( 313965 )  2025/08/07 03:29:59  
00

戦後80年に放送流れず 町が広島原爆投下のサイレン忘れる 湯河原

毎日新聞 8/6(水) 18:15 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/63d8c5cb53eb2313e0e3ac637b3c75821eb679f5

 

( 313966 )  2025/08/07 03:29:59  
00

神奈川県湯河原町は、広島の原爆投下時刻に合わせたサイレンを流し忘れていたことが明らかになった。

町はこのミスの原因を調査し、再発防止に努める方針。

町では毎年、原爆投下時刻に1分間のサイレンを流し、町民に黙とうを促しているが、今年は機械の設定を担当者が忘れたという。

町民の中には、戦後80年にこのようなミスをすることに憤りを感じている人もおり、戦争の記憶が薄れている現状を懸念する声もある。

(要約)

( 313968 )  2025/08/07 03:29:59  
00

神奈川県湯河原町 

 

 神奈川県湯河原町が6日、広島の原爆投下時刻に合わせたサイレンを流し忘れていたことが、同町への取材で判明した。町は詳しい原因を調べ、再発防止に努めるとしている。 

 

 町地域政策課によると、町では毎年、広島の原爆投下時刻(8月6日午前8時15分)に合わせ、1分間のサイレンを町内放送のスピーカーから流して町民に黙とうを促してきた。また、同7時半にはサイレンが流れることを伝える事前のアナウンスもしてきた。しかし、今年は担当者が放送するための機械の設定を忘れたという。 

 

 同課は「過去に同じようなミスはなかったと思う。このようなことが二度とないように、原因究明や再発防止策を取っていきたい」としている。 

 

 同町に20年以上住む男性(75)は、毎年8月6日はサイレンを聞いて黙とうをささげてきたという。「戦後80年の大事な年に忘れるなんて。原爆で亡くなった人に失礼、無礼ではないかと思う」と憤った。戦争の記憶が薄れる世相を反映しているように思えるといい、「世の中全体の雰囲気が少しずつ変わっているのかなと、今回のようなことでも感じてしまう」と話した。【矢野大輝】 

 

 

( 313967 )  2025/08/07 03:29:59  
00

このスレッドでは、神奈川県湯河原町における原爆投下日のサイレンが鳴らされなかったことに関する意見が交わされています。

主な意見としては、サイレンを鳴らすこと自体の重要性、過去の出来事を忘れないための努力、担当者のミスに対する理解や寛容さ、地域としての意識の風化の懸念などが挙げられています。

 

 

一部のコメントからは、遠く離れた場所での追悼が必要なのかという疑問や、サイレンの音がトラウマになるとの意見もあり、住民の感じ方にはバラつきが見受けられます。

また、サイレンを鳴らさなかったことを厳しく批判する意見もあれば、ヒューマンエラーや業務の忙しさを理解する声もあります。

特に、原爆投下から80年が経過し、戦争を経験している世代が減少する中での歴史的意義をどのように受け止めるべきかについての論調も見られました。

 

 

多くの人が意識を持ち続け、黙祷などの機会を持つことの重要性を訴えている一方で、サイレンというイベントが強制的と捉えられることに対する懸念もあるようです。

このように、原爆とそれに続く戦争の記憶をどう継承していくかは、今の世代にとっての重要なテーマとなっています。

 

 

(まとめ)

( 313969 )  2025/08/07 03:29:59  
00

=+=+=+=+= 

 

犠牲者に哀悼の誠を捧げることは大切。これが広島県内の自治体なら少しぐらいは問題になるかもしれないけど、神奈川県でしょう。いちいち住民にインタビューまでして、わざわざニュースにする必要あるのかね。 

 

▲9703 ▼1354 

 

=+=+=+=+= 

 

これは単純なミスでは終わらせられない、由々しき事態だと思いました。 

再発防止うんぬんという問題ではなく、サイレンを鳴らす担当者が、まず「忘れていた」ということが、非常に問題視しなければならないことです。 

つまり、担当者自身のなかに、今日が原爆投下された日であるという意識が、薄れていってしまっているということの表れです。 

忘れていたことを責めているのではなく、無意識にでも感じることができなくなっている、この世代交代による風化がとても心配になりました。 

戦後80年という時代の流れを、否応もなく思い知らされる出来事だと、強い危機感を覚えました。 

 

▲23 ▼111 

 

=+=+=+=+= 

 

最近の多様化している社会の中、朝にサイレンを鳴らされ、迷惑だと感じる方も多いのではないでしょうか?私も帰宅が午前0:00頃ですので熟睡している時間です。 

 

関西や東日本の震災の日など、何かが起こるたび黙祷する日が増えていく気がします。ある程度の期間で区切りをつけることも必要ではないかと思います。 

 

▲70 ▼110 

 

=+=+=+=+= 

 

今年はたまたま忘れてしまったようだけど、広島と縁もゆかりも無い湯河原がずっとこうやって追悼してくれていたなんて、それだけでありがたいことじゃないか 

 

▲6596 ▼470 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争を体験した世代がとても少なくなってきてる今、原爆投下の日時や終戦記念日くらいは湯河原だけでなく、全国で一斉にサイレンと黙祷をして、そのような事実があったことを忘れないために歴史を思い出す時間、哀悼を捧げる時間を持ってもいいと思う。そうすると子供や若い世代も戦争のことを学ぼうという意識も高まるし、その背景や歴史を学び、継承していくことが我々の現役世代のテーマだと思う。 

