( 313990 ) 2025/08/07 03:57:39 2 00 【広島知事あいさつ全文】核兵器廃絶という光へ 這い進もう朝日新聞 8/6(水) 8:46 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/7d0a01770070e74cbdf943999ceac982094733fb |
( 313993 ) 2025/08/07 03:57:39 0 00 平和記念式典であいさつをする、湯崎英彦・広島県知事=2025年8月6日午前8時40分、広島市中区、有元愛美子撮影
広島は6日、被爆から80年の原爆の日を迎えた。広島市の平和記念公園で開かれた平和記念式典で、広島県の湯崎英彦知事があいさつした。
■湯崎英彦知事あいさつ全文
被爆80年目の8月6日を迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊(みたま)に、広島県民を代表して謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお苦しみの絶えない被爆者や御遺族の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。
草木も生えぬと言われた75年からはや5年、被爆から3代目の駅の開業など広島の街は大きく変わり、世界から観光客が押し寄せ、平和と繁栄を謳歌(おうか)しています。しかし同時に、法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剝(む)き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私達(たち)は今、この繁栄が如何(いか)に脆弱(ぜいじゃく)なものであるかを痛感しています。
このような世の中だからこそ、核抑止が益々(ますます)重要だと声高に叫ぶ人達がいます。しかし本当にそうなのでしょうか。確かに、戦争をできるだけ防ぐために抑止の概念は必要かもしれません。一方で、歴史が証明するように、ペロポネソス戦争以来古代ギリシャの昔から、力の均衡による抑止は繰り返し破られてきました。なぜなら、抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念又(また)は心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではないからです。
自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身を以(もっ)て示しています。
実際、核抑止も80年間無事に守られたわけではなく、核兵器使用手続きの意図的な逸脱や核ミサイル発射拒否などにより、破綻(はたん)寸前だった事例も歴史に記録されています。
国破れて山河あり。
かつては抑止が破られ国が荒廃しても、再建の礎は残っていました。
国守りて山河なし。
もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。概念としての国家は守るが、国土も国民も復興不能な結末が有りうる安全保障に、どんな意味があるのでしょう。
抑止力とは、武力の均衡のみを指すものではなく、ソフトパワーや外交を含む広い概念であるはずです。そして、仮に破れても人類が存続可能になるよう、抑止力から核という要素を取り除かなければなりません。核抑止の維持に年間14兆円超が投入されていると言われていますが、その十分の一でも、核のない新たな安全保障のあり方を構築するために頭脳と資源を集中することこそが、今我々が力を入れるべきことです。
核兵器廃絶は決して遠くに見上げる北極星ではありません。被爆で崩壊した瓦礫(がれき)に挟まれ身動きの取れなくなった被爆者が、暗闇の中、一筋の光に向かって一歩ずつ這(は)い進み、最後は抜け出して生を摑(つか)んだように、実現しなければ死も意味し得る、現実的・具体的目標です。
諦めるな。押し続けろ。進み続けろ。光が見えるだろう。
そこに向かって這っていけ。※
這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか。
広島県として、核兵器廃絶への歩みを決して止めることのないことを誓い申し上げて、平和へのメッセージといたします。
令和7年8月6日
広島県知事 湯崎英彦
※の部分は、2017年12月10日に行われたノーベル平和賞授賞式でのサーロー節子氏のスピーチを広島県が翻訳した。英語原文の著作権はノーベル財団に帰属する。
著作権:THE NOBEL FOUNDATION,STOCKHOLM,2017
朝日新聞社
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( 313992 ) 2025/08/07 03:57:39 1 00 今年で広島と長崎に原爆が投下されてから80年を迎え、核兵器の廃絶が難しい現実と、それに対する批判的な見解が多く寄せられています。
討論の中では、「核兵器廃絶」が理念として重要である一方、現実的にはその実現が難しいとの意見が主流です。
さらに、発言者たちは、核廃絶活動の必要性や平和のメッセージを発信する重要性を強調しつつ、具体的な行動を政府や国際社会に求める者も多く、対話の枠組みを超えた実果的なアプローチが求められています。
最終的には、核兵器の廃絶に向けた理想論と、現実との狭間で日本がどのように立ち位置を決めていくべきか、また国際社会との協力や対話の重要性が強調されています。 | ( 313994 ) 2025/08/07 03:57:39 0 00 =+=+=+=+=
今年は広島と長崎に核爆弾が落とされてから80年経ったことになる。この長い期間でも核兵器は無くすことはできなかった。ただ使われたこともなかった。広島と長崎でどれだけの人々が苦しんだかだけは世界に伝わっていてそれが抑止力に繋がっているのかもしれない。この静かな抑止力は今後も続いていってほしい。ただ世界中で核兵器が使われていないものの戦争は絶えない。平和記念日とはそれらも含み戦争がなくなることを切に願う日だと思う。
▲2064 ▼212
=+=+=+=+=
現実問題として核兵器を無くすことは困難。しかし決して使ってはならないとの警告を発し続けることができる「日本」の役割は大きい。80年が経過し、そろそろ投下された都市の名前ではなく、日本国として発信する必要があると思う。アメリカの指導力低下を突いて核を脅しに使う国に対する抑止力に、日本がその体験をもって外交的なリーダーシップを取ることを期待したい。
