( 313150 ) 2025/08/04 04:24:02 2 00 「黒い雨、降ったと認めて」 健康被害と不安抱え80年 救済求め、高齢で訴訟・広島時事通信 8/3(日) 7:15 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/914e06be529f1505cc2a95a236cecdd3356724ae |
( 313151 ) 2025/08/04 04:24:02 1 00 広島の原爆投下後に降った「黒い雨」を浴びた住民が、「被爆者」としての認定を求める訴訟が80年経っても続いている。 | ( 313153 ) 2025/08/04 04:24:02 0 00 「黒い雨」が降った時の状況を説明する大畑忍さん=6月23日、広島県廿日市市
広島への原爆投下後に降った「黒い雨」を巡り、雨を浴びた住民らが「被爆者」としての認定を求める第2次黒い雨訴訟が、戦後80年となる今も続いている。
当時いた場所で雨が降ったと認められず、健康被害と不安を抱えながらも国の救済対象から外れてきた。ほとんどが80~90代で、提訴後に亡くなった人もいる。「時間がない。早い解決を」と訴える。
「ピカーっと光って、しばらくしてドーンと大きな音。すごいキノコ雲が山から上がっていた」。80年前の8月6日、当時国民学校4年だった大畑忍さん(89)=広島市西区=は、原爆の衝撃を鮮明に覚えている。
自宅は爆心地から西に23キロの現在の広島県廿日市市河津原にあった。祖母と畑仕事をしていると、灰交じりの雨が降り、燃えかすの紙片もパラパラと落ちてきた。柿の木の下で雨をしのぎ、黒っぽい灰が付いたトマトを服で拭って食べた。
雨に放射性物質が含まれていたと知ったのは、ずいぶん後のことだ。「小川の水を飲んだし、雨を浴びた野菜も食べた。ショックだった」。白内障や血小板減少症などを発症するたび、「放射線の影響ではないか」と不安を抱えてきた。
国が救済対象の拡大方針を示したことを受け、2021年に被爆者健康手帳を申請したが、「雨が降ったことが確認できない」と却下された。「調査もせずに降っていないことにされ、自分の体験が否定された」と憤る大畑さん。「降ったものは降った。証言を信用してもらわないとどうしようもない。これ以上救済を先送りにしないでほしい」と訴えた。
降雨の認定では、同一地域内で分断も生じている。当時2歳だった河藤雅敏さん(82)=広島市安佐南区=は、爆心地から北に22キロの現在の同市安佐北区大林町にあった自宅の庭で黒い雨を浴びたと、母が生前に言っていたのを聞いた。どす黒い大きな雲が来て大雨が降り、びしょぬれになって大泣きした河藤さんを、抱きかかえて家の中に入れたという。
23年に手帳を申請。学校も地域活動も一緒だった同級生も同時期に申請し、認定されたと聞いた。期待して届いた通知を開くと「却下」の文字が飛び込んできた。「一瞬自分の目を疑った。なぜ、と絶句した」 却下について、市から納得できる説明はない。「ちょっとの場所の違いで、ばかにされている。もう年で、時間がない。どうにか救済できないのか」。河藤さんはつぶやいた。
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( 313152 ) 2025/08/04 04:24:02 1 00 この一連のコメントは、広島・長崎の原爆による放射能の影響や被爆者の健康に関する意見交換を反映しています。
コメントの中には、被爆者手帳を持つ人々が89歳まで生きられたことを根拠に、被爆による健康被害の影響を軽視する意見がいくつか見受けられます。
一方で、被爆者の経験やその子孫の健康に対する不安が続いていることも示されており、歴史的なトラウマが世代を超えて影響を与えていることが感じられます。
全体的に、これらのコメントは原爆被害に対する感情や経験の多様さを示しており、過去の出来事が現代に与えた影響についての理解と解決策を求める声が交錯しています。 | ( 313154 ) 2025/08/04 04:24:02 0 00 =+=+=+=+=
放射能の影響ってほんとうにどこまであるのかわかりにくいですね。私の親戚も被爆者手帳をもっていて、ずいぶん前に白血病で亡くなりました。これは完全に被爆の影響です。 その息子は今も元気で、その人の子も孫も元気です。 本当に影響ってどこまであるのか。89歳までご存命の方は幸運だと思って生きられた方がよいのでは?と思います。全ての病気が被爆のせいではないと思います。
▲5234 ▼728
=+=+=+=+=
この夏広島に行き、平和記念資料館でじっくり学ばせてもらったので、原爆について話で聞くよりもより一層知ることができました。人生で一番、行って良かった場所です。瞬間も、直後も、それからずっと後も、どれだけの苦しみがあったかというのはほんの少しは理解しています。 ですが、無限の救済は不可能です。無尽蔵な財源が無いから。どこかで線引きをせねばならない。たとえば距離、年齢、明確な証拠資料…市内で思い切り被曝してしまった方々の救済を優先すると、20キロ離れていたら被害は少ないと対象外になってしまうのでしょう。
▲759 ▼62
=+=+=+=+=
認定されることで医療費や介護手当に恩恵がもらえるようだけど
「自己の故意・過失などによって生じた病気・けが、放射線と関連のない疾病などについては給付を受けられないことがある」
このような制限もあるもよう
放射線と関係ない疾病ってなんだろう? 80代なら免疫機能が低下していても不思議ではないのだけど
ただ、 こういった日本人の高齢者で戦争による被害を受けた方々の申請が却下されて 碌に調査、確認もせずに外国人の生活保護が受理される 今の日本の社会保障の制度はどうなのだろう?
