( 315108 )  2025/08/11 03:19:13  
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東京・調布飛行場で残骸を組み合わせて復元された「圧力隔壁」 

 

520人の命が奪われた日航ジャンボ機墜落事故。その原因は機体後部の修理ミスにあるとされているが、40年が経った今も、事故原因の“核心”は解明されていない。今回、TBSがこれまで独自に入手した非公開の調査資料と、アメリカ側の証言、さらには隔壁修理に携わったボーイング作業員への取材をもとに、単独機として今も世界最悪の墜落事故を改めて検証した。 

 

今年4月29日、事故から40年目の「山開き」を迎えた群馬県の御巣鷹の尾根には、遺族や日航関係者、メディアなどが多く集まった。その中に、遺族のひとりで「8.12連絡会」事務局長を務める美谷島邦子さんの姿があった。悲しみや怒りを抱きながら登った御巣鷹の尾根・・・美谷島さんはそんな場所を「いろんな方に支えられて、優しい山になった」と語った。会の活動は今、他の事故や災害の被害者遺族らとの連帯に広がり、御巣鷹の尾根に共に登る交流につながっている。 

 

事故調による生存者への聞き取りメモ(非公開資料) 

 

123便に異変が起きたのは、羽田空港を離陸してわずか12分後のことだった。突如機内に響いた爆発音のようなノイズの直後、機長が叫んだ。「なんか爆発したぞ」。この事故で救出された4人の生存者のうち、非番で乗り合わせていた客室乗務員は、当時の機内の様子をこう証言している。 

 

「バーンという音とともに、酸素マスクが落ちてきました。機内がもう白く濁ったような状態で、耳がツーンという感じで、もうパニックで…その時、私は後ろを向いたら、トイレの天井がスッポリ抜けて天井が無くって、機内の布っていうか、ペラペラした感じのものが見えました」 

 

生存者が立ち会い、実施された群馬県警の実況見分。天井左上に「音」の文字 

 

別の生存者も「白い霧」のようなものを見た、と証言している。これは、急激な減圧が発生した際に空気中の水分が凝結して起こる現象だ。 

 

事故直後、アメリカの調査チーム(機体の製造メーカー・ボーイング、NTSB=米国家運輸安全委員会、FAA=米連邦航空局で構成)が派遣され、独自の事故調査を進めていた。ボーイングで事故調査を担当したジョン・パービス氏は、当初テロを疑ったと語る。 

 

「これはテロ事件ではないかと思いました。アメリカ側の誰もが、爆弾の可能性を考え、調べてみる必要があると感じていました」 

 

日本へ向かう前に気になる報告があったという。「機体後部のトイレの後ろから『外の光が見えた…』という話が伝えられていた」。しかし、最終的にこれは誤った情報だった。トイレの壁などを調べたが、爆弾につながる証拠は見つからず、テロの可能性は排除されたのだった。 

 

 

相模湾の海上に浮遊していた垂直尾翼の一部を曳航する自衛隊員 

 

事故調査の焦点は「構造的な問題」へと移っていった。 

 

123便の残骸は、御巣鷹の尾根だけでなく、相模湾の海上でも見つかっている。爆発音とともに、機体後部の垂直尾翼の一部が脱落していたのだ。海上で回収された残骸には、尾翼をつなぐ釘穴の内側から油圧システムの油が「黒いシミ」となって外側へ噴き出した痕跡があった。アメリカ側は、尾翼の内側から何らかの「力」が加わらなければ起こらない現象だと見ていた。 

 

機体後部の構造イメージ 左側の気圧が高い場所が「客室」 

 

その「力」の正体を突き止めるべく、アメリカの調査チームが注目したのが、墜落した123便の過去の修理記録だった。事故の7年前、123便の機体は大阪空港で後部を地面に打ち付ける「しりもち事故」を起こし、機体後部の「ある部分」を損傷していた。 

 

東京・調布飛行場で残骸を組み合わせて復元された「圧力隔壁」 

 

その部分とは「圧力隔壁」と呼ばれ、気圧の低い機体後部から客室を守るお椀型の壁だ。この圧力隔壁の修理を製造メーカーのボーイングが行うことになった。 

 

「継ぎ板」を使った正しい修理のイメージ 

 

修理指示書では、壊れた隔壁の下半分を新品と交換し、上と下の隔壁の間に1枚の「継ぎ板」を挟んで繋ぎ止めることになっていた。 

 

不適切な修理のイメージ 真ん中の「継ぎ板」が2枚になっている 

 

1枚の「継ぎ板」を使った修理は「よくあることだ」と日米の調査官は言う。しかし、実際の修理では、この「継ぎ板」が2つに切断されて使われていた。1枚の継ぎ板を使った修理と比べて、隔壁をつなぎとめる幅が短い。加圧された客室側からの力に耐えるには、明らかな強度不足だったのだ。 

 

スイフト氏が東京で作成した隔壁破壊までの「仮説」メモ 

 

FAAから日航ジャンボ機墜落の調査に派遣されたトム・スイフト氏は、東京・赤坂のアメリカ大使館にいた。金属の亀裂が専門の彼は、不適切な修理が航空機に与える影響を分析していた。隔壁の修理が不適切だった場合、航空機は何回まで飛び続けられるかという「仮説」を立て、隔壁の耐久性を試算した。 