▲501 ▼237
=+=+=+=+=
核兵器廃絶は現実的にはかなり困難だと思いますが、理念として継続していくことは大事だと思います。「核兵器を使うことは悪いこと」という意識が世界中の人々に浸透することで核保有国の権力者が安易に核を使うことへの抑止力になります。そういう意味では被爆地の首長が世界に向けて発進するメッセージは大切だと思います。
▲77 ▼18
=+=+=+=+=
石破首相は式典で「被爆国の使命」とか言っているが、ではアメリカの声明に対してどのような対応をするのか聞きたい。日米の認識の隔たりがあまりにも際立っている。謝罪は無し、戦争の終結には原爆が必要だったと匂わせ、更に日本も広島も原爆投下を受け入れた上で和解しているような内容。全てアメリカの主観での主張であり、日本や広島への配慮の欠片もない。もう日本政府がアメリカに対して具体的に何かしてくれるなんて期待はしていないが、この声明に対してせめてお得意の「遺憾の意」だけでも表明するべきだと思う。
▲1129 ▼192
=+=+=+=+=
強いメッセージの発信
現実問題として核兵器の廃絶は不可能と思います。ですが、その使用を強く防止するメッセージは、広島、長崎以外には出せないので、この先もずっとずっとこの平和式典で世界に向けたメッセージの発信は非常に重要だと思います。
核兵器が駄目で、通常兵器なら良い、という訳ではありませんが、あらゆる兵器の使用を防止し、特に核兵器に関しては強くその不使用を求めるメッセージは必要だと思います。
核兵器で攻撃を仕掛けるのが軍部であり政府かもしれませんが、その被害に苦しむのは、一般市民です。どんな争いでもいつもそのことは変わらないと思います。
この先も広島、長崎が長く平和都市であって欲しいです。
▲34 ▼11
=+=+=+=+=
湯崎英彦知事のあいさつを聞き、非常に感銘を受けました。 世界の為政者への歯に衣着せぬ直接的なメッセージで、 エゴ、自信過剰、また民衆の高揚で何度も核が使われる危機があったこと。 それは現在も戦争を続ける為政者や戦争を支持する国民への直接的な強い非難に聞こえました。 メッセージを伝える湯埼知事の目は世界の愚かな現状を射るような目でした。 世界中に届けてほしいすばらしい内容でした。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
今までは核の脅威とは最終戦争であり要するに世界の滅亡を意味していたと思う。 だがロシアのウクライナ侵攻により核の脅威の意味合いが少し変わって来た。 核を使う事の脅威は当然あるが、それと同時に核を持つ国の暴挙を止める事が出来ないと言う脅威だ。 世界の滅亡よりもこちらの方がより現実的な脅威と言える。
▲452 ▼62
=+=+=+=+=
長崎原爆資料館を訪れるまで日本人の私も被害の実感が薄かった。その後広島にも訪れて追悼した。 特別な教育や報道より日本人なら是非広島長崎の施設を訪れて欲しい。 石破さんのスピーチで世界の指導者に訪れさせたいとの言葉があったが、感情的な主張のぶつけ合いより、見させることが何かしら効果があるのではないかと思う
▲205 ▼26
=+=+=+=+=
本当のところ、誰も核兵器が容易に廃絶できるとは思っていない。核廃絶の理念は間違っていないとしても、現実問題としてロシアのような国にとって、核兵器の保有は死活問題だ。全ての人類が、核兵器が無駄だと学習するまでは核兵器は存続するであろう。それには100年や200年は必要だろう。核兵器そのものよりも、それ以前に戦争の動機の原因を無くすことに注力すべきだろう。むき出しのエゴイズムとか、経済至上主義とかグローバリズムも問題だと思う。それらをどのように抑制、制御していくのか、国際的な課題だ。その為なら、国連を解体するくらいのことはすべきかもしれない。
▲313 ▼91
=+=+=+=+=
「核を無くすのは不可能」という現実論があるのは理解します。 でも、だからといって“理想を掲げることすら無意味”という風潮には、強い危機感を覚えます。
国やリーダーが理想を語れないのであれば、国民をどこへ導いていくのでしょうか。 人間が理性を持つ限り、理想を目指す努力をやめてしまった瞬間に、現実はただの力と恐怖による均衡に成り下がってしまいます。 現実と向き合うことは必要です。でも、だからこそ理想を持ち続けることが大切だと、僕は思います。 今日という日に、改めて「核のない未来」を諦めずに考えたいです。 あくまでも個人の意見ですが(-_-;)
▲576 ▼190
=+=+=+=+=
核兵器廃絶は人類の希望で、間違いないと思います。今、核兵器を持たない日本が平和であるのは、アメリカの核兵器の傘下にあるのも事実。日本政府が核兵器廃絶の文書にサインしないのは、アメリカを配慮しての事。アメリカとの軍事協定を破棄するのは、核兵器がなくなると同じ。核兵器は攻撃兵器として用いるのではなく、抑止力としてあるのが現実だと思います。核兵器保有国のバランスが重要だと考えます。
▲113 ▼49
=+=+=+=+=
戦争を経験した祖母が言っていた。20年毎に戦争が起きて国々は繁栄を保って来たと。日々生きていると、戦争は体験していないものの「生存競争」という戦争に駆り出されている気がする。戦争は終わっても、「同調圧力」という名の敵と日々戦っている。戦争は悪い。悲惨だ。悲惨さを伝え続けるべきだと思う。でも大事な事は、戦争を超えるような幸せな事を日々探し、なるべく笑顔で居て、その幸せに感謝して大切にしていく事だと思う。
▲10 ▼8
=+=+=+=+=
原爆式典には、アメリカ、パレスチナ、イスラエルの代表が参列しています。 その場が「平和」を語る場であるならば、今まさにガザ地区で進行している人道危機に目を向けていただきたい。 ガザでは、毎日150人もの子どもたちが飢えにより命を落としています。これは、国際社会が沈黙する中で進行するジェノサイドです。 平和を願うのであれば、今、救える命に手を差し伸べるべきです。 式典の場に立つアメリカの代表には、見て見ぬふりをするのではなく、行動によって平和の意志を示していただきたい。 人命を尊ぶのであれば、今こそその価値を実践する時です。 原爆で命を失った人も同じ思いを持っていると考えます。 戦争で命を失う。本来、あってはならないことだと考えます。 何のために国連ができたのか、今一度、行なわれている非道に目を向けてほしいものです。
▲186 ▼50