日本人の生活を守ることを第一に考えてほしい
▲1046 ▼126
=+=+=+=+=
> 白内障や血小板減少症などを発症するたび、「放射線の影響ではないか」と不安を抱えてきた。
いやいやいや、 それはただの加齢でも起きますよ…。
80代でしょ、被爆者でなくてもその年齢まで存命でいる事は中々難しいと思いますが…。
被曝していなければ、200歳くらいまで生きられると言う事でしょうか…。
被爆された方々で、実際にそれが原因で健康被害に遭われて亡くなられた方もいらっしゃり、それは大変不憫で可哀想だとは思います。
ですが、 その中の一部だと思いたいですが、 これをビジネスにしている方がいるのでは無いか?と言う疑念が拭えません。
貧困で死ぬ人は救済されないのに、 放射能で死んだ人は救済(しかも手厚い)され、何か心の中でモヤモヤする物があります。
▲4414 ▼756
=+=+=+=+=
ここまで長生きしてるのだから健康被害はなかったと結論できそうな気さえしてしまいます。不安だったのは分かりますので、ケースによっては健康被害はほぼないというデータを出して安心させてあげてもいいのではないかとも思います。
▲2029 ▼69
=+=+=+=+=
祖母は長崎で被爆して癌で38歳でなくなりました。 その祖母から産まれた私の母も生まれつき体が弱く38歳でなくなりました。 ふたりともすぐ亡くなってしまったので被爆者手帳も何もありません。 あっという間に二人とも亡くなってしまい、何も調べてませんので因果関係は不明です。 そういった状況を踏まえた場合、私は3世になるのでしょうか。 記事の方は89歳まで生きられて、本当に運が良かったですね。羨ましく思います。
▲1139 ▼27
=+=+=+=+=
「黒い雨」のような苦しみが、私たちの地にも降り注いだ。日本軍の侵略がもたらした傷は、80年経った今も癒えない。家族を奪われ、家を焼かれ、心に刻まれた恐怖と不安は消えることなく、私たちを苛む。健康を蝕む見えない毒のように、戦争の爪痕は世代を超えて続く。救済を求め、声を上げても、耳を傾ける者は少ない。高齢となり、体は弱っても、正義と尊厳を求める闘いはやめられない。日本に、過去の罪を認め、私たちの痛みに寄り添うことを願う。80年、待ち続けた答えを、今こそ。
▲23 ▼295
=+=+=+=+=
被爆者ではない高齢の自分の母親も血小板減少に悩まされてます。高齢者なら起こり得る様なことも被爆のせいにするのはどうなんでしょうね。被爆者としての体験は壮絶だったと思いますが、ここまで普通に生きて来られたことへの感謝を口にする方が被爆者として話を聴いて貰えるのではないでしょうか。
▲1243 ▼79
=+=+=+=+=
89歳まで生きてなお「被爆の影響だ」と言い張るのは図々しい、という意見も否定できない。
白内障も血小板減少症も、加齢とともに誰にでも起こり得る症状であり、医師の間でも「老年性変化」として一般的に認識されている。
補償の線引きは、証拠と合理性の上に成り立つべきであり、感情や記憶、被害者の言葉のみに頼って訴えていては被害者ビジネスという批判が起こりかねず、他の本当に救済を必要とする人々への支援の妨げにもなってしまうのではないか。
▲1046 ▼68
=+=+=+=+=
『平均寿命』で一応の線引きは可能でしょう。越えて生存していれば影響なし。 間近であれば、加齢に伴う身体的機能低下を差し引いてなお影響を考慮すべき有意性ありと認められる疾患の有無で判断。 この絞り込みで因果関係の相当性はかなりクリアできるのではないでしょうか。
▲27 ▼0
=+=+=+=+=
申請する側の気持ちも分かるけれど、何かを原因に病気になるかならないかは個人差もある。雨が降っただけで被害者として救済すべきなのかと疑問にも思う。
実際に白血病と闘ったなどの病歴があればまだしも、男性の平均寿命以上を生きたなら、白内障はだれでもかかるものだろう。何を保証する必要があるのがハッキリしない訴訟だなあ。
▲101 ▼4
=+=+=+=+=
ご健在の被爆一世と二世の方を知っていますが、その方を見ていて思います。 被爆量とその後の症状との因果関係を科学的に立証することがそもそも難しいのです。たとえば二世がある種の癌を患っても医師に言わせると「因果関係は無い」と言う。一世の方も同様で、様々な症状が高齢化とともに増えるけれど、因果関係は見えてこない。
なので、救済措置は人道と科学との間を取らざるを得ない。線を引かないのであれば、ほぼ全ての自主申請を通さねばならない。 その結果として得られるのは医療費自己負担の大幅な低減措置(被爆者健康手帳)、国の立場から見ると負担増。他の戦争被害とのバランスもある。
少しでも政府が救済しようとすればたちまち線引きの批判に晒される超絶な難問であるのに加えて、 反核運動に特定政党複数が深く入り込み関わってきた政治の歴史が、この種の報道にさえある種の疑念を抱かせることに繋がっている不幸がある。
▲379 ▼32
=+=+=+=+=
祖父母と伯父さんが長崎での被爆者だけど祖母は63歳で亡くなったけど祖父と伯父さんは80歳過ぎて亡くなった。 家は爆心地から3.5キロの地点だった。 記事の方は22キロと23キロ。 長崎に住んでいる人ならわかると思うけどこの距離は諫早市東部や大村市や西海市の距離で、車だと一般道で1時間ほどかかり、どれだけ離れているかがわかる。 自分も被爆者3世だから他の人より被爆関連の知識はあると思うが、これだけ距離が離れていてさらに80歳過ぎまで生きててて健康被害を認めて欲しいとはかなり無理がある。 またこの人たちを認めたら数万単位の他の人たちも認めないといけないだろう。
▲168 ▼7
=+=+=+=+=
うちの父は被爆者ではありませんが先日83歳で亡くなりました。 被爆されながらも89歳というご高齢でありながらも精力的にご活躍されているようでなりよりと思います。健康を維持する秘訣などを是非発信していただきたいと思いました。
▲80 ▼1
=+=+=+=+=
他の方も言ってるけど、89歳まで生きれた時点で影響は少なかったんじゃないのかなぁ。 被爆で本当に苦しんでいる人は沢山いて、そういう人には支援をしてあげてほしいけど、なにか被爆っぽい症状が出てらっしゃるのだろうか? 黒い雨が降っていたような気がして野菜を食べたかもしれないというのは物語を見聞きしているうちに記憶と混同してる可能性もあるし、、、
自分の先祖は被爆とは関係ないけど、ほとんどみんな70もいきれてないので 長生きの家計羨ましいです。
▲135 ▼3
=+=+=+=+=
心理学で言う「目的志向の罠」ではないでしょうか。
