( 301362 )  2025/06/22 06:10:46  
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最後の「国鉄型特急電車」がついに「完全引退」 185系が帰らぬ旅へ

鉄道コム 6/21(土) 11:35 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/9a9e21ecb07785f22ecf99d051a174c546c0625a

 

( 301363 )  2025/06/22 06:10:46  
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185系C1編成が最後の国鉄型特急電車として長野の車両基地に廃車回送された。

185系は1981年にデビューし、普通列車や急行列車などで運用され、独自の設備を持つ特急型車両として知られた。

2010年代に置き換えが進み、2024年に一般旅客列車や団体臨時列車での運用を終了した。

ただし、JR西日本の381系が最後の営業運用の国鉄型特急電車となっている。

(要約)

( 301365 )  2025/06/22 06:10:46  
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「最後の国鉄型特急電車」となっていた185系C1編成(栃木の迷彩男さんの鉄道コム投稿写真) 

 

 6月18日夜、JR東日本の185系C1編成が、大宮の車両基地から、長野の車両基地へと旅立ちました。廃車のためと思われます。今回の廃車回送により、国鉄型の特急型電車は、すべて現役を退いたこととなります。 

 

 185系は、1981年3月にデビューした電車。特急型車両として設計された車両ではありましたが、急行列車や普通列車での運用も可能なつくりとなっており、普通車のドアは1両あたり片側2箇所、普通車の座席は回転式クロスシートではなく転換式クロスシート、窓は開閉可能と、他の特急用車両である183系や485系などとは異なる設備を持って生まれました。その設計思想通り、1981年のデビュー時には急行「伊豆」の運用があったほか、2013年までは普通列車運用が存在していました。 

 

 185系が最初に投入されたのは、東海道本線系統。先述の急行「伊豆」のほか、特急「あまぎ」で使われていました。両列車は、185系投入開始から約半年後の1981年10月に、特急「踊り子」へと統合されています。また、1982年3月には、185系200番台が東北本線・高崎線での運用を開始。高崎線の急行列車に投入されたほか、同年6月からは、大宮駅発着だった東北・上越新幹線と接続する「新幹線リレー号」にも充当されました。新幹線が上野駅まで延伸した1985年以降は、急行列車を置き換えて生まれた「新特急」に充当されています。 

 

 JR化後、2010年代に入ると、185系は置き換えが進められていきます。2014年には、高崎線の特急への651系投入が始まり、2016年で上野駅発着の定期列車からは撤退。東海道本線系統でも、2020年に「踊り子」へE257系の投入が始まり、翌2021年に185系の定期運用は消滅しました。その後も臨時列車での運用が続いてきましたが、一般旅客列車としては2024年7月、団体臨時列車としては同年12月の運転を最後に、185系は運用を離脱していました。 

 

 ちなみに、国鉄型特急電車としては最後まで残る車両となっていた185系ですが、営業運用を基準とすれば、JR西日本の381系に軍配があがります。「やくも」用だった381系は、2024年度の年末年始に運用入りしており、国鉄型特急電車として最後に旅客を乗せた形式となりました。また、185系と381系は、国鉄型特急「電車」としては最後に残った車両ではありますが、国鉄型特急車両としては、気動車であるJR四国・JR九州のキハ185系が、今もなお現役です。 

 

西中悠基 

 

 

( 301364 )  2025/06/22 06:10:46  
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このテキストのコメントは、185系列車に対する様々な思い出や評価が含まれています。

乗客の中には汎用性や長寿命を評価する声や、特急料金に見合う設備を望む声、古さを感じる声、デザインや性能に関する感想があります。

また、新幹線リレー号や特定の列車での乗車体験や思い出が語られているコメントも多く見られます。

歴史的な経緯や車両の特性についての考察や比較も含まれています。

全体的には、185系列車への愛着や感謝の気持ちが表れたコメントが多く見られました。

(まとめ)

( 301366 )  2025/06/22 06:10:46  
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=+=+=+=+= 

 

185系を開発した当時の国鉄の担当者たちも、これほど長期間に渡り活躍するとは思いもよらなかっただろう。 

 

185系は特急だけでなく、普通列車や臨時列車などあらゆる用途の列車に対応できる汎用性を重視して開発されたことが、時代が変わってもずっと活躍が続けられた要因の一つだった。 

 

185系の汎用性のポリシーは、その後のJR東日本のE257系やE653系などに受け継がれているけど、 

最近のJR東日本の新しい特急車両では、全車指定席化に対応した車内設備やハイグレードなグリーン車など、特急としての運行に特化した仕様が重視されているので、 

今後も汎用性の高い新たな特急車両が登場するかどうかは未知数だ。 

 

▲512 ▼50 

 

=+=+=+=+= 

 

JR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)は1987年に設立された日本最大の鉄道会社の一つで、東京を中心に東日本全域に鉄道路線を展開しています。営業キロは約7,419km、駅数は1,682駅で、1日あたり約1,608万人を輸送しています。旅客鉄道を中心に、不動産、流通、情報通信など多角的に事業を展開しています。車両基地とは、鉄道車両の点検・整備・清掃・保管などを行う施設です。列車の運行に支障が出ないよう、定期的な検査や修理が行われます。また、車両の入換や編成の組み替えも担い、安全な運行を支える重要な役割を果たしています。施設内には検修庫、洗浄設備、留置線などが整備されており、大都市近郊に多く設置されています。 

自宅警備員見習いです。BGMにドナドナが流れてきそうなシチュエーションやな。ひとつの時代が終わったわ 

 

▲10 ▼65 

 

=+=+=+=+= 

 

懐かしいですね。 

子供の頃に両親と伊豆に遊びに行った思い出と、父のコレクションの中にあったNゲージの8両セットで遊んだ記憶ですね。 

 

斜め線の緑のカラーリングが一番綺麗かなと思っています。 

 

その後時々東京駅まで急ぎの時に、短距離ですが特急料金使ってちょっと贅沢に行ったりしていました。 

 

インバータ制御じゃないモーター音と、壁の内張りの懐かしい色合い、座席に灰皿があったりするレトロ感がよかったです。 

長い間ありがとうございました! 