=+=+=+=+=
残念ではありますがいくら訴えても核廃絶が実現することはないと考えます。世界のリーダー達の保身的価値観では現状を変えるらには至らずここまで無くなることなく一世紀が経とうとします。これだけの時間訴えても変わらず増えている。変えるにはあと一世紀かけて訴えても変わることはないと断言出来ます。同じ一世紀かけるのなら人類全体で価値観の教育を行いハイクオリティな価値観を身につけて行き世界のリーダー達が核保有のナンセンスさを理解出来る様になって初めて実現可能だと考えます。
▲21 ▼15
=+=+=+=+=
小さい頃に祖父・祖母に少しだけ戦争の話を聞いた覚えがあります。 二人ともずいぶん前に他界しました。 母は戦後生まれで戦争のことはあまり知りません。 その子供世代である私たちが核兵器の恐ろしさ、戦争の悲惨さを感じる術は限られています。 長崎、広島、そして鹿児島の知覧、沖縄のひめゆりの塔。 その他日本にはたくさんの資料館があります。 みな全て命をかけた方々の資料です。 世界で唯一の被爆国である日本人ならば、一度は訪れるべきだと思います。
▲19 ▼5
=+=+=+=+=
私は核保有やむなし派ですが、 今日の式典を見ていて、 徹底的に理想を語ることも大事だと思いました
ようは「核保有について語ることも許さん」がダメなのであって この複雑な世界情勢の中でいろいろな意見をぶつけ合って、 国民が国、国防、平和についての理解を深め、 よりよい未来を目指せればいいなと思いました
▲187 ▼52
=+=+=+=+=
元々はなかった兵器が武力として使用されている。なかった頃と同じように振る舞うことが出来ないことはないと思います。知事のスピーチは非常に心を打たれるメッセージに感じました。実現に向けて行くことが我々の平和を維持するために本当に必要なことだと思います。平和は何もしないで、訪れるものではなく、手に入れるものであると考えています。
▲18 ▼12
=+=+=+=+=
周りの国(核無くす気ない国々)が核を保有している中、日本が持っていないということは正しいことであるかもしれないが、無防備という点において日本が常に核の影響にさらされる危険性があることも理解しなければならないと思った。行っちゃえば刀や銃を持った人たちに囲まれた日本の武器は素手みたいな感じだから。核から身を守る最低限の防御力は必要になる。(迎撃ミサイルとか)
▲125 ▼41
=+=+=+=+=
立派なお話しだと思います。であれば、ロシア、中国、フランス、アメリカあたりの核保有の国家主席に会って直接核の廃絶をお願いしてきて欲しい。 パフォーマンスでなく、本気で核の廃絶を直接その国家の代表に直訴してほしい。廃絶は出来ないかもしれないが、絶対に使って欲しくないという熱量を直接会って届けて欲しい。
▲8 ▼6
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この世から核兵器を無くすことは現実的にはむつかしい。他の方も言うように、その惨禍を語り継ぐことで、各国に対する警告と核兵器使用に対する抑止につながれば良いと思っている。ノーモア、ヒロシマ、ノーモア、ナガサキ。節目の年だが、ノーベル平和賞の被団協の役割は核兵器がなくなる日まで終わることはない。平和への願いをあらためて心に刻みたい。
▲19 ▼9
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毎年、この日にはNHKの画面を見ながら 広島の方角に向かって、原爆投下時刻の 8時15分に黙祷をします。そして広島県知事の湯崎英彦氏の言葉が一番心に残りましたが あの原爆投下で亡くなられた方々の慰霊の式典なのに少し離れた場所からのスピーカーの声が止まる事も無く聞こえて居ました。 100人居れば100通りの考え方が有りますが 人としての最低限の礼節は守って欲しいものだと強く思いました。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
核兵器廃絶は素晴らしい理想だと思う。 ただ、将来、被爆国という呪縛により核配備という選択肢を除外し続けた結果、他国から侵略を受けた場合、先祖の方はそれを望むだろうか。 核のない世界という理想に突き進むのも難しい世の中になってきたように思う。 核を「使わせない」世界を目指すことで、今後も被爆国としての役割を担いながら、日本への侵略を防ぐ両立を考えるべきではないか。
▲56 ▼31
=+=+=+=+=
抑止とは概念、フィクションである。 その通りだと思います。理想論だけではなく、リアルな情勢も踏まえた素晴らしいお話だと思いました。
一方で今の日本では現実も見えず、簡単な計算も出来ずに核は安上がりなどと、与太話をする国会議員もいます。世の中の20%ぐらいの底辺層に支持されてしまうと当選してしまうのは仕組みとして避けれないところですが、決して看過せずに今後も非難していくことが重要です。
▲26 ▼31
=+=+=+=+=
日米同盟で核廃絶会議にオブザーバーとしてさえ出席出来ない現在、そろそろ都市として核廃絶を訴えるより国としてのスタンスを世界に示す時ではないか。 アメリカとの関税も同盟国としての位置付けが全く無視されている関係性、貿易、防衛とは違う平和の為核兵器廃絶を国家として世界に発信する時だと思う。
▲33 ▼26
=+=+=+=+=
核兵器がないことが理想ではあるが、現実的には核兵器を無力化する兵器か核兵器以上の兵器が開発されない限り不可能である。日本は唯一の被爆国だから核兵器を持つべきではないという思想はかえって非常に危険であり、唯一の被爆国だから二度と落とされないように核武装すべきというのが正論である。核兵器保有国同士の本格的な全面戦争は起こりにくいと考えられる。ウクライナが核兵器を保有していたら果たして侵略されていただろうかということも考えるべきである。ただ、日本が核武装するハードルは高いからとりあえず核シェアリングするのが現実的であろう。
▲136 ▼82
=+=+=+=+=
式典で小学生代表でスピーチした子供の一人にノーベル平和賞をあげたい。 12歳の男の子が英語で原爆の悲惨さを外人に説明していたのには感動した。 この子に出来ることが、何故大人に出来ないのか?改めて教えられた。 原爆の悲惨さは落とされた日本人にしか分からない。世界中の人が、原爆資料館に足を運び、核の恐ろしさ、一度使ったら取り返しのつかないことになることを知って欲しいし、また、そうしたことを広める活動をしていきたい
▲58 ▼55