 

▲418 ▼134 

 

=+=+=+=+= 

 

湯河原では子供の頃から当たり前に聞いていたので、地元を離れた時にいま住んでるところではサイレンが流れなくてびっくりした。 

湯河原の良いところの1つだと思うから忘れるなんてミスは今後無いように、これからも続けていって欲しい。 

 

▲569 ▼144 

 

=+=+=+=+= 

 

その街でもないのに戦争や災害の日に追悼を捧げてたら年がら年中追悼しなければならなくなる。街が忘れたとか、担当者が忘れたとか良くは無いと思うがそう言う事じゃ無いと思う。個人の各々がその日その日を感謝して、亡くなった方々に気持ちを向ける事が大切なんだと思う。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

よその者が批判することではないのだけど、 

サイレンは次回から忘れないようにするとして、 

防災無線を兼ねた設備だと思うので、 

担当者が業務をただしく行えているか、 

日常業務が忙しすぎて設備の定期的な点検が疎かになっていないか 

いざという時を想定して見直したほうがいいと思います 

 

▲1710 ▼106 

 

=+=+=+=+= 

 

広島に生まれて40数年暮らしました。被爆2世です。あのサイレンは空襲警報みたいで、怖かったです。被爆者の方でもあの音がトラウマの方もたくさんいらっしゃいました。 

他県なのに、サイレンを鳴らして黙祷してくれていたなんて、本当に驚きました。世代も随分変わりましたし、忘れてしまうことはあると思います。 

 

▲1612 ▼132 

 

=+=+=+=+= 

 

引越しをしてこの土地で初めて迎えた今日サイレンがなりました。前の土地ではなかったので何事かと少し驚いたものの、すぐに気づき子供達にも手を合わすよう伝え黙祷しました。 

上の子が怖いけど知りたい様子で戦争や原爆とはいかに悲惨なものか話聞かせることができました。日本人として必ず知っておくべきことなのでサイレンがなってよかったです。 

人間なのでミスは仕方ないですが、毎年こうやって風化させない努力は必要だと思います。 

 

▲460 ▼26 

 

 

=+=+=+=+= 

 

サイレンは思い出すキッカケにはなると思うので、来年からは忘れずに流すようにすれば良い。人間がやる事なので忘れる事もあるだろう。担当者だけの責任にしないで、今後どうしていくのがいいのかチェックするような体制を整えてもらいたい。 

 

▲816 ▼70 

 

=+=+=+=+= 

 

湯河原がそういった事を行っていたことを今回初めて知りました。ずっとその土地に暮らしてきた方達からすれば、毎年鳴らされていたサイレンがないと、ん?!と思ったのかもしれませんが、投下された土地というわけではないのに毎年サイレンと共に黙祷してきたということは本当に被害に遭われた方達への弔いになってきたと思うし、想いを寄せる、という本当に意義のあることだと思います。サイレンを忘れてしまったことを責めるなんてことはしないで欲しいです。 

 

▲301 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

これを記事にしなくても、という意見には賛同です。 

町外の人は、そんなに気にしなくてもと思うけれど、当事者の方々の方が、「これまでずっと続けて来たのに。周年なのに。昭和100年なのに。哀悼の意を示したかったのに。15日と同じように大事な日なのに・・」という思いがあるのではないかと思います。 

きっとサイレンが鳴らなくても黙祷された方が多いと思います。 

来年からはこれまでのようにうまくいくといいですね。 

 

▲386 ▼40 

 

=+=+=+=+= 

 

私の住む町では今も3.11にサイレン、黙祷のアナウンスが流れます。 

東北とは遠い町ですが、あの災害を忘れぬために、非常に意義のあることだと感謝して黙祷をささげています。 

広島から遠く離れた湯河原で、原爆の犠牲者に対してサイレン、黙祷を続けていたことに驚きました。 

今回、忘れてしまったことはケアレスミスなんだとは思いますが、ぜひこれからも続けていただきたいと思います。 

このことに関して、ミスを責める気にはなりません。 

むしろ続けてきてくれたことに感謝です。 

 

▲75 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

でも。昔は八月6日は必ず登校日だった。いつの間にかなくなってる。 

そして長崎、広島ではないけど、子供のころはサイレン、なってましたよ。いつからなくなったのか‥ 

サイレンなると黙祷できていましたがおとなになり、仕事でバタバタしている間に気が付かず時間が過ぎてしまっていることが多く、その日のニュースなど見ながら黙祷したりします。 

時間は経ちましたが私は日本中、サイレン、鳴らして欲しいです。たった一分でも平和について祈ることは必要ではないでしょうか? 

