( 315685 ) 2025/08/13 04:19:52 2 00 黒木瞳さん、初の慰霊登山 宝塚同期が犠牲、事故40年で決意 日航機墜落時事通信 8/12(火) 16:36 配信 https://news.yahoo.co.jp/articles/f3be59a8ca77b4e6c18b760ed2468b48b342dfdb |
( 315688 ) 2025/08/13 04:19:52 0 00 日航ジャンボ機墜落事故現場の「昇魂之碑」に向けて慰霊登山する俳優の黒木瞳さん(中央)ら=12日午前、群馬県上野村
日航機墜落事故の現場となった「御巣鷹の尾根」には12日午前、俳優の黒木瞳さんが初めて慰霊登山に訪れ、宝塚歌劇団同期の北原遥子さん(本名吉田由美子さん)=当時(24)=の墓標に手を合わせた。
他の同期らと宝塚音楽学校の校歌を歌い、電話で北原さんの母にも歌声を届けた。
黒木さんは北原さんの死を認めたくない思いがあったが、事故から40年がたち「そろそろちゃんと会いに行かなきゃ」と慰霊登山を決意したという。北原さんに思いをはせ、「山の中でしんどかっただろう」と声を詰まらせた。
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( 315687 ) 2025/08/13 04:19:52 1 00 この掲示板のコメントは、黒木瞳さんが登山を通じて亡くなった同期生を追悼したことに関する意見が集中しています。
1. **慰霊の重要性**: 多くの人々は、黒木さんの登山を単なる「話題作り」と捉えるのではなく、故人に対する深い思いと弔いの行為であると理解しています。
2. **個々の感情の尊重**: 人それぞれの墓参りや慰霊の形は異なり、心の整理には個人差があるとする声が多く見られます。
3. **メディアの影響**: 黒木さんがメディアに注目されることに疑問を感じる声もありますが、多くの人々は彼女の行動が事故を忘れさせない機会につながると感じています。
4. **心の整理と自己啓発**: コメントの中には、年齢を重ねたことを背景に過去を振り返ることの大切さに言及するものもあります。
5. **事故の影響の大きさ**: 参加者は、日航機墜落事故の早急な記憶を新たにすることで、多くの人々の人生に影響を与えた出来事の重要性を再認識しています。
(まとめ)全体として、黒木瞳さんの慰霊登山は彼女自身の心の整理であり、多くの人々の共感を呼ぶ形で故人への追悼となっています。 | ( 315689 ) 2025/08/13 04:19:52 0 00 =+=+=+=+=
話題作りとかコメントしてる方もいるけど、それでもいいじゃないですか。黒木さんが登山に参加することでこうして大きく取り上げられる。事故が風化せず語り継がれるきっかけになる。あれだけの犠牲者を出した航空機事故のことを、一人でも多くの人が知るきっかけになれば、それもまた意味のあること。
個人的には、話題作りだけで登山しようなんて思うわけないと感じますがね。人の死を受け入れるにはそれだけ時間がかかるということ。ひょっとしてまだ受け入れられてないかもしれないが、年齢的なことも考えて登山された可能性もある。後悔の念とか、いろいろ複雑な思いがおありでしょう。
亡くなられたすべての方の御冥福をお祈りします。
▲12412 ▼469
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10年前に行きました。慰霊の塔から現場までは結構離れていて、車がすれ違うのも難しそうな細い道や道路に石がごろごろ落ちているような山道をひたすら車で登っていきます。以前はここまでしか車で来れなかったのかなと思う場所がいくつかあって、現在の登山口入口の駐車場に辿り着きました。いくつも名前が書かれた墓標が点在していて事故が広範囲だったことがわかります。生存者がいたスゲノ沢を通り、さらに登って昇魂の碑がある広場にでます。広場からは遠くに123便が最初にかすめた山肌が今も三角形にえぐれている光景が見えます。広場からさらに上にのぼると機体が激突した場所にバツ印が書かれています。その先にコクピットの3人の墓標があります。暗いとか怖いという雰囲気はありません。ただ結構な登山になりますので検討している方は足腰に自信があるうちに行ってください。下りは膝にきます。近くに温泉施設がありますので下山後におすすめです
▲41 ▼0
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私は、震災で亡くなった友人の慰霊碑にまだ行けてないです。行かなきゃと思いながらも…15年があっという間に過ぎました。黒木さんも、仕事はもちろん、気持ちの整理や、登山というハードルもあって時間がたってしまったのかなと思います。音楽学校の同期は、家族のような存在と思いますので、話題作りとかそういうのはやめていただきたいですね。
▲6495 ▼369
=+=+=+=+=
登山してまで弔いに行くって、なかなか出来ることではないと思います。それに、女優さんがこの暑さの中で日焼けも厭わずに行くってすごい覚悟。照明もろくに用意されない日差しの中で化粧もとれた無防備な姿を撮影されてしまいますし。友達を思う強い気持ちを感じます。
