( 313955 )  2025/08/07 03:17:09  
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百田尚樹氏「過ちを繰り返しません」というフレーズに疑問符「原爆に関して何も過ちを犯していない」

よろず~ニュース 8/6(水) 19:30 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/c00323c48120d8223d7e2415cdfa7e9125be2075

 

( 313956 )  2025/08/07 03:17:09  
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百田尚樹氏は、広島の平和記念式典に参加し、式典での一部の挨拶に違和感を感じたことを述べた。

彼は「過ちを繰り返しません」という言葉について、広島市民や日本国民には原爆に関する責任がないとし、過ちを犯したのは米国であると指摘した。

また、彼は米国の責任を追求する意図はないものの、米国政府が原爆投下を過ちであったと認める発言があれば、被災者の霊が慰められるのではないかと考えを示した。

(要約)

( 313958 )  2025/08/07 03:17:09  
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百田尚樹氏 

 

 日本保守党代表で参院議員の百田尚樹代氏が6日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、広島の平和記念式典で「気になった」ことをつづった。 

 

 百田氏は「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式)に参列。」と自身も式典の場にいたことを報告。「厳かな式典に身が引き締まったが、気になったのは、挨拶を述べた何人かが『過ちを繰り返しません』という言葉を発したこと。」とポイントを指摘。「広島市民も日本国民も原爆に関して何も過ちを犯していないし、その責任もない。過ちは米国が犯したものである。」とつづった。 

 

 続けての投降では「私は何も80年前の米国の責任を追求する気はないし、それを声高に糾弾する気もない。」と米国の“過ち”を蒸し返すつもりではないことも強調。「しかし、米国政府から『原爆投下は過ちであった。我々はしてはいけないことをしてしまった』という言葉があれば、被災者の霊は幾分かは慰められるのではないか。」と持論を展開した。 

 

(よろず~ニュース編集部) 

 

よろず〜ニュース 

 

 

( 313957 )  2025/08/07 03:17:09  
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この議論は、原爆投下に関する日本とアメリカの歴史認識や責任の所在についての意見が交錯している。

主なポイントは以下の通りである。

 

 

1. **謝罪の必要性**: 原爆投下を命じたアメリカが謝罪すべきだという意見。

一般市民を対象にした無差別攻撃は許されるべきではないとの見解。

 

 

2. **自己反省の必要性**: 日本側から「過ちは繰り返しません」という表現が出てきたことに違和感を持つ意見も多い。

日本の軍部や当時の状況に対する責任を曖昧にすることに対する批判。

 

 

3. **歴史の解釈**: 慰霊碑のメッセージの解釈についての論争。

主語が曖昧であるために、どの国が過ちを犯したかについて意見が分かれる。

多くは「人類全体」への誓いだと考えているが、特定の国家を責める声もある。

 

 

4. **教育と認識**: 戦後の教育が日本人に自虐的な歴史観を植えつけているとの指摘。

被害者の立場からの視点を強調し、現在の国防や国際関係について冷静に考えるべきだという意見もある。

 

 

5. **核武装の必要性**: 一部の意見では、過去の経験から日本は今後の防衛に備えて核武装すべきだとする考えも見受けられる。

 

 

6. **国際関係と歴史の利用**: アメリカによる戦争犯罪や歴史改ざんの可能性について指摘し、過去の事実を明確に共有することが未来の平和に繋がると信じる声もある。

 

 

全般的に、議論はアメリカと日本の歴史的な負の側面をどう評価し、未来に向けてどのように学ぶべきかに焦点を当てている。

多くの参加者が、過去の出来事に対する誤解や教育の問題を指摘し、冷静な議論と認識改善を求めている。

(まとめ)

( 313959 )  2025/08/07 03:17:09  
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=+=+=+=+= 

 

何も武器を持たない一般市民の真上に原爆を落としたアメリカこそ謝罪するべきなのではないでしょうか?「過ちは繰り返しませんから、、、」という言葉をアメリカのトランプに言わせて欲しいです。 

原爆だけでなく、日本の全国の多くの都市に住む一般市民の上に爆弾を落としまくって、、、。 

毎年この季節になると、マスコミを中心に謝罪、謝罪、、、って、いったい誰に謝罪してるのと思います。また、戦争の悲惨さを伝える? 

悲惨に決まってるでしょ。それよりも、どうすれば負けないかを真面目に議論するべきです。 

 

▲3828 ▼711 

 

=+=+=+=+= 

 

これは、原爆投下を命令した当時の米国の大統領トルーマンから、米国の大統領に引き継がれるべき言葉と思います。 

なぜゆえ、都市空襲や原爆により被害を受けた日本から、このような言葉を発する意味がわかりません。 

百田氏の発言の全部を支持しているわけではありませんが、この件はそのとおりと思います。 

 

▲2536 ▼287 

 

=+=+=+=+= 

 

この碑文が建立された当初から、主語を巡る論争は存在しましたが、 

「私たち全人類が」二度と戦争や核兵器使用という過ちを繰り返さない、 

という誓い、広島市は公式にこの立場を取っています。 

 

特定の国家間の問題としてではなく、人類全体の課題として捉える平和主義的な思想に基づきます。 

被爆体験を人類共通の教訓とし、世界平和を訴えるという普遍的なメッセージ性があります。 

 

賛否や意見は色々あるでしょうが、客観的事実としてはそうなってます。 

 

▲422 ▼169 

 

=+=+=+=+= 

 

広島生まれ広島育ちの被爆3世です。 

祖母の実家は原爆資料館の真下にありました。 

家族は嫁いでいた姉と祖母以外全滅でした。 

 

子供の頃から平和教育を受け続けています。 

難しいことはわかりませんが、『人類皆』が主語だと思って育ちました。 

 

私を含め、ほとんどの広島市民はアメリカの謝罪は求めていません。 

この時期になると広島市内は騒がしくなります。 

原水爆反対派の署名活動や、政治的な活動。 

そんなのも求めていません。 

ただ静かにこの日を迎えて、祈りたいだけです。 

 

▲134 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

日本がなぜ戦争に突入していったか。これは軍部の独走とそれを抑えることができなかった国家元首であることは事実ですが、その前になぜ軍部が勢いをつけてきたかといえば、欧米列強がアジアを食い物にしてきたことへの対抗策ですよね。 

とすると、原因は欧米列強にあるということですかね。 

 

▲38 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

百田代表の話は正論です。広島では原爆教育がなされているのに、主語がない慰霊碑の文言ついての議論は省かれているのでしょうか? 

