( 308363 ) 2025/07/18 04:05:36 2 00 寝たきり老人には「生きる価値がない」のか…参政党の公約「延命治療の全額自己負担化」に現場医師が伝えたいことプレジデントオンライン 7/17(木) 6:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/fcc4f2e58e4ca72d110e6e3a065f2079748b1bbc |
( 308364 ) 2025/07/18 04:05:36 1 00 参政党が進展する中、「日本人ファースト」という公約が争点になっているが、その中での「日本人」とは誰を指すのかという疑問が浮かぶ。
公約には「過度な延命治療」について見直す必要が述べられ、特に医療費の削減が目指されているが、その実現可能性や倫理的側面については疑問が残る。
木村医師は、こうした政策が若者にも影響を及ぼす可能性があることを指摘し、現代の一億総序列化社会の危険性についても警告を発している。
(要約) | ( 308366 ) 2025/07/18 04:05:36 0 00 日本記者クラブ主催の党首討論会で発言する参政党の神谷宗幣代表=2025年7月2日午後、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト
参政党が躍進している。東京科学大学医学部臨床教授の木村知医師は「日本人ファーストの、“日本人”とは誰なのか。公約をみると、優遇される日本人と、優遇されないばかりか、生存さえ諦めねばならない日本人とに分断される可能性が見えてくる」という――。
■「日本人ファースト」の“日本人”とは誰のことか
さて、いよいよ参院選。自公政権の過半数維持が微妙とされるなか、「日本人ファースト」を掲げる政党が大躍進の様相を呈しているという。
「もう外国人への優遇は許すな、私たち『日本人』がまず優遇されるべきだ」
このような主張に喝采する人は少なくないかもしれない。だがその「日本人」に、はたしてあなたは該当しているだろうか?
この主張を掲げる参政党の公約を読んでみると、この「ファーストとされる日本人」にはこの国に住まうすべての日本人が当てはまるわけではないことが見えてくる。この「日本人」のなかにも序列があって、優遇される日本人と、優遇されないばかりか、生存さえ諦めねばならない日本人とに分断される可能性が見えてくるのだ。
その公約はホームページで読むことができる。
正確を期すため長いが該当部分の全文を供覧しよう。
---------- 「多くの国民が望んでいない終末期における過度な延命治療を見直す」
70歳以上の高齢者にかかる医療費は年間22兆円と全体の半分程度を占め、特に85歳以上になると一人あたりでは100万円を超える。終末期における過度な延命治療に高額医療費をかけることは、国全体の医療費を押し上げる要因の一つとなっており、欧米ではほとんど実施されない胃瘻・点滴・経管栄養等の延命措置は原則行わない
・本人の意思を尊重し、医師の法的リスクを回避するための尊厳死法制を整備。 ・事前指示書やPOLST(生命維持治療に関する医師の指示書)で、医師が即座に心の負担なく適切な判断ができるプロセスを徹底。 ・終末期の点滴や人工呼吸器管理等延命治療が保険点数化されている診療報酬制度の見直し。 ・終末期の延命措置医療費の全額自己負担化。 ----------
■瓜二つの政策が過去にも…
これを見たとき、「またこんな使い古しの政策を出してきたのか」との感想しか出てこなかった。
「延命治療の自己負担化」や「安楽死法制化」を医療費削減の文脈で訴える“学者”や政治家は、これまで何人も現れては有識者や医療経済学者らの批判を喰らって論破され、そのつど発言の撤回と修正を余儀なくされてきたからである。
以前、プレジデントオンラインにも寄稿したが、昨年の10月12日、衆院選公示を目前に控えておこなわれた記者クラブ主催の党首討論会において国民民主党の玉木雄一郎代表が発した、
「社会保障の保険料を下げるためにはですね、我々は、高齢者医療、特に終末期医療のですね、見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて。こういったことも含めて、医療給付を抑えて、若い人の社会保険料給付を抑えることが、消費を活性化して、次の好循環と賃金上昇を促すと思っています」
との発言が「現代の姥捨山だ」との多くの批判で火ダルマとなり、結果、発言の修正と「火消し」に追い込まれたことを記憶している方も少なくないだろう。
なんと、この火ダルマになった国民民主党の政策と笑ってしまうくらい瓜二つの公約なのだ。
■どこからが「終末期」なのか
人権・倫理・道徳という「人の道」を大きく踏み外した政策であるとの指摘はこれまで何度もしてきたので、本稿ではいささか不本意ではあるが、彼らと同じ土俵に上がって、この政策をおこなおうにも「現場では絶対不可能である」という「実現可能性」にフォーカスして論じよう。
第一に、「終末期」とはなんぞやという点である。なんとなく理解できるようで、その定義をはっきり述べられる人はいるだろうか。
一般的には、“いかなる治療をおこなっても回復が困難で、数週間から数か月以内で死に至る不可逆的な状態であると複数の医療関係者によって慎重に判断されたもの”と解釈されようが、明確な「診断基準」はない。
熟練した医師でさえその判断には、日々葛藤し続けているのだ。シロウトの政治家の意図が介入できる余地はいっさい存在しない。
かりにこのような主張を掲げる政党が政権に加わり、この政策を運用しようとしたところで、じっさいの医療現場では「はい、あなたは終末期」「あなたはまだよ」と、チャッチャと機械的に線引きして運用できるものではない。
そもそも親や配偶者について医者から「はい、もう終末期なんで明日から全額自費でお支払いくださいね」と言われて納得できる人はいるだろうか。
■「胃瘻+人工呼吸器=延命措置」という誤解
第二に、「延命措置」とはなんぞやという点だ。
終末期の診断が明確にできないわけだから、延命といったところで、どこまでが治療でどこからが延命かの明確な線引きも不可能だ。
延命治療というと「胃瘻や人工呼吸器を何年もつけている人への医療」というイメージで語られるが、これは医療現場をまったく見たことがないか、終末期医療を中途半端にしか理解していない人の認識だ。
こういうと「胃瘻や人工呼吸器をつけないと死んでしまうなら終末期の延命だろう」と言う人もあろうが、むしろこれらを付けさえすれば年単位で生存できる状態だ。これを終末期とは断じて言わない。社会活動をしている人もいる。
もしこの医療行為までも延命治療と呼ぶなら、ペースメーカーも、冠動脈ステントも、人工肛門も、いや高血圧の薬を飲むことさえも「延命治療」になってしまう。「胃瘻や人工呼吸器を何年も」を終末期延命治療の例として挙げてしまうと「現代医療の全否定」にシームレスにつながってしまうのだ。
■「無駄な延命」「意味のある治療」線引きは
「じゃあ、社会活動できない認知症の寝たきりの高齢者はどうなんだ」と言う人もいるかもしれない。
おそらくその人は「社会の役に立っていないのだから生きていたってしょうがないじゃないか。私なら国の足を引っ張ってまで生きていくのはいやだ」と言いたいのだろう。
だがそれは、そのひと個人の感想に過ぎない。その人が自分自身だけに適用するのは勝手だが、赤の他人にまで押しつけるのは余計なお世話というほかない。
そもそも社会の役に立っているか否かを、どうやって「判定」するのか。
年齢か? 介助の要否か? 就業の有無か? はたまた納税額の多寡か?
