( 314685 ) 2025/08/09 06:24:39 2 00 だから日本人の「百貨店離れ」が進んでいる…三越伊勢丹HD元社長がルイ・ヴィトンを絶対に入れなかった理由プレジデントオンライン 8/8(金) 8:16 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/5319d3ce570695b5ca47173ecd1b297987a5f112 |
( 314686 ) 2025/08/09 06:24:39 1 00 三越伊勢丹ホールディングスで社長を務めた大西洋氏が、百貨店業界の衰退についての見解を述べています。 | ( 314688 ) 2025/08/09 06:24:39 0 00 三越伊勢丹HD社長を務めた大西洋さん - 撮影=門間新弥
百貨店業界は再編の岐路に立たされている。三越伊勢丹ホールディングス(HD)では、伊勢丹新宿本店の2025年3月期の総額売上高が4212億円と過去最高を達成した一方、傘下の三越と伊勢丹の地方店は縮小、閉鎖が続く。なぜ日本人は百貨店に行かなくなったのか。2012年〜2017年まで三越伊勢丹HD社長を務めた大西洋さんに、ジャーナリストの座安あきのさんが聞いた――。(前編)
■百貨店に庶民の居場所はもうない
立地でも、施設の良さでも、ファッション性でもない。「日本の百貨店改革は、組織と人で負ける」と元三越伊勢丹ホールディングス社長、大西洋さんはいう。
百貨店の衰退を、もうだれも疑わなくなった。「文化の創造・発信拠点」として全国各地で城下町を形成した往年の姿はもうない。過去10年のうちに閉店した主な地方百貨店は約50店に上る。1990年代初めに約10兆円あった業界売上高は30年間でほぼ半減した。
ここ数年の最高益は、吹けば飛びかねないインバウンド客によってもたらされたものだ。成功しているとされる都心の旗艦店でさえ、デパ地下の食品需要と囲い込んだ富裕層の両極によって、イメージが大きく膨らんでいるように見える。ファッション市場を牽引してきた庶民の憧れの的は、国民共有の「思い出」と化してしまうのか。
■ヴィトンを入れないことが「伊勢丹のプライド」だった
昨年11月、高級ブランド「ルイ・ヴィトン」がついに、伊勢丹新宿本店に開業した。本店本館にヴィトンを「入れない方針」は、少なくとも2009〜17年にトップを務めた大西さんと、その前任の武藤信一氏の代(2001〜09年)には明確に貫いていた「伊勢丹のプライド」そのものだったという。
自主編集売り場の企画力、提案力を強みにし、顧客の買い回りを阻害しかねない海外ラグジュアリーブランドの拡大を抑え、主導権は譲らないという態度を表していた。売り場のテナント化が加速する百貨店業界にとって最後の牙城ともいえる象徴だったが、崩れた。百貨店はまた新たな転換期を迎えたことになる。
多角的な構造改革の必要性が叫ばれながら、実践を浸透させられず、求心力を失った。その要因はどこにあったのだろうか。かつて、改革の旗手として「ミスター百貨店」と称された大西さんに当時を振り返ってもらい、「失敗の本質」を探った。
■社長から「会って話がしたい」と突然の電話
三越と伊勢丹が経営統合を果たしたのは2008年4月のことだ。景気減退に伴う業績不振が背景にあった。それからおよそ1年後の09年6月、大西さんは伊勢丹社長に就任した。紳士服の経験が長く、社長につながる王道ルートからは外れたポジションにいた。周囲のだれよりも、指名に度肝を抜かれたのは大西さん本人だったという。
「青天の霹靂とは、このことですよ」
2社の統合は実質的に伊勢丹が主導権を掌握した。伊勢丹の武藤信一社長が三越伊勢丹ホールディングスの初代会長兼CEOに就任。同じく伊勢丹出身の大西さんは三越の常務兼MD統括部長となり、元はライバルだった店の売り場改革に走り回っていた、5月最後の週のある日のことだ。
武藤氏から唐突に、会って話がしたいと電話がかかってきた。こちらから訪ねる間もなく、日本橋の店に姿を現した武藤氏は会議室で大西さんと向かい合った。話は3時間に及んだ。自身のこれまでの経験、会社の状況、そして健康状態の懸念について語ったあと、こう切り出した。
■「もう時間がない、今ここで決めてくれ」
「大西、伊勢丹の社長をやれ。もう時間がない、今ここで決めてくれ」
淡々としながらも、言葉は切迫感を含んでいた。三越と伊勢丹を経営統合に導いた武藤氏の後継とはつまり、ゆくゆくは国内最大の売上高となる百貨店のトップである。社内からも取引先からも、「99%有力と目されていた社長候補がいた」(大西さん)。衝撃を飲み込む一瞬の間をおいて、大西さんは答えた。
「わかりました。やらせていただきます」
販売員からバイヤー、新規事業開発、マレーシアの新店運営、メンズ館の立ち上げなど、それまで現場で試行錯誤してきたことの延長線上に「権限があればもっとできることがある」、そう直観したからだ。社長打診からわずか1週間後の6月1日、取締役会で伊勢丹7代目の代表取締役社長として昇格人事が承認された。
それから7カ月後の2010年1月、武藤氏は多臓器不全のため死去した。64歳だった。
■総合スーパーと変わらない百貨店の営業利益率
当時は、大丸と松坂屋が経営統合するなど百貨店業界の合従連衡が加速していた。その中でも「伝統の三越」と「革新を尊ぶ伊勢丹」というまったく異なる2つの百貨店の統合は、端から困難の極みとみなされた。それは、メインバンクの主導によって強行的に進められたという理由だけではない。戦後日本の経済成長の原動力となった、年功序列・終身雇用・企業内組合という日本型経営によって築かれた「岩盤の壁」に、真っ向から立ち向かわなければならないことが明白だったからだ。
大西さんは、組織の頂点に立つというより、現場の実感を後ろ盾にして物事を動かしていくプレーヤー感覚のリーダーだった。
社長に就任して真っ先に取りかかったのは「仕入れ構造改革」だ。
「ものづくりの現場から販売に至るまで、商社や卸問屋、アパレル業者など3つか4つの中間業者が入り、その分のコストが上乗せされていく。結局お客さまには原価の3倍くらいの価格で買ってもらうことになるうえに、百貨店の利益率はものすごく低い。サプライチェーン全体を改革しなければいけない。できれば(自分で)やりたいとずっと思っていました」
百貨店の営業利益率は平均3〜5%台で、薄利多売型のGMS(イオンなど)の2〜3%台とほとんど変わらない水準にある。専門小売店(ユニクロなど)の15%前後、高級スーパー(成城石井など)の10%台、不動産賃貸型商業施設(アウトレットなど)の15%前後と比較しても低いことがわかる。一方で、代表的な海外ブランドで比較すると、ルイ・ヴィトンやディオールなどを展開するLVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトングループ全体の営業利益率は26%前後である。
■百貨店が「場所貸し」のままでいいのか
百貨店で扱う多くの商品は、実際に売れた分だけを「仕入れ」とし、残った分はメーカーが引き取る「消化仕入れ」の形態が中心だ。低い利益率と引き換えにしても、百貨店は経営リスクを抑えつつ、中間業者に頼ることで豊富な種類の商品を並べることができる利点を享受してきた。だが、売り上げ低迷が続く中で、いよいよ限界が見えてきていた。
可能な限り中間業者を排し、生産業者とオリジナル商品を企画して商品を全量買い取り、在庫・販売の責任とリスクを百貨店側が負う。大西さんは、この買取仕入れの割合を衣料品全体の3割にまで引き上げようと目標を掲げた。それ自体は決して新しいことではない。1970年代のはじめごろまで百貨店は「買取仕入れ」を主流としてきた。
だが、時代とともに「小売の王様」に君臨するようになった百貨店は経営効率の重視に偏り、いつしかリスクを負うことを避けるようになっていた。プロ意識で商品を厳選するセンスや先見性、販売力ではなく、効率・効果的に集客力を発揮してくれるブランド誘致=場所貸しに重心が移っていった。伊勢丹にも同様の課題があったが、大西さんの目には、伊勢丹の3倍の歴史のある三越は、その筆頭のように映っていた。
■「あいつら一体何をやってるんだ」
伊勢丹では1996年から、婦人服で自主編集型の売り場「リ・スタイル(ReStyle)」を運営してきた。最先端のファッション、国内外の新進気鋭のデザイナー、ヴィンテージ品などを独自の切り口で演出し、トレンドを創出・発信する。まだ知られていない才能あるデザイナーやブランドを発掘する目利きの高さに定評があり、特定のブランド目当てだけではなく、新たな世界観を求める顧客を引きつけてきた。
三越と伊勢丹が統合した当時、三越に入社して3年目だった元バイヤーの男性(42)は、伊勢丹バイヤーと出張先で一緒になった同僚たちが、伊勢丹社員の仕事ぶりに圧倒されていた様子を鮮明に覚えているという。
「早朝から生地がどうだ、色やデザインがどうだって話し合いながら、買い付けや生産者とのミーティングに忙しそうに走り回っている。あいつら一体何をやってるんだって。かたや三越はブランドや業者との接待が多かったので。伊勢丹との仕事のレベルの差を思い知らされた」と振り返る(元三越社員)。
