( 307905 )  2025/07/16 05:35:24  
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横須賀市の追浜工場の閉鎖に伴う影響について、多くのコメントが寄せられています。

主な内容は以下の通りです。

 

 

1. **税収と地域経済への打撃**: 工場閉鎖により、横須賀市の税収が大幅に減少し、地元の消費も冷え込む可能性が高いと懸念されています。

また、関連企業や運送業、飲食店なども多大な影響を受けるでしょう。

 

 

2. **従業員とその家族の生活**: 撤退に伴い、工場で働いていた人々やその家族が生活の苦境に見舞われることが予測されています。

特に、転居を余儀なくされる人々の心情が表現され、リストラや転職に対する不安が強調されています。

 

 

3. **経営陣への不満**: コメントの多くは、日産の経営陣がミスを犯し、そのツケが従業員に回されるべきではないと批判しています。

特に、ゴーン元会長以降の経営方針が問題視されています。

 

 

4. **地域の未来に対する提案**: 工場跡地の活用法として、レジャー施設やテストコースの残存を望む声があり、何らかの形で地元経済を活性化させる方法を模索する必要性が訴えられています。

 

 

5. **自動車業界全体の影響**: 日産の閉鎖は、自動車業界や他の関連業種に対しても波及する影響が考えられ、県全体の経済情勢にも懸念が持たれています。

 

 

(まとめ)全体的に、追浜工場の閉鎖に対して地域経済や従業員への深刻な影響が予想され、経営陣への厳しい批判が相次ぐ中、跡地の有効活用や今後の雇用対策が重要視されています。

( 307907 )  2025/07/16 05:35:24  
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閉鎖による税収の減少、工場に勤めていた人や家族たちが追浜にいる必要がなくなり、市外へ転居となり地域での消費も減り、横須賀市にとってはかなりの痛手になるため、跡地をただの宅地にするだけではなく、有効活用する必要があるけど、横須賀に大型施設建設の予算があるとは思えないし、誘致するにも時間がかかり、ネイビーバーガーやドブ板通りなどはありますが、そこまで大きな規模で地域が活性化してるわけではないので横須賀市の財政の正念場となりそうですね。 

 

▲5483 ▼470 

 

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こりゃ、近隣のお店やここと取引してる数千ある企業は大打撃で運送会社も下請け工場や派遣会社も倒産危機に面して、近隣のマンションやアパートも大口の派遣の借り上げも撤退するから不動産関係も大打撃ですね 

 

日産が撤退すればこの地域の税収入もドカンと減ってあらゆる人達が生活の苦境に立たされそう 

 

家庭がある人は大変ですね 

 

トヨタ車体はアルベルが人気で2019年以来の過去最高生産や過去最高売上更新で、ボーナス以外にも協力金が全ての社員一律で10万円支給とかもなったので、働く会社でこんなにも将来が変わるんですね 

 

▲4274 ▼249 

 

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自動車産業は車本体を製造するだけでなく、部品を下請けで作る会社が無数にあって、本社の車本体の製造工場の周囲に子会社や関連会社の部品工場が分散して立地していますね。 

トヨタも愛知県豊田市南部の本社工場だけでなく、周辺のみよし市・安城市・刈谷市などに子会社・関連会社の事業所が多くて、西三河地方全域でトヨタの車を製造している印象があります。 

マツダも同様に広島県の安芸地方全域(広島市と取り巻くほとんどの市町)に関連事業所があるように思います。 

日産も横須賀市追浜の工場だけでなく神奈川県南部に広く関連事業所が点在しているので、追浜の車本体の製造を九州の苅田に移しても、その裾野の関連事業も全部北九州へ持って行かなければならないのかなと思います。 

日産の部品製造工場は日産本体と一緒に九州へ移るのか、あるいは日産グループで選択的に再編されるのか、神奈川県全体で抱える問題なのだろうと思います。 

 

▲10 ▼5 

 

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910ターボ スカイライン アベニール プリメーラ と乗り継いできた。 

どれもセミトレもしくはセミトレマルチのいいサスペンションでした。 

トヨタにはないかっちり決まったサスペンションでした。アナログメカではトヨタも追いつかない時代でした。 

ゴーン氏が来る前からだいぶおかしくなり 

トヨタがハイブリッドを作ってから対抗する車がありません。 

 

EVに逃げ込もうとしましたが 取扱に苦労が必要で 

続きて作成したハイブリッドは他社と比べて技術的に優れているとはいえませんでした。 

ゴーン氏の開発に対する方向性が間違っていて 

櫻井氏のような夢のある車作りをしなければ日産の復活はないでしょう。 

 

▲402 ▼101 

 

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学生の頃、追浜に短期間バイトで行ったことがあるが、日産が移転したら、かなり寂しい街になるだろうと思う。福岡に移転するからと言って、容易に引っ越す訳にいかない人も多いと思う。久しく京急沿線を離れているが、光景も大きく変わったのだろうと思うと時の流れを痛感する。 

 

▲2245 ▼118 

 

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何年か前に、友人に誘われて追浜工場の一般向け工場見学?に参加したことがあります。 

社員の方々が一致協力し、知恵,意見を出し合い生産性を上げるための努力をされているとの説明がなされておりました。 

 

見学していると、生産ラインの随所にそのような工夫がみられ、世界を相手にする企業はこういう地味な努力の積み重ねなのだな…っと感心したものです。 

また、現場の社員さん達にも大変感じよく接していただいた記憶があります。 

 

そのような”模範となる場”がなくなってしまうのは残念ですね。 

 

▲1999 ▼93 

 

