( 314854 )  2025/08/10 04:06:36  
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戦争を繰り返さないことが大切。 

しかし、戦争責任は日本だけが反省し謝罪し続ければ良いということではない。 

欧米列強を中心とした植民地政策やブロック経済などの時代背景もあった。石原莞爾が言うように日本は鎖国政策から外国の圧力で開国させられ、欧米列強から様々な干渉を受けてきたのである。アジア諸国が植民地化され、悪名高きアヘン戦争が起きるなど、列強からの自国防衛の必要性が高まっていくのは自然の流れ。 

アヘン戦争、ポーランド侵攻、朝鮮戦争、ウクライナ戦争などを見ても軍事力を放棄すれば戦争に巻き込まれないという単純なことではないことも歴史が証明している。 

そのような中、祖国を守るために戦場で尊い命を失った先祖に崇高の念を抱くのは当然のことではないのか。 

むしろ、一般民間人を標的として原爆を落とし大量殺戮したという戦争犯罪が全く裁かれないことに違和感を感じる。 

 

▲2063 ▼336 

 

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敗戦の記憶は私たち日本人にとって苦いが栄養がある。よく噛み締めて未来に活かすべき。日本は悪くなかったという歴史認識は自尊心をくすぐり甘く誘惑的だがあまり私達のためにはならない。失敗にこそ学ぶものがあるので失敗は失敗と受け止めるべき。それから敗戦後、日本はずっとアジア諸国に謝罪と償いを続けてきた。これはなかなか出来ないことだ。だからこそ日本は国際的な信用と尊敬を得たし、日本製品は信用されて売れてきた。このリカバリーの過程をこそ子供達に誇りを持って伝えるべき。 

 

▲124 ▼262 

 

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解釈は、それぞれのものの見方に依るのですが、より理知的であることが不可欠と思います。 原爆では、米国側でも民間人居住地域投下には反対もありました。しかし、強硬派によって広島市と長崎市への投下。 また、イスラエルのガザ侵攻と支配、プーチンのウクライナ侵攻、これらも保守強硬派が深く関与しているでしょう。それは、あの当時の日本でも。宗教の原理主義の危険性は知られていますが、それと同じく保守を超えた強硬派タカ派の存在も危険なものと思います。 

 

▲69 ▼47 

 

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揮毫者は世界市民とか言うてしもてますね。子どもが言う(最近大人もやたら言いますが)「みんな」と同じで、誰やねん!?状態です。犠牲になった広島市民を勝手な理屈で世界市民に置き換えて、犠牲は我々の責任でもあるんですよって未来永劫背負って生きましょうって貼り付けてしまう、こんなこと血の通った人間の考えることでしょうか?犯罪の被害者にそう云うのでしょうかね。私はこの碑を通り超えた向こうで祈ることにしています。 

 

▲82 ▼46 

 

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慰霊の場での言葉と、国防や歴史認識に関する政治論が混ざってしまっているのではないでしょうか。 

慰霊の言葉は本来、戦争に至った経緯の是非を論じる場ではなく、亡くなった方々への哀悼と、再発防止の誓いを表すものだと思います。そこに防衛論や歴史解釈を持ち込むと、焦点が「死者のための祈り」からずれてしまうと感じます。だからこそ、慰霊の言葉としての「過ちは繰り返しません」は、特定の国ではなく全人類が、戦争を起こさない世界を誓う言葉であって良いのではないでしょうか。 

 

実際の正式名称も「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」で、平和式典という要素が本質に含まれています。長崎も同様です。原爆犠牲者を悼むことを起点に、戦争のない世界を誓う場でもあるのではないでしょうか。 

 

国防や歴史認識の議論は、然るべき場である国会や公開討論で存分に行えばよい。慰霊と政治論は、きちんと分けて考えるべきだと私は思います。 

 

▲864 ▼163 

 

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戦争はアメリカが意図的に仕組んだこと 

あの時代、あのタイミングでなくてもアメリカの開戦工作は継続したでしょう 

 

戦争と無差別民間人虐殺は別の話 

無差別虐殺、国際法違反をされて自分が過ちだったと認めるのは、大変危険な思想 

 

自分をアピールしたいのはわかるが、もう少し冷静かつ正しい歴史観、倫理観を学び、日本人としての矜持を持つべき 

 

▲326 ▼181 

 

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これは歴史戦の一部でもあるだろうから認識が違うのなら政治家として議論するのは当然だと思う 

事なかれ主義で立場をはっきりさせてこなかったのがこれまでの日本であり、それによって歪みが至る所に出ているように感じるのもまた事実で、ここに問題意識を持つ議員がいるのなら言論を闘わせるべきだし逃げるべきではない 

 

ただし、SNS上でのやり取りは一言一句を有権者が目にすることもお忘れなく 

 

▲33 ▼3 

 

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戦争に反対しているのか、それとも核兵器に対して廃絶若しくは使用禁止を訴えているのかよくわからない。この二つは似て非なるもの。どちらも平和を望んだ訴えには違いないが、戦争に反対なら戦争当事国の事情を知らずに他国が反対など言えないだろう。また核兵器の廃絶や使用禁止にしても、一か国でも核兵器を所持していれば、いくら反対しても無くはならない。必ず対抗手段として所持する国が現れる。平和への訴えや核兵器廃絶の訴えは尊重するが、仏教でいう108つの煩悩が世界中の人からすべて無くならない限り達成は無理でしょうね。 

 

▲187 ▼37 

 

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「過ちは繰り返しません」は主語がないから、どうとでも解釈できる。 

でも平和を願う心は一部の独裁者以外は皆、そう思ってるはず。 

この世から独裁者が居なくなることは現実的にないのかと思うが、そういう国、人がいなくなれば、どんなに素晴らしいのだろうと想像はしたくなる。 

毎年、この時期になると戦争関連のテレビや映画などが多く放送されるが、戦争をしてない今の日本は本当に幸せだと心から思う。 

 

▲229 ▼31 

 

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米山さんは、反日戦後教育に刷り込まれています。自分も小学校や中学校時代、国歌は一度も習わなかった。昭和史に限れば、日本の方が悪いという前提での教育でした。 

それが勉強を進めていくうちに、ハルノート、ゾルゲ事件、ABCDライン等勉強を進めていくと、どうも先生方がいっていることに疑問を持つようになりましたね。そう教育せざるを得ない状況もわかってきました。今の教育は60年前と違ってきているから少しはいいかもしれないし、「自学自習」が進んできているので、多くの国民は考えが変わってきていると感じます。 

今の若い世代は、自分でしっかりと考えて、勉強をしてほしいですね。なぜ日本が戦争せざるを得ない状況になったのか、突き進んだのか、勉強していくことはとても大切なことです。 

