( 308026 )  2025/07/16 07:46:42  
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2011年の日産自動車・追浜工場の様子 

 

 従業員約2400人が働く追浜工場(横須賀市夏島町)は60年以上にわたり、地元経済を支えてきただけに住民らからは「追浜ブランドがなくなるのはさみしい」とため息が漏れた。        

 

 同工場は1961年に操業開始以後、「ダットサンブルーバード」を皮切りに、電気自動車(EV)「リーフ」や国内向け小型車「ノート」など累計1780万台以上を生産。日産の国内有数の輸出車専用埠頭(ふとう)や試験コースなども有する国内有数の主力拠点だった。          

 

 「お膝元」の京急線追浜駅周辺は日産に支えられてきた。駅前の青果店「フードショップフジタ」の藤田雄二さん(62)は「日産は追浜にいろいろ貢献してくれた。(地元の祭りで)社員が赤いはんてんを着てみこしを担ぎ、協賛金も出してくれた」と振り返った。 

 

 50年以上前の工場全盛期には早朝から通勤客でごった返し、忘年会シーズンには工場関係者らで飲食店や宴会場などが埋まった。社会人野球の都市対抗大会に日産野球部の出場が決まると、商店主たちもチャーターしたバスに乗り込んで応援に駆けつけたという。藤田さんは「工場のラインが止まるのは人がいなくなるのと同じ。日産のお客さんが『熊本に引っ越すかも』と言っていた。寂しくなるのかな」と声を落とした。 

 

 地元の個人タクシーの運転手の男性は15年以上、日産車を愛用。「当時の工場長を乗せた時に『いい車だから』と勧められた。地元の車で愛着もある」と複雑な表情を浮かべた。 

 

神奈川新聞社 

 

 

 
 

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