生きている時間を「空っぽで虚しい」「何かを成し遂げなければ」「このままでは価値がない」と感じてしまう。 仏教の世界で伝えられている言葉は、今生きているこの瞬間こそ「豊かさの象徴」「何かを成し遂げることではなく、与えられた状況の中で人生を楽しむことこそ豊かさ」 80年間、ずっと苦しんで生きてこられたのかもしれません。でも、成し遂げることよりも、苦しみを手放して残りの人生を少しでも楽しまれて生きた方が、ご本人もご家族も幸せになるのではないでしょうか。
▲318 ▼29
=+=+=+=+=
ものは考えようで、被爆してもなお存命な方も多い。その意味で運良く助かったという訳で、80歳を過ぎればだれでも節々は痛み、ガンに罹る人も増える。戦後の80年を生き抜いてこられたのは立派だと思う。被爆手帳をもらう事に執着しなくても良いのではと思うが。
被爆や黒い雨を浴びたという体験は恐ろしかったと思うが、ぜひ長生きして体験を伝えてほしい。
▲57 ▼1
=+=+=+=+=
地域の少しの違いで救済されたりされなかったりする、当たり前。 どこかで線引きしないといけないからね。 でもその線引きライン上だったという事はその位の影響しか無いという判断をするだけのものがあると言う事。 こういう人達が不満やストレスを抱えながら生活していかなければならなくなっているのは、こういう報道をするマスコミのせい、ちゃんとした報道をしないからこういう被害者がいつまで経っても無くならない。
▲233 ▼33
=+=+=+=+=
広島被曝者遺族です。被曝者の認定は確かに複雑です。爆心地から1.5㌔という認定基準も根拠が曖昧という被曝医師の話を聞いたことがあります。私の祖父は何度目かの申請中に亡くなりましたが、祖母は被爆者手帳をもらいました。理由はそれまでの「証人2人とともに申請」から「当日の行動を詳細に書いて申請」に変わったことにあります。被爆後の広島ではいろんなことがありました。被曝者認定も初めのころはずさんでした。広島にいなかったことが明らかなのに申請して手帳を受け取った人がいる一方、被爆したことが明らかなのに市の説得も受け入れず申請しなかった人など様々です。行政としてどこかで線引きするのはやむを得ないことでしょう。黒い雨については学者でも意見がバラバラです。核物理学者の私の恩師(被曝者)はどちらかと言えば黒い雨での被爆には否定的でした。
▲47 ▼4
=+=+=+=+=
爆心地のすぐ側の路面電車の駅で被曝した女性が今90歳でお元気に畑仕事をして元気な孫に囲まれて生活している様子をテレビでやっていたけど、被曝したからと言って、短命で病弱とは限らないんだな。と思いました。 原爆の後に黒い雨が降って来た話は、有名ですがこの方の場合には、その雨に当たった可能性のある野菜を食べただけで、ご自身が直接の被曝を受けた訳じゃないし、被曝地から離れた場所に住んでいたそうなので、そこまで被曝が強かった訳でも無いように思います。89歳までお元気で生きているだけで幸せだと思いますけどね。
▲24 ▼3
=+=+=+=+=
うちの祖父は戦争に行った。 敗戦時は満州におり、ロシア兵に捕まってシベリアに抑留されて酷い仕打ちを受けたが、日本政府には何も求めていない。
軍人恩給も辞退した。 帰国したあとに一生懸命働いて平均的な生活ができるようになったからです。
日本全体が貧しい時代だったし、日本国民全員を幸せするために戦争に行ったという自負があったからです。
約20年前に87歳で亡くなりました。
祖父の信念は私の誇りです。
▲57 ▼2
=+=+=+=+=
科学的に正解を決めるのは不可能であろう。 被ばくを原因と固く信じて救済を求め戦い続ける人もいるだろうし、老いをすなおに受け入れて穏やかな人生を送る人もいるだろう。 最後に幸せな人生であったと思えれば良いと思う。
▲66 ▼7
=+=+=+=+=
ある程度以下の量の放射線の影響は確率で現れるので、はっきりとはわからないでしょうね。浴びなくて10%だった確率が20%に上がったところで、よくわからないでしょう。だからと言って知らんぷりはひどいですが、あるところで線を引いて、それ以外は切り捨てるのもやむを得ない。切り捨てられた中で被害が大きかった人は個別認定という事になるけど、よほどはっきりした因果関係が見えないと難しい。雨が降ったか降っていないかは現代でも難しいのに何十年も前のことは「わからない」でしょう。わからない以上降ったとは確実には言えない=降っていないとなってしまうのかな。
▲13 ▼3
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私の祖父も被爆者 窓のない密室の中で吹き飛ばされ、たまたま壁の隙間から漏れた光が 体の一部に当たり、その患部は生涯ぐじゅぐじゅ膿を出し続けていた その祖父は命からがら広島を逃れ、故郷にたどり着けたが 生涯、思い出すのが嫌だと当時の記憶はほとんど語らず、 被爆者申請は、手帳を持ってる事で当時を思い出すから持ちたくない、 保証も何もいらないからほっといて欲しいと長年申請を拒んでいた
10年?近く経って共産党が祖父の存在を知り、申請するように 熱心に尽力して結局被爆者認定された が、その後、社会運動に利用しようと事あるごとに共産党が関わってきて 本当に迷惑だったそうだ(いちいち記憶を呼び戻されるのですから) 祖父にしてみれば踏んだり蹴ったりだったようです
被爆者認定を求めていなかったのに周囲の思惑で認定者となり、 思わぬ二次被害を受けた稀有な例
▲31 ▼1
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日本が過去に誤った戦争を起こしたことは間違いない。数百万に及ぶ人々が亡くなったことも繰り返してはならない。ただ、多くの日本人が亡くなった先の敗戦のなかでなぜ被爆者だけが特別扱いされるのか理解できない。自分の親戚も戦争で亡くなっているが原爆で亡くなった人に比べるとずいぶん雑な扱いをされていると感じる。大変申し訳ないが、原爆慰霊祭での活動家だちの抗議活動をみていると被爆や核廃絶が慰霊と関係ない政治活動、とくに近隣の外国勢力による利用かされていないか心配に思う。ちなみに私は平和主義者だが日本の平和の為に核武装が必要だと確信している。
▲194 ▼47
=+=+=+=+=
被害を訴えている方には申し訳ないが、80歳でご存命で、現役時代に健康不安が無かったとしたら、影響は微小だったという答えは出ている。 当方、60代で被爆経験は無い。福島第1原発事故による被曝は少々ある。で、白内障を発症しているが、被曝より加齢が原因と思われる。 被爆者手帳を貰えないのは、納得のいかない事かもしれないが、健康問題が少なく80代を迎えられた現実を喜んでもいいのではないだろうか?