やはりアメリカを刺激することになるから、タブーなのでしょうか?ここに触れる事が出来るか出来ないかで、原爆被害をどう捉えるかには白と黒ほど違う側面が現れます。それは良し悪しではなく、歴史の真実を知ることにつながります。その意味で百田代表の言葉は非常に重いと考えました。 

 

▲95 ▼31 

 

=+=+=+=+= 

 

毎年、お決まりのショーを見せられてる感じで気分はあまり良くないね。核は無くならないし核を使わなくても戦争で毎日、ウクライナやガザで誰かが死んでいる。百田さんは良いところを突いてくれた。太平洋戦争開戦のきっかけがアメリカに仕組まれ、追い込まれた結果だった事も詳らかにしてほしいね。石破ももう政治的影響力は無いに等しいのだから、最期に言いたいことを言えばいい。鳩山と反対軸でね。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

全くそのとおりです 

保守系の方が、こういう発信をしてくれるのは大きいです。 

 

本日報道されたアメリカの機密文書においても、日本軍の責任で原爆が投下され、最低でも10万人の広市民が亡くなった旨の記述があったとのことです 

 

戦時下において、武器を持たない市民を無差別に殺戮したのは米軍であり、そこは揺るぎない事実です 

軍人や軍事施設以外を核により無差別に攻撃したことは、アメリカや核保有国は認識するべきです 

 

▲1640 ▼293 

 

=+=+=+=+= 

 

様々な意見があるのはわかるが、歴史認識と現在の国防は別に考えるべきだと思う。戦争を起こしたくないのは日本人の願いだろうが、国同士の経済的関係や国交の積み重ね。そして日本が自国の防御を、自国で考えられる状態が最優先に思える。ロシアや中国が危険だと話すのは容易いが、多額の関税をかけ何の保証も財源ないのに80兆円をすいあげる国が日本の最大の同盟国だという現実。この現実が、はたして私たちが求める「平和」につながるのかは疑問だ。今回の80兆円の投資とアメリカ国債を含め240兆円。少なくとも国家予算2年分をアメリカに吸い取られる事が「対等な同盟国」なのだろうか。アメリカの植民地政策が存在するような現状。このお金の流れで、日本は「社会補償費が足りない」と政府が騒ぐ。日本人にとってこの矛盾だらけの「平和」は本当に求めていた「平和」なのか複雑な心境だ。 

 

▲492 ▼57 

 

=+=+=+=+= 

 

GHQによる見事な刷り込みの結果が、日本人自らが「過ちを繰り返しません」という言葉を発していることになる。GHQは民間人〇害のために行った都市爆撃や原爆投下に対し、日本人の復讐心を削いで自分達がすべて悪かったからの報いという考え方を植付けるためにWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)で日本国民に戦争の有罪性を認識させる情報教育政策を徹底的に行い、現在でも政、財、官、法律、教育等あらゆる分野で浸透した考え方になっている。百田氏が言うように平和記念式典においてさえも日本人は、何の疑問も持たずに口にすることになった。 

 

▲574 ▼92 

 

 

=+=+=+=+= 

 

そのとおりだと思います。 

ただ、アメリカ人は当時それが戦争を終わらせる唯一の手段であると信じ切っていたから。 

後に、原爆の方が死傷者が多くなっていたという研究もあるが、それを認めれば当時のアメリカ国民にとっては罪を背負うことになり、耐えられない。 

私もアメリカ人の立場なら謝れないかもしれない。 

 

現在のアメリカでは戦争を体験していない人もいる中で、原爆は間違っていたと考える人も増えているとか。 

時代が変われば認識も変わるとはこのことなんだなと思った。 

 

▲219 ▼64 

 

=+=+=+=+= 

 

主語を曖昧にするのが間違いの元です。 

原爆を落とした米軍の過ちなのか、当時の日本政府の過ちなのかわかりません。 

国民に何の過ちもないのはその通りです。 

戦争に勝つと信じて必死に勤めを果たしただけです。 

「戦争が悪い」という言葉には、戦争を引き起こした当事者の責任を曖昧にする効果がありますが、似たようなものです。 

憎しみを煽るためではなく責任の所在を明確にするため、主語をはっきりして欲しいです。 

 

▲622 ▼165 

 

=+=+=+=+= 

 

百田さんのおっしゃる事は世界の良識人の当然の見解。それが日本では言ってはいけない事、触れられない事、として戦後80年タブーだった。その原因の一つは戦後の日本の政治家とアメリカの間に於いて取引に使われていたのではないかと私は考えてる。思想信条は別としてこんな歴史真実に関する素直な発言が出てきただけでも日本の未来はまだ明るい。 

 

▲827 ▼212 

 

=+=+=+=+= 

 

そのとおり。 

そして、日本は唯一の被爆国として、悲劇を二度と繰り返さないように、自衛力としての核兵器を至急持つべき。 

 

遠くから、スナイパーライフルで照準を合わされているのに、撃ち返す手段がなければ、一方的にやられるだけ。 

しかし、相手もこちら側のどこかからスナイパーライフルで狙われていると思えば、おいそれとは撃ってこれない。撃った瞬間、別の部隊から撃たれるからだ。 

核武装とはシンプルにそういうことだ。 

日本は今この瞬間も、一方的に照準を合わされて狙われていることを忘れてはいけない。今すぐに核武装するべき。 

 

核武装は戦争のためでもなく、ましてや侵略のためのものでもない。 

単純に、撃ったらあんたもやられるよ、という姿勢を示す、アイコンなんだよ。 

早く持とう。今すぐ持とう。 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」というメッセージは、僕の解釈では、まず主語は広島市民でもなく日本国民でもなく「今を生きる我々人類」だと思う。そして誰に対して言っているかというと、それはもちろん原爆の犠牲となった死者である。つまり、我々人類、人間が、このような言葉では形容できないほどの惨たらしい、大量殺戮兵器を同じ人間に対して使ったという過ち。こんなことは二度と繰り返しません。という死者に対する誓いの言葉だと思う。広島、長崎には米国人が使ったが、それから先、核兵器を持つ限り、どこかで誰かが使うようなことが起きないとも限らない。その時、再び誰かが加害者となり被害者となる。その威力は今や広島、長崎の比ではない。原爆の犠牲となった人々がそれを望むはずがない。こんな爆弾、もう使わないでくれ!無くしてくれ!これが死者の心からの叫びだと思う。 

 

▲24 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

私が未だ小学生だった頃、図書館で読んだ絵本。原爆が落とされた広島での状況を描いた【ピカドンが落とされた】絵本なので描写は曖昧だったはずなのに、ショック過ぎて、半世紀以上生きているのに忘れられません。 

戦争は、その時だけでなくずっとその先にも影響があるんです。過ちであることには変わりないです。 

戦争にならない方法を考えて、一人ひとりで。 

決して誰かの口車に乗ってはいけないと思います。 

 

▲42 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

日米戦争を起こしたのはソ連のスパイです。日本にも米国にもソ連のスパイが紛れ込み、彼らが両者の潰し合いを図りました。ハル・ノートが偽物だったことが後に明らかになりましたね。過ちは過ちでも、防諜の過ちです。スパイ防止法を敷き、二度とスパイに政治を動かされないようにしなければなりません。 

 

▲565 ▼189 

 

=+=+=+=+= 

 

百田さんの言う通り、原爆については日本も広島も過ちは何もない。 

未だに米国政府の公式見解は原爆投下は戦争終結のために必要だったとしているが、これが嘘、誤魔化しであり、原爆投下を正当化するためにトルーマンが後になってつくった詭弁であることを知らない人も未だたくさんいる。 