 

▲374 ▼71 

 

 

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どういう流れで発言したのかわからないけど、「過ちを繰り返しません」てのは主語は自分。意思の表明だから。この場合、日本人としてどこに過ちがあったのかを反省するところなので、被爆国の人間なのにアメリカの原爆投下まで含めて自分を戒めるのは違うと思う。広島の平和記念式典ならなおのこと。 

「過ちを繰り返してはなりません」なら普遍的な呼びかけなので全人類の視点になり得ると思う。 

 

▲202 ▼67 

 

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いずれにしろ二度と核兵器が使用されることがないようにするには核廃絶しか無く人類はそこを目指すしかありません 

でもその実現にはとてつもなく長く険しい道のりを歩かなければならないでしょう 

その間に核兵器を使おうなどとする保有国がでないとも限りません 

核廃絶が実現するまではそんな保有国を抑えるための核抑止力にすがらなくてはならないのが悲しい現実でしょう 

 

▲206 ▼98 

 

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広島長崎の式典には多くの意味がある。 

日本は戦争を起こす愚かさも、核兵器の被害の悲惨さも知る国だ。 

 

そしてアメリカは唯一の核兵器使用国だ。 

アメリカも重い十字架を背負っている。 

 

日本でこの式典が開かれる限り、アメリカも消えることのない、核兵器を使ったと言う事実に向き合う事にはなると思います。 

 

▲13 ▼2 

 

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戦争を開始した「過ち」は、日米双方にあると言えるのではないか。 

日米開戦を望む強さは、日本よりアメリカの方にあったからだ。 

 

ローズベルト大統領は、ドイツが始めた第二次大戦に介入しないという国民との約束で1940年大統領に3選されており、対独戦で攻撃にさらされているイギリスや孤立している中国からの参戦督促との間の板挟み状態であった。 

大統領の周りは、イギリス、中国のロビー活動とソ連を含む工作員で囲まれていた。 

事実、日本に対米開戦を決定づけた最後通牒「ハルノート」は、日本が絶対に吞めない条件となっており、原案作成者は後年ソ連の工作員であったことが判明している。 

そんな中、日本からの宣戦布告、まさに「願ったりかなったり」であった。 

 

そして「過ち」と言えば、人道上の罪の大きさを市民の犠牲者の数で表すと、ソ連、ドイツの次に原爆投下や東京大空襲等で大量殺戮を実行したアメリカにあると思えるのだが… 

 

▲42 ▼7 

 

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過去の戦争を反省する事は大事だが、当時の状況や価値観は今となってはわからないだろう、それよりも今後が大切。 

日本から仕掛ける事はないだろう、したがって敵から攻められない抑止力を持つことが平和を保つ為には不可欠。 

 

▲137 ▼42 

 

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歴史認識は個人が習得してきた知識や思想がモロに反映する。 

読んできた本や教わった内容、信じている観念によって見方や解釈も千差万別。 

正しいか間違いかも大事だが、そこに何を学んでどのように活用出来るかが歴史学の大切な意義だと思う 

 

▲54 ▼7 

 

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戦争は絶対に行ってはいけないという反省です。戦争に勝ち負けはない。あるのは戦火で苦しむ民衆である。本当に国民の事を思うのであれば、戦争という手段を選び、生きる権利を奪ってまで自国民を戦火に導くような為政者を、反省のうえで選ばないことではないでしょうか。世界には、自国民以外は生きる権利など全く気にしない指導者が多いことか。戦争を望んでやっている人は確かに一定数いる。しかし、大半の人は望んでいない。広島、長崎、いな日本全国で苦しんだ国民が、必死に生きて今の日本を再建したのだから、我々戦争を経験していない者は、その意思を継いで生きたい。 

 

▲7 ▼13 

 

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歴史史観は人によって違う。こういう議論は平行線をたどるだけでしょう。戦争は視点をどこに置くかで見方も変わるし、どちらが正しいのか悪いのかそんな単純なことではないと思う。 

ただどうあれ、先人の方々にはリスペクトですよ。必死で生きて必死で国を守った。あの戦争は過ちだったと言えるのは過酷な時代、当時を生きてきた人たちだけであって、現代を生きる我々に言えることではないと思う。 

 

▲254 ▼168 

 

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戦争なんてお互いの正義と正義のぶつけ合い。終わった後に、これは過ち、これは正当と言った所で失った命が帰って来るわけでもなし。倫理がどうのこうの言ったところで立場が変われば視点も変わる。グローバルなこの社会で如何にして同じ正義を持つ国と連携出来るかが、今後の戦争を起こさない為の鍵でしょう。 

過去を過ちとして反省を促した所で、必要となれば国は平気で戦争を引き起こします。そうさせない為の駆け引きが今必要なのでは? 

 

▲4 ▼5 

 

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日本はアメリカとは戦争などしたくなかった、しかしやらざるをえなくなってしまった。アメリカは日本に無理難題をふっかけて日本から仕掛けてくるのを待っていた、そして三国同盟のドイツを叩く口実が欲しかった、まんまとアメリカの戦略に乗ってしまった、自国の権益の為ならどんな手でも使う、日本の外交下手は今も同じ、しかし当時の国際状況を踏まえて過ちだったは分からないと思う。 

 

▲347 ▼130 

 

 

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「戦争を始めた」というが、満州進出を日中戦争にまで発展させたことは確かに問題だと思うが、他の世界各国に向けて覇権を広げたとはとても言えないし、米国が正義の使者でもなかったのは明らか。 

 

米国の原爆投下は明らかに一般人に向けて行われたもので、既に戦争終結に向けて動いていた日本の動きを無視したもの。 

 

何を指して「過ち」としているのか、そこが何よりも重要。 

 

▲20 ▼3 

 

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自分の意見は異なるが、 

日本人とアメリカ人が二人並んで過ちを繰り返しませんというならまだしも 

日本人が言うのであれば、米山氏の日本人が落とされたことを繰り返しませんと言うことかと思います。 

 

戦争は結果的には過ちのように思うかもしれませんが、結果論であって当時の状況としては正しいと思わざるを得ないかもしれない。 

 

ただもしあの時中国を手放してアメリカの意に沿ったとしてもアメリカのいいようにされていた可能性もある。 

 

また正しい正しくないは言うことは難しいけれども、命をかけてこの国を守ろうとした日本人のいたことが必ずしも間違いだと断じることは、抗えぬ大きな波の中で精一杯生きた日本人の魂を間違いだと断じることは中々難しいものである。 

 

▲286 ▼147 

 

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日本は唯一の被爆国として平和と核兵器批判を他のどの国よりも大きな声で訴える権利がある。広島長崎の知名度を考えれば世界中から支持されることだろう。 