▲44 ▼0
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89歳、現在まだまだお元気そうでなによりです。さらに長生き願ってます。 歳をとると様々な病気が出てくるもので、黒い雨浴びても、野菜食べても大丈夫そうな感じが、生命力の力強さを感じます。 なんでもかんでも原爆の責任かと思えばそうかもだけど、年齢によるものかもしれないですね。 当時は100年草木も生えない、死んだ土地とも言われましたが、現在の両都市は緑いっぱいの魅力的な街です。凄い力強さを感じてます。
▲19 ▼2
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認定されるか否かで自身が受け取れる助成金の額が全く違ってくるし、自治体によっては二世が保険診療三割負担が多くの場合全額還付されるなんてところもある。
遺産をより多く残したいとか、被爆二世認定を子供に与えたいとか、要は子供に寄与したいって思いの方が強いんだろうけど、はっきり言ってこの助成制度自体が手厚すぎておかしい。
▲235 ▼17
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住んでいた場所に黒い雨が降った事、それで汚染された食べ物を食べた事、血小板減少症を患った時期や症状の程度と原爆との因果関係などなどの客観的根拠を示さなければならいかつ時間がないという事ですので非常に難易度が高いですね。気象台の記録、当時近くに住んでいた人の日記などあらゆる手段を駆使しないといけません。簡単にはいきませでしょうがご検討を祈ります。
▲2 ▼3
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母の姉は長崎で爆心地から3.6キロのところで被爆しました。
その日は朝から空襲警報が鳴り響き女学校は休校になり寄宿舎にいたそうです。長崎は空襲警報から前触れなく敵機来襲に変わったそうで寄宿舎の防空壕へ逃げ込んだ直後にドーンという音がして防空壕が土砂でいっぱいになったとか。
同級生と必死に土砂をかきわけて外に出たら焼けただれた人があちらこちらにいたそうで、本当に間一髪だったと話していました。 被爆者手帳は持っていますが、94歳の今でも元気に長崎で暮らしています。 叔母は影響があったかなかったか本当にずっと不安だったそうです。それでも今まで大病せず生きてきたのだから影響はなかったんでしょうとやっと思えるようになったと話してくれました。
人類が初めて経験した最悪の出来事、国の言う事、周りが言う事、何が正解かわからないので存命でおられるうちに心安らかに過ごせる日々を取り戻せたらと願います。
▲30 ▼2
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却下理由に「雨が降ったことが確認できない」と書いてしまったので、この人はそこに引っかかってしまったのかもしれませんね。「救済対象の基準を満たしていないため」とでも書いておけばよかったのかも。 でもそもそも「雨が降ったことが確認できない」なんてことを、行政が却下理由に書きますかね?そこからしてこの人の思い込みな気がするけれど。そこを確認していない取材にも問題があるし、そこを確認していない取材記事を掲載してしまうデスクにも問題があるように思う。
▲124 ▼20
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黒い雨がかかった農作物とか認めたら、黒い雨が流れ込んだ川や海の水産物もそうなりますしね。89才まで元気なのが逆に考慮の必要が無いほど影響が小さい証明かな。 まあ人数増やして科学的な調査をする必要が有るかも知れませんが、大きな問題にもならなかったから結果の推測は出来ますね。
▲57 ▼5
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原爆で多くの市民が亡くなられたことは、諸外国でも痛ましい歴史的事件として記憶それていますが、ノーベル平和賞を受けられた被団協の方々が平均寿命を超えてお元気なことに、皆さん驚かれ、放射能汚染は日本の医学で克服できたのかとさえ言う人もいます。 しかし、生きてきた中で味わされた健康被害や風評被害の辛酸は理解され難いので、しっかりとアピールして理解され、救済されることが必要ですね。
▲4 ▼12
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当時9歳の頃の出来事を89歳になっても事細かに鮮明に覚えてるのは凄いですね。 被爆者のほとんどがこの傾向にあります。 一般的に90歳ともなると認知症を発症してる事実があるにも関わらず。
総合的に判断すると、高齢者の昔話は内容を持った作り話がほとんどという結論に至りますね。
▲8 ▼1
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人間の記憶と言うは非常に曖昧で、本当に面白いくらい都合によって書き換えられる。 80代の方の子供の頃の記憶は尚更だと思う。 雨が降ったかどうかを調査するは自分らであって国側では無いだろう。 証拠は自分らで用意するのが当然だと思う。 また、その雨が付いた物を知らずして食べたとしても、それは自分らの責任だと思う。 普通に暮らしていても80歳前で亡くなる方もいる中で、それくらい生きられているなら問題無かったのではないかと思う。
▲52 ▼6
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戦争を知っている世代の高齢化が進んでいる。
先日自分の祖母が90で亡くなったが、よく若い頃の戦争の話を聞かされた。はだしのゲンの読み過ぎなのか、ヒモじいのは一般市民の低所得層、実家が商い(うどん屋)の祖母はまだ食べ物に恵まれていたとか。 むしろ弁当の中身が嫌いな食べ物で、道中で捨てていたとか。。。これは衝撃だった。 兄弟8人のうち7人が奇跡的に生きて帰ってきたらしい。