そもそも「私は社会の役に立っている」と胸を張って言える人はどのくらいいるだろうか。
公約に話を戻そう。延命治療に「過度な」という形容詞をつけていることにお気づきだろうか。おそらく私のような意見や批判を封じるための細工だろうが、これこそ大失敗だ。
先述したように、ただでさえ「無駄な延命」と「意味ある治療」の線引きが困難なのに、「過度な」をつけてしまったことで、「過度な延命」と「普通の延命」という、いっそう線引きが困難な問題を自ら作り出してしまっているからである。
■「全額自己負担化」で笑うのは誰か
第三として、重要な事実誤認を指摘しておくと、拙著(「大往生の作法ー在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方」(角川新書))にも詳細に書いたが、終末期における過度な延命治療の例として書かれている「欧米ではほとんど実施されない胃瘻・点滴・経管栄養等の延命措置」は、わが国でも、とうにおこなわれていない。
現場の医師らの慎重な診断のもと「終末期」とされた人に、その時点から胃瘻や経管栄養を開始することは、今や皆無といっていい。末梢点滴や皮下点滴をおこなうことはあるが、これも延命効果はほとんどなく、患者のためというより、経口摂取できない患者を見殺しにするようで可哀想という家族の気持ちを和らげる、一種のパフォーマンス的行為だ。その場合も数週間ともたないから、医療財政を圧迫することはありえない。そもそも医師が丁寧に説明してもなお、点滴を希望する家族は今や少数だ。
そして最も噴飯ものなのは第四点目の「(終末期の延命措置医療費の)全額自己負担化」だ。これぞ彼らの本丸なのだろうが、これぞ矛盾に満ちた提案なのだ。公約をもう一度見てほしい。
この公約で「多くの国民が望んでいない」「過度な延命治療」は「本人の意思を尊重」する観点からも見直すべきとのポリシーを有権者に訴えたいのであれば、全額自己負担ならオッケーではなく、保険だろうが自費だろうが「全面禁止」と主張しなければ筋が通らない。
それに全額自己負担なら公的医療費は多少削減されるとはいえ、これらの医療で占領されるベッドや人的資源の消費が減るわけではないという視点も完全に欠落している。
つまり裏を返せばこの政策は、お金のある富裕者には自由に医療資源を“浪費できる”選択肢を与えるが、お金の払えない貧乏者にはその選択権さえ与えない、つまり“生存は諦めろ”というメッセージなのだ。
「日本人ファースト」という言葉に酔いしれている場合ではない。この政策は「日本人の富裕層ファースト」そのものなのだ。
■終末期医療をやめる費用対効果は…
そもそも「終末期の過度な延命治療」がどれだけ医療財政を圧迫しているのか説明できるだろうか。
管だらけの寝たきりの人の写真を見て、ただなんとなくイメージで莫大な費用が浪費されていると思い込んでいるだけではないか。
イメージでなく、エビデンスベースで説明しよう。
2015年の研究(鈴木亘「レセプトデータによる終末期医療費の削減可能性に関する統計的考察」、『学習院大学 経済論集』第52巻 第1号、2015年4月)をわかりやすく解説した記事がある。
ここでは死亡前1年間の1人当たり医療費の月別グラフが示されており、たしかに死亡前3カ月くらいから医療費が大幅に増え、最も増えるのは死の1カ月前と読み取れる。
だがデータを細かく分析すると、最後の1カ月に医療費を急増させているのは「胃瘻を作られてベッドで寝たきり」という長期入院患者でなく、自宅で生活できていた人が突然入院、手を尽くした結果亡くなってしまった人、いわば急性期患者だったのだ。
少し古いデータだが厚労省保険局は2002年度の「終末期における医療費(死亡前1カ月にかかった医療費)」は約9000億円と発表しており、これは同年度の「医科医療費」に占める割合で言うと3パーセント程度だ。
しかもこの9000億円には、先述の急性期医療費が含まれている。これらを「終末期の過度な延命治療」として削減せよとなると、救命救急医療・急性期の集中治療までも全否定してしまうことになるのだ。
高齢者医療全体を見てみても、1年間にかかった高齢者医療費のうち終末期医療、つまりその1年の間に亡くなった方々にかかった費用は1割程度。あと1年で亡くなると思われる高齢者に医療をまったくおこなわないというフィクション映画のような非人道的行為をもってしても、医療費に与えるインパクトはきわめて限定的なのだ。
■こうして“1億総序列化社会”が誕生する
「70歳以上の医療費は年間22兆円」「85歳以上になると一人あたり100万円超」との数字を掲げ、延命治療を自己負担にすればあたかもこれらが解消できるやに有権者に思わせるこの公約が、いかにエビデンスに基づかないものだと容易に理解できるだろう。
いや、この公約からは「過度な延命」にとどまらず、高齢者にたいする医療そのものが無駄であり、これらをすべて削減したいやにも読み取れる。彼らのいう「日本人」に高齢者は含まれていないようだ。
若者から見れば、高齢者の医療など無駄にしか見えないかもしれない。だがこの政策で今は「日本人」として認められている人も、いずれ高齢者となって「日本人」から除外され、生存権さえ失う可能性があることは認識しておくべきだろう。
いや、今の若者も例外ではない。命の線引きを公然と政策に掲げ、ファーストとそうでない人、つまり人間に優劣をつけたがる政党が政権に加わると、出自や性別はおろか、思想や生活習慣、就労状況から納税額までもが「日本人」として適格か、優れているか、生存するに値するかといった政治的介入を受け、私たちにさらなる分断をもたらすだろう。
すなわちファーストとされるはずの「日本人」すべてに優劣がつけられる“1億総序列化社会”の誕生だ。「寝たきりの認知症高齢者は社会の役に立っていないお荷物」などと嗤っている若者にも、突然「あなたは納税額が少ないので日本の役に立っていませんね、公的サービスを使うのは控えてもらいます」といった通知が国から来るかもしれない。
「そんなの今の私には関係ないよ」と思っている人が、ゆくゆく後悔しなければいいのだが。それこそ私には関係ない、か。
---------- 木村 知(きむら・とも) 医師/東京科学大学医学部臨床教授 1968年生まれ。医師。東京科学大学医学部臨床教授。在宅医療を中心に、多くの患者の診療、看取りをおこないつつ、医学部生・研修医の臨床教育指導にも従事、後進の育成も手掛けている。医療者ならではの視点で、時事問題、政治問題についても積極的に発信。新聞・週刊誌にも多数のコメントを提供している。著書に『大往生の作法 在宅医だからわかった人生最終コーナーの歩き方』『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(いずれも角川新書)など。 ----------
医師/東京科学大学医学部臨床教授 木村 知
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( 308365 ) 2025/07/18 04:05:36 1 00 この議論は、高齢者の延命治療に関して非常に深刻でさまざまな意見が交わされています。
1. **延命治療の意義と影響**:延命治療を通常の医療として続けることが、患者本人やその家族に与える心理的および経済的な負担について触れています。
2. **尊厳死の提案**:多くのコメントが、患者自身が自分の死に方を選ぶ権利を強調しています。
3. **医療制度の根本的な問題**:日本の医療制度の持続可能性や老人医療にかかる巨額な医療費が問題視されており、現状の医療制度や保険制度の見直しが必要だという意見が多数存在します。
4. **家族の負担**:家族が治療や延命に関して重圧を感じ、その選択が患者の意思を無視する可能性があるとの指摘もあり、家族の意向や負担が病状と共に大きくなることが懸念されています。
5. **医療提供者の倫理的ジレンマ**:医療現場に従事する者として、医師や介護士が直面する倫理的な課題についての言及もあります。
(まとめ)延命治療や尊厳死に関する議論は、個人の選択権、医療の経済的負担、そして家族の感情という複雑な要素が絡み合っています。 | ( 308367 ) 2025/07/18 04:05:36 0 00 =+=+=+=+=
わたしも散々このような現場を見てきた医師です。 確かに線引きが難しい面はありますが、基本的には自分でごはんを食べたいという意志がなくなった方は延命に該当するのではないかと。ヨーロッパの自然な死の形と日本の明らかに先がなくても管つなぎになる医療。国民一人一人がこのことを真剣に考えただけでも、神谷さんが提起したことは意義がある。
また、延命問題に関わらず、医師はむりやり仕事を作り出せてしまう特殊な権力を持っていることを忘れてはいけません。不必要な医療は行わないという意見のいえる医師こそ倫理観があるといえます。
▲12704 ▼1092
=+=+=+=+=
以前、療養型の病棟で勤務していたことがあります。 患者の大半は認知症の寝たきり高齢者で、病気なのか老化現象なのか判断が難しい状態です。徐々に衰弱していずれ経口摂取が難しくなりますが、その際に経鼻の経管栄養を始めるのか、点滴のみにするのか。ここが重要なポイントです。家族が希望すれば経管栄養を行いますが、一度始めると場合によっては年単位で続くので、トータルではかなり医療費がかかると思われます。
全額自己負担は流石に極端ですが、現役世代と同程度の費用負担はある意味当然かと思います。
▲1480 ▼67
=+=+=+=+=
自分の親の介護をしたことがないのだろうか。 自分の親が健在の頃に尊厳死を希望していたのに、 要介護度5になって妻や子どもを認識することができなくなっているのに 周りに心身の負担をかけ続ける生活が健全なのか。 自分の死に方くらい、自分で決めさせてほしい。 だから尊厳死の制度化を希望する。
▲9753 ▼512
=+=+=+=+=
「延命治療」と少しずれるかもしれませんが「尊厳死を望む方」や「意思が無い方」への「治療行為」を「医師の立場から手を引く提案」というのはアリだと思います。
「生が正、死が悪」とすると「生きない」が悪いことになってしまいます。ですが人間いつかは「最期」を迎えます。その時期の早晩を決める自由は有っても良いのではないでしょうか。
もしそれによって「治療費負担が減る」「治療費や医療従事者の方の負担が軽減されて、本当に必要としている人に回せる」のであれば尚更良いのかなと。
「孤独」「貧困」「回復しない絶望」を抱えたまま「治療」によって生きながらえるよりも、若い内に楽しんで「短く太く生きて自分で最期を選べる」でも良いのではないかと思います。
家族や関係者が望む以前に「自ら判断して選べる医療の自由」がもっと積極的/肯定的になれば、医療としても倫理観としても選択肢が増えるのではないでしょうか。
▲151 ▼13
=+=+=+=+=
義親が施設にしますが、連絡があり 口からほとんど食事を取らなくなり、医師から胃瘻をすすめられたが本人は嫌だという。 本人の意見は聞いたが医師の勧めの通り胃瘻の手術したほうがよいという話でした。 本人の意見を尊重して胃瘻は無しで、食事を取らないならアイスクリームなど本人画好きな物だけでも食べさせてほしいとお願いしました。 本人が胃瘻は嫌だといっても医師が勧めるし、施設の人も可哀想だからという気持ちなのでしょうが 身内からすればとにかく本人が胃瘻や手術などで延命を望んでないのならその通りにしてあげて欲しい。 私がその立場だとしても同じだし可哀想だと思って欲しくないですね。
▲4419 ▼107
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外国の病院や介護施設には、日本のように寝たきりの老人はほとんどいないそうです。理由は、治療効果のない延命治療をしない、胃瘻造設などをしないからです。また、80歳以上なら入院治療をしない国もあります。少子高齢化により、医療費の膨張が続く日本も高齢者にどのような医療を提供するかを考える時期には来ていると思います。
▲3925 ▼224
=+=+=+=+=
昔はガンは不治の病だったが今やその治療方法が発達して延命するようになった。 それ自体は喜ばしいことだがその次に出てきた病が認知症や寝たきり高齢者。 本来適切な時期に失われた命が長らえた結果 認知症や寝たきりで周囲の人を介護地獄に落としている。 平均寿命が70歳代くらいの時が日本が一番輝いていたし、命の尊厳も守られていた。 延命させるだけの医療の発展って本当に必要か。
▲3943 ▼316
=+=+=+=+=
望んでもいないのに管だらけにされて無理矢理生かされるようなことが無くなれば良いと思う。 「ただ生きてるだけ、生かされてるだけ」が果たして本当に幸せなんだろうか?