原爆投下は戦争終結とは関係のない残虐非道な世界初の核実験であり、旧ソ連への見せしめでもあった。 

戦時中だったから仕方ないでは済ませられない問題であるが、米国が未だに過ちを認めないのが問題である。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

原爆投下はアメリカの戦争犯罪であり、必要以上に自虐的な史観に立つ必要はない。 

しかし、当時の軍部を含む指導者が、勝てる見込みが全くない戦争をひたすらに長引かせ、より多くの犠牲者を生み出し、その結果として、アメリカに原爆投下の口実を与えてしまったのもまた事実。 

 

それは当時の指導者として非難されて当然の過ちです。 

 

▲360 ▼71 

 

=+=+=+=+= 

 

なぜ、日本人は、ルーズベルトやアインシュタイン、トルーマンの責任を追及しないのでしょうか。なぜ、ポツダム宣言を日本に送られてきたときに、仁科博士や科学者は原爆が開発されたことが分ったはずなのに、鈴木貫太郎首相に報告し、ポツダム宣言を受諾するように進言しなかったのでしょうか。広島投下まで約2週間の間、何をやっていたのでしょうか。ここが非常に残念なことと思います。 

日本の皆様は各当事国の政治家や科学者に騙されてしまったのです。日本人にしか通じない「人類の過ち」にされてしまったのでしょうか。幸いにも、核保有国の抑止力により、80年間もの間、原爆が使われなくて済んだことを喜ばなくてはなりません。 

 

▲2 ▼11 

 

 

=+=+=+=+= 

 

広島市平和記念公園の慰霊碑にも「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれていますね。 

この碑文には主語が書かれていないので、過ちを犯したのは誰なのかという論争がずっと続いているそうです。 

普通に考えたら原爆の犠牲者を悼む慰霊碑なのだから、国際法違反である人道に反する大量破壊兵器として非戦闘員の上に原爆を投下したアメリカが過ちを犯したと解釈するのが当然だと思います。 

しかしどういうわけか日本には、そもそも戦争を起こしたのは日本であり、敗色濃厚にもかかわらず連合国からのポツダム宣言を黙殺した日本も原爆犠牲者に対する過ちを犯したと考える人たちがかなり存在します。 

これもまた戦後の自虐史観に基づいた学校教育の弊害だと思います。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

過去の戦争は原爆に限らずすさまじい悲惨な実相がある 

同級生が一瞬で亡くなったとか、親兄弟が原爆の熱線で苦しんで亡くなったとか悲劇的なエピソードを使って原爆を語るのが本当の意味で反原爆になるのだろうか。そういうエピソードは第二次世界大戦のヨーロッパの各地で起きていたし、今のウクライナでもガザでも起きている。 

ロシアや中国が毎年、先の大戦の戦勝記念行事を盛大にやってるが、われわれとしたらまだやってるとしか思えない。 

日本も80年前の悲劇を語るのは大事だが、今現在起きている悲劇に対して反対の声を上げる行事にしてもらいたい 

 

▲19 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

日米開戦前、大本営の主計局は日米の工業生産力の差が20倍、更に民間企業の工場を軍事目的に転換すれば数百倍になると試算したけど幕僚から、それでは戦争ができないじゃないか、と再計算を命じられ、全てを過小評価して試算し直し、生産能力の差は数倍しかないと御前会議で報告し、だからアメリカに勝てる、と天皇陛下に決断を促したそうですね。 

この手の過ちを日本の組織の指導層は良くするので、繰り返さないで欲しいね。 

 

▲130 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに「過ちを繰り返しません」というのは不思議な言葉。 

米国では戦争終結を早めたという「正当な理由」が一般的なので米国政府や米国民の大多数が「過ち」を認めているわけではない。 

かと言って日本軍部が原爆を落としたわけでもない。 

「過ち」を犯した主体を特定せず「繰り返しません」というのはおかしい。 

元をたどれば開戦に踏み切った軍部やそれを煽ったメディアや国民世論、敗戦が避けられない状況でいたずらに「降伏」の時期を先伸ばした軍の最高責任者天皇の「過ち」ということにはなるのだろうが物事の責任をはっきりさせないという日本独特の「文化」が作る独特の表現なのだろう。 

 

▲62 ▼32 

 

=+=+=+=+= 

 

イスラエルによるガザの攻撃で悲惨な状態になっているニュースはよく聞くし、非常に胸の痛む話だ。しかし、80年ほど前広島、長崎に原爆が投下され多くの人が殺された。また、東京をはじめとして日本の主要都市にアメリカ軍の爆撃により多くの人が命を失い都市は壊滅した。当時も現代も通常爆撃は軍事施設におこなわれるもので、一般民衆を主としたターゲットににしてはいけないはずだ。このアメリカの狂気的な所業にさえ日本人は戦後恨みを抑え耐えてきた。この原爆碑の文言は被害者である日本国民がアメリカの犯した狂気の責任を押し付けられている気分にしかならない。過ちは正すものであり、受け入れるものではない。そろそろ日本人として声をあげていかなければならない。 

 

▲151 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争にもルールがある。 

例えば軍隊は軍人と分かるように軍服を着ていなければならない。(偽装兵、便衣兵はルール違反) 

民間人を目標にした虐殺行為の禁止や強奪の禁止。 

これらのルールを唯一違反していないのが旧日本軍といわれています。(無論100%ではないとは思いますが。) 

 

東京大空襲をはじめ、名古屋や大阪等の大都市圏に対してアメリカ民主党政権が行った行為は重大な戦争犯罪です。 

 

しかし歴史は勝者が塗り替えるのが世の常です。 

いくら正しいことをしても敗者には何も語ることが出来ないばかりか全て奪われ壊され消されるのが当たり前。 

 

過ちを繰り返さないとするならば、経済を立て直して国を豊かにし、人口を増やし、国防、軍事力を高めなくては何も出来ないのと同じです。 

 

これからの政治家には国を守る為の実行力を強く求めます。 

 

▲27 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

ようやく、このようなまともなことを恐れず言ってくれる人が出てきた、石原さん以来か。 

いつまで日本が悪いという刷り込みを信じてるのか。 

民間人を攻撃してはならない掟を破ったのは米。 

終戦してるのに、北方領土を攻めてきて自分たちが正しいと言ってるのが露。 

いつまで寝ぼけてるんだ、日本。 

またこのままではもう時期中に占領されるぞ 

なんとか間に合ってくれ、日本。 

そして保守党を中心にこのようなまともな、けっして右では無い、純粋な日本の心を持つ同士を強く支持する。 

早く目覚めよ、日本。 

そして早く自立せよ。 

 

▲21 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

百田議員の発言が、我々日本人の偽らざる心境なんじゃなかろうか。それをこれまで誰も何も言わない、言ってはいけないような空気を作って来たこと自体が、日本の歪んだ世の中を表しているような気がしてならない。少なくともこの件に関しては何もアメリカに遠慮など要らないではないか。何をそんなにビビってるんだ?堂々と主張すべきは主張すれば良いと思う。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