そんな話を直接聞ける「語り部」が本格的にいなくなってなくるぞ…と寂しく思いつつも、貴重な話を直接聞けた世代として戦争について考えさせられ、また自分の子供にも聞かせてあげられた意味でもよかったのかなと思った。
▲1 ▼0
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89歳と比較的長命なところを見ると原爆症なのかどうかは議論が分かれるでしょうね。 訴えられている症状は歳をとると他の方でも普通に発症する類のものですし、原爆症特有のものでもない。それらを勘案して行政は原爆症と認めていないのではないですかね。 ただ当時の広島長崎で似たような経験をしていたら不安は募るでしょう。
▲328 ▼27
=+=+=+=+=
救済対象の疾病(医療費が無料) 悪性腫瘍、白血病、副甲状腺機能亢進症、心筋梗塞、甲状腺機能低下症、慢性肝炎・肝硬変、放射線白内障等 月額約15万円の医療特別手当受給者が4700人。 月額約38000円の健康管理手当受給者が約8万人。 被爆者手帳を持っている人が約10万人。 50代くらいまでの発病なら同意できるが、80歳過ぎれば時効のような気もする。放射能白内障なんかは、被爆後20年で出尽くすとも言われている。
▲18 ▼0
=+=+=+=+=
ここまで長生きしてるのだから健康被害はなかったと結論できそうな気さえしてしまいますね。 不安だったのは分かりますのが、ケースによっては健康被害はほぼないというデータを出して安心させてあげてもいいのではないかとも思います。
▲5 ▼0
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厚生労働省のリーフレットより 「黒い雨」に遭った事実に関する書類(居住地や通学先・勤務先の分かるものなど)を求め、個別に審査
とあるから黒い雨が降ったとされる地域はもう確定されていて、そこにいたかどうかを審査している アメダスも無かった当時、今更黒い雨降った地域を広く認定しろは厳しいんじゃないかなぁ
▲4 ▼1
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もう原爆症への救済は十分されたのではないですかね。未来に向かって進むには区切りを付けて良いと思う。 こんなこと言い出したら、『広島に近い岡山に住んでいたのに救済されない』と言っても通用し始め、キリがないと思います。 被曝や戦争体験は悲惨なものだったと存じ上げますが、どうか未来を見て欲しい。
▲107 ▼11
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正直戦中で被爆直後の混乱渦中のことなんて正確に検証なんか無理なんだから科学的推定で線を引くのは全然ありだと思います。補償についても全員に言い値でする以外はどこで線引いても不平不満はあるだろうけど、そんな事は出来ないし現実回としては今の対応は問題ないと思う。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
800以上のコメントがつくのがすごい。 問題は降雨地域の調査を完了して、正確な場所を特定し発表すること。 その時そこに住んでいたので長く放射線の影響を受けたことを戸籍や親族以外の人が証言できる事ではないかと思う。 原爆が落ちたあと、影響があるところにいた人に手帳を交付して影響の大小が図れないから一律に保護する戦争責任ですから、【影響があるところの曖昧さ】が、再課題になってきたときには特定するしかない。戸籍は違えどそこに疎開していたならばその証明をする。 どうしていいかわからないと思いながら毎日生きるか、同じ境遇の人と力を合わせるか、個人で士業と手を組むか士業並みのことをするか。の3択だと思う。
▲0 ▼5
=+=+=+=+=
89歳まで生きられると分かっているなら 黒い雨に浸かった野菜を私も食べます! 私のおじいちゃんはとても健康でしたが癌で55歳で亡くなりました 私はおじいちゃんの顔を知りません! 私はやりたいことがいっぱいあるので長生きしたいです なんか 長生きする方法 長生きする食べ物があったら すがりたい気持ちです もし 放射能のせいで 89歳まで生きられるのであれば私は放射能を悪いものとは思わなくなってしまうかもしれない! 放射能が本当に体に悪いのか もう一度 調べ直した方がいいと考えてしまいます!もし 放射能のおかげで癌にならないのであれば 私は放射能を受け入れるかもしれません
▲4 ▼3
=+=+=+=+=
全部、人間らしい、業と欲の過程だと思って見ている。 戦争で勝った側も負けた側も、自分の言い分、主張は自分は正しいと思っている。自分達は間違っていない、と訴える。 双方が自分達の主張や欲望の為に戦争して、お互いに自分達は間違っていないと信じ、自分達が「戦争」をしていた事を都合よく無視している。
負けたから被害者、勝ったから加害者。 被害が多いと思っている側は、被害分を取り返したいから訴えている。
最初から戦争するなよと安易には言えない背景があると思う。 昔だから戦争した訳ではなくて、今でも人類は戦争している。
▲2 ▼2
=+=+=+=+=
被爆者健康手帳をお持ちで、厚生労働大臣が認定する「原爆症」に認定された場合、以下のような支援制度を受けることができます。 --- 厚生労働省「被爆者援護法」に基づき、症状や状態に応じて以下の手当が支給されます(令和7年度の金額を例示) :
医療特別手当:原爆症による現在治療中の疾病がある場合、月額 約154,000円
特別手当:原爆症と認定され、症状が現在は治っている場合、月額 約56,900円
健康管理手当:放射線による障害と認められる一定の疾病(肝機能障害、白内障や糖尿病など11障害)のいずれかがある場合、月額 約37,900円 --- この他にも様々あります。 この方は一体何を望んでるのでしょうか?