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コロナ前に小学生の子どもと工場見学へいきました。見学のための展示スペースやホールでの説明。そして、組立工場内のすぐ近くでの見学。しかも、バスに乗って船着き場まで案内してくれました。お土産をもらって私たちだけが電車利用だったため、駅まで新車のリーフで送ってくれたこと、とても感じが良く見学できたので今でも覚えています。おかげさまで子どもは立派な自由研究ができました。ありがとうございました。働いている方の今後が輝くものとなりますように心からお祈りしています。 

 

▲1458 ▼49 

 

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このようなニュースを聞くとそこで働いている人のことが気がかり。 

当然、希望退職者を募りあとは各地の事業所への配置転換となるのだろうがいずれにしても生活が一変する。 

九州へ行く人も出身がそちらで実家とかがあればまだいいが見知らね土地、環境、土地の言葉など受け入れなければならないものはさまざま。 

人によっては全く畑違いの仕事に就くこともあるだろう。 

かんたんには割り切れないと思うがとにかく体を大事に励んでいただきたいと願う。 

 

▲1023 ▼59 

 

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日産は過去現在もスカイライン、フェアレディー、シルビア、180SXといった 

人気車を製造してきた。 

何時の頃からか高慢な経営に偏っていき、車ファン、利用者を欺くような製造、海外戦略、海外提携を繰り返し、今の残念な姿になってしまった。 

車を設計、作った人は悪くない。 

一部の上層部による経営ミスが工場を閉鎖させてしまったといっても過言ではないだろう。 

日産の経営陣は全員クビにして、海外身売りはせず、トヨタ、ホンダ傘下に入ってでもカッコいい車を製造して欲しい。 

 

▲1281 ▼128 

 

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地域経済に大きな影響と役割りを果たして来たであろう追浜工場の生産終了は非常に残念な事であります。これで統合された後の、地域経済への影響や、閉鎖によるリストラと言ったもあるでしょうし、従業員や住民が一番痛い目に合うのは、目に見えています。こうした状況になってしまったのは、一生懸命に毎日、作業に明け暮れた従業員や周辺住民の責任では勿論ありません。経営陣の方は、こうした事になってしまった事を重く受け止めて頂きたいと思います。 

 

▲123 ▼14 

 

 

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会社経営陣の戦略ミスによって巨額の赤字を抱え、結果として真面目に働いていた従業員や関連会社が職を失う形になる。酷い話だ。 

 

経営陣は今年から業績が回復するまで無報酬でも死ぬ気になって働かなければいけないな。 

 

追浜工場、隣接する試験場(テストコース)も閉鎖されるのかな? 

GT-Rや自動運転の試乗などが体験できる貴重な場所だそうだから残したいところでしょうが、難しいかな。 

 

技術の日産!その歴史を絶対に絶やさないよう奮起してもらいたいものです。 

 

▲1061 ▼230 

 

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昔の良い時代が忘れられない気持ちは分からないでも無いが、やはり放漫経営であり、危機にもほとんど対処出来なかった旧経営陣の責任と言うしか無い。 

せっかく一度は盛り返したのに、結局はこんな状況で未だ迷走している。 

ルノーの時のような外部からの強い圧力が無ければ改革は難しいのだろうか。 

結果だけ考えれば、ゴーンがあんな風になっても、ルノーとの関係性を無くすべきではなかったかもしれない。 

日本の自動車メーカーは全て技術力に優れた企業ばかりであり、日産も海外では技術で劣るわけではない。 

ただ結局は利益が出なけばならないし、そのためには計画通り売り上げが無けれならない。 

 

▲445 ▼64 

 

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かつて横浜市の小学生でした。当時小5にななると追浜工場へ見学にいく世代で育ちました。35年ほど前ですが、工場内で見た車両の組立てや塗装の様子覚えてます。ロボットが生きてるみたいに動いていたのでその驚きで記憶に残ってるのだと思います。とても敷地が広かった記憶と、おみやげに定規(確か小さな分度器や三角定規が組込式の)を頂いたと思います!ここでの生産終了とのこと、とても寂しいですが長い間ここで沢山の車が生まれたこと忘れません。お疲れ様でした! 

 

▲118 ▼8 

 

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東京でも小学校時代に追浜工場見学に行きました。 

初めて大規模なオートメーション!?を見せられて、子供の頃に感動した記憶がありますが、、因みに海側からはバンク角の付いた立派なテストコースも少し見えます。 

その後自分は横浜市南部に移転したため、追浜へは散歩がてら自転車で行くほど馴染み深い地域でしたが、、 

 

追浜と言えば町まるごと日産と言っても言い過ぎでないほど、その主力工場の日産が撤退したら関連下請け企業やリストラされる従業員も多数出てくるだろうし、また横須賀市にとっても大幅な税収の落込みは大打撃でしょう。 

残念ですがせめて跡地を有効利用してほしいです。 

 

▲115 ▼10 

 

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工場閉鎖は仕方ないとしても、リストラって順番があるよね。 

一番最初にすべきは経営責任の明確化と経営者の斬新。 

今の役員連中が責任も取らず経営を続けても能力がないから今こうなってるわけで立て直すのは難しいと言わざるを得ない。 

真面目に一生懸命働いてる社員がかわいそう。 

 

▲303 ▼19 

 

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愛知県と言えばトヨタ、神奈川県と言えば日産その代名詞と言える企業が座間に続いて追浜も無くなるのは車好きとしては寂しいですね。 

昔から技術の日産と言われ様々な名車を産み出してきました。日本の自動車産業は今でも世界一だと思います。また日産には頑張ってもらい日本での生産工場が増える事を願っています! 