優れた政治力があれば他国に圧力をかけることだってできるだろう。近年ではゼレンスキーが支援を得るために民主主義という言葉を半ば脅しのようにも思える力強さで使ってる。 

 

▲0 ▼21 

 

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つまり逆にいうとロシアがウクライナ人を虐殺するのもアメリカ人が日本人を虐殺するのも虐殺する側の国にとっては正義であって罪ではない、と言いたいのではないかな 

 

であればあの戦争で日本側が行った行為はたとえ他国がどのように評価しようとも全て日本国が国家を維持するために行った正義であって罪ではない事になる 

 

▲26 ▼2 

 

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お二人の気持ちがわかる気がする。逆の論理のようでいて実は日本を愛するがゆえに戦渦と甚大な死者と現在も続く被爆した人達や全ての戦争で失われた尊い命に対して今の平和の礎となった感謝の気持ちと哀悼の意を捧げたいと思う。価値観の相違はあっても戦争によって奪われた暮らしと命への思いは共通していると思う。過去の過ちというのは責任論にして終わるものではない。時代の流れに逆らえない運命のようなものもあると思う。 

 

▲5 ▼1 

 

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意見が違うこと自体は当然ですが、相手の人格まで否定するような言い方をしてしまうと、冷静な議論は成り立たなくなります。 

歴史認識の問題は感情的になりやすいからこそ、事実や考え方を丁寧に伝え合う場にしてほしいです。炎上させて相手を叩くやり方では、結局お互いの理解も深まりません。 

 

▲7 ▼1 

 

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原爆投下について言えば、第一義的には原爆を投下したい、投下しても良いとの考えから原爆投下を実行した者に責任があり、全人類のマジョリティは(当時においても)そのような考えや意思を持っていないものと信ずる。 

全人類の責任とするならば、原爆を投下した者の責任を薄め軽減するように思うのだが。 

 

▲10 ▼4 

 

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戦後80年。戦争体験者も年々少なくなっている。今もそうだが、これまでもその世代の多くの人が、あるいは、実際に兵士として戦争を経験した人の多くが、「あんな戦争を二度としてはいけない」と口々に言っていた。これは自虐か?自虐ではないだろう。無条件降伏で終戦を迎えた8月15日、多くの一般市民の思いは「戦争が終わって良かった」。これは自虐か?自虐ではないだろう。 

 ならば、平和祈念式典で発せられた「過ち」という言葉の意味は自ずと分かるというもの。 

 平和祈念式典は、アメリカの責任を追及する場ではない。 

 

▲15 ▼32 

 

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被爆三世です。 

祖母は間一髪、死は免れましたが、周囲で大勢の無辜の民が亡くなったそうです。 

その現場において「過ちは繰り返しませんから」の碑文は釈然としません。 

「すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する『ヒロシマの心』が刻まれている」と言われても、釈然としません。 

戦争を始めた(始めざるを得ないよう追い込まれていた)にも過失はあるかもしれませんが、一般人を無差別に大量虐殺した国は戦勝国としてお咎めなし。 

百田さんの解釈のほうに寄り添いたくなりますね。 

 

▲24 ▼6 

 

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戦争自体が過ちなのではなく、原爆の様なジェノサイドとも言える様な大量殺戮兵器を使う事が過ちなのだと思います。勝ち目のない戦争が悪なら、それこそ力こそ正義になり、武力を持つ者がどんな理不尽な事をしても武力で勝てない以上は全て従えになってしまいます。 

まぁ、今の世界も力こそ正義が現実で米露中が実践してはいるので、日本ももっと核兵器を含めた軍事力を保有した方が良いのでしょうが。 

 

▲273 ▼148 

 

 

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碑文の揮毫をした人より碑文を作った浜井広島市長の考えが大事。市長は著書の中でこう言う。 

 

>この碑の前にぬかずくすべての人びとが、その人類の一員として、 

>過失の責任の一端をにない、犠牲者に詫びることの中に、私は、反 

>省と謙虚と寛容と固い決意とを見いだすのであって、その考え方こ 

>そが、世界平和の確立のためにぜひ必要だと考えた。 

>この碑の前に立つ人は日本人だけではない。それがどこの国のひと 

>であろうと、同じ考えでなくてはならないと思ったのである。 

 

これは意味不明の思想。なぜフランス人やトンガ人が犠牲者に詫びなければならないのか?彼らの「過失」とは何か?これは日本で戦後東久邇宮が主張し丸山眞男が批判した「一億総懺悔」にやや似ているが、日本は戦中も総選挙で民意を示しており、国民の総意で戦争を支持したと一応言えるところが違う。繰り返すべきでないトンガ人の「過ち」とは何かが不明。 

 

▲4 ▼2 

 

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過ちではなく選択の失敗かと思う。 

日本が負ける戦いに進まざる得ない状況になった背景を無視し、ただ莫大な人命が蔑ろにされたと言うのは簡単だ。 

先ずは何故に日本が大戦に進んだのかを良く考えた上で二度と戦火に巻き込まれないように考える必要が有ると思う。 

 

▲2 ▼1 

 

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米山氏の見識は原爆投下に肯定的とまでは言わないけれども、原爆投下に対するアメリカの非道性を薄めてしまっているかのような印象がある。確かに最初に戦端を開いたのは日本であるが、その事と原爆投下を実行したアメリカ側の責任とを等価的なものとして、両者ひっくるめて“人類の責任”と結論付ける氏の思考には正直、違和感を覚える。 

何はさて置いても、原爆投下は全世界的に非難されるべき出来事である。広島、長崎の願いは一にもニにも「核の廃絶」であり、紛争の否定がこれに先立つものではない。そうでなければ、平和都市としてメッセージを発し、毎年式典を開催することに何の合理性も持たない。「戦争を起こした結果、核が使われた。だから、戦争を起こした我々も悪い」という思考は全く否定するわけではないが、大事な点が封印されてるように思えてならない。 

 

▲29 ▼6 

 

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「戦争という過ち」という戦争観(認識)からは、未来の展望は何も見えてきません。堂々巡りの回転木馬を漕いでいるだけで、一歩の前進もない。 

80年続いた停滞があったことを忘れてはいけない。我が国は、アメリカと戦うことは亡国とわかっていた。戦わざるも亡国であるならば、戦うことを選択したまでのこと。このギリギリの政治判断を単に「過ち」と断罪することは、後世の国民として「無責任」である。 

「過ち」とかの次元の問題ではないことだけは、間違いないと思う。 

 

▲10 ▼3 

 

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勝ち目がなかったと言うのは結果論であり、当時は軍部も国民も苦戦しても何とかなると判断したから決行したわけである。 