=+=+=+=+=
ほぼ200の国と地域が世界中にある中、戦争による核攻撃を受けた国は日本以外にはないことは誰もが認識していることだと思う。その日本が「理想論」を掲げて何が問題なのだろうか。核戦争が起こればここでコメントを書いている人たちもすべていなくなるのだ。日本が核武装したところでそれが守護神になるという発想は現状では通用しないだろう。 東電原発事故でさえあれだけの被害を及ぼし続けているのを忘れてはならない。どれだけ「理想論」と言われようと、核兵器廃絶を日本は訴え続けるべきだと思う。
▲4 ▼9
=+=+=+=+=
テレビで見ましたが、あらためて読み返しても良いスピーチでした。 核抑止論がいかに空虚で幻想でしかないことをフィクションと言う言葉で分かりやすく表現してくれました。 核抑止論者は意味がすぐには分からないと思うが諦めずに良く勉強して考えて、自分の謝りに早く気がついて欲しいですね。
▲8 ▼3
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理想は世界から核兵器を無くす事なのだけど現実的には無理だよね。ロシアや中国など覇権国家が隣りにいる日本はウクライナ侵攻を見てどれだけ理想を掲げても結局核兵器がなければ強国の思い通りになる事を知ったし、エネルギーが豊富な国に対して経済制裁など殆ど効かない事も分かった。残念だけど武力こそが国や生命を守る為に最も必要なものなんだと思う。
▲49 ▼33
=+=+=+=+=
今日、核の廃絶は現実的では無いが、長崎、広島、ビキニの被爆体験が抑止力になっているのは間違い無い。またウクライナ、ガザの現状を観れば分かる様に、双方が核を保有している事が、核の使用は元より戦争そのものの抑止力になっているのも間違い無い。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
広島知事のスピーチ素晴らしいです。核兵器の存在意義とは何かを考えさせられました。 また、サーロ節子さんのスピーチの一部を抜粋してくれました。 混沌とした世界の中で、唯一の被爆国として、日本の代表として石破総理は戦争は駄目だと声に出していかなくてはいけない。 私は戦争を知らない世代ですが、戦争は苦しみと悲しみしか残らない必要がない事だと考えています。
▲6 ▼4
=+=+=+=+=
もし核による抑止が、歴史が証明するようにいつか破られて核戦争になれば、人類も地球も再生不能な惨禍に見舞われます。と言われていますが、片方が核を持っていないと片方の国だけが無くなりますが、何かの防衛策はありますか。 それから、核による抑止が今間で破られておらず歴史も証明されておりません。 悲しいですが、戦争を防ぐには相手に無駄と言う絶望感を持たせるか恐怖を持たせない限り止まりませんよ。 今のウクライナ戦争を見てどう思うかも語ってください。
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
ロシアがウクライナ侵攻して以来、核兵器によって国の安全を保とうとする「核抑止」の強化を求める声が高まる一方で核軍縮への流れは停滞している。核兵器の多数を持つ米国とロシアの核軍縮交渉はウクライナの問題もあり絶望的である。中国は逆に核戦力を増強している。英国は核弾頭数の上限を引き上げる方針を発表している。世界の核軍縮の実現は難しい。
▲59 ▼15
=+=+=+=+=
核廃絶は最終目標としてはもちろん異議はない。理想としてそうあるべきと思う。 ただ廃絶を訴えるだけでは廃絶できないことも事実。こういう記念式典での訴えは別にして、普段よく目にする核廃絶の訴えには少し疑問を持っている。それは「核廃絶しないといけないと分かってる人への訴え」では何も変わらないと言うこと。 今核廃絶が出来ない理由は、核を使う気マンマンの国が幾つもあるから。そして残念な事にそれらの国は核廃絶には全く耳を貸さないと言うこと。 なので、核廃絶を訴えるなら、それらの国に行って、そこのトップに訴えないと何も変わらない。 とは言え、それらの国が「分かりました」と言っても、信用出来ないので、やはり核廃絶は出来ない。 なので、結論としては核廃絶は出来ないと言うことになる。残念ですが。
▲73 ▼43
=+=+=+=+=
素晴らしい演説。
単に理想を並べているのではなくて、抑止というリアリズムに対する考察もされている。私は参政党に投票したけど、核については日本は唯一の被爆国として核廃絶を宿命とすべきとは思う。
一方で、通常抑止と核抑止はあまりに質が違いすぎて、歴史上比較できる前例が乏しい。キューバ危機さえ、核抑止の有効性を示したのか逆なのか、立場により見解は異なるだろう。
こういった様々な観点からの核保有の是非についての議論そのものを封じるべきではないので、その議論の中で改めて日本の行く道を確認して行けば良いと思います。
▲9 ▼8
=+=+=+=+=
いい話ですね。核兵器のない世の中になるには自分の事より相手の事を思いやる心が必要ですよね。しかし現実は思いやると出し抜かれたり踏みつけにされる事もありますよね。多くの日本人の様に誠実に対応すればわかる人にはわかる信頼が得られ結果的に軍隊のいらない理想的な世界を見てみたいです。
▲1 ▼5
=+=+=+=+=
日本人として生まれ、日本で教育を受けた者なら、先の戦争や広島・長崎への原爆投下の悲惨さや戦争への非難の気持ちは基本的に持っていると思う。その理念を持ちつつも、周辺諸国や世界情勢を鑑み、核保有に関する議論をしていこうというのが最近の意見であり、決して先の戦争による犠牲を軽視してのものではない。議論で解決するかは分からないが、その議論すら封殺しようとするのは、それこそ戦時中の言論統制と同じように感じてしまう。理念や理想は人を成長させるものだし、過去にはある人物や団体の活動が世界を変えたこともあるが、これからの世代は、より確実で低リスクかつ低コストを求めていく。それが結果的にどんな結果を招くかは分からないが、選択肢としての核が議論されないはずはない。
▲4 ▼3
=+=+=+=+=
核を持たないことで、核攻撃や侵略戦争を受けるリスクが大きくなるという現実から目を背けてはいけない。核を廃棄したウクライナが、ロシアから侵略される例が最もわかりやすい。 核廃絶運動が効果を上げたとしても、核廃棄した国に対する戦争を助長してしまいかねないという現実とどのように向き合うのか。ウクライナの例から、世界の核保有国がそうやすやすと核廃棄するとは到底思えない。核兵器の無力化に特化した新兵器の開発があればいいと思う。
