( 304820 ) 2025/07/05 04:05:08 0 00 せんべいを作る岩立光央さん(左)と長男の規史さん=埼玉県草加市で2025年6月23日、渡部直樹撮影
参院選ではコメ政策の行方に注目が集まっている。「令和のコメ騒動」は食卓だけでなく、日本伝統の米菓作りにも影響を及ぼしており、原料となるコメの仕入れ値は上昇傾向が続く。埼玉県草加市の老舗せんべい店は、客離れの不安から値上げに踏み切れず、4代目の岩立規史(いわたて のりふみ)さん(51)が週5日、コンビニエンスストアの夜勤に入って生活費を稼いでいる。 「もし(またコメの値段が)上がったら、販売価格も上げるしかない」 こうした店にとっては、コメの安定的な仕入れが経営に大きく影響するが、コメにまつわる政治の対応は後手に回っているように見える。伝統の食文化を守るために、求められる政策とはなんだろうか。【山下貴史】
網に並べられるせんべい=埼玉県草加市で2025年6月23日、渡部直樹撮影
草加市を南北に走る旧日光街道沿いには名産の草加せんべいを作る店が並ぶ。老舗の一つ「米重 (こめじゅう)」では6月23日、規史さんの父で先代の光央(みつお)さん(84)が汗を拭きながら手焼きせんべいづくりに精を出していた。 耐火性能に優れた「大谷石」で囲われた焼き台の火鉢に入った備長炭が赤く光る。光央さんが焼き網の上に直径9センチほどの半透明の薄い生地を次々と乗せた。専用の長い箸で素早く何度もひっくり返しては、取っ手のついた「押し瓦」で押さえて形を整えていく。「火は強くないからのんびりした気持ちで余計に返してます」と笑う。 焼き台の近くに座る規史さんが、焼きたてのせんべいにはけを使って1枚ずつしょうゆを塗ると、香ばしい匂いが店の外にもあふれ出た。 店で扱うせんべいの生地は加工用米を使わず、主食用のうるち米、国産コシヒカリのみを使用する。この道70年近い光央さんだが、想定もできない価格上昇に見舞われている。 主食用米を巡っては、品薄感を背景に価格が上昇している。農協(JA)などのコメ集荷業者が卸売業者に販売した相対取引価格(農林水産省発表、玄米60キロあたり税込み)は、2024年産米だと出回り後から今年5月までの平均が2万4686円。23年産米の平均と比べ1・6倍に跳ね上がった。 光央さんが県内の卸業者から買い付けたコシヒカリは23年2月に1キロ当たり316円だった。しかし、24年2月には400円に。その後しばらく据え置かれたが、10月に626円に上昇。25年5月までに982円まで上がった。 「新米が出る昨秋には値段が下がると思ったら、上がったんだよね」。2年ほどで3倍を超える急騰となった。
干し網に並べたせんべいの生地を天日干しする岩立規史さん=埼玉県草加市で2025年6月22日、山下貴史撮影
仕入れ値の上昇を販売価格にも反映させたいが、思い切った判断ができずにいる。光央さんは「商品の値段を上げたらお客さんがどう思われるか。上げていいのかどうか心配はある」と気をもむ。 米重は光央さんの祖父が1905年に米屋として創業。光央さんの父・虎吉さんが50年からせんべいを焼き始めた。当時から手作業中心で、手間暇のかかる生地作りでは、味がよくなるという天日干しの作業を続けている。 店ではこだわりのコメで作った生地の一部を市内の別のせんべい店などにも売るが、その卸値は段階的に値上げに踏み切った。一方、店頭の小売りでは、昨秋のコメ高騰後に枚数を減らしたものの、価格は据え置く。「天日干し炭火手焼(堅焼)7枚入り」の値段は864円のままだ。 山形市出身で草加市内に10年以上住む会社員、奥山英信さん(46)はファンの一人だ。山形から遊びに来ていた姉とおいに食べさせてあげたいと店を訪問した奥山さんは「天日干しを売りにする店が少ない中、さっぱりして素朴な味がしておいしい。高くなったから買うのをやめようとは思わない」と応援する。 こうした得意先に支えられる店だが、規史さんは「値上げしたいけどお客さんが離れてしまう可能性がどれくらいあるのかが分からない」と悩みは尽きない。
岩立規史さん着用のTシャツの背中には、草加せんべいの由来が記されていた=埼玉県草加市で2025年6月23日、渡部直樹撮影
規史さんが店を手伝うようになったのは約14年前で、近所のコンビニで店長を務めていた37歳になってからだ。「せんべいが草加で有名なものと分かってきた。そのせんべい作りを続け、大変そうなおやじの助けになれればと思った」 家業の店を引き継いで4代目となった規史さん。店の経営は赤字ではないが、仕入れ値急騰の影響で利益を圧縮している。十分な生活費をまかなうためにも、規史さんは現在もコンビニ店の夜勤に週5回入る。朝から天日干しをした日も、前日夜10時から朝8時までコンビニで働き、そのまま作業を手伝った。 睡眠時間も削られ、楽な道ではない。「せんべいがもっと軌道に乗ればいいんだけどね」と気張る日々を過ごす。 気になるのは、コメの値段が今後どうなっていくのかだ。規史さんは「もし上がったら、販売価格も上げるしかない」と話す。経営を譲った光央さんも「価格を上げないと利益が少ないまま。ここは自分の家だから固定資産税を払うだけだけど、賃貸だったらやっていけない」とつぶやく。
スーパーのコメ販売価格の推移