 

▲270 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

この車両で初めて車内の自動ドアってのを見た気がします。それもセンサー式じゃなくて重さに反応するタイプ。開閉の音がうるさくて、立ち客が出るほどの混雑時にはドア上の自動手動スイッチを操作して開けっぱなしにしてた記憶があります。 

 

▲48 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

373系から引き継いで臨時のムーンライトながらで走ったことについて触れてないね。大垣夜行に例の爆音が復活するも短命に終わったが。 

 

ヘルプマーカーの口癖の如く追いかけるものは何が何でも追いかけるが、ひっそりと夜に回送することで撮り鉄によるトラブルを回避する上では特効薬ではないものの、撮影者が減る、線路脇での撮影が難しいぶん一定の効果は出ているのかもしれない。 

 

エリアが限られている私鉄車両と違い、広範囲に走るJRの車両は注目の的にされやすく、投稿で飯を食っているようなガイチュウテツからもターゲットにされるぶん、夜な夜な回送にならざる得ないわけで。 

 

▲91 ▼65 

 

=+=+=+=+= 

 

東北・上越新幹線大宮暫定開業の頃の新幹線リレー号のイメージが強かったが、実際に乗ったのは「あかぎ」、「草津」、「谷川」になった後でした。両毛線・信越本線には間合い運用の普通列車があり、早朝・深夜の「軽井沢リレー号」で碓氷峠も越えていました。グリーン車も開放でした。当初の転換クロスシートや爆音モーターなど他の特急型よりもグレードが低い感じでしたが、165系なき後、団臨や臨時快速の切り札として活躍してくれました。 

 

▲70 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

定期運用引退後も予備的役割とイベント用で活躍しましたが遂に本当の引退ですね。深夜から朝にしれっと去る姿は最後までかっこよかったです。長嶋さんみたく。 

 

▲18 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

特急やくもを普段から見てますが、確かまだ381系の車両、西出雲駅近くの車両基地にあると思いますよ。 

特急やくもの臨時列車として、今年の年始に運転があり、今後は必要性が出てきた場合に走らせるという事になってたと思います。ただ、次の車両検査を通すかどうかはあるかもしれませんが。 

 

▲17 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

まあ381系は外板がアルミだから、現在見てもそんなボロく見えないよね。鋼製車は走行線区にもよるけど20年も30年も経つとみすぼらしくなってしまう。でも伊東線や伊豆急線といった海岸線を走りながらも割と綺麗な見た目を保っていたのは、車両整備の熱意の賜物だったんじゃないかと思う。九州ブルトレの14系とか485系(特にボンネット)の末期はだいぶくたびれて見えたからね.. 

 

▲239 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

185系電車の登場時は転換クロスシートで、背もたれは倒れない。同じ時期(1980年代前半)に関西圏や名古屋圏で快速(新快速)に投入した117系と、走行性能の面では同じです。置き換えられたのはどれも急行型電車(153系・165系)ですが、その時使っている列車種別の違いでこうなりました。 

その185系は普通(快速)列車の運用など汎用性を考慮しての設備であり、皮肉にも長寿になりました。特急列車が「特別な急行」でなくなった象徴とも言えます。 

 

▲73 ▼6 

 

 

=+=+=+=+= 

 

大学受験の時、関西在住だったので当時首都圏の中古ばかりが投入されていた関西圏にしては珍しく新製投入された117系新快速に乗って試験場に向かいました。 

快速列車なのに空気バネ台車で特急列車並みに乗り心地が良かった事をよく覚えています。 

丁度その頃に確か「新特急」でしたでしょうか? 

でこの「185圭」が投入されていたのを思い出しました。 

少しデザインが似ているところがあるのでよく覚えています。 

「踊り子」での運用もしていた様に記憶しています。 

117系も「WEST EXPRESS 銀河」を残して全車廃車されているし自分が若かった昭和は本当に遠くなったんだなぁと感じます。 

 

▲85 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

どちらかというとちょっと出来損ないのこの車両ですが、私にとってかなり思い入れのある車両となりました。少年時代にこれが颯爽と登場した時にはカッコいい列車が来たと思いました。それまでの車両は暑苦しく湘南色、スカ色或いは全面一色に塗り潰しでしたので、グリーンの斜線はめっちゃ新鮮でした。 

特急としてはヘボでしたが間合い普通列車としてはとても良い車両でした。息子が小さい時は伊豆に出かける際伊東行き普通列車でお世話になったものです。 

息子も成人し、ブルートレインを羨望の眼差しで眺めていた少年(私)は還暦間近となり、ブルートレインも思い出の彼方へ去り、そしてこの車両も去っていくことに。鋼鉄車両の終焉ですね。 

 

▲51 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

本文の最後に記述がある気動車のほうの185系はかなりおすすめ。特に四国、定期運用は特急剣山のみになってしまったが、車内は本当に国鉄のままという雰囲気でよくぞこの状態で残っていたなという感じ。末期の381系や185系電車よりもレトロさは勝っていると思います。10年前くらいに乗った時ですらその感想を抱いたので、今でも変わらず乗れるのは幸運ですよ。 