 

▲574 ▼95 

 

=+=+=+=+= 

 

湯河原出身の者です。物心ついた頃から、8月6日の8:15には、必ずサイレンが1分間鳴り黙祷を捧げてきました。そして今日8月6日は私の誕生日でもあります。この日に産まれたのも何かの巡り合わせではと幼い頃から思っていました。自分が産まれた日に何十年も前に大勢の方が被爆し犠牲になり、多くの命が失われたことを思うと、純粋に誕生日を喜んでいいのかと複雑な気持ちになった時もありましたが、もしかしたらそういった方の生まれ変わりで自分がこの世に生を受けたのではと思うようになってからは、毎年この命に感謝しよう、大事にしようと、このサイレンを聴いて深くその度に心に刻んでおりました。 

 

今は県外にいますが、私が今住んでるところではもちろんサイレンは鳴りません。ただ、黙祷だけは忘れたことは一度もないです。 

 

戦争の経験がない方でも、ある方でも、どうか1人でも多くの方が戦争の悲惨さを忘れないで欲しいです。 

 

▲14 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

まあこういうイベントは決して悪いことではないんだけど、311とかについても同じだが、なんというか「まとめて亡くなったら何十年も忘れずに語り継がれ救済等も手厚い」が、「一人で理不尽に巻き込まれたら一瞬で忘れ去られるかそもそも誰にも知られず、救済の手もない」って、なんだかなあって思う。 

 

生命を喪った当人、その家族にとっては、何も変わらない哀しみと理不尽のはずなのに。毎年どこかに強い光が当たるたびに、その陰影に苦しむ人も沢山沢山出ているのだと思う。原爆や地震で亡くなった方々より、遥かに多く。 

 

なんというか、もっとちゃんと忘れながら、同時に誰も取りこぼさないのが大事なのかなって。 

 

風化すべきものもあるのよ。大切な人を喪った哀しみなんてその極地で。そういう意味では、逆にこういう大規模な何かで身内を喪った方々も、縛り付けられている苦しみはあるのだと思う。 

 

教訓は別。それは確実に伝えねばだが。 

 

▲11 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

私が住んでいる自治体では広島・長崎・終戦記念日、すべてのサイレンは無くなりました。なぜかと言えば「うるさい!」とクレームが来たからだそうです。地元に戻ってきたときにサイレンが無くなっていることに気付きました。お寺の木魚の音がうるさい。除夜の鐘がうるさい。そんなクレームが来ると数軒のお寺の住職さんから聞きました。1軒のお寺の除夜の鐘は31日の夕方に変更されています。祭の太鼓や笛の音もクレームの対象です。どうなっちゃったんでしょうね?いま流行りのマイノリティを尊重するということなのでしょうか?湯河原は次からうまくいくといいですね。無くしてしまってはダメです。 

 

▲61 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

忘れてしまったであろう職員の方、今ごろものすごく辛い思いをされているのではないでしょうか。 

決して、その人も忘れようとか、戦争のことを軽視しようなんてことはなかったのではないかと思います。 

後悔してもしきれないくらい、悔やまれていると思います。自分がその職員さんなら生きた心地がしません。 

その後悔がきっと、戦没者の方々に伝わり、受け入れてくださることを願います。 

 

▲34 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ミスを責めるのではなく、なぜミスが起こったのか、次回からミスを防ぐにはどう対応するのか考える機会だと思います。 

ミスが起こる要因を知るきっかけになれば町は発展すると思います。 

他県の者ですが陰ながら町の発展をお祈りいたします。 

 

▲3 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

町ですし、担当は一人でしょうな。今年度配置なのか、機械を入れ替えたとかでしょうかね?連日の暑さで体調不良でのうっかりミスとかじゃないといいですが。 

 

概ね全国でやってるものと思っていたので、やらないところがあるとコメント見て知りました。うるさいと言われようともやった方がいいと思うなぁ。 

登校日も無くなり、ニュースを見ないと、なにそれ?あぁ、聞いたことあるけど今日だっけ?っていうレベルになってしまうのは残念です。黙祷までしなくとも、せめて心の中で手を合わせるくらいはしてほしいなと思います。 

 

▲6 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

この時期になると必ず行われる事は、広島、長崎の原爆犠牲者に対する黙祷を捧げるサイレン、8月15日の終戦記念日で黙祷を捧げるサイレンの3回は、日本各地各自治体で鳴らされて、黙祷を捧げてきた事であり、戦後80年の節目になるので、続けられている事が当然だと思ってしまうと思います。 

さて、湯河原町の職員が、サイレンの機械準備を忘れて放送出来なかったようですが、仕方無いと思います。 

忘れてしまった職員を責めるよりも、長崎と終戦記念日のサイレン、しっかり流して欲しいと思います。 

 

▲4 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

湯河原町で原爆投下時間のサイレン鳴らしてたんですね、今年は忘れてしまったかもしれないけど、来年からも鳴らして行って欲しいと思いました。こちらは同じ中国地方なのに、サイレンは鳴りません、テレビで見て実感してます。 

テレビの放送があるだけでも、追悼が出きるのでまだ良いですが、テレビを見ない人の為にサイレンを鳴らすのは、無関心な人に知らしめる為にも良い事だと思います。段々忘れられて行く中で、これらの地道な活動が引き継がれていけば良いなと思います 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

広島のことじゃないやんという見方も出来ますね。しかし、随分昔のことのように感じるが80年前のことなんですよね。そして、被爆者の平均年齢が83歳とのこと。 

風化させることなく、こういうことが起こったということは、どこという問題ではなく、日本人として、日本で起こったこととして知り続ける必要はあると思う。 

この問題を考える時、韓国の慰安婦問題を思う。過去の問題を正しく学ぶことが大切。また、それを遺恨にするのではなく、二度と起こさないようにと思うことが大切だと、僕は思う。 

 

▲7 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

うちの地元も防災無線あるので、前以て「何時に黙祷のチャイム鳴らします」って放送があって、時間になったらチャイム鳴って黙祷です。選挙に行きましょう、みたいなのも流れるし、お年寄りの行方不明情報(時間、場所、服装等)と見つかりました(ご協力ありがとうございました)の放送も流れます。 