食卓に並ぶコメの価格は昨年夏から今年春にかけてほぼ右肩上がりになった。全国のスーパーでの販売価格(5キロあたり)は、昨年夏ごろまで2000円台前半で推移していた。しかし、今年6月上旬までに前年比で2倍近い4000円台で推移するようになった。この間、他の食料品価格も上がり、家計の圧迫に拍車をかけた。 昨夏は南海トラフ地震臨時情報などを受け、コメを買いだめようとする消費者が急増した。しかし、新米が出回った後も下がると思われていた米価は上昇を続けた。 農水省は、将来の値上がりを見越した小規模の集荷業者や農家らが「在庫を抱え込んで(流通が)目詰まりした」といったん説明。ただ、今年3月には大手集荷業者を通さずに生産者から直接買い付ける小規模業者が増え、生産者の直接販売の動きが広がったとする説明を加えた。 農政に詳しい三井住友信託銀行調査部の貞清栄子さんは「価格上昇は消費者や中食・外食事業者が多くの在庫を保有したことで生じた可能性がある」と推察する。 農水省は供給量を増やす狙いで3月から入札方式で備蓄米を放出し始めた。しかし、その後も価格は下がらず、新任の小泉進次郎農相が5月下旬以降、随意契約に変えてから徐々に店頭価格が下がり始めた。 主食用米を使っている光央さんは「いくらかコメ全体の値段が下がった。皆喜んでいるから良いのではないか」と評価する。 一方、加工用米で酒や米菓などを作る業界団体も安定供給に気をもんでいる。全国米菓工業組合など7団体は1日、小泉農相に対して業界向けの備蓄米放出などを要望した。
せんべいを焼く岩立光央さん(手前)。奥は長男の規史さん=埼玉県草加市で2025年6月23日、渡部直樹撮影
今回のコメ騒動は、コメを含めた日本の農業が抱える根本問題でもある、生産者の減少や供給不安を浮き彫りにした。主に農業で生計を立てる基幹的農業従事者は過去20年で半減した。平均年齢は70歳近く、引退による農家の激減は目に見えている。作付面積もこの10年で1割強減少した。意欲のある担い手への農地継承などを加速させなければ、農産物の生産・供給体制の先細りは避けられない。 コメ政策を巡っては、与野党ともに参院選の公約に改革案を掲げている。与党は、安定的な経営ができる水田政策の見直しや、農地の集約・大規模化で所得向上を目指す方針などを示す。野党は、コメ価格の安定化に向けて農業者に交付金を支給する制度や、事実上の減反政策の転換を求める政策などを掲げる。 コメ政策を考えるポイントは何か。三井住友信託銀の貞清さんは「何かショックがあっても足りるぐらい、供給量を増やしていく必要があるのではないか」と指摘し、「コメの安定供給という視点に立ちつつ、どのような仕組みで急な価格変動も抑えることができるか。政策議論を深めてほしい」と呼びかける。 せんべい店にとっても安定的なコメの確保が欠かせいだけに、光央さんは「5キロ2000円になるのはいいが、農家がそれでは安いと感じているなら、コメを作る人がいなくなる。政府は次の世代がコメ作りをしたいと思えるような政策をしてほしい」と要望している。
山下貴史記者
コメを原料に使うせんべい店にとっては、安いコメをいかに入手するかが経営の死活問題になる。一方で、たとえ安くても品質を維持できなければ、顧客が望む伝統の味を守ることはできない。コメの需給問題は、真面目に生きる職人の生活さえも揺らしている。 「新米が出る昨秋には値段が下がると思ったら、上がったんだよね」。草加せんべいの老舗店「米重」の3代目、岩立光央さんが私につぶやいた一言は、多くの人が同じように抱いた疑問に違いない。 過去のコメ不足とどう違うのか。冷夏に見舞われた1993年は政府備蓄が足らず、緊急輸入で対応。タイ米を食べた記憶がある人もいるだろう。同様に不作だった2003年産はこの経験から早々に政府備蓄を放出し、大きな騒動には発展しなかった。 生産量と需要量の実績の差(需給ギャップ)を調べている三井住友信託銀行調査部の貞清栄子さんによると、23年産は生産量がほぼ予想通りだったが需要量が増加。需給ギャップは見通し当初の20万㌧の不足から44万㌧の不足へと幅が拡大した。 ただ、需給ギャップは3桁のマイナスだった93年産や03年産と比べて少ない上、24年6月末の民間在庫量は153万㌧あった。秋になって前年より収穫量が増えた新米も流通し始めた。それなのになぜコメの値段は急騰したのか。 JAなど主な集荷業者の集荷量が23年より21万トン少なく、どこかで目詰まりしているのではないか。農家が知人などに配る縁故米などの確保が進んだのではないか。各家庭や事業者が多く在庫を持つようになったのではないか。さまざまな理由が浮上しており、疑問は尽きない。 そもそもの供給量が不足しているのではないかとの指摘もあり、農水省は収量の実態を把握する方針だ。 どうしたらコメを安定供給できるのか。一つ一つの問題を解きほぐしていくことが米飯や米菓を使った食文化の豊かさにつながる。参院選はコメ問題を根本から考える契機にしたい。
※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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