 

▲123 ▼22 

 

=+=+=+=+= 

 

157系をモデルに作られた形式で、広い運転席は乗務員には良かったようです。 

反面、客席は特急から普通まで対応できるような作りにしてしまった為、普通列車ではラッシュ時は混雑で遅延し、特急列車ではシートピッチが狭く、かなり不評だったようです。 

でも、40年以上定期運用が続いたことは凄いことだと思います。 

 

▲23 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この引退車両のカラーは200番台のもので当初「新幹線リレー号」に用いられたものですが、車両自体は踊り子に用いられた0番台なのでしょうか。 

子供の頃鉄道に関心の強かった中年の私は、このカラーリングの185系のNゲージを所有しておりました。 

プロの方が解説している通り、実質的に「急行型車両」である153系や165系の後釜としてデビューしていますので「特急型の名車」という現在の扱いになっていることは興味深く感じます。 

子供の頃松戸に住んでいたのですが、常磐線に昭和50年代はスハ43系か?の旧型国鉄客車がEF80にけん引されて快速運用している時代で、デッキには扉がなく手すりを離すと死んでしまうような姿勢で乗り込んでいる客がいるような状況でした。 

長きに渡り国鉄にロマンと複雑な思いを持っている私のような世代にとってはこの車両の完全引退はインパクト大です。 

 

▲10 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

JR東西の特急サービスの西高東低を象徴する車両でしたね。 

関西では117系という兄弟分でしたが、大昔の新快速として走ったことはあれど20年以上前にすでにローカル線の運用。頑張って生き残ってはいますが。関東にきてこの車両がいまだに特急として使われているのを知ったのときはおどろきました。レトロな雰囲気があること、ものもちが良いのはいいことかも知れませんが、最新の列車たちと同じ特急料金をとるのはさすがにどうかと。 

 

▲22 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

165系などの急行形車両の置き換え用に開発された車両てすが、東北・上越新幹線、長野新幹線(後の北陸新幹線)開業により、急行が廃止され「草津」や「あかぎ」は特急に格上げされ、新特急として185系が充当されました。 

また東北・上越新幹線開業当時は、大宮止まりだったために、大宮〜上野間を結ぶ新幹線リレー号としても活躍しましたね。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

185系200番代には早朝と夜の遅い時間帯に長野―高崎間で上越新幹線と連絡する快速列車「信州リレー号」で複数回乗った経験がある.3回め位から知ったが,その列車は横川―高崎間で通勤時間帯になる為か,グリーン券無しでグリーン車に乗れるようになっていて,1~2回そのフルリクライニングシートの座り心地を実体験することもできた. 

 

同じ系列(型式)の車輌で列車によって特急料金が必要だったり不要だったりするのには首をかしげる点もあったが,優等列車用としては実に息の長い活躍だったと言えよう.40年余りよくぞ生き永らえたものよと労いたい. 

 

▲57 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

この185系は特急型ではあったものの、車体構造や機器類は急行型そのものでシートも転換クロスで窓も開閉式と、当時の183系や485系と比べると登場当時から見劣りする感が否めませんでした。 

大不評の転換クロスシートはその後のリニューアルでリクライニングシートに交換されましたが、モーターのギヤ比が急行型や近郊型と同じなので開閉式の窓から轟音が容赦なく車内に入ってきました。 

 

しかしいつの間にか国鉄型も引退やローカル線への転用が進み、末期の踊り子号は主要幹線で110km/hで爆走するという国鉄型本来の走りを楽しめる希少な存在でもありました。 

コロナ禍での減収にあえぐJR東日本は踊り子号からの引退に合わせて、特設サイトを作ったりイベント開催や記念品の販売(純金製の模型なんてのもありました)などマニア向けビジネスを盛り上げようとしていましたが、それは一応成功したように見えました。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

1981年導入された 

「L特急踊り子」 

は当時斬新なデザインだったと思います。 

あちこちみても羽振りきかせているのは189系とか183系、485系などのクリーム色にレッドラインか583系のようなブルーラインの国鉄型特急。 

 

「踊り子」 

というネーミングとヘッドマークは子どもだった私には今ひとつでしたが段々素敵だな、と思った記憶があります。 

 

私が初めて親に買ってもらった時刻表では、平塚駅なども停車していたような・・・。 

いつかスーパー踊り子号に乗せてもらい熱海や伊豆で釣りとか温泉連れていってもらいたいな〜と東京駅などで出発していく彼らを見ていました。 

懐かしい185系よ、お疲れ様、そしてさようなら。 

 

▲17 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

思い出がたくさんある車両だったので悲しいですね。 

新幹線リレー号として、特急踊り子として、時には東京駅からの東海道線普通としても乗りました。 

 

谷川、草津などや色んなのに充当され、国鉄、JRを支えた車両。 

 

定期運行が無くなる直前に踊り子として乗れたのが幸せでした。写真もいっぱい撮って。 

 

余談ですが、スーパービュー踊り子も最後にグリーン車の全面展望で乗れたのが思い出です。 

 

ありがとうございました。 

 

▲68 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

コンセプト自体はよかった気がするのだが、如何せん、料金制度が硬直していて、急行を特急に無理やり格上げしていた時代なので、料金面は特急寄り、設備・運用面は急行寄りというある意味、末期国鉄らしさあふれる車両・運用になってしまったのが惜しまれる。 