伊勢丹が強みとした自主編集売り場は、直接生産者とつながる「買取仕入れ」が中心だったが、割合としては婦人服全体の2〜3%にすぎなかったという。
「仕入れ構造をもっと大胆に変えて原価を下げ、利益率を高めるには、一定のロット(数量)を確保する必要があります。伊勢丹としては、全国に店を展開していた三越と統合する一つのメリットがそこにありました。ですが大元のところでは、百貨店の人間があまりにリスクを取らなさすぎる現状を変えたい。そういう思いのほうが、先に立っていましたね」と大西さんは振り返る。
■先代が果たせなかった夢を継いで
改革を急いだのにはもう一つの理由がある。「地方をなんとかしなければ」という焦りだ。消化仕入れ型の流通構造においては、店頭で売れず返品が増える→取引先がモノ作りのコストを抑制する→モノ作りの現場にしわ寄せがいく→日本のモノ作りが衰退する――という悪循環に陥っているという認識だ。
「高い技術のあるアパレルの生産拠点の多くは地方にある。This is Japanのような、日本のモノをしっかり売っていく。都市型の百貨店が商品を仕入れた時点でつくり手に少しでも多くお金を回していく仕組みにしなければ、日本のものづくりは続かなくなるという危機感がありました」
実は、流通構造の変革は、前任の武藤氏が伊勢丹常務時代に先例を作っていた。伊勢丹から社内ベンチャー的にアパレルメーカーを立ち上げ、自ら工場を持って繊維を扱い商品を卸す事業を始めたのだ。
「武藤も、サプライチェーンに対する問題意識ですよね。その新会社で開発した商品を一番最初に扱ってくれたのは神戸大丸なんです。(身内の)伊勢丹じゃなかった。だから神戸大丸には足を向けられないって、武藤はよく言っていました。新しいことで社内的にも難しかったのでしょう。結局、その会社は大失敗に終わるのですが、百貨店がものづくりに入っていかなければいけない、という考えは武藤とずっと共有してきたものです」
常務の武藤氏が立ち上げたアパレルメーカーの商品を、他社が最初に仕入れたという出来事から、大西さんはすでに「改革は内側から阻まれる」という予兆に触れていたことになる。
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( 314687 ) 2025/08/09 06:24:39 1 00 百貨店に対する意見は多様ですが、基本的には昔の贅沢な体験や特別感を求める声が多く見受けられます。
1. **百貨店の価値観と体験**: - 昔ながらの「非日常的な買い物空間」としての百貨店の重要性が強調され、「ワクワクする体験」を期待する声があります。
2. **競争環境の変化**: - スーパーやショッピングモール、ネット通販などと比較して、百貨店が残している独自の価値(高品質、担当者のサポートなど)が見直されつつあります。
3. **苦境と変革**: - 多くのコメント者が、現在の経済環境や消費者行動の変化に不安を感じており、百貨店の業態が存続するためには新たな改革が必要であるとの認識があります。
4. **商品の選定と価格設定**: - 価格に敏感になった消費者が多く、百貨店も高級戦略を維持しつつ、手の届く価格帯の製品を増やす必要があるという意見があり、どう差別化していくかが焦点となっています。
5. **地域格差**: - 地方と都市での百貨店の差が指摘され、特に地方では運営が苦しくなっているといった問題が挙げられています。
最終的に、百貨店はその歴史的な役割から脱却し、現代の消費者のニーズに合わせたサービスや商品を提供することで、新たな地位を築く必要があるという結論に至っています。 | ( 314689 ) 2025/08/09 06:24:39 0 00 =+=+=+=+=
スーパーが普通の日の物を買う場なのに対して、百貨店は「ハレの日」の物を買うイメージです。 イギリスやパリなどでは日本なんかよりも老舗の名門百貨店がありますが、ここの主たる客層もアジア人・アラブ人です(オーナー自身からしてエジプト人やインド人だったりします)。 日本の百貨店もまだインバウンドでも魅力に思って来てくれるだけ恵まれていると思いますよ。 スーパーと同じ物を売ってては百貨店は負けます。ぜひ百貨店ならではのちゃんと「粋」や「雅」を熟知した頭一つ分上を行く商品やサービスを提供してほしいものです。いい意味で頑固になってほしいな、と思います。
▲2651 ▼127
=+=+=+=+=
デパートはかつては安心して高い買い物ができる非日常的な場所でした。
デパートごとにブランドが確立していて、そこの包装紙でくるまれていれば、何を選んでもあげた人に喜ばれていました。
ですが、今は百均はあるはユニクロとかのファストファッションもあるは、JINSとか安売り眼鏡店はあるは、場合によってはドンキも入っています。
街のショッピングセンターと同じようなお店の構成になっていて、ほとんど今やテナントビルに成り下がってしまいました。
できることなら、夢のある非日常空間をウリにするかつてのデパートを戻って欲しいです。
屋上遊園地とか屋上動物園とか、今なら復活してもそれなりの需要はあると思います。
安全基準とか許可の基準が今と昔ではちがうので難しいとは思いますが、、。
▲1631 ▼131
=+=+=+=+=
学生の時に夜間の棚卸しバイトに参加して、伊勢丹は他のどの百貨店と比べてもノリが良くて、多分社員にラガーマンが多くて、楽しんでアルバイトができました。大人になってたまに行ってましたけど、その頃思い出して笑ってしまいます。
ネクタイジャケット、夏用の下駄今でも愛用しています。 また行ける日があるといいな。
▲29 ▼2
=+=+=+=+=
百貨店で買えるものはネットで買える。 百貨店にしか売ってない時代が終わったのと、 百貨店の包装紙や紙袋にこだわるかって言われたらこだわる人が一定数いる。 それだけの事でまだ成り立ってる。 プレゼントやお土産には もらう方は嬉しい。 この先その価値観は無くなるのかもしれないとも感じる。
▲185 ▼65
=+=+=+=+=
中部国際空港にもありましたが、 これから出発する時に、時間もなく手荷物も増やしたくないから、なかなか買わないですよね こんなの扱っていますと言うPRをするとか、手土産を買うなら分かりますが、難しかったですね あと一度入ったら、なかなか手ぶらでは出て行けないのも、逆に入りづらくさせていたのかもしれません 岐阜は高島屋が撤退してしまい、百貨店が無くなりました。時々利用させてもらっていたのに残念です
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
節目節目の時にはデパートに買い物に行く。それがステータスな時代がありました。今でもプレゼントや何か手土産の際はデパートで買うという事はありますが、それは薄れてきています。 私も幼い頃はおめかししてデパートに買いに行き、子供の節目を親は感じながら成長も合わせて祝っていたと感じます。 普通のサラリーマン家庭でしたから、進学や就職の際、洋服やコートなど買う時に、値段を見て安い方を選ぶと、「遠慮するな。その代わり長く使えるものにしなさい」と両親から必ず言われました。 社会人になった頃に買ったコートやスーツは20年近く着用できました。 もうじゅうぶんだねと、破棄する際洋服を眺めながらその当時の話しを母がしていました。贅沢な時代だったと感じるのと同時に、親の愛情も改めて実感しました。
▲1176 ▼27
=+=+=+=+=
私はデパートが大好き。清潔で明るくて新品の洋服や化粧品のいい匂いがする。店員さんが親切にくわしく物について説明してくれて、きちんと梱包してくれる。エコバックなど持っていなくても紙の袋にいれてくれて荷物が多い時はまとめてくれる。食料品もデパートで買ったものは安心できる。 あと20年で平均寿命に到達してしまうけれど、どうかそれまで残っていてほしい。
▲1103 ▼48
=+=+=+=+=
大西氏と同じ時代に銀座の百貨店にいましたが、伊勢丹は常に憧れの存在でした。伊勢丹に出向していたこともあり、社員からは60:40という言葉を授かりました。60%の成功確率があるならやってみろ、という意味です。私のいた会社もおそらく他の会社も60%の成功確率なら承認されません。企業が伸びる要素は若い社員に「失敗を恐れず挑戦せよ」という社風を作ることだと思いました。もちろんこれは百貨店が最高売上を誇った時期のことですが、凋落が始まった以降の百貨店は消化仕入で利益率を落としても販管費(主に人件費)を削る政策でどんどんダメになりました。買取品を社員が売る時代に社員でいられて幸せでした。大西氏とは氏がバイヤー時代に何度か宴席を共にしたことがありましたが、素晴らしい親分肌の人望の厚い存在でした。もう一度百貨店を小売業の王者にしていただきたいです。
▲103 ▼5
=+=+=+=+=