 

▲438 ▼120 

 

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地元民ですが、追浜は横浜市金沢区に隣接しているため横須賀というよりも位置的にはほぼ横浜市に近く、かつ地価も横浜市より安いため郊外のベッドタウン的な側面もある。ベイスターズの二軍球場と宿舎などもあり、他の企業の工場などもあるので、日産工場のみがなくなってしまったらどうなるのか、地元民としてはあまりピンとこないけど、これから追浜駅前を再開発しようとしているところなので、その件がどうなってしまうのか気にはなっているところです。 

 

▲19 ▼0 

 

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今でも追浜商店街はシャッターがおりている店舗が多いのに工場閉鎖で更に街に活気がなくなり住んでいる方には不便なエリアとなります。昔からクライマーの練習場所として有名な鷹取山、ラーメン屋、海鮮食堂等々美味しいお店がありいつも長蛇の列をなしております。横須賀市をあげて復興支援をお願いしたいものです。 

 

▲56 ▼11 

 

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鴻海との協業の話は正社員と期間工にとってはぬか喜びだった。工場閉鎖に伴い 多数の関連会社の労働市場が失われるかと思うと、神奈川県の経済のマイナスダメージはかなり大きい。 

社員の配置 転換も実際はかなり厳しいと思われ、離職される方も多いと思う。しかし 年齢的な問題もあるため かなり厳しいと思う。いずれにせよ ひとつの時代が終わったという形だ。経営陣の責任の取り方がいまいち 不十分なのが気になるところだが、ある程度の縮退は仕方ないだろう。 

今後の日産の奮起にも期待したい。 

 

▲196 ▼46 

 

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既定路線だったのでしょう、九州に苅田北九州がありますから、神奈川だと跡地が高値で売却できるのと、苅田では跡地活用が難しいく売却も安値になりますからその判断なんでしょう、日産自動車も頑張ってもらいたいです。 

 

▲717 ▼222 

 

 

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昔横須賀市内の小学生の頃追浜工場へ社会見学に行ったことがあります主力の車製造していました。懐かしい話です。おやつが出ましてあんパンと牛乳が出ました笑食べれなかったかなあの頃は月日がたち閉鎖とは時代と車も変わって行くのは仕方がないのでしょうか?後数年寂しいですが見届けます。 

 

▲292 ▼56 

 

=+=+=+=+= 

 

下請けです。 

自分も川崎の高炉が3年後に停止すると聞いた時これからの生活どうするかばかり考えてました。 

今は何とか仕事をもらって生活してますが… 

社員さんは何とかなるかもしれないけど下請けさんはどうするかかなり動き回る事でしょう。 

同じ経験者として頑張って道筋を見つけて下さい。 

 

▲84 ▼1 

 

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頑張って欲しいがゴーン氏後の社長と役員が悪すぎると思う、何の責任も取らずにリストラ、工業閉鎖、縮小など社員が悪いかの如く、一方外国人社員への高優遇など。 今年の株主総会から一か月も経過しないのに追浜閉鎖、これは株主への報告義務と従業員への説明を怠っていて経営人が逃げてるとしかとられないのではないでしょうか? 役員の方たちが功の場に再度登壇して経過説明をすべきだと思います。 

 

▲72 ▼8 

 

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バブル後の軌跡を振り返れば証券界、銀行界、家電業界と淘汰が巡回し鉄鋼業、自動車業界と来ています。業界内での数の間引きが今後も続きそうです。厚木市といい、横須賀市といい同じ神奈川県に属し、関東のこの地域のダメージが心配です。首都圏であるアドバンテージを活用しこれを機に今まで以上の発展を祈ります。 

 

▲22 ▼5 

 

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50年前に日産の工場に隣接する造船会社に入社しましたが、その造船所も数年前には新造船の建造を止めざるを得なくなりました。今は建機の製造を計画してますがトランプ関税でこれも厳しい状況です。 

横須賀は平地も少なく、海軍で成り立っていた町で、その施設・跡地の払い下げが製造業で、残りは大した産業は無いと思います。数万の関係会社を含む従業員・家族の生活は大変だと思います。 

 

▲62 ▼2 

 

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子供の頃横須賀で過ごした。追浜は奇妙な名前だと思った。普通は「おいはま」と読んでしまう。でも横須賀の人はこれを「おっぱま」と読むことは誰もが知っている。免許を取って以来五十数年日産の車一筋である。故障も少なく燃費も良いので気に入っている。でも経営状況はゴーンの頃からおかしくなった。折角の日本の優れた技術を継承して欲しい。 

 

▲81 ▼21 

 

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日産の経営低迷は、これまでの経営陣の怠惰な経営戦略の失策も一因ではないかと思います。現況では日産は6700億円もの巨額赤字を抱えていますが、追浜工場での車両生産を2027年度末に終了する事は、おそらくはリストラ策での従業員の縮小を図るのではないかと思います。何れにせよ日産の車両生産工場の閉鎖は、今後の成り行き次第では暗い影を落として、日産は経営への危機的状況に陥る可能性もあるのではないかと思います。 

 

▲72 ▼8 

 

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一つの時代の終わりですね。40年程前、高校生のアルバイトで構内の掃除に行きました。マツダのバンは構内に入れてくれましたが、トヨタのバンは入れてくれずポリッシャー等の掃除道具を入り口で降ろしました。構内には立派なテストコースもあり、事務所内には打倒トヨタの張り紙が貼ってあった。個人的に日産車は買って乗った事はありませんが何となく寂しい気がしています。 

 

▲26 ▼5 

 