私鉄特急程度の料金に抑えた近距離優等列車という設定にしておけば、もう少し違って評価になっていたのかもしれない。 

JRの特急(とりわけ首都圏)は長距離輸送主体時代の料金体系を引きずったまま、短距離需要も拾おうとして、座席確保なら割高、私鉄特急並みなら座席保証なし(今は高い方の指定席に一本化の方向)なので、185系登場時にその設備に相応な料金レベルの種別で設定されていれば、房総特急等も違った展開になっていただろう。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

特急はもとより、通勤快速としても活躍した185系。 

これまでの特急車に比べるとやや地味ではあったが、伊豆へは踊り子、そして、小田原までの湘南ライナー、北関東では通勤特急的存在も兼ねた、あかぎ、谷川、草津や、なすので活躍した。 

ただ、最高時速110キロといったところもあり遜色特急と一部で陰口を叩かれたことも。 

姉妹車は新快速用117系でフォルムも被るところがある。 

伊豆ではE257系の投入、北関東では列車自体の縮小と651系の投入で臨時用に回り、老朽化も相まって遂に引退となった。 

長きに渡り、お疲れ様でした。 

 

▲55 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

185系ではなく、117系で急行伊豆を置き換えればよかった。117系は両開き2扉でデッキがないため、普通列車運用したときラッシュ時の乗降も容易で、将来は一部をロングシート化・短編成化・先頭車化改造などしてローカル線に転用することだってできたはずだ。 

当時の国鉄がやっていた急行の特急格上げによるぼったくりを批判的に見ていた。乗客の選択肢を狭めたからだ。 

それよりも特急は全車指定席で着席保証し、急行は若干値上げしてもいいから自由席主体で気軽に乗れる列車としてほしかった。 

 

▲10 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

それまでの国鉄型特急車輌とは、 

一線画した車輌として、 

突起踊り子と、 

上野始発の近郊特急としての、 

いわゆる新特急と呼ばれた列車に、 

使われた185系。。 

新幹線が大宮暫定開業だったため、 

上野の間に、新幹線リレー号としても、 

使われたわね。。 

あたしにとっては、 

何といっても、 

窓が開くのが、印象的だったわ。 

他の特急列車では、 

味わう事ができない、 

独自性が強い車輌だった。 

長い間の活躍、 

本当にお疲れ様でした。。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

逆三角形の「特急シンボルマーク」もこれで見納め。 

分割民営化当時、国鉄デザインは野暮ったいイメージで、各社も採用しなくなったが、今振り返ると、洗練された重厚なデザインだったし、一目でわかる安心感もあったな。 

 

▲46 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

最期に185系で丹那トンネルを愉しもうと東京から踊り子105号の修善寺編成に乗ったのだが 

見事にトンネル内で故障してしまい、函南で打ち切りになってしまった。 

熱海で伊豆急下田編成の折り返し、踊り子106号の 

グリーン車で東京まで戻ったのが最期になってしまったなぁ。爆音と国鉄型グリーン車を楽しめたので良しとします。 

 

▲43 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

185系は土休日、祝日の定期臨時列車、その名もはまかいじ号として横浜~松本駅、上りは松本駅~横浜駅と走っておりましたね。小さい頃からよく甲府駅が最寄り駅なので土休日は父と見に行っていた思い出がありますよ。一度は乗ってみたかったですが写真を撮れた事も凄く嬉しかったですよ踊り子号も!185系今まで沢山の思い出ありがとう! 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

上野東京ライン開業前は、東海道線で373系とともに特急列車を使用した普通電車としても運用されていた。実際に乗車したことがあるが、この列車に特急料金を払いたいと思えるレベルのものではないと感じたことは昨日の時のように思い出す。 

最末期のムーンライトながらにも充当されていたことで、2016年3月までは大垣駅でJR西日本の車両と並び姿も見ることができた。 

定期運用から外れた後も臨時列車として使われたり、たびたび運行見合わせになる東北新幹線の救済列車としても運行されたことも印象的だったが、いよいよお役御免になったのか。 

東北新幹線の救済列車として運行されていた時には、マニア専用列車と化していたということが一部では言われるなど、最末期は迷惑なマニアたちと会わねばならないということも印象的だった。 

今回の廃車回送はどこからか漏洩せずに平和的に最後の旅路を行くことができただろうか。 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

185系は183系と違って、特急専用車ではなかった。どちらかというと急行型153系の後継の立ち位置、だから長命だったかもしれない。東海道線の普通列車にも使われ、下り夕方のラッシュ時にも当初は充当された。新幹線リレー号にも駆り出され、最後は「踊り子」号は本来のすがたか。 

 

▲11 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

子どもの頃に踊り子号に乗って伊豆下田に海水浴に行った思い出が蘇ります。 

鉄道というのは単に移動手段であるだけでなく、人々の心に思い出として残り続ける友人のような存在だと思います。 

185系思い出をありがとう。おつかれさまでした。 

 

▲16 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

こんなに長持ちするとは思いませんでした。 

特急型と言われる割には「転換クロスシート」普通車2扉、窓か開く…場合によっては普通列車で走る、常識から外れた車輌でした。 

シートをリクライニングにして、標準の特急車に合わせてその後の活躍はご承知の通り。 

湯河原駅で見た15両編成の「踊り子」は迫力があった。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

デビューした時は姉妹形式の117系と共通化を図る為に普通車は転換クロスシートだった事に驚愕した。 

先輩形式の183系でもバタンコ簡易リクライニングシートだったので、これで特急料金徴収は酷すぎると思った。 

また185系は財政事情厳しい当時の国鉄を反映した形式で、車体こそ新しい装いだったか、電気機器や台車、モーターは1960年代に製造された485系や165系等の新性能第2世代の車両設計をコピーした箇所が随所に見られ、目新しさを感じさせなかった。 