 

大阪市はそういうの無いので、帰宅後ニュース見て「あ、今日そうだったんだ」みたいな感じで、毎日仕事してると忘れる事も多いです。 

防災無線うるさいとかそんな細々したこといちいち放送要らないって意見もあると思いますが、自分以外の事に意識を向ける切っ掛けになるし、外部からの干渉も大事だなと感じる今日この頃です。 

 

▲15 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

神奈川県に住んでいます。 

毎年、防災無線で黙祷の呼びかけがあります。 

今年は、ちょうど自宅にいて、ベランダにいたので、屋外で黙祷。 

雑音が少なくなって、一分間静かでした。 

私はその場は一人でしたが 

たくさんの人が黙祷しているように感じました。 

毎年継続して、アナウンスをしてほしいと感じました。 

 

▲13 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

自分が東京に来た頃は、8月6日や9日に鳴らしている自治体があって、被爆2世ながら感心したことがあったけど、30年も過ぎるとしてない自治体がほとんどになってるような感じがする。個人的には鳴らすことに意義があるのではなく、その日にどういう事が起きて、それをどう受け止めるかが大事なような気が強くする。 

 

▲9 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

サイレンうるさい、トラウマって声もあるみたいだけど、一方でサイレンの音でもないと、平和かつ慌ただしい日常の中で80年前に思いを馳せることがないのも事実かと。 

黙祷できなくても、しなくても、サイレンの音とともに思いを馳せることは大事なことだと思います。 

 

湯河原のサイレン忘れは単なるミスだろうし、そんなこともあるだろうけれど、サイレンが鳴らなかったことで思いを馳せる機会が得られなかった人がいることは残念ですね。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

忘れるくらい時間が経ったと言う事ですよね。 

犠牲になった先人達は、どう思うのだろうか。 

忘れられる事の寂しさよりも今の日本が豊かになって良かったと言うのだろうか。 

人は、忘れたり間違ったりしますが、正しい近代史と日本の歴史は学ばないと、今、目の前にある事を判断出来ないと思います。 

多くの人の犠牲の下に今の日本がある事を天皇を始めとして、政治家と役人達は真摯に考えるべき時だと思います。 

 

▲104 ▼74 

 

=+=+=+=+= 

 

湯河原町が投下日にサイレン吹鳴させていたという事を初めて知りました。 

被爆地だけと思っていたので今回は失念された事で逆に知れました。 

湯河原町の取り組みは素晴らしいと思いました。 

 

▲194 ▼17 

 

 

=+=+=+=+= 

 

毎年毎年この日にわざわざ鎮魂や追悼の意を示したサイレンを鳴らしてくれてたなんて嬉しいことです。 

私の祖父の弟さんも跡形もなく犠牲となりました…遺品や形見すら見つからず… 

祖父はまさか弟が亡くなってるとは思わずあくる日に広島市内に入り1週間夜を呈して探したそうです… 

もちろんその間に自らも放射線を浴び被爆者手帳を貰える容態のはずやのに頑なに拒んで生涯ずっと体内に放射能が蓄積されたまま癌で亡くなりました。 

 

日本各地や海外からの厚い平和への想いは亡くなった人々への御霊にきっと通じてるはずです。ありがとうございます。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

どんなに大切にしていることでも人為的なミスは起こる可能性はあります。 

ミスがあったからといって大事にしていないということではないと思います。 

 

それよりもミスをした人を批判している人は全員この時間に黙祷を捧げたのかな?被爆された方々へ哀悼の意を捧げる事を引き継いでいく事は私達のやるべき事だと思います。 

 

ミスを少なくするための手立ては必要ですが、批判するだけなら止めたほうがいいと思います。 

 

▲76 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

今まで湯河原で追悼サイレンを流されていた事に驚きです。来年からは忘れずに流すように複数人で管理すれば良いので?人間がやる事なので忘れる事もあると思います。人手不足でお忙しいとは思いますがチェックするような体制を整えてもらと思います。 

 

▲72 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

同じ神奈川でも横浜はサイレンもならない。 

被爆地でもないのに行政がサイレンとか鳴らす必要はないと思う。 

個人の良心に任せればいい。 

記事にあった男のインタビュー、行政のサイレンで長年してきたとか。サイレンが鳴らならないから黙とうできたのかどうか書いていないが、サイレンなしでも黙とうする意思があればできるだろう。 

それだけの意識しかないということ。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

あえて言うならその担当者の設定忘れが問題なのでは無く、一年に一回の大事な事を 

上司や部署長立ち会いで確認するべきじゃないかな… 

年に一回のその数分は物凄い大事な事だと思っています。 

地域で関係ないとかコメントも見かけたりしますがたまたま広島や長崎だっただけで 

日本人は忘れてはならない日だと思います。 

 

▲30 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

今回は偶然担当の方が失念してしまったようですが、結果としてこうして少しずつ過去のことを過去のこととして整理していき、新しくもっと身近な事柄や問題に時間を割くことも大切なのではないでしょうか。 

 

▲30 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

戦後ずいぶん経ったとか意義とか、原爆と直接関係のない土地とかって話は別の話だと思う。 

やると決めていた仕事をしなかったという客観的な事実については、謝罪しなきゃいけないのは仕方ないかと。事前にアナウンスまでしておいたんだし。 

そういう事をうっかりで済ませたら、きっと他の場面でも同じようなミスをするし、日頃からそういう仕事をしてると思われかねない。 

反省し再発防止に取り組むというのだから、変な擁護は要らないと思う。 

同時に、戦争の悲惨さや原爆を軽視しているとかって批判も要らないと思う。 

 

▲237 ▼62 

 

=+=+=+=+= 

 

神奈川県藤沢市出身です。子どもの頃からずっと無線で流れていました。今住んでるところは無線流れません。当たり前に全国で同じことをしていると思っていました。 

全国で防災無線で例外なく流せばいいのに、と思いました。忘れてはいけない日ですよ。無知なんてとんでもないです。 

 

▲57 ▼33 

 

=+=+=+=+= 

 

手動でスイッチ操作していたのだろうか? 

