( 311043 ) 2025/07/27 05:38:16 2 00 「ささやき女将の記者会見」で全てを失った…船場吉兆の"次男坊"が「6畳のワンルーム」から起こした復活劇プレジデントオンライン 7/26(土) 7:17 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f7810a3bfd6f740512fdc770471e2f8a9cef9b55 |
( 311044 ) 2025/07/27 05:38:16 1 00 老舗料亭「船場吉兆」の謝罪会見は、女将のささやきに続く長男の発言が話題になり、世間の注目を集めた。
彼は幼少期から両親との距離があり、家政婦に育てられるなど複雑な家庭環境で育った。 | ( 311046 ) 2025/07/27 05:38:16 0 00 「日本料理 湯木」を営む湯木尚二さん - 筆者撮影
女将の“ささやき”を繰り返す長男の姿が世間を騒がせた老舗料亭「船場吉兆」の謝罪会見。だがその裏で、すべてを失いながらも、再び包丁を握った次男がいた。老舗料亭の三代目がたどった泥だらけの復活劇を、ライターの宮﨑まきこさんが描く――。
■ささやき女将と長男による「伝説の記者会見」
『頭が真っ白になったと……真っ白になったと……』
女将のささやき声を、マイクが拾う。すると、うつむいたままの長男が、女将の言葉のとおりに続けた。
「初めての記者会見でして、頭が真っ白になったと……」
時折目を泳がせながらも、言葉の合間に唇をかみしめている長男を、攻撃的なカメラのフラッシュがたて続けに襲う。小さく丸めた上半身が、背後の白いカーテンに焼きつけられてしまいそうだ。
「船場吉兆」(吉は土かんむり)は、料理研究家として文化功労賞を受賞した湯木貞一氏を祖とする。著名人のひいき客も多い大阪の高級料亭が引き起こした食品偽装事件は、当時多くの人の耳目を引いた。
2007年12月10日、不正発覚を受け「船場吉兆」が謝罪会見を行った。出席したのは取締役の湯木佐知子氏、長男で取締役の喜久郎氏と、弁護士2人。これが、のちに平成の迷会見として語り継がれる「船場吉兆ささやき女将会見」だ。
■地面が突然崩れていくような恐怖
湯木貞一氏の三女である佐知子氏が、答えに窮する長男にささやく様子がまるで腹話術のようだと揶揄され、当時のワイドショーや週刊誌をにぎわした。船場吉兆の起こした事件は忘れても、この会見だけは覚えている、という人も多いだろう。
世間の批判と嘲笑の裏で、湯木家は大きく揺れていた。当時の船場吉兆内部の様子を、次男の湯木尚二さんは語る。
「会見の後、兄は母に激怒していました。『なんであんなこと言ったんや! 大失敗だったじゃないか!』と。代表だった父は、『なんでちゃんと管理しておかなかったんや!』と、兄や私を怒鳴りつけました。……あのときの素直な感情は、『恐怖』でしたね」
これまで踏みしめていた地面が、突然崩れていくような恐怖。
翌年、船場吉兆は自己破産を申請し、料亭としての歴史に幕を下ろす。父、母そして長男が失意のまま料理界を去っていくなか、尚二さんだけが、踏みとどまった。
「老舗料亭の三代目」だった男は、当時39歳。「船場吉兆」の肩書きを失い、財産もギリギリまで賠償にあてた。職なし、カネなし、家族なし。6畳のワンルームから、尚二さんの復活劇は幕を開ける――。
■「船場吉兆の次男坊」として
「吉兆の次男坊」「高級料亭のボンボン」……。このような湯木尚二さんに対する世間の印象は、あながち間違ってはいないだろう。「朝ごはんは吉兆の松花堂弁当だった」と語る彼の育った環境は、さすがに一般的とはいいがたい。
しかし、彼の幼少期はもう少し複雑だ。
尚二さんは、年の離れた兄とともに家政婦に育てられた。両親は料亭内の座敷で寝泊りしており、会えるのは週に一度。家族でどこかに遊びに行った記憶もなく、両親との距離は遠かった。
7歳のときに家政婦が病気で引退し、尚二さんは料亭に居を移すことになる。両親と共に暮らせる喜びよりも、母親代わりの家政婦と離れる悲しみが、幼心に深く刻まれた。
「一緒に暮らし始めたといっても、父も母もお客さん対応に飛び回っていますから、私にかまう暇なんてありません。学校から帰ると裏の空き地で壁を相手にキャッチボールしたり、四畳半の母の支度部屋で宿題をしたりしていました。寂しさはありません。子ども心に、『そういうものだ』とわかっていたんでしょう」
船場吉兆で働き始めたのは高校1年生のときだった。アルバイトとして、最初の1年間は玄関で客の迎え入れと見送り、次の1年間は皿洗い、3年生になったとき、ようやく厨房に入ることを許された。
■「他の将来を夢見たことはありません」
祖父・湯木貞一氏は、料亭「吉兆」を5人の子どもにのれん分けした。以来、息子・娘はそれぞれ独立して「吉兆」を冠した料亭を営んでいる。貞一氏の三女である佐知子氏は「吉兆船場店」を譲受け、板前だった夫・正徳氏と共に経営していた。
貞一氏の孫は10人。当時、尚二さんより年上の男孫6人全員が、「吉兆の中の人」になっていた。決して後を継げと言われたわけではない。しかし、吉兆以外の将来を考える余地は残されていなかった。
「他の将来を夢見たことはありません。……ただ、大学4年生になると、友人たちが、みんなスーツで就活を始めるでしょう。それを見て、なんだか取り残されたような気持ちになりましたね」
生まれたときから将来が決まっている自分とは対照的に、無限の可能性を秘めた友人たち。その後姿を見送りながら、1992年、尚二さんは料亭「吉兆」に入社する。
■26歳で店長を任される
当時の船場吉兆は拡大路線をとっていた。1995年、バブルが弾けてもまだ深刻な影響は出ていなかった時代。最初の支店は、ショッピングモール「心斎橋OPA」内に設けられ、尚二さんは26歳で父から店長に指名された。
1999年には福岡に支店を開店する。福岡は父・正徳氏の故郷。吉兆に婿入りし、大阪に根を下ろしてからも、いつかは故郷に錦をと願っていたのだ。
心斎橋OPA店を成功させた尚二さんは、並行して福岡店も任されることとなり、大阪と福岡を行き来する忙しい生活が始まった。
「福岡に出店すると決まったときは、正直不安でした。大阪と違って福岡は自分にとって未知の土地です。『湯木』の名前も通らず、顔も効かない場所ですから。しかし船場吉兆内で父の言葉は絶対。逆らうことなど考えられませんでした」
そしてここから、船場吉兆の黄金時代が幕を開ける。
2004年に船場吉兆天神店を開店し、岩田屋本館「吉兆天神フードパーク」では、船場吉兆ブランドのお弁当・惣菜・洋菓子等を販売。店や商品が雑誌やテレビで取り上げられることも増え、尚二さんは福岡でテレビの料理コーナーを受け持った。
「あの頃はとにかく、なんとかこっち(福岡)を成功させようと必死でしたね。九州の拠点として、この店を繁盛店にしなければならない。来るもの拒まず、どんな仕事でも受けていました」
■料亭として頂点を極めた「九州・沖縄サミット」
そして船場吉兆にとって、大きな出来事が訪れる。2000年に開催された九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)で、蔵相会合の晩餐会を任されたのだ。
「ちょうど七夕の次の日でしたので、七夕飾り風にアレンジした装飾を用意して、そこにお料理を盛り込みました。うに、フォアグラ、キャビアなど、欧米の方に喜んでいただける珍味で飾って、汁物はハマグリのお吸い物。父と私はご要人の方々の前で、天ぷらを揚げてお出ししました」
当時の大蔵大臣・宮澤喜一、アメリカ財務長官のローレンス・サマーズなどの政府要人に、国の威信をかけて豪華絢爛な料理を振る舞う。まさにこのとき、船場吉兆は絶頂期を迎えていた。