厳しい財政事情の最中に東京口に出入りする153系の老朽化と 急行伊豆と急行修善寺 の特急格上げで誕生した形式だが、波瀾万丈の時代を乗り越えて完全引退するのは時代の流れで寂しい。 

 

▲9 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

予想より長年使い潰したなという印象。 

登場時の陳腐化した特急型車両は内装をリニューアルした後も拭えないままだった。 

自分の中では国鉄型特急は485系、183系、189系であって、185系は117系のデッキ付車両でしかない。普通列車やそれこそ新幹線リレー号なら良いが、特急料金を支払ってまで乗りたい車両ではなかった。 

特急料金を取る以上、657系や353系のように、見合うだけの設備をしっかり作ってもらいたいと思う。 

 

▲14 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

東北新幹線が暫定開業したとき、大宮と上野を結ぶ新幹線リレー号に充当されていた185系に乗りたくて、当時大宮在住だったにも関わらず、親に頼み込んで大宮→仙台→大宮→リレー号で上野と移動したことを思い出します。 

子供の私は新型の特急車両にワクワクしたのを覚えています。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

越後湯沢からのスキー場帰りですが、臨時快速シーハイル上越に使われていました。臨時だから自由席でも余裕だと思っていざ乗り込もうとしたら、石打始発でしたので18キッパーの鉄道マニアで既に満席状態。本来はスキー客をターゲットにした臨時列車なのに、なぜか自分らが場違いな列車である事を感じました。 

 

▲41 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

新幹線リレー号が走り始めて数日後、大宮から上野まで利用したのが初乗りでした。新型に期待していたんですがリクライニングせず、座面も固かった転換クロスにガッカリだったのが第一印象で、子供心に簡易型でお尻が疲れる作りだったとは言え馴染んでいた485系のリクライニングシートや、広々ゆったりだった583系のボックスシートと比べてしまいましたね。後年アコモ改善されてからは好きな形式になりましたが… 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

185系は117系をベースにしていた。117系は当時の国鉄では新快速だが、阪急阪神京阪の特急に対抗していたので、185系そのレベルの特急、すなわち新特急と解釈していた。 

側面の色の塗り分けが斬新だったが、白い車体がだんだん色褪せていき、だから183系などそれ以前の特急車では車体を白にしなかったと納得していた。 

117系は改造してWest Express 銀河となったものも出たけど、185系はそう言うのもないのかな。 

 

▲6 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

中学1年の時、185系の踊り子号の1番列車に乗車しました。中学校の創立記念日が10月1日で休みだったので、ダイヤ改正日は自由に動けました。踊り子号車内での抽選会で5千円の旅行券が当たって得した気分だったのを覚えてます。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

私は湘南ライナー、ホームライナー小田原や踊り子、子供たちは修学旅行列車として世話になった車両。あのモーター音は力強くて好きだったな。2021年3月の運転終了時に湘南ライナー、ホームライナー小田原が茅ヶ崎駅手前で並走したのが良い思い出です。おつかれさまでした。 

 

▲6 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

頻繁に使用してた頃はやや不満を抱きながら乗っていた車両でした・・が、 

振り返れば数十年前に社員旅行で下田や修善寺へ、スキーの初滑りのため天神平へ谷川で、リレー号を使い大宮から新幹線に乗り換えのため。温泉旅のため熱海~伊東~伊豆急線内までなど、在来特急車両で一番乗ってたかも知れません。 

なぜかポンコツで長く使ったマイカーを手放す心境と似た感じを持っています。 

最後に乗りたかったなぁ185系・・ 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

子供の頃、211系や185系は、それまでの113系、485系などの1960年代の国鉄型とは一線を画す、斬新な車両として目に映ったなあ。 

それらも、2000年代になり新しい車両が出るにつれ、どこか古臭さを感じるようになったが、そこには年代は違えど、質実剛健な国鉄型車両の息吹が感じられた。 

重厚な走行音、いかにも鉄の塊、といった車内外の質感。 

今の車両にはない、捨てがたい魅力が、国鉄型にはあったと思う。 

 

▲11 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

中坊の頃、東京へ行くのにリレー号のグリーン車をよく利用しました。大宮駅では確認に駅員さんが来ましたが、空いていればOKということ良い時代でした。中年になり、最後の運用ははまかいじ。信州特急回数券をつかって、あるいは実家からよく利用しました。オーシャンビュー外房や伊東按針号が最後の乗車かな。味のある最後の国鉄車両でした。 

 

▲5 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

毎年盆暮れ、伊豆下田の田舎に行く時に「踊り子号」は利用していました。 

当時同居していた183系の「バッタン」リクライニングからの185系の転換クロスシートは新鮮でした(リクライニングしないのが欠点?) 