正直、ただの病院側にとっての「金のなる木」だと思う。 だから医師は一生懸命それなりの理由や屁理屈で反対する。
医療費全負担とか、そんな過激なことでなくてもいいから、意識あるなら本人の意思、無いなら介護負担のある家族の意思が尊重されるようにしてもらいたい。
どんな状態でも生きていて欲しいと願う家族がいるなら、それが心の支えなのだから支えてあげれば良いと思う。
一度延命治療が始まってしまうと、やめられないと聞いたことあるけど、そこも見直すようにしたら良いと思う。
▲2321 ▼126
=+=+=+=+=
批判を承知の上で書き込むけど、正直認知症になったり人工呼吸器(加齢による)をつけたままでなければ生きられないほど寿命が伸びた事に対して「どうなんだろ?」と疑問に思っている。 個人的には自分の意思で行動して言動を発する事ができなくなったら人生が終わったも同じだと思ってる。 それを周りに押し付けたりするつもりはもちろんないけど、もしも自分が同じような立場になったら延命になるような措置はしないでほしいなと思ってる。
▲1581 ▼52
=+=+=+=+=
父が寝たきりになりました。正直、本当に大変でした。そして何より、父自身が辛く可哀相でした。長く生きれば良いというものではありません。 どんなに高齢でも本人や周囲が望めば手術をし、延命も可能、それを少ない費用負担で行う医療は適切とは思いません。今高齢者の方は窓口負担が1割(一部2割)ですが、それは現役世代の負担によるものです。湿布を貰う為や温熱治療を受けるために毎日のように通われては困ります。相応の負担をした上でそれでも通いたいという人はそうすればいい。窓口負担を増やせば、受診控えが増えるというが、では現役世代が病院代が高いからと受診控えをしてもいいのか、という事です。生活保護者の医療費無料も異常。個人病院、医師会からの大きな反発はあるでしょうが、少子化と社会保険料の負担が膨れ上がる中、思い切った改革が必要だと思う。
▲1510 ▼102
=+=+=+=+=
延命治療は患者にも家族にも負担でしかないと思う。線引きは慎重に行われるべきだと思いますが、医師がこれ以上は治療をしないという選択をしてくれた方が家族としても気が休まると思っています。 延命治療の保険点数を極端に低く設定すれば病院としてもメリットがないので延命治療をやらなくなると思うし、もしくは延命治療は自由診療扱いにしてしまうか。 限られた財源をどのように使うかということなんですよね、未来ある若者たちや高齢者でも回復の見込みのある人を手厚くサポートする方が安心した社会になる気がします。
▲1168 ▼103
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高齢だろうが寝た切りだろうが生きる価値があり尊厳が守られるべきであることは間違いありません。ただ尊厳の守られ方が延命とも限らないと思います。こちらが認識している範囲では、病院等に入院している方の保険料って月数十万円だったと思います。尊厳を尊重するために一人の方に毎月数十万円払わなければいけないかということだと思います。高齢者がイヤなのは死ではなく痛い苦しいです。だから、一定の状態や年齢の方には保険は苦痛除去だけとして、所謂延命については保険外や高負担にする等は必要だと思います。現場レベルではすでに始まっている印象です。もっと死や医療の聖域を壊すべきです。
▲1138 ▼89
=+=+=+=+=
医療介護で長年携わっています。90近くにもなると食欲も無くなり沢山食べれない。もう勘弁して下さい。と懇願されても、長時間かけて摂取させられたり、摂取量が足りないからと栄養剤や点滴やされたり。本当に辛そうです。 嚥下機能が落ちれば家族に胃瘻の選択を迫り、その選択をする家族も多い。その選択は本人が本当に望むことなのか、胃瘻しない選択をすれば冷酷と思われるからという理由で家族が選択するケースもある。60代70代で脳梗塞になり寝たきりで意思表示も出来ず胃瘻の選択をされれば何十年も生きるというより生かされる事になる。それがその人の望む人生なのか、生きている間に本人が意思表示(マイナンバーにでも登録)をして医療を選択できれば、家族も選択を迫られた時に悩まないでいい、過剰な医療も提供されなくて済む。これから子供もいない、身寄りのない高齢者が増える。自分の最期は自分で決めれるようにしていくべきだと思う。
▲801 ▼21
=+=+=+=+=
確かに、治療を止めるタイミングの判断を第三者にされてしまうのは人道的に問題があるのかもしれませんが、本人が望まない治療を続けるのは必要ないのかなと思います。 いきなり延命治療は全額自己負担とすると、お金を持っていない人は黙って死を選べと突きつけられているようであまりにも乱暴なので、尊厳死を認めるなどから始めてもいいのかも。
▲854 ▼39
=+=+=+=+=
老人介護施設で働いてます。 今のご高齢者は年金を多く頂いてるが故に一部の家族はその年金を当てにして、延命させてるいるというのもすごく感じる時が正直あります。 自分も家族も絶対、胃瘻なんてしたくないし、させたく無いです。 まだ、お若くて、ご自身の意思もある方ならいいですが、本当に生き地獄のような光景で、ご本人もお辛そうで見ていて胸が締め付けられます。 社会保障の財源が無いと言うならば、このような医療は人権無視に近いように思う日々なので、自己負担で構わないと賛成です。
▲751 ▼50
=+=+=+=+=
延命治療は一旦始めたら止められないから。 全額自己負担になったとして、回復の見込みがないことがはっきりしても、やはり延命治療をやめさせてもらえないとすると、費用はどうなるんだろう? 借金がかさみながら、早くお迎えが来ますようにと日々念じることになるのだろうか? 自己負担になれば、寝たきり大黒柱の問題は解決するかもしれない。その意味においては、有意義。
▲597 ▼42
=+=+=+=+=
高齢者施設勤務ですが、家族がいない、身寄りの無くご本人も認知症等で意思表示できない。 そういった方には公費を湯水のように使い亡くならないためにできる限りの事をするしかありません。 後見人さんも看取りなどの決断はできません。 文字通りひたすら「生かされる」実際にそういった現場を見て言ってほしいです。
「生きる価値がない」なんて言っていません。年齢を経て色々と衰えて亡くなることは自然なことだと受け入れることも大切だと思います。
▲424 ▼21
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基本的に本人の意志でしょう 病気で意識がない状態や認知症で判断できない場合に備えて、事前に意志を確認しておく必要があります 年金を受け取るために、本人の意志に反して家族が延命させているのは最悪です あくまで選択肢を増やすという意味で議論を避けるものではないと思います
私は氷河期世代で、老後の年金も期待できないし、自分で充分な資金を準備することも難しい これから人口が減っていき社会保険の負担がますます増えることや介護サービスの低下も確定的でしょう 自分の力不足のために子どもに大きな負担を与えることは本当にツラい 自力で生活出来なくなったときの選択肢が欲しいです
もちろん、少しでも良い社会を残すための努力はしますけど
▲506 ▼35
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医療現場で日々お世話している身としては回復の可能性が極めて低い本人や家族にとって呼吸器&胃瘻の選択がいいものとは思えません。寝たきりになると床ずれが発生したり、肺炎のリスクも上がり30分吸引しないだけで痰の海に溺れる方も。 食べる喜びも話す喜びもできない中、ただ生きているだけ。長い場合、10年以上生きる方も。 それでも、大切な人がこの世に居なくなる現実に直面すると胃瘻を選ぶご家族が多いんですよね。家で看取るのは肉体的、精神的に大変。病院は医療提供を望まない患者さんでは点数がつかないため赤字で受け入れしたくない。国は終末期の定義を明確にして胃瘻や呼吸器の代わりに看取り医療に力を入れる方がいいと思います。
▲457 ▼10