イオンにはない品揃えで言えば、百貨店はたまに行くといいなと思う。イオンは日本全国どこに行っても同じテナントの同じ品揃えで、正直目新しさがなく、飽きてくるけど、 贈答用とか少しの贅沢のときに足を向ける百貨店は、行く前からもうワクワクする。 こんな楽しい買い物ができる場所が、この先も無くならず続いていって欲しい。
▲875 ▼58
=+=+=+=+=
今の若い人が聞いたら驚くかも知れんが、
百貨店はバブル期は超人気就職先で早慶卒が第一希望で入社だけでなく 東大女子にも人気の業界だった。 中には隔週休3日制の百貨店もあった。 ただ実際には多忙で週1休みだったらしいが、 その分、休日出勤の手当てがフルに出たんで給与が凄い良かった。
▲636 ▼40
=+=+=+=+=
製造業側から見ると百貨店と直で取引するにしても、掛け率が悪い(高い)のでよほどプラスアルファが無いと魅力に欠けるんですよ。デパートだから上代を高くすると言うわけにもいかないし。
もちろん、伊勢丹や三越と取引があると言うのはステータスだし信頼の証でもあるんだけど、何かにつけて規制やチェックが厳しかったりするんで小規模事業にとってはなかなか辛い。
▲578 ▼17
=+=+=+=+=
お洒落や気の利いた雑貨など、興味はあっても、そのお店の場所まで行って買いまわるというのが出来ない高齢者です。 株主優待や友の会を利用して買い物をしています。 駅から近い百貨店に行ってそこで大抵のものを買っています。伊勢丹はそういう意味では行きにくい。 食べるところも食料品も豊富で、店員さんも親切ゆっくり買い物をできる百貨店が大好きです。 伊勢丹はリビングフロアやメンズ館は外国人がたくさん来ていて、すごく高いものも平気で買ってますね。 安いところに家族で行って、という若者世帯には魅力は薄いのかもしれませんね。 いろんな選択肢があって良いと思うし私は百貨店にこれからも行きます。
▲252 ▼9
=+=+=+=+=
お中元やお歳暮でお菓子などをいただきますが、百貨店が発送しているものと、ネット通販で手配されたものでは、味に差があるなと最近になって気付きました。百貨店は、確かなものを売っているというお墨付き(信用)なんですよね。長らくアウトレットで服を買っていましたが、年を取ってくると、百貨店に回帰し始めました。ネット通販は、信用ならないものもあるので自分で判断しなければいけません。百貨店は無くならないでほしいものです。
▲268 ▼29
=+=+=+=+=
地方在住ですが、県内に唯一あった百貨店は姿を消し、規模を縮小して細々やっています。 先日、友達のお付き合いで久しぶりに行って、目の保養をしてきました。本当に目の保養です。高齢になり、断捨離している状況では、高価でいつ使うのか分からないような物にお金は出せません。処分しなければならないものが溢れていますから。昔デパートを利用していた方は、私と同じような方が多いと思いますよ。
▲238 ▼10
=+=+=+=+=
百貨店の努力はわかるし、素晴らしいものを世界中から探して店に置き、目の肥えた客を喜ばせて買ってもらう、双方ウィン・ウィンの関係だったのは過去の話。 日本人は皆貧乏に成り下がった。今や日本人の平均年収はアメリカのアルバイトよりも低い。
モノが良くても、接客が素晴らしくても、店舗が綺麗で快適でも、金がなきゃどうしようもない。インバウンド頼りなのもいつまで続くやら。 水の綺麗な日本の水源もどんどん外資に買われてるし、日本は乗っ取られて無くなるかもね。
▲424 ▼34
=+=+=+=+=
百貨店、以前の住まいの最寄りにあったのでほぼ毎日立ち寄っていました。 不景気になって可処分所得が減り続けたので、買い物できる頻度はそれに応じて減少。 圧倒的多数を占める庶民がこれでは高級路線を行く百貨店が凋落するのも当たり前。 かといって庶民に合わせては百貨店の特別さは保てない。
いまは店舗数を減らしても高級路線は心の栄養として必要だと思うので、なんとか頑張って生き延びていただきたい。近くに寄ったらなるべく買い物したいと思います。
▲118 ▼5
=+=+=+=+=
百貨店はもはや時代錯誤になってきている感が否めない。 都市部のターミナル駅百貨店は別として地方百貨店はもはや限界になってきている。
フロア丸ごとをニトリやロフトに賃貸ししたりして運営しているが、それならばイオンモールやららぽーとなどに行った方が広大な駐車場も有り車も停めやすい。
地方百貨店は未だに激狭の立体駐車場を改善出来なかったり、近くのコインパーキングを提携して買い物サービス券で対応しているが、いかんせん駐車場から百貨店店舗までの距離が遠い所が多い。 駅前の限られた土地使用がそういったハード面の改善も妨げていると思います。
▲420 ▼75
=+=+=+=+=
婦人服インポートブティックを経営していますが、ここ一年でお客様が激減し、わざわざ足を運んで買いに行くという事が無くなっているのと同時に、物価高でものが買えない時代になってしまったと感じます。常連の顧客でさえ、以前に比べ来店頻度がかなり減り、購入金額も半分以下になりました。アパレル業界はこの先生き残れるのか不安で堪りません。特にインポートは数年前より倍の価格に値上がりしており、気軽に買えなくなりました。仕入れも大変で以前のようにはいきません。回復を願っていますが。。
▲158 ▼3
=+=+=+=+=
私はネット社会の浸透が影響していると思うよ。百貨店の努力を越えた次元で流通革命が起こった。それは生産者と消費者がダイレクトに安価にやり取りできる手段ができたこと。間の「場所貸し」は不要になりつつある。
都心の一等地に広い売り場をかかえ、たくさんの店子を並べて客を寄せる。それはネットのなかった時代にはどこに何が売っているのか分かりにくい時代であり、駅前一等地の大きな店はそれだけで価値があった。ところが、ネット社会ではどんな小さな店だろうが辺鄙なところにあろうが、客はたちどころに場所が分かる。駅前一等地で高い賃料を支払って店を構える必要がない。
とはいえ、ファッション関係は実物を見て買いたいって客層もあるから需要はゼロにはならないだろうけど、市場の規模は小さくならざるを得ないだろう。ある意味書店と同じ。展示されているものをいろいろ見て発見したい、知りたい客層と、目当ての本をポチっなする客
▲43 ▼2
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伊勢丹新宿店 森田氏プロデュースによるフロア改築後、ファッション界に身を置く人をターゲットにしているかのような品揃えになり、OLや学生のお洒落服ブランドの扱いが減った為、徐々にお客様が離れたのではないか。 加えて化粧品の発売時に殺到していたのが、他の百貨店ならプラカードを持った人をめがけてなん百人もの行列に並ぶ必要なくそこまで待たずに買える事に気付き、一般客が他所へ流れたのだと思います。
▲143 ▼9
=+=+=+=+=
百貨店の黎明期は、「何でも揃っててその上安い」だったと聞いている。 掛け値やらも含め市井の呉服店とか専門店とかの値付けがいかに割高だったかの裏返しかもしれない。 そしていま単に小売という枠で見た場合には“おつきあい”で買う場所を決める時代は大昔に消え失せ、安さか便利さかだけが決め手になる時代になった。(外商部って関係ない人からは見えづらいけど、往時の勢いはとても無いでしょう) 安さと便利さでアマゾン等がかなりの消費行動を担うようになったのは当然の成り行きといえる。 一方で何でも揃ってしかも安い(その上駅近で便利)、これはかつて百貨店に求められていたことへの回帰なのではという気がしてくる。 ハイブランドを揃えまくってお高く商売するビジネスモデルは金太郎飴になりがちだし、違った強みで商売する必要があるのではと思う。
▲17 ▼0
=+=+=+=+=
地方の40過ぎの私ですが、地元の百貨店も、結婚して住んだ町の百貨店も残念ながら閉店しました。 その度に百貨店が大好きだったんだなーって。 ワクワクして季節の物を買ったり少し背伸びした洋服を見立ててもらったり、自分の人生の背景に無くてはならない大切な場所だったんだな、、、と日を追う事に感じています。 伊勢丹は私にしたら某テーマパークよりも楽しい場所です️ 時代が変わってもあり続けて欲しいです。
▲30 ▼1
=+=+=+=+=
地方店と東京の店舗の差があり過ぎる。地域差は勘案されているのだろうが、もう少し東京の事例を取り入れても良いのではないだろうか。現状は地下と催事場でのイベントでしか集客できていない。
ポップアップで出店している知られざる衣料の紹介と、入手しにくい商品を一般販売とは別枠で販売することを除くと、日常のものの購買は他所で済ませてしまうのが実態。
地方から東京に赴いて購買する層も一定数存在すると認識。地方にとって百貨店が存在することは大切であり、工夫を重ねて地方店を維持していただきたい。
▲32 ▼9
=+=+=+=+=
伊勢丹と三越の合併はどちらかというと、三越救済合併だったからね。
実はその時、外商を取りやめた三越外商顧客も多い。
昔ながらの外商がへりくだって、顧客の希望通りの品物を用意するのが基本的な三越外商だったけど、伊勢丹側の提案型のやり方が差し出がましい、生意気だと怒る客もいた。