▲1520 ▼66
=+=+=+=+=
黒木さんと北原さんはともに最下級生のころから注目されて大抜擢されていたので、妬みとかいじめが多かったんじゃないでしょうか。 そういうことでもお互い支え合う仲の良い同期だったと思うので、相当なショックだったでしょう。
▲7 ▼1
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ここまでの地位があって、何を今更話題作りとか言ってる方はいったい何なの? 心の整理がついて、体力的なものがあって、やっとのことで登ってるんでしょ。 何を言ってもいいわけじゃないよね。
▲7123 ▼361
=+=+=+=+=
若い頃に自分の事で必死過ぎたけど、歳を重ね、自分の人生を振り返るのと同時にあと何年生きれるのかな?と考えると、若い頃に取りこぼした事をやり直したくなったり、見つめ直したりする気持ちが最近わかるようになりました。
黒木さんもずっと心に引っかかりながら女優業をされており、今日はずっと心残りだった同期の友人との再会、近くに感じれて感慨深い日になられたのでは、と思います。
▲3738 ▼116
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昔、フジテレビのトークバラエティに黒木瞳がゲストで出た時、それまで笑い話多めの流れだった中、無くなった友人の話になった途端メイク崩れも鼻水も気にせずワンワン号泣してた。当時あの番組見た人や宝塚の仲間達は、黒木さんの話題作りとは思ってなかろう。 なんとかバースデーって番組。
▲3266 ▼197
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北原さん、黒木さんと一緒に関西の朝の情報番組にアシスタントとして、お二人で出ていたんですよね。1981年頃だったと思います。
今でこそ、黒木さんは芸能人としてテレビに出ていらっしゃいますが、当時はお二人共に、新進気鋭のタカラジェンヌとして出演していました。そしてお二人ともとてもすごい美人でした。
関西では、ある年代以上の人は、黒木瞳さんを見るときに、反射的に北原さんを思い出す方も多いのではないでしょうか。
北原さんが、この事故に遭われたと聞いた時には、結構ショックだったのを覚えています。
北原さんと共に、亡くなった520名の方々に改めてお悔やみ申し上げます。
▲2415 ▼52
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あの山に行った人ならわかると思います。 とても辛く、心臓が締め付けられるように苦しい登山なんです。 霊的なとかそういうことじゃなくて、皆それぞれの人生があの場所で一瞬で止まってて、 至るところに年季の入ったお墓があり、焼け焦げたまま新しい芽を出している巨木があり、現実は時が経っているんです。
黒木さんも時の流れと故人との思い出を心に感じていると思います。
▲2193 ▼59
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私も、病床の父が亡くなる直前に残したメモを、いまだに読めずにいます。 死というものに、こんなにも向かい合えないのかと、自分自身驚きでした。 ただただ怖い。死が目を逸らすことのできない距離に迫ってきて、それを認めて、受け入れるということが、こんなに難しいとは思いませんでした。 肉親だとどうしてもそうはいかないけど、友人だったら、どこか遠くで元気に生きてるって、そう思いたくて、そういうことにしていたのかもしれませんね。本当はきっと一緒に笑い合っている未来があったのだろうから。
▲1467 ▼60
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一瞬で命を落とす航空機事故は辛いです。 乗客はもちろんなのですが、機体を立て直そうと最後まで格闘した、高濱キャプテン、佐々木コーパイ、福田エンジニア(事故機は1974年受領の3マンクルー機)にも、哀悼の意を捧げたいです。
▲1314 ▼28
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昨日元気だった人が突然帰らぬ人になったら。とんでもない大きさの心の穴をずっと抱えていたのだと思います。40年という節目。今を逃したら、自分が登る体力も無くなってくる。自分もいつ同じ世へ行くかわからない。そう思って重たい腰を上げたのだと私は思います。当時を思い出して苦しい反面、心が少しでも整理されていたらいいなと思います。同じような思いで登れていない人もたくさんいらっしゃると思います。大切な人の死の受け入れ方は人それぞれですよね。
▲786 ▼21
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当時私は大阪に住んでいたのですが、確か黒木さんは「おはよう朝日です、土曜日です」に出演されていたように記憶していますが違いましたかね。あの日、飛行機嫌いの東京の友人が新幹線で来て一緒に城崎の桂小五郎所縁の旅館(別館に)到着した時に日航ジャンボ機墜落のニュースに接して衝撃を受けたのを覚えています。宝塚にも苛めや訳の分からない不文律が沢山あったと聞きますが、音楽学校の同期となると仲間意識が人一倍強いのかも知れませんね。