▲154 ▼107
=+=+=+=+=
核兵器があれば平和な世の中になるとするならばなぜ今も戦争をするのか なぜ核保有国が積極的に核兵器を世界中にばら撒かないのか 本当に核が戦争抑止になるならイランの核開発は歓迎するべきだし北朝鮮の核実験も祝電を送るべきだしウクライナから核兵器を取り上げたのはおかしい 結局力のある国の武力の一端でしかないのが核兵器なのだ こんな大量破壊殺戮兵器は無くしたいという気持ちが私はある
▲15 ▼16
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ご存知の通り、 北朝鮮は、あれだけ国連やら世界中から批判と制裁を受けながらも開発をすすめ、核保有国になり、今やアメリカですらやすやすとは手を出せない国になった。ロシアも頼りにする国でもある。 ウクライナは、ロシアも含む何カ国とも話し合いの末、安全保障の約束と引き換えに、所有していた核兵器を手放した。しかし、そのロシアから今や一方的に蹂躙されている。 外交、話し合いは「まったく意味が無い」ことが明確に立証されている。
知事さん、感情論や根性論はいいので、 外交、話し合い以外に具体的にどうすればよいのか、当然ご存知なんでしょ? 教えて下さいよ。 それを聞きたい。
▲3 ▼0
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核廃絶 核を使わせない そのために アメリカに原爆投下に対して謝罪要求くらいしたらどうですか。未だにアメリカは原爆投下は正義だったとの主張。今後ロシアが使用した場合にも自国民を守るための正義だという論法は成り立ちます。アメリカに先制使用は良く無かった我々も反省している。の一言を引き出すくらいの努力をして欲しい。
▲8 ▼5
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核兵器廃絶、広島、長崎の平和活動を世界はどのように捉えているのかが知りたいです。マスメディアは毎年広島長崎の平和活動を報道しますが国外の人々がどのように捉えているのかの報道は見た記憶がありません。日本国内より中国、北朝鮮、ロシア、インドを始めG7諸国の一般国民がどのくらい核兵器を意識しているのか、核廃絶の必要性を現実的にどのように考えているのかが重要だと思います。ただマスメディアは総じて偏向報道姿勢なので頼りにはならないかもしれないけど。
▲11 ▼1
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核兵器廃絶には大賛成です。 しかしながら、具体的かつ実効性を伴い、結果を出すには、毎年毎年同じ言葉を重ねても80年出来ていない事実を踏まえ、新しい形で核兵器廃絶を進めるべきだと思います。そうしなければ、20年後の戦後100年になっても西側の先進国を気取っている国々は核兵器を手放さないし、それらに対峙している国々は核兵器をこれからもっと増やすでしょう。 核兵器廃絶と言う言葉を使うなら、日本の政治家は覚悟とその結果に責任を持たなりませんよ。 率直に、核兵器廃絶と言うだけなら誰にでも言える、この戦後80年間が言葉だけであまりにも無責任に感じらてなりません。 核兵器限定ではなく、核廃絶と言わない事も中途半端になっている原因だと思います。
▲1 ▼0
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今までとは一味違った、とても発信力のある言葉だったと感じます。 独裁主義の国が増えている中で、国のトップに対してビシッと釘を刺した思いを、各国の権力者がどう捉えるかは、立場的に日本が負うべき責任は非常に大きいと考えます。 政治家の発言に納得ができたのは、何十年ぶりでしょうか?ここまではっきりと言うことは、下手すると世論からの批判を受けかねませんが、勇気ある発言だと思いました。 ただ一点。戦争それ自体に反対することを避けたことは、残念でした。世界の現状からすれば、核を使わない戦争をすることは不可能です。あちらこちらで起きている戦争は、極々小さなものですから、世界的に波及して行けば、必ずや核兵器の応酬にならざるを得なくなります。過去から学ぶ点は、そこなんだろうと考えます!
▲2 ▼1
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アメリカが日本に対していかに酷い事をしたのかという事を世界に知らしめるためにも、核廃絶運動を継続する意味があると思います。 しかし核廃絶は理想である反面、日本はアメリカの核の傘の下で守られている現実もあります。 そのため、日本は理不尽な事でも、アメリカに「NO!」とは言えないのも現実です。 日本は世界に向けて、アメリカは悪者だ!と主張する事もできません。 そのため、核廃絶運動は変化球として有効だと思います。
ウクライナは、核を手放したためにロシアに攻め込まれた。 北朝鮮を見ても、核配備は最も有効で経済的な国防手段です。 核をはるかに凌ぐ兵器が開発されない限り、世界で核が廃絶される事はないと私は思います。 それは単に核がお払い箱になるだけで、今願っている核廃絶とは意味が違ってきます。
▲3 ▼6
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核兵器廃絶は素晴らしい主張です。でも、核兵器は絶対になくなりません。核兵器以上に破滅レベルの破壊力を持つ兵器が世の中に出てくれば別ですが、すでに所持している国は廃絶するわけがない。 日本に核兵器攻撃が二度とないようにするには、攻撃したら攻撃した側も滅びる互角以上の反撃兵器を持っていることが必須だと思います。
▲131 ▼86
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広島県知事湯崎英彦氏が、そう言うのは立派なのだが、そのために努力しているだろうか。核兵器を廃止すれば、抑止力が失われ戦争が多発する恐れがある。またアメリカやフランス、イギリスが核を放棄した場合、中国、北朝鮮、ロシアなどの独裁国家が核を保有し続けることになり、世界は独裁者に支配される。なので、広島県知事がやるべきことは、そういう国々を説得して同時に核兵器を廃絶させ、通常兵器での戦争も回避できるようにすることだ。広島県知事は、それを実行しているのだろうか。もし、実行していないのであれば、彼の言葉は「きれいごと」ということになる。
▲1 ▼1