老舗百貨店改革はキツいだろうなと当時仕事していた人間としては思う。
▲84 ▼4
=+=+=+=+=
アラフィフで学生時代から雑誌と伊勢丹大好きでした。リ・スタイルで知らないブランドの商品に出合うのも面白く、お金はそんなになくてもよくウォッチしてセールで安くなったのを買ったりもしてました。大学の先輩が伊勢丹に就職したり、私も短期アルバイトでラッピングの仕方を習ったりしました。社員の方も素敵でした。 ネット通販、SNSの台頭、ファストファッションの流行、賃金停滞、在宅勤務、教育費の高騰、物価高…と理由にキリがないほど、良いものを見てワクワクし買う、余裕や動機づけがなくなってしまっています。 そこそこのものでいいか、という感覚。 子供世代は親のせいでお金もなく、昔より、物への投資より推し活や体験(SNS映え)重視に。良いものを見る目が養われていませんが、そんな贅沢もしてやれません。 子供たちは身の丈に合ったファッションを楽しんでいます。 富裕層の方々と違い、一般人にはアウェーになりました。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
団塊の世代です。若いころは良く百貨店に足を運びました。価格は高くても他にはないデザインの新鮮さやこのお店で購入した商品と言う嬉しさもありましたが現在は出かける事もおっくうでネットで高級通販雑誌でも購入できます。確かに実際に五感で確認して購入する事は出来ませんが。変わらないと感じています。
▲19 ▼2
=+=+=+=+=
百貨店はもう差別化する時期に来たんだと思いますね 広い個別対応の部屋に担当コンシェルジュが付き、新作は上顧客から順に声掛けして一般販売などしない お祭りや花火などのイベント等で百貨店専用特等席を用意して顧客への無料提供 上客は値段など気にしない 自分だけの特別感や一般人が決して手に入らない特別な商品を提供してもらう事を望んでいる ビトンがダメとかそんな事はどうでもいい むしろビトンに限定品を作ってほしいと交渉するべき もはやその方向に全力で進むべきですね
▲124 ▼24
=+=+=+=+=
あくまで化粧等に関する思い付きだけど ネットが普及してきて高級品から安いものまで偽物や効果のない類似品や転売で商品を定価以上で買ってしまうなど増えてきた今だからこそ勝機な部分もあるのでは? 昔は化粧水ですら1000円以下が一般的だったのに今では1000~6000円の化粧品を使う人が増えてきたうえに男性層も増えている。 さらにSNSで流行りすぎてPR目的のインフルエンサー(ちゃんとした人もいるが)や偽広告が横行してきて信用が低下しつつある中で百貨店に向かえば信頼できる美容医療に勧める(もしくは併設)してるか化粧品を勧めるかくらいしてもいい気がするけど。 まぁ最大の問題、百貨店を認知させて向かわせるというのが何より難しいんだろうけど... 食品に関してはデパ地下の惣菜はめちゃくちゃおいしかった
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今のデパートはルミネ等の駅前ショッピングビルと変わらないですね。ズボンを買おうと思ったら、いろんなブランドの店をみて回らなければならない。入っているブランドはどこも同じ。選りすぐった商品をひとまとめにおいて、商品知識の豊富な店員さんが手取り足取り説明して助言をしてくれる。そういうデパートが望ましいです。今でも靴売り場はいろんなブランドを一纏めにしているようですが。
▲66 ▼2
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最近ではネット販売で、百貨店に行かなくても同じ商品が入手可能になりました。 メーカーも複数のサイトで販売するので、百貨店の存在が薄れてしまいました。 テナント料で支えるだけでなく、新たな商品を発掘し、ワクワク感とブランド力を求めたいです。 現場に出る時間や外で人に会う機会も多く、執行役員や管理職と話せる時間は限られたのが敗因と分析されています。 現場主義は大切ですが、作業量に余裕がなく抱えすぎた結果です。 サボると言うのではなく、不測の事態でも対処出来る余裕がないのも問題です。 近年は人件費削減で、キャパを超えて根性論と自転車操業で回す時代でした。 特に重要なポストになる管理職は、サポートに入れる余裕が無いと経営に見落としが生まれると思います。 次世代は余裕を持った作業により、的確な経営をして欲しいです。
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以前、イオンモール岡崎店エリアに西武百貨店がありました。 イオンモールの駐車場もある中に百貨店があり、車で行きやすかったです。私は重宝していました。 それなのに西武百貨店は一律に地方店を撤退させていたのは私には残念でした。 百貨店は落ち着いた雰囲気の中で婦人服を買い物でき、またエレガントなものがあり、私は好きです。 ただ価格帯にはメスを入れる必要があると思います。これたけ物価高に歯止めがかからない20年代ですからね。
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タンスや冷蔵庫、着物まで百貨店で買っていた時代ならいざ知らず、今は専門店やECに全てを食われてしまい、百貨店という業態は転換しなくてはならないのに、いつまでもウダウダしているように見えます。 大西さんは、「素敵なもの、面白いもの、ここにしかないもの」をお客さんに提案していく事で高単価ビジネスを展開する、という百貨店の本来の姿をとりもどせ、という意見なんだと思いますが、それなら、あんなにたくさん、広い店はいりません。 ハイブランドに場所貸して、それを原資にして、尖った企画へリスクテイクしていくようにすべきでしょう。 各社とも構造改革の真っ最中のようですので、どうなるか楽しみです。
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百貨店特有の上得意先営業の「外商」に全く触れてないね。 上得意はいわゆる限定商品とか、入手困難商品を優先的に買える。電話一本で一般客が目にすることのできないレアな商品が入手できる。 顧客の中にはその商品を転売するだけで多額の差益を得る者もいる。
百貨店は外商の売り上げに頼りすぎたのではなかろうか。
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>プロ意識で商品を厳選するセンスや先見性、販売力
40代男ですが、大学で上京していたときに丁度伊勢丹メンズ館がOPENしました。それまでの百貨店のイメージは、女性モノ・オジサンモノのだったのでブランド毎に仕切りを作らず、メジャー・新進気鋭ブランドが入り乱れた店内には新しい世界を感じたし圧倒されました。
それから阪急などもメンズ館に力を入れていった気がします。 久々に行ってみたいですね。
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氷河期世代ですが、百貨店は就活生には人気でしたよ。 自分も受けましたが、とある百貨店の一次面接で、面接官の前で就活生が列になって「名前と大学名だけ言う」と言う謎の面接?本当に流れ作業でそれだけ言って帰されて、後日合否連絡が来るという面接を受けました。外見の良さで採用したいのか分かりませんが、志望動機さえ言う事出来ず、バカにしてるな〜と悔しい気持ちになりました。百貨店はその一つしか受けてないので全ては知りませんが、二度とその百貨店には行くことありません。
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地方の県庁所在地に住んでいますが、百貨店はなくなりました。多くの住民はイオンやゆめタウン等ができてからはそちらに行くようになりましたからね。地方は自家用車での移動が基本なので、街の中心部にある百貨店より郊外にあるショッピングモールの方が行きやすいです。それに、百貨店の包装紙に包まれた品をありがたがる人はどんどん減っていますからね。
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中途半端だからじゃないの? 本来なら良いものをゆっくり買いたいと言うのが百貨店の立ち位置だったと思うけど、今は普通に服が並んで店員見つけるのも一苦労って百貨店もあるしね。ブランド店が路面店に力を入れて、特定ブランド目当てであれば百貨店行く必要も無くなった。
都心店はともかく地方の百貨店は暗くて居心地悪いし、高いし、品揃えも微妙、ならモールで良いじゃんって。通販もあるし。
ヴィトン入れる入れないは自由だけど、やっぱりハイブランド入れると雰囲気違うとは思うけど。