(軍の上層部も「負けると思ったらやるわけがない」と回顧している) 

米国だって後に同盟国になるつもりなら原爆投下も東京大空襲も行っていない。当時は日本人憎しで皆殺しにしようというのが米国の総意だったと思う。 

現在のロシアでも同民族を殺害し自身も大きな損害を受けてもこの戦争に賛成する国民が多数というところからしても歴史を「過ち」という言葉で表現するのは間違いである。歴史はもっと違う原理で動いている。 

 

▲46 ▼31 

 

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大東亜戦争の背景には色んな事情があったと思います。世界大恐慌から軍部が勝手に始めた満州事変、日本が戦争をやらざるを得なくなった背景には欧米の白人等による黄色人種に対する差別もあるし真珠湾攻撃を知ってて米国民の戦争への意志を高揚させた米国の隠された姿勢など色々あると思う。ただ、第一時対戦後、国際連盟で人種差別の撤廃を日本は世界に求めたが米国や欧州各国の意志で否決されている。当時の日本がやったこと大東亜共栄圏思想の全てが本当に過ちだったのだろうか?という視点で百田氏は述べているのだと思うし立憲の米山氏は、一般的にGHQから押し付けられた日本人の考え方を述べているのだと思う。どちらが正しいと思うかを個々が考え討論するプロセスが大切なんだと感じるので彼等の意見の対立にはそれなりに意味があると感じます。 

 

▲13 ▼4 

 

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米山の言う「戦争を開始した日本に過ちがないかのように言い募る事こそ、却って米国の過ちの認識をも失わせてしまう、過ったものです」の意味がさっぱり分からん。日本にも過ち論こそ、原爆使用国に言い逃れの口実を与えていることに気付くべき。これではいつになっても懺悔はされない。 

 

紛争や戦争は一方だけが100%悪くて起きるようなものではないし、そこに至るまでにはボタンの掛け違いだってあるはずだ。しかしながら、核については使用した側が問答無用に100%悪いにさせないと、いずれまた間違いは起きる。終戦記念日でもない原爆投下日に自分達にも原因がありましたなどのまくらことばを言い張ることこそ、核保有国に口実にならない口実を自ら用意してあげているようなものだ。現下のロシアによるウクライナ侵略戦争において核危機は間違いなく存在し進行している。如何なる理由や言質も与えてはならないし利用されてもいけないと心得るべき。 

 

▲19 ▼2 

 

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戦没者追悼はあくまでも追悼であって、日本人がいくら歴史を繰り返さないようにしたところで、隣ではドンパチ、その隣は日本を狙うとしており、今当時はアメリカからだったが違う国になるだけで歴史を繰り返そうとしている。 

アメリカが関税包囲網を敷く中、もし今隣の国がABCD包囲網のようなことをすれば隣依存MAXの日本はたちどころに困窮する。そのための日英や日印や日豪訓練だったりするが、日英はやはり過去に倣っているし、印は隣と繋がっている。備えざるをえない。 

 

▲7 ▼1 

 

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先取たる戦争は過ちだね。 

ただ、攻め込まれる場合の自衛は必要だと。 

 そこを分けて考えないから、なんでも反対って。 

 どこの国も平和なら、軍備なんて必要もない訳で、ウクライナも核廃棄しなきゃこんな事にもなっていないし、プーチンすら核ちらつかせるが、未だ使用もない。 

 核なき世界は理想だが、核がある事での平和なんだよね。 

 

▲6 ▼0 

 

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勝ち目があるかどうかではなく戦争をしたこと自体がすでに過ちだと思うけどね。 

戦争をやらない世界線が仮にあればそちらの方が国民は死なず財産は失われず、保守の人が特に問題にしている憲法9条も在日米軍基地も全て違う結果となっていただろう。 

 

戦争は外交の敗北の結果であり、その敗北は正しい選択をできなかった時の政府にありそんな政府を与党に選んだ国民にある。 

 

▲1 ▼10 

 

 

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喧嘩両成敗という言葉もあるように、戦争に至る過程で当事者の一方に全く落ち度がないケースはほとんどありません。 

WW2に至る過程を見れば、当事国のエゴのぶつかり合いが最悪な方向に進んだものといえます。日本も幣原喜重郎が進めた協調外交を軟弱外交と罵倒する勢力が優勢となり、内田康哉の焦土演説に象徴されるように敢えて闘争を辞さない政策を進めた過程があるから、一方的な被害者的立場にあったものではありません。 

世界的規模の様々な因果関係が連鎖して原爆投下に至った全体を俯瞰して「過ち」と表現しているから主語は特定されていないのめ当然です。これを日本を一方的に悪とする自虐表現と解釈するのは、皮層的な読解だし、それを外部に向けて発信することには何らかの思惑を感じます。 

 

▲7 ▼9 

 

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確かにさ太平洋戦争での日本は、国民に「酷いこと」はたくさんしたと思う。てもそれを過ちって言うとさ、亡くなった人たちは過ちで亡くならざるを得なかったのかって考えちゃうよね。 

戦争に正当さも過ちもないと思う。皆その時は国を守るためって、そう信じて戦ったんだと思う。 

それを過ちで死なせてしまってごめんなさいでは、それこそ亡くなった人たちは浮かばれないよね。 

 

▲9 ▼1 

 

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私もごく当然の解釈だと思うね。 

中国大陸、満州、南方と3正面作戦を強いられた上に、国力が10倍のアメリカを相手にすることになった。しかも戦争を続けるための資源を遠く南方から運ばなければならないが、海軍は艦隊決戦に特化し、船団護衛のための装備、戦術、教育、訓練、人材確保ができていない。無謀な戦争に突き進み、310万人もの犠牲者を出したことを反省するのは当然だろ。 

 

▲1 ▼16 

 

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米山さんの解釈って、小学生の時に習ったやつです。この歳でまだそこの解釈でいるとなると、教科書の歴史しかみてない? 