パール博士も、小野田寛郎氏もこの「過ち」という言葉がおかしいと言っていた。 

 

百田氏の言うことには、全く支持出来ないものもあるが、これは強く賛同する。 

 

米国はパンプキンという長崎型原爆の模擬爆弾を、大阪など全国に投下していた。最初からトルーマンはこの爆弾を落とすつもりで作戦を立てていて、トルーマンの過ちであることは明白。 

 

▲25 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

私個人の意見ですが、「過ちを繰り返しません」とは原爆投下の根源についての反省の弁と受け止めています。 

つまり日本が引き起こした無謀な戦争結果が原爆投下に繋がったことから、「二度と戦争はしない」「繰り返さない」という日本国民の総意に基づく「反省」の言葉ではないでしょうか。百田さんのような原爆だけに矮小化した言葉ではないと思います。 

 

▲27 ▼22 

 

 

=+=+=+=+= 

 

百田氏の主張は理屈は正しいけど、今の日本では許容されないと思います。 

私たちの世代も、子供の頃は「もう一度強い軍隊をつくって、今度はアメリカに勝つんだ」と言っていました。 

今考えると「なんてことを」という感じです。 

今では誰もそんなことは口にしないし考えません。 

恐らく、理屈ではないんだと思いますよ。 

もう一度あんな悲惨な戦争は起こさせたくない。 

そのために何をするか。 

それを考えて行動する中で、百田氏の理屈は入り込む余地が無いと思いました。 

 

▲1 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

解釈は様々あれど「過ちを繰り返しません」は 

日本人という垣根を超えて人類が二度と原爆という忌まわしい兵器を使用しませんという思いを乗せた言葉だと理解している 

 

ここで日本人は過ちを犯していないだとか 

過ちを犯したのはアメリカだろうとか 

言葉を生業とする作家がわざわざ言い出すことに 

何で今?という感想を覚える 

 

被爆国の中でさえこういう責任の水掛け論をしている間は 

保有国側の人々に賛同を得ることさえ困難になり 

核兵器の廃絶など全く進まないのだろう 

廃絶は世界の総意でなければ成し遂げられないのだから 

 

▲6 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

私は戦後昭和世代だが、私が小学生だった昭和四十年代、原爆や空襲の記憶がはっきりある世代の人たちは「アメリカが憎い」と言っています。学校の平和教育で見せられた資料では一様にそう書かれていた。それが世代が変わるにつれ「戦争が…」という言葉に置き換わっていきます。戦後間もない時代にこの碑文を考えた人がどのような思想を持っていたのか知りませんが、残した結果は絶大です。原爆を投下した唯一の国がそれを英雄的行為としているのに、他の核保有国が廃絶に舵を切るわけがありません。その意味で原爆を使用した者への批判をピンボケにした罪は重い。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

その通り 

落としたのはアメリカ 

悪いのはアメリカ 

過ちを繰り返していけないのはアメリカ 

当時の世界情勢を簡潔に振り返っても 

日本だけが悪いのではありません 

日本は毎年毎年この時期になると反省だの 

過ちだの叫びます 

戦後教育が酷いから未だに多くの国民は 

日本を戦犯にし反省や過ちと叫ぶのです 

もういい加減にするべきです 

  

今教育を受けている子供達にも良くありません 

真実、当時の世界情勢、極東裁判 

明治以降の日本の立ち位置をしっかり教える 

必要があり大人も学ぶことが必要があります 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

主語が明示されていないことの利点として責めを負うべき主体が曖昧になっている。原爆を使用した米国も悪いし戦争を決断した日本も悪いし戦争を望んだ国民も悪いし戦意を煽った報道も悪い。主語がないことでそれらすべてを過ちと捉えることもできる。 

 

▲75 ▼26 

 

=+=+=+=+= 

 

原爆投下は第二次世界大戦の延長線上で起こった出来事であり、投下のみを切り離して述べたのではなく戦争全体を見て過ちでありそれを繰り返さないと述べたのだろう。 

 

相手だけが悪いという他責思考は戦争中に抱く誤った思考であり、戦争を終えた今それを抱くことは過去に逆戻りし未来を良くする思考とは決して思えない。 

 

▲25 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

1944年9月18日ルーズベルトとチャーチルとの「ハイドパーク覚書」において、本来は対ドイツにおいて原爆を投下するところを、その同盟国である日本の軍事施設ではなく一般民間人へ投下することを決めた。それを引き継いだのがトルーマンだ。これは明らかに民間人の殺傷と原爆の効果を人体実験することが目的であり、戦争を終結させることは目的ではなかった。しかし、8月15日に戦争が終結した。本来は最低10発の原爆を投下するつもりだった。それが3回目以上の投下が中止になった理由。これは米国による明らかな国際法違反でありホロコーストである。だから米国自身が「この過ちを繰り返しません」と宣言しない限り、核廃絶の道などはない。 

 

▲104 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

これは慰霊の碑に書かれた言葉の事? 

既にに何回も議論になった言葉だろう? 

作家なのに知らなかったのかな? 

丁度、NHKでグランド0、原爆投下直下で生き延びた人達の特集を見た。 

過ちと言うにはあまりに酷い体験をされ、生き地獄を生き抜かれた人達である事が分かった。百田氏の言う様な、アメリカの責任と言って日本人には関係無いとして終わらせるには余りにも悲惨なものだったと思う。 

今生きている日本人として「過ちを繰り返さない」は大変重要な事だろう。 

百田氏にそれが理解できないのだとすれば、そう言う人間なのだろう。可哀想に! 

 

▲16 ▼27 

 

=+=+=+=+= 

 

米国は日本だけではなくナチスドイツ相手にノルマンディなどで多くの兵士の命を犠牲にしている。ナチスドイツも東條日本も戦争を仕掛けた張本人。なぜ米国が大きな犠牲を払ってまで徹底抗戦の構えの敵国に配慮できましょう。焼夷弾の空襲で焼かれても負けを認めず、沖縄戦では民間人に投降することを許さず、犠牲を強いた。もし本土上陸戦になったら民間人は竹槍でゲリラ戦を展開して、多くの米兵が犠牲になってしまう。A級戦犯をはじめとした軍幹部に責任があるのに、靖国に合祀している始末。これでは日本はなんら引き起こした戦争に反省しておらず、ただ自分達を慰め、米国を非難しているだけ。無条件降伏したんですよ。 

 

▲10 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

碑文の主語は「全人類」だと思ってました。それ以外に解釈のしようがない、「自明の理」だと思います。日本人が核を使用したわけではないのですから。どこかの国の戦争記念館のように「末代まで相手国への憎しみを忘れない」ために建立されたのであれば違和感があるでしょうね。 

 

▲10 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

基本的に平和記念式典での発言の主語は「人類」でしょ 

だから「我々の過ち」であり、自分たちの過ちとするから「今後は繰り返さない」という活動へと繋がるわけで 

被害者だから労って欲しいなんてプロセスは何十年前のことよ、その被害者だって年々減ってるわけなんだから 

 