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九州でも追浜の従業員さんを継続して雇用してくれるんですかね?こちらから行くのは色々大変ですけど、出来れば継続して雇用して欲しいですね、ただこちらにお家を買ったり、お子さんが行きたく無いとか?色々問題が多いと思いますが、是非頑張って下さい。応援しています。 

 

▲98 ▼15 

 

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先日、本社にあるギャラリーに行き、憧れのGT-Rのシートに着座して雰囲気を楽しめてよかったですが、やっぱり日産を応援するには役員のリストラが最重要課題であると思います。経営を立て直すには外部からの招聘も必要だと思いますし、役員を減らし方向性の決定を迅速化する必要があるのではないかと考えます。今、日産車を買うと責任もとらない役員たちの給料の一部になるのも悔しいところです。 

 

▲40 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場勤務の方々もそうですが 

近隣の取引している業者にとっても大変な事だと思います。 

いったいどのくらいの家庭に影響があるのか。 

大災害のレベルだと思う。 

経済的な事はもとより心のケアについても自治体や県でも 

手を差し伸べる事が必要だと思う。 

 

▲229 ▼54 

 

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子供の頃日産苅田工場に社会科見学に 

行った覚えがありますが、ロボットを使った 

オートメーションの溶接工程を見学して 

すごくカッコよかったことを覚えています 

(それがそうだと知ったのは大人になってから) 

が、それですら何十年と昔の話 

追浜工場の件は残念ですが、追浜よりも 

苅田の方が色々新しいと聞きます 

そこで是非とも復活してほしい 

 

▲15 ▼1 

 

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鴻海に乗っ取られるよりはマシ、なのかな。 

本体としては。 

従業員や、工場周辺の飲食店の経営者からすれば大問題だけど。 

 

以前、日産の本社に行った時、日曜の早い時間だったから試乗車の空きがあるからと、子供と一緒に現行のGTRとリーフに乗せて貰ったことがある。 

先にGTRに乗ったから、リーフは物足りなさを感じるかと思ったけど、スポーツモードだったかな? 

そんな感じのモードにしてアクセルを踏み込むと、GTRに負けず、凄い加速だった。 

同乗した日産の人は、リーフを推してる人だったようで、「社内では、『リーフは家電製品』なんて言われてるけど、これぐらい凄いんです」、「OKが出るなら、もっと速く出来るんです」って言ってた。 

試乗が終わった後、追浜のテストコースをGTRで走れる試乗会にも参加出来ると言われたけど、日程が合わずに断念。 

無理してでも申し込めば良かったと、今になって後悔。 

 

▲59 ▼8 

 

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学生時代の1999年に当時社長のゴーンが閉鎖した村山工場、日産車体京都工場、愛知機械港工場、久里浜分工場、九州エンジン工場この中の工場に友人の父親が務められており、閉鎖と共に友人は転校された記憶があり、工場跡地も面影ない景色になりましたが、この時の痛みを経営陣は学ばず、社員のことなど微塵も考えてない結果が正に現れたニュースです。莫大な報酬は責任をとるから払われるが、ツケは毎回弱い立場に回す遅かれ早かれ、このような経営では家電の轍を踏むのは容易に想像がつく。 

 

▲18 ▼0 

 

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これだけ国内販売に力を入れずに来た結果が出ただけ。特にゴーンが社長になってからは海外の販売、特にアジア・中東への販売(これもダットサンブランドを地に落としただけ)に力を注ぎ国内向けモデルは廃版車種こそ出るが新車投入は一部車種のみで(ノート、セレナ)ほとんど出ず。国内生産体制を維持する考え方のトヨタとは真逆の戦略、情けない。追浜は歴史のある生産工場で一時期50万台の年間生産を誇り、特にブルーバードの生産工場として名を馳せた工場、残念の一言。今でも追浜の町は寂れつつある(国道沿いの商店街の約半分が昼間シャッターを閉めている)がますます寂しい町になるのは必定。外国人社長なので国内生産の拘りに期待は持てず、更なる閉鎖に追い込まれなければいいがーーーーー。 

 

▲40 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

工場の閉鎖は企業にとってはひとつの節約ですが、工場勤務する社員がいて地元の飲食店や不動産が守られて来た現実を考えると追浜付近の飲食店や賃貸は打撃ですよね。 

横須賀中央の夜のお店や居酒屋さんは結構困るでしょう。 

大きな企業が還元している経済がある事も含めて日産は多角的に経営を見直して欲しいです。 

 

▲1 ▼0 

 

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所有地の大部分は売却となるのでしょうけど、テストコースと周辺を残して、鈴鹿のような遊園地もあるサーキットに改修すれば、首都圏からのアクセスも悪くは無いから、レジャー施設としての生き残りも模索出来ないだろうか。 

幾らかでも雇用確保し、地元にお金が落ちる方法も考えて欲しい。 

 

▲20 ▼23 

 

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もう何十年も前の話ですが、伯母が横浜の郊外で飲み屋を営んでおり、朝早くから店を開けていました。当時は三交代制の工場勤務の若い男性たちが、夜勤明けにこぞって飲みに来ていたそうです。日産勤務の人だけでなく、さまざまな製造業の人たちが訪れていたとのこと。今回の閉鎖の記事を読み、あらためて当時の活気ある製造業の様子や、伯母の話を思い出しました。 

 

▲60 ▼1 

 

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何度か見学に訪問したことがありますが、以前は活気みなぎる工場だったのに残念です。港湾施設も備えていて輸出基地としては良かったのでしょうが、陸側からのアクセスが国道16号線の慢性的な渋滞で物流に支障をきたしているのではないかと心配していました。跡地利用については未だ発表がありませんが、向かい側の八景島と連携したレジャー施設にしてはどうでしょう。 