しかし、急激に膨らみすぎた船場吉兆は、既に湯木一族の手の内には収まらなくなっていた。意思を持った生き物のように、ミシミシと不気味な音を立てて肥大化していく。そしてある日とうとう、一本の亀裂が入った。当初はほんの小さな亀裂だと思っていた。多少目立つが、モルタルで上塗りすれば見えなくなる程度のものだと――。
■食品偽装発覚、崩れ行く船場吉兆
2000年代前半は、大手企業の食品偽装が相次いで発覚した時代だった。2001年には牛肉偽装で雪印食品と日本ハムが廃業や社長辞任に追い込まれ、2007年にはミートホープの悪質な偽装が発覚し、社長が実刑判決を受けて会社は倒産。その他、白い恋人や赤福などで、次々と賞味期限の偽装が発覚した。
当時それらの事件を、尚二さんはどんな思いで見ていたのか。
「そのときは、完全に他人事でしたね。『あんな有名な企業が、なんであんなことをすんのやろ』と。それが、まさか自分たちの店にも起こっていたなんて……」
最初に発覚したのは、福岡の百貨店で販売していた洋菓子類の賞味期限改ざんだった。ある日尚二さんは大阪で、百貨店の売り場の従業員から「保健所が調査に来ているが、どうしたらいいか」との電話を受ける。
「そのときは、『もしミスがあったならちゃんと説明しなさい』と指示をしたんです」
当初、家族内に動揺はなかった。起きてしまったことは素直に謝罪し、改善策を考えればいいと。
しかし、そう簡単な問題ではなかった。
「ふたを開けてみたら賞味期限の改ざんが、何種類もの商品を対象に長期にわたって繰り返されていたことがわかったんです。そこで初めて、ことの重大性に気づきました」
■店も、財産もすべて失った
やがて捜査の手は大阪の本店にまで及んだ。2007年11月16日、不正競争防止法違反(品質虚偽表示)の疑いで料亭に警察の強制調査が入り、ここでも牛肉や鶏肉の産地偽装が行われていたことが明らかになった。
事件を受け、2007年12月に船場吉兆は例の謝罪会見を開く。すると「ささやき女将」の強烈なインパクトに、世間の目は一気に母・佐知子氏に集中した。世間からの壮絶なバッシングと嘲笑。テレビや新聞だけでなく週刊誌までが動き出し、自宅に突撃されたり、待ち伏せを受けたりする日々が続いた。
「事業が拡大し、一つひとつの現場に目が届かなくなっていたのが原因でした。なぜちゃんと監督していなかったのかと父は怒鳴り、家族内も感情的になっていきました」
2008年、船場吉兆は佐知子氏を代表に残し、再生手続きに入った。しかし一度失った信頼と客足は戻らず、再生計画は頓挫し、破産手続きに移行する。父母も連帯保証人として自己破産し、兄と尚二さんは破産だけは免れるも、財産のほとんどを賠償にあてることになる。
当時父は74歳、母は70歳、兄も40代半ばを過ぎ、人生の後半ですべてを失った。
■金なし・職なし、6畳のワンルームアパート
尚二さんもまた、社宅として借りていたマンションを追われた。しかし、引っ越し先を見つけることすらままならなかった。「船場吉兆の息子」では、大阪市内どこに行っても賃貸契約さえ結べないのだ。
知り合いの助けを借りて、ようやく小さなアパートに落ち着いた。由緒正しき老舗料亭の三代目は、6畳のワンルームに住む、無職・独身のアラフォー男性となった。
「事件発覚当初は、こんなに大事になると思わなかったので、早く仕事に戻りたい一心でした。しかし時間が経つにつれて、だんだんそれが不可能だとわかり始めたんですね。ならばどうやってこれからの人生を立て直そうかと考え始めました」
約20年前、大学の卒業式で見送った友人たちと同じ、「無限の可能性を秘めた未来」が、皮肉にも40手前で手に入った。
振り返ればその日まで、料理に関する仕事しかしてこなかった。吉兆以外で働いたこともない。逆に料理と料亭の経営方法だけは、誰にも負けない経験値がある。40歳を前に、別の道に進むことは考えられなかった。
求人誌で見つけた飲食店のアルバイトに入ったこともある。しかしすぐに船場吉兆の息子だと顔を指され、マスコミにかぎつけられた。店に迷惑はかけられないと、短期で店を辞めた。
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( 311045 ) 2025/07/27 05:38:16 1 00 この記事に寄せられたコメントには、再生の希望や努力を讃える声がある一方で、過去の不祥事とその責任を問う厳しい意見が混在しています。
1. **再生の希望**: いくつかのコメントでは、失敗から復活したことを称賛し、「人生何があるかわからない」といったポジティブな視点が表れています。
2. **過去の責任**: しかし、偽装事件の責任が上層部にあったという意見や、現場の従業員が被害者であったという主張も強く、指導者層の態度や行動を問いただす声も多いです。
3. **企業倫理の重要性**: 多くのコメントで、企業倫理や経営者の責任についての議論が交わされ、利益第一主義がもたらす危険性が指摘されています。
4. **人間性と努力**: 再起の過程で人柄や仲間の大切さが強調され、皆が支え合うことの重要性が浮き彫りになっています。
総じて、再生への希望と同時に、過去の責任をしっかりと見つめ直す必要性が論じられており、今後の経営態度を含む倫理的な意識の重要性が強調されています。 | ( 311047 ) 2025/07/27 05:38:16 0 00 =+=+=+=+=
結局、現場が偽装してまで利益を上げざるを得ないほどの指示、指導をしてしまったと言う点は、責任を逃れられる物では無いだろう。 ただ、大転落を経験しても、なんとか再生出来ると言う点は、素直に凄いと思う。
▲1975 ▼112
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誰だって失敗はある。死ぬ事以外はかすり傷とさんまさんも言っていたが本当にそうなのかも。 いつか直向きに頑張れば認めてくれるし他の吉兆が許してくれればいずれ名前も使えるようになる。 ひょっとしたら吉兆の名を超えるほど活躍するかも。 人生何があるかわからない。 この方はある意味被害者な部分もありながら全てを背負ったからね。 会社経営していて身に染みていますが一寸先は闇なので私はいつも一寸先は光と思って経営しています。 そう思わないとやっていけないですが多くの従業員を守る責務とお客様に常に満足頂けるよう最善を尽くすのみですね。 この方には吉兆という名前に劣らない吉報になって欲しいですね。
▲11 ▼17
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当時、博多大丸デパートの吉兆店には4人ほど座れるカウンターがあった。せまいスペースでも吉兆の出すメニューは、器も料理も風雅で最高だった。それがあの事件でバタバタと閉店。一緒に行った者は皆、懐かしがる。再起がんばれ。
▲16 ▼15
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色々とご苦労があって良かったですね。寧ろ、派手に苦労したからこそ、また 良い方向へ進んだと思います。どんな優良企業でも表沙汰にならぬ、トラブルはありますし、訴訟だってあります。だけど、何もかも無くしたからこその、 基本が確立されたのでは無いでしょうか?飲食業って、大変であるとは思いますね。それでも、頑張って運営してコンサル会社も立ち上げて、凄いです。
▲2061 ▼264
