( 314311 )  2025/08/08 04:33:47  
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作家の北原みのりさんは、オウム真理教による地下鉄サリン事件を通じて日本社会におけるカルトの存在について考察しています。

オウムに参加した知人たちの衝撃的な体験や、カルトから抜け出した「辞め参」の人々の証言を通じて、社会的な信頼や政治的な不信がどう形成されているのかを探求しています。

特にコロナ禍以降の分断や、安倍政権の影響が新たなカルトの出現を助長していると指摘し、未来への希望を築くためには、傷ついた人々の経験が重要であると強調しています。

(要約)

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(写真はイメージ/gettyimage) 

 

作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は日本社会について。 

 

*  *  * 

 

 オウム真理教により地下鉄サリン事件から今年で30年。1995年は日本社会が「カルト」というものの存在を目の当たりにした年だった。カルトとは私たちの身近にあり、そこには陽があたることもあり、人は自ら志をもってそこに集い、熱狂し、自らの人生をかける覚悟もあるのだと知った。また、社会的な弱者がカリスマ指導者にすがるだけではなく、高学歴者や高所得者のような社会的に恵まれていると思われる人であっても心酔することも知った。 

 

 私の知人にもオウム真理教に入った人が2人いる。あの時代、東京の大学にはたいていオウム真理教の熱心な勧誘者が入り込んでいた。知人の一人はヨガをきっかけにオウムに入信し、サティアンで暮らしていた。後に脱オウムした彼女の話を聞く機会があったが、組織の末端にいた彼女の体験は衝撃だった。目が見えないという教祖のために「美人投票」をしていたこと、どうやら1番になった女性は教祖の寝室に連れていかれたらしいこと、ときどき「姿を消す」人がいたこと、もしかしたら死んだのかなと思いつつ誰もその人の存在を口にしなかったこと。全ての情報は噂話として語られるので何が真実かわからない。ただ、自分たちは真理を追究しているからこそ迫害されている、だから結束しなければならないのだと信じていた。 

 

 もう一人の知人はオウムの騒動の最中に命を落とした。なぜオウムに入ったのかを聞くことは叶わなかったけれど、今にして思えば、彼は宗教2世だった。母親が新興宗教にはまっていて、近所の人を熱心に勧誘し迷惑がられていた。宗教2世の彼からすれば、オウムは母親が信じていたものよりもマシ、と思えたのだろうか。 

 

 この国はカルトによる史上最悪のテロを90年代に体験した。その後、政権と深い関係にあった別のカルト集団の被害者によって元首相が暗殺された。2つのカルトが起こした事件は、この国を生きる私たちにトラウマとして刻まれながらも、私たちはカルトに真正面から向き合ってきたといえるだろうか。 

 

 

 そんなことを思うのも、今年の夏の話題を独り占めしている参政党を辞めた人たち、いわゆる「辞め参」と呼ばれる元参政党員の発信や、インタビューから目が離せないからだ。参政党の広報活動に尽力していたが、参政党が国政政党として力をつけていく過程で離れた人たちの話だ。私自身が「参政党=カルト」と断じているのではなく、「辞め参」の人たちの証言が、まさに「カルトから目が覚めました」というような語り口であることに衝撃を受けている。「洗脳が深かった」「外部の情報はシャットアウトしていた」「批判すると途端に村八分になった」「迫害されるのは、私たちが本物だからだと思っていた」「外部から批判されるほど内側の結束が強まった」……彼女や彼らの語り口は、信じていたものが間違っていたと気がついた、という、カルトから抜け出したサバイバーのそれである。 

 

 彼らの話はとても似ている。きっかけはコロナだった。政府やマスコミの言うことが信じられなくなった。ワクチンやマスクが強制されることに疑問を持った。真実を知りたいと思った。そこで参政党に出会った。簡単に言えば、そういう経緯で参政党に関わっていく人はとても多い。こういう人たちの多くは参政党の政治的イデオロギーに共感しているわけではなく、むしろ、元はれいわ新選組の支持者だった女性もいる。 

 

 参政党は楽しくやりがいのある場所だったと辞め参の人たちは語る。高揚感と使命感を感じられる居場所であり、気が合う仲間たちと一緒に語り合い、学び、やりがいを感じてどんどんのめり込めていける世界だそうだ。しかも参政党が販売するオレンジ色のグッズを身につけることで党に貢献もできる。……と書きながら思うが、こういう高揚感自体は基本的には推し活の延長のようなものだろう。推し活の延長のような気軽さで政治参加でき、そういう気軽さで社会を変えられるのが参政党だったのだ。 

 

 つくづく、コロナ禍によってこの国は激しく分断されたことを突きつけられる。何が真実かわからないという不安を私自身も感じた。莫大な予算で綿マスクが配られたときの絶望は忘れられない。なぜオリンピックが優先されなければならなかったのか、わからなかった。mRNAワクチンの安全性について疑問を挟もうものなら「反ワクチンか」「陰謀論か」と嘲笑されることには違和感があった。政治やマスコミは信じられない……と右往左往し自ら情報を求めにいこうとする人たちの焦燥感は、私のものでもあった。そしてそんな生活実感に根づいた不安や不信の受け皿として、参政党はいたのだろう。「私たちが頑張れば日本は変えられるかも。まだ諦めなくていいんだ」という希望の声が人を動かしたことは事実だ。 

 

 私は、参政党を生んだのは、コロナ禍であり、安倍政権だったのだと思う。 

 

 長い安倍政権を歴史として語る、というにはもう少し時間が必要かもしれない。が、やはり、安倍さんの時代にこの国が失ったものは大きいのだ。政治への信頼、未来への信頼、社会への信頼、言葉への信頼、対話への信頼。愛国をうたう一方で、自分に批判的な言論に徹底的に抗議した安倍政権は、確かに言論を萎縮させた。保守的な言論はどんどん極端になっていったが、一方でリベラルな言論が深まったかといえばそうとは言えない。 

 

 言論空間が膠着し、政治的な行き詰まり感がある今は、「アフター安倍政権」と呼ぶのが正しいのかもと思うことがある。遠い未来から見たら、きっと長い意味で今も「安倍期」だ。安倍さんが生きているときは、「反安倍」でリベラルな人々は一致していたところもあるが、安倍さんが亡くなった後の未来を描けなくなっている。生活実感に基づいた不安、政治への強い不信の受け皿としての役割を、既存野党が担えなくなってしまっている。 

 

 カルトに入っている人に、「そこはカルトだよ」、と言っても届かない。だからこそ、「そこに行かなくてもいいんだよ」という言葉を、「新しいカルト」や「罵りの言葉」ではなく、風通しの良いものとして伝える言葉と力を、私たちは諦めるわけにはいかないのだろう。辞め参の人たちの傷つきが、たぶん、これからを考える大切なヒントになるように私は思う。 

 

北原みのり 

 

 

 
 

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