 

▲250 ▼124 

 

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国内のすべての工場を閉めるというわけではない中にあって、 

 

どうして閉めるのが、(会社にとって特別な意味もある)追浜なのか、が、わからないので、 

 

何とも言いづらいと感じます。 

 

その理由はちゃんとあるのでしょうから、関係者による理解を可能な限り得ていくためにも、そこはちゃんと説明してほしいと願います。 

 

▲3 ▼2 

 

 

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横須賀市追浜工場は南海トラフで1~3mの津波が押し寄せると見積もられているので、後でもう一度振り返ったとき、経営者の妥当な判断だったという評価になるかもしれない。リチウムなどのEVバッテリーの製造に必要な原材料は中国から輸入するので北九州はEVサプライチェーン再構築のための経済合理性がある。 

 

合併を繰り返す日産のルーツは戸畑鋳物(1933年にダット自動車製造を吸収した)なので、北九州は日産にとって歴史的価値がある。当初から混血を繰り返すハイブリッドの日産は不運からの立ち直りが早い。 

 

▲41 ▼20 

 

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追浜工場は1961年操業開始でダットサンブルーバード生産を始めた歴史ある工場です。 

工場の生産の終了で、その他の衝突実験場、総合研究場は残るとの発表ですが、地域経済に与えるマイナスの影響は測りしれないです。地域経済、取引先、従業員へのケアがしっかりなされることを望みます。 

 

▲38 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

工場閉鎖という事は、生命線をある意味絶ってしまう事になりそうですね。 

まぁ販売台数がとんでもなく下がってしまいましたからしょうがないのかもしれませんが、売れそうな車を開発する事の方が先な気がしますけどね。 

部品供給のサプライチェーンの離脱もあるでしょうしね。 

地域経済も大打撃でしょう。 

追浜工場は売却しても経営原資にどのくらい貢献できるのでしょうね。 

経営陣は大金を貰っているのに会社は弱っていくばかり。 

技術者や技術の流出をどれだけ抑えられるかココが一番のキモなんだろうなぁ。 

ホンダとの協議をしていた時に改善ができなかったのが止めを刺された感じなんだろう。 

その時の経営陣は逃げ切って裕福な暮らしをしていると思うと従業員さんたちは腸煮えくり返る気持ちでしょうね。 

地域経済にも影響を与えるダメ経営ですね。 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

鴻海の条件が足元見られた条件だったのかな? 

鴻海と組んでたらシャープの二の舞になっていただろうから、破談に成ったのは長い目で見たら良かったと思う。 

追浜工場の閉鎖が車両生産機能だけのシャットダウンの様なので、研究開発や海外から持ってきた車のPDI機能は残ると思うが、 

跡地を何に再利用するかは判らないけど、土壌汚染が有るはずだから、土壌改良の費用と掛かる時間を考えると難しい。 

横浜の本社売って工場建屋を本社として再利用したらと思ってしまう。 

 

▲12 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

でしょうね。 

追浜での生産車種はあまり利益率高くもない車格ばかりだし。 

何かとコストのかかる首都圏に船便ばかりの物流で物の出し入れをしているわけだから国際空港が近くにある必要もない。 

何よりも九州工場は分社化してるし、人件費も首都圏より安い。 

そして九州工場のある苅田町は人口増えてるから横須賀市の生産人口の推移から考えても魅力的。 

 

▲9 ▼1 

 

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追浜で働いてた人達にとっては人生変わっちゃちゃうから大事だけど、雇用が大都市近郊から地方に移ることでそちらは活性化する。神奈川は10年ちょっと前、相模原にあったセントラル自動車が宮城に統合移転されたり、日産系のサプライヤーやら日産本体の工場がどんどん減っててるけど、資本主義社会なら仕方ないことでもある。 

無理に残して会社が潰れたら国家としては主力産業(自動車)の一社が消えることになるからそちらの方が大ダメージだよね。 

 

▲216 ▼58 

 

=+=+=+=+= 

 

ホンダとの経営統合再検討もこれで完全に消滅したと考えます。 

何故ならば、将来的にホンダとの経営統合も選択肢の一つとしてもし残しているならば、栃木工場を先に潰すでしょう。生産設備がホンダと被りますからね。 

追浜はマザー工場であり、輸出船も2隻接岸できる効率の良い場所を潰すとは、ちょっと勿体無い気がしますね。 

 

▲39 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

2027年度末に生産終了だと人員整理についてはこれから労使交渉してからだと、急いで動くことになるだろうとは思います 国内の余剰人員は既にリストアップできていると思いますので国内の人員整理は進んでいくんだろうと推察します。いずれは国内は開発メインで中国工場が車両生産を担うんだろうとは思います。 

 

▲8 ▼10 

 

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日産自動車ニュースルームによると、27年度末に生産を終了するとのことでした。以前、新型キックスが追浜で生産されるとの報道が追浜ありましたが、現実的ではないでしょう。新型キックスが生産されるのは九州、あるいは現在と同じく海外からの輸入となりそうです。 

 

▲289 ▼44 

 

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跡地のテストコースを利用してアブダビの様なF1も呼べる一大アミューズメント施設を創れば雇用の創出も出来ると思います。 

近くには横浜スタジアムもあって利用し放題 

カジノもついでに誘致してフェラーリワールドの様な遊園地も出来れば経済効果は抜群だと思います。 

 

▲12 ▼34 

 

 

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日産自動車のルーツは、現在九州工場がある苅田町のお隣で、 

北九州市の八幡製鉄所企業城下町に設立された戸畑鋳物 

(戸畑鋳物は、日立金属・現プロテリアルの源流) 