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経管栄養と言って胃に穴をあけて ダイレクトに栄養をいれる延命治療がありまして そこで働いていた感想としては 目だけ動かせる患者さんがいて 生きたいという意志ともう殺してくれという意志を感じた事がある。 植物状態の患者さんの場合家族がまめに来て面倒みている。 お別れする心の準備なのだと思いました。 問題は長期化だと思います。 植物状態から10年くらいは普通に生きます。 栄養と蘇生の技術が素晴らしので もし全額負担となると月60万円必要になります。 延命治療はほぼなくなるでしょうね
▲347 ▼7
=+=+=+=+=
とにかく今働いて税金を納めている人々をファーストとすべきだと思う。 終末期長期型病院の患者さんの多くは、超と言ってもよいほどの高齢者さんが多くいらっしゃる、今までに自分が納めた税金保険をすでに大きく上回っているその老齢年金は家族の手に、一方の病院は国からの補助金で潤うから、多くの患者さんがスパゲッティ状態。そして満床を続けて待ち人が多くなってくると、現在入院されてる人々の調整に入る。しかるに永遠に満室が続きます。こんな矛盾を短期型病院の若い医療関係者はみんな知っている、国民の大事な税金は、もっと若い患者さんに注ぎ込まなければ、日本の将来は無いと。
▲832 ▼158
=+=+=+=+=
もし自分が寝たきりになった場合に管を繋いでまで、身内に負担をかけながら延命したいとは思いません。できれば自然なかたちで最期を迎えたいと考えています。また、「尊厳死」という選択肢も、これからの時代には必要なものだと思います。
もちろん、命はかけがえのないものであり、尊重されるべき存在であることは言うまでもありませんが、現実的に医療費の問題についても見直す必要が生じてきているのではないでしょうか。
現在、65歳以上の高齢者が国民医療費の約6割を占めており、今後さらに高齢者の割合が増えていくことは確実です。このまま延命治療が増え続けていけば、現役世代が支える保険制度にも限界が訪れるのは、目に見えています。
命の尊厳と医療の持続可能性の両立について、社会全体で冷静に向き合う時期に来ているのではないかと思います。
▲304 ▼20
=+=+=+=+=
79歳で亡くなった母親がステージ3の肺腺癌でした。 喀血した場合、呼吸器を付ければ延命できるが本人の意思表示はできなくなり植物状態になると言われましたので、主治医には延命治療をしなくて良いと事前に伝えておきました。 その後、大量喀血の知らせで病院に向かいましたが、私が到着するまで心臓マッサージだけはしてくれていました。 私が到着して間もなく母は息を引き取りましたが、寂しさとともに「これで良かったんだ。母も良いと言ってくれるはずだ」と納得する自分がいました。
医療技術の進展で「生かす技術」はあるものの、そこに患者の意思や尊厳はないと思います。この問題は国会で議論する必要があると思うので、私は参政党の意見を支持します。
▲558 ▼83
=+=+=+=+=
問題提起したのは、大事な事だ。多くの人が、社会保険料の異常な高騰に問題を感じていた。高齢の人の終末医療で社会保険から1年程で数千万円出ている人もいるという記事も見た。80歳を超えてそんなに医療費かけて、意味あるか?と不思議に感じる。アメリカとかだったら、莫大な医療費かかるからもういいと言う人が多いらしい。生きて元気に生きている人の負担を減らして、もう亡くなる人に最低限の医療に切る変える勇気も必要。 日本の長寿は、作られた終末医療に支えられてると思う。
▲293 ▼13
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昔IT目線でコンサル的なことをやる仕事をやっていた。 その中で医療や保険、老人介護施設関連の仕事をやったが、当然業務に詳しくないとできないので、そういう職場に常駐して、いろいろな立場でお金の流れも含めてみてきた。 お金儲けがどうこう言うつもりは全くないけど、実際に国民が支払う金と実際に支払っている金は全然違うからね。一定の金額を超えたらもう負担しなくていいようなものもいくつかある。なので場合によっては毎月現役世代の何十人分の健康保険が使われるようなこともある。
今ごまかしてぎりぎり運用できているけど、10年後、20年後は今の制度は絶対に無理だよ。外国人がふえようがね。(かえってマイナスになる可能性すらある)それを言わないのはお年寄の票目当て
そもそも”生きる価値がない”なんて一言も言っていない。犯罪をする外国人が~といっても全ての外国人と置き換えたりしてストローマン論法が酷すぎる。
▲452 ▼53
=+=+=+=+=
海外では過剰な医療で延命は行いません。つまり寝た切りにはせず、その時を持って医師が神の御下に旅立つ時と判断しているからです。いくら綺麗事を言っても、可哀想だと思っても過剰な延命治療は御本人も医療、介護関係者にも良くないですしこれからどんどん後期高齢化していく社会に歯止めをかける為にも延命治療は終わらせるべきです。
▲360 ▼26
=+=+=+=+=
介護士として何人もの方をお見送りしてきました。 90代でも朝昼夕沢山の薬を飲んでいる方ばかり。食事が食べれなくなったら栄養剤、それも飲めなくなって点滴+酸素。当然良い状態ではなく、寝たきり、意識朦朧。その状態で生かされるより、食べれなくなった時にそのまま自然に任せて最期を迎える方が本人にとって穏やかな最期で幸せなのでは思う時があります。人が亡くなるのは自然の摂理。90過ぎたらオペはしない、服薬も徐々に減らしていってその人の自然な状態で最期を迎えられたらと思います。
▲96 ▼1
=+=+=+=+=
自分に置き換えて考えてみる 80歳を超えて寝たきりになり、回復の見込みもなく病院の天井を見てるか意識も白濁しつつ、体のどこか痛みがあったり呼吸しずらかったりという状況で生きながらえたいと現時点で思わない それに伴い子供や若い世代に負担をかけるとわかっているから余計に、治癒や退院の見込みが無いのなら尊厳死を認める方向もあって欲しいように思う
▲151 ▼5
=+=+=+=+=
「弱者救済」というフレーズがある時に「自己責任論」をこの公約を掲げる政党なら、そのような社会常識や国家統制を望んでいるのだと思います。 政府が「自己責任論」を政策に持ち込んだ場合にはあらゆることに際限なく影響します。 延命治療も尊厳死も本人や決定権者が自由に選べるならば良いのですが、国側が政策として「延命治療を自己負担にします」と実施した場合、どこからが延命治療なのかということも含めて、医師の判断や本人の意思がきちんと反映される政策なら良いと思います。 ただ、これをきっかけに医療に対して自己責任論が濃くなると「身体の自由の利かない人も同じでは?」とか「人の命も含めて無駄は全て断捨離する」というような「延命治療患者=死者」という単調な常識が社会に蔓延し、そのような人達と社会が乖離してしまう危険性もはらんでいると感じます。 あくまでも「本人の命は本人の意思」が通用する社会を目指してほしいです。
▲499 ▼135
=+=+=+=+=
安楽死や尊厳死の制度を取り入れるべき。こういった議論はタブーとされる風潮がおかしい。結局、病院側が儲かる仕組みなのでは?だから制度に手をつけようしないとも思える。財源の確保はこうした税金の使い方を精算して現役の納税している世代や子育て世代に税金を使うべきだと思う。寝たきりで、自分が誰だかわからないような状態や自分1人で日常生活を送れないような要介護状態になったり苦痛を伴うよであれば、尊厳死で穏やかに最期を迎えたい。
▲147 ▼11
=+=+=+=+=
医療従事者ですが、私の母も癌で闘病していたことがあります。 もう亡くなりましたが、生前は癌による痛みや治療による苦痛で早く楽になりたいと言っていました。それでも生きていて欲しいと当時の私は願いましたが、闘病している本人は想像を絶する苦痛なのだと思います。 また、仕事柄、意識もなく身体の動かせない患者さんにご家族の希望で人工呼吸器やら経腸栄養・中心静脈栄養やらで延命措置が施されている何人もの患者さんを目の当たりにしてきました。 このような現場を体験していると人間の尊厳とは何か?自分だったらどうして欲しいか?と考えさせられます。 命の選別と頭ごなしに否定される方々は、一度、もしも自分がそうなったら、意識も何もない状態で生き続けたいかとご自身に問うていただきたい。
▲21 ▼2
=+=+=+=+=