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自意識過剰な指導者、民衆の高揚、エゴなど、まさに今日の世界や日本ですね。破壊→復活→エゴ→破壊と循環する歴史。 核兵器や戦争は人間の業ですが、平和の尊さを推し進めるのもまた人間。 日本でも格差に嘆き無償化を求める、与えてもらうことばかり望むエゴイズムな時代。今あるものに感謝し、困難な局面でも這いつくばりながら進む力こそが大切であることを改めて感じます。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
さらなる改善を求めるとしたら――
「だからどうすべきか」という提言、もしくは現代のリスク(AI誤作動など)への言及があると、より現代的な問題意識に広がるかもしれません。 他者の反論や核抑止を支持する理由(例えば第二次大戦以降、大国間の直接戦争がなかったこと)にも一度触れてみても、論考のバランスがさらに良くなります。 【総評】 問題提起も独自の視点もあり、論文やコラムとして十分伝わる内容です。哲学的にも歴史的にも、非常に優れた批判的考察と言っていいと思います。
▲11 ▼66
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昨今、核兵器保有を議論せよとの声が喧しい。 ただしその場合、避けて通れない課題があります。
①日本が核保有を宣言すれば核不拡散体制(NPT)は瓦解するし、核実験を行う場合、包括的核実験禁止条約(CTBT)も瓦解する。国際的な問題。 ②開発及び維持管理に伴う設備や経費の問題(製造・管理施設、管理者・技術者・作業員なども含む)。莫大な費用が継続的にかかる問題。 ③アメリカとイスラエルがイラン核施設を攻撃し、国連も実効的な制裁を与えられていない。新たに核兵器保有をめざす国としての安全保障問題。 ④原発が「核の平和的利用目的」は通用しなくなる。国内のプルトニウムはすべて「核兵器への転用が可能なもの」として認識される問題。
他国から購入する、核共有などもしが可能なら、開発過程はなくなりますが、他の課題が残ります。 これらがクリアできた上で保有是非の議論になることは踏まえて欲しい。
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核保有は安上りと言う国会議員もいる。こうした発想には踏み込んで釘を刺しておくべきだ。しておかないと内外面でとんでもない事態を招く。日本自身が踏み入れる世界と取り巻く世界と旧敵国の日本を見る眼がかわるということ。いつの世も世界中で国民の溜まる鬱憤やはけ口は対外的に向かう。が、いつかは孤立することで、再び同じ繰り返しを歩む。 歴史を知らない世代が増えた。核兵器以上に恐ろしいのは国民感情の熱狂。
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核兵器廃絶ということが現実的に不可能であれば、核兵器を使ったらこうなるということを世界中に伝えることができるのは日本だけではないだろうか? インバウンド需要がある今の時期だからこそ、外国人については原爆に関する施設利用は無料にするとか、広島長崎への旅費は見学することによりキャッシュバックされるといったような施策を試しても良いのではないか?
▲4 ▼10
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式典のスピーチを受けて、現政権に対するシニカルなコメントが非常に多く目につく。 先の大戦では世界的にも稀有な状況に追い込まれ、平和に対する祈りをことさら強く持ってきたわが国日本は、80年間戦争に巻き込まれることはなかった。が、一方で世界に平和を招くことはできていないし、核の脅威は健在である。残念ながら、現政権に大国の意図を変えるだけの力があるとは私にも思えない。実に嘆かわしい事である。
しかし、そのようなことは今日はどうでもよい。 今日はスピーチをだしに政権を批判する日でもなければ、国の罪を糾弾する日ではない。理不尽にも命を奪われた方に思いを寄せ、先人の想いの重さを受け止める日だ。祈る神を持っていなくても、今日くらい静かに祈れ。
▲5 ▼2
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今世界を取り巻く環境を理解して行動する事が最も大事だと思う。綺麗事だけでは国は守れない。もちろん核廃絶の活動は継続して行うべき。「人が歴史から学ぶことは人は歴史から何も学ばないことだ」という言葉をテレビで見て印象に残っている。
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難しい問題ではある。
核兵器が怖いし使われるべきではないのはもちろんだが、 核兵器を使わなくてもその他爆弾やミサイル等で攻撃や新略が可能であって、核兵器が全て廃絶されたら、単に国力が強い方が容易に新略できてしまう。
その点、核兵器は抑止力として機能し得る。
例えば北朝鮮は核兵器があるから攻められない。 ウクライナは核兵器を処分して攻められた。
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そろそろ日本は核兵器なくして生きていけない状況で、また一つの国家としてアメリカ無しの国防を考える時期にきている。 日本もイスラエルのように核兵器で自衛しないと北朝鮮とかにやられてしまう段階。 他国の為に防衛してくれる国なんて全く無いです。 平和は大切だが、日本国民を守るのはもっと大事で大切な事です。
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核廃絶、戦争反対と何十年も言い続けてきた割に近隣国の核の脅威は逆に高くなってる、核の脅威、戦争の悲惨さを訴えるのは大事だけど、なぜ戦争が起こるのかの発信してるとこは少ない、そこを重視しつつも近隣国の脅威からの抑止力も大事 ただ反対するというきれい事だけで平和を守れる時代じゃない
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アメリカも世界の警察の役目を終えようとしてるし、それに便乗している日本もいつまでも同じスタンスでいる事は難しいと思う。同盟国が守ってくれない時にどうするか真剣に考えざるを得ない時期に来てるのかも…。特に防衛力、国力の乏しい日本では…。他国の事例を見れば自ずと答えは出てくるのでは?