Uターンして再建に向け頑張ってね 

 

▲14 ▼1 

 

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昭和36年開設だから60有余年の歴史を誇る日本の誇りであつた。 

ロイ・ジェームズがテレビで日産専用の輸出船追浜丸の竣工を 

宣伝してゐた事を今でも覚えてゐる。昭和40年代には一時期、 

生産台数でトヨタを上回つた事もあつた。 

それなのにゴーン以来の体たらくは一体どうした事か。社員の責任 

では断じてない、経営陣が愚かだつたのだ、目先の利益に眼が眩んで 

エンジンとシャシーを一から開発する地道な努力を惜しんだからだ。 

あれだけ優れたエンジニアを抱へてゐたのに、実に残念である(日産ファン)。 

 

▲24 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

追浜工場の閉鎖は、従業員とその家族、長年地域経済を支えてきたサプライチェーン全体にとって、極めて過酷な決定である。この「痛み」を現場にのみ押し付ける構図には強い疑念が呈される。結果として地域社会が空洞化する。 

問題の本質は、長期的なビジョンを欠いた経営陣の度重なる戦略失敗にあると分析される。企業存亡の危機的状況下でさえ、高額な役員報酬や壮大な本社ビルは維持される一方、従業員にのみ犠牲が強いられている。この状況下で発せられる「苦渋の決断」という言葉は説得力を欠き、現場の士気と信頼が損なわれるのは必然である。 

真の再建とは、まず経営の贅肉を徹底的に削ぎ落とす姿勢を示すことから始まるものである。そのメスは自らの報酬や過剰な役職、そして象徴的な資産にこそ、まず入れられるべきである。経営陣自らが痛みを伴う自己改革なくして従業員の共感を得ることは不可能だ。日産が再び成長軌道へ回帰するのは不可能である。 

 

▲6 ▼1 

 

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小学生低学年の時に父親が下請けだけど追浜工場の中で働いていて昭和も40年代、煩くも無く工場の控室中で仕事を終わるのを待っていた。冬は警備室にも入れて貰い父親の仕事が終わるのを待っていた。そんなので追浜の街は自分の庭のよう、これから駅前は再開発が始まるようだけど追浜工場が閉鎖?となればどうなってしまうんだろう?夏島小学校の辺りから工場で働く人のクルマが駐車して居たのも懐かしい光景。もう50年近く前の話だ。 

 

▲17 ▼3 

 

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日産とは直接関係ないお話になりますが、ここは昔、海軍航空隊発祥の地でした。 

 最初に水上機基地が作られて初飛行に成功。ここで錬成されたパイロットが間もなく第一次大戦でフランス製の複葉水上機を操り、中国にドイツが作った青島要塞の攻撃作戦に参加。テストを兼ねて偵察や爆撃を重ね、実戦経験を詰みました。 

 やがて海軍航空の総本山であり、テスト基地でもあった横須賀航空隊が誕生。新鋭機の研究や審査を行った「航空技術廠」もここに設置されました。 

 敗戦後は、富士自動車(のちの小松製作所)などの工場進出を経て、61年に日産追浜工場が誕生しました。今の日産追浜総合研究所は海軍士官の宿舎だったそうです。 

 かつては零戦や彗星、銀河などの爆音が轟き、戦後はブルーバード生産などの夢の跡…。日産の工場閉鎖後はどうなるのでしょうね。 

 

▲15 ▼5 

 

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年齢の若い層なら 新しい業界にチャレンジしてみるのもいいだろう。問題は就職氷河期初期世代だな。50才だからね。 転職困難だから会社にしがみつくしか生き残っていけないだろう。政府が氷河期世代対策やるらしいから、教員免許があれば 教師になれる機会はあるかも。 

 

▲13 ▼9 

 

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騒動以降というもの、責任の所在を明確にしないほうが長く給料をもらえるだろう的な役に立たない経営陣になってしまったのでは。心躍るような商品もなく、どんどん老いていくだけの設計とデザインがあるのみでコストカットを進める結果何が残るのか。そしてホンダとの交渉も、鴻海との交渉も着地点が見つからずこの結果。 

あれだけ素晴らしい、憧れの車を作っていた会社が頭から腐っていく様をみるのはほんとに悲しくなります。 

 

▲10 ▼1 

 

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ゴーンが来てからは早かった気がします。 

コストカットという名のもとに取引先を徹底的に叩いてドライな関係にしてしまいました。 

さらに、海外車種の生産に集中して、日本では新型がほとんどでない異常事態に陥りました。 

結局、短期の利益は得られたものの、中長期での成長投資が進まず、困ったときに助けてくれる人もいなくなったのが今の日産だと思います。 

彼がこなければもっと早く潰れていたかもしれませんが、かと言って根本的な解決はできなかったという評価が正しいでしょう。 

 

▲4 ▼0 

 

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この当たりは物価高騰によりかなりの企業が撤退している工業地帯です。家賃なども高い上に中々企業でも参入しずらい場所です。しかし、娯楽施設など人が集まる施設を作ったらいいと思います。景色も良いので 

 

▲13 ▼17 

 

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工場、生産数などを減らしているのに役員の数は減らさないのだろうか。 

日産役員は日産を復活させる気がないように感じる。 

協力会社もトカゲのしっぽくらいにしか考えてないのかもしれない。 

他社が手を差し伸べても、歩み寄る気すらないように思える。 

 

株主は何をしているのか。 

株券が紙くずになるまで待つつもりか。 

 

役員の数を減らし、入れ替えしかないと思える。 

 

▲8 ▼1 

 