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色々とあっても本人は生粋の料理人であり経営者であった。ホンモノだったということか。これからは目の届く範囲でやっていかれるのでしょうね。中年になると自分の腕や思考を試したくなる。いい時期に再出発が出来て良かったですね。ドコに居ても安定なんてないのだから自分の城を持って自分の戦い方で挑めるのは幸せな事です。元気があれば何でも出来る!健康は宝です。
▲1041 ▼92
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尚二さんの再出発の小さな船出を応援するどころか成り下がると 反対する所などあの頃で全く性根が変わっていない。 あの会見後に親に怒った長男も怒る元気があるならなぜあの時に 自分の気持ちで物を言わないのか。 両親、長男と尚二さんは根本的に違う人間性なのでしょう。 これからの無理のない成功を祈っています。
▲47 ▼6
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あの記者会見は母親と長男の失態だし、不祥事の原因を反省して再起するならば良いと思うけれど。ただ、福岡の百貨店の偽装については、この方の指示での偽装だと現場が証言していたし、証言したパートさんを恫喝したという報道も当時ありましたよね? 「そんなことはなかった」みたいになってますけど…。
個人的には、「船場吉兆」担当の長男が、京都の老舗若鶏(ブロイラー)専門店から仕入れた鶏肉を「地鶏」と偽装し、しかも発覚後に、その若鶏専門店に責任転嫁した(当然、きっちり反論された)という、「取引先へのとてつもない不義理」が、最悪だと思いました。 「船場吉兆」の体面を保つためならば、取引先や現場が代わりに罪を被るのは当然、くらいの奢りがあったのでしょう。次男がその体質に無関係だったとは思えないし、その点については、いまどうお考えなのかなと。
▲1071 ▼72
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ジャーナリズム魂と言うのかな。年に数回、こういう骨のある記事に出会える。苦しかった所から這い上がって強く生きる人の話は胸を打ち、尊敬してやまない。 記者と湯木さんにありがとうございましたと伝えたい。
▲285 ▼78
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会見の数年後、「囁き」の背景の番組を見た。会見前に弁護士と想定問答集を作って練習していて、女将は完全に頭に入っていたが、慣れない記者会見の場で長男がテンパって記憶が飛んでしまって仕方なく、という事を言っていた。 女将が「マイクがあんな小声まで拾えるとは思わなかった、最近のマイクは性能がいいですね」と笑っていたのが印象的だった。
▲239 ▼18
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面白くて一気に読んでしまいました。
私自身も40歳を目前にして大きな人生の岐路に立って選択をしたのですが、肩書や何かはいざというときにあまり役に立ちません。けれども目の前の仕事に一生懸命に取り組むことは、たとえ失敗や損失を生んだとしても、国籍や文化を超えて共感を得られるものだと今は実感しています。
この方も仕事に一生懸命取り組まれたのではないでしょうか。かつて大きなミスをしたとしても、一生懸命仕事をしていれば、見ている人は意外に多いと思います。自分の経験からもそう思います。
ずば抜けた能力を持っていれば別ですが、仕事上ならウサギと亀の話だと、最後に圧倒的に信頼されるのは亀です。
▲609 ▼57
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当時の船場吉兆出身の方と仕事をしたことがあります。 この方が直接関わっているかは知りませんが、 当時の食品偽装については明らかに経営層からの指示によるもので 現場の料理人達は明らかな被害者でした。 仕事の合間に吉兆仕込みの料理をアドリブで数品試食する機会がありましたが、 いずれの品もとても美味しかった。(隠し味も教えて貰い自宅で再現しました) 真っ当な商売をしていれば今でも暖簾を守ることが出来たでしょうに・・・。
▲358 ▼27
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自営業もサラリーマンも水商売だって皆同じ、 正直に誠意を込めて仕事をしなければ、相手方にも直ぐに伝わります。吉兆だけでなく、これまでに不正がバレて潰れてしまったところは沢山あります。思い上がった商売をしていると、必ず報いは来ます。しかし、あの状況から這い上がって大変だったでしょうね。
▲452 ▼36
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ささやき女将、今でも鮮明に覚えている お歳暮やお中元など、船場吉兆の品物を選べば間違い無いと思っていたのに、本当に裏切られた気持ちだった。 ご長男さんはどうされているのでしょう? 次男さんはこんなに苦労されていたんですね、ただ、仕事ぶりや人間性はちゃんと周囲に認めてもらえていたことは、裏切らなかったと思いました。これからも、お客様に大事にされるお店になっていくといいですね。応援しています。
▲276 ▼35
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同族経営の弱点ですよね。
今まで目に届くことが、規模が大きくなる ことで見えなくなる。しっかりと仕組みを 作り、一族だけに頼らない経営が必要だが 周りに任せられない一族はこうなると思う
兎角、跡継ぎがいるにもが関わらず、1代 目が君臨している会社ほど、このような 傾向ではないでしょうか
同族が悪とは言わないが、身の丈に合った 経営が大事だと思います
この次男の方は、周りからサポートされて ある意味幸運だと思います。 これからも、周りの方々への感謝を忘れず 頑張ってください
▲37 ▼9
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再起なさって素晴らしい。 気になるのは、会社が大きくなったから管理が行き届かなかった旨かかれてますが、長男と次男もかなり偽装指示していたとの報道とスタッフ証言がありました。また仕入先に騙されたとの言もあったかと思います。 基本的にスタッフは月給や時給制なので偽装するメリットがありません。なぜ起こったのでしょうか、なぜ起こしたのでしょうか。 その辺りを次の取材でお願いします
▲257 ▼32
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組織が大きくなって目が行き届かなくなるか
現場は現場で利益をあげるために必死だったんじゃないかな そういうプレッシャーもあったかもしれないし、この人じゃないにしても上層部が指示してやったかもしれない
ささやき女将の会見は面白かったが、世間の笑い者にされるのはいま思えばかわいそうだよな 料理界の栄華を極めた人たちだから、許されないことをしたのはたしかだけど、世間の嫉妬なんかもあったんじゃないかな
腕前は本物だし人柄もいいから支えてくれる人がいるんだろうね
▲164 ▼37
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とても面白い記事でした。 人間時には魔が差して悪事を働いたり、トラブル家族に巻き込まれ、世間から指を差され、生きてたらいけない人間なのかというくらい追いつめられる人もいるでしょう。