どちらにしろ人間はミスをする生き物だし、それを責めるよりは、サイレン等無くても広島長崎そして戦争で亡くなった多くの方々に思いを寄せる事に切り替えて欲しい。 

 

▲17 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

原爆投下により多くの人が亡くなった 

 

風化させないために毎年サイレン鳴らして黙祷を捧げるのは良いと思う 

 

ただ強制や圧力を与えるようなものになってはならないと思う 

 

重要なことは風化させず今後二度と繰り返さないこと 

 

サイレンを鳴らす設定を忘れたことが大きく批判されることがあってはならないと思う 

 

▲4 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

地元はもう何十年も前に防災無線でサイレンなんて流してないけどな。 

それが業務なのであれば役場全体のミスでしょうが、業務として位置付けられていないのであれば大ごとにするほどのことではない。それぞれがその時間に黙祷すればいいと思う。 

 

▲19 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

これって全国の自治体や町でやってるんですか。神奈川県の湯河原町がよい心掛けという話であって、これがミスで実際にはサイレンが流れなかったとしても大きな問題のように扱うべきではないでしょう。うちの町でもそうしてるよと、これを全国に広げようという話題にして記事にしてください。 

 

▲14 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

広島以外でもサイレン鳴らす自治体あるんだ。 

昭和19年、我が国は航続距離地球一周半の潜水空母「イ400」と潜水艦搭載爆撃機「晴嵐」を完成させ、ニューヨーク生物化学兵器攻撃が可能だった。しかし、梅津陸軍大将が非人道的で国際法違反になるということで反対し中止した。ところが、アメリカは広島・長崎の中心市街地を核攻撃して何の罪もない乳幼児や女子供を丸焼きにし、ABCCでは治療と称して被爆者の全裸写真を撮影し、長期間被曝者データ収集した。 

広島(ウラン)・長崎(プルトニウム)人体核実験は、戦争犯罪であり国際法違反です。 

 

▲223 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

ヒューマンエラーは起こるものだとの前提で業務の確認点検を励行しないと、「あっ、忘れてました」ということになる、そんな典型例だね。 

鉄道会社の職員が指差し点検して列車進行の安全を確保するのも、会社の上司や先輩が部下後輩に「ちゃんとメモしておけよ」「To Do Listを作って優先順位を付けとけ」と言って口喧しく指導するのも、このためだ。 

属人的な(ペルゾンリッヒな)仕事環境だと、どうしても担当者一人の注意責任が問われ勝ちになる。必要なのは標準化・定型化された即物的な(ザッハリッヒな)管理システムだ。 

町役場の仕事の流れに複眼的なチェックが入る仕組みがあったなら防げたヒューマンエラー(うっかり)の失念だろうし、戦後80年の節目の年やからみんな注意して気張ってやと事前の声掛けがあったなら気づけたかも知れない。 

それを思うと部外者ながらも、ちょっと残念な気持ちにはなるね…。 

 

▲2 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

担当者を1人にしたらうっかりミスも起こる。 

こういったことが起きないようにするために 

何をどう改善していくのかを具体的に知りたい。 

まさか「いつまでも戦後を引きづってもしょうがない」 

という思想的な動機で設定しなかったということが 

ありませんように。 

忘れてしまい申し訳ありませんと謝罪しておけば 

作戦は成功だ。来年で 

 

▲4 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

うーん。ミスは起こるよ。サイレンならなくても、「あ、何かトラブルあったかな」と思いながらも黙祷はできたはず。人にも、他国にも寛容であることも戦争を避ける心であると思う。今回は、ミスをした人は反省してるはずで、寛容であるべき事柄だと思う。 

 

▲15 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

忘れてはいけない歴史の記憶ではあるけれど、サイレンを忘れたことにここまで目くじらを立てる必要はないだろ。そもそも、サイレンを鳴らさない自治体の方が多くなっているでしょ。もう。80年もたっていて戦争を体験している方は全国民の中でも一握り。未来永劫、続けることは出来ないよ。多くの人にとっては教科書の中の話だよ。そろそろ、人それぞれの受け止めでいいのではないかな。 

 

▲11 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

広島だったら大騒ぎになるだろうけど、湯河原だよ?目くじら立ててニュースにするほどのことかな?それと、風化するのは仕方ない。別の形で被爆の恐ろしさを伝える必要がある。『朽ちていく命』で扱われた東海村の事故、被爆後の写真とかインパクトがある。そして、どうしてそうなるのか、放射線についても学習する必要がある。手っ取り早いのは、理科の教科書に詳しく載せること。でもグロい写真は載せられないので、真の恐ろしさを伝えるのは難しい。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

