( 304705 ) 2025/07/04 06:50:59 0 00 (c) Adobe Stock
日本のエネルギー政策の転換点として注目されてきた柏崎刈羽原子力発電所。しかし再稼働の議論は「技術的・安全性の問題にとどまらず、地元メディアが作り出す一方的な言説空間と、それに迎合する政治の構図によって、合理性を欠いた迷走状態に陥っている」とに経済誌『プレジデント』の元編集長で作家の小倉健一氏指摘している。小倉氏によると。冷静な議論が封じられたまま、国家の根幹を担うインフラが理不尽に止められ続けている現実があるという。その「止めているもの」の正体を小倉氏が語るーー。
日本のエネルギー安全保障と経済の未来を左右する東京電力HDの柏崎刈羽原子力発電所の再稼働が、不可解な理由で停滞を続けている。その根源をたどると、技術的な問題や安全性の懸念といった表層的な理由ではなく、特定の地元メディアが作り出す歪んだ言説空間と、それに迎合する政治の怠慢という、根深い病巣に行き着く。新潟県で圧倒的なシェアを誇る新潟日報は、その影響力を最大限に行使し、再稼働に反対するプロパガンダを連日展開している。この報道姿勢は、ジャーナリズムの域を逸脱し、地域経済の発展を阻害する社会悪と化している。
新潟日報は、一見中立を装いながら、巧妙に世論を反原発へと誘導する手法を常套手段としている。例えば、同紙の「原子力深考」という長期連載企画は、その典型である。この企画は「地震による被災、福島の事故、絶えぬ不祥事」といった過去のネガティブな事象を繰り返し取り上げ、「原発の存在意義や信頼感は変容している」という結論ありきの論調で貫かれている。推進派の意見も申し訳程度に掲載することで中立性を担保していると主張するのかもしれないが、記事全体の構成やトーンは、読者に「原発は危険で、東電は信用できない」という印象を植え付けることを意図しているのは明白である。
さらに悪質なのは、些細な事象を針小棒大に報じ、不安を煽る報道姿勢である。
2024年7月24日に掲載された「新潟・柏崎刈羽原発で相次ぐスマホ無許可持ち込み、続発するけが人…原子力規制事務所『総合的に不安視』 監視強化へ」という記事は、その悪意に満ちた報道の一例だ。この記事は、作業員が構内にスマートフォンを無許可で持ち込んだ事案や、敷地内で作業員が転倒して捻挫したこと、さらには「枝の伐採作業中、チェーンソーで左腕を切り、20針縫うけがを負った」ことなどを、さも重大インシデントであるかのように報じている。
記事の冒頭では原子力規制事務所長の「総合的に不安視している」というコメントを引用し、あたかも原発全体の安全管理が崩壊しているかのような印象を与える。しかし、冷静に考えれば、広大な敷地で数千人が働く作業現場において、軽微な労災や規則違反が散発的に起こること自体は、企業のガバナンスによる努力を通じて未然に防ぐべき事象であるものの、残念ながらどの産業でもあり得ることである。これらを「続発」「相次ぐ」と強調し、原子力安全と直接関連付けるのは、まさに重箱の隅をつつく行為であり、読者の不安を不当に煽るための意図的な情報操作と言わざるを得ない。
この新潟日報の異様なまでの企業批判は、東電に限った話ではない。地元関係者によれば、同紙は新潟県に主要な工場を置く世界的な化学メーカー、信越化学工業に対しても、同様に厳しい報道姿勢で臨むことで知られているという。
地域を代表する大企業を執拗に攻撃し、萎縮させることで、新潟日報は一体何を得ようとしているのか。健全な企業活動は地域経済の基盤であり、雇用と税収の源泉である。その企業をメディアが寄ってたかって叩き潰すような風潮が蔓延すれば、新たな企業進出はおろか、既存の企業さえも県外へ逃げ出しかねない。気づけば新潟県から選出される国会議員は、国のエネルギー政策に反対する立憲民主党の議員ばかりという有様である。新潟日報が目指すのは、企業活動が停滞し、国からの補助金に頼らなければ立ち行かなくなるような、貧しい社会主義的な共同体なのだろうか。