▲756 ▼77
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私、遠い親戚で医者の一家がこの件で亡くなったので、関東に引っ越してきた大人になってから行きましたが、ここの特徴は、遺体発見場所に木製のお名前を記した標柱が林立していること。 一番酷かった"スゲノ沢"という一帯では、標柱が集中・林立しています。さながらヒートマップなので当時を想像しやすくなっている。折鶴などもたくさんあります。
そして山の中で人と出会った時の挨拶は普通「こんにちは」ですね。しかしこの山では「ご苦労さま」です。秩父駅から50km、標高1500mの群馬山中で出会う者同士の挨拶。
ここに来るのに40年かかるのもわかります。
▲497 ▼11
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だいぶ前に御巣鷹山慰霊登山をした事があるが、この宝塚の方のは少し目立つところにあった記憶がある。 基本的に遺体が見つかったところに供養があるので、犠牲になられた方も大変気の毒だが、救難隊の方、その後の遺族の方、みんな大変と感じた。 自分たちができるのは安全な機械を作る事だが、身に染みてその義務は感じる。
▲628 ▼27
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まだ現場を知らない人は、一度上野村に行って みてもいいかもね。 今でこそ道も広くなり林道も整備されてるけど、 群馬でも西の外れの深い山中だよ。 事故の数年後、慰霊の園が整備されて間もなく 初めて訪れたけど、当時もまだ道は整備の最中、 途中の旧中里村あたりもまだ道は狭かった。 事故当時はもっと狭くて厳しい山道だったから、 家族も勿論、救助に向かった人達の苦労たるや 想像しただけで頭が下がる。
▲508 ▼10
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現場に行くといないことを認めざるを得なくなる。彼女は確かに存在していて、苦楽を共にしてきた友だからこそ、現実を受け止めきれない気持ちはわかる。黒木さんの心の中には今も北原さんがいるから、40年と言う歳月がかかってしまったのだろう。
▲750 ▼37
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この事故は衝撃的でした。坂本九さんが、お亡くなりになりました。 ヘリコプターで1人の少女が助け出される映像が今でも忘れられません。 この助け出された少女は今は幸せに暮らしているのでしょうか。 幸せに暮らしていてもらいたいです。 黒木さんや他の方も、大切な人を亡くし絶望との戦いだったと思います。 一歩、一歩、前に進んでください。 忘れる事は出来ないと思いますが、一歩、一歩と前に進んでください。
▲195 ▼10
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宝塚は退団の時に同期がお花渡しをすることで、絆の深さを感じるものですが、以前、かなめさんか、みきさんのどちらかが「私たちは他の期とは少し違う。」と、北原さんを亡くしたことで、心の傷が皆にあると言うようなことを答えていらっしゃったような記憶があります。若かった黒木さんの心にも大きな穴が空いたままになっていたのでは。人を悼む気持ちに遅いも早いもありません。北原さんを想い、黒木さんもずっと傷があったのでしょう。
▲135 ▼1
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黒木さんが登ればどうしたってマスコミがついてくるわけで 40年経った今、コンプライアンスが叫ばれる今だからかなったことかもね これが5年とか10年とか早い時期だったら…ざっと30年前のマスコミのひどさを思い出しなよ 黒木さんに密着するカメラが何台も付いてきて 他のご遺族が嫌な思いをするかもしれなかったとか色々事情もあるよね もちろん黒木さんの仲間の事故を認めたくない気持ちもあったろうけど
▲468 ▼27
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知り合いの死を消化するのにはすごく時間がかかる。ごく近い人間だと葬式などで実感するが近かったが遠くなってしまった人や事情のある人の突然の死は友人としてはなかなか受け入れがたく現実とはなかなか思えない。日航機墜落事故のような悲劇に知り合いが巻き込まれたとすればその慟哭はいかほどだったろうか。想像難くない。40年。やっと今だったんだろう。ご遺族、ご友人のお気持ちが少しでも穏やかになられますよう、ねがいます。
▲68 ▼2