▲12 ▼0
=+=+=+=+=
結局、長年たってわかってきたことはある程度の被ばくは人間の健康に 影響を及ぼさないってことですよね。人間にはある程度の耐性があると。 そうでなければ今でも広島は人が住める土地ではないはずです。 この辺を疫学的に整理している人っていないんでしょうか。
▲14 ▼2
=+=+=+=+=
戦争で被害にあった方、被爆された方は本当に大変な人生を送ってきたと思います。 それと補償は別の問題で、因果関係がハッキリしている場合はべつとして、そうでない場合はなんとも言えませんよね。記事を読む限りでは、この方々の補償を求める動き自体に違和感を持ってしまいます。(第二次世界大戦を経験していない50歳より)
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
平均寿命以上に長生き出来たなら幸いにも被爆していなかった、幸運と思って前向きに生きた方がいいのでは? 子や孫に影響が出ているなら分かるけど、それも無いようだし。
私の父は75歳で亡くなりました こちらの方は長生き出来て良かったですね
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
82歳でこのたくましい腕の筋肉。 アウトドアで、健康的な高齢者ですね。
戦争被害を軽視することは許されないが、当時は日本人の大半が被害者なので、救済までは難しい。 戦時体制で餓死した人も少なくないし、赤紙含めて兵役で亡くなった方々も戦争被害者。行軍上で様々な被害を受けたアジアの方々も戦争被害者。
遡れば、明治維新に至るクーデターでも戦争被害者が。 応仁の乱から徳川幕府樹立に至る100余年にも戦争被害者が。 世界中、戦争は絶えず起きてきたので、数えきれない戦争被害者が。
全ての救済は現実的ではないので、黒い雨が降ったと認めることに絞って求めていくことが妥協点に思う。
21世紀に、自分たちの後継に、戦争は絶対にいけないことと教えられたことで、一定の満足はいただけないものか。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
結果的に長生きされたとしても、実際に原爆の被害に遭われた方には、何らかの救済・保証はするべくだと思う。長寿だからもういいじゃない、とか、歳取れば健康不安は当たり前だ、とか、そう言う事ではないと思う。つらい目に遭われて、ずっと不安の中で生きてこられた。客観的に考えても、黒い雨に接しているのではないか。変に線引きしてはいけないと思う。
▲0 ▼5
=+=+=+=+=
当時、瀬戸内海上で居ただけで被爆していなかったけど被爆者手帳をもらったとおっしゃってる方がいました。 突き付けられた「却下」でさらに苦しめられたと思います。 広島県で切実に被爆被害を訴えている方に対して、正しい判断がされますように。
▲0 ▼0
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証言だけで証拠にしろっていうのは流石に無理あるかな。それじゃ韓国の従軍慰安婦だったという婆さん達が言ってるのと同じになる。その時に雨が降っていたのか?自分はそこにいたのか?の立証責任は申請者にある。人間って思い込みだけで記憶を入れ替える時あるからね。申し訳ないけど税金から支払われるんで国民が納得する形で審査するしかないでしょう。 まぁ不安抱えてたとしても80年も生きられたわけだから健康被害は無かったんですよ。これからもお元気に長生きして下さい。
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広島市って子供の医療費が年収制限以上だと普通に3割負担らしいですね。年収制限も一般的な子育て世帯では簡単に超える額とか。 子育て支援策は地域差がありますが、そんな自治体もあるのかと驚きました。 原爆の補償がある分未来への支援を減らすしかないとしたら、原爆自体は市のせいではないですが これも戦争の影響なのかと考えさせられますね
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少しの地域の差で待遇に差が出ることに納得できないのは理解できる。 戦争中は、皆が納得出来ない気持ちではなかったろうか。食べ物があったか否か、家が焼けたか否か、出兵したか否か、親を亡くしたか否か、生きているか否か、様々な僅かな差で明暗を分けた人ばかりだったと思う。 今回の話題となっている原爆を非合法的に投下したのはアメリカ。
まだ生きているのにお金目当てか…という批判も多いようだが、今もなお不安を抱えていて、2世や3世にも不安な人はいるでしょう。戦争の影響は終戦争後も長く続くのだと伝えることは大切だと思う。
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影響が皆無とは思わない。過去にはあっただろうし、現在も同様。また、放射線の影響には個人差があろう。
しかし、89歳だから、平均より長生きであることは確かで、これは(平均より長寿の事だよ)良かったこと。
普通に考えると影響は極めて軽微だったとしか言いようがないね。
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どこかで線引きしなければならないのは分かるが、「原爆症と認めるに足る十分な証拠はないが、それを否定できるだけの証拠もない」という人に対しては、被曝者の主張を覆せるだけの十分な証拠を国が提示できない限りは何らかの救済があっても良いのではないか。どうも国は被曝者が寿命を迎えるまで時間稼ぎをしているように見える。 原爆症認定を受けると医療特別手当は154,090円/月、治癒しても特別手当が56,900円/月。介護手当は最大109,770円/月…このような補償金額だと、0か100では格差が大きすぎる。 ただ、この記事に登場する大畑氏の場合は御高齢だから、白内障や血小板減少症の発症がいつ頃か次第では、因果関係がないと結論付けられるだけの根拠が既にあるかも分からない。黒い雨が降ったことが認められたとしても、それが健康被害を及ぼすレベルではなかったという説明も成立し得るだろう。 こういう線引きは難しい。
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誰でも健康に対する不安や悩みはある。 89歳まで生きてこられて、尚訴えるのは本人の意思よりも、国からお金が貰えるなら少しでも頂こうとする欲望しか無いかと…
89年間生きてきて最後は綺麗になって飛び立って欲しいと願うばかりなり
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難しい話ですね。現地にいて、放射性降下物を浴びたか否かは、本人の証言でしか分からない。では何処まで保障されるのか?地区で区切ったって雨の降る場所は確定出来ない。浴びた浴びてないなんて過去の事象は誰にも分からない。年齢的な人体の劣化も有ろうし、国だって何処かで線引きしないとならないだろうし。
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実際に体験していない人たちには到底理解できない心情だったりも有ることは間違いない、国は最低限国民に対して手厚く保護なり保証はすべき、今は問題無いとしても、多くの人は苦しんで無くなっていった人たちもいるはずだし、その苦しんだり無くなった人達にはどうせそれなりの保証はしてないんだろうから。 今の時代に政策による貧困や苦しみに対しても国民を守っていく国でなくてはならないと思うが、国民に対しての自己責任的な話が強すぎて国民を国が守るのが当然とは言われない国は残念。 志を持ってチャレンジしても失敗すれば自己責任、成功すればそれに乗っかりもてはやしたりする… 頭の良い人たちはいかに国民の力を底上げしていくかを考えるべき、国は実を刈り取るのでは無く、種をまき続け、育てる政策を…、その間当然枯れるものあるのは自然の話、タネをまかなければ育つものは無い。全て繋がっている…
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毎年、この時期になると原爆の話が話題になる。 原爆が戦争の象徴と捉えられるのは全然いいんだけど、原爆とは関係なく戦死した人も沢山いる。 祖父は終戦後にも関わらず、戦地で爆撃を受けて亡くなったと聞いた。それからの祖母や父の暮らしはどんなに悲惨だったか。 ろくに小学校も卒業できずに小4から大人に混じって仕事に行かざるを得ない父。その姿を泣きながら見送る祖母… 戦争が全てを奪ったのだ。ただ、そういう肉親を持つ私は原爆だけがクローズアップされるのが悔しい。上を見ても下を見ても仕方がないが、大切な人が亡くなる苦しみや痛みは、どんな亡くなり方でも同じだ。 命があって生きることができているのを見て羨ましい。
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白内障は老人ならなるひとはなる。 血小板減少症はあまり聞いた事がないから 放射線の影響かも…
何歳で発症したとかどこで発症したとか 色々精査しないとなんとも言えない 詐病の人もいるだろうし…
85歳まで生きたら十分長生きだと思うが… 放射線浴びてない人で85歳以下で亡くなる人なんて沢山いるんだが… 放射線の影響を受けていると言えるのだろうか?