それだけ平和な時代になったということでしょう。 

風化したと言えなくも無いが、遠く離れた町役場での出来事。 

人的ミスと原因も判明してることだし、自治体や担当者も一層気を引き締めて業務に当たることだろう。 

そう言えば、私が住んでた市の役所でも、毎年昼に黙祷のアナウンスをやっていた。 

来庁している市民は無視する人が多かったが、職員は接客中を除いて皆黙祷していたな。 

 

▲6 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

役場の人間も現代を生きていて、色んなことを抱えながら歴史を作って生きているわけで。 

過去にそんなに固執する必要はないし、責められる話ではない。 

本当に弔う気持ちがある人はサイレンに左右されないでしょ。 

公務員としては決められていたことを失念してしまったことに対しての再発防止は必要だけど、特別視する必要はない 

 

▲14 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

背景としては、日本は当時軍事国家で、アジア、東南アジアの人々にたくさん災難、ジェノサイドを起こしてしまったことです。 

アメリカにより、広島、長崎の被爆だけ見て、日本はいじめられたなどの認識は間違いであり、歴史に対しても不勉強ということです。 

今から改めて当時日本がやってきた戦争犯罪を正しく認識、アジア、東南アジア諸国に謝ることがファーストステップではないでしょうか。 

それがないと、海外諸国から見ると、日本を一度戦争で勝たないと謝ってもらえない認識させてしまうと、「黒船」が再び来ると思います。 

 

▲0 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

この放送は、総務省から市町村に宛てて行うように要請が出されている。 

他県の市町村の職員は、実は要請だからサイレンを鳴らしているだけで、ほとんど業務仕事でやっているだけと言う感じ。 

しかし、日本に滞在している外国人からは、長いサイレンに「津波?」「地震?」の警報と勘違いをしているのが実情。 

また、市町村の中には、この総務省の要請に従わないでいるところもあるとのこと。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

忘れたからと言って何か被害を受けたわけでもないと思いますので、記事にすることでもない。次からは忘れないように関係者が注意をするだけでよい事だと考えます。 

逆に毎日新聞はこの話のどこに、ニュース的価値を見出したのか疑問です。サイレンを忘れた人を批判するのが目的ならば、それはマスコミの思い上がりではないかと考えます。戦後80年の節目は、各個人がそれぞれ考えれば良い事でしょう。 

 

▲194 ▼36 

 

=+=+=+=+= 

 

長崎にて。幼少の頃 教育では12/8開戦 8/6広島 8/9長崎 8/15終戦 が主な教科書内容。3/10東京大空襲とか 6/23沖縄制圧とかの教育はなく 教わった特別な日は4日のみ。恐らく関わりのなかった道府県(東京は空襲があったから多分教育にはあっただろう)は開戦・終戦のみでしょう。いまひとつ 核の事実だけは後世に残していってほしい。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

批判を覚悟で書くとこれもいいかもしれない。時として忘れされることがあります。また、このようなことが記事ことはとても大切なことだと思います。どうか来年からは忘れないでください。いつの日か核兵器がなくなり武器という言葉が死語になる世の中を強く願います。 

 

▲1 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

皆さん言われている通り、神奈川県の自治体が鎮魂のサイレン・黙祷を続けてくれていた事の方が、忘れた事よりびっくりです。 

職務でもなく善意・哀悼の誠を捧げる気持ちから続けてきただけ凄いと感じます。それを責める人達は、原爆の日の出校日を無くしたり、はだしのゲン等を廃刊にして、子供達から原爆の知識・痛ましさを遠ざけようとする方々をこそ責めるべきだと思う。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私の地元では子供の頃から流れていましたが、就職してから住んでいる街では流れません。ニュースで毎年流れるのを見て追悼の気持ちを持っていますが、サイレンを流さない町もあるのに離れた町で毎年サイレンを流していて今回の人員的ミスをニュースにして叩く必要あるんですかね 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

サイレンが鳴る鳴らないは別問題で、哀悼の意を持っていれば良いと思います。災害等、他の自治体でサイレンが鳴っても、何だっけと思う人が多いのも事実だと思いますよ。それだけ黙祷のサイレンが多いと思うのは私だけでしょうか。 

 

▲14 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

慰霊式典でのトラブルかと思ったら、神奈川県湯河原町の話なんですね 

まるで、戦後80年の節目の年なのだから原爆被害者に追悼の意を表さなければならない、忘れるとは失礼極まりない、とでも言わんばかりの記事ですね 

毎年サイレンを鳴らしていたという事ですので、来年以降は忘れないように町役場の中で気を付けるように申し合わせをすれば十分なのではないですか 

このことが、町の防災活動や防災関連機器の運用の不備を示すわけでもないでしょうに 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「担当者が設定を忘れた」という事だが、裏を返せば年に一度の行事に対して上司や同僚もフォローしてなかったのかな?鳴らし忘れにいつ気がついたのだろうか。 

一担当者に丸投げして周囲も無関心だったと思うと、自治体レベルでも風化してるのかなと感じてしまう。 

 

▲0 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

これが80年の現実だと思う。どんなに苦しみ、怒りの過去を叫んでも今日本の周りはアメリカも含めて核保有国だらけ。タブーを恐れずに言うなら過去の出来事を一度置いて、日本も核武装に舵を切るべきか否か考えてみる必要があると思います。「話し合い」と言う武器は世界では通用しないと思います。 

 