重箱の隅を突くのをこちらも許されるならば、新潟日報の矛盾を象徴するのが、新潟市にそびえ立つ新潟日報の社屋「メディアシップ」と断じても良さそうだ。Googleマップ(ストリートビュー機能)で確認すれば誰の目にも明らかだが、周囲の建物と比較してあまりに壮大で近代的なビルは、この地域で異質な存在感を放っている。
東電や地元大企業を批判し、県民の不安を煽る記事を量産することで得た収益で建てられたそのビルには、高級焼肉店の叙々苑や四川飯店といった華やかなテナントが軒を連ねる。県民には反原発というイデオロギーを振りかざしながら、自らはその特権的な地位に甘んじ、あたかも自身こそが唯一の「正義」かのように振る舞う。夜な夜な同ビルの高級レストランで、県民を更に煽る方法を酒の肴にでもしながら美食に舌鼓を打っているのだろうか。
このような新潟の不毛な議論を尻目に、世界のエネルギー情勢は待ったなしで進んでいる。アメリカは、国内のエネルギー需要増に対応するため、2050年までに原子力発電の設備容量を現状の4倍に増やすという野心的な計画を掲げている。安価でクリーンな電力を大量に供給できる国に、世界の工場やデータセンターが集中するのは自明の理である。安定的かつ安価な電力供給という、国家の経済活動の根幹を自ら放棄するような愚かな選択を続ける日本は、国際競争の舞台からますます取り残されていくだろう。
そして今、再稼働を阻む最大の理不尽が、特定重大事故等対処施設(特重)の設置問題である。これは、万が一、航空機が原子力発電所に衝突するような事態テロ行為などに備えるための施設であり、設備の設置においては、原子炉本体設工認認可から5年間の猶予期間はあるものの、猶予期間内に設置完了しないとプラント運転停止、完了するまで運転を認めないという規制があり、柏崎刈羽原子力発電所7号機もその課題に直面している。
おそらく、アメリカで起きた9.11同時多発テロのような事態を念頭に置いているのだろうが、そもそも国家の防衛に関わる航空機テロへの対処は、一民間企業である電力事業者ではなく、自衛隊を所管する防衛省が担うべき問題である。民間企業に国防の責任まで負わせるのは、国家の役割放棄に他ならない。
さらに言えば、テロの手法は常に進化している。ウクライナ戦争でロシア軍を苦しめた「蜘蛛の巣」作戦に見られるように、現代の脅威は大型航空機ではなく、無数の小型ドローンによる飽和攻撃へと移行している。仮に航空機対策を完璧に施したとしても、次はドローン対策、その次はサイバー攻撃対策と、新たな脅威に対して無限に対策を求められる「いたちごっこ」に陥ることは目に見えている。
発生確率が極めて低いテロのような事象への対処は、本来、行政機関、事柄によっては防衛省や警察が主導すべきである。少なくとも、柏崎刈羽原子力発電所は世界最高峰の安全水準に達していると、海外の専門家らもお墨付きを与えており、まずは現在確保されている高い安全性を前提に再稼働し、操業を続けながら、社会情勢の変化に応じて継続的に安全性を高めていくという現実的なアプローチを取るべきである。
地元では県内シェア70%を誇る新潟日報に執拗にいじめられ、国や原子力規制委員会からは非現実的な要求を突きつけられる。この板挟みの中で、新潟県の花角知事は呆然と立ち尽くし、ただ時間だけを浪費している。しかし、この絶望的な状況の中にあっても、日本の未来のために、国益のためにと歯を食いしばり、柏崎刈羽原発の再稼働に向けて奮闘している人々がいることを忘れてはならない。我々は、彼らの努力を正当に評価し、その背中を力強く後押しすべきではないか。一部の偏ったメディアや政治家の自己保身のために、この国の未来を犠牲にすることは、断じて許されない。
小倉健一
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