両親をガンで亡くしたが、共に自宅で過ごしたいという希望があったので、手術や積極的な治療ができなくなってからは在宅で緩和ケアを受けながら家族と最期まで過ごすことができた。 亡くなる前日まで少し会話ができて家族みんなに囲まれて、強い痛みがありながらも薬で和らいだのか最期に穏やかな表情を見せてくれた時は、これでよかったのだなと思うことができた。 人生最後の締めくくりが辛いものにならないように治療をすることには賛成だが、尊厳を無視した長く辛い治療には反対だ。 不妊治療や妊娠出産が自費なのだから、患者本人の尊厳を無視した延命治療も自費でいいと思う。
▲119 ▼7
=+=+=+=+=
延命治療の全額自己負担化は極論と思えるが、はじめの一歩として、高額療養費制度は85歳なり90歳なりを上限にすることを検討したら良いと思う
その年齢以上のほとんどの方は高額療養費制度が無くなっても、自己負担1割ですので、大きな社会保障費の減額につながるかどうかはわかりませんが、少なくとも医師や高齢者の家族に、大きな手術、多量の検査・薬品等について考える機会にはなると思う
▲29 ▼5
=+=+=+=+=
俺もうちの親父がなくなる前に担当医師から延命治療希望されますかと聞かれたの。齢80を越えて体力も落ちていたし、点滴のチューブに繋がれてる姿が痛々しかったよ。なので延命治療しなくて良いですと医師に話したよ。人間も年取るともう見てられないわ。姉夫婦も俺の意見に賛成してくれたからほっとしたよ。これとは別にいとこのおばさんが要介護5になり長男の息子が介護やってて大変だったみたい。スタッフの手を煩わせるようでは尊厳死もありだなと思ったよ。勿論、俺も延命治療希望しないよ。
▲70 ▼2
=+=+=+=+=
認知症の親がいます。 身体は問題なく医療は全くかかっていない。自宅で家族と一緒になら家事を手伝えるレベルです。 けれども介護サービス利用すると施設では厄介者扱いで薬を飲ませて寝たきりにしてほしいと言われたことがあります。(こういうことを言うのも倫理的にどうなのかと思います) 寝たきりになってすぐに心臓が止まればみなさんの期待に添えますが、そういかない場合はそれこそ、今度は心臓を止める薬を飲ませろとなるのか?と家族で怖くなりました。介護職の方々にとっても寝たきりの介護は身体的に大変なお仕事になって、それこそなり手ももっといなくなるのではないかと。
でなければ国が薦める認知症予防体操とか、意味がなくなります。身体元気でどうするの?と。診断が下りたとたん、今度は動けなくなるような方向へ持っていくのでしょうか?いま健常な私たちも常に認知症になることに怯えなければいけない社会になるのでしょうか?
▲36 ▼7
=+=+=+=+=
医師として、現在は訪問診療の現場にも出ています。 私も所謂延命治療には反対ですし、患者、家族に説明する時も、こちらからそれを勧めることはありません。 ただ、記事にもある通り、では延命治療とは何か?と言われると、今でも答えに迷います。基本的には自分で経口摂取出来なり、経管栄養や点滴に頼らざるを得ない状況を指すことが多いと思いますが、中にはそういう状況でも、それなりに認知能力は保たれ生きることを望まれる方もいますし、逆に認知能力低下により食事はしないけど、体は元気という方もいます。それに、そのご家族でも、ここまでなったらもう自然に任せるという考えの人もいれば、「まだ生きてるじゃないか。何もしないのは医師の怠慢、傲慢ではないか」と言われる方もいます。 “延命治療に保険は使わない” この言葉だけ見れば賛成なんですが、実際の運営は非常に難しいと思います。
▲40 ▼0
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私もこの医師と同意見です。
>“いかなる治療をおこなっても回復が困難で、数週間から数か月以内で死に至る不可逆的な状態であると複数の医療関係者によって慎重に判断されたもの”と解釈されようが、明確な「診断基準」はない。
終末期に明確な診断基準はなくとも、医療現場で間近でみていて、もう天命尽きている人は肌感覚で分かるけど、老衰で全く食べられない、末梢点滴も血管がなくてとれない、とか癌が全身に転移して多臓器不全の状態とか、そういう方に対して、フルコースで蘇生を希望する家族というのは非常に稀だし(ただし、本人の利益に反する形で熱心で理解力の悪い家族は確かにいる)、蘇生したところで心拍が再開しない、したとしても数時間で止まる、ということも多いです。 交通外傷だとか、突然の心肺停止後の脳のダメージからの遷延性意識障害のように、そこから何年も何十年も生きる可能性があるわけでは決してない。
▲260 ▼82
=+=+=+=+=
線引はできますよ。記事の見解は一つの卓見ではあるが、あるラインで医師が見極めて指示可能である点を見落としてる感じがあります。 焦点は記事の急性期でなく、在宅や施設のご高齢のほうで考えると、明らかに過剰、重度すぎると思われる人は案外沢山いるのです。 これは訪問や施設の現場を見ないと実感できないと思うが、医師、看護師、介護士なら熟知してるポイントですね どう見ても訪問や施設では無理があるのに、家族の要望などで後期ご高齢の重度ケアを続けているわけです。 この点、終末期加算、看取り加算もあるとは言え、単純に経営面で見ると長く続けたほうが良いから、事業者も続ける。 こういうことは欧米では基本的に無いとよく聞きます。日本も見直しは必要だと思っています。
▲69 ▼15
=+=+=+=+=
母が亡くなる直前、先生から今後の話をされた時、延命治療するかしないか聞かれました。私はしないと選択しましたが、延命治療は遠くに住んでて中々来られない家族だったり患者さん又はご家族さんの希望のみ延命治療が実施されます。一度延命治療が開始されるのと延命装置を外す事は出来ないと先生から説明受けました。医師の判断で外すと罪になるそうです。判断が難しいですよね。 私個人的には自然に任せたほうが患者、家族共に楽なんじゃないかなと思います。自然死するまで延命治療を続けるのはお金もかかる。自己負担でと言うのは残酷かも知れませんが難しいですよね。
▲15 ▼0
=+=+=+=+=
自分は都内の病院で5年前に手術した際に、同意書の中に「回復の見込みが無くても延命措置を希望しますか。」との質問欄に、「いいえ」と答えましたね。その答えを出したのは、自分自身もそこまでして延命されるのは非常に苦痛であり、家族の負担も考えたからです。それに、救急医療の現場にはトリアージがありますが、それを医療保険に対してフィードバックして考えれば、医学的に見てもはや回復の見込みがない患者に対して只でさえひっ迫している貴重な医療保険を、そこに費やしてよいものか?という考えも私はアリだと思います。この問題については命の尊厳も含め、色々な意見をテーブルに乗せて議論すべきものですが、回復の見込みがないものに対する治療費の問題については、参政党が提起しなくても避けて通れる問題ではないと思います。
▲61 ▼6
=+=+=+=+=
亡き母は3度の背骨の圧迫骨折をして心臓病も患ってしまった。2度目の圧迫骨折をした時に「こんなに痛みに苦しみながら生きるならば死んでしまいたい」と弱音を吐いたことがある。日本は長寿国と言われるけど、健康でもないのに長生きをしてこれって本人にとって幸せなのかと感じてしまう。年を取ると自分でごはんが食べられて自分でトイレに行くことができることが幸せと言われる。でも、それができないで寝たきり生活をして痛みや苦しみに耐えて生きてることが果たして幸せなのだろうか?
▲171 ▼8
=+=+=+=+=
高齢化社会になり、綺麗事、他人事でないから、やっと議題にあげたことに意義があります。法改正がいくつか発生するとは思いますが、少しずつでも進めるべきことでしょう。 いざ家族がそうなると、なぜか自分の家族はなるとは思っていないから、うろたえるし、判断できません。延命治療とはなんぞやということをもっと知らせることが必要ではないか。お金だけではなく、本人の負担があるとは、聞いたことがあるが、具体的にどれだけどうなのかわからない。これだけ葬儀屋のコマーシャルを毎日見させられるのだから、延命治療にもう少し光を当ててもいいと思います。
▲625 ▼40
=+=+=+=+=
生存期がどこからかという定義が難しいことは理解したが、その判断は結局のところ本人が決めるしかないのでは?