人によっては命を絶つことだってあるだろうけど、這い上がる底力は見習いたいものがあります。
▲10 ▼8
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当時は面白いコントとして会見を見ていて、ビートたけしなどのお笑い芸人が弄りまくってたよね。食中毒で死者がでたわけでもなく、同じ時期に期限偽装が発覚した「赤福」なんかはほとぼりが冷めた途端に盛り返している。 やっぱり、あの「ささやき」会見が明暗をわけたよね。 ほんと、客商売を長く続けるってのは大変だね
▲269 ▼14
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明太子が好きで福岡出張の時に天神店に行ったときおられました。 客の前で大声で従業員の女性を怒鳴ってる姿を見て客商売にむいてないなと感じました。 その後すぐに偽装が発覚し倒産。 心斎橋大丸で湯木が復活し明太子を買いに行ったときお見かけしましたが、やはり偉そうな物言いで従業員に接してる姿は本質的に変わってない。 陰でしてるならまだし客がいる前でのパワハラ体質はどうかなと? とはいえ明太子は美味しいのよく買いにいきます。
▲72 ▼10
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失敗しても人生をやり直すこと自体は良いことだと思うが、必要以上に美談になっている気がして違和感……。 当初、船場吉兆側は一連の偽装を「パートの女性らの独断によるもの」としていたけれど、2007年11月14日、売場責任者だったパートの女性ら4人が記者会見し、「店長(湯木尚二取締役)から1か月期限を延ばして売るように直接指示を受けて賞味期限のラベルを張り替えていた」と語った。要するに店長だったこの次男が指示をしたにもかかわらず、パートに押し付けようとしたんですよね? 上層部が悪いのにこの件で従業員たちは職を失い、どれだけ辛い思いをしたことか。彼らの人生のやり直しに、この人は何か行動を起こしたのだろうか?
▲99 ▼4
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あの一連の不祥事で一度全てを失ったけど、プライドが高かった父母とは違い支援してくれる人に支えられてきたのは尚二氏の人徳だと思う。あの「失敗」があったからこそ今があるんだと思う。こういう記事を読むと「やらかし」のニュースで人生終了のような酷いコメントを見ることがあるが、復活のチャンスは誰にでも平等にあるべきだと思った。
▲3 ▼13
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失礼を承知で申し上げるが、こんなに「面白い」人生があるのかと唸った。あの会見は私もよく覚えているし、今でも会話の中に出てくる。「ささやき女将」とはよく言ったもので、元彌ママ(和泉節子さん)と双璧をなすキャラクターだったと思う。 心斎橋の船場吉兆も、岩田屋の船場吉兆も何度か利用したことがある。時代の波に乗り、ブランド化に成功してどんどん拡大していった有名店。しかし思いもよらぬ(この内情は明らかになっていない)出来事によって転落してしまう。
この方が凄いのは、一時の恥を捨てて吉兆時代の人脈を頼り、そして吉兆を愛した人々によって救われた事だ。再起を図るには、自らが一番よく知った道が最強だと信じて歩んだ茨の道だったろう。 そしてその通りに再起できた。 というより、ようやく自らの道を切り開く事が出来た。 だから他人の自分が記事を読むだけで自分の事のように嬉しくなってしまうのだろう。
いい話。
▲30 ▼23
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面白い記事でした。 あの事件の後、色々なことがある人生を送ってこられたんですね。人生は人それぞれですが、この方はこの方で、いい生き方をしてると思います。結局のところ、最後は人柄と仲間が助けてくれるんですよね。ご本人も相当努力をされてきたのでしょうけど。女将も健在で良かったです。
▲4 ▼18
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俺の親父は商売を継がなかったが、料理屋の息子は大体似たようなものだ。 親父は祖母に育てて貰い、母親は店を守るのに必死になっていた。 子供がウロウロすると店の雰囲気が悪くなるので、近くに家を借り、そこで過ごしていたらしい。 ただし、昼間の早い時間に息子を連れて心斎橋の百貨店で色々と買い物をして与え、食事をして機嫌を取っていたらしいが。 そういう生活を自分の作る家族にさせたいと思わなかったからなのか、それとも戦争がそうさせたのか継がなかったね。 責任も重いし結局は総力戦みたいになるかなぁ。 板場や仲居を雇い采配を振るうのは大変な仕事なんだよね。 まだ店があった頃に祖母の店に行くとそれは別世界で楽しかったが、やはり俺も継ぐ気にはなれなかった。
▲6 ▼2
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以前テレビか雑誌で見ました。 ささやき女将が店に出て哲がっているというのを そのころに比べて、店も増えたんですね。 信用というものは 積み重ねですが すぐになくなるんだという事を 身をもって体験されたんですよね。 でも、料理人だったんで 再起出来たんですね。
▲1 ▼0
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船場吉兆の事件は、産地偽装とか賞味期限偽装とかより、もっと深刻な料亭における料理の使いまわしが問題だっと記憶している。接待の時には、接待する方は料理に手を付けない。嫌いな物が出てきたら手を付けない客もいる。そういう物を、捨てないで他の客に回していた。 この記事、都合が悪いから省いて、無かったことにしたいかなww 老舗でも産地偽装や賞味期限偽装なら、その後も普通に経営できている会社は沢山ある。でも、存在の肝要である料亭部門でのこれは流石になかった。
長男の記者会見は、まあ、子供ではなく自分が主導していたと、女将が掣肘した演技に過ぎないでしょ。マスコミや芸人、総突っこみだったけど。 この記事は、何故取り上げたのでしょうか。今更消えないのに。
▲58 ▼4
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長男の衛生管理問題になっていたけど。自分たちのとこはどうだったのかなと思う。1回も不衛生な行動していないとは言い切れないだろうと。どんな高級レストランでも。厨房に監視カメラがあり客がそれをリアルタイムでなくても見れるくらいのシステムがあれば別だけど。 衛生基準が、昭和50年代に比べたら色々厳しくなっているのを理解しきれていない料理人は大勢いると思うけど。
▲22 ▼2
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うーん、いまだに上層部の指示ではなく現場がやったと言いたいと言うかそういうことにしているという印象 賞味期限切れも産地偽装もほとんどの店舗で満遍なくやってたのにねぇ それといずれにせよ、ちゃんと管理や指導が行き渡っていない、今で言うコンプラ意識もなかったんだよねぇ そりゃ大阪ならいわくつきのところの商品だったら¥300を¥250にまけさせるだろうし 悪かったことはきちんと認めた上で次のステージで復活するのがスマートでは?
