( 310831 )  2025/07/26 06:20:43  
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東京大学で最難関と言われているのが理科3類だ(写真:yu_photo / PIXTA) 

 

■ 「東大の頂点」ともいえる東大理3 

 

 みなさんは、『東大理III 天才たちのメッセージ』というシリーズをご存じでしょうか?  

 

 このシリーズは、1986年から毎年、東京大学理科3類(ほとんどの人が医学部に進学する科類)の合格者約30名にインタビューやアンケートを実施し、その内容を1冊の本にまとめたものです。 

 

 東大理3は、偏差値トップの東京大学の中で、その上の成績を取っている人たちです。東大理1・東大理2に合格している人たちでも、「理3は、何浪しても合格できないと思う」という人も多いくらいです。そんな天才たちの勉強法やモチベーション・将来の展望を聞く、という企画になっています。 

 

 合格者は毎年100人程度ですから、およそ3割の人たちに40年間欠かさず取材し刊行されてきたこの書籍は、累計で1000人を超える理3合格者に取材した、貴重な知見の宝庫です。 

 

 そして、節目となる2025年の「Vol.40」からは、我々「東大カルペ・ディエム」が本企画を引き継ぎ、新たな体制で編集・発行しています。 

 

 さて、40年という歳月の中で積み重ねられた声を読み解いていくと、東大理3に合格する人たちの姿にも、確かな変化が表れてきていることがわかってきました。 

 

 今回は、その40年の蓄積から見えてきた「東大理3合格者の変化」について、2つの視点から紹介します。 

 

■1. モチベーションの変化 

 

 かつての理3志望者は、「東大という学びの場に惹かれた」「自分の学力を試したい」といった理由で理3を選ぶケースが目立っていました。いわば「勉強好きの延長線上にあった理3合格」だったのです。 

 

 しかし近年では、「東大に行きたい」よりも、「医者になりたい」という目的意識がより明確になってきています。医学部進学そのものを人生の軸と考え、その中で“東大”を選ぶという構図です。 

 

 今年の東大理3合格者たちに、「なぜ東大理3を志望しましたか?」ということを聞いてみたところ、下記のような声をいただきました。 

 

 「医学部を志すようになり、教養学部の魅力や向上心に溢れる他の学生に囲まれた環境、自分の学力から総合的に判断して理3を受験した」 

 

 「自分の通える範囲内かつ目指せる位置にある医学部のある大学のうち、最も学生や教育のレベルが高く、前期教養課程など魅力も多い場所だと思ったから」 

 

 こうした声に共通するのは、東大理3が“医学部の中で最もレベルが高く魅力的な選択肢”として選ばれているという点です。 

 

 

 つまり、「勉強の結果としてたまたま東大に届いたから挑戦した」ではなく、「医者になるために、だからこそ東大理3へ」という流れが、ここ数年で主流になりつつあるのです。 

 

 さらに、将来についての質問でも、この傾向ははっきりと表れています。近年のインタビューでは「医者になりたい」と明言する学生が大多数を占めており、それは過去の傾向と大きく異なっています。以前は「医者という選択肢も残しつつ、いろいろなことに挑戦したい」「研究や他分野の可能性も考えている」といった柔軟な回答が目立っていました。 

 

 つまり、理3合格者の中にある“医師という職業への志向”が、かつてよりずっと強く・明確になってきているのです。 

 

■2. 出身層と受験戦略の変化 

 

 もうひとつ注目すべき変化は、東大理3合格者たちの出身校や受験環境にあります。 

 

 ここ数年のデータで見ると、合格者の8割以上が中学受験を経験し、首都圏の中高一貫校に通っていたというデータが出ています。なかでも、中学受験塾「サピックス」の最上位層が、名門中学校に進学した後、そのまま大学受験塾「鉄緑会」へと進み、東大理3合格へと直結するルートが定着してきていると言われています。 

 

 「東大理3に入ったら、サピックスの時のトップ層ばっかりだった」と答えている人も多いです。このように、一種の“受験エリート街道”が存在していることがわかります。 

 

 こうした背景から、公立高校出身者の割合は年々減少傾向にあり、かつてのように「高校から猛勉強して理3に挑む」といった、“後発の逆転型”の合格者はかなり珍しくなっています。また、浪人生の割合も減っており、現役合格を前提とした計画的な学習が一般化しています。 

 

 東大理3という最難関の壁を突破するには、もはや高校からの努力だけでは届きにくい時代に突入しているのかもしれません。早期からの戦略的な受験準備と、ハイレベルな教育環境に身を置くことが“前提条件”になりつつある。そうした現実は、まさに『ドラゴン桜』的な「這い上がりの天才像」との決定的な違いを示しています。 

 

 東大理3に合格することは、今も昔も簡単なことではありませんが、その“合格までの道筋”は大きく様変わりしてきていると言えます。 

 

 

 しかし一方で、こうした傾向とは異なる軌跡をたどって理3にたどり着いた受験生も、少ないながらも存在しています。地方の公立高校から2浪・3浪を経て合格を果たしたという学生は、令和の時代になっても、毎年1〜2人レベルではあるものの、存在しています。王道ルートから外れた「大逆転型」の事例が今も確かに残っているのです。 

 

 この事実は、どれほど教育環境の格差が広がったとしても、大学受験にはまだ「チャンス」が残されているという希望を示しています。エリートが集まる東大理3であっても、自らの努力と覚悟次第で道を切り拓くことができる……そんな「異端の天才」たちの存在もまた、大学受験という制度の可能性を物語っているのではないでしょうか。 

 

■今の時代だからこそ存在が際立つ“天才” 

 

 東大理3という超難関を突破するルートがかつてよりも「限定的」になっているのは事実です。けれども、誰もが同じ型に収まらなければならないわけではありません。むしろ今の時代だからこそ、「型にはまらない努力の天才」たちの存在が、より際立って見えてくるのかもしれません。 

 

 次の10年、その先の10年。理3を目指す学生たちは、どんな価値観を持ち、どんな道を選び、どんな社会に出ていくのでしょうか。今後も注目していきたいですね。 

 

西岡 壱誠 :ドラゴン桜2編集担当 

 

 

 
 

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