに繋がるのなら、それはそれで良いです。 

 

 

それってしかし、仏教の経典など既に何千年も前に深く考えた人がいて、 

そういうものを研究することで、信仰はなくても哲学は理解できます。 

 

宗教である必要は必ずしもない。 

哲学者の書いたものであっても構わない。 

 

人生の先輩たちに、すごく頭の良い人たちがいて、 

何千年もの間、多様な角度から「人が生きて死ぬとは何か」を 

真剣に思索した本が残っています。 

 

そういう書籍を読むのは嫌厭してて、 

こういう活動というのはカルト的自己満足としか感じられない。 

むしろ、生きることを馬鹿にしてるとすら感じます。 

 

▲53 ▼31 

 

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今64歳ですが、まだ現役で仕事をしておりお陰さまでそこそこには健康である為、死について考えるゆとりが薄いてすが体力の低下に伴い、また定年退職も近くなり段々と意識せざるをえなくなっています。 

しかし、過去を振り返れば元気で若い頃は、死ぬことを意識した行動はありませんでしたね。生活する為に稼ぐこと、少しでも出世することで頭は一杯でしたからね。 

やはり今の時代は物も溢れ、平和で豊かな時代なので、若い20代のうちから終活にも意識が行くのかも知れませんね。 

自分には想像も出来ない話ですが、今の若い人達はある意味偉いなと思いますね。 

 

▲5 ▼1 

 

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私は、若い時から死への恐怖が強く、日々、幸せなのに、毎日、毎日無事に生きられるか?と頭をよぎります。今が大切すぎて、守りたいものが多くなるとその恐怖は大きくなり、かといって手放すわけにもいかない。そんな中で生きると、車に乗るのも出かけるのも恐怖になってしまい、幸せなのかわからなくなります。あまりにも辛いので病院へ行くと不安障害だと言われました。命や家族、物への執着や依存というのはつまり、苦しいのだなと思います。 

 

▲6 ▼1 

 

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人によって違うでしょうけれど、子供の発達段階のひとつとして、自分の死を実感し始める、というのはあるようです。 

小学校高学年から中学生くらいの頃、死ぬのが怖くてたまらない数年間を過ごす……という子は少なくないらしい。 

その後、十代後半から二十代というのは、実は人間が最も死ににくい年齢層。もちろん死なないわけではないし、交通事故などは増えるだろうし、一定数は病に苦しむ人もおられるはずですが、一般的には人生のなかで最も「自分の死」が縁遠い時期でしょう。 

だから、遊びや冗談として死をとらえたり、逆に勉強として死を学ぼうとしたり、そういった俯瞰した行動がとれるのかもしれません。中高年の終活とは、だいぶ異なる感じです。年取ると、もはや死は面倒な実務ですからね。 

でも、メメント・モリではないですが、いろいろな年齢のときに、それぞれのやり方で絶えず死に触れ続けるのは、人として必要なことなのかもしれません。 

 

▲11 ▼2 

 

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死は身近なものである。 

私たちの世代だと、隣の高校で一気に4人の同級生が亡くなる不幸な事故がありました。当初行方不明とされていましたが、1日過ぎるにつれ、皆、同級生の死を思い知らされていくという、遺体が見つかるまでは酷な8ヶ月でした。 

仲の良かった子が、理不尽な原因で、そうして無残な遺体で見つかるというのは、あの頃の私たちに“死”を実感させました。また、私たちもいつか死ぬという事実も理解させられました。 

 

▲4 ▼0 

 

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日本人が無宗教の人が多いというところに繋がるような気がします。 

私は家や学校を通じて宗教が身近にあったので、小さい時から「死」を受け入れる考え方みたいなものに触れてきたと思います。 

そうでなくとも、ある程度上の年代だったら、おばあちゃんの家に行ったら、仏壇で「まんまんちゃんあん」するとか(笑)いまや、仏壇に手を合わせる機会すらない子供も多いんじゃないかな。 

そういう生と死との向き合い方、生きる軸みたいなものを求めるところからきてるのかなと想像したりしてます。 

 

▲12 ▼7 

 

 

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成人式の数週間後、成人式で会った同級生が飲酒運転の同乗で命を落とした。 

