( 311241 ) 2025/07/28 04:51:07 0 00 ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Eloi_Omella
公職選挙法違反の罪で有罪判決を受けた元自民党参院議員の河井あんりさんは、約4カ月半もの間拘置所生活を送った。中での様子はどのようなものなのか。著書『天国と地獄 選挙と金、逮捕と裁判の本当の話』(幻冬舎)より、一部を紹介する――。
■「負けるものか」と意気込んだ獄中生活
取り調べも終わり、起訴されてなお、私は拘置所を出ることができないでいる。弁護団が何度か試みてくれる保釈申請も、そのたびに何の理由も付されることなく却下されてしまう。
だが、逮捕前にはどんな地獄みたいなところかと恐れていた拘置所の生活も、外界と切り離されていて、案外穏やかな場所なのだった。
私の入っている女区は静かで、周囲の部屋からのラジオの音と、刑務作業中の囚人たちが刑務官の指導のもと廊下を行き来する音が聞こえるほかは、午睡時のような空気が流れている。私はその中でひとり、「負けるものか」と自分に言い聞かせ、肩に力を入れた生活を送っていた。
■ご飯は白米ではなく麦飯、食事はまずい
尊厳を傷つけられる拘置所みたいなところで正常に生きていくためには、人間としての品格を保つことが大切である。そこで私は二つの決まりを作った。一つには、受け身でなく、できる限り能動的に過ごすこと。もう一つは、身の回りの世話をしてくれる受刑者や刑務官など周りの人に敬意を持って接すること。
まず私は、朝は起床時間のはるか前、まだ暗いうちに目を覚まして朝食までの間、布団の上に寝転んだまま(起き上がることは許されていない)、腹筋、背筋、内転筋を鍛える。朝食後から就寝までは一日中読書か勉強をする。ご飯もまずいからダイエットには最適で、私は自分に食事制限を課していた。
拘置所のご飯は、もちろん麦飯である。その昔、吉原の遊女を「米」、吉原以外の場末の岡場所の遊女を「麦飯」と言ったという。なるほど、拘置所の女たちにぴったりだわ、と妙に納得する。
■もやし入りの味噌汁は「おしっこの臭い」がした
朝ごはんには、その麦飯と味噌汁、納豆程度のものが出てくる。私の独房は女区の独房の並ぶ一番端、フロアの入り口のすぐ近くにあって、夜明けとともに味噌汁を作る匂いがしてくる。だが、具がもやしの時にはなぜかそれがおしっこの匂いに感じられるのである。私はどうしても朝の味噌汁を食べられない。
味噌汁ということでいえば、私が勾留されて数カ月後のある日、突然、刑務官の声で館内放送があった。「収容者の健康のため、明日から味噌汁の出汁にイリコを投入します」という恩着せがましい内容である。えっ、出汁入ってなかったんだ。
次の日にイリコが入ってから味噌汁が段違いに美味しくなっている。作った人は、これでもか、と狂ったようにイリコを投入したらしく、味噌汁を飲み干すと、お椀の底に1センチくらい、イリコが溜まっていた。
東京拘置所の食事は押し並べてそんなに不味いというわけではなかったが、時々、びっくりするような食事が出てくることがあった。
■スパゲティナポリタンの麺は切り干し大根
ある日、お皿に盛り付けられたものを見て私は心の中で狂喜した。スパゲッティナポリタンではないか! ご存じのように、スパゲッティナポリタンは、玉ねぎ、ピーマン、ベーコン、スパゲッティをケチャップで炒めたものである。嬉しくて早速お箸で一口食べると、なんだか食感が違う。よくよく見てみるとそれはスパゲッティではなく、ケチャップで炒められた切り干し大根なのだった。
週末になると、見たこともないほど大きなコッペパン、大きなお椀にシチューが出てくる。多分、ちょっとしたご馳走のつもりなのである。だが、シチューと全く同じサイズの大きなお椀に入ったぜんざいも一緒に出てくるのだ。両方とも汁物で、お心遣いに申し訳ないけど、うんざりしてくる。
さらに不思議なことに、拘置所のご飯にはなぜかインゲン豆がしょっちゅう入っているのであった。私はいくつかの仮説を立てた。このご飯を作っている受刑者たちが、同時にインゲン豆も育てているのではないか、とか。インゲンを食べてニンゲンとして成長しろということか、とか。
■拘置所で首都直下地震の政府対応を学習
私にはずっと接見禁止が付されているから、弁護士の他には誰とも会うことができず、弁護士以外からの手紙は手元に入れてもらうこともできない。もはや取り調べもないから、一日中、やることもない。弁護士の接見がなければ刑務官以外の誰とも話をすることなく、弁護士や秘書に本や資料をリクエストし、貪るように文字を読んだ。
まず興味を持って勉強したのは、首都直下地震の際の政府の対応についてである。役所から資料を出してもらったのだけど、私の秘書が「河井あんり事務所です」と言って資料要求したところ、国交省の人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔でポカンとしていたという。ふん。
もらった資料によると、首都直下地震が起きた場合の政府のシミュレーションはどう考えても実現性が低い。そもそも都の防災拠点が沿岸部の有明であるが、ここは震度7の区域ではないのか? 羽田空港は液状化対策をしているけれど、全国からの救援を羽田に集結させて大丈夫か? 羽田からの移送経路は確保されているのか?