他の情報を入れてれば、教科書とちょっと違うなってすぐにわかるはずなんだけどな。 

 

あとは軍事産業というのが戦争の一丁目にあるということを理解して戦争を語らないといけない。国防、雇用や国益を各国が考えた時に戦争は絶対なくならない。 

 

▲101 ▼67 

 

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最近の政治家や識者と呼ばれる類いの人間は、常に自分の意見、思想こそ正しく正義なのであって、それに異を唱えるものは全て敵である、みたいな者ばかりだな。そして自分の意見だけ発言して最後は子供の喧嘩みたいなことをして騒ぐ。個人の思想信条はそれこそ千差万別、だからこそ違う意見に対しては慎重になるべきなのに。これも日本の衰退する要因の一部なのかもしれんな。 

 

▲100 ▼32 

 

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解釈に幅を持たせた文言なので、色んな意見があって当然。広島に特化したらアメリカが悪いが、歴史を遡るとそれぞれ都合の良い言い分もあろうかと。 

慰霊碑にアメリカ非難と恨みを延々と書くのもアリかも知れないが、この犠牲を未来の平和に向けた高尚な意味あるものにしたかったのは解る。 

アメリカ人でも自然と過ちだと思う人が増えて来ているそうで、 

北風と太陽なら太陽政策。 

アメリカだけが悪いとしていたら、相手も態度を硬化する。 

 

▲66 ▼9 

 

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確かに過ちについてもっと議論した方がいい。 

戦争を始めた過ちなら、日本にもアメリカにもあると米山氏も認めるよね。だけどアメリカは認めてないんだよね。 

戦争に負けた過ち(責任)なら国内向けなので国際的には関係ない。外国人が裁いて終わりではなく、日本でしっかり審議すべきだった。無実で処刑されたたくさんの同胞がいることを忘れてはいけない。 

道義的過ちなら神にしか裁けない。戦争事態が残酷で惨たらしいことは散々言われていることであり、ホロコーストも敗戦国だけでなく先勝国にもある。公平に裁くシステムはない。 

日本の過ちはどこにどのようにあるのか整理した議論は意味があると思う。 

 

▲129 ▼48 

 

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私も以前は百田氏と同じ様に考えてた時期があったが、かなり偽善化している部分があり、軍の暴走という単純な理由だけでなく、メディアも国民も現実を把握しないまま煽り続けて引けなくなった結果、多くの犠牲を自国民はもちろん周辺国にももたらした面は決して免れない 

 

その反省なく、間違いを他国にだけ求める考えは決して理解されないだろう 

 

▲57 ▼51 

 

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米山氏の主張である双方按分ということなら、国際戦時法違反たる無辜の民への原爆投下について「日本側にも落ち度があったので落とされて当然」は違う。これは軍事法に照らさない情緒的解釈。ましてや投下被害者の日本側が「我々の過ち」と内に秘めるのは世界標準なら異常。敗戦国であっても 国家として主張すべき部分、省みるべき部分は明確にすべきで、客観視出来ていないのは米山氏と言える。 

 

▲14 ▼2 

 

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全国民が戦争を望んでいた分けではない。国民は国策に従って動員されただけである。戦争は国民の意志に基づいて始まったと考えるのは無理がある。当時は選挙制度は今と違っていた。女性には選挙権は無かったのである。戦前は今のように国民の意見が自由に言える国ではなかった。教育勅語によって国への忠誠を誓わされていた。この考えに叛く者に対する官憲の取り締まりも厳しかった。自虐史観とは自分たちのしたことに間違いがないのに卑屈に過去を否定するという意味である。自国民を強権で縛り付け、外国に出兵し、反発を買いそれでも突き進んで自他国に多大の損害を与え最後は惨めに敗北した政治の何処に正当性があるというのだろうか。 

 

▲65 ▼20 

 

 

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戦争を始めた日本の過ち。確かに、共産軍の挑発に乗って大陸に侵攻した(日本政府には侵攻する方針はなかったが、一部軍人が暴走した)。戦後訪中した自民党の幹部に毛沢東首席が、日本軍が大陸に侵攻したせいで国民党との戦いに勝てたと呵々大笑した話は有名で、一般人には思い浮かばない世界がある。 

日米開戦は、第一次世界大戦で疲弊した米国人にもう米国外に派兵、戦争はしないと公約して三選を果たしたルーズベルト大統領が、チャーチル首相から欧州参戦を懇願され、日本を開戦に追い込んだと言うのが米国歴史学会の主流だ。当時日本は国内で消費する石油の8割を米国から輸入していたが、ルーズベルトは禁輸し、またハル・ノートを突き付け、日本を追い込んだ。因みに、ハル・ノートは米国議会に知らせることなく発信し、日本は交渉中に奇襲した卑怯な国だと国民に訴え、無事欧州参戦を果たした。信長家康がもし居たら、対米開戦はしなかったはず。 

 

▲9 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

こんな事で存在感を示そうとする百田氏に失望する、彼が作家だけに余計に腹立たしい。 

日本人だろうがアメリカ人だろうが原爆で悲劇に巻き込まれた先人に対し人類は同じ過ちを繰り返しませんと決意を述べているのだ。 

現実的には核廃絶は絵に描いた餅かも知れないが核の被害者である日本人が高い意思を示さねば式典自体に意味はない。 

 

▲4 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

この過ちという言葉には、ずっと違和感がありました。論理的には、戦争を起こした人類全ての過ちであると理解はしますが、原爆を落とした(非戦闘員の無差別殺戮という戦争犯罪を犯した)米国は、自分達はその過ちの範疇に入っていないと理解している(現実的に、原爆は戦争を早く終了させたので多くの日本人の命を救ったと理解している人が多い)にもかかわらず、過ちを犯さないと主張し続けるのは、原爆投下は日本の過ちによると考えるように洗脳しているのではないかと。 

そもそも、核廃絶の闘士達は世界各国に行って反対運動をしますが、ロシアと中国と北朝鮮で活動したというのを聞きません。つまり、彼らの運動は、限定的なのでしょうね。それを、信じる人もいるでしょうし、胡散臭いと思う人もいるのが世の中なのではないでしょうか。 

私は、ずっと後者ですが。 

 

▲5 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

百田氏も米山氏もどうして「日本」や「米国」という狭いカテゴリで話をするのでしょうか。 

8月6日に『過ちを繰り返しません』とは、人類が初めて人間に対して核兵器を使ってしまったことを人類の過ちとし、二度と繰り返さないという原爆の犠牲になられた方々への誓いの言葉だと思うのですが。 

どちらが悪かったと争うことこそ、同じ過ちを繰り返すことの始まりではないでしょうか。 

 

▲1 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

米山隆一と言う人は、経歴は立派だが、話す内容は全く論評に値しない。 

自虐史観と言うよりも、戦後のある時期に、家族を失って「戦争が悪い。戦争が悪い。」と泣いている人に対して、そうだよなぁ戦争が悪いよなぁと日本人全体が一緒に泣いてあげる時間が必要だったのだわ。今の時代でも、自動車事故で家族を亡くした人に、「いやあ、自動車そのものは、社会に必要なんですよ。」って誰も言わないのと同じ。日本人の優しさだ。 

80年経って、今の世代は、客観的に80年前を分析する事が出来る。欧米によるアジアの奴隷化に異議を唱えた日本人は、立派だった。 

 

▲13 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

勉強ができると頭がいいの違い。 

学校の勉強ができたというのは、見方を変えれば間違いが少なかった・なかった、ということ。なかった、ということは学びがなかったということ。 

言われた設問を間違いなく解く、ということは指示通りに期待された通りの回答したということ。 

 

さて、こういう人間は扱う側からしたらどうだろうか。 

扱いやすすぎて面白くて仕方がないだろう。 

 

それが官僚なり権力側に多く存在するとどうなるか。 

 

実社会では困難や失敗が多くその中で成長をするもの。 

間違いが少ない人間で長年生きてきた場合、間違いは認められないものです。 

 

こうなると実社会の庶民感覚とはかけ離れていくものです。 

かけ離れれば、関わらんとこ、となるのが人というものです。 

 

▲117 ▼92 

 

=+=+=+=+= 

 

あれなんかな、 

紛争の解決手段として 

軍事力を使っては 

いかん、ならよいのかな。 

そうなると、相手が武力を 

用いているのに、 

自衛権は?  