それから、死をすごく身近に感じるようになった。言葉が適切かはわからないけど、死は生と表裏一体で、同じくらいに崇高なものだと思う。「デス活」というものの詳細がよくわかってはいないが、元気な人だからこそ至れる感謝の境地のようにも感じられた。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今まで、死の話をすると、「暗い」、「縁起悪い」と言われてきました。日々死に向かっているというのに、なぜ、直視しなのでしょう。さけるのでしょうか。いらだちがありました。やっと、時代が死の問題に追いついてきてよかったです。欧米では「死生学」といって、死について語り合う授業が学校で行われているそうです。死を論じることは、今を生きることにつながります。今度NHKでは、綾瀬はるかさん主演で、若者の終活をテーマにしたドラマを放送するとのことです。オンエアーが楽しみです。 

 

▲15 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

昔は「死=怖い、忌避すべきもの」として語られることが多かった。でも今は、若者も「終活」や「デス活」に前向きに取り組み、死をどう迎えるか=どう生きるかという視点に変わってきているように感じます。 

 

「死ぬことを考えるなんて縁起でもない」という時代は終わりつつあり、「自分らしい最期」や「残された人への思いやり」といったポジティブな意味で死を受け入れる人が増えているのかもしれません。 

 

▲313 ▼135 

 

=+=+=+=+= 

 

コスパの世代。人生もコスパ。これは冗談だけど、合理的な考え方だと思います。いらないものは持たない買わない。何をやりたいか、何を残すかをしっかり考える。とても素晴らしいことだと思います。 

そんなことを全然考えなかった私は、いかに捨てるかに悩んでます。 

世の中、サブスクとか、シェアの中心になってくる時代で、所有すると言う事は、意識として薄くなっていると思います。そういった流れもあるんでしょうね。 

このメメントモリは、良いことなんじゃないかなぁ。究極のライフプランかも。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

数年前、先輩が亡くなった。 

 

その方は床屋を営んでおり、亡くなる数日前に散髪してもらい「良いお年を〜」なんて声をかけていたその翌年、正月が明けて数日という頃、その日の朝起きてこないので家族が起こしに部屋へ行った際、既に息を引き取っていたという。 

 

所謂普通の体型で、健康だったと思うし、快活に会話とかしていた方の突然の死、、、改めて「死」について考えさせられました。亡くなった本人は恐らく苦しまずに逝かれたと思います。残された側の整理がつかないのだと気付かされました。 

 

それからは常に次の日を迎えられた事に感謝し、その日を一生懸命に過ごすようになれました。今の社会は医療や介護の現場はともかく普通の暮らしなら「死」に直面する機会が物凄く減ったように感じます。死があるから今の生がとても大切になってくると思うし、前向きになれると思います。 

 

▲25 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今の若者は贅沢を知らない。 

今の50歳以上くらいの年配は、贅沢を知ってる。 

若者はお金をかけない生活をしてる。 

ミニマム。 

年配は欲しい車や家や時計とか物欲が強い。 

今の時代を生きる若者は、生きてて楽しいと思えることが少ないのかなと思う。 

お金があれば、他に海外旅行やバックパッカーで旅をするとか生きる楽しさや価値を見出せると思うが、最低限の金がない。 

親の介護をするとか国もしくは行政がもっとしっかりしてれば夢を持って生きれるのに。 

政治家がダメで国政がダメなんだと感じる。 

若者には死を考えるのではなく、もっと生き生きと自分らしく生きて欲しい。 

 

▲291 ▼78 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃は「自分はいつまで生きられるだろう?」「最期は苦しんで死ぬしかないのかな?」「いつか別れが訪れるのに能天気に幸せを満喫するべきなんだろうか?」なんて考えてたけど、大人になって意外と自分は死なないと気付いた。 

そして最期の別れがどうであれ、それを心配して今の幸福を心から喜べないのは勿体ない。と思った。 

 

今は「自分は120歳くらいまで生きられる」つもりで生きてたら死ぬまで明日の心配なんてしなくていいかな。と思ってる。 

 

俺ももっと若いうちから生きることとか死ぬことについて話し合える相手が居たらもっと早く気づけただろうか? 