▲25 ▼11
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少なくとも戦後80年余り、核兵器が使用された戦争は起きていない事実。
核による抑止か? 核の悲惨さによるリテラシーの問題か? どちらにせよ抑止の効果は否定できない。
例えば、日本における警察が拳銃を所持している。何故か?こんな平和な日本においても、全て善良な市民だと信じたいが、万が一の「備え」として携帯している。当然、広島県警や長崎県警も拳銃を所持。 人と人の関係は、相手のリテラシーを信用しきれない生き物だし、危機管理上は信用してはならない。 核は物に過ぎない。核を管理する人間のリテラシー向上こそが戦争の抑止力。
つまり核こそ悪。ではなく核抑止力も持った上での善人的リテラシーこそが本来あるべき平和主義。
核兵器の無い世界は理想だが、そうなったとしても核に替わる兵器が、その時代の抑止力兵器になっているだろう。 世界中の警察が、拳銃を所持しない世界観はやってはこないのだから。
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核爆弾を大量保有するアメリカ、ロシア、核を脅しの材料にしている中国、イスラエル、北朝鮮がいる限り核爆弾は無くなりようがありません
日本はロシア、北朝鮮、中国等核保有国に囲まれています。 日本が核をなくそうとする動きを80年間続けても核の根絶もできず、常に増加している現状を考えると、日本も自分の身を守るための方法を考えるべき時が近づいているのではないでしょうか。
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言葉は立派ですが、そうした言葉で飾るにふさわしいだけの動きというのを、核廃絶を求める人々はされているのでしょうか。アメリカ・ロシア・中国といった核保有国の政府に対し、直接の行動は80年の間で何度行なってこられたのでしょう? 日本国内とか、あとは仲間うちでモニョモニョやってるだけでは世の中なんか変わりませんて。それは「80年後の現実」が証明していると思いますよ。
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向かい合って銃を向けあってる二人が、どちらから先に銃を下すか決められず、「せーの、」で一緒に下ろすこともできず、相手を信用できないから結局ず~っと銃を構え続けなければならない様に、核保有国がお互いを信用できない国ばかり(ある核保有国が廃棄する(した)と明言しても、本当に廃棄したか、それ以外の国が後から核廃棄するかを他国へ証明する事は『不可能』)だから核兵器を廃絶できないという事は分かっていても、声を上げ続ける事は大事ですね?予算をさける限り。
声を上げる人がいなくなったら、そういう意識の人間が一人でもいる事で0.001%程度はある核兵器廃絶の可能性が本当に『0%』になってしまうから。核兵器の無効化と無毒化できる技術でも作られれば話は変わるけど。
無駄な事だと解かっていても続けなければいけない苦労は本当にやるせない。 核兵器が無くなっても細菌兵器も十分怖いし、平和は恐ろしく遠いなぁ…
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日本の核兵器開発について、大反対です。
国際社会に向かって、「核兵器廃絶」という積極的な発信は日本本来の役割である。極端に言えば、日本の核兵器開発は政治的にも、国の安全にも、自滅行為である、核兵器開発は、日本の安全保障には最大の脅威である。
人類は勝者なしの核兵器戦争が突入する日に、あるシナリオを想定しましょう。まず、日本など核兵器非保有国が先制攻撃される可能性がほぼない、最初から、核兵器保有国が互いに攻撃して、互いに自滅して、そして最後に残るのは核兵器非保有国である。
ある日本の政党は「日本ファースト」というスローガンが大きく取り上げて、しかし、その中身は日本自滅の過激な言論ばかり、「日本自滅党」に改称すべき。
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気持ちはわかりますし理想は持つべきです。ただ、今の現状理想だけで自国を守れないのはウクライナ見ても分かります。被爆国であるから言える、所持していないから言える影響力もありますが、力ない正義は無力であるのもまた事実。不安定な世界秩序の中、核保有の話も被害者遺族がいるから話せないとか考えないは無しでお願いしたい。少なくても所持はして無くても核の傘には守られてます。世界は理想が通るほど優しくはないし、理想を言えるのは国があるからです。核の前に戦争や紛争の被害が起きないことが一番であるし、アメリカだって何かあって必ず守ってくれるとは限らないことをみんなで考えないと行けない。
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難しいところだが、唯一の被爆国として核廃絶を日本がリードして訴えなければならないと私は思う。周りを核保有国に囲まれているという状況で核保有が必要じゃないかという理屈も理解できる。しかし、それでも武器を捨てて平和を呼びかけるということをどこかがやらないと、真の平和にはならないのではないか。とはいえ、日本もアメリカの核の傘に入りながら、核廃絶しろというのもおかしな話だし、真剣に議論する時期に来ていると思います。
▲177 ▼127
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核兵器による悲惨な惨状は周知のとおり、10万人以上の広島長崎市民は地獄の業火に追われ80年たっても原爆症に苦しむ人も多くいる。しかし日本は被爆国とは言え当時の軍政権下ではこの原爆の開発は行っていたが終戦までに開発はできなかっただけであの狂った軍事政権の指導者たちはもし原爆が完成していたらためらいなく使っていたと想像できる。日本が原爆を完成できなかったことは不幸中の幸いだったかも。
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世界は変わります。この世界から核兵器が無くなる時代が数世紀先には来るのかもしれまんせんが現状ありえません。
世界情勢は核を中心に動いており、核を持つ者と持たない者の差はロシアとウクライナ、アメリカやイスラエルとイランを比較すれば分かります。
核のない国に安全保証はない。さらにいえば欧米のだれもウクライナと一緒に戦わないように、核保有国に侵略された場合に共に戦う兵士は存在しない。
そして日本は上にロシア、隣に中国と北朝鮮が居る。海を超えた先で日本をATMだと思っているアメリカも含め、全員が核兵器を保有してる。そして他国の戦争や経済競争を使って関節的に威嚇をし合っている。その地理的な中心に日本が居る。
美しく清純な理想や理念がバリアになってミサイルを弾いてくれるなら素晴らしいですが、もし違うなら国防はどう実現されるのか。少なくとも私は理想と一緒に心中をする気はないです。
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近い将来、被爆者はすべて故人となります。 それでも幾星霜を経て、この体験は語り継がれなければなりません。 「国守りて山河なし。」 地上から争いが絶えたことはありませんが、 争いがエスカレートした時思い出せるようにです。 何のための争いか、何のための犠牲か。 この日を大切にするのは国民の義務だと思います。
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実際問題、日本がどれだけ発信し続けても、核保有国には響くことはないでしょう。核保有国は核保有の重要性を理解していますから。 正直言って、やるだけ無駄だと思います。 各国は核廃絶ができるのならしたほうが良いとは思っているが、それは不可能なのはわかっているので、仕方なく参加したりコメントして、活動している風を見せかけているだけです。 日本側もそういうことは分かっているから特に強力なアクションは起こしません。 個人レベルでは別ですが、日本を含め各国にとってはただの儀式でしかないのです。