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伊勢丹の催事で革のコートを買いました。お値段もそれなりでしたが、一目惚れしたデザインにずっと着れると確信し即決しました。春にも秋にも合う貴重なデザイン。伊勢丹では大切にしたくなる物との出会いがありました。色々あってもう、伊勢丹に足を運べるような身分では有りません。ほんの30年前はちょっと無理してもいいくらいの勢いで購入しましたね。信頼がおけると言う感じでした。
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今や百貨店でどこでも売れてるのは食料品で それは高いものでも割と売れてる思いますが(1番の例は名古屋高島屋のアムールドショコラ。 他にはどこでも好評な北海道展)
ターゲット消費者に日頃の生活とは異なる プラスアルファの何かを提供するという役割がうまくできてるからじゃないでしようか。
他のジャンルはコレがなかなかできてないように思われます。 ハイブランドとか地元百貨店よりは直接海外行っちゃうでしょうねえ、最近の日本の購買層は。
化粧品なんかは 名古屋の高島屋はなんかものすごい人集めてましたねえ。 あそこ行くのが一つのブランドなってるんでしょうか。
コレを買うのが流行りの先というものを 作り出すセンスいるんじゃないでしょうかね 百貨店のバイヤー。 社長どうこうでは現場のスピードに追いつけない気もします。
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デパートは品が豊富で品質が良くて 交通費かけて出かけても 欲しい物が見つかりました。 少々お高くても値があるので買いました。 それは昔の話。
今は近くのイーオンやショッピングモールで間に合います。 それにデパートは品物も見つかりづらくなりました。 テナントが増えたせいか 配置やディスプレイがマチマチで テナント名に横文字が多く覚えられず 欲しい服を見ても後回しにすると 結局同じ店にはたどり着けなかったり。
残暑の暑苦し最中に秋物を並べても欲しくありません。 くたびれ損を感じる事が多くなり デパートには滅多に行かなくなりました。
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まず、もう百貨店社員はほぼ店頭に立ってない。たいがいはメーカーの人間。世の中と同じで、数少ない若い社員はすぐに出世してマネジメント業務へ振り、大量に雇用されてきた昭和世代の社員は組合に守られて65までパートタイム勤務させるしかないが、ではどこで働かせるのか?百貨店は百貨店としての何を守りたいか?で見える未来が違って来るんだろう。まあ、買う方も昭和世代の元気な高齢者が増えるだろうけど。あとはどれだけ顧客一族と未来まで繋がっていけるか、でしょうか。
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LVMHに軒は貸さない。個人的には、地味ーにそこを評価していたんですけどね。
シャネルやエルメスは独自の伝統を守っている。仮に衰退しかけたブランドを買収して傘下に組み入れたとしても、そのパーパスは大切な伝統技術や職人さんたちの保護保持。兎にも角にも拡張路線のLVMHの理念とは相入れない哲学があるんですよ。
でも、こんだけインバウンドが高まるとヴィトンも入れざるを得ないのでしょうね。生き残るためには仕方がないのかもしれません。
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(新宿)伊勢丹は確かに百貨店ですが、別格過ぎて、「百貨店」一般論として読んではいけない様に思います。 他社も真似たメンズ館のマーチャンダイジングも結局続いたのは梅田の阪急くらい、解放区にしても同じく販売力と顧客を確保してるが故の例外ではないでしょうか。 その様になった歴史的努力は凄いものがあると思いますが、やはり百貨店業態が全国津々浦々あっても成り立った時代は過去になりつつあるのだと感じます。
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百貨店や量販店が苦戦しているのは人材不足です。特に経営層の人材は能力が兼ね備えてその役職になったわけではない。学閥や組合関係 コネなど本来商売の才があって役職になったわけではない。それに加えて売り場を最前線で預かる管理職に於いてもある年齢になれば実力がなくとも管理職に抜擢される。これらが結果的に組織を弱体化させているのです。百貨店を復活させるのは難しくない。個人個人の力を強化することです。一つ一つの売り場単位で実力に見合った人材を登用すればいいのです。それが積み重ねれば大きな力となり業績に結び付きます。
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専業百貨店よりも電鉄系百貨店が今後は「日本人向け」に生き残れそう。ターミナル駅として立地する生活に密着した商業施設は低成長時代でも使い道はあるよ。イオンモール以上正統派百貨店以下というのは普段着のままで上階に行きやすいし。若い人は百貨店よりもカタカナの商業施設に行くだろうけど、それでも特に関西は電鉄系がすごく強い。 地方が失敗した理由はハッキリしている。それは立地と駐車場。地方の車は一人一台というのは軽が660ccになりサイズアップされたバブルの頃から一気に広がった。みんな車で移動するのに、駅前の百貨店は駐車場が貧弱で狭くて暗くてヘタすりゃ有料。2000年頃のそんなタイミングで郊外に大きなモールやアウトレットが便利で広くて無料の駐車場を備えていくつも登場したのだから、勝負はそこでついた。
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新宿伊勢丹…デパートの駐車場と外部駐車場は平日でも殆んど高級車ばかりで空きは余り無し 平日もですね。 デパート駐車場は運転手付きのお客様も…
1年に1回のイベントで丹青会は年間300万円以上買い物をしたり、外商お得意だけが インビテーションで入店できます。
外部駐車場からバスでデパートに行くと この日のためにスタッフが多めに入り口で平身低頭でお出迎えしてくれます。 デパートは面白いですが、大丸など1000万円以上と更なるセレブの皆様が… まだまだ昭和の残響が残る業態を感じます。
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百貨店の質が明らかに落ちたからだと思われます。子供の頃、親に連れられて行った百貨店はエレベーターガールから地下の食料品の店員さんまで素晴らしい対応でした。こちらも服装をきちんとして。でも今はお客さんがいても店員さん同士が会話をしているのが当たり前、先日頼んだ香典返しのお品物を受け取りに行ったら「〇〇様の商品どこー」って大声で。もう同じ物を購入するならネットでいいと思ってしまいました。百貨店って物だけを購入していたわけではないのだと、今になってしみじみ思ってしまいます。
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この前阪神百貨店で抹茶フェアしてた。 京都は暑いし人多いから行きませんが、楽しかったですね。あと、ネットで買えるから行く必要は無いかという人もいますが、ネットよりも店舗の方が値引きしてたりしますよ。友の会で貯めて正月に必要な物はここで買うという人もいますよね。
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百貨店は安心感があります。店員さんは親切丁寧ですし商品の品質も良いし。母も義母も三越や高島屋に出かける事を楽しみにしているし、お中元お歳暮もその他のギフトも三越か高島屋の包装紙でないとダメだとキッパリ言い切っています。店舗が随分減りましたがなくならないでほしいです。
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すごく良い記事でした 90年代前半以後デパートは右肩下がり。営業利益率1ケタ前半の企業が今まで続いているジリ貧のなか、
それでもMADE IN JAPANアパレル全体を見据えた改革など、デパートが華やかな舞台であった良き昭和時代の最後の残照とでも申しましょうか、生き様や哲学を感じ入りました
昨今はなかなか自社利益を出すのに苦労する企業も多い中で、公益、社会の利益も考えて行動する。日本が忘れかけている精神かなと思います
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百貨店は、そもそも高級品主体の業態でなく、中流層以上相手の商売だったが、GMS・大型専門店の出現で、家具家電カメラ玩具紳士服呉服等々、品揃えと価格で競争力を失った品目を縮小撤退してきた結果、婦人服飾・贈答・食品・高級品くらいしか売るものがなくなってきた。 これは存外早くからのことで、市場の小さい地方では昭和40年代から地域2番手以下の店では苦境に陥るところが出ていた。 それでも経済成長していたので表面化する前にバブルと言う劇薬が、この業態を延命させたが、バブル崩壊とその後の不況は、本来の衰退の道へ引き戻したと言える。 残った品目もパッとせず、最後の砦と言うべき高級品だけでやっていける店など、大都市中心部の本店クラスの数えるほどの店のみで、池袋西武クラスでもキツい。 「百貨店離れ」というのは20年くらい前の話で、もはや、かなりの部分の人にとっては、眼中にない業態に既になって久しいと言える。