 

▲16 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

死ぬために生きているつもりはないけど、終わりを意識し、今の時間を大切に生きようと思うことは大事なことだと、記事を読み思いました。 

そして1枚目の写真を見て、なぜかルーマニア203を思い出した私は、もう結構年を取ってしまったなと、なにか感慨深いものがありました。 

 

▲1 ▼2 

 

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デス活というのには違和感しかない。 

そもそも、この記事で触れる「死」というのはあくまで死生観の話であって、それを終活と結びつける意味がわからない。色んな人と知り合い、別れがあって、少しずつ死を意識する方が健全だと思う。色んなものを一足飛びし過ぎなんだよ。敢えて言うけど、んなことしてる暇あるなら、たくさん失敗し、試行錯誤し、経験を積むべき。なんか、たくさんの動画を見たいから倍速にする、というコスパ的な感覚で臨んでないか? 人生を損したくない、って感じ。 

最後から逆算してるだけで、およそ人生を楽しむという感覚とはかけ離れているように思える。イレギュラーも、無駄なことも、人生には必要。 

 

▲48 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

生物は生を受けた瞬間から確実に死へ向かっているわけで、生の最終目的、目標は死だと捉えることもできる。 

考え方は人それぞれだが、死は怖いもの、避けられないから悲しいもの、と悲観的に捉えるのではなく、 

死とは何か、どう生きてどう死んでいくかというプロセスを考察することで、死に至るまでにしたいことを明確化できることは良いかもしれない。 

心の揺れ動きを体感するという自分にはない発想がさすが令和! 

ただ、突然やってくる死、何も準備ができない死もあって、それが生物というものなんだよなとも思う。 

 

▲1 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

若い人達がなぜそんな事を考えるのか?意味がよくならない自分は40代だが終活をしている、もう病気でどうにも出来ない状況で延命治療をしている、今は葬儀屋に行ったり墓をどうするかと打ち合わせしている! 

若い人達が考えるのは滅びの美学的な考え? 

人間は必ず死ぬから若い人達には20代にしか出来ない遊びや仕事、恋愛をいっぱいやって人生悔いなしと 

長生きして欲しい!自分漠然と1日を大切に生きて行こうやっています! 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

今は景気が良い葬儀業界だけど、一段落した後は急激に需要が減る。今後の先細りに備えて、業界が若者に目を向けた営業活動をしているというのが実態ではないか? 

『デス活』なんて言うと、自主的に若者が動いているように聞こえるけど、葬儀会社のアンケートの数字を、「驚きの調査結果」とするのは少し無理がある気がする。 

先細りが見えている業界に、長期に渡ってお金を支払うような契約なら、よく考えたほうが良いと思う。 

相手はプロですよ。 

終活とオムライスは一緒じゃないと思います。 

 

▲89 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

何でもかんでもイベント化するようになったよね。 

しかもそれに乗っかる人もいるからこう言う突飛なビジネスも成り立つ。 

 

でも生まれてきたからには必ず死ぬ時が来るんだし、それをタブー視する必要は無いし、死生観は人それぞれだから良いことだと思う。 

 

自分ももうすぐ50。 

まだまだ死ぬ時の事なんて想像つかないけど、この歳になると馴染み深かった芸能人の方々がどんどん亡くなっていくし、この10年本当にアッッッという間に過ぎ去ってったし、今みたいに自由にカラダが動いて生きていられるのももうあと2、30年くらいなのか… 

20年前なんてついこないだみたいな感覚なんだけど?って感じ。 

 

先日、親戚のお姉さんが亡くなり火葬場で骨も拾わせていただいたんだけど、棺桶でキレイにお化粧されて眠ってる姿をつい先日見たのでちょっと棺桶で眠ってる自分の姿を生きてるうちに写真に撮って見ておくのもアリかなとこの記事を見て思った。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

良いことじゃないか。 

死を意識して初めて実りある生について考えるってこともあるだろうし。 

自分もまだ中年で身体が動くうちに身の回りの整理や遺言などあれこれしておくつもり。 

人なんて年齢に関わらずいつ不意の病や事故で満足に動けなくなるか分からないし、動けなくなったら自分のこともやりたいように出来ない。 

早くからしっかり考えておくに越したことはないよ。 

 

▲27 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

今の若い人達って、こんなに早い時分から「死」を意識してるの? 