■暇すぎて英和辞典をAからPまで丸暗記
本もたくさん入れてもらった。大人になってこんなに小説を読めたことは財産であった。井上靖の「見合の日」という可愛らしい小品に出合って何度も読み返したり、ミルハウザーというアメリカの小説家も大好きな作家の一人になった。あまりにも手持ち無沙汰なときには開高健の『流亡記』を書写したりもした。
読むのにも飽きてくると、書きたくなった。私は毎日何かしら書いた。日記のようなもの、所感のようなもの。短編小説も2、3本書いた。「5番街のマリーへ」を題材にしたものや、ネット空間に言論支配され民主主義の形が変わってしまった近未来の話――書くことで、私は救われていた。書けなくなったら、カバンのデザインを描いて遊んだ。それにも飽きると、英和辞典をAから覚えてみたりした(保釈の時にはPまで行った)。
■「チャーリー」のちり紙は欠かせない
こうして毎日を勉強したり本を読んだりして優等生的に過ごしていたのが、あるとき、独房にいながらにしてお買い物ができることを知った。自弁購入といって、部屋備え付けのファイルの中に商品の一覧があり、毎週2回、欲しいものをマークシートに記入して注文することができる。精算は拘置所に預けたお金の中から施設がしてくれ、受刑者が部屋まで配達してくれる。
自弁ではパンや果物も買うことができるから、私は毎回、ヤマザキのあんパンを買い、次の日の朝ごはんとして食べるのを楽しみにするようになった。ご飯がとてつもなく不味いこともあるから、私はほかに明治の板チョコを3枚と、クッキーとかクラッカーを部屋に常備して、代用食としていた。
自弁購入で何よりも重要なのが、ちり紙である。拘置所でもらえるちり紙はシャバではお目にかかれないような粗悪品だから、自弁購入は必須である。「チャーリー」というブランドのちり紙が高品質で、トイレのほか、顔を洗うときや部屋の拭き掃除にも使える。パッケージのねこの絵が、なんだか憂いを含んだ瞳をしていて良い。
刑務官の目を盗んで毎晩たらいに水を張り、石鹼で手足を洗うことができたのは、水に強いチャーリーのおかげであった。
■ラジオから聞こえたオーケストラに涙した
ある日曜日の早朝、私はいつものようにチャーリーで独房の畳を水拭きしていた。刑務官に部屋の中の音が聞こえるように、居室のドアはわざと下のほうに隙間が空いているから、すぐに土埃が入ってきてしまう。毎日の掃除は欠かせないのだ。四つん這いになって、私は一心不乱に、畳を磨いていた。たちまちチャーリーが真っ黒になって、達成感を覚え、いっそうの精が出る。
そのとき、隣の部屋から何かしら音楽が流れてきたのだった。私は思わず手を止め、その音楽に聞き入った。気がつくと私は立ち上がり、ふらふらと壁に近づいてラジオのスイッチを入れていた。
壁にもたれ、私は身動きもせずに聴いた。私の深いところが揺さぶられるようだった。ピアノとオーケストラが奏でるその曲は、現代曲だろうか。私のひび割れた心の隅々にまで、沁み渡っていく。生まれてから、これほどまでに美しい音楽を聴いたことがなかった。
それは現代曲ではなく、ミケランジェリが弾くバッハだという。気がつくと私は、床を拭いた後のチャーリーで涙を拭っていた。
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