となるか。 

しかし、6日の広島のニュースで語り部の人が小学校で講演したときの 

映像が流れていて、 

低学年と思われる子どもたちが 

泣きじゃくっていたわ。 

こんな幼い子たちの胸に 

響いた体験とは、と思った。 

 

▲26 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

東大理三に入れるくらい勉強ができた米山さんは教科書的な情報をスポンジのように吸収した戦後教育の模範生のような方なのかもしれません。もし、ご自身が当然と思うその価値観を客観視する人間としての器と慎重さがあれば、少なくとも百田さんとの口喧嘩レベルの争いもせいぜい1ラリーくらいで終わるのでは。橋下徹さんといい、誰かに言われたのかってくらいピンポイント攻撃ですよね。他にも大事なことたくさんあるでしょうに、争ってる場合なのか… 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

悲しい事ですが 

人間は過ちを繰り返します 

自らが過ちを繰り返さないと 

心に誓うのは良いですが 

過ちを繰り返す人間は後を断つ事は 

有りません 

その場合、過ちを繰り返す人間に 

対応出来るよう準備しておく事が 

重要です 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

現代の尺度でしか測れない米山氏と,そうでない百田氏の対立構図と思うが,テスト勉強しかしてない人は授業以外に歴史を学ばなかっただろうから、つまりは意図されたものを刷り込まれてそれに気がつけない人だろうなと思う。戦争の善悪を言うのではなく、どんな時代だったのかそこから考えなければ、何も見えてこない。それは戦争に限らず政治でもそうなんだと思うが、実績の無い新人政治家に張り合う実績の無い中堅政治家ってちょっと痛々しく感じる 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争を開始した日本には責任があるのは当然だと言うことだが主権国家なら交戦権があるのは 

ごく当然なのだがね。 

戦争を始めたことが誤りではなくジュネーブ条約などの国際法に違反するのが誤りなのです。 

それに照らせば原爆投下、各都市の大空襲は条約違反でありアメリカの過ちでしかないですね。 

 

▲154 ▼50 

 

=+=+=+=+= 

 

国民は、米山氏のポストを引用した上で「ごく普通に解釈して、4万円を渡した米山氏にも過ちがあり、4万円を受け取った女子大生にも過ちがあるという極めて真っ当な言葉でしょう。4万円を渡した米山氏に過ちがないかのように言い募る事こそ、却って女子大生の過ちの認識をも失わせてしまう、過ったものです」と指摘していた。 

 

▲66 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

被爆者やその二世三世の方は、このような文脈における"過ち"の主語をアメリカとか日本とか、そんな限定的な話をしてないはず。どちらかといえば米山氏に近いのだろうけど、"人類の過ち"というもっと大きな主語で捉えている。世界の人類があのような過ちを繰り返すことのないように、協力して核廃絶を目指していきましょうということ。 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

日本は突然戦争に突入したのではない。十年以上に渡って他国の領土で傀儡政権をつくり、人を送り込んで利得を得てきた。それを非難されて国際連盟を脱退。マスコミはそれを礼賛し、政府は戦争への意識高揚を図り、あげく真珠湾攻撃へと向かって行った。今から考えると異常ともいえる、戦争礼賛、為政者によるゆがんだ愛国教育が、戦争から最後は原爆投下という悲劇を生んだことになる。 

原爆投下を受けた側が思う「過ち」は、ここにあるのだと思う。日本の過去の行為を正当化したい人もいるようだが、どこで道を間違えたのか、正しく省みることは、これから岐路に立たされたとき、道を間違えないためにも大切だ。 

愛国心は、誰かからもつよう強要されるものではないと思う。その国の外交が他国から信頼され、自国民が幸福に暮らせる国づくりによってはじめて醸成されるものだ。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

戦争犯罪を問うてるのではなく、原爆という核兵器を一般人に使用した米国の虐殺行為を裁こうとせず、その責任を全て敗戦国日本に押し付けた、連合国側の歴史戦略教育の成功が、その石碑の言葉によく表れてると思うけどな。 

 

▲12 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

私自身被爆3世ですが、テロの応酬が止まない諸外国を見ていると憎しみを生まない教育の下で育てられて本当に良かったと思う。 

 

戦争経験者には絶対に戦争は起こすなと教えられてきましたが近年では戦争を経験してない人達が、「日本はアジア解放のために戦ったんだ」とか「大東亜共栄圏という理念の為に戦ったんだ」という過去の戦争を美化する人が年々増えていてその事は懸念事項です、だって現代でもそういう理屈をつけてしまえば戦争は出来るという事になってしまいますからね。 

まぁ、日本はアジアの為に戦ったんだとかいう主張をしている人が、かたや日本人ファーストだとも主張していて凄く矛盾しているんですけどね、彼らは自身の矛盾には気づけないものなのか。 

 

▲55 ▼92 

 

=+=+=+=+= 

 

アメリカに戦争を仕掛けるように仕向けられたとか、確かに戦争はしたけど原爆はアメリカの一般市民の虐殺だとか、いろいろ主張はあるだろうが、戦争そのものが人類の最も愚かな行為であり、人類の歴史上無くせていない蛮行。 

そして日本は負けた。(最初から勝ち目などなかったけど、もしもっと日本が優位だったら日本もロスなどを無差別爆撃したかもしれない) 

ルールに則った戦争など、実際には存在しない。 

広島を主語にすれば、広島市民にとっては過ちなどないだろうし、日本国家を主語にすれば過ちだっただろう。 

大切なことは、あらゆる手段を尽くして戦争をしないことだ。 

といいつつ、アジアの植民地がほぼ無くなった戦争であったのも事実。 

日本がアジアの国に蛮行を働いたのも事実。 

白か黒かを決められるようなものでないのが戦争では? 