私事だと、40歳の大台が近づくにつれて「人生80年だとしたら、もう折り返しかぁ」とか「折り返し後、健康寿命は、あと何年かなぁ?」「そう考えると、残り時間は刻々と減ってるな」という実感が強まる事で、死が身近になってきたし、「残り人生を、どう生きるか」という自分への問いが増えた感じだったが。 

子供の頃や20代の頃は、時間に限りがあるのを知識としては知っていたけど、実感は薄かったなぁ。 

 

▲32 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

20代は鬱病を発症して毎日が虚ろで死ぬことしか考えてなかった。 

現在は終活という言葉が生まれ死を受け入れる活動ができるとは 

思いませんでした、20代ではないのですが終活の準備を軽くしてます。 

と言っても部屋に余り物を置かず、 

葬式費用など家族に負担を掛けないぐらいしか出来ません。 

死んでしまうと他者に多かれ少なかれ迷惑がかかってしまうので 

その迷惑を軽くすることしか出来ないんですよね。 

 

▲31 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

人生の真の評価はその人が亡くなった後に決まると思っています。 

家族葬をしようが大葬式をしようが、見送ってくれる人がいなければ意味がありません。 

その人が皆に慕われていれば、おのずと参列者は増えると思います。 

あくまで個人の意見ですが、葬式を見ているのは現世の人だけではありません。来世で故人を審判する閻魔大王も見ていると思っています。 

その葬式の有様によっても閻魔大王の審判がなされると思っています。 

実はそれが偽りのない真実かと。 

と偉そうなことを言っていますが、自分は無記名樹木葬を葬儀場に申し込む寸前で、担当者に「もう少し考えなさい」いわれました。 

産まれてきた事実を全てなかったことにする。 

デス活をお考えの方はこの直接火葬場で焼かれ無記名樹木葬をするのがお薦めだと思います。 

まあ人それぞれですけど。 

 

▲2 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

良い事だと思う。 

死を受け入れて考える事は生きる事を考える事でもある。 

 

記事にあるように死を意識したら、『いつ死ぬか分からないからやりたいことを動ける内にやっておこう』となるだろう。また『限られた時間をこんな下らない奴に使うのは惜しい』と関わってはならない人間を切り捨てられる。この世には自分にとっていない方が良い人間は多々いる。 

 

死を禁忌として遠ざけるよりは前向きで良いと思うね。 

 

▲10 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

早めから準備されることはいいんじゃないですか。人間のみならず、すべての生命は生まれた時点で、早かれ遅かれ死ぬことは決定しているのですから。 

ただ、『終活』という造語がやっと定着したのに、誰が言ったか知らないが『デス活』なる造語まで作らなくてもいいと思います。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

Stage IVなど進行性の癌などを告知された患者さんにおいて、死の受容 にはいくつかの段階がみられます。 

 

突然の理不尽な自分に訪れる死に対し、 

否定 (H)→怒り (I)→取引 (T)→抑うつ (U)を経て受容 (J)に至り、”キューブラロスの死の受容過程” と精神科でいわれています。 

 

記事の”終活”は、ポップな”自身が死んだあと”の体験。 

これを体験したからといって実際に訪れる 死への受容 はまた別の話になるでしょう。願わくば、これが日々の生活の中で、個人が死を意識し、よりよく生きるように考える導入になるのでは、くらいに考えるとします。 

 

▲10 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

私は今年で40歳だけど結婚もしてないし出産もしてない。このまま1人で死ぬとしたら最期に親族達に迷惑はかけられないと思ってるから今のうちにある程度の死に費用は用意してある。 

とりあえず火葬に必要な費用は確保できてる。その他に必要なお金も出来る限り貯めておいていつか私の死体の面倒見てくれる人の負担にならないようにしたい。 

立派な墓もいらないし実家の墓に入れなかった場合は地元の川か海にでも撒いてくれと思ってる。 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

40代子なしでステージ4b、所謂末期癌と発覚時に宣告された癌患者です。その時は治療よりも身辺整理を考えましたね。葬儀だけではなく、相続に値するものをどう処理するのか。幸いにも治療効果があり5年生存できていますがいつどうなるかは分かりません。これからも準備していたいと思います。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分もそうでしたが、若いうちは「死」に対する考えの持ち方や、残された人への配慮も想像できないことが多いから、終活を考えるのはやめた方が良いと思います(死亡宣告されたとかなら別ですが)。細かい取り決め(死んだらPCは○○に操作してとか、○○は○○にあげてとか、若いころはそういう自分勝手な願いばかりです)は残された人にとって面倒で酷で、その通りになるとは限りません。 

