( 313308 ) 2025/08/04 07:26:00 0 00 「世界の半分が暗闇になった」遺伝上の父を探し続ける加藤さん
医師の加藤英明さん(51歳)は、父親と血のつながりがないことを29歳の時に初めて知らされた。
きっかけは、病院の実習で両親と自分の血液型を調べたことだった。 両方の親から片方ずつ遺伝子を引き継いでいることを示すはずの結果が、父親とはひとつも合致していなかった。
帰宅後、母親にその結果を伝えると、突然真顔になり語り始めた。「実はね、慶応大学の精子提供で生まれたかもしれない…」 突然の告白に混乱した。
親と医師が同意した生殖補助医療であろうが、生まれてくる子どもも当事者だ。加藤さんはこの日から20年以上、出自を探している。
(関西テレビ報道センター 加藤さゆり)
加藤英明さん
母親から告げられたのは以下の内容だ。 ・父親が無精子症だったこと ・生殖補助医療を行っていた慶応大学病院で精子提供を受けて生んだこと ・提供者は大学の医学生で名前はわからないこと
「ちょっと納得できない。提供者は誰なの?もっと詳しい情報はないの?」
母親に食い下がったが、それ以上は聞いてほしくないという態度をされた。
「地元の病院で普通に産んだんだから、うちの子として育てた。もうこんなことは話すつもりもなかったし、それこそ墓場まで持っていくつもりだった。あんたが勝手に調べたからいけないんでしょ」
投げやりに会話は終わってしまった。これで加藤さんの気が済むわけがなかった。自分のルーツの半分がわからなくなってしまったのだから。
何の疑いもなく「父親」だと思っていた人は、血がつながっていなかった。ずっと一緒に生活してきたのに…
「その時、もう29歳なんですよね。こんな大切なことをなぜずっと黙っていたんだというか、僕に対して悪いっていうよりも、何でこの両親はずっとそれを自分の中に抱えたまま、30年も生きられるのかな。そんなに背負わなくてもいいんじゃないかなって」
両親は、家族や親戚の誰にも話していなかった。
「これは本当に夫婦の間だけでの秘密としてきたんだと言ってました。母親たちも辛かったんだろうなとは思ったんですけど、だからといって、なぜ生まれてきた子どもに対して、事実を知っちゃいけないような、隠しておかなきゃいけないような言い方をするのか」
重要なことを隠されたまま29年が過ぎ、両親に置いて行かれたように感じたと、加藤さんは言葉に寂しさをのぞかせた。
幼少期の加藤さんと両親
それから加藤さんの“遺伝上の父親”を探す旅が始まった。
両親の主治医だった慶応大学病院の教授に連絡をして話を聞きに行った。教授はかなり高齢になっていた。提供者の情報には最後まで固く口を閉ざしたが、健康で学業優秀な学生から選び、教授自ら面談をして適していると思った学生に提供してもらったと教えてくれた。そして、当時は凍結技術がなかったので、その時在籍していた学生から提供を受け、その精子を使ったということを知らされた。
それを聞いて加藤さんは、当時の医学部に在籍した学生の名簿を集めてリストを作り、このうちの30人ほどに手紙を送った。なかには返事があり会って話を聞いた人も何人かいた。
「教授に誘われたが、それによって子どもが生まれるという事の重大さを考えて最終的に協力しなかった」と話す人もいたという。ただ、実際に提供したという人には会えなかった。いまに至るまで20年以上、探し続けているが、未だに手掛かりは見つかっていない。
遺伝上の父が「どんな人か知りたい、どんな考えを持った人かゆっくり話してみたい」。加藤さんが思うのはただそれだけだ。
「日々何かあったときに相談相手になって欲しいなと思うことはよくありますね。提供者も、生まれた子どもに会いに来られると困るみたいなことを思ってる方が多いかもしれないんですけど、いやそうは言わないで年に1回ぐらい会ってやってくださいよっていうのが正直なところ」
法律上の関係を求めているわけではない。ただ自分とつながりがある人のことを「知りたい」と望むことがそんなにいけないことなのか、問い続けている。
3人の親に
いま、保育園に通う3人の息子の親になった。
遺伝上のおじいちゃんがわからないこと、遺伝的になりやすい病気や体質もわからない、そのリスクにさらされて生きていかねばならないことは、子どもたちにも隠さず伝えている。
病院側が提供者を匿名にした理由には、提供者の心理的ハードルを下げ、精子を集めやすくする意図があったとされる。そして、将来的に生まれた子どもが提供者に会いに来ることを忌避する意図もあったと加藤さんは考える。