家族4人で向かい合わせにした時は183系より広く感じられて快適でした。 

当たり前のように乗っていたのが懐かしいですね。 

余談ですが、 

185系デビュー当時の「踊り子号」は、 

185系、183系、「ロイヤルエンジン」EF5861+14系客車・サロンエクスプレス東京、お座敷踊り子(81系お座敷車)など多種多彩。 

伊豆急行の100系、1000系の水色車両も彩り豊かでにぎわっていました。 

今の方々は知ってる、かなぁ~(笑) 

 

▲6 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

この型は東海道線の朝のある時間は普通車で使用されていてそれに乗るのが難しいけどお得な気分を味わえて良かった。 

踊り子号の印象が強い。その時代家族を連れて伊豆への旅を何度もしました。 

ラストランですか、、、、また思い出の車両がひとつ消えて行くのが淋しいと思います。 

 

▲0 ▼0 

 

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普通列車の運用が多かったので親しみがありますね。朝方の東海道線伊東行にはよく乗りました。373系も普通列車運用がありましたが、あれとはまた違った昔の特急列車に乗れるという嬉しさがありましたね。お疲れ様でした。 

 

▲15 ▼4 

 

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列車の善し悪しはわからないけど、クルマも10年と言う。44年の間長い間運行できたことは、もともとの安全設計がしっかりしていたんだと思うし、整備チームのメンテナンスも完璧だったのだろう。 

 

かつての設計チームと整備チームに敬礼したい。 

 

▲10 ▼0 

 

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実質、特急料金の急行型でしたが。東海道線の列車密度で使い物になることを考えて、割り切り方が上手かった。実際、最高速度のハンデは末期でも問題にならなかった。MT54はどこの路線でも何とかなってしまうので、長年にわたり主力電動機だったわけです。 

 

▲15 ▼8 

 

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185系お疲れさまでした。基本設計が古い117系をベースに、汎用性の高い車両を開発した国鉄晩年のヒット作でした。 

 サスペンスにも登場し、鉄道ファンから愛された名車でした。 

 185系の汎用性を受け継ぎながらすべてをレベルアップしたE257系もJR東日本最大のヒット作でした。 

 汎用性の高さによる幅広い運用・時代が必要とする性能と快適性・定時運航への対応とトラブル発生時の代替え車両準備など運用のしやすさ等、優秀な車両でした。 

 個人的に残念だったのは215系。すべてがダメな失敗作で運用の場がどんどん狭まり短命に終わりました。 

 

▲1 ▼1 

 

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子どもの頃は普通電車で頻繁に乗車、高校の時も通学で毎日普通で利用、リクライニングしない時代からだからいまいち特急型ですと言われても??な世代なんだよね。 

普通にも耐えられる?頑丈な構造が長生きした理由かもね。 

 

▲3 ▼0 

 

 

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ライターさんのコメントは不正確です。185系は車両運用の効率化を重視して特急、急行、普通電車に使用することを想定して汎用性を持たせた設計で、変速比も頻繁に発停車を繰り返す近郊型電車同様とされました。最初に運用に入ったのは東海道線の普通電車です。これは特急の間合い運用ではなく、本来の運用でした。その後見直されたというのが実情です。 

 

▲1 ▼1 

 

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200番はリレー号で初めて乗り、後に新特急でも 

何度も乗ったなぁ…。 

0番は踊り子の前に普通列車で乗ったのが最初。 

懐かしいけど、言われてみれば最後に乗ったのは 

いつだったかな? 

多分、あかぎで深谷までが最後かも。 

踊り子も15年くらい乗ってないからな…。 

もう一度乗っておけば良かった。 

 

▲11 ▼6 

 

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高崎線普通列車にグリーン車が導入する前、早朝の上り列車1本が普通列車に運用されていました。 

旅行行く時や仕事でよく使いました。今となっては懐かしい思い出です。 

 

それと、「新幹線リレー号」、「新特急」、「ホームライナー」で利用させていただきました。 

 

解体が本当に残念です。今までありがとうございました。 

 

▲7 ▼1 

 

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親父が国鉄職員だったこともあり、子供の頃から鉄道が好きで185系にもよく乗りました。すぐにそれと分かるあの独特なモーター音がカッコ良かったな~。「踊り子号」に乗って何度も下田旅行したのはいい思い出となっています。 

 

▲8 ▼1 

 

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この185系が登場した当時は決して好きな型式ではなかったな。特急車輌ではないが,この少し後に出てきた飯田線の119系も然り。119系の方は私鉄で頑張っているが,特急車輌ではそれもできないか。それにしても,40年以上現役だったんだ。長い間,お疲れ様でしたと言いたい。 

 

▲38 ▼5 

 

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7時前後の沼津発東京行きの普通電車として走っていたので、小中学生だった頃、婆ちゃん家に行くのに早起きして狙ってこの電車に乗りました。 

車内は木目調の壁に茶色い落ち着いた色のバタンと進行方向に向かうように倒れる座席。 

後に同じような車両が快速で頻繁に名古屋や大阪で走っていると知った時は驚きましたが… 

 

▲21 ▼7 

 

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リレー号で乗った時は気づかず、後で知ったが登場当時は「特急型」にしてトイレが︎︎”垂れ流し式”だった事には驚いた。急行以下同様に赤羽〜上野間では使用禁止だったのだろうか。財政的事情があったにせよ本格的な特急型とは別物だと思った。 

 

▲2 ▼0 

 

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伊豆に家族旅行する時、「踊り子」がこの車両だとがっかりしました。183系の方が特急らしさがあった。 

大人になってからは、早朝の下り普通の伊東行きがこの車両の運用だったので、わりと利用しました。 

たまには、グリーン車を利用したり。 

普通運用だと、セコいようですが、得した気分になりました。 

平成前期の思い出です。 

 

▲4 ▼0 

 

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小学生の頃、東北・上越新幹線がまだ大宮止まりだった頃に、「新幹線リレー号」として爆音を響かせながら上野・大宮間を結んでいたのをよく覚えてます。 