40代以上になったぐらいから、「死」への考えが固まってきて、死んだ後の周りへの影響も想像できるようになると思います。その頃から、葬儀費用(お墓でなくてもお金は100万はかかると思った方が良い)の用意の仕方や、自分の財産・使ったものの処分方法なども考え、事故などで死んでも周囲に手間をあまりかけずに困らないように遺言を書いておくのはいいかもしれませんね。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

人はいずれ「死」を迎えるんだから、「死」の事は考えず、今を生きようぜ。 

病気だろうが、癌だろうが、寝たっきりだろうが、それならそれなりの生き方で生きればいいだけ。 

両津勘吉も言ってた。「まずは生きる事、そこからどう「生きる」かを考えるんだ。細々と生きるのか、図々しく生きるのか」 

これ、自分のポリシーです。気持ちが落ち込んだ時に、いつもこの言葉を思い出して図々しく生きてます。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

20代は心が成熟して自分がいつか死ぬ存在だということを意識するので、この報道の感覚は普通なのだと思う。自分も20代のとき、どんな風に最期を迎えたいかを考えたことがあった。最後に思い出を振り返って笑顔で死にたいと思うに至り、そのためには今、悔いのないようにできることをしっかり頑張るしかない、と感じた。辛いことは色々あったけど、安易に流されないという方針だけは貫くことができている。 

 

▲41 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

若い時って恋人や推しのことをしぬほど好き!とか、これができたらしんでもいい!とか死に対する現実味が薄く認識も軽かった。 

年を重ねて家族や子供を持ち、大切な人と1日でも長く一緒にいるために生きたいと感じるにつれて、生の重みに比例して死も重く受け止めるようになった。 

中年の自分も未だ命の重みの全てを理解したとは到底言えないけれど、死を見つめることで若い人たちがもっと今生きている時を大切に思えるならそれも良いことなのかもね。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人間と他の生物と違うところは、死ぬほど権利が与えられているということ、苦しくて辛い長生きをするならば楽しく有意義に短命を選ぶこともありだと思う。安楽死や尊厳死の議論を深め享受できる時代がやってくる。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

親がまさに就活中です。 

遺言書作成したり、親しい人に会いに行ったり。我々子供たちにも1人づつ手紙を作っているとの事。 

葬儀は積立してるしお墓はお寺で永年供養の契約もして 極力人に迷惑をかけずに旅立つ支度をしているそうです。 

そんな姿を観ているからオムライス食べることと同じ程度にはしてほしくないですね。。。 

就活にあたり父とも大喧嘩を何度もしたそうですが(父型のお墓には入りたくない等々) 

それぞれの実家の大ゴミ掃除や処分等家族総出で大変でしたが飛ぶ鳥跡を濁さずよ!と言っていたのでできる限り家族として力になってあげたい。 

棺桶に入って映え写真撮るのは就活ではないかなと。 

孤独死で引き取り手もない賃貸住居の掃除費も葬儀代もない、いい人生がどうかもわからない、そんな終わり方はしたくないな 

 

▲12 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

ぜひ終活では延命治療を希望するか意思表示を家族に伝えておく事が必要だと思います。 

いざ、老衰で食べれなくなった時に、家族が延命を希望するケースがいまだに多い。 

複数子どもがいる場合揉める事もある。しかもあまり時間がない中で判断を要する事もある。 

本人が延命など希望してなかったような人でも嫁とかが冷酷な人と思われたくないからと延命する事もある。その結果10年以上寝たきりで廃人のような最後の人生を送らないといけない人もいる。 

自分が誰かもわからない話せない食べれない動けない状態で。 

 

▲20 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

新しい体験がしたいだけだと思う。 

昔から死の概念が近い若者は一定数いるんだよ。 

死にまつわる絵や音楽に惹かれたり、服装を纏ったり。 

それらをカジュアルな体験として落し込んだ商売という感じですね。 

若い人の「終活」と聞くとびっくりすると思うけど、親戚の御葬式に出たり、有名人が亡くなったりした時にふと自分の死を考える時もあると思う。 

その時に変な大人に惑わされないようにね。 

スナックと聞くといかにもそういう人が寄ってきそうで心配になりました。 

 