一方で、加藤さんの両親は、当時の主治医から「隠しておくことが子どもの幸せだ」と説明されたという。親にとっても、子どもに事実を説明しなくていいので楽だったのではないか。でもあの時、両親が医師から「ちゃんと子どもに説明してあげてくださいね」と言われていたら、何か変わっていたかもしれないと、加藤さんは思う
両親が病院側と交わした同意書
この20年で社会は変わった。提供精子で子を授かった親たちは子どもに真実を伝えようと努めているし、提供者を匿名にしない精子バンクも誕生した。
最近では、北米を中心に遺伝子検査の技術が発達し、商業化されて民間人でも利用できるようになってきた。加藤さんのルーツを探す旅も、最近はきょうだい探しにシフトしている。会員制のサイトやアプリを使えば、自分のDNA情報を最初に登録して、似たDNAの型を持つ人が現れると知らせてくれるという。
精子提供者は見つからなくても、もしかしたら、同じ時期に、同じ提供者から生まれたきょうだいと、いつかつながるかもしれないと加藤さんは期待している。
第三者からの提供精子などを使った不妊治療のことを「生殖補助医療」というが、加藤さんは、この医療に対して医師として思う ことがある。
「医療って、治療を受けたい人(患者)と提供する人(医師)の診療契約がないと成立しないんですよね。でも不妊治療の難しいところは、患者と医師に加えて、子どもが生まれてくるんです」
治療を受ける親も当事者だが、生まれた子もまた当然、当事者だ。
「同意書を書いていないから関係ない、ではないんですよね。ほかの医療とはちょっと違う理解が必要だっていうところをぜひ考えて欲しい」
加藤さんと家族
日本でおよそ80年前に慶応大学病院で始まった、第三者からの提供精子を使った不妊治療「非配偶者間人工授精=AID」。 これによって生まれた人の数は1万人以上に上るという。
ことし2月、この医療に関する初めての法案が国会に提出された。法案では、提供者の個人情報は、提供者が同意した場合のみ開示されるとした。これでは生まれた子どもの“出自を知る権利”が守られないとして、当事者たちから強い反対の声が上がった。結局、法案は審議されることなく廃案となった。
生殖補助医療がなければ子どもをつくれない人がいるなかで、必要な医療の一つとして続けるために、一定の法整備は必要だ。そのときに、生まれてくる子どもの立場を、当事者の声を、尊重してほしいと加藤さんは訴えている。
「生殖補助医療って次の世代の国民をつくる医療になりますので、すごく国が発展するとかじゃないんですけど、20年後、40年後の次の国民のための法律になってきますので、拙速な審議というよりは、ちゃんと時間をかけて欲しい。ちゃんと当事者の声を聞いて、より多くの人のためになる法律を目指してもいいんじゃないかな」
関西テレビ 記者 加藤さゆり
【取材を終えて】 医師の加藤さんは、たまたま参加した実習で偶然、自分が AID によって生まれた事実を知った。わかっていることは、遺伝上の父が医学部生だったということ。元々医師になるつもりはなく別の学問を専攻していた加藤さんが、大学院の途中で突然医師の道を志したのは、むしろ必然だったのかもしれない。
加藤さんはお酒が好きで、「いつか遺伝上の父と酒を飲みながら話したい」と明るい表情で語った。AIDで生まれた人の多くは、提供者のデータではなく“人柄”を知りたいと願う。自分との共通点を見つけ、初めて社会の一員と認識できるのだと、ある当事者は話していた。
約80年前、慶応大学病院でAIDが始まった。不妊に悩む親の問題解消が優先され、精子提供者には「匿名」が条件とされた。親も不妊を他言できない時代、第三者からの提供を隠すのは当然だった。「匿名」はドナー、親、医療側にとって都合がよく、「伝えないことこそ子どもの福祉」とされ、出自で悩む点は二の次だったのだ。
筆者も親になるまで「子どもの権利」を深く考えなかった。しかし、子と向き合う中で、親は子を“自分のもの”と勘違いしてはいけないと痛感する。「子どもの福祉」や「権利」を尊重する社会なら、加藤さんのような苦しみは生まれなかったのではないか。
審議されなかった法案は、出自にまつわることなど様々に不備が指摘されていた。拙速に通すより、議論はつくされたほうがいい。次に法案が示される機会があるなら、当事者の声を尊重したものであってほしいと願う。
※この記事は、関西テレビとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
関西テレビ
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