▲54 ▼5
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大変読み応えのある骨太な記事でした特に20年前に得られなかった無限の未来を40過ぎで手にしたところなんか涙無くしては見れません!
所で船場吉兆味自体は良かったんでしょ?まずは船場吉兆から名前を取って「きっちょきっちょ亭」という弁当の持ち帰り店から再起を目指してはどうだろう、値段は安価で庶民にも親しみやすいネーミングで味だけは船場吉兆レベル、お節も売れると思う、5年で100店舗は目指せるし地盤固めが済んだらほっともっとのやよい軒みたいな店内飲食店きちよ軒を展開、そこから数年で高級食材リユース料亭へのシフトで船場吉兆の見事な復活劇、ささやき女将がお元気なうちに実現してあげてほしいな
▲2 ▼21
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こういう家ってほんとある。叔母の嫁ぎ先がそういう家で、旦那は靴下すら自分で履かない。家業が崩れると生きてはいけない。この次男は次男であったからかまだ最低限の生きる力があったのかもしれない。
▲81 ▼13
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超一流店ともなれば客層もそれなりの方が利用する しかし、あんな事をしていたらその高尚な客層からすれば限りなくプライドを傷付けられたと激怒するし客離れは甚だしいだろう 大衆が利用する飲食店とは立ち位置もかなり異なるからその自覚の無さは致命的でしたね
伝説の記者会見と言えば、他に思い浮かぶのは 維〇もどきで当選した西宮の市議、政活費の不正着服記者会見(号泣、取り乱し後の謝罪となった会見)でしょうね 後世に語り継がれる伝説の記者会見でしょうね その後も度々番組で取り上げられスーパーインポーズに出ていた池上さんの表情が印象的でした
▲50 ▼19
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うーん、どこまで本当の話かな。自分が任されている支店で消費期限の改ざんがあったって、知っていたら悪のマネジメントしていた、知らなかったマネジメントできてなかったで、どっちにしろアウト。しかも創業家一族でしょう? 従業員はかなり忖度していて仕事していたはず。復活自体はすばらしいことだけど、ちょっと過去のストーリーはライターが美化し過ぎか、御本人が無意識のうちに記憶を自分が傷つきすぎないようにしてしまっている感じがします。
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次男の復活劇は応援したい気になるが、事件当時の描写が甘い。 「湯木家は知らなかった」で済ませているが、本当にそうだったのだろうか? 逆に、店の産地偽装などまで下の人間がやっていたとすれば、それは上からの抑えつけがひどすぎ、そうやらざるを得ない社風だったと言えるだろう。 つまりは上、湯木家の責任。
ライターも、そのあたりもしっかり突っ込んで書くべきだったと思う。
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存分苦労したでしょうけど、失敗から救ってくれるのも人の繋がりなのだなぁ…。1軒でやっていくのも大変なのにそこから複数店舗持てる程になるのはやはり実力だと思う。
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ゼロから始める事より 高い所から転落して マイナスからのスタートの方が 遥かに大変なのだと この記事を読ませて貰い感じました。 縁とは不思議で 足を引っ張る家族なら縁を切れれば楽なのにと思うけど、きっと無理なんだなぁと、、、
復活についても答えてましたが 本心はどうなのだろう。 私なら人生を振り回された事を思うともう関わりたくないのではとも思うけど、記事を読むと人生そのものとも取れる内容なのが不思議な縁を感じる。
▲42 ▼5
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あの会見のことは非常に強く記憶に残っています。それほとんどかつて見たことないほど奇妙で滑稽な記者会見でした。 私は大阪出身ですが、庶民なので船場吉兆なんて高級店のことは知りませんでしたが、地元大阪の有名店が不祥事を起こしてあんな会見を開いたことが恥ずかしかった記憶がありますね。 しかしこの次男さん、しっかりと復活して素晴らしいですね。捨てるものあれば拾うものあり、どん底まで堕ちても、ご本人が頑張っていればそれをちゃんと見ていて、応援してくれる人がいる。彼の努力と諦めない気持ちとひとがらがこの復活劇を作ったんでしょうね。 大変気持ちの良い物語を読ませていただきました、地元大阪にこのような素晴らしい料理屋さんがあることを誇りに思います。
▲3 ▼12
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少し前に、こちらにて御料理を頂きました。階段を3階まで上がって、とても美味しく楽しい時間でした。お土産に明太子を頂きましたが、こちらもとても美味しかったです。吉兆は名乗れなくとも、今後も応援しております。頑張って下さい。
▲1 ▼2
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船場吉兆の偽装事件は、従業員たちが職場環境の改善を求めて労働組合に加入したことがきっかけ。労組に相談に行かないといけないほど待遇が酷かったのだ。団体交渉の席で不誠実な態度を見せる会社側にシビレを切らして、様々な偽装をしている内情をマスコミにリークしたことがあの会見につながった。
▲72 ▼0
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天下に名にし負う料亭「𠮷兆」 あのスキャンダルは「まさか?」と思ったし、あの会見は情けなかった。 あの後、𠮷兆の息子というだけで仕事が出来なかったんですね。 でも、料理の新しい道を歩き始められたのなら良かった。 あの失敗の原因は売り上げ至上主義だったんでしょうか? 身代が大きくなるのは怖いですね。 お客さんに美味しいものを食べてもらうことの喜びを忘れなければ、良い店が作れるでしょうね。
▲71 ▼12