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デパートと言えば屋上のちょっとした遊園地とペットショップだよね。 小さな頃から生き物好きだったから遊園地よりもちょっと楽しみだった。 小学生の頃はそこでミヤマクワガタやコザクラインコの雛を買ってもらったのが思い出。
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地方は百貨店では無いからだと思います 試着が出来ない、化粧品の色を試す事も出来ない、使用感も知る事が出来ない、 旅先でも、東京、大阪、名古屋、札幌、等の大都市の百貨店で実際に試着して化粧品のタッチアップをして、店員さんに不安に思ってる事を相談して納得してから購入したい人達が多いのだと思います
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日本人の「百貨店離れ」を一言で表せば「時代の流れ」です。これに尽きます。 他の例をあげれば、売れている自動車は1BOXやミニバンと呼ばれる箱型の車ばかりで、4ドアのセダンはほぼ是滅危惧種(車)となっていますが、これも時代の流れなのです。 だからこそどの業界にあっても、時代の流れを読める経営者がいるか、いないかが企業の存続に重要に関わって行くのです。
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米国もデパートの衰退が何年も前からあって、日本にもくるだろうなあと思ってた。意外と早くきたし、衰退のスピートは米国より早いかも。 社会が変わって消費者には購買方法の選択肢が多くなった。 日本のデパートは変われなかった、変わるスピードについていけなかったんだろう。 決定にすごく時間がかかるって、一番日本の弱点だと思う。 デパートに限らず、あらゆることで。
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今年の3月まで三越伊勢丹の社員でした。 10年ほど前に総合職で入社してずっと伊勢丹新宿店を担当してました。 今の会社はマスから個へという方針となっており世間にはうまく誤魔化して表現していますが、一般客から外商個客へ注力するというものだと思います。 貧乏人はお金持ちに憧れるから、その方向だとすべて網羅できるということですね… そのため、バイヤーと言っても買い付けをする人ほぼいなくなり、今では在庫も自社では持っていません。 お金をたくさん使ってくださる方を大切にのは分かりますが、一般客を蔑ろにしているところに違和感を感じて退職を決めました。 数年前までのように独自性がある百貨店でいてほしかった。 世界中からいろんなブランドや商品を見つけるのがバイヤーだと思っていたけど、今では既存ブランドの展示会に行く、売り込みに来たブランドとの商談がメインの仕事となってしまってます。
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伊勢丹はバイヤーが優秀なんだろうな。 新宿も京都も遠いので、行く機会は少ないものの、年に数回使う羽田空港ではよくのぞかせてもらっている。売れ筋や手堅いものが多いけど、いいセンスの商品を置いている。誰もが知るブランドの比率は低いが、目利きが選ぶ品揃えだと思います。値段はそこそこするけどね。
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女性は百貨店で買えるものがたくさんあるだろうけど ファッションに関心のない男性には買うものがない 昔は家電売り場とかハンズみたいなDIYコーナーがあったりして、見るところが結構あった 紳士服も普段着ない層だから量販店に行ってしまうし 百貨店にしてみればカメラ量販店やホームセンターに敵わないから撤退したんだろうけど 選択と集中はよかったけど、その後は成功体験のぬるま湯に慣れてしまったかな
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婦人服を上から下まで(下着は除いても)百貨店で揃えたら安くて10万、じゃなければ15~20万ぐらいになりません? 冬のコートまで入れたらもっとかと。
1揃えで1シーズンを乗り切ることは有り得ず…。
一般的なお給料の中流家庭では、いちばん節約できるのが衣服ですし、今は百貨店で買わずとも良質で手頃な価格の衣類がネットでも手に入りますよね。
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お金さえあれば百貨店で服や食料品をたくさん買いたいですが、とにかく税金が高くて。 給与が上がっても税金が高いから手取りが増えなくて、日々スーパーで家族の食料品を買うので精一杯。 都心の百貨店を支えているのはインバウンドだというのは認めざるを得ない事実です。
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百貨店が今でも何とか営業していられるのはインバウンドと富裕層のおかげ。インバウンドもこれからどうなるかわからない。となると富裕層がどれだけ百貨店で買い物をしてくれるか。外商のお客様でよく買う人は年間億単位で使ってる。とにかく買い物の仕方が半端じゃない。お気に入りのブランドは徹底的に揃えようとする。三越伊勢丹がルイ・ヴィトンを入れたのは、それだけ経営が厳しいと言うことだろう。都会に近い地方百貨店に有名ブランドを入れたら売り上げが伸びたということはよくあること。だから百貨店を利用する人の二極化がこれからもっと進むだろう。因みに今の自分は百貨店に行くことはない。行く必要性がない。もう何年も百貨店に行ってないという人も多いのではないかと思う。
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百貨店は基本的に駅の近く、直結している一等地にある。ユニクロやアウトレットは郊外。そして百貨店はバーゲン以外での割引は少ないし、そもそも高い物が良い物ってのは終わった。安くても質のよいものはたくさん出てきたし、百貨店のものを使っている、身に着けているというプライドも大したことがなくなった。家電などを見ても分かるように、ひと昔前なら何だ?そのメーカーは?初めて聞いたわってくらい下に見られていたものが今ではむしろスタンダードに近くなっているのが現状。
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ラグジュアリーブランドをテナント的に入れれば利益は減る どの百貨店も構造改革として手を打つが、効果は見えない。 今の時代は好きな物はいつでもどこでも買えるから、ネット含めて売場(伊勢丹ではお買い場)は広がっている。 仕入から最終処分まで責任を持って業務をする社員が存在しない百貨店には 衰退しかないかもしれない。 百貨店のメリットはカードの優待ぐらいかな。
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大西洋氏が現場へよく行った気持ちは痛いほど分かります。「事件は現場で起こっているんだ」ですね。 だから大西氏は社長としてもっと常務や執行役員とコミュニケーションをとって任せることが大事だったのではないか。 社長が現場にちょくちょく行けば、役員も嫌だろうし、店舗も緊張します。執行役員の知らないことを現場で指示を出してしまうこともあったのではないでしょうか。 大西氏には社長は無理だったと思います。
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百貨店がなくなって久しい。 確かに昭和の末期には景気も可処分所得も多く、世の中に余裕があった。 商品が高くても消費をする余裕があった。 その消費に文書をみるとそれ以上の税金が欠けられる事に物の価値は同じでも支払うお金が余計に感じた。 それが、ファストファッションで物欲が満足されると、やがてその価値が下がってきた。
昭和と平成は、社会的な出来事により分断され、異なる国に変わった。 分断が生まれ、多様化に変わり、物事の価値観が変わり、それが社会的変化につながった。
今の若い人は昭和を知らない。 よくも悪くも変わった世の中。
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三越伊勢丹は百貨店業界の雄だったが、大阪で大コケしてから勢いがなくなったし、大西氏が2017年に退任したのもそのことが大きかったのだろう。 そごう・西武ほどではないが、赤字の地方店をあっさり見切って撤退してしまうし(中核店舗がもぬけの殻になった地元商店街にとってはたまったものではない)、旗艦店が東京(新宿、日本橋、銀座)一極集中でバランスが悪い。 地方店が赤字になってもぎりぎりまで撤退せず収益改善の努力を駆使して粘り、旗艦店も東京(日本橋、新宿)、横浜、名古屋、京都、大阪とバランス良く分散している高島屋の方が好感が持てる。