▲1 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

高齢者や病人の終活は10年以内に死ぬ確立のほうが高いから身の周りを整理する事を言う。もう会えそうにない人間関係も整理するのだよ。20代で健康ならありえないでしょ。そんな終活は遊びでしかないですね。自分の身内にやってみたらどうかな。まともな人なら呆れて笑いますよ。若い人には若い人にしかできない事が多々ありますから、それを探す事をやったほうが良いですね。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

歳を重ねなければ、分からないことも多い。そのひとつに生きると言うことがある。先ず、命とは、老衰と余命を除き、自分のために自身が生きているのではなく、他人のために生かされている事に気付く。そして、それ以外の死は自死含め全てが自身に与えられていた寿命であり、自死なども本人が選択しているように見えるが、最終的には自らの死は自身では終わりは決められない。従って、本当の終活は老衰と余命が近くなった人間にしか出来ない。しかし、それも本当に死と向き合えるのかも怪しいものだ。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

今年の年明け早々に父親が浴室で溺死した。 

その状況は言い尽くせぬほど哀れな状況だった。 

 

それを機に、身内や親族それぞれが望む送り方を共有する機会となり、故人個人の意向に寄り添う点では良い傾向だと思う。 

故人の写真の選出に困るから、働き世代なら就活用の写真かデータがあると活用できると思う。 

 

あとは故人のお顔拝見など望まない場合は意思表示した方が良いかも。 

 

私個人においては、死後の状況を見られたくない、最大でも家族葬程度で、墓終いを前提に...進めたい。 

 

実際に故人の銀行口座凍結や携帯等の契約解除、不動産や公共料金の名義変更諸々でだいぶ疲弊したから、契約状況やIDPWの管理やデータ保存はあった方が良いと思う。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

死と向き合うのは、家族を助けることになると思う。自分の親が、死後の事務手続きに困らぬよう、全部ノートに書き出してくれていた。 

本当に有り難かった。 

 

残った家族は、普段の仕事と家事をしながら、更にもう1つ仕事をするようなもので、時間も体力も取られらる。 

 

家族の誰がいつ事故や急病になるとも限らないので、お互いのため、「縁起が悪い」などと言わず、亡くなった時の事を日頃から考えたり、話し合ったりするのは、大切なことだと思います。 

 

▲150 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事に関して少し意見を述べさせて頂きます。人は間違いなくいつの日かは死にます。これは避けて通れません。それが事故なのか、病気なのか、寿命なのか、その他なのか、誰にもわかりません。一番良いのは人生を精一杯生きて、思い残すことなく老衰で死ねることだと私は思っています。事故にしても、病気にしても、自殺しても、誰かに殺されるにしても、その大きさこそ違いますが、不幸と言うか不運な事です。いやそれは違うと言う方も居ると思いますが、私は基本的には人生を精一杯生きて、健康長寿で死を老衰で迎える事です。しかし、この生き方、死に方はなかなか難しい事で、出来ている方はこれまでの統計では2割弱です。ほとんどの方がそれ以外となります。 

今回の終活、それも若い内からするのであれば、時期を見て生前葬と言う方法も有ります。死ぬ前にこれまでの友人や知人、家族にお礼を言う、まだ少ないですが、これをやりたいと思っています。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃からずっと死とは何かを考えていました。必ず訪れるのに私達は死を恐れる理由とか、そもそも生まれて生きて、人生のゴールが死とは不思議だけれど、それを世の常として当たり前に生きている人間というかこの世界に違和感があるというか、、、 

今50になってなお死について考え、死とは何かを記した著書なども読んだりします。恐らく何%かな若者はそういうところに興味があっても何ら不思議ではないかな。一緒の趣味でしょう。なので否定する気持ちはないし、それをビジネスにすることを批判する理由もわからない。自分の趣味に例えばフィギュアや玩具、骨董に何千万も使う人がいるのだからそれと同じでしょう。私にとっては寧ろ生と死を善と悪と捉える人の方が不思議です。どちらも生物の本質ですから。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