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何もないところからここまで来たのは素晴らしい。ただやはり吉兆と湯木の名前があってこそ周りの助けもあったのだろうと思う。
ただ最近を店増やしていったり、新店舗がすぐ閉店したりしてるのが少し気になる。
▲1 ▼1
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記事には書きづらいのかもしれないが産地偽装より客の残したものの使い回しの方が問題は大きかったように思う。産地偽装は質の面では大丈夫だが人の食べた物を使いまわすのは一線を越えてしまっている。
▲26 ▼0
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私の亡き父も日本料理の板前だった。 日本料理、中華料理、西洋料理と色々な料理店があるが、料理店の一番の最大の目標は「美味しい料理をお客様に心を込めて安価で提供する」ということだと思う。 美味しい料理を食べたお客様がその料理に満足して初めて、利益が発生するのである。 料理店だけでなく、様々な企業が利益第一主義に走って倒産や廃業に追い込まれたのは「お客様に良いものを提供する」という基本中の基本を疎かにした結果だと思う。 何事においても基本中の基本を愚直なまでに大切にする。 それがやがて利益という「ご褒美」としてかえって来るのだと思う。 この事件が起きたときに父はすでに他界していたが、もし父が生きていてこの事件を知ったら、烈火のごとく怒り狂っていたかと思う。 料理人の風上にも置けない行動をしたのだから。
▲47 ▼13
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ここまで虚飾一辺倒の美談の記事に仕立てるとは驚いた。
湯木尚二は期限切れ商品のラベルを貼り替える指示を出した張本人で、しかも発覚すると店員たちに責任をなすりつけようとした悪徳商人ではないか?
こういう記事が出るとは、何らかの力が働いたのか?NHKの特集番組も同様の切り口で、しかも再放送までしていたし。
しかも自分で始めた料理店が大成功しているとなると、かなり政治力のある「越後屋」なのかも知れない。
▲51 ▼1
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経営者の直接的な指示以外でも過ちが起きる事はある。 経営者による理不尽なプレッシャー、成果(利益)至上主義などで不都合な事実を社員が隠すことだ。 ダメな報告が出来ない会社は秒で退職届を出したほうがいい。そんな会社は早晩ダメになるし、個人のストレスも大きいはずだ。
▲0 ▼0
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肝心の『賞味期限偽装、産地偽装、食べ残し提供』が、一族ではなく店員たちが勝手にやった事のように書かれており、まるで被害者のような文面。 『自分は悪くない』と本心から思っているのでしょう。 禊は済んだ、今の自分には無関係と思うのはご自由ですが、でしたらこのようなインタビューを受けるべきではないと思います。
▲24 ▼0
=+=+=+=+=
Wikipediaには正紀氏の指示で客の食べ残しを調理しなおしたり、洗ったり形を整えたりして新しい客に提供していたという内容が書かれているし、尚二氏の指示で賞味期限のラベル張り替えをしていたとパートさんが証言して、それを後に佐知子氏も認めたと書いてある。 福岡の洋菓子のラベル偽装は、製造委託した店が独断で行ったことなのかもしれないけれど(これも疑わしい)、正徳氏も尚二氏も食べ残し提供や偽装を主導していたのですよね。 そのことが書かれていなく、 >代表だった父は、『なんでちゃんと管理しておかなかったんや!』と、兄や私を怒鳴りつけました。 ..と、まるで一族が知らぬところで悪いことが行われていたような話になっている。 確かに料理の世界では素晴らしい功績があったことも事実だし、もう一度頑張られるのも応援したいところではありますが、肝心のところを印象操作されるのは気持ち良いものではないですね。
▲21 ▼2
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まあ、高級料亭なんてものはイメージ商売なんだから、偽装事件を起こした挙句あんな会見したら終わりだよね。 偽装事件起こした時点でかなり終わってるけど、あそこで全てのプライドを捨ててゼロからやり直してたら看板だけは守れてたかもね。 雪印だって一応看板だけは何とか残ってるわけですし。
プライドを捨てられなかったのが偽装事件の原因だろうし、プライドを捨てられなかったのがあの会見の原因だと思うよ。
▲14 ▼1
=+=+=+=+=
親子が親子として居られるくだりで涙ぐんでしまった。 とくに寂しかった子供時代から再起して、母を甘えん坊といえるまでになったこと。 社会的制裁を受けても応援してくれる人が居るほどには人望と技術があるのでしょう。 この先奢らずご立派に続けていかれると良いですね。
▲1 ▼6
=+=+=+=+=
転落から復活までは理解できるし努力も苦労もあったのだろうけど、また店舗展開をして手広く店舗を広げて同じような目の届かないような経営をしているのは正直理解はしがたいです。
▲10 ▼1
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管理できてなかったという言い訳はどうかと思う。完全にこの人を含めた湯木家の指示で行われたことでしょう。 賞味期限改竄も酷いが、それ以上に衝撃だったのは食べ残しの再利用の方でしょうにそれには触れていない。 このインタビュー記事はこの人をヨイショしたいだけの記事です。 不正をする人間は結局また不正をするということがよくわかる。
▲70 ▼2
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なんで美談になってるのか全くもって分からない。 不条理な事や理不尽な出来事から再起した個人や経営者の皆さんが賛美されるのは分かる。 この人達の場合は自分でまいた種。不運や理不尽ではなく自分達の責任。 むしろこの事件のせいで潰れた取引先やそこに務めていたから再就職が難しかった元従業員だって沢山いらっしゃるだろう。 そういった方々が再起されたのを取り上げての記事なら納得できるが、悪事を働いた張本人達なのだから不憫な思いをするのは当然。 この記者は記者会見でささやかれて指示された兄やその家族がどうなったか知ってて記事書いてるのか!?