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素人から見ると、ルイヴィトンが入ろうが、 エルメス、シャネルと並んでいるので、余り感覚的な違いは分かりません、先日も新宿伊勢丹に立ち寄りましたが、ザロウ辺りに中国人が群がる姿を見ました。インバウンドによるハイブランドの値上げは、ここ数年かなりの勢いが有り、比較的購入しやすいと思われたモンクレールすら10万位値上がりしています。円安における爆買い、免税、転売などを考えこの様な措置に転じたのでしょうが、一般的な国民所得には追いつかないスピードだった感もあるので、政府は国民の為に何とかこの価格における対策をする必要があったと思います。
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私の父は高卒の銀行員でしたが、私の子供の頃(80年代)は外商だったりオーダースーツだったりと百貨店をよく利用してました。 かたや国立4大卒の私は「ユニクロは高いよね」という金銭感覚で、セールで3900円で買った感動パンツで通勤しています。 日本人が百貨店離れしたのは、日本から顧客層がごっそり消え失せたのが最大の原因です。 百貨店離れした顧客はもう介護ホームに入ってます。
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インバウンドの人と東海の三越に行って向こうの方が買い物されていたが、、正直言って老朽化、施設の古さが目についた… 名鉄百貨店も。 高いもの買うのに自分なら高島屋に行くかなあ。老舗感があって良いという人もいるのかな。 たまたま欲しいブランドが三越にしか無かったようだけど ファミリー層は円安でハイブランド品値上がりにつき買う人は減ったと思います。 モールに行くでしょうね…雑誌、ファッション業界衰退の影響も大きいと思う。
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もう企業努力でどうこうなる次元じゃないんだと思う。 デパートは頑張ってる。 それは伝わる。 私は趣味の分野で、デパートに特別出店(展示即売)される職人ものや作家系のお洋服などに惹かれ、時々購入する。 そういったちょっとものを、わざわざご当地に行かなくても、デパートさんが引っ張って来てくれて、見て触って買うことができるのは本当にありがたい。 ネットは便利のようで不便なことも多い。 返品できるというが、モノを買うってそうゆうことじゃない感がある。 でも産まれてから、買い物の基本がネットである世代が増えていくほど、買い物の感覚が変わるのはどうしようもない。 これからは買い物も富裕層と低所得者と二分化して、お外での見て触っての買い物はお金持ちだけの特権になるのかな。 庶民は自分の買い物が粗悪品であることも気づかずネットでお買い物が主流になるのかな。
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百貨店のステータスは、如何に売り場に客がいないかで決まる。資産を持った顧客のところへは、百貨店の外商が出向いている。そして、三越や高島屋では外商の売上が全体の9割を占める。つまり、百貨店は店頭に来る客なんか見ていないわけだ。俺が若手の頃は、売り場に客がいれば恥と思えと言われたもんだ。 あと、ルイ・ヴィトンはその凋落が激しい。そもそも、どこでもかしこでも買えるようになったら、それはもはやハイブランドとは言えない。本国以外では買えない、買えたとしても買える場所が数カ所。日本だと東京に1カ所、大阪に1カ所、これが理想だ。エルメスは銀座の路面店1店舗でしか買えない。これが本当のハイブランドなんだ。
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若者は百貨店に行くとは言わずにテナントで入ってるお店に行くという感覚が多いかもしれないですね。
地方都市でならここまでの暑さを読んで、複合施設にして屋根付きか立体、地下駐車場にしておけば集客出来てたかも
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百貨店業界、 今はインバウンド客の落としていくお金で 成り立ってる感です。 観光業の一部?みたいな。 売り上げが伸びるのはもちろん良いのですが、 良い面ばかりでなく、 大きなキャリーケースを持って、 ゾロゾロと、 デパ地下などで、座り込んで子どもに 飲ませたり、食べさせたり… 地元スーパーならまだしも、 都会のターミナル駅の一等地の一流百貨店 には似つかわしく光景です。 これもある意味、オーバーツーリズム でしょうか?
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客からすると、新宿伊勢丹本店は他の百貨店には置いていないブランドが多種多様にあるので、ヴィトン一つ入れたからってどうということはない。 阪急の梅田本店にもヴィトンは入ってるが、ここもバイヤーさんが優秀で、大阪一品ぞろえが豊富だから、別にヴィトンに頼っている、浸食されているという印象はない。 伊勢丹も阪急も、ここに行ったらこのブランドがある、ここにしか置いていない商品があるという関東関西ナンバーワンの価値を認めて買い物に行くから、消費者の選択肢が増えていいんじゃないかな? 伊勢丹の力なら、他のヴィトンに置いていない希少性のある商品を入れてきそうな気もする。
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2人の息子の大学入学式や成人式にはISETANのメンズ館に行き普段行かない主人がスーツ選びに喜んでいた姿は良い思い出です。 数年前に久々に行きましたら 全く雰囲気もより高級思考になっていて 近寄りがたいものでしたが 懐かしい思い出になりました。
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何をどう差別化するのか、組織としてありたい姿を優先させず、顧客層や提供サービスを見直さない限り、離れた顧客の購買ターゲットには戻れない ECがこれだけ台頭している事自体、「物販」の構造は百貨店の良き時代を変えなければ、その上で、先に何を残すのかより、敢えて何を残すのかぐらいの革新が要る また、「物販」に伴う「物ではない付加価値」を徹底的に訴求する覚悟が無ければ、疲弊し衰退の一途を辿ると思われる
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今の消費者は、のんびり百貨店でものを探す暇と時間が無いのと違いますか?昔の方が、時間にゆとりが有ったが、今は、次から次へと忙しく飛び回らないと、やるべき事が出来なく成ってしまう。また、物価高騰で、気軽に、何処ででも、何でも買えば良いと言う訳には行かない、何処が安い、何処が物が良い、車の移動順はどんな感じ、時間を有効にどうするか?行く予定が天候の不順で繰り延べに成ったり、まあ、カネの価値の無い時代は、時間も有効に使えず、ただ忙しだけ、貧乏暇なしとは良くいったもの。
▲17 ▼3
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今の三越伊勢丹グループの高額過ぎるテナント料と横柄な態度では、客の求めるブランドや飲食店はいなくなって行くでしょう。バブル以降、日系のアパレルブランドは大幅に減っているし、飲食店に対して、15%以上のテナントマージンは商品価格に影響が出るのは当然。結果、そういうブランディングをしているところしか残らない。昔はサービスを売りにしていて、顧客を取り込めていた感じはあったけど、それも今の高飛車な感じのサービスでは、ネットで買った方がいいなと思わせてくる。自社店舗にしても、リスクを取りたくないから、ロクなものを仕入れない、在庫がないとなって、結局ネットで買った方がいいとなる。 東南アジアにあるショッピングセンターなどは飲食店からは家賃やマージンを全く取らないところも多い。そこでは飲食店が客を連れてくることを知っているから。マーケティング自体を見直す時期が来ているように思う。
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昔は買えなくても、デパート等に行って洋服など見て楽しんでいた。 本当に素敵だな~と思い、品質も良い服があるのはデパートだった。 「いつか沢山お金を儲けて値段を気にせず服を買いたい」と思っていたけど 結局今では、安い服で十分な毎日の生活になってしまった。 こんな人ばかりになったのが、デパートが無くなる原因かな?