義実家のお墓はどうするのか気になっています。 

義母は鬼籍、夫は長男で妹二人(結婚している)、我が家は娘一人(一人っ子確定)。 

娘には負担かけたくないし、私は義実家のお墓には入らず樹木葬希望と夫には伝えてあります。 

義実家の墓守りをするのか、その場合の負担は我が家のみなのか、非常に気になります。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

おれは良いと思う。 

 

「死」について考えるのは「生」について考えるのと同じこと。 

より「どう生きるか」を真面目に考えることに繋がるから良いことだと思う。 

 

ビジネス化しているという批判的な見え方もあるにはあるが、結果的に「どう生きるか」を前向きに考えるきっかけになるのであれば全然問題ないかな。 

 

それで人生の質があがるならどう考えてもその人にとってはプラスになるもの。 

 

一方でAI遺影みたいなやつはおれは好きじゃない。 

AIが本人の思考を学習して本人が言いそうなことを言うんだと思うけど、どこまで行っても本人にはなりえないから。 

 

悲しいけど死によって完全に断たれたことにしがみついてはいけない。前に進まないといけない。これは生命のルールみたいに感じる。まあ思い出に浸るのは良いけども、AIの言うことを真に受けてはダメだと思うからおれは好きじゃないかな。自分の人生を生きないといけないと思う。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

最近は何でも人のせいにして、「どうせもう終わってるし」しか言わないふてくされた若い人が周りに多いなと感じます。世の中の動きと自分は別なのに、そういえばかっこいいと思っているのかな?ちょっと中二病が長すぎやしない?って思います。 

 

どう生きるか、満足のいく人生を送りたいと思う人には私は介護の資格講習(初任者研修・実務者研修)を受講するのをお勧めしたいです。教わる事や実体験などを聞いていると自分の生き方について深く考えるようになります。私はここから考え方ががらりと変わり目標や夢が沢山出来ました。 

 

嫌われない高齢者(施設利用者)になるには、自分のことに目を向けて自分を磨き続け一生懸命人生を楽しむことだと答えが見えた気がしました。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

毎晩毎晩、床に入ると「死ぬことが怖く」なり、眠れずにいます。 

 

死んだらどうなるんだろう。 

来世は存在するのか。 

もし存在するなら、人間は人間に生まれ変わるのか、それとも違う生き物に生まれ変わるのか。 

それは何年後なのか。 

生まれ変わる頃、地球はあるのか。 

私が死んだ後、家族はどうなるんだろう。 

少しは泣いてくれるかな。 

それともバンザイしてたりして。 

世の中もどうなるんだろう…など。 

 

いろいろ、怖くて怖くてたまりません。 

 

終活スナック?映える? 

何を呑気なことを… 

 

▲1 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

映像中の「終活スナック」のお客さんたちエキストラっぽいなーて思った。 

リアルなら収録の場合インタビューに応じた客以外はモザイクかけるはずだが、全員顔出しOKなのは少し不自然な気がする。また店の看板には営業時間が18時~23時と書いてあるので、”開店一時間後”と表示された場面では19時を過ぎているはずだが、その場面に映っている満席のカウンター席の奥に見える窓はなぜか昼間のように明るい太陽光が差し込んでいる。これは実際の営業時間前にエキストラを店に入れてヤラセ的にニュース用の映像を収録したということなんじゃないかな、、 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分が若い時もそうだったが、夢を持たないと批判される風潮があった。 

先行き不安なこの国で夢や明るい希望を持てないのはわかる。 

人は必ず死ぬし、必ずしも高齢者からと順番が決まっているわけではない。 

誰しもが死とは隣り合わせであり、ある意味生きているのは奇跡でもある。 

死としっかり向き合うのは現実的と感じる。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は30代男性です。 

表題とか記事とかって何だこれって書き方なので、斜に構えてよみましたが、やっぱり内容は大した事ないです。 

ただ、自分の親族が逝去し、両親も棺桶に片足が掛かっている年齢なので、自分でそう言う儀式?場面?に、なんとなく近づけるのは面白いと思いました。 

 

人生って、長い時間をかける自殺だと自分は思っているので、極力は家族、身内に迷惑を掛けない死に方を考えるべきでしょう。 

 

▲6 ▼5 

 

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デス活という言葉は初めて聞きましたが。 

今も昔も、若者って、人が死ぬ感動系の物語が好きだなぁと思います。『世界の中心で、愛をさけぶ愛を叫ぶ』じゃないけど、令和の今でも恋人が病死する系のストーリーが人気です。 