筆者の主張は無駄な延命治療の廃止の公約が「高齢者にたいする医療そのものが無駄」と読み取れるとしているが、必要な延命治療というものもまた定義が難しく、本人がその線引きをするしかないのではと思う。
終活の一つとして寝たきりで会話もできなくなる前にその意思表示をしておくことが広まれば、本人の意思を尊重し、全体としては延命治療による社会保障負担を減らすことにもつながるのでは。
▲41 ▼5
=+=+=+=+=
生きる価値というより、生きているというのか?ということが重要です。 意識状態もはっきりせず、ベッド上で全介助の状態で、口から食事も取れない。そんな状態の経管栄養や点滴というのは必要があるのでしょうか?いまは医師側も訴訟リスクから、胃ろうや中心静脈栄養などを提案するが、それを行わなくても良い、自費ですとなれば世の中は変わります。決めかねている家族の中には助かる家族もいると思います。さらにこれであれば、対象患者の定義がしっかりできるはずです。
▲99 ▼6
=+=+=+=+=
私の認知症の父親は、嚥下障害から食べ物を飲み込めなくなってしまったが、胃ろうは断って水分のみの点滴にしてもらった。最後は体の栄養を全て使い切って苦しむ事も無くスゥッと旅立った。 人はその時が近づくと、体が苦しまないで逝くように準備をし始めるという。それを無理やり生かされて長い間苦しむのは賛成出来ない。 しかし本人よりも、何とか助けたい家族の思いがあるから中々そうはならないのではないだろうか。
▲98 ▼2
=+=+=+=+=
延命治療に関係する職場勤務で携わっています。 本人の意思がはっきりしているうちに確認が取れていない家族が多いです。 結果できることは全部やってください!なんて家族も大勢います。 声掛けや手を握っても反応もなく、胃瘻や中心静脈栄養などでかろうじて命をつないでいる状態。 自分は家族の自己満足、エゴにしか見えない。挙句にはペットみたくなってしまい、これ着せてくださいと病衣以外のフリフリパジャマやキャラクターパジャマ、経口摂取なんてできないのにこれっ食べさせてくださいなど、とんでも家族もいます。 やんわり指摘すれば逆切れするし、少子かも大切かも知れませんが、高齢者医療についての説明も大切かと思います。
▲20 ▼0
=+=+=+=+=
年齢的にも呼吸循環器系の余力からも余命が週単位と判断された意識不明、高齢の患者さんに、せめて点滴を続けて、という家族が居たが、点滴で浮腫状態が悪化し、呼吸はより苦しくなるので、天国に行く前に苦行を押しつけるようなものですよ、と説明したら納得され、点滴を徐々に減らしていったところ、自然に木が枯れるように亡くなった。どなたかも書いているが、延命治療が誰の為にあるのか、周りが手を尽くすという義務感や、尽くしたという満足感を得るためだけで、患者本人に対してそれが本当に愛護的なのかどうか考える必要があると思う。死の直前まで、意識があろうとなかろうと、出来るだけ穏やかで幸せな気分で居られるよう努力することのほうが、数日、数週間の無理な延命より重要ではないかと考える。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
その場合は尊厳死も同時に進めて必要がある。寝たきりも容体にグラデーションがあるから線は引きは難しいと思う。寝たきりでも会話ができたりすることもあるだろうし目も動かしたりで意識を表現できるケースもあるだろう他にも色々とあるだろうし。ただ本当の寝たきり人工呼吸器でつなぎ止めるなどは本人も家族もお辛いでしょうから選択肢があるのは平和だと思う。
▲46 ▼5
=+=+=+=+=
全額はともかく公金だからと制限なく延々と延命するのはやめるべきかな。 3年を過ぎたら3〜5割負担として継続するかを親族に問うとかは必要かと。 生活保護受給者は親族いなければどうするか事前に決めておかないとですね。
現場ではその度にストレスだし、親族も命を終わらせる判断をしなければならないけど継続することで数千万円以上のコストを要するのだから専用の人員を持ち出してもいい。
▲0 ▼2
=+=+=+=+=
私は医療に関わっています。実際に高齢であり、自分が誰かもわからない話すこともできない、体は拘縮し、動くことすらできず食べることすらできない、食事は胃瘻から直接入れられ、褥瘡のリスクは高く介助もかなり大変でずっと寝たきり。普通なら絶対に死んでいるだろうと思える人がずっと長く生かされている現状にとても疑問に感じます。自分だったらこんなになってまで生きたいと思わない。家族によっては年金が入るからと延命治療を望むところもある。このような方が多くいる現状であれば、医療費や年金もかかる。職員の人件費など1人に対してどれほどの費用が掛かるのだろうと恐ろしく思う事がある。イギリスは尊厳死を認めるようになり、年間だったか、160億円もの医療費が削減されたと最近の記事で見ました。日本は長寿の国とよく聞くけど、いいことでは全くないと思いました。友人に若く癌の方がいます。本当に必要な方に医療費が届いてほしいです。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
判断の線引きが難しいのは確かだと思う。でも、父方、母方の祖父母が胃瘻の末、数カ月後に息を引き取ったのを見ると、何のために腹に穴開けてまで生き長らえたのか。本人は意識も朦朧として寝てるのか起きてるのか、こちらの意思も通じてるのかもわからない状態で果たして安らかな最期だったのかと孫の私は強く思った。胃瘻の話が出た段階で親にはやめてあげろと言ったが、やはり自分の父母となるとそこら辺は難しいのかも知れないが、だからこそ法整備して尊厳死を選択肢の一つとして選べる状態にするべきだと思う。
▲42 ▼3
=+=+=+=+=
確かにこういう考え方をすると、ALSなど進行性疾患のかたの呼吸器も「終末期」と同義に捉えられてしまうかもしれません。延命治療の自己負担も安楽死も、かなり慎重に議論すべきで、政治家が勝手に決めることではなく、当事者や家族、それに医療現場の医師やスタッフの意見を十分に聞くべきと思います。
▲15 ▼2
=+=+=+=+=
どこからが延命なのか、まずは明確な線引きが必要です。 私は年老いて水分・食事が摂れなくなっているのに点滴されるなんて絶対に嫌ですし、さも当然かのように透析やペースメーカーを勧められるのも絶対に嫌です。 延命の自由はあっても良いと思いますが、その大部分を公費で賄うのは反対です。
▲258 ▼19
=+=+=+=+=
患者が治療拒否して結果的に患者が死亡したときでも、医師にはその責任が発生する場合がある。 だからこそ、医師は延命治療から逃れられない。
少なくともこの件についての法律とガイドラインの整備と、一定の要件を設定して医師の責任を免除する措置は必要だと思う。
尊厳死についても法整備してほしい。
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
父が高齢で胃ろうになりました。誤嚥からの肺炎を良く起こし,医師から勧められました。 食べることが大好きだった父なので,母は最後まで他の道はないかと医師と相談しましたが,最後は医師から従わないなら他の病院に行ってくださいと言われ,従いました。 確かに肺炎は起こさなくなり,白髪だった髪は黒くなりました。胃ろう食は栄養バランスが良いのでしょうね。 しかし食べるという人間の欲求を奪ってしまってまで良いのかと思いました。 病院の事情もわかります。肺炎で何回も入院されては大変ですからね。延命治療の問題は人によってそれぞれなので難しいですね。
▲13 ▼4
=+=+=+=+=
余計な治療はせずに段々と食欲がなくなり意識も薄れ苦しみもなく枯れるように亡くなる…のが理想ですけれども、全員がそんな幸せな死を迎えられるわけじゃないですもんね。治療をやめたらしばらく壮絶に苦しんでから亡くなる方も多いわけで。 苦しんでいるからとりあえず目の前の苦痛を取り除いてあげたい、と色々やり続けて結果が延命になってしまったりします。 突然今の日本で安楽死をとは言いませんが、もっと緩和ケアの充実をお願いしたいです。
▲32 ▼1
=+=+=+=+=
一定の歯止めは必要。この医療費は異常です。 そもそも高齢者自身は生きたいと思ってるのか? その視点がまずない。ベッドで1日縛られ、胃ろう、吸引、点滴、オムツ交換.. 医師や家族の思いだけで生かされているだけ。 私の祖母も家族の意向で胃ろうしたが、本人の希望ではなかった。痰吸引で苦しむ姿を見ていて辛かったし、私はそうなりたくないと思いました。 本人がどうしても生きたいと望めば必要ですが、元気なうちに家族間で話し合いをした方がいいと思います。
▲115 ▼4
=+=+=+=+=
第三者が延命措置とか自己負担とか決めようとするから姥捨てとか言っておかしくなる。一定年齢になったら本人の意思表示を徹底させて、ヨーロッパやアメリカのように、意思表示してる場合は胃ろうはしないとか、人工呼吸器つけないとか、その決断に従うようにしてれば、時間はかかるが、患者の意識も変わっていくし、寝たきり老人も減る。確か北欧では90年代に国の施策で始めて、今は寝たきりの老人があまりいないと聞いた。今は本人意識無くて家族の希望で胃ろうにするとか人工呼吸器つけるとかの判断がされることが多い。とりあえず生かすということだけを正とすればいいという考え方自体、変えていく必要あると思う。
▲27 ▼2
=+=+=+=+=
私は意識が無い状態での延命治療は一切無用だと、親からいつも聞かされてきた。おそらくそれは人としてのプライドの問題だと思う。たくさん管に繋がれて身動きの取れない格好なんて見られなくないと言っていた。親はまだまだ元気だが、子供としても、きれいな姿のまま生涯を全うさせてあげたいという気持ちがある。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