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80歳を超え長生きしておられ、幸せわせと考えなければ考えいけないと思います。健康被害の状況が今現在わかりませんが、健康の不安は原爆に関係なく年齢的には誰もあり救済を求めて控訴される目的が分かりません。同級生がいつ頃認められたかはわかりませんが、皆同じ状態ではないと思います。 救済金は私たちの税金で補っております。今の生活を大事に控訴に時間をさくより、残りの人生を楽しんでください。
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私は昭和40年代に社会人になりました。
マジで原爆手帳を持ってるお方が多いとは思いませんでした。メチャクチャ元気なお方ばかりでした。
黒い雨がよかったんじゃと言う意味がしばらくして分かりました。
80年以上も生きてるのですよ。 どう思いますか。
私は親父は抑留から奇跡的に帰った兵隊さんでしたしお袋も大正生まれですので空襲の激しさを知ってます。
しかし、親父もお袋も戦争の話をほとんどしませんがお袋は兄弟3人がラバウルで特攻したのでとある月は位牌を握りしめて泣きじゃくります。
私は戦争について親父に聞いた事が有りますが問答無用のビンタを喰らいました。
両親が辛い過去を話す事は出来ないと分かるのはずいぶん経ってからです。
96歳になる義母も戦争についてはほとんど語りませんが玉音放送は聴いた事は無いとの事です。しばらくして周りから戦争が終わったと知ったのとの事です。
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放射能って見えないだろ、場所で区分したのだろうけど、風向きや汚染物質がどういう経路で処理されたかとかこの人の被害が正当で却下されるなんてひどい話だと思う。この人の被害を含めて、放射能の被害はかなり恐ろしもので、放射性物質を出す原子力発電を安全な保証もなく動かすなんて…とか思ってしまう。
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被爆からもう80年も経過している。 被爆者も80歳以上となってきているわけで、ここまで長寿でこれたことは何ら放射線の影響がなかったと言えるのではないか? さすがに新規認定は打ち切りにすべきである。 国はいつまでやる気なのか? 被爆者を飯の種にしている者もいるわけで、原水爆禁止を訴える必要性は理解できるものの、やり方を見直す時期にきているのは間違いないだろう。
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他の被爆者が病気になって亡くなっていくのを80年見続けてきた。自分もそうなるのではないかという不安を持ち続けてきた。結婚、就職、様々な場面で差別を受け、つらい思いをしてきた。 89年生き続けてきたからこその苦悩があると思う。健康被害以外の被害も大きい。
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私は純日本人ですが、戦争をしていた時代に国家総動員で戦争に参加させ、この戦争は負ける、降伏した方が良い意見もある中降伏の一撃を食らわせる!と自分勝手な意見を言い、多くの命を落とす結果になった罪は重い。 最近の日本を見ていると国民に絶対言えない隠し事が沢山あるんだろうなと思うことが多々ある。戦争に巻き込まれた被害者は全て認めるべきだと思う。
▲6 ▼43
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どうか救済できないか? というのはお金をもらうという事。 酷い日本になってきた。はっきり言ってタカリです。 80〜90歳にもなれば、体のどこかに変調や異常ができるものではないですか。 私のおじいちゃんも、前立腺癌や、目に白内障、緑内障の兆候があり毎日薬を飲んでいます。 今でも政府は大きな借金を抱えているのに、私たち若い世代の将来を考えて、政府の借金をできるだけ減らしてもらいたいです。
▲38 ▼2
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私の父親は被爆者で私は被爆者2世にあたります。 白血球の値が平均値よりも高く他の兄弟も同じです。 被爆者2世として何か優遇処置などあるのでしょうか? 何かの研究向けに利用してくれたら良いのにと思います。
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この方には申し訳ないが、89才と言えば男性の平均年齢を大きく超えていることになります。今迄どの様な健康被害が出たのか分かりませんが、80歳代であれば誰でも多少なりとも何らかの持病を持って、健康に不安を感じているのではないですか。
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原爆投下以降どんなに恐怖な時を送られてきたか 心痛お察しいたします
それでも89歳までご存命ということは すでにご長寿の域 平均寿命を超え散てるのでは・・・ 今さら救済を求めるより その悲しい体験を若い世代に伝え 戦争がいかに愚かな行為であるか後世に残して欲しい
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事実のみを書きます。数年前ですが、被爆者手帳をもった80歳の男性が、肺気腫の疑いがあるとのことで、受診されました。予約なしの初診でしたが、待ち時間が長かったことで、「被爆者なのに待たせるのか?」と受付で怒鳴っておられました。20本、60年以上の喫煙歴があり、検査では、肺気腫(COPD)と診断しました。「原因は喫煙、被ばくとは関係ありません、まずは、禁煙をおすすめします。」と説明したところ、激怒され、他の病院へ行くといって、お帰りになりました。(医療費は、被ばくとの医学的関係に関わらず、何度受診しても、無料です。)
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客観的に見て89歳まで活動出来るくらいに元気なら健康被害はなかったのでは?と思います。 黒い雨の野菜を食べた~とか言い出すと何でもありになりませんか? 20年近く前でしたか、北海道のスーパーでレシート無くても返金出来るようにした際の連中と同じような匂いがします。
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健康被害があったのなら平均寿命を超える年齢にはなっていません。 そして、賠償は請求できないと解っていますが、原爆を落としたのはアメリカです。悪いのはアメリカだと理解できていますか?非人道的兵器を民間人に向けて無差別で使用したのはアメリカです。 「戦争を起こした日本が悪い」それもありますが、日本の住宅地を無差別に爆撃し、非人道的兵器を二度も使用したのはアメリカです。この大虐殺に関しては日本は被害者です。 あくまで、「降伏条件の為に日本がアメリカの肩代わりで救済している」という大前提を理解して頂きたいです。
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健康被害って長寿やん
なぜ広島や長崎だけが特別扱いされなければならないのか、疑問に感じる。
全国を見渡せば、東京、横浜、名古屋、大阪をはじめ、多くの都市が空襲に遭い、多数の犠牲者が出ている。にもかかわらず、原爆被害だけが強調され、特別な補償や語られ方をしている現状は不公平である。