私はもう中年なので、そういう物語は疲れちゃうし遠慮したいですが、若い頃はそうい物語にずいぶん感動してたなあと思います。10代20代こそ「命の尊さ」や「人生の儚さ」について知りたい年齢なのかもしれないですね。 

 

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この記事に書いてあるような事よりも、本当に死を意識する体験をする事で考え方、人生観を変える事の方が大切だと思います。 

私は、医師から告知された聞きなれない病名をスマホで調べ、国立がんセンターのホームページに1年生存率25%5年生存率10%と書いてあるのを見て「ああ、皆んなと、この世とお別れしなきゃならないのか、俺の人生ここで終わっちゃうのか」と思って涙した事などを経て、明日死ぬかもしれない、死んだら何も無くなってしまうんだな、という事を理解できました。 

それまで何かと殻にこもって保守的でいた自分から、あまり先の事ばかり考え過ぎたり、人と比較して劣等感や優越感を感じたりする事はあまり意味がないという事に気づきました。 

なので例えば、飛行機で「当機は車輪が出ないトラブルのため胴体着陸を試みます」と言われるドッキリを体験させるなどして、本当に死を意識してもらう体験を提供した方が良いかと思います。 

 

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20代から死を意識しろなんてナンセンス。 

そんなのはもっと後で嫌でも考える日が来る。 

 

今やるべきことは一つ。 

友達とバカ笑いして、恋人と朝まで語って、全力で青春を駆け抜けること。 

 

悩みがあっても、迷いがあっても、 

20代は「ちゃんと迷って、ちゃんと遊ぶ」が正解。 

 

時間があるなら死を考えるより、生きる楽しさに使おう。 

その先に、いつか自然と「死の意味」も見えてくる。 

 

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いつ死ぬかわからないとはいえ、若いうちから趣味みたいにやるのは精神的に良い影響があるとは思えないよ。死を前向きって…心配になる。 

特に感情が引っ張られやすい人、思い込みの強い人は。 

 

終活感あることより真剣に保険内容を考えるとか、日頃から不用品を溜めない・人に借りたものは早く返すとか、証書や契約書関係は整理してパッと見つけられる場所に保管しておくとか、銀行口座は幾つ持ってて、職場の連絡先は〜など情報共有しておくとか…そういう生きてても必要な整理癖を身につける方が有意義だと思う。。 

見られたくない物は鍵付きのケースに入れて「見ないで捨ててください」ってメモ貼っておくとかね。 

 

メディアが終活してる若い子増えてる(流行ってる)に持ってくのは良くないよ。 

 

ファッションメンヘラやってたら本当にメンヘラになっていっちゃうのと似た現象起きそう。 

年配者の準備とはまったく違う精神状態になる可能性ある。 

 

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結婚、出産なし50代 

今まで仕事さえしていれば 

困る事はないと思っていた 

だけど…自分で自分の事が出来なくなった時 

病院に行くにも施設に入るにも 

墓に入るのも人の助けが要る 

生前に伝を作っておかなければならない 

それも金さえあれば何とかはなるが 

真意を話せる相手がないのは寂しいものだ 

 

それを20代の内に考えられるのは凄い事 

 

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生死の問題について煩悶すること自体は、昔から青年期によくあることと解されていたから、別段おかしい話題ではあるまい。ただし、米内光政大将が練習艦『磐手』艦長当時、悩める候補生の話を聞いてから回答したところによれば、「そこまで悩めたならば、とりあえずしばらく眼前のことを頑張ってみるのが良いんじゃないか」だそうで。 

 

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若者の4人に1人が終活というタイトルが未来を暗くしている。 

まるで昭和20年時代の戦前と同じ様だ。つまり若者には未来が無いからだと思う。それは、多くのメディアは老後老後と暗い事柄はニュースで、若者には将来が無いからだ。 

日本の高齢化社会は衰退国家、若者は高齢者の為に働いている、戦前の若者がお国の為にと働いている様に 

、若者の身内にも高齢者がいて終活しているから共感してしまうのだろう。逆に4人に3人が終活していないから、若者にはもっと明るい未来を提供できるようなニュースがほしい。 

 

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