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この日航機墜落事故を題材にした映画に、「クライマーズ・ハイ」と「沈まぬ太陽」がある。それぞれ切り口は異なるが、あの当時の世相の中で主人公たちの奮闘する姿を、当時を知らない若い世代の方にも、ぜひ観ていただきたいどちらも素晴らしい作品です。
▲142 ▼6
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この事故は、私が高校1年の時でした。確か月曜日だったと思います。友達に先立たれるのも辛いですよね。友人が30代前半で癌でなくなりました。事故は何の覚悟もないままに、本当に突然やって来る。最近になって、かつての同級生はどうしているだろうか?と気になるようになりました。自分の年齢を考えると、動けるうちにやっておいた方がいいことが多々あります。 黒木さんも体力があるうちに・・・と考えたのかもしれないです。山を登るなんて、体力がないとできないですしね。 あれから40年・・・未だにあの大きな鉄がどうして空を飛べるのか疑問ですが、二度と大きな惨事がありませんように。 改めて、亡くなった方々や当時の機長さんや、搭乗していた航空会社のみなさまのご冥福をお祈りします。
▲145 ▼5
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話題作りとか言う人がいるらしいが、話題作りならもっと早くに行っているでしょう。黒木さんほど成功した人が、今行くことにご自身にとっても、社会にとっても、犠牲者のご家族にとっても、大きな価値がある。人間として素晴らしい方ですね。
▲256 ▼35
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関西ローカル番組「おはよう朝日です」は平日だけでしたが 土曜日も放映されるようになり、その最初のアシスタントが 北原さんと黒木さんでした。 お茶の間に近い番組でしたから親近感を持つ人も多かったと思います。 日航機の事故は坂本九ちゃんはじめ著名人も搭乗していました。 黒木さんも当時はまだ若手で マスコミがコメントを求めて押し寄せる場面もなども特になかったと記憶しています。 宝塚の若手女優さん2人の運命がこうも分かれてしまったこと。 人の世の儚さのようなものを今も感じます。
▲68 ▼4
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黒木さんのエッセイに載ってましたね。彼女の公演を見にきてくれたその帰りに確か事故にあって、ちょうど黒木さんはその時間にパーティで時計を見たという描写がありました。 事故の直後動揺して実家にも行って親に会おうともしたらしいけど母親に止められたと書いていました。本当の気持ちで慰霊をしてると思います。
▲206 ▼12
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私が大学生だった時、友人が交通事故死してしまい、ご両親から弔辞を頼まれた際、あまりのショックに受け入れることが出来ず断ってしまった。 それは今でも後悔していますが、あの時の私には無理だったと思っています。 なので黒木さんが今慰霊登山するのは理解出来ます。やっと慰霊登山が出来たのです。 話題作りだとしても実際現場に足を運ぶのは並大抵のことではないと思います。
▲84 ▼5
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黒木さんと同期で亡くなられた方も同じ様に宝塚を対談し、女優としてやっていこうとしている時でした。このことがあって、黒木さんは飛行機移動はせず、電車と車での移動しかしなくなったと、彼女のスタッフだったかたから 聞いたことがあります。心の整理をつけたかったと言うのは本当の気持ちだと思いますよ。
▲57 ▼2
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40年前に、今は亡き母が青山葬儀場に知人の葬儀に行ったとき、「葬儀場なのに、綺麗で華やかな女性がたくさんいて驚いた」と話していました。まさに、墜落事故に遭遇したタカラジェンヌの葬儀が行われたのです。参列した美女たちは宝塚歌劇団のスターや関係者だったのでしょう。 黒木瞳さんも「いつか、仲間が事故で亡くなった御巣鷹山に慰霊登山をしたい」と願って、ようやく叶ったのでしょう。登山道が整備されたとはいえ、御巣鷹山は勾配がきつく、厳しい山です。黒木瞳さん、お疲れ様でした。
▲16 ▼0
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昭和56年(1981年)の初舞台も観劇しました。 当時から黒木さん、北原さんは出世コースに乗って かなり注目を集めていました。 音楽学校卒業前の文化祭ではお二人が主演されてた記憶があります。 朝日放送の朝の情報番組ではお二人がアシスタントを務め「大親友です」と常々語っておられ、本当に仲が良かった事は当時の視聴者なら周知の事実です。
この背景を知る当時の宝塚ファンなら、北原さんがお亡くなりになった事は黒木さんがどんなに悲痛に暮れておられたか想像以上だと理解しています。 本当に辛かったから40年もの間、会いに行けなかったのでしょう。