▲70 ▼18
=+=+=+=+=
この次男は福岡の店長だった時に賞味期限の改ざんの責任をパート従業員に擦り付けようとしたらしいじゃないか。「期限を延ばして売るように店長が直接指示してラベルを張り替えていた」ってパート女性が証言している。真偽は不明だがもしそうだとしたら「まさか自分たちの店にも起こっていたなんて……」には違和感がある。 失敗から再起したことは素晴らしいが、当時の振る舞いには嫌悪感を感じる。
▲46 ▼0
=+=+=+=+=
TVでいっとき話題になった後は知りようもなかった関係した人々の生活。苦労されての復活には感慨を持ってよみました。 当時を思い返すと。「日本人は正直で日本の製品は品質が良い。」なんていうことは、さらに昔々の話だったのか?それとも元々そんなことは無くて不正は暴かず見て見ぬふりの馴れ合い文化だったのか?と感じました。 食品に限らず、大手金融機関や証券会社の不正や破綻、優秀と持て囃された官僚の癒着天下り…日本人は不正を摘発して改善するより、穏便に済ませて腐ったまま長らえさせることを好む文化なのかと思えてくる。それゆえの30年、数年除き一党による政権支持、投票率の低さ。なんと無くわかる気もする。
▲4 ▼2
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突っ込みどころの多すぎる記事。 まずさもマスコミに針小棒大に騒がれて破産したような書き方をしているが、記事中には当時もっとも問題視された「客の食べ残しを整えて別の客に出す」が一度も触れられていない。 客足が遠のいたのも産地偽装や賞味期限改ざん以上に残飯を客に出すのが常態化しており報道時点で10年以上やっていたというのがバレたから。 時系列を考えればこの次男が店を任された当時からやっていたはずです。
>「ふたを開けてみたら賞味期限の改ざんが、何種類もの商品を対象に長期にわたって繰り返されていたことがわかったんです」
これも当時の船場吉兆側が「パート女性個人の犯行」とした主張そのまま。 しかし捜査で在庫は本社が把握しており経営陣の関与があったことが判明しています。 こうした主張をしている以上、この方にとって件の事件は何ら料理人としての反省を促すものではなかったのでしょう。
▲25 ▼1
=+=+=+=+=
諦めない大切さを学びました! もうダメだと思ってましたが諦めないでやりたいと思います。 これから家に帰りたいと思います。 最後にと思い携帯見れたのが良かったです。 人生諦めないでがんばります。
▲0 ▼9
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やはりコツコツと努力を重ねている人は一筋の光を掴む。必ず見てくれている人はいる。応援してくれる人がいる。 色々と寂しい思いもあったろうに強く成長した次男。 久々にまともなYahoo!ニュースでした。
▲1 ▼15
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この方、非常に評判が良くて、奇跡の復活劇も感動的です
ですが、人生を変えた食品偽装事件の真相について まるで自分たちが知らない目が届かないところで、現場が勝手にやってしまっていた というような他責のニュアンスで流し書きしてしまうライターの感覚は 評価し難いですね
超高級料亭における食べ残しの使い回し、産地偽装、賞味期間改ざん 誰もが目を疑ったこの圧倒的な倫理観の欠如が、彼ら独裁的な経営者一族の指示なく行われた? そのように蓋をするのは都合が良過ぎるのでは
犯罪者のその後に光を当てる記事は、その多くがまるで被害者のようにその人生の苦難を描くことが多い しかし、だからと言って犯罪を矮小化するのは感動ポlルノ作家としての書き手の都合にしか過ぎない
▲20 ▼1
=+=+=+=+=
記者の方が、次男さんに愛情をもって記事を書いている。 次男さんは人間的に魅力ある人なのだろう。 人間は下方修正する勇気が大切だと思った。
プライドを捨ててでも、好きなことに近付く。 それは、幸せに近づくことなのかもしれない。
▲0 ▼7
=+=+=+=+=
食品偽装が大問題になって 食を扱う企業コンプライアンスが強化されて今日に至る
あの会見がものすごいインパクトで 同じ様な事をしている企業が自ら見直すきっかけにはなったので 見せしめになったんだなぁ
▲47 ▼5
=+=+=+=+=
いい記事だったわ! 船場吉兆しか知らない次男さんが、復活されたのは、 やはり料理の腕が本物だったことと、生粋の大阪商人だったこと、この2本が備わっていたからなのね。 ご本人が吉兆の名前では商売できない、と腹をくくったことも成功の要因かしら。
▲2 ▼4
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こう言っては何だが、いつも広告のような提灯記事ばかりが載るプレジデントオンラインの記事を初めて読み物として面白く読ませてもらった。 宮﨑まきこというライターさんは、まとめ方や文章が巧みだと感心した。
▲37 ▼10
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平成の三大迷会見をあげろと言われたら、「船場吉兆」と「野々村議員」は間違いなく入ると思う。
この件で最も滑稽だと感じたのは、常連である自称「食通」達。
産地偽装はまだしも、温め直しや揚げ直したものを見抜けずに舌鼓を打っていたのだから、最早コントだ。
近年、時間の経過と共に過剰な揶揄や嘲笑などを批判する声もあるが・・・
個人的には、産地偽装程度ならともかく、ナマ物も含めた残り物を出し直すなどというのは飲食業界の人間云々よりも人として根本的な常識や理性が破綻していると思っている。
▲24 ▼1
=+=+=+=+=
あの時の会見を見ていて、次男さんは普通に会見で答えていたように見受けられましたがお母さんが心配し過ぎですね、あの後、太客との関係は途切れなかったのであのお母さんも人に憎まれる様な人でもなかったのではないですかね。
▲0 ▼14
=+=+=+=+=
失敗を真正面から向き合い、真摯に受け止めて、誠意を込めて謝罪をし、自身を見失わずにいられる人には手を差し伸べてくれる人が必ず現れる。頑張ってほしい。
▲1 ▼5
=+=+=+=+=
料理の腕前や経営経験がいまの土台となってるのかな 結局さいごのさいごで自分を助けられるものは 一生懸命努力して得たスキルということが多いんだろうなあ
▲0 ▼3
=+=+=+=+=
「湯木」って舟場吉兆の方だったんですね。知らなかったけど接待で連れて行っていただいた時に(新店の方)店の空気は穏やかなのに食べる時はピシっとしてなきゃいけない空気感があったのを覚えています。
▲1 ▼5
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2011年、フーズ・フォーラス 「焼肉酒家えびす」に於いて発生した 出血性大腸菌O-157に因り多数の死者を出した 集団食中毒事件のその後の報道は 残念ながら完全に途絶えてしまいました・・ 全く誠意を見せずに逃げるように去った 当時の代表者(創業者) 勘坂康弘氏の 現在も追って下さい・・
▲14 ▼0
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何年経ってもサンドイッチマンにネタとして引用されるほどのインパクトに残る会見でしたからね。記事にもあるようにあの頃は食品偽装が相次いだけど、事業規模でははるかに上回る雪印の「寝てないんだよ!」をものがありました。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
これちょっとええ話にしすぎじゃないか? 産地偽装が1回目で数日の休業後、客の残した刺身などを別の客に出したのが致命傷になったはず。会席なら若造の所に余り物を出すように指示をしてた。それがバレて頭が真っ白になった会見をやっちゃった。産地偽装だけならまだ救いようがあるけど、客に別の客の余り物を出しちゃダメだろー。それも高い店で。
▲32 ▼0
=+=+=+=+=
この方は悪質な偽装を主導した経営陣の当事者だったのになんだか現場の不行届で失敗してしまったみたいな弁でもやもやする 再起は結構だがそこをはぐらかすのはまた信用を無くすんじゃないか?