あと、「アメリカが謝罪をすれば慰めになる」みたいな論調は、まさに被爆者が恐れている「原爆が過去の話となる」という状況を表した悪例で、そこは目的ちゃうのよ 

欲しい言葉は「核兵器廃絶に協力する!」という言葉 

慰めじゃなくてこれからの未来をどうするかが争点なわけで 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

アメリカに原爆を投下されたという事象だけ見れば過ちを犯したのは日本ではないと言えますが、原爆を投下されるまで日本は15年間戦争をして来ました。 

誰に頼まれるでもなく、外国に攻められたわけでもなく日本が始めた戦争です。 

満州事変からポツダム宣言までの大きな枠組みで見れば「過ち」であったことは誰が見ても分かることだと思います。 

というか国会議員ならこのくらいのこと汲み取って欲しい。 

 

▲10 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに、原爆はその後使用されていない。 

しかし、戦争は何度も起きている。内戦も起きている。その度にとは言わないが、虐殺も起きている。起きていないのは、世界大戦だけ。 

過ちの範囲をどこまでにするか、原爆の使用に限定すれば、『人間の過ち』と言う意味では合っている。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

アメリカとの満州経営を拒否し、中国大陸を独占しようとした陸軍に影響を受けた軍閥や官僚たちの欲深さを反省するものなのでは?満州に「フグ計画」に則りユダヤ民族を正式に認可して共同経営していれば、歴史は変わったのでは?ヨーロッパ諸国は第一次世界大戦で疲弊し、東アジアに注力する余裕がなかった中、アメリカはモンロー主義のもと自国ファーストで閉じこもることを大統領選挙で国民の意思として表明されていたので、メガ企業など中国大陸はよだれが出るほど欲しかったはずなのに出来なかった恨みを「太平洋戦争」と銘打って仕掛けただけでしょう。19世紀から20世紀にかけてメキシコ・スペインと争い、南米大陸の下部だけで無く、フィリピンやハワイを侵略・統合していたアメリカにとって、欧米不在の中、大東亜共栄圏とあからさまに欧米文化に逆らって経済権益を広げた日本が許せなかっただけでしょう。「過ちは~」はその意味でアメリカに謝罪? 

 

▲7 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

アメリカでも原爆投下「正当化されない」と言う意見が若者を中心に支持され、年々増えてきています。 

80年経ってもその後戦争に使った国はない訳で一発なら兎も角、二発も核は必要あったのか?って素朴な疑問は持つと思いますよ。 

アメリカも歴史教育のやり方少し変えて来てるって聞くじゃないですか。 

 

▲180 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

勿論、核兵器使用を含む戦争を繰り返さないという意味だ。 

 

>広島市民も日本国民も原爆に関して何も過ちを犯していないし、その責任もない。過ちは米国が犯したものである 

 

太平洋戦争の開戦の直接の責任があるのは日本の政府や軍部の指導者だ。 

明治以来の富国強兵の政策により、軍事国家となった日本は「持たざる国」の成長の活路を海外に求めた。それをリードしたのは政府や軍部、その過程で莫大な利益を得た財閥。 

そして悲劇的な結果を招いた戦争に突入した。 

その過ちを二度と繰り返さない国づくりをするという決意の表現だ。 

 

▲7 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

平和な世の中だから戦争についてしちゃいけないことだから謝罪どうこうって話になるけど、戦争当事国同士だから未来についてこういえことが起こらないようにはわかるけど謝罪する必要はないよ。戦争はそういう物。だからこそしちゃいけない、命を大事にすることの教育、戦争の悲惨さを継承していく事が大事。今の平和ボケした日本、政治にも不参加のこの状況で平和を叫んだり核をなくそうとか言う前に政治に参加し自国のこと考えることがまず先だよ。被爆者、被害者がいるから核の話をしないタブーとかこんな方向性は誤ってると思うよ。 

 

▲0 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争に負けた国が、「過ちを繰り返しません」なんて碑文を書いてたら、戦勝国は「日本は侵略したことを謝ってるんだな」って解釈されてもおかしくないだろう。たとえ広島市の公式見解が全人類だとしてもだ。だからこの碑文はアメリカが原爆のことを謝罪しなくてもいい、という口実を与えている。非常に危険な誤解を与える恐れがある。と思う。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

勝てない相手、国力の違いすぎるアメリカに最初に戦争を仕掛けたのは日本だ。追い込まれていたとは言え、最初に真珠湾で手を出したのは日本。 

そうなる前にしたたかに冷静柔軟に、諸々交渉で決定的対立の戦争状態を回避するべきであった。(勝てない時には下手に出ても多くの味方を増やし富国強兵に励むべき) 

戦争を仕掛け結果、国民の多数の命を失い国土も失い日本に限っては勢いを喪失した。後日のアメリカ軍事力の傘の下、経済力に集約集中出来、経済発展し先進国に至ったのは幸運だった。 

 

▲12 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

「過ちは繰り返しません」と言う言葉は、いわゆる「村山談話」を踏襲しているからなのでしょう。この談話では「誤ち」と表現していますが。 

何が誤りだっだのかと言えば、植民地支配と侵略、そして戦争に突き進んだ国策の誤ちだとしている。 

しかし、当時の多くの国民はアメリカとの戦争は望んでおらず、忍耐に忍耐を重ねて、やむを得ず戦争に至ったと理解していた。決して軍に扇動されていた訳ではない。 

戦後の我が国の政治家は、アメリカ側の歴史観のみを真理・正義・定説として、当時の命かけの国策を「誤り」と断罪する。学者や教育者ではないのだから、政治家として自らの頭で思考して、我が国にも当然に正当な言い分があったことを国民に伝えるべきでしょう。 

謝罪と償いの戦後政治に終止符を打ってもらいたい。平和のため、我が国の尊厳のために。 

 

▲0 ▼7 

 

 

=+=+=+=+= 

 

戦時賠償艦として米国に接収された 

長門はクロスロード作戦に使用され 

その身に2発の核爆発を受けてもすぐには 

沈まずに耐えてその場に数日あり続け 

夜間に人知れず沈んでいった 

広島・長崎に続いて日本が受けた原爆に 

2度耐えてその場にあり続けた 

かつて日本の誇りと謳われた戦艦長門 

戦後の日本国民に少しだけ明るいニュースとして 

伝わったと言います 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

現代の日本人が述べる時点で、あの時代の当事者ではない。日本人を代表して言ってるという立場だろう。自分は決して左派ではないが、どこをどう解釈したら日中戦争から太平洋戦争に至る日本の戦争責任がなかったとか言えるのか理解できない。張作霖は勝手に死んだのか。盧溝橋事件は中国が起こしたのか。溥儀は完全に自分の実力だけで皇帝に返り咲いたのか。違うだろう。日本の戦争責任、侵略責任は明確に存在する。どさくさに紛れ、そういうことまで歪曲して語ろうとするから極右は信用されないのだ。 

 

▲7 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

大学卒業まで東京に住んでいて、戦争を犯した日本主導者の過ちと習ったことを当時は疑わなかった。 

 