色々な考え方があるのを承知で個人的見解で言えば、延命治療は特殊な状況でもなければする必要があるのか疑問です。
「奇跡的回復」を望む気持ちは理解はできますが、「奇跡」を願わねばならない状況であれば、個を活かすよりも全体を活かす方向に考える方が健全だと思う。
生きる価値は「ただ命がある」ということではないはず。 個人が、自分らしく人生を送ることが生きる価値ではないでしょうか。 そう思えば、本人の意識がない延命治療は果たして自分らしく人生を生きていといえるのか。
▲8 ▼0
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高齢者福祉施設の看護師です 利用者様は、100歳越えが何人もいます 問題は、介護には物凄い人手とお金がかかります そして、家族も、確かに迷うんです 管に繋がれた、場合によっては拘束もされかねない余生を、実親に送って欲しいと心の底から思うわけではありません けれど、生き死にの判断を問われたら、ノーと言うのはかなり負担ですよね せめて、家族ではなく、本人に延命希望を確認するべきです もし、認知症で確認がとれないならば、それは家族の思いだけで延命するのはそろそろ限界ですよね その場で対応した医師が、これでいいんです、十分生き抜きました、無理な抗いはやめ、このまま尊厳を持って送り出してあげましょう、そう説明してあげて欲しいです
▲20 ▼2
=+=+=+=+=
自分で食べられなくなったら、徐々に弱って死を迎える、というのが苦しむ時間が少なくていいと思う。 家族の視点に立つと、寝たきりでもいいから生きていてほしい、となるけど、自分事なら嫌だ。そういう感覚の人が多いんじゃないかな。 家族に選択させると延命を選んでしまう。そうやって本人は苦しみ、長期化すれば家族も介護で苦しむ…法律で延命しないことが明言されていれば、本人も家族も幸せだと思うけど。
▲9 ▼0
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介護士をやっていた者です。 始めた頃はなんの疑問もなく 自己で動けない方を介助していました。 8年ぐらい経った辺りから 身体が固まって胃ろうで栄養とって 生きている方に対して 「この人達は何のために 生きているのだろうか?」 「これはこの方が望んだ生き方なのだろうか?」 と疑問を持つ様になりました。 日本の医療、介護はもうパンク寸前? もうパンクしているのかもしれません。 となると命の選別はしていかないとならないと 思います。 尊厳死あってもいいと思います。 まだ助かる命の為に。
薄いコメントですいません。
▲7 ▼2
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医療費増大・社会保険料増大の問題がある以上、何度でも提起して見直す議論が必要と思う。 色々な立場・視点の意見があると思うけど、お金がないと何もできないし、借金してまで行うのか、医療は聖域として取捨選択しなくてもいいのか、という視点もあると思う。 借金して行うという事は、選挙権のない子供や赤ちゃん・将来の子供に負担させる事にもなるので、 選挙権がある人間が何度でも議論すべきと思う。
▲31 ▼3
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生きる価値がない とは言わないが、そこまでして生きたいという本人の意志が認知がしっかりしていた時にあり、それだけの金銭的余裕があるなら、自己負担ですれば良い。改善の当てのない延命治療は、年齢関係なく全額自己負担とか、延命治療を辞める事を殺人とかにしない事(明確なルール等必要ですが)も考えていくべきです。 健康に活動出来ている人、少なくとも自分の意思で活動が出来ている人のための医療であるべきです。治す場所という、根本に帰るべきです。死をただ先延ばしする場所ではない。
▲20 ▼2
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各候補に対して、オールドメディアがあの手この手で寄ってたかって足を引っ張ろうとしていますが、現状ではそのすべてをSNSやネットの力によって跳ね返しているように見受けられます。 もっとも、あまりにネットに頼りすぎるのもまた、別のリスクを孕んでいる点には注意が必要です。
▲627 ▼176
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その終末期患者を金銭面を含めてどの立場の方が面倒を見るかで、負担率を変えたらどうでしょうか?子が親の面倒を見る場合は全額自己負担、親が子の面倒を見るなら、現在通り。親は子に金銭負担を強いてでも生きながらえたいと思う事は無い場合の方が多いでしょうし、子の面倒を見る親の気持ちは理解が得られやすいのでは無いかと。子と親の区別だけではない場合もあると思うし色々意見はあると思いますがどこかで線引きが必要では無いかと思います。
▲4 ▼4
=+=+=+=+=
日本は世界各国に比べて高齢者へ医療費を使い過ぎているのは事実。各国に比べてやたらと高齢者が病院へ行き多量の薬を処方されてる。 80歳も過ぎたら充分でしょ。不妊治療の保険適用に年齢制限があるように、高齢者への医療費公費負担も制限を掛けたほうがいい。高齢者へ湯水のごとく金を使うより、子育て世代や子供たち、子供が1人でも多く産まれるよう金を使うべき
▲70 ▼4
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頭がしっかりしているなら寝たきりだろうが支援するべき。認知症でもある程度意思疎通できるなら切り捨てることは難しいだろう。意思疎通がほぼできないなら自費でというあたりが落とし所では。とはいえ医療保険にも限度があるし基準は見直す必要が出てくるのでは
▲9 ▼2
=+=+=+=+=
大学の通信教育でターミナルケアの科目を受講したのだけど、内臓機能の回復が見込めない状態での胃瘻などの不必要な延命をしない方が、エンドルフィンなどの脳内麻薬の作用で苦痛を感じずに旅立てることが分かっているそう。
医師が何か手を打ったような魚拓を作る風習のせいなのかも知れないけど、医療現場でも少しずつ改善がなされているようなので、言葉を選びつつ政治からも働きかけはしてもいいかもね。
▲32 ▼1
=+=+=+=+=
動物本来の自然に戻すべき。医師が不自然な事をしすぎて、現役世代の負担が増大し出生数が下がっている。
生きる価値なんてものは人間の主観にすぎないから様々な解釈が存在するだろうけど、人為的な不自然な事をすれば、出生数の低下という歪みが出てくる。
これほど高齢者が存在する生物はどう見ても反自然の存在だろう。
地球温暖化問題では人類の活動を抑制しようとするのに、何故高齢化問題では、人為的な医療活動を抑制しようとしないのか。
共に、人類種の存続にとって脅威だろうに。
▲313 ▼79
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父親が認知症で嚥下が難しくなった時、私は点滴を選んだ。 救急外来で30年近く患者さんから学んだ事、食事の自力摂取の可能性が有るならば、経管栄養も胃ろうも良いだろう。 又高齢者でもさっきまでADLフルで倒れたなら可能性はまだある、が寝たきり高齢者は残念ながら無い、それならば自然が1番です。 点滴を徐々に絞り、嚥下の専門家のお楽しみご飯それが1番穏やかに看取りが出来る道です。 反対の人は自分が鼻から胃まで管を24時間突っ込まれて何日か過ごせば良い、あなた達が言ってる事、希望している事がどんなに辛いか体験すればいい。 私はこの意見を読んで参政党に入れた。 今迄誰も踏み込まなかった大きな問題、嘲笑う人は自分がその身になった時、物も言えず手も拘束され寝たきりで過ごせば良い、私は嫌だ。
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
人は必ず寿命がきます。 何が何でも生きがえさせた結果、認知症や寝たきりが増え、家計が圧迫。家族も仕事を辞めてでも介護しなけらばならなくなった。 食べなくなったらそれはもう身体が欲してないという事。自然の原理です。 亡くなるという事がマイナスなイメージばかりだが、天寿を全うし、天国に行かれる。本当にお疲れ様でした。と見送ってあげれる世の中になれば良いなと思います。
▲53 ▼1
=+=+=+=+=
この記事の内容は半分当たっている。いわゆる胃瘻・呼吸器だけの「延命治療」を線引きしたところで解決にはならない。 むしろ認知機能・ADLが落ち切った高齢者が急変したときに全力投球で手術もします、本人やる気ないけどリハビリもやります、DNRは「かわいそう」なのでまた急変したときはフルコードで対応してください、でも家では介護が大変なのでみれません、という主張が平然とまかり通ることのほうをなんとかしたほうが良い。
▲30 ▼2
=+=+=+=+=
尊厳死の制度化には賛成する。母は80歳まで一人暮らしで、尊厳死協会に入っていて、その気持ちは聞いていた。数年後認知症を発生し同居になったが、病状が進み最後は施設となった。末期には物を言うこともなく表情もなくなった。危篤になり、病院で医師に、母が残した手紙を見せた。延命治療を拒否する内容であった。遺族の気持ちも考慮され、苦しさを取り除く医療だけしてもらった。ベツトで死に際を子供たちに見せて逝った。死は恐ろしくないと諭すかのような見事な最期であった。参考にするつもりだ。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