 

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記事が詳細を伝えていないので勘違いされる方が多いですが、「今回の決定は、追浜地区の一部である追浜工場についてのものです。同地区にある総合研究所やGRANDRIVE、衝突試験場、追浜専用ふ頭など、その他のすべての機能については、今後も変更なく事業を継続していきます。」「また、追浜工場に勤務する従業員は、2027年度末まで同工場での勤務を継続します。その後の雇用や勤務については、方針を決定し次第、従業員の皆さんにお知らせするとともに組合との協議を開始する予定です。」と日産側のプレスリリースが出ています。 

 

追浜の日産関連施設全てが閉鎖される訳ではありません。 

とはいえ、2027年以降は解雇または九州転勤になる方々はいるでしょう。 

 

▲38 ▼4 

 

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選挙公約で物価上昇を上回る賃上げ等と言っているが、日産を始め近頃の大企業の役員クラスは従業員を守るのではなく自身に役員報酬を減らさなうための愚策に走る会長・社長を多く見受ける。どうすれば従業員が安心して働けるかという事、そしてどうすれば世界の競合と渡り合っていけるのか真剣に考えられる役員が今後の日本に必要ではないだろうか。 

 

▲48 ▼1 

 

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私の地元、北九州にとっては、大変嬉しい事です!北九州空港や、東九州道のアクセス又、新門司地区の物流ターミナル、正に北九州は、道路、港、空港が、近くに有り、交通渋滞も激しく無いので、物流関係者の方たちには、最適の場所ですね!私は、前に、北九州地区の物流の仕事をしていましたから良く分かります。 

 

▲39 ▼38 

 

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だいぶ前リークされた通りになってしまいましたね。 

エスピノーサ社長は、5月に福岡県苅田町の工場について「今後も重要な拠点である」と福岡県知事に言っていたのに神奈川県ではそのようなことは言っていないことからしても、リーク(意図的なものだった可能性が高いと思いますが)の時点で追浜を閉鎖して、九州に統合というのはほぼ決まっていたのでしょう。 

 

▲5 ▼2 

 

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追浜は日産にとって無くならない場所だと思ってたけど簡単になくなった。 

シャープ見ててもそうだけど、無くなる時はあっという間なんだなと思う。 

それでも日産は今から経営再建してどうにかしてくると信じてる。日産なんて潰れてしまえば良いなんて声がゴーン時代から色んな所で言われ続けてるが、日本を支えてるくらい大きな企業だしどれほどのインパクトがあるのか計り知れない。 

自分にとっては子供の時に見たゴーン時代の車のCMのセンスの良さに惹かれてずっと日産が好き。ゴーン時代も現日産の車種もとても魅力的。どうにかして日本企業として生き残って欲しい。 

 

▲23 ▼16 

 

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昭和時代にはトヨタの向こうを張って鼻息が荒かった。当時私は自動車工場向け設備の工事担当で、あちこちの日産工場に出張したが、入場に対して守衛さんが高飛車な対応で嫌な思いもした。昭和の後半に入ると座間工場が閉鎖、村山工場が閉鎖、そのほか関西や愛知にも子会社が有ったがいずれも閉鎖になってしまった。日産の凋落の歴史をしみじみと思わせる。 

 

▲74 ▼16 

 

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工場閉鎖だけで、再建出来るのかが全く持って意味不明に思えてならない。ゴーン体制時も工場閉鎖やリストアで一時凌ぎを行なっただけで、最終は経営陣の市場感覚の無さが招いた事であり、市場の動きやニーズに対して意見が折り合わない経営陣の抜本的な改革と役員の縮小化が必要と思います。新体制の経営陣は自己利益だけを追い求め、かつての日産全盛期時代の車に対する愛情や情熱が感じられない。このまま行くと、また同じ事を繰り返す様に思えて仕方ない。現状維持は衰退であり、現状どころか後退の方向に向かっている。国内で人気車種であった車のリバイバルやコンセプトカーから如何に素早く出すか、不人気なら何が原因かを踏まえてダラダラ不人気車を売り続けるのでは無く、サッサと手を変える事が泥沼にハマって15年も売り続け、販売会社や消費者に会社、車種共に悪いイメージを固定化させる事がこの様な事態を招いたと思います。 

 

▲1 ▼1 

 

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昔NHK特集の「自動車」という番組で戦後日本が日米貿易摩擦になるまで自動車産業が復興した記録で日産追浜工場のブルーバード1号車オフライン式の映像が思い出されます。労使協調時代で日産絶頂期スタートくらいでしょうか? 

まさか工場閉鎖まで追い込まれるとは思いもよりませんでした。 

自動車業界のトップに経産省の役人が頭を下げて輸出数制限をお願いしたという仰天エピソードもありました。権利関係で再放送は出来ないでしょうね 

全4話で「日本の登場」「発進」「加速」「激突」とひねりの利いたタイトルも印象的でした 

 

▲6 ▼0 

 

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追浜工場生産終了でも経営陣役員は報酬削減もなし。従業員もこうなる事は予期できなかったにしろ、よくこんな企業で働いていると思う。あなた方現場の組み立て作業員よりも経営陣は自分らの報酬の方が大事なんです。会社に裏切られた気分になりませんか? 