とにかくこの議員はSNSやって高い報酬を得ているだけの人にしか思えない。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

欧米列強がアジア、アフリカ諸国を散々に力で蹂躙してきて 

その力の時代に抗って戦った日本を、悪者に仕立てあげた戦争だってのを忘れてはならないのですよ 

 

戦争に負けたが故ですよ、この歴史観が世界の見方になったというのは 

 

正しい自衛戦争だって胸を張ることじゃないにしろ、本来欧米に責められる筋合いなどないはず 

 

今更世界の歴史観を変えるのは無理にせよ、日本が日本国民がいつまでも卑屈に自虐史観を背負っていく必要など無いと思っています 

 

▲86 ▼60 

 

=+=+=+=+= 

 

今、パレスチナが先にイスラエルに手を出してむっちゃ苦茶攻撃を受けているよね。 

海外で日本の原爆被害を訴えようとすると、先に戦争をしかけて自業自得じゃないの?という目で見られることがある。 

原爆被害は人類誕生以来の最大の悲劇であることは間違いないのですが。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

どちらも議員なんだから国会で議論すれば? 

戦争は今の感覚ではダメかもしれないけど国際連盟脱退した当時の状況の日本で戦争がダメな法的根拠あるのかな 

大昔ドイツ人と一緒になった時よく言われたのは「次の戦争でも同盟よろしく、ただしイタリア抜きで」という意味の言葉、ドイツ人でさえ戦争そのものを体験者は否定してなかった 

戦争に負けたということは過ちでも戦争という手段で吹っ掛けられた理不尽な要求に対抗したことは今から見ると結果がダメかもしれないけどそれは後出しジャンケンだと思う 

 

▲88 ▼114 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ロシアのウクライナ侵攻に対して、日本でもロシアの侵略戦争を強く非難してる。 

 

だが、八十年前の日本はいまのロシアのように、アジア諸国に侵略戦争を起きった、その侵略戦争歴史について、多くの日本人がいまだに認識してないと思う。 

 

「自虐史観」「偽善」は非常に品格低い言葉であり、事実を認めたくないの口実だと捉える。 

 

八十年前日本の戦争口実は今のロシアと似ている、ロシアのウクライナ侵攻開始の口実はNATOの脅威とか、ウクライナのナチス行為とか、いずれしても、国際社会を欺く口実である。 「自賛史観」によれば、日本は八十年前武力でアジア諸国に侵入したのは白人のアジア植民統治に抵抗するため、そういう「自賛史観」は当然に事実でもない、国際社会にも認められない。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

原爆は残虐兵器であり、2度と使ってはいけないし、使わせてはいけない。 

使ったのは米国政府だったし、そのきっかけを作ったのは日本政府だったし 

政府をそうさせてしまったのは、人類および臣民の消極的態度だった。 

だから「過ちを繰り返しません」とは、両政府にそう言わせつつ、 

国民自身が自由および権利を保持する義務があるということ(憲法12条)。 

 

▲0 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

始めた時点では勝ち目はあったけど降参が遅すぎた原因である当時の国内の軍部が政権を握っていた体制は反省すべきというところかな。 

当然国民に罪はなく、国が反省すべき事案だけど。 

 

米山が国と国民を混ぜて考えてるから永遠に平行線だな、これは。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

米国も原爆投下を正当化するために長い間米国民に間違った認識を教育してきました。 

 

戦争の勝敗に関係なく原爆を日本に投下することが決まっていた事は 

当時の文書公開で明らかになっています。 

 

現政権も石破もですが、米山さんも事実を全く把握せずに政治家と言う立場で 

米国の公開文書に見向きもせず、歴史認識をGHQの自虐政策のまま 

発言することはそろそろやめた方が良いのでは。 

 

米国がわざわざ公開してくれている新しい歴史認識を踏まえた上で 

70年談話を述べた安部さんと英霊への侮辱に 

ならないように発言には重々注意いただきたい。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

「過ちを繰り返しません」 

 

この言葉の主語は、地球上の人類が対象と云われいます。 

その考え方が偽善だとおもいますが・・・ 

今現在も世界で戦争が起きていて、多数の民間人が犠牲になっています。 

なにも戒めになっていませんし、ただむなしいだけです。 

 

百田氏が云う、 

原爆を投下したアメリカが間違っていましたと、 

認める事が本当の慰霊になる。 

 

▲7 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

軍にもヒエラルキーがある。 

 

武士道を重んじ、無益な戦いは望まない陸軍の将校たち、欧米の進歩主義に酔い、戦局を見誤った海軍のエリート将校たち、何もわからないまま、潔く運命を受け入れたり、他に術も無く召集に応じた若者たち、、、 

 

英霊を政局に利用して祭り上げたり、商いに結びつけて極端な「軍人vs国民」と言う構図をセミナーで子供に刷り込んでいる大人が多いと思うし、構造を俯瞰しないと、何を反省すべきかも見誤ってしまうと思うよ。 

 

▲4 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

過ち過ちという方がいるが、最も重要なのは、当時の日本が何故戦争をしなければいけなかったかという所が抜けた状態で議論している事である。 

正直、自虐史観でものをいう人間は、学校で習った事でしか物事の判断をしていないので、そもそもが抜け落ちる傾向が強くブーメランで凸を貫いてしまうのだ。 

日本が戦争に至った理由を当時の国民感情や欧米列強に支配されるかもしれないという恐怖、亜細亜への想いがどの様なものであったかが重要なのである。 

スマホも無いし情報は今より格段に少なく、欧米との意思疎通も国民レベルでは難しい状態で、お前らは慌てずスマートな交渉が出来るのか? 

軍事同盟を組んでる現在のアメリカとさえも交渉どころか真面に相手もされてないのではないか? 

自分達の立場や行動を棚に上げて、原爆の被害者や英霊にああすればこうすればいうのであれば、今すぐアメリカに行って不平等条約みたいな関税交渉を撤廃させて来い。 

 

▲35 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

日清日露戦争では、貧しい農家の次男三男の方がかなり戦死しておりますが、勝った戦争を過ちとは言わない。貧しい農家の次男三男の方にも、貴重な未来はあったはずです。 

しかし、もし、日本が先の戦争で勝っていたら。 

仮に、原爆投下でたくさんの人が亡くなっても、こちらも原爆を作り、アメリカに落とし、形式的に勝利をおさめていたら(あり得ないけど)、たぶん、こんな碑文はなかった。 

過ちとは、戦争をしたことではなく、戦争に負けたことだと思います。 

日清日露戦争の英霊碑を見ると、ほんとにそう思います。 

 

▲95 ▼51 

 

=+=+=+=+= 

 