ただ社会人になり初任地が広島だったので、そのときに広島市の立場を知ったときは、こちらの方が納得した。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

こういうのを玉虫色、集団無責任、自動操縦、破滅への一本道という。 

綺麗事と偽善がここに極まった。それが、この石碑の文言である。中には、この綺麗事が好きな人がいるだろう。しかし、これが偽善であることは明白。 

百田氏の言い分は正しい。しかし、聞く耳を持たない愚かな日本人が多いことを目の当たりにするだけだから今まで誰も言わなかった。 

これからは、日本人が日本人であることを取り戻す時代だ。 

 

▲4 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

アメリカが原爆を使うような状況を作ったのは日本の過ちだと思います。 

あんな戦争を起こさなければ・・・。もっと早くに降伏を受け入れていれば・・・。 

くり返してはいけない過ちはあると思います。 

原爆なんて兵器を使ったアメリカにも過ちはあるかもしれないが、使わせたのは日本です。 

そして今、核兵器は安上がりだとか核ミサイルを持つべきだということを主張する人たちが出てきてますが、行き着く先は広島・長崎の過ちなのではないでしょうか。 

 

▲11 ▼39 

 

=+=+=+=+= 

 

百田氏の主張はその通りです。 

ですが、石碑に刻まれた「過ちを繰り返しません」というフレーズは単に原爆投下のことを述べているわけではないはずです。 

無辜の市民を殺傷すること。 

戦争を起こすこと。 

暴力を肯定すること。 

もっと広義な意味であるはずです。 

 

さて、現代を生きる私たちはどうでしょうか? 

危機を煽り「追い出せ」「戦え」といった勇ましい声が次第に音量を増してきた気がしています。 

そしてそのような人は融和や共存を平和ボケと呼んだりもします。 

戦争に至らなくても敵対がどれほど人々を苦しめるかも知らず、気に入らぬものを「打ち払え」とするほうがよっぽど平和ボケではないか?と僕は思います。 

 

「過ちを繰り返しません」というフレーズの主語述語目的語を加えるなら 

… 

「私たちは利害が対立するものと敵対する過ちを繰り返しません」 

…といったところでしょう。 

日本の平和が永遠であることを祈ります。 

 

▲6 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

公式見解は「特定の主語はなく、人類全体の過ち」という意味 

とはいえモヤモヤが残るのは確か 

もちろん悪いのはアメリカ 

だけど落とされた側からすれば、「こんな負け戦を続けて、一億総玉砕とか言って挙げ句の果てにこんな目に合わされた」というふうに感じる方もいてもおかしくないと思う 

 

▲66 ▼27 

 

=+=+=+=+= 

 

これは私もずっと前から思ってる。落としたアメリカが何の反省もしてないのに、なんで被害者側が、悲劇は繰り返さないだとか、反省の弁のような事を述べなきゃならないの。戦争自体の責任はゼロか100かでは語れないにしろ、原爆投下自体に関しては、アメリカが悪いに決まってるし、やられた側が気をつけてもどうにもならないのに。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

いやアメリカと戦争を始めた事自体が日本政府の過ちだっのだよ。 

 

明治以降多くの日本人の命を掛けて獲得した朝鮮半島、台湾、千島列島など海外の領土を全て失った。 

その上日本国土は焼け野原にされて多くの人命を失った。 

これを過ちと言わずに誰も責任を取らないのか? 

 

そして失った国民は何も日本政府から補助されていない、日本人が自らアメリカと戦争を始めたのに原爆をはじめ被害意識を多く持つ国民がいるのは日本政府の判断にしたがったのに私有財産に甚大な被害を受けても何の保証も政府から貰えなかったからさ。 

 

▲4 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

私も毎年広島で言われている式典の言葉に疑問を抱いていました。子供たちに文章を読ませていますが誰が書いて読ませているのか知りたいです。原爆は日本が広島に投下したものではありません。悪魔の兵器を投下するという過ちを犯したのは日本ではありません。このような言葉を日本の子供たちに言わせてはなりません。 

 

▲2 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

日露戦争後、米国は対日戦オレンジプランを立案作成した。それがまず根底にある。そして欧米は植民地の利権を独占するために日本に対し、中国大陸の利権を放棄するよう画策し石油の禁輸によって日本が他国に侵攻させることを目的としていた。当然、真珠湾攻撃は国内世論を参戦に持っていくために米国自身が必要であった。その先の最後が原爆投下である。日本の方針には何ら誤りはない。対中開戦が過ちならば米英が植民地で起こした軍事行動は何なのか? 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

碑文を考案した雑賀忠義は、この碑文の主語を「私たち全世界の人々」としている。それは、広島市の公式見解でもある。 

わたしも原爆投下はアメリカが犯したとんでもない蛮行だとは思うが、同時に「アメリカの奴らが」「中国の奴らが」「日本の奴らが」と言い続けている限り、世界平和も核廃絶も遠い夢物語とならざるを得ないこともまた確かだ。 

 

▲11 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本は原爆関連で過ちを犯している。 

何かというと、「世界初の核兵器保有国になれなかったこと」「敵国の核開発を阻止できなかったこと」「核兵器の着弾を許してしまったこと」である。 

 

米国から謝罪を引き出すことには何の意味も無い。寧ろ、有害である。 

日本は北方領土や竹島を不法占拠されている。これらを取り戻すに際し、敵国の一般市民を掃討するという戦術を採らざるを得ない場合があるかもしれない。 

今、米国の日本人に対する民間人殺戮を悪戯に批判したら、将来我々が行う戦闘に矛盾を生じさせてしまう可能性がある。 

 

▲13 ▼78 

 

=+=+=+=+= 

 

日本側の過ちとしては、やはり負けると分かっていても降伏をズルズル先延ばしにしたことでしょう。ソ連の仲介を当てにしたことや、ポツダム宣言に完全無視と取られる対応となったこともありますが、なによりも当時の教育の成果か天皇中心の国体維持に指導者ほぼ全員強く拘り、天皇自らがそのこだわりを解くまで決断出来なかったということです。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この件に関しては私もそう思います。 

仮に日本の指導者の行動が過ちだとしても 

この方々には一切責任は無いハズです。 

しかし、、なぜこう発言するのでしょう。 

戦争をしてはいけません。しかしながら、 

発言の真意は亡くなった方々を思う気持ちとは 

別のところにあるように思います。 

毎年、違和感を感じています。 

 

▲57 ▼36 

 

=+=+=+=+= 

 

まー原爆投下する事でアメリカには大きなメリットあったからねー最新の超巨大爆弾の実証実験と日本に白旗上げさせて兵士というアメリカ国民の犠牲者をそれ以上出さないですんだ事。本土まで空爆される状況で敗戦濃厚の中早期に停戦交渉しなかった当時の日本政府にも責任はあったと思うけどね、内閣は停戦交渉したがっていたが軍部上層部が少しでも良い条件での停戦交渉に持ち込みたくて早期の停戦交渉に反対してたという話もあるしね。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