▲24 ▼0
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偽造のあれこれについて、この方や兄、両親は多少知った上でやってきたのか。当時のことはあまり詳細を記憶していないのですが、関与については記事にはほとんど触れていない。兄はどうなったんだろうか。まだまだ聞いてみたいことはあるのになあと思った。
▲67 ▼7
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一応スキルと生きた人脈があったから事業興せたんだろう。 偽装の張本人出なかったのも救われたのかもね でも事業はどう転ぶかわからんから。コロナ生き抜いたとこ見ると実力はあるようだ
▲0 ▼6
=+=+=+=+=
あのささやき女将は笑ったし、めちゃイケで岡村がモノマネしていたなぁ。この件は食中毒が出たとか死者があった訳では無いから笑いのネタになった。デフレでどの会社も経費削減で大変な時代だった。不祥事を起こして破産までしてもまた復活したなんて凄すぎる。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
数年前にドキュメンタリーでその後を 追ってて見たことがある 確か新地のお店 ささやき女将は健在でした 結局ボンボンはそれなりに人脈があって 一般人とは違う生き方してますわ
▲5 ▼2
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この記事いいな ライターさん構成が上手いし、インタビューする側もされる側もお互い相性良いからできた記事だと思う
もし今同じこと起きたら ネットやYouTuberとかも追加で襲ってくるから立ち直れなかったかも…
▲92 ▼17
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真面目に読んでしまいました。この方が偽装を支持したわけでもないし。あれだけの騒動でも支える人達がいて今があって人に対して信じられなくても人に救われちゃうんですよね。
▲2 ▼20
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まあ全てを失ってもそれまでの人脈という最大の財産はあったのだから普通の人よりかはかなり恵まれてる。 それでも店を何軒も経営出来るのだから才能はあるのだろう。 結局誰が偽装工作してたのかこの記事からは分からんかったが。
▲2 ▼0
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「あなたが転んでしまったことに関心はない。 そこから立ち上がることに関心があるのだ。」
この言葉をまさに表した良い記事です。 特に人の縁に関しては興味深い内容でした。今後の活躍にも期待ですね。
▲1 ▼2
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今思い出して見ると、笑うしかない会見ではあるが、過ちを認めるという本来の姿勢が伝わった。国会、兵庫県、伊東市など首をかしげる会見が多い昨今、この国は前を向くということはないのだと痛感する。
▲8 ▼3
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あの「ささやき女将」会見、もはや平成の伝説やで。記者の質問に答えられへん長男に、女将が耳元で「頭が真っ白になったと…」ってささやく→長男がそのまま復唱。まるで腹話術やん!しかもマイクが全部拾ってるという公開リハーサル状態。食品偽装の謝罪会見やのに、世間の注目は“ささやき芸”に集中。ワイドショーは連日ネタにして、ネット民は「ささやきbot」まで作る始末。料亭の格式はどこへやら、あれはもう高級コントやったな
▲4 ▼0
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苦労とか何を言ってるんだか。 もともとは超有名店が使い回しをしていて、会見はお母さんが中心にささやいたから問題になった。ちゃんと不正をしなきゃ良かっただけ。 まー評価は他人がすることだからね。 よい方向に進んで良かったんじゃないかな?なかなかそう言う人が、いないから。
▲19 ▼3
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お好み焼きの千房の中井元社長、ここでも敗者復活に手を差し伸べておられたのですね。 刑務所から出所した行き先のない人を雇用する活動だけでなく、弱い者への暖かい目配りはさすがです。
▲9 ▼3
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あそこまでいったら裸一貫でやるしかない。全てが好奇の目に晒されてるんだから間違った事をせずに一つのことを大切にし歩を進めれば人はきちんと見てくれてる。
▲0 ▼1
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ライターの品がないわ。失敗して這い上がった人に失敗はあって良かったか何て聞くもんじゃないよ。昔NHKだったかの番組に出たアウシュビッツからの帰還者にあの出来事があって良かったみたいな物言いされたことがあるって話を思い出したわ。誰もが殆どは成功ばかりで人生過ぎていく方が良いに決まってる。苦しみが強くなる力になったとしても良かったなんてことはない。普通はね。
▲4 ▼3
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居酒屋つぼ八は開店当初8坪の店だったが、今では300店舗展開している。 この方は世襲のボンだが多くを失って場末の6坪の店から直ぐに一等地へ。 やはり優秀な血があるのでしょう。 つか、久しぶりにプレジデントの良い記事を見た。以前は、ホントに良いビジネス書だったが昨今はトンデモ皇室研究家のヘンテコな記事ばかりで地面から崩れていくような状態だと感じられるが…
▲1 ▼7
=+=+=+=+=
>「『湯木』の人間が、そない成り下がる >必要が、どこにあるんや!」 >難波の店で小料理店を始めることを >告げると、父も母も眉をひそめて >反対したという。
店の大小で成り上がり成り下がりを判断する感覚が、そもそもの凋落の要因だったであろうに
あの事件があっても結局、両親は人生の真実に辿り付けなかった感を受ける
ま、とはいえ人それぞれに、それぞれの人生があって、余人が軽々しく語るべきものでもないが
▲18 ▼2
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とても良い記事ですね。 後追いで他の吉兆や秘密取材どちらも知りたいですね。 大箱を流行らせるには別の才能が必要だと思います頑張ってください。
▲0 ▼1
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船場吉兆は、確かに昼の弁当などは作り置き食材が怪しかったが、出汁はキレがあり流石だった。 次男さんが気を吐いていらっしゃるのは知らなかったので、行ってみたい。
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プレジデントの記事だったのね メチャクチャ面白かった 宮崎さんがまとめられた様ですが非常に好感が持てる良い取材と描写だと思います。
▲1 ▼11
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誉めてやりたい。よくぞ頑張りましたね。 ここまで来るのは半端なかったよね。良くいろんなこんなに立ち向かって耐えて挫けずに、頑張りましたね。 皆さん誉めてやりましょう~
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