戦争被害は広く存在し、原爆以外にも無数の悲劇があったはずである。にもかかわらず、特定の事例だけを強調することは、政治的な意図が介在しているようにも見える。
結局のところ、それは一部の勢力に利用されている面も否めない。戦争の悲惨さを伝えるのであれば、原爆だけでなく空襲を含め全国の被害を平等に語るべきである。
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80、90歳まで生きればじゅうぶんだと思う。 84歳の認知症の母を介護しているが、 母はもっと楽に、自分本位な考えが年々ひどくなるばかり。 歳取れば当たり前で、こちらが疲れ果てます。 昔の大変さを否定したり無かったこととしては、全く思いませんが、 訴訟のことは忘れ、日々楽しいことを考えた生活を送ってほしいです。 うちの母は毎日、グチと文句ばかり。 楽しいこと考えて過ごしてほしいと思います
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被爆の影響とは何なのかハッキリさせないといつまでもこうした裁判は終わらないだろう。そもそも原爆を落としたのはアメリカなのだからアメリカの裁判所で訴えてはどうだろう? 89歳は被爆していなくても平均寿命をゆうに超えてるし健康被害があったとは考えにくい。
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実際に救済すべきかは別として、当時を何も経験していない我々世代が軽々しく「長寿だから影響はなかった」「原爆の影響受けなくても起こる」「図々しい」などと言うものではないと思う。 本当に黒い雨が降ったなら、その影響に長年怯え続けるのも含めて健康被害。別に肉体的な健康だけが健康なら、精神科も心療内科も存在してない。
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この場合の責任を「お金」として考えたとき、これ責任取るのが当時の戦争に賛成した人でもなく、政治家でもなく、俺達なんだよね。 俺達の働いた金をこの人達にあててるわけよ。
戦争の後に生まれた人が生んだ世代はさすがに遠すぎて戦争の責任ないだろ、と思うんですけど。
戦争を起こしてはダメな理由はこれに集約されているなと思った。 後々の全然関係ない人間に責任を負わせる事になる。 全然関係ない人が責任取ってくれるから戦争が起きるんだろうけど。
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失礼ですが、ここまで大きな病気もなく長生きしてるのなら 影響なかったと反対に喜ぶべきじゃないでしょうか。 黒い雨が降ったにしても80年前の気象情報も調べようが無い。 却下され説明なしに不満はあるようですが そこは諦めるのも一つの決断だと思います。。
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AI に聞いてみた 被爆者健康手帳を持つ人の生存率は、平均年齢の高さから推測できます。2025年3月末時点で、被爆者健康手帳を持つ人は9万9130人で、平均年齢は86.13歳です。これは、被爆から約80年が経過し、被爆者の高齢化が進んでいることを示しています
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火垂るの墓のように戦争で生き延びても戦後の食糧難で命を落とした孤児の子供たちも多かった 放射能の影響はだぶん誰も正確なことはわからない それでも長生きされたから十分勝ち組だと思います
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80年前の被害を、78年経ってから被爆者手帳の申請をするのは何故でしょうか。 過去に他の申請を却下された ムダだと思って申請しなかった 後世に原爆の悲惨さを伝えたい 近年の裁判結果で風が変わった 被爆者支援団体に薦められた それぞれ事情は有るとおもいますが、心情を知りたいですね。 国は被爆者に寄り添って責任を果たして貰いたいです!
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テレビでは被曝しているのに長生きしてる人がインタビューされているから、被曝は大した事ないと思われそうだけど、それ以上に沢山の人が早期になくなっている、と入市被曝した祖母は言っていた。 被曝の影響は、人によってほんとどう出るかはわからない。
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この先状況下で生きる事が最優先でしなけばならないなら、手で払い葉を食べ小川の水は飲む。当時今の様にモニターも無くその地域で受けた想定される被曝量が70億越える細胞や遺伝子にどの影響与えるなんて今の技術すら解らない。被曝が直接原因ならばもうとうに命は亡くなってる訴える猶予さえ無い速さで。全く病気に無関係な状態に長い年数出来るとしそれが原因かもとどう調査するのか。生きて食べて生活してたら被曝か生活習慣か解らないレベルで確かな根拠による理由付けは出来ない。全てそのせいとするならば以後二度と起きない事に全力を注ぐしか無い例えその世代がいくら変わろうと。この記事内容で訴訟は少し違うのでは無いかと思うが、負担が何らかしら生じてるならその年代その地域に住んでた人の検診や受診負担一部補助を申請出来る窓口は広くあってもいいかと思う。ただそれが原因か生活習慣かはわからない年数は経過している。
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まったく無視する訳にはいかないでしょうが、ん~、この手の話なんすけど、白内障やガンなど加齢による疾病や病状は、被爆による原因とは言い切れない、つまり因果関係があると言い切れないんですよ。 さりとて、雨に打たれたことだけで救済対象とするのにも無理がありますし、何も補償がないのも不服でしょうし、、、
他人事で申し訳ないですが、平均寿命レベルまで生存されているだけでも感謝するべきかな?と思います。そこまで生きられなかった方の方が圧倒的に多いのですから。
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記事にちょっと悪意を感じるのが、80まで生きたなら、、、と読者につっこませようとしてるところ。 また、記事にするなら、国側の言い分も詳細に報じるべき。 国と言っても、彼らは我々から集めた税金を管理してるのだから、道義を説かれても、原資が無限なわけではない。 じゃあ、彼らの言い分を受け入れたとしたら、あといくら税金を取られるのか、そこまで踏み込めば、読者も真剣に考えよう。 いつも思うのがメディアはキリトリによって、対立構図を作りたがる。 稚拙、低俗という他ない。
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健康の不安があるからこそ、健康に気をつかった結果、逆説的だけど今長生きできてる気もする。ご本人にとっては、こうやって訴訟するのも生きがい?でも、科学的な根拠は弱いし、長生きしちゃうと、周りの共感も得られない気がしますね。
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90手前で自分の足で歩いて生活できているなら、救済が必要な健康被害のレベルにはないと判断されると思います。 ちょっとの場所の違いといっても、どこかで線引きしないと際限がつかない。
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