解釈に幾つかあるのは承知しているが、私はこのフレーズを「無謀な戦争を行ない、そのうえ降伏判断が遅れ本土空襲、沖縄侵攻、特攻継続、そして原爆と、民間人や若者の犠牲を更に膨大にした過ち」を繰り返さない・・・と理解していたので、適切だと今も思ってます。 

 

しかし米政府に対しては本土空襲や原爆の民間被害者に(日本国にではなく)公式な謝罪をするよう求め続けるべきと思ってます。 

 

なので、被害者団体が日本政府ばかり非難して、米国には直接の謝罪要求をしていない(ように見える)のは違和感があります。 

 

▲11 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

> しかし、米国政府から『原爆投下は過ちであった。我々はしてはいけないことをしてしまった』という言葉があれば、被災者の霊は幾分かは慰められるのではないか。 

 

米国の立場は日本への原爆投下は間違いではない。米国も望んで原爆を投下を選択した訳ではなく、日本に敗戦を認めさせるための必要悪。被災者には同情するが、原爆投下が無ければ日本は戦争を続け、その戦死者は2発の原爆による被災者を超えていた… 

 

とまぁ、日本には救いのない理由を多くの人が、考えていそうな気がします。 

 

▲35 ▼42 

 

=+=+=+=+= 

 

過ちは戦争を始めてしまったことと、 

軍隊の勝手を止める仕組みがなかったこと。 

 

石油を止められて戦争を始めてしまった。 

資源のない日本は外交を過てば簡単に食っていけなくなる。窮すれば善悪の判断もできなくなってまた同じ過ちをしてしまうかもしれない。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「過ちは繰り返しませぬから」 

 

この言葉は、原爆を落とした側ではなく、被爆地・広島が発している。 

だからこそ重く、深い意味があると私は思う。 

 

主語は“私たち人類”。 

広島が「人類全体の過ち」として受け止め、「未来の誰も繰り返させない」と誓っている。 

 

被害を受けた側が、報復ではなく平和を選ぶ。 

この言葉は、過去への怒りではなく、未来への責任を語っている。 

 

▲7 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

過ちの解釈が百田尚樹は大東亜戦争肯定論だから、意図的に導き出す過ちの解釈を歪曲していることになる。あの広島の被爆犠牲者に対する生き残った側の心理とは原子爆弾を投下されるに至った国政と国策と世論の過失つまり戦争に至った過誤を二度と繰り返さない反省と非戦の誓いのことばであり、自ずとアジア太平洋戦争の否定から日本国憲法の平和主義に結びつく思想的流れである。したがってポツダム体制を否定し東京裁判史観を拒否する百田尚樹のスタンスからは認められない解釈になる。しかしこの碑文には原爆投下までの歴史的文脈が揺るぎなく流れており、それを意図的に改竄したリ論理のすり替えを図ろうとすることは歴史の事実をなきものにしょうとする歴史修正主義のそしりを免れない。先の大戦に倒れた幾多の英霊も歴史を改竄することは望んではいまい。80年経っても風化させてはならない日本人が共有する十字架である。 

 

▲3 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

気になる人は百田氏も含めて『言う前に』広島市の公式見解を見るべきでは?見たらこんな疑問は出ません。 

 

この石碑の主語は誰なのか?これは何度も議論となった結果、石碑を考案した広島大学の教授だった雑賀忠義氏の意見を汲んで、広島市が「私たち全世界の人々」という見解を出しています。 

 

気になる人はまずこの見解を見るべきです。誰がやったとかそういう被害者加害者という視点で書かれた石碑ではないのです。 

 

▲94 ▼94 

 

=+=+=+=+= 

 

たしか米英中によるポツダム宣言を日本政府が黙殺し、ソ連による和平の仲介があるのではとの甘い期待を抱いていた中での出来事ですよね。 

「過ちは繰り返さない」ってまあ強いていえば、お偉いさんが「希望的な観測にすがらず現実を直視する」ってことなんだろううけど、上手い立ち回りが果たしてできるものかと。 

 

▲28 ▼46 

 

=+=+=+=+= 

 

もちろん原爆投下の責任はアメリカにあり、どちらが戦争を仕掛けたに関わらず、無差別虐殺は国際法違反であることに疑いはありません。 

しかしながら広島、長崎の展示は、これが単に広島と長崎の地域にもたらされた悲劇というだけでなく、人類全体にとっての愚行であることを広く伝えています。すなわち、アメリカでなかろうと、中国だろうとロシアだろうとイスラエルだろうと、唯一の被害国である日本だろうと、原爆の使用は過ちの繰り返しであり、それは広島、長崎だけでなく、世界のいかなる地域にももたらされるべきではない。そういう意味で、過ちを「アメリカ」だけではなく「全人類」として繰り返させないために、この悲劇をいつまでも発信し続けようという、広島の決意からきた言い回しだと思います。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

広島市民にしてみれば誰が誰に向けたそのフレーズだろうがそれはどうでもいい事。80年これを言い続けてきた結果が100万都市への復興なのです。核なき世界を訴え続けてきたからこそ、日米政府からの補償がなかったり、それが微々たるものだったにも関わらず街を再建する事が出来た。合衆国政府でも日本政府でもなく世界中の民を相手に商売して来たからこその今日の広島の発展があるわけです。 

今日明日を生きる為、家族の生計を立て直す為、家を建て直す為、街を建て直す為に余計なナショナリズムなどは捨てて必死に商売をして来た人達がいました。そして今後も負の遺産をそのまま観光資源に変えて世界中を相手に金儲けをしていく。 

最も永続的なある種の報復なのです。それも最も正しく平和的な報復。核廃なんて本気で望んではいない。これがどれ程高尚なやり方か、手前味噌ですが広島市民として行政と民間一体のこの戦い方はある意味誇りに思います。 

 

▲23 ▼86 

 

=+=+=+=+= 

 

核兵器の実戦使用という「我々“人類”が犯した“過ち”」……冷戦下での「相互確証破壊」に怯える昭和の頃には、そんな「全人類的な共通意識や危機感」が普通に共有(「宇宙船“地球号”」とかね)されてたけど、今の人達はそんな意識はどこかにすっ飛んでしまい「誰が敵か、味方か」という弱肉強食の国家サバイバルにしか興味がなくなってしまいましたね。まぁ「お花畑」と比べたらある意味「現実的な国際感覚」ではあるのだけれど。この種の意見のように「当時の理念・理想」がすっかり失われ、誰も思い出せなくなってるのは悲しい事です。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

アメリカ人は謝罪しません。何故なら悪いとは微塵も思ってないから。戦争末期、日本への爆撃は日本全土に及びました。その規模は数万人規模の小都市まで拡大する予定でした。しかし、アメリカの世論は政府の戦術に対し、そこまでするのは酷過ぎるのではないかとの意見に傾きます。その世論の動向が、アメリカ政府に原爆投下を決断させたと言われています。アメリカ人からすれば、徹底的な爆撃から日本人を救ったと思っているので謝罪する訳がないんです。当時のアメリカ軍部でさえ反対したと言われている原爆使用なんですがね。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