 

仮に会社から「次の勤務先を紹介するよ」と提示された場所が自宅から遠方過ぎたら、それは「嫌なら辞めてくれよ」という体の良い追い出しだと受け取る勇気も必要です。どこの企業でもリストラする時は直接解雇だけでなく、その従業員に妻や子供が居る事を敢えて狙って遠方の勤務地を紹介します。だって小学生や中学・高校の子供が居たり、マイホームを購入している社員では遠方の勤務地になんか行けませんよね?だから体の良い追い出しなのです。仮にそうなった場合は自分が体の良い追い出しを受けたと受け入れる勇気も必要です。そうなっても慌てふためかないように今から準備は必要です。 

 

▲2 ▼0 

 

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地方は土地に余裕があるからウェルカム。九州に雇用が生まれるからいいと思う。 

自動車生産ラインに限らず北海道、東北、四国にも工場作ればいいと思う 

追浜終了で日産は終了 

起死回生は無理だと素人の自分でも思う 

豊田とは真逆の行動で、社員、末端の企業の首をしめているように見える 

日産には利益、流行りに走らず車作りの原点回帰に努めていただきたい 

少なくとも他自動車メーカーはそのアドバンテージを持っている 

 

▲17 ▼16 

 

 

 

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大手にぶら下がってる中小企業はこうなるとほんとにきついよね。 

日本で昔からある製造業の大手が軒並み工場閉鎖や人員整理なんかをしてる。 

大手にぶら下がって今まで美味い飯食ってた中小企業は警戒してそろそろ目線を変えないと次は我が身だよ。 

 

▲8 ▼2 

 

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鴻海との協業もどうやら上手くいかず、結局工場閉鎖を余儀なくされるのだろう。数多くの日産の名車が追浜工場から送り出されてきたのに、稼働率が低下して閉鎖する決断になり、追浜工場で働いている社員らも多くは配置転換を余儀なくされそうだ。追浜工場で製造されている車種は、日産を代表する小型乗用車であるし、別の工場に生産を移管することになるはずだ。神奈川県と横須賀市は、追浜工場で働いている社員らの転職支援なども考えざるを得なくなるのではあるまいか? 

 

▲2 ▼0 

 

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歴史ある追浜工場が消えるのは本当に残念です。 

むかしの話ですが夜間に工場隣にある野島公園展望台からテストコースを走るクルマを眺めながらタバコに火をつけた直後一斉に走行していたクルマがいなくなったことがありました。 

たぶん新型車のテストをしていたのだと思いますが、当時の日産車は新車発表を待ち望むユーザーが溢れていました。 

銀座日産ギャラリーが人だかりになる日が来ればと願います。 

 

▲12 ▼0 

 

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役員数や報酬削減,横浜の本社機能の移転。家賃は年間どれくらい支払っているのでしょうか。追浜工場を簡単に内装して社員をリストラを本社移転で補う。簡単な工事なら家賃を考えたらすぐにペイできるでしょう。家賃で払うと思い余ったお金をリストラに支払う一時金以外の補償金として一部3年間補填。横須賀に家を建ててローンがあったり,教育問題など日産が生き残るためにどれだけの避難民がでるか未知数です。銀行が取引先に協力すると言っても金利は取るから廃業される方々もいらっしゃると思います。補償も何もないから高齢なら仕事もできない。日産が地域不況の元になっても農水大臣の采配で最小限に抑えることができるか試されると思う。 

 

▲3 ▼0 

 

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思い起こせば、旧関東自動車工業の横須賀工場閉鎖、旧セントラル自動車の相模原→宮城移管、両社がトヨタ自動車東日本に統合されて以降の東富士工場閉鎖など、関東エリアでの自動車生産は縮小の一途。 

日産追浜工場の27年度末生産終了が発表されたので、残るは日野自動車の羽村工場だけですね。先日の発表によると羽村工場も日野自動車から分離されてトヨタ自動車傘下の別会社になるようですが、どうなってしまうのか…。 

 

▲3 ▼1 

 

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横須賀市の衰退も気になるし、神奈川も大手企業の工場閉鎖があちこちで起きていて寂しくなっていくなぁと思う。 

日産繋がりで友人のダンナが平塚の日産車体勤務で家を新築したのに福岡に転勤。戻ってくる予定もなく福岡に根付く決心となってから時間はかなり経った。 

日立戸塚や西部のキリンビールや富士フイルム、辻堂駅周辺は松下電器系。 

跡地が上手く行ってるのは駅周辺の東芝の川崎や日本特殊のショッピングモールや戸塚駅なのかな。 

 

▲1 ▼0 

 

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厳しい経営環境なのはどの会社も同じですが、日産の主力工場である追浜工場が生産終了とは。 

街が一つ消えてなくなるようなものですね。 

働く人達の不安はいかばかりかと思います。 

 

経営陣は社員たちの生活を守るためにできることは全てやってあげてください。 

 

▲10 ▼0 

 

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首都圏で自動車整備士の学校に通って居ました。まだバブルが弾けて間もなくだったので新卒採用も多かった。 

そんな中ディーラーでなく日産のメーカー採用の求人があり応募しようか迷いました。 

大卒で無くてもメーカーに行けるのはかなり魅力的でしたが受かったかは分かりませんが行かなくて良かったと思っています。 

 

▲4 ▼1 

 

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役に立たない役員の報酬を見直せばこうも批判的なコメントが集まることもなかったでしょうに 

地道に仕事をしてきている人たちがあおりを受けるというのはなんとも言えない気持ちにさせられます 

横浜駅前の本社を引き払って追浜を本社にするくらいのホワイトカラーのリストラが必要だと思います 

 

▲36 ▼3 

 

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どれくらいの人に影響があるのか、工場に働く人たちは勿論、近隣の飲食店やアパート、マンション経営、トラックなどの配送関係で働く人たちとそのすべての家族たちが路頭に迷うことはないかも知れないけど、横須賀の税収は激減するかも。 

 

▲50 ▼2 

 

 

 
 

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