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百貨店をまわる仕事をしてましたが 九州の百貨店は独自のブランド力と売り場構成がまだ残ってて面白かったですね 厳しい状況ですがまだ岩田屋や鶴屋山形屋、浜屋と各県地場デパートが残ってるのが凄いと思います。 関西も阪急や神戸大丸や京都大丸、京都高島屋は企画や発信を頑張ってるなあと思いますね。 東京大阪の大半のデパートはこの記事の通りですね、独自性がない。
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百貨店に関わったことのある人間からみると、①メーカー含む納入側の意見として、差別化した良い商品を持参したところで、バイヤーの知識や興味レベルが低く、先ずは値入れや返品条件の話が主になります。百貨店全盛期は、製販協力して、どのようにお客様に届けるかの話が主でしたが、今は、酷いバイヤーになると、売り場の展示から品揃えまで納入側に任せ、最悪は売り子の要求まである。そしてあとは返品。これでは、大事に育てた製品を任せたくない。Cで作った安物を別ブランドで渡すことになりました。 ②そして百貨店大好きな消費者側(私もここにいますwww)の意見として、わざわざステータスにもならない物を、気持ち良く買い物させてくれなくなった店舗で、それも割高で買いたくないです。以前は百貨店でしか買えない物が多く、接客も特上でした。自慢や見栄を張れなくなった今、百貨店に未来は無いです。
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質がいいんだけれど見出されていないような地方の小さな工房を発掘して御品を売るとか。ネット全盛時代にあっても質重視、ブランド非重視の層はおりますよ。ネットでは本当の質がわかりませんからね。そこを百貨店さんにやっていただけたら刺さる層も多いと思います。
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都内の伊勢丹が売れてるのはインバウンドもあるし、立地に回遊性とブランド力があるから。立地抜群でも閉店となったアルタもあるし、池袋の東武や西武もある。店舗による小売りは普通のものを売っていてはネット通販には勝てない。地方は車社会だから広大な駐車場があるロードサイドの量販店ならともかく、鉄道駅の前の百貨店はなにか差別化が無いと無理そう。 百貨店って実は物販用の場所貸し、フロア賃貸業なんだから、人が集まれない場所に店舗を構えてなくてもロードサイドでよさそう。
▲27 ▼75
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百貨店の紙袋で帰るのが良かったんだよな。 百貨店で買い物した特別感があった。
他の商業施設と横一線で、そのまま生で渡されるとなんだかなぁ~って思います。 そういう所も他の商業施設と変わらない印象を与えてると思います。
もちろん袋は買えばいいし、環境が大事なのは重々承知ですが…
いいホテル泊まった時に環境保護を客に求めすぎて特別感を失ってるのと構造が似てる気がする。
▲52 ▼0
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もともと百貨店は地域の文化の発信基地だったわけや よその地域には、こんなにいいものがありますよ! これを買えば生活が豊かになりますよー これはめずらしいものですよー 的な・・ だから店員は高度な商品知識が求められ、ええとこの大学から採用されとったし、上の階では、展覧会などいろんな催し物がされとった。 今は、その役目がすべてインターネットに移って、百貨店の存在意義が無くなっただけ。 東急ハンズの落ちぶれもそれやな・・インターネットで情報集めて、インターネットで買えばいい。 知識、品揃え・・どうがんばっても勝てんのや。
▲8 ▼0
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新宿伊勢丹にヴィトンが入れられなかったのは、 コーチ(coach)が反対したからと昔聞いた事があります。 また何かで伊勢丹と揉めて、バレンシアガだったか忘れたが、 そのクラスのブランドが撤退したこともあったと思う。
どれももう2000年代くらいの話なので、今は状況が変わってるかも 知れません。元あるブランドと被るブランドを近所に出してはだめとか、 基本的に(例外もあるだろうが)そういう業界のルールがあるみたいです。 相乗効果でいいと思うんですが。
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昨今の犯罪傾向から、お金があってもお金がある素振りは控えないと痛い目に合うという考えが新たに生じつつあるのも百貨店には痛手でしょう。百貨店に頻繁に行く様子を見られる、高級ブランドを身につけるなどは、犯罪者の気を引くことになりかねない。
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インバウンド客は麻薬だろう 確かにパリの一流デパートと比べても日本のデパート、とくに伊勢丹新宿店の店作りは頭抜けている 綺麗とか安心もあるが、なぜこの商品を売るのか、お客にどう使って欲しいのかについての担当者の創意工夫が徹底している それはやはり自社への誇り、愛情、担当職務への真摯さがあるからで、外国になるとそこまでの熱心さが感じられることは少ない だからインバウンド客は買いたくなると思う 円安という値段もあるがそれだけではないだろう 安心して買える、良い物保証、というお墨付きがある だがそのギャップだけに頼ると進歩が無い 眼の肥えた日本人客に選ばれる店に変革していかないと気付いたら遅れていることになる その時は新しい商品でも、広まれば汎用品になってしまうのは仕方ない それは普通の安売店に任せて、新しい価値を持つ商品に注力すべきだろう そこでどう提案出来るか、デパートの腕が試される
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100円ショップや 手芸用品店がテナントに入った時は本当に驚いた あー百貨店終わったなと思いました 中古の着物リサイクル店を出店させている店舗もありましたね あーいう判断ミスが起きれば ブランド力は二度と戻らない もちろん売り上げや 時代の流れは分かりますよ ただ超えてはいけない一線があったと思う 地下の食料品売り場や お土産コーナーなど そういうところで稼ぐべきで テナントに何処にでもあるようなお店を入れるべきでは無かったよね 結局そういう類のお店も今では百貨店からも消えているしね 利用されて終わりですよ 地方の百貨店なら 複合施設で ホテルなどを入れた建物にすれば まだまだ活路はあったはずだけど その資金力もないよね
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小学時代をバブル期で過ごした中年女性です。 下町小金持ちだった我が家の買い物は、上野高島屋か銀座三越が定番でした。 INエクスプレスと言う、ド派手な子供服が親が大好きでしたが、1着10000円~20000円はしていたと思います。 現在、母になり子供服を買いに行きますが、デパートで購入することはまずあり得ません。 ブランド物ならアウトレットへ行くし、普段着ならUNIQLO、GU、しまむらで十分です。 いくら稼ぎがあっても、そこにお金をかけようとは思わないです。 デパートは、手土産を購入するところ、そんな感じではないでしょうか?
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