あの時の車両が今でも使われていたなんて、働き盛りだった団塊世代の最後の引退者くらいな気がしてます。 

 

▲2 ▼1 

 

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ついにそうなりましたか。部品供給の面からもやむを得ないのは承知ですが残念ですね。あの唸るようなモーター音が今も耳に残っています。トイレのあの斜めに開く窓も思い出します。長く活躍できた事はとても素晴らしかったですね。 

 

▲2 ▼0 

 

 

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185系列は当時はたしか国有鉄道が管理区毎が括られる 直流型優等車輛だけで大世帯数の跡地では何かしら特徴あるのだろ 趣味誌が表表示に撮られるでは 共有れ同方向同地域にやたらと小田急ロマンスカーが目立つ 伊豆急行電鉄が自社発注車輛が目立つ そう国鉄直流電車はあくまで国鉄ジャンルが国鉄的な趣向事で延長上事 

 

▲0 ▼20 

 

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とうとう185系も終焉となってしまった… 

 

こげ茶色の転換クロス時代からリニューアル後のフリーストップのリクライニングシートまで、新特急やホームライナーに乗ったよ。 

 

1981年、新快速用の117系と同時期に登場した時にはこんなに長く活躍するとは思っていなかったけど、よく頑張ったよね。 

 

▲99 ▼8 

 

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兄弟車の117系はもうしばらく残りそうかな。 

銀河になったし。 

古い車両はパーツの調達が難しくなってくるし、両数が減ってきたらなおさら。 

手間と費用がかかるから新車に置き換えた方がいい場合が多い。 

 

▲15 ▼1 

 

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国鉄末期の金がないときに作った特急劣化版車両で、汎用性重視と言えば聞こえはいいが、内装はぼろいし遮音していないからモーターがうるさいし最高速度も100kmで運用されるような、およそ特急とはいえない車両でした。 

 

民営化してから651系(常磐線ひたち用)が登場して、ようやく次の世代の特急が出たなと当時思いました。 

 

▲9 ▼2 

 

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ボックスシートの急行型153系の置き換えとして登場した特急型185系。東京18:40発の伊豆急下田行普通列車によく乗って帰ったが、置き換え完了までは、前の10両が185系で後ろ5両が153系、またはその逆だったりして、境目付近で整列して待っていた客の、嬉しそうな顔とがっかりした顔のコントラストが面白かったな。長い間、ほんとおつかれさん。 

 

▲35 ▼6 

 

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最高速度が特急型としては異例の110km/hに抑えられてた 

当時は特急なのに窓が開いたり転換クロスシートだったりと格落ち感が半端なかったが後年リクライニングシートに交換されてる 

 

▲1 ▼0 

 

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特急よりも、合い間の各停で乗ったな〜。 

 

東北·上越新幹線が上野駅延伸して、【リレー号】が廃止、【踊り子号】に転属された際、 

0番台派(斜め)と、200番台派(横線)に別れたな〜。 

(=183系1000番台が転属、あずさ充当)。 

結局、斜めに統一されたけど、 

JR時代、白地に赤·黄=上野駅特急と、 

白地に緑·橙=踊り子になった時代も。 

再び斜め線に戻り、【踊り子】を中心に活躍。 

数年前257系に代替わりするも、 

【安っぽさ】付いて回るような〜? 

 

▲1 ▼0 

 

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登場時は斬新な外観でしたが設備がいかんせんよくなかった。 

登場時の転換クロスシートは関西なら無料だった。 

急行伊豆や普通列車としては良かったと思いましたが特急としては... 

踊り子の場合、好んで183系該当便を利用していました。 

 

▲0 ▼0 

 

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185系は個人的には新前橋や田町の7連が好きでしたね! 新前橋は塗装や内装もそうですし、洗面台も自動式に交換され便利でしたので。 

 

ただ未だ不思議なのは、何故一部を除き客室や塗装のリニューアル時にトイレ・洗面所は古いまま※だったのか、田町の10連サロには室内側の車内仕切り戸上に絵画が飾ってあったのか…謎です(笑) 

 

更には、一部の田町10連サロにはデッキか赤い床に和式トイレが原型のままで車内仕切り戸にグリーン車札付き、デッキは赤い床だがトイレは修繕済とか色々ありましたね。 

 

※…和式トイレは原型のまま、床だけ変えた物、新しくした物 

 

洗面所は原型のまま、床だけ変えた物、洗面台だけ変えた物、新前橋みたく洗面台を児自動にした物が滅茶苦茶になっていましたな。 

 

▲6 ▼4 

 

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新幹線リレー号、新特急、ホームライナー、シュプール号など、185系は大宮に縁深い車両。 

なので、ご当地枠で鉄道博物館に1両保存されることを期待していたのだが。 

 

全車廃車解体になるのかな。 

 

▲21 ▼1 

 

 

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185系の思い出 

家族3人で毎年伊豆へ旅行に行ってまし 

方向音痴な父は、熱海から湯河原へ向かう所間違えて伊東方面行きに乗ってしまい、慌てて来宮で下車、熱海方面へ向かうのに待っていたら間合い運用の新車の185系でした。熱海までの数分間でしたが室内への自動ドアに驚き本当に普通列車なのかドキドキして乗った思い出があります。 

183系あまぎが好きだった自分にとっては、憎き電車でした。 

しかしながら、私は、山梨県内に住んでいたので長い、週末のはまかいじでお昼前に山梨県内を走行する姿にちょい嬉しい気持ちになりました。 

両親も鬼籍に入り、同い年の長嶋も鬼籍になりました。 

ここまでよく走ってきたと思いますお疲れ様でした 

 

▲17 ▼6 

 

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185系もいよいよ終了か。 

まだ北陸新幹線が無い頃、長野から上野まで行く場合、快速信州リレー号を使って高崎で上越新幹線に乗り換えると、始発の特急あさま号を使うより1時間近く早く到着出来て便利だった。今だったら普通に7時台に着くが。 

 

▲2 ▼0 

 

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初めて乗ったのは登場して間もない頃だったと思う。夏休みに二宮の大叔母の家に行く時、東京駅で遭遇!オレンジ色の急行電車が来たと思ったら、真白に緑のストライプが入った新型電車が連結。斬新だった! 