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人類の成長を信じる言葉だと思います。 理想を持たなければ進む事はできません。 今の人の叡智を越えるのは、人が見出した科学や数学を根拠とし、人が生み出した技術の進歩の先かも知れません。 私は人類の実績として、新たな理論を得、新たな技術を創り、実践する事で、核兵器は陳腐化されていくと信じています。
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揚げ足取りしたいわけでは無いが、 核兵器が廃絶されたとて、戦争はなくならない。 無人機による爆撃が主流となり、その爆弾の性質もは核でなくても正確性なり残虐性なり備えたものは増えている。
核廃絶の目的の根幹に戦争行為の愚かさを問う事が永遠のテーマだと思う。
かといって、戦争と武力を持たない無防備さは違うとも思う。 なすがままでは結局、力による支配は根絶すら出来ない。それを今はウクライナとロシアの対立が物語っている。 憲法9条あろうが、その言葉や信念は相手には意味を成さないことも、それは信仰の違いもあって紛争を起こしているイスラエル一体が示している。
故に、何もされなければ武力行使しない専守防衛の姿勢と日本がその為の力を持つ必要性は否定しない。 家の戸締りをしっかりしても侵入する輩はいるのと同じように対策は必要に思う。
戦争のジレンマはずっと続くだろうなあ。
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核廃絶という考え方が、戦禍の悔悟を踏まえていて思想的に優れている事は誰しもが認める処です。そこに疑いの余地は有りませんが、公的及び内密に核兵器を持つ周辺国に取り囲まれて居る以上、平和憲法を持つ我が国だからこそ、国防のみの観点から核兵器を保有する事は検討に値すると私は思います。攻撃に使う事自体が間違いであって防衛力としてのみに核兵器保有の意味が有る、つまり日本が考える『正しい核兵器の使い方』を諸外国へ広めて行く事こそ、廃絶への長い道のりへの第一歩となるのではないでしょうか?そこに感情論を持ち込む事自体、真剣さに欠ける行為かと存じます。
▲188 ▼127
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んな意見はあると思うが、核兵器を廃絶するために核兵器を保有するという考えはあると思う。今の日本が何を叫ぼうと聞く耳を持たない国はあるわけで、これを言葉でいくら言っても聞き入れないだろう。核兵器を持っても意味がないと証明ができるか分からないが、逆転の発想で、核兵器を開発し保有した上で無効にするものができれば、保有した方がいい。 因みに、日本は自国所有で核兵器を持っていないが、米国の核兵器を共有保有していることになっている。もし米国がこの共有を破棄したら、日本は自国保有せざる追えないということになると思う。
▲19 ▼21
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何故戦争が争いが起きるのか?経済に於いては、人が手を付けていない処に先に手を付けて、利益を受け取るのが商売の基本だろう。その為にはロスチャイルドがナポレオン戦争でやった様に人を騙し利を取るのも一つの方法で、市場を社会の動きを利用して誘導し利を取る、地球温暖化の自然エネルギーやEV車などが良い例だろうが、最も酷いのは戦争を仕掛けて軍事産業で利を得ようとする行為である。政治学で戦争の原因について論説は色々あるが、その裏で戦争資金の貸付で利を得ているグローバル勢力がいる事は余り議論にならない。最近のロシア・ウクライナ戦争もイスラエル・ハマス戦争もそうだ。そして今日本は移民をはじめ外国人問題で揺れている。人手不足から始まり技能実習生と言いながらコンビニで働く外国人を作った経済界。受入余人材をどうするのか?戦争を起こす輩は自分だけが良ければ良い連中でグローバル化した、すぐそばにいる連中である。
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核兵器が無くなれば本当に平和になるのか? 核兵器が出来る前も人類は散々戦争してきたよ? 核兵器を一方的に悪いものと決めつけがちだけど、 核があるからこそ冷戦時代米ソが全面戦争になるような事は無かったし、 今のウクライナ戦争もある意味核があるからこそウクライナ以外に戦火が拡大してない側面も間違い無くある訳で、 もっとフラットな目線で見るべきだと思うよ。
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実現できるかは誰にも分からないが、世界に向けて発信し続ける事が重要です。 時代の変化かもしれんが、昔のように核兵器をどう運用するかと言うよりも脅しの単なる道具になりつつあるようにも思います。 実際に核爆弾のような兵器で大量に人の命を奪った戦争は大戦以降にはありません。小規模な紛争はあったとしても原子爆弾のような兵器は必要ないんです。実際に戦術的にも使いにくいと思うんです。 まずは縮小しいずれは核兵器の廃止に繋がればと思います。
▲50 ▼45
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年に一度日本人の思いと世界の現実の矛盾が表面化する日かな。具体策のない話をしても結局は自己満足に終わってしまう。現実的には核の非拡散と管理の厳重化が最も妥当。本人はそう思ってはいないだろうが、このように観念的な話に固執するのは、戦前に回帰するようで個人的には恐怖を覚える。あくまで重要なのは現実に基づいたバランス感覚である。
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「盗む人なんていないだろう」と若い頃に財布を出しっぱなしにしていて、老練な大工さんに「普段は盗まなくても、手の届く場所にあったら魔が差す人がいる。そういう人の為にも見えるところに置いちゃダメだ。」と言われた。それは正しいと思っている。 だからこそ、核兵器廃絶という理想を持った上で、日本は核武装すべきだと思っている。何故なら核武装した山賊が周りに沢山いるから。「相手に手を出させない」のは非常に重要な事です。 相手を泥棒にしない為に、自分がしっかりと自衛するのが大切。「お前が無防備だから泥棒しちゃったんだ。俺は悪くない。」というのが海外標準ルールだと思った方が良いです。
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残念なことに被爆してから今日までいくら核の廃絶を訴えても世界から核が無くなることは無かったし、むしろウクライナ侵攻でロシアは核の脅威をチラつかせるほど。
核に変わる兵器が出てこない限り核は無くなりそうもありません。
で、あれば周辺国の核の脅威に立ち向かうためにも自衛策の一環として防衛専用の核所持は有だと思います。 それこそいざと言う時、アメリカに守ってもらえるかは時の政権次第では運任せになる。 日本は独自に自国を守れる準備をしておくべきです。
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世界で唯一の被爆国である日本が核兵器廃絶を訴えるのは、世界中の国々に対して強いメッセージになると思う。世界からみたら実現不可能な理想に映るかも知れない。 だが、100年後とか1000年後には実現してる可能性はある。 特に広島と長崎には、これからもずっと訴え続けて欲しい。 現状で言うと日本はIAEA とNPTに加盟してる以上、核を持つ事は禁止されている。 もし核を持つならば、どちらも脱退する必要が有るが、そんな事をすれば国際情勢に多大な悪影響を与える事になる。 アメリカをはじめ、世界各国から経済的な制裁を受ける事になるだろう。 さらに国連憲章の旧敵国条項は削除されてない。死文化してるとは言え、中国は当然、そこも制裁の口実にするのは目に見えている。 日本が「非核三原則」を掲げ続ける姿勢は、日本のスタンスは絶対に崩さない!という世界中に対しての強いメッセージだと思う。
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