▲10 ▼1
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数年前、ようやく墜落現場に行けた。秩父経由で趣味の自転車で上野村まで行き、登り口から徒歩であがった。 小屋の中に、当時の友人一家の名前を見つけ思わず涙が出てきた。自分は10代の若さで死んだ友人に恥ずかしく無い様に悔い無くここまで生きてこれただろうか。 前日の嵐で道は荒れて水が流れていたが、珍しく帰路で二度もパンクした。乗せていきましょうかという乗用車の遺族の方の申し出を丁重に断り、パンク修理をして下った。友人にまだ帰るなよと引き止められてる気がしてまた涙がでた。 40年経とうが無念に思う気持ちが和らぐ事は無い。
▲157 ▼3
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何か黒木さんの気持ちが分かる。年を重ねてきて人生を振り返ってみる事が多々あるがそんな時、夢や希望があった若い頃に共に過ごした友人に無性に会いたくなる。でも今は音信不通で会いたくても会えない。お互い結婚、出産、さらに仕事と忙しく遠距離だったので中々会えない中いつしか疎遠になった。黒木さんのご友人は残念ながら亡くなってますが墓標があるので自分が生きている内に体力のある内に会いに行きたいと思ったのではないでしょうか。
▲77 ▼9
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身近な人の死に向き合ったことがない人はこうやって黒木さんに批判の声を上げるんだろうね。過去の黒木さんの良くないことを引っ張り出して。全く別の話なのに。当時は超絶多忙だっただろうし、今みたいにプライベートの思いのために仕事に穴を開けることも考えられなかったでしょう。いくつになろうと同期が亡くなる衝撃、しかも当時若年であれば心の傷は深いでしょう。気持ちを納得させるための経験がないでしょうし。いくらアンチコメしたい人たちでもアンチの気持ちと黒木さんが同期を弔う気持ちは絶対に分けて考えるべき。
▲54 ▼6
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北原さんのことを初めて知り、息を呑むような美しい方で驚きました 身近な方が亡くなられた凄惨な事故の現場を訪れるのに、それだけ長い時間が必要だったのだと思います 黒木さんは40年間気にかけてきて、ようやく掴んだタイミングが今だったんでしょう 酷暑のなかの登山は大変でしょうし、個人的には、穿った見方は無用かと思います
▲0 ▼0
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自分はこの事故の5年後に生まれているので当時がどのような状況だったかはわかりません。けど事故の詳細を調べて行くに連れて色々感じるものがありました。今生きていられていることに感謝しつつ、人はいつ死んでもおかしくないという事に胸に刻みながら生きてます。
▲20 ▼4
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話題作りとの意見もありますが、遺族も高齢化してきた中、事故を改めて人々に認識させるきっかけとして、黒木瞳さんが慰霊登山をされたことは、意味のある物だと思います。 坂本九さんが事故で亡くなったのは知っていましたが、女優の北原さんという名前もきいたことがあり、宝塚の方だったんだと初めて知りました。 さんまさんがこの飛行機に乗るかもしれなかったのは有名ですが、Wikipediaで見ると、色々な著名人がこの便を利用する可能性があって、事故に遭遇しなかった人が結構いるのですね。 暑いお盆と終戦記念日が来る度に、この事故を思い出します。 今年は戦後80年もありますが、この事故も同様に、若い世代に引き継がれて欲しい出来事です。
▲2 ▼0
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当時、黒木さんと遥子さんが大阪朝日放送テレビの朝の人気番組「おはよう朝日です。土曜日です。」にレギュラー出演され関西の朝の顔で売り出されてました。売りは現役タカラジェンヌが出演され週末の報道バラエティとして人気番組でした。その後のお二人の人生の機微を感じますが、黒木さんの今回のご英断を関西の地でで喜んでおります。
▲95 ▼5
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私の友人から、搭乗する直前の羽田空港で坂本九さんから「夏休みの宿題やったか?」と声をかけられたのを覚えていると聞いたことがあります。当事者でなくても衝撃でした。もちろん今でも。様々な人の人生に影響を与えた事故です。
▲99 ▼3
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黒木さんが、純粋に仲良くできた青春時代の 親友に対して、売名行為なんかではなく、 純粋な気持ちで向かったのではないですか?