 

▲1 ▼1 

 

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国鉄型ではないが最古参の特急電車になるとハイパーサルーン783系になるね 

こちらは定期の特急運行も残ってるし 

ただ新型特急車両の計画はJR九州から発表されているから近々置き換えかもしれないけど 

 

▲0 ▼0 

 

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同時期に関西で新快速として登場した117系と設計が一緒で登場当時転換クロスシートだったから、青春18切符で来た関西方面からの乗客から「快速と違うんか?」って言うトラブルもしばしばだった様だ。 

国鉄型特急がJR西ではなくJR東が最後になるとはねえ…。 

 

▲35 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

デビュー当初はあまり人気が無かった記憶ですが斬新なデザインには驚かされました。高速時のうなりを上げているモーター音が懐かしいです。良い思い出をありがとう御座いました。 

 

▲1 ▼0 

 

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昨年の今頃、伊東線を走る185系を見掛けましたね。西村京太郎トラベルミステリーでも北川温泉と河津七滝と修善寺と3作品くらいで往年の勇姿が見れますね。 

 

▲17 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

当時、185系使用の普通列車は早朝の高崎線の822M(籠原駅〜上野駅)の1本だけ運転してました。折り返しの新特急草津1号(万座・鹿沢口行)と新特急谷川1号(水上(冬季は石打行))の運転に伴う送り込む形だと思う。 

 

▲9 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

185系が出たときは「窓が開く特急なんて……」「関西では同じような車両に無料で乗れるのに(新快速)」と散々な評価でしたね。 

それが、快速・普通に転用されて長生きするとは思いませんでした。ここまで国鉄時代に考えていたんだろうか。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ちょっと前までは赤羽駅で特急として停車しているのを見て「一度は乗ってみたい」と思っていたのですが、引退なのですね。残念です。と思った矢先「新幹線リレー号」で使われてたと書いてあったので、自分上越新幹線が大宮まで開業した時、中学の修学旅行でリレー号乗ったんですよ。って事は私この車両乗ったことあるんだって思いました。42年ぐらい前なのでどんな車両か覚えてませんでしたが・・・ 

 

ありがとう185系♪ 

さらば185系(^o^)/~ 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

昔 なすの に良く乗ったものです。モハなんかに乗ったら爆音で115系モハと同じ音で、良く特急料金を盗るな。と思ったものです。後半は特急らしいリクライニングシートへ。爆音は消えなかったがマシになった本当に懐かしい。また乗りたいナ 

 

▲5 ▼5 

 

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出た当時は急行いず・ゆけむり・草津・に充当され東京・上野で良く見たな〜 

少ししたら新特急扱い 

 

金無い小・中学生時代普通電車での間合運用で乗車しました。 

上野口の185普通電車はグリーン車も開放扱いで乗り得電車でした。 

 

晩年は臨時大垣夜行にも18切符と指定券で横浜〜大垣で爆睡乗車しやした。 

 

懐かしいです… 

 

▲0 ▼0 

 

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国鉄→JR東日本185系電車、長らくの御活躍お疲れ様でした。個人的には、東海道線で、間合い運用の普通列車で185系に乗ったのを覚えています。これでJR東日本管内からMT54サウンドが消滅したことになります(←事業用を除く)。 

 

▲0 ▼0 

 

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大阪に住んでいたので現実にはほとんど縁がなかったけど、臨時ムーンライトで何回かお世話になりました。 

最初は関西の新快速117系と同水準の車内で、関西では運賃だけで乗れるのに関東では特急料金がいるなんて言われたけど、これが最後まで残るとは思わなかったです。 

 

▲1 ▼2 

 

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定期運行終わったのあとは貨物線ツアーとか撮影会や各種イベントにも使われてたね。意外と登場機会があって驚いた。今までありがとう 

 

▲8 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

185系は国鉄型特急電車としては異端の存在でしたが、0番台の緑3本ストライプのデザインは新しい風を感じさせました。 

踊り子号のヘッドマークも当時斬新でしたね。 

 

▲31 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

185系はその特性故に中途半端で当初の設計思想通りには中々使えなかったのが残念でしたね。 

今の京王ライナーやTJライナーのようなのが理想だったのだと思いますが。 

 

▲1 ▼1 

 

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私は鉄道関連には疎いのですが、1720系DRC 『けごん』とか、185系『踊り子』とか、昔の厳ついデザインが好きです。電気機関車も良いなぁ。 

 

▲3 ▼1 

 

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定期運用引退後も予備的役割とイベント用で活躍しましたが遂に本当の引退ですね。深夜から朝にしれっと去る姿は最後までかっこよかったです。長嶋さんみたく。 

 

▲18 ▼4 

 

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高校生の時は高崎線の撮影に出かけたけど、急行草津にも使われていたね。特急になって窓が開く特急と揶揄されたりもした。185系も重機のエサになるのか。 

 

▲7 ▼6 

 

 

 
 

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