純粋な慰霊の言葉ならともかく、被害を受けた側に「過ちを繰り返しません」と言わせ続けるのは、戦後80年が経った現在においても、将来の世代まで未来永劫、東京裁判に基づく自虐史観を植え付けようとしているからに他なりません。 

本来日本人は「世界に過ちを繰り返させない」というべきなんです。でも決してそうは言わない言わせない。 

戦後80年は、こうした自虐史観のパラダイスシフトのきっかけにすべきだと考えます。 

 

▲100 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

これはつまり米国様に対する開戦がそもそも過ちだったというわけだが、その開戦すら米国の謀だったという救いの無いオチ 

そもそも論に立つなら日本は軍事と諜報にもっと真剣に取り組み、国家として真面目に危機管理体制を確立せよ、過ちを繰り返さないとはそういうこと 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争は様々な要因が重なったがために起こる「現象」です。しかしその現象は過ちの集合体であり、防げたかもしれない。 

 

ですから、当時の人類が辿った過ちなのです。 

 

この人作家なの?読みが浅いっていうか、頭が瀬戸物のように固いっていうか 

 

▲21 ▼14 

 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争を一日も早く終わらせるために原爆を使ったとアメリカは正当化しているが、非戦闘員の一般人(子どもも含む)を無差別に殺戮したことはやはり許されることではないだろう。 

日本政府は毎年繰り返し反省の弁を述べているが、同じようにアメリカ政府も特使を派遣して陳謝の弁を述べるべきではないだろうか。 

 

▲24 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

あれは太平洋戦争結果の事象一つとして捉えているのであって艦爆使用単体ことでない。日本が貧困から中国大陸侵略したことは事実だ。近代化遅れてた中華民国に人道支援や技術協力に行ったわけてはない。貧困社会問題解決に外国から奪うという人とし誤った選択を繰り返さないという意味である。今日に侵略無かったと言い張る人も増えた。過ちくり返す気配はある。対米戦のみは文明衝突という見解は理解できる。しかし大陸出兵は違うだろう。原爆についても日本も開発研究はしていた。湯川の師の仁科機関である。その報告には「理論的ニ可能ナレドモ今次大戦ニ間ニ合ハズ」と残る。ノーベル賞は本来仁科のはずがこの研究故に外され弟子の湯川になったともされる アメリカでは都市に投下せずとも東京湾で良いではないかという意見もあった。もし日本が開発なら人権意識も低くキリスト教道徳も持たないから都市投下に異論唱える人すらいなかったろう 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

根本的に「過ちを繰り返しません」というフレーズは、日本人とかアメリカ人というカテゴリーではなく、同じ「人間」という概念に立っているからこそのフレーズだと思う。 

人間なんだから、過ちを一つもおかさない人間なんていない! 

しかし人間だからこそ、過ちを反省し繰り返さないという思考もできる。 

当時のアメリカ政府が原爆投下を決断した…アメリカにはアメリカの言い分があっただろうし、当時の日本政府だって神風とか天回なんて非人道的戦闘を繰り返していた。 

氏はアメリカの責任を追及したり、非難するつもりはないと言ってますが、日本人は悪くない!、日本人は過ちをおかしていない!という論調は、一見すると正論のようにも聞こえるけど、じゃぁ悪いのは誰なの?、過ちをおかしたのは誰?…という犯人探しの意図がない限り、成立しない。 

AとBがいて、Bは悪くないというのであれば、じゃぁ悪いのはAだ!って事になるでしょ? 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

広島市民(被爆二世)です。あの文章には主語がないですね。恐らく平和公園建設当時のアメリカに配慮したと思われるが主語をぼかす事で特定の犯人を呪う方向より亡くなられた被爆者に祈りを捧げる方向を目指す文章らしい。百田さんの言う通り平易な言葉で表現するとあの8月6日大きな過ちをおかしたのはアメリカだし百田さんは恐らくつい最近トランプ大統領が原爆が戦争を終わらせたって発言を繰り返す事を批判したと思います。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

いや、日本も戦時中、各開発をしていました。 

ウラン235の濃縮に必要な遠心分離機の軸受けの摩耗を防ぐことができなかった他、濃縮に必要な六フッ化ウランの前段階である炭化ウランを合成できず頓挫しましたが、開発はしていました。 

仮に先に開発に成功していたら、日本が人類唯一の核使用国になったであろうことは、当時の戦局や国家体制から想像に難くない。 

結果的に日本は唯一の被曝国になったけれど、歴史の歯車が狂っていたら唯一の使用国になっていた可能性もあることは忘れてはいけないと思う。 

 

▲20 ▼74 

 

=+=+=+=+= 

 

日本か米国のどちらかが過ちを犯したということではないと思う。 

両国の教育、考えの違いもあるので過ちを犯していないと声高々に発信するのはどうかと思う。 

それそれに過ちはあり8月6日に起こったこと、起こるに至ったことを後世に伝えて同じことが起きないようにすることを発信してほしいですけど。 

偏った発信は控えたほうがよろしいんじゃないでしょうか。 

 

▲45 ▼78 

 

=+=+=+=+= 

 

米国の政治家の多くは核を使用した戦争犯罪を認めようとはしない。しかし米国民は過半数かどうかは私には分からないが、かなりの数の人が原爆投下を罪悪と思っていることでしょう。ただ80年前に一方で日本が降伏しようとしないで、戦争終結に米国が手こずっていたことも事実だろう。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

確かに誰が何の過ちを繰り返さないのか、が曖昧のような気がする。 

原爆投下に限定せず、戦争行為全体であるなら、日本人だけでなく地球上全ての人々が対象になる。 

しかし第二次世界大戦が終わっても、朝鮮戦争や国共内戦から文化大革命、ベトナム戦争や直近ではウクライナやガザ。 

戦争により解決しようとする国や勢力が後を絶たない。 

また日本の原爆廃止団体も、共産系と社会党系に分裂したりと、政治的に利用しようとする勢力がいる。 

さらに第二次世界大戦での日本人の犠牲者は、南方にも満州にも、国内各地の空襲でもいて、広島長崎は象徴的ではあるけど、限定する必要もない。 

原爆による民間人の死者という点では特殊だが、過ちを繰り返さないというなら、やはり日本の原爆だけではなく、世界の戦争を、世界全ての国を対象にしなければならない。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

このことを今まで国会議員が論じていないのはかなりの問題です。 

岸田がまともな政治家だと言うなら、コレを正すことに命をかけろよとおもう。 

アメリカ民主党やらzの言いなりなんで無理とは思うが、明らかになるのは素晴らしいことだ。 

 

▲96 ▼43 

 

=+=+=+=+= 

 

10万人の命が奪われた結果を見ても過ちを犯してないというお考えのようです。 

国民の命など他人事なのでしょう。 

このような人物は同じ失敗を繰り返します。 

次は100万人が命を落とすことになっても、過ちは犯してないとおっしるのでしょう。 

 

▲2 ▼4 

 

 

 
 

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