同じ宝塚での同期の親友は、 黒木さんにとって、今までも、これからも 大切なかけがえのない親友だったのでしょうから、本当に、今までは その場所を訪れる気持ちにならなかったのではないですか?
演技なんかではないですよ
その宝塚の同期の方も 黒木さんと他の一緒だった方も 訪ねて来てくれて、嬉しかったと思います
黒木さんの大切な青春の思い出と あの飛行機事故で40年過ぎた今も、 まだ、深い悲しみがあるでしょうから、 売名行為とか、演技とか 言わないでください
▲49 ▼7
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確か黒木さんはご自身の手記か何かで、搭乗数日前の北原さんと電話で話し、胸騒ぎか何故かは分かりませんが「その飛行機には乗らないでほしい」とご本人に直接伝えた、とか言う事を聞いた事があります。知人にも元タカラジェンヌの方がいますが、苦難を共にした宝塚の同期生同士というのは、特別な繋がりがあるものなんですよね。ご自身が活躍される傍ら、ご友人があの山で最期を迎えられた事、ずっと心に引っ掛かられてたんじゃないかと思います。この事故当時は私も子供でしたが、TVでリアルタイムで見ており、ごくわずかな生存者がいた事以外に、その凄惨さは記憶しています。毎年、慰霊登山される方々のニュースを見ると、あの事故に遭われた方々の魂も、少しでも穏やかに救われるようにと祈りたい気持ちになります。
▲98 ▼10
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日航機事故の事は、記憶にもありませんが、実家から近い場所、御巣鷹山の話は子供の頃よく父親からきいていました。 不思議な事があって、昨日の夜中夢で目が覚め、夢の内容が、実家の上を何かに追われた飛行機が飛んでいて、旅客機でした。 かなり、低空飛行で、墜落する! という夢でした。 この夢をみて、目が覚めたのは夜中2時、不思議な夢だったなぁと思いました。 朝、ニュースをみたら、今日日航機のニュースをやってました。 繋がりはないてましょうが、不思議でタイミングに驚きました。
▲21 ▼18
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きっとずっと心の中にあった思うし、忘れたことはないと思う。 ここに足を運ぶまでいろんな逡巡があった思う。 もっと早くと思う気持ちもあったと思うが、他のご遺族の方もいる、自分が行くことでその方々に迷惑をかけるかもしれない…そんなことを思ってたのかも知れない。 黒木さん自身も年齢を重ねて、今なら落ち着いて会いに行けると考えたんだと思います。
▲34 ▼4
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一生手を合わせないよりは絶対いい。
もしかしたらやっと、気持ちの整理がついたのかも。 1人じゃできないけど他の同期も一緒なら、語らう時間がたくさんできて一緒に歌ったり向き合う時間が取れると思ったのかもしれない。
黒木さんの年代的に、亡くなってる人がいても違和感はありませんし、ただただ、会いたくなったのかもしれないし。
時の流れは人それぞれだと思うので。 母子家庭ですので祖父母と母の給料でなんとか、短大卒まではできました。 私の祖父は、33回忌をとっくに終えてますが、一人暮らしの私の自宅には写真ずっとあります。 これだけは、持って行く決心で持ってきました。 持って行って10年以上経ちますが、やはり実家の遺影見ないと会話することなくて。
私の家は写真しかないので、お盆並みに精霊馬とかしたいが、仏壇が実家ですので、どこまでお盆仕様にできるか知りたいよ。。
▲4 ▼1
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高齢者の登山は、覚悟が要る。 それに、黒木さんを記者が取り囲んで、コメント取りや写真、動画など、様子を撮られることも大きな意味がある。 決して忘れないし。多くの人に思い出してほしいと、願っていると思う。 そして二度とこのような事故が起こらないように願っているのだと思う。
▲168 ▼16