▲18 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

別に悪気もなくただ忘れただけで、今後気をつけるって言ってるんだから別にいいと思う。職員を責める人は仕事でミスをしたことがない人なのか。過去も大切だけど、もっと大事なのは今を生きる人だと思う。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

犠牲者に顔向けできないだろう。日本人は、どんな事があっても忘れてはならないし、心の奥底で持っていなきゃならない事実です。アメリカを恨めとは言わないが、忘れてはいないぞ、という気持ちを繋いでいかなきゃ。今の若い人達、特に男。多様性だが何だか知らんが、男で化粧する金が持てるのは、先人達が汗水垂らして働いてくれたからだぞ。日本人がアジアを作り、今の経済を作りだしてくれたんだ。男としての強さを誇りを持て。日本人なら。 

 

▲0 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

昭和15年から日本はアジア諸国に侵略戦争をし始める、そして日本は米国のハワイの真珠攻撃始めた、それに激怒した米国は日本への開戦なる、その挙げ句が原爆広島長崎と原爆を投下され、日本は降伏したとの経緯がある、だから過去の過ちと言っているのです、これが大まかな事実です。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

「原爆の日」が薄れているのは確か、核の怖さも薄れて行くと言うより実感できなくなって行く。 

したり顔にいかにも冷静に核を持つことは必要とも安上がりとも言う人が出てくる。 

少しの想像力が有れば核を持つ事で起こる海外を含めての混迷がわかるはず。 

核の被害国が核を持つとはどう言うことか。 

日本国によって肯定された核がどうなって行くか想像力が有ればわかるはず。 

核の恐怖、平和の素晴らしさ、実感を愚直に訴えて続けることしかできない。それがどんなに重要で大切な事なのか理解し共に訴え続けないといけないし「無関心」と戦って行かないといけないんだろう。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

80年。しかも遠く離れた神奈川県です。 

あまり責めないであげてほしいと思います。 

全国津々浦々で黙祷をやっていたとは知りませんでした。 

各大震災でもそこまではやっていないと思いますし、 

個人的にはもう終戦の日にまとめてもいいように思います。 

NHKの昼のニュースをつけておくことで代用も可能と思います。 

大事なのはなぜお原爆の日を語り継ぐのか?という精神ですから。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

こうやって自分の体験にないものは軽んじられて忘れられていくんだろうな。 

三陸の、大津波が大昔にあったという伝承も忘れられて、東日本大震災のような災害にもみまわれたし。 

そうやって同じこと繰り返していくんだろうなあ。 

 

▲114 ▼48 

 

=+=+=+=+= 

 

驚いた。どんな縁があるのかは知らないけど広島から遠く離れた湯河原で原爆慰霊のサイレンを鳴らしていたんだねぇ。えらいもんだよ そういうところが多いのかなぁ、都会では聞いたことないですもん。それにしても わざわざニュースで取り上げなくてもいいんじゃないの、この程度のミスには寛容になりたいね、みんなが黙祷しているわけでもないんだから。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

市の職員も全員 戦後生まれだし、今の若い子達の祖父母も恐らく戦後生まれだろうから直接 話を聞くとかなく教科書でしか習わないだろう  

担当者の機械の設定ミスというが、何でも機械任せにするべきじゃないし、こういう重要な行事の時はトラブルの事も考えて最低でも1人は放送室に待機させておくべきではないか? 

 

▲2 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

担当者が放送するための機械の設定を忘れた 

 

サイレン鳴動の有無や事前のアナウンスの有無よりも 

ダブルチェックの体制が取られていないことが 

役所としてダメだと思う。 

 

少なくとも事前アナウンスが流れない時点で 

他の職員が気づいていなかったのか。。。 

 

これ、災害時とかでも起こりえそうで怖い。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

サイレンが流れなくとも哀悼の気持ちがあれば各自で黙祷を捧げれば良いと思います。95歳の我が祖母は戦争の話はあまり好きじゃないです。明るく天真爛漫ですが辛い過去の思い出はあるはず。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

自分はそこの居住者ではないしこのような手違いを責める立場にはないけれど、担当者や自治体からしたらかなり手痛いミスですね。今後気を付ければ良いんじゃないかな。 

 

▲0 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

広島県民です。この日は毎年サイレンと共に黙祷をしてます。 

他県ではどうなのか知らなくて、サイレンも黙祷も他県ではやって無いのかも……と思う部分がありました。 

今年はミスがあったにせよ 他県であろうと毎年鳴らして黙祷してくださってた事にむしろ感謝です。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的にはサイレンが鳴らなかったからと言って、私のような町外の人間までが目くじらを立てて町を批判するのは感心しない。ただ、湯河原町は町として非核兵器宣言都市であると自ら謳い、それを象徴するかのようにサイレンを鳴らしてきたし、またロシアのウクライナ侵略への非難もこれに沿った文脈の上で行ったのだから、町民に対して不体裁な出来事だったわけだ。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争を体験した世代が少なった結果、悲惨さの語りべを10代、20代の若者に伝承する取り組みをニュースで見てゾッとした 

 

そんな又聞きの体験談はいらない 

 

伝承される高校生・大学生は心の底からやりたいと思っているのだろうか 

進学や就活のネタに程度にしか思ってない人が多そう 

 

映像で残してくれれば充分 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私は広島生まれで、東京に住んでた事があります。 