 

その結果、隔壁の修理から墜落までの推定飛行回数は約1万3000回。これに対し、123便の修理から事故までの実際の飛行回数は1万2184回だった。2つの値は極めて近かった。この試算結果は、隔壁の不適切な修理が墜落事故の原因である可能性を強く示唆するものだった。NTSBのシュリード氏は、この事実をアメリカ大使館に集まったボーイングの技術者たちに説明した。その時の様子についてシュリード氏は「彼らは、かなり落胆していました。実際、何か起きたのかを悟った時、涙を流す者もいました」と語っている。 

 

 

520人の命を奪うことにつながった隔壁の修理ミスは、なぜ起きたのか。日本の事故調査委員会や警察は、修理ミスの原因解明のため渡米したが、アメリカ側のガードは固かった。当時、渡米した事故調査委員会のある委員は、「修理のところの質問では非常にピリピリしてました。突っ込んでも答えは出てこない。作業した人はもういないんだ…の一点張りでした」と振り返る。アメリカでは、航空機事故の場合、個人の責任追及よりも再発防止に向けた原因の究明が優先されるためだ。 

 

そうした中、TBSは隔壁修理に携わった作業員への取材に成功している。報道局の河村健介記者は、1978年に隔壁修理のため来日したボーイング社44人の名簿を独自に入手し、取材を行った。多くが他界していたが、そのうちのひとりの男性が取材に応じた。 

 

事故調査官が撮影した未公開写真 2枚に切断された「継ぎ板」と斜めの「傷」 

 

留守番電話のメッセ-ジがやや無愛想だったこともあり、正直返事は期待していなかった。連絡をもらい自宅を訪ねると、彼は笑顔で記者を迎え入れた。大柄でカーキチェックのシャツにサスペンダーが似合う79歳(取材時)。 

 

男​​性はボーイング社員だった頃の名刺を示し、東京で隔壁の修理を行ったことを認めた。​​そして、当時の修理指示書を見ながら、記憶をたどるように話し始めた。​ 

 

「確か、あの時は​​しり​​​​もち事故​​で、圧力隔壁の下半分を交換したんじゃないか」​ 

 

フランクな受け答えの一方で、元作業員としての頑固な一面も垣間見えた。​​男性は、今でも修理にミスはなく、指示通りに作業をしたと主張している。 

 

​​「誰が言ったか知らないが、私たちは『継ぎ板』を切ったりしていない。切ったんじゃなくて、初めから2枚だったんだ」 

 

さらに、板を2つに切ったのではなく、別の板を足しただけだと説明した。 

 

しかし、日本の調査官が撮影した未公開写真には、2つの板を跨ぐように複数の引っ掻き傷のような痕が写っている。もともと1枚だった「継ぎ板」が切断されたことを示唆するものだ。この傷は「継ぎ板」を作る際に出来たものではないかと、撮影した調査官は話している。またボーイングで事故調査を担当したパービス氏は、修理ミスの背景について、作業者の名前は明かさずにこう証言している。 

 

「担当者は、ただ隙間を埋めればいいという程度にしか考えていなかった」 

 

 

修理には、ほかに多くの作業員が関与している。男性には、修理で使用した「継ぎ板」が実際には切断されて出来たものという認識がなかった。誰が「継ぎ板」を2枚に切断したか、男性への取材では明らかに出来なかった。 

 

一方、作業をした男性は123便の事故原因をめぐって過去の修理が日米で問題視されていた事実を全く知らなかったという。彼のもとに、そうした情報は届いていなかった。 

 

もしひとりでも、修理ミスに気付いていれば、墜落事故を防ぐことが出来たかもしれない。男性は、123便の事故について「悲しいよ。多くの人が亡くなったんだから、それは悲しい。でも、事故は起きる。受け止めるしかない」と語った。 

 

事故原因の“核心”は、40年経った今も解明されていない。 

 

TBSテレビ 松田崇裕 

 

航空担当の記者として、御巣鷹の尾根には何度も登った。山は秋から春先まで閉山されているが、取材のため閉山中の3月に許可をもらって登ったことが1度だけある。急斜面には雪が腰高まで残っていた。残雪を掻き分け、必死の思いで墜落地点にたどり着いた時、山肌に吹き付ける風の音しか聞こえなかった。8月の慰霊登山の人出とは違い「こんなに寂しい場所だったのか」そう感じたことを覚えている。 

 

遺族とともに日米で事故を調査した関係者も高齢化が進んでいる。あの時何があったのか、関係者の証言や書類は貴重な歴史的資料となっている。航空機事故はいまも絶えない。今年6月にはボーイング787型機がインドで墜落、乗客乗員241人が死亡した。この事故でもアメリカの調査チームが現地に入っている。事故の教訓は生かされなければならない。そのために歴史は語り継いでいかなければならない。空の安全のために。それが事故を伝えるメディアの責務だと考えている。 

 

※この記事は、TBSテレビとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。 

 

 

 
 

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