一部保険(日額幾らとか)や年金などの関係で見にも来ないけど死なせるなと言ってくるような家族もいるけど、状態について理解が追いつかず、結果延命治療になってしまうケースはある。ただ、その場合は理解が追いついたら治療撤退を選択するご家族も多い。 無期限の延命治療はどうかと思うが、家族の心の整理がつくまでのしばしの時間まで奪うべきは議論が必要だと思う。
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
命に関することは人生観でもあるので、本人の意志を尊重するのが一番。自分の意思表示ができなくなった方は自然に任せる事が良いかもしれない。 生物学的に生きている状態を保持するだけの行為は治療行為とは別物だと思う。自由診療のカテゴリーにして、自己負担とするというのはありだと思う。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
この話は老人に限った話では無いですよね、余命宣告されて死に向かっている癌や難病が進行して緩和ケア入りした人、自発呼吸が出来なくなった人達もある意味延命医療と言えるのではないですか?このような境遇の方々も自己負担になるのでしょうか。大変デリケートな話だと思うので慎重に進めて欲しいです。
▲14 ▼0
=+=+=+=+=
現代は若い時から健康管理が徹底され、病気も治る者が増えてきた。戦争もない。だから長寿命化するのは必然。なので今の高齢者だけの話ではなく、今の若者世代が高齢者になったときにどう命を終わらせるかという問題でもある。その非常に倫理的にも医学的にも複雑な問題を簡単な延命の全額自己負担化という社会保障費の負担問題にしてしまうのは違うと思う。自分個人は排泄を自身で自由に出来なくなったら命を終えてもいいと思っているが、現在、未来の高齢化の中で一人一人の生きる意味や尊厳を、どう自身で意思決定するか、あるいは意思決定支援するか、その議論が必要ということで、社会保障費、医療費の問題ではないということ。社会保障費を持ち出すと、今の高齢者に対する医療、福祉は無駄、何で若者世代の負担ばかりが増えるのかという極端な話になる。
▲35 ▼33
=+=+=+=+=
現場で仕事していますが、この記事は偏った意見が入っていると思いました。 急性期が1番医療費がかかるのは、手術や沢山の医療処置が必要なので当たり前。でも母数が全然違うので、チリ積もで高齢者医療費の負担は莫大だと思います。 また、直接的な医療費だけでなく、薬剤も何十錠と処方されてる方もいます。認知の方はそれを拒否し、破棄してお金をドブに捨ててます。治療する意味が分からない+意思がない方には若い世代の犠牲(お金)をかける必要が本当にあるのか、しっかり国の指針として話し合う必要はあるはずです。古い議題だとしても、必要だから何人もの人が歴代訴えているのだと思います。
▲1 ▼1
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とても難しい問題。本人の意思をいつどう確認するかも含めて。医者の「金のなる木」扱いも嫌だし。ただ全額負担を声高に言う人は、どれだけ現状を把握しているのだろうか?自身や家族がそのような状況に陥った時、はたして同じ主張をするだろうか。自分がいつまでも若く健康でいる前提の想像力を欠いた発言にも見える。制度を変えるなら、「明日から全額負担ね、よろしく」では済まない。必要であれば、もっと中身のある丁寧な議論をしてほしい。
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一昨年、施設に入所していた祖母が99歳で骨折して入院しました。 大腿部の骨折で手術と胃ろうを進められました。 相談したのですが 1骨折の手術はしない。 2胃ろうの処置もしない。 と決めました。ドクターが胃ろうだけでもした方が良いのではと勧めましたが こちらが断ると別の病院行ってくれと突き放されました。 確かに過度な治療をしてますね。100歳で亡くなりましたがそれでよかったと思います。参政党は言いにくいことをはっきり言ってくれるので良いと思う。 このお金は子育て対策に使ってほしい。
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親の介護をしています。 母は、うつと不安症,認知症を患っています。 5分と落ち着かず、立ったり座ったり、居室と寝室を行ったりきたり。敷地横にある我が家の玄関ドアを叩き続け、ご飯を食べていても,扉の音が頻繁にあり落ち着きません。 身体症状も悪化。排泄もオムツ。便が下痢のときは親子でも大変苦痛です。薬も錠剤が飲み込めなくなっていたり、食事も要らないと食べない。介護サービスもショートステイや施設入所は絶対に嫌だと強く拒否があります。 母は精神科の薬のせいか、顔貌も変わり、言葉も出にくく、楽しみがない生活。 いつまでこの生活が続くのか。自己決定できる力が大切と学校で学びました。 死ぬ時も自分で自己決定したいと親の介護をしてつくづくと感じます。日々悪くなる症状に対し、ゴールが見えにくく、ストレス,負担がとても強いです。政治家の皆さんは介護をしたことがありますか。
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尊厳死というのは、生きる価値がないというのとは全く違います。むしろ、人間としての価値や意思を守る為のものだと思います。なんでもかんでも延命すれば正しいというのはそれは絶対に違う。頭から批判して言論を封殺するのではなく、きちんと議論していただきたい。自分の思想信条に都合のいい人間だけの声を拾ってくるのではなく、より多くの国民の意思を聞いてそれこそ選択的尊厳死というものを議論すべきである
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人の尊厳とかを一旦置いておいて 役所仕事として医療費の自己負担だけの話にすると、子どもや働き盛りの世代に対する高額医療費を削る動きがありますがその財源を延命治療部分からまわせるならば本来そうあって欲しいと思います 本当は健康保険料を払っていない外国籍の人に多額の医療費が使われているので、そういう所を削るべきですがその上で、財源が問題で若い世代が治療を受けられないくらいなら自己負担をお願いしたいです
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日本人ファーストに対してネガティブな記事が出れば出るだけこの問題が今の日本が豊かになれない本質的な原因だと考えてしまいます。
自民党が年金制度の破綻を延命させる為に受給年齢を引き上げたり高齢で受給する方が有利になるとの制度改革を行った結果高齢者に対して延命処置が一対になり社会保障費の負担が増加して手取りが上がらない問題になっていると思う。
恐らく参政党が議席を増やしたからと言ってすぐに法案が通る訳ではないが議論はされてくる。
この記事を読むと極端な政策ではあるが一方で延命処置の技術は進化していると思うのでどこで区切りを付けるかの議論は重要だと感じる。
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私は70代なかばですが医療費は高年齢ほど高くすべきと思っています。1割負担で年金もそこそこでれば延命させたい家族も出てくるのは当然。病院は60歳以上で溢れかえってる。どうしても長生きさせたいなら自宅で家族がみる選択肢も残し本当に医療の必要な若い人に譲るべき。血税はこれから日本を生きて行く人に使うべき。
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実際に、身内の初めて終末期を経験すると、家族に余程の終末期延命についての知識がなければ、納得できるまで終末期の身内に延命措置を施してしまうというのが、普通の感覚だと思います。
そのように終末期の身内に、納得出来るまで延命を施してみて、亡くなった後に、やり過ぎだったとか、自身の延命措置は不要と学習するものです。
その時点で無理な延命措置であっても、家族が納得出来るまで続けるしか無いです。
人間どこかで、特に高齢者の終末期の無理な延命については、経験により学習し、それが不要だと思う時はあるものです。
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高額医療費制度で高齢者の月額負担は少額です。それ以上に年金がもらえるため、家族は寝たきり状態でも毎月収支がプラスです。病院に任せておけば介護負担もない。そこに本人の意思以上のものが含まれている可能性がないといえるでしょうか。家族が亡くなっても届け出をせず逮捕されるのは年金をもらい続けられるから、やはり制度の問題はあるような気がしてなりません。
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生きる価値がないのでは無い。 生きる意味を見いだせないというのが正解ではないのでしょうか。 私はある難病を抱えて生きています。 今はまだ身の回りの事を出来ますが、特効薬でも出来ない限りいずれ寝たきりになるのは間違いないと思います。 その時に延命治療が高額でも無料でもすっぱりと切って欲しいのが偽らざる本音です。 それは家族の為でもあるし、他の治る病気の人を社会復帰させて欲しいという願望です。 何より自分が動けなくなった時に苦しみながらベッドの上だけで生きているという事には何の意味も見いだせないと思います。 それを日本で法制化出来ると言うのなら私は全力でその政治家を応援します。
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