東京は、全国から人が集まる大都市なので致し方ないのかも知れませんが、3月10日の大空襲の日が普通の日常だった事に驚きました。 

300機もの大編隊のB29が、32万発もの焼夷弾を一晩かけて投下し続け、一晩で10万人を逆サツしました。 

これは今でも人類史上最大の大虐殺のひとつです。 

もちろん空襲による民間人逆サツは、日本全土で行われましたが、東京の場合は桁外れです。 

広島、長崎、沖縄と同様に国民全体として、鎮魂の日となって欲しいですね。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

山口県に住んでいた頃は広島、長崎の原爆投下時刻と、終戦の時刻にサイレンが鳴っていましたが、上京したら東京では鳴らさないと知り驚きました。 

なので湯河原で鳴らしていたことに驚きました。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

こういうのは月間行事だから、行事予定とかに組み込まれて、直近になったら、段取りとか確認したり、朝礼とかでも取り上げたりするんじゃないのかね。担当者がその流れを確認してなかったんだろうね。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

広島以外でも、原爆投下の時刻にサイレンが鳴っていたのですね。広島人なのですが、広島しか鳴ってないと思ってました。 

鳴っていても長崎だけかと・・・広島で9日にサイレン鳴るのは不思議に思っていなかったので、この原爆の被害にあった両県だけだと思ってました 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

こういうニュースって、基本的には「こういうことがありました」と事実を伝えているだけなわけだけど、コメントを見てると、それをするだけで「責めている」と認識しちゃう被害妄想?的な読み手が少なからずいるよね。 

 

▲50 ▼33 

 

 

=+=+=+=+= 

 

米国の核の傘に守られながら、自らを悪とし漠然とした戦争反対と核兵器反対を呪文の様に唱える“戦争反対集会”、この様な茶番にはもうウンザリだ。 

戦争反対、軍隊反対、核兵器廃絶では無く、再び日本が敗戦国の道を辿らない為には、GHQにより押し付けられた歴史では無く、自らの正しい歴史、そしてWW2の頃の各主要国の力関係、取引、そして一般的には日本の奇襲と言われる日米戦争に対する研究、そういった知見と知識を深めていくことにより、より真なる平和の未来へひらけてくるはずである。 

屈辱の敗戦から80年。 

日本人としてこのままで宜しいのであろうか。 

私は帝国の末裔としていただけないのである。 

 

▲2 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

神奈川県藤沢市出身ですが、毎年8月6日と9日はサイレンが鳴り、夏休み中に黙祷をするのが当たり前でした。 

結婚し千葉県に引っ越してきて、サイレンが鳴らないことにビックリしたのを覚えています。 

日本中でどこでもサイレンが鳴り黙祷をしているものと思っていました… 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ここぞとばかりに批判する内容ではないと思う。 

『世の中全体の雰囲気が少しずつ変わっている』というインタビューがあるが、そのように本事案を批判的に思う人たちが、自分も変わっていってる中心人物であると認識して欲しい。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

これはあってはならないミスですね。 

事前に確認したのかが気になるのと、地元の人は津波警報などの災害時にサイレンがちゃんと鳴るのかが心配だと思います。 

いずれにせよこのようなミスが二度とないように役所の人はちゃんと仕事すべきです。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

広島市の○○区は放送自体が無いですね。 

安芸郡は『(名前)告別式が何月何日、迷子、火事、朝7時、夕方17時18時、もちろん黙祷のサイレン等』の放送あります。 

当時朝7時のサイレンは病みました。 

正直、黙祷の瞬間電車に乗ってて黙祷とかみんなしてませんよ。 

広島原爆投下が8月6日って覚えて貰えてるだけで十分です。ありがとうございます。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

湯河原町ではない神奈川県某政令指定都市在住50年超ですが、広島長崎の日にサイレンは鳴った覚えはありません。 

哀悼の気持ちを公務員で表すのはやめたほうがいいと思います。 

現役世代にとって近親者が戦争経験者でなく、第二次世界大戦は日本史世界史で習うだけの遠い出来事なんだと思います。 

 

▲2 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

当直がいるだろうけど8時15分て始業前だし忙しいもんね。仕方ない。 

てか、こういう黙祷サイレンでJアラートみたいに全国強制じゃないんだね。初めて知った。自分の実家や今の住まいの(どちらも九州)とこでは東日本大震災や両原爆の日、終戦記念日とか絶対鳴るよ。それが当たり前と思ってた。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

鳴らなかったのは残念だけど、そういった取り組みをしていることを初めて知ったし、いい企画だとおもう。 

広島から上京した身としては、関東では8/6、8/9に関するニュースが非常に少ない。それだけに、尚更続けて欲しい。 

 

▲12 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

サイレンを流すことが目的になって、肝心の慰霊の思いが疎かになっていないか。 

最近は騒音や音ハラなど問題でサイレンの近くに住む住民の配慮も必要で、寝ている赤ちゃんがいたら泣いて起きてしまうし、何もサイレンで流さなくても、スマホでもニュースでもやってるし、昭和の時代のサイレンは逆に時代遅れなのではないか。 

高齢男性がまた行政職員を無礼だと罵っているが、それは言い過ぎなのではと思う。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この程度の事でと言っては申し訳ないが、来年からダブルチェックにマニュアル書き換えられるんだろう。もしかすると神奈川県全自治体に同じ対策してを求めるかも知れない。慎重過ぎる日本はこうやってどんどん人を浪費していくんだろう。 

 

▲4 ▼9 

 

 

 
 

IMAGE