日本人が好戦的だから戦争をはじめたの?そんなことありえないことくらい分からないのが不思議。なぜ戦争をせざるをえなかったのか。偉大な祖先の犠牲のもとに、今の自分たちが楽しくいきていられることに感謝しかない。 

 

▲73 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

どちらも一理ある。 

「過ちだった」の一言だけだと、そもそも市民という一般人に原爆を投下される咎などないだろう、一般市民への攻撃は国際法違反だし。 

 

一方で、戦争開始と終結までの経緯については日本もアメリカも死者や被害に対して全く知ったことではないと無責任ではいられないし、今現在民主主義国家である以上は国民一人一人がその平和への責任を持つのは間違いではない。 

 

よって、もっと文章に具体性を持たせるべきだと思う。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

国の為に戦うとは、侵略してきた相手から国土を守るために戦うこと。まさにウクライナの兵士がそうだ。だがロシア兵はプーチンの野望の為に戦わされており、ロシア国土を守るためではない。先の戦争も植民地拡大の野望を抱いた帝国軍国主義者たちの侵略戦争に駆り出されて、広島、長崎、沖縄戦と多くの国民が犠牲になった。ところが悲惨な戦争体験者は噓をついていると侵略戦争の実相までも否定し、自虐史観だと歴史を葬ろうとする百田ら保守党の正体がよくわかる主張だな。保守党に投票した面々も同じ考えなのだろう。靖国問題もそうだ。参拝しない人たちを非国民だと言うが、それなら戦犯が合祀されていることを理由に、昭和、平成、令和と歴代の天皇は誰も参拝していないが、天皇陛下も非国民なのかな? 

 

▲6 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

言論の自由や報道の自由が保障されていない占領下の日本、しかもソ連を中心に米国に対し原爆投下への非難が高まっていた時期に、米国批判の文言が碑文に刻めるはずもないだろう。 

 

 しかも当時のマスコミの論調は、「日本総ざんげ」で世論を誘導していた。 

 

 当然だが、被爆者の中には米国に対する怒りが巻き起こって当然なのだがそれを旧軍部へ向けるマスコミ工作が占領軍によってなされ、マスコミは戦争誘導の罪を戦後の占領軍への協力を誓うことで免れることに成功した。 

 

 その時の情勢をすべて盛り込んだ文言が、あの原爆碑の文言なのだ。 

 

すなわち、当然の文章でもなければ、自虐史観でもなく、政治的文言なのだ。 

 

 そして議員たちの発言も、自己の政党の立場を反映した政治的発言なのだ。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

米山議員の意見は正しく正論ですが、しかし文松は繰り返さないと宣言してもウクライナやパレスチナの様に他国から蹂躙されている事実に言及しないのは何故?昨夜のMXのニュース番組でも核は絶対ダメと言いながら外交が大切地と言いウクライナやパレスチナの歴史を考えず核はダメと一刀両断して考え続けろと終わりました。問題は複雑化していて簡単には終われません、外交で済む中その切っ掛けだけでも教えてください。現実は綺麗ごとをいくら言っても無駄だと感じてください。 

 

▲1 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

この人物は、日本を守ろうとして戦った先人が愚か者だと言いたいのだろうか。 

例えどちらかが戦争を始めたとしても、普通の国民に対して使ってはいけない兵器があるのを理解できないらしい。 

原爆は価値がいなく一般人を標的にした実験であったのを知らないのだろう。 

日本は原爆が落とされる日より前に降伏する意思を示していて原爆を落とす理由など無い。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

近代戦争の責任の所在を突き詰めて行くと、いわゆる欧米の帝国主義であったり、幕末の日本開国や清国のアヘン戦争にまで遡ってしまうのですが 

日本も清国も主体的に開国した訳ではなく、アメリカと英国の軍事的圧力によって開国させられた訳です 

近代日本は清国の惨状を他山の石として富国強兵に励み、開国直後に大量に失われた金を日清戦争の勝利によって補い、近代帝国主義国家の仲間入りをする事で生存権を得たのですが 

東アジアにおける覇権を狙った事で帝国主義間戦争の渦中に巻き込まれ、1935年に中国通貨が英ポンドとリンクされ、続けて西安事件により中国の抗日戦線が確立する事によって窮地に陥り 

生存権確保の為に露骨な軍国主義へと傾斜していきました 

戦後、経済基盤が貧弱だった中国はバンドン精神で近隣国との融和政策をベースにしていましたが1990年代になるとだんだん覇権主義が頭をもたげるようになりました。 

(続く) 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそも米国民の多くは原爆投下を「過ち」なんて思ってない。それどころか戦争を終結させ米兵の命を、日本人の命を救ったと思ってる。つまりここで言うところの「過ち」は簡単に挑発に乗って開戦突入した日本のこと。でもガザで起きていることを見ればわかる通り、人間追い込まれたら戦うしかないんだよ。戦争を繰り返さないためには日本が豊かであり続ける必要があり、いまだに自民党に投票する人がいるのは危機感の無さを象徴している。 

 

▲16 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

先ず言いたいのは式典にしても碑にしても平和と核兵器廃絶を祈る場であるということ。そうした「行動」に本来の価値があるのに、そこに歴史観といった「別の話」を持ち出すのはいわゆる「場違い」と言わざるを得ない。センスがない。例えば「大谷翔平凄いねえ」と野球好きもそうでない人も最大公約数的に盛り上がっているところで「アメリカではバスケの方が人気だぜ」と言われたら、それは事実であってもバチ。米山さんもイチイチこういう発言に付き合わないでほしい。国会議員として「言わねばならぬ」と思っているのかもしれないけど、あなたの発言もまたバチだから。 

 

▲1 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

主なヤフコメに載っていた、慰霊の場では政治論や歴史認識を持ち込まず、亡くなった方々への哀悼と再発防止の誓いを表すべき。これに尽きると思います。日本国を守るために、自分の家族を守るために亡くなった方に哀悼を示すことは、まともな人なら至極、当たり前の事だと思います。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

原爆投下を、日本の戦争を終結させるために必要だった、というアメリカのロジックが刷り込まれている人々。日本は終戦に向けて動いており、それが実現すると使えなくなるので、前倒しで使用されたと言われている。 

分からない人にはわからない。 

負けた側が悪い、という戦争のルールが見直されることはない。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

歴史には詳しく無いけどさ。なんでも理由はある。戦争を始め「た」のか『ざるを得なかったのか』も含めた議論しないとね。イスラエルもウクライナもどっちが一方的に悪いわけじゃ無い。戦争を始めようと思う原因もあるわけだ。それにお互い自分たちなりの正義があっての行動だろ?そこまで考えないで善悪決めつけるのは政治家レベルでこれだと思いやられる。 

 

▲4 ▼0 

 

 

 
 

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