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話題作りで行ける程の道程では無いと思いますよ 御巣鷹山の墓標が建てられている山道をそんな 気持ちで登れる程生易しいものでは無いと 人それぞれ悲しみを癒していく時間は犠牲者遺族の一人一人違うのですから 黒木さんにとって 同期として過ごした時間と忘れ得ない思い出その中で 40年目に会いに行く決意をされた事を 良かったですねと言いたいです
▲42 ▼5
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救助には行ったけど…墓参りには行けないと祖父が言っていました。 40年経った今でも、当時の壮絶な状況と臭いが記憶から消えないと。その現場には行けないと言ってましたね… もう現場画像すら見たくもないし、考えたくも無いと。 ご遺族も辛い思いをしてるのは知ってますが、救助活動をした側も心理的なダメージは大きい。 行ける人が慰霊登山してくれたら良いと思います。
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私にも、行きたいけど、どうしても行けない場所がある。自分の寿命が尽きるまでにはと思うけど。東日本大震災で亡くなった友人のお墓参りだ。お墓はあるけど中は空。見つかっていないから。震災前に友人と列車に揺られながら見た美しい海、古い駅舎と昭和が残る街並み。もう全てない。それを見るのが恐くて行けない。友人のことを未だに正面から受け止めることができない。
▲113 ▼3
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黒木さんの気持ちわかります。 私は123便のキャンセル待ちで私の前3人で止まり乗れませんでした。当時、救命救急センターで医師と働いていて休暇なんて当然ないものと思っていた所に上司から突然1週間の休暇をもらえて、しかし当然航空券の予約などしてません。とりあえず羽田空港に着いてキャンセル待ち番号をとりました。まあダメ元で羽田空港で翌日の便をきいたら運良くとれて「休みだがみんな大変だろう」とセンターに戻ったら、看護師が大声あげて、突然大泣きしながら「先生生きてるよ!」。同僚の医師も駆け寄ってきて、ただよかったとしか言わず、テレビのある部屋に引っ張っていかれ、墜落の画面を見せられて123便と知って、唖然としました。羽田から救命救急センターに戻る間に起こっていた墜落でした。以来、この日は自分にとってもつらい日になりました。どこで働いていても必ず御巣鷹山の方向に手を合わせます。
▲100 ▼3
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黒木瞳さんを取り上げるメディアばかり目立つ事には、違和感を禁じ得ない。取材を断れない立場の黒木さんとしても、迷惑だったのかもしれない。それにしても、当時からボーイング社による圧力隔壁の手抜き補修だった事は明らかなのに、なぜその責任が追及されずにあの様な信じ難い裁判結果になってしまったのか。未だに米国サイドで隠し続けられている事実は多数あると思われる。日米関係やボーイング社とJALの力関係とかも含めて、はっきりと真相を解明した貰いたいものだ。
▲93 ▼14
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黒木さんはご実家の八女(福岡)へ帰られた時はいつも?博多駅から東京(新横浜?)へ新幹線で帰ると聞いたことがあります。ご友人を飛行機事故で亡くされたからだったのでしょうか。 今は博多駅からだと約5時間、本を読んだりスマホ見たり、、、グリーン車であれば快適な旅でしょう。 御巣鷹山ではご友人と再会できましたか?待っていてくれましたか?黒木瞳さんの想いが届いてることを願っています。お疲れ様でした!
▲26 ▼2
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私も同じ中学校の顔も知らない同級生ですが、 あの飛行機に乗っていて、本当にびっくりしたのを忘れません。
気持ちの整理がつかなかったんでしょうね。 40年経ってやっと1歩進む事ができたのだと思います。
身近な人があんな大変な事故で突然亡くなった訳ですから、そりゃ整理つかないですよ。 今、御巣鷹の尾根に登ってお参りできて、やっと 会えたとほんの少しだけ前に進んだのかも知れませんね。 他人には、わからない気持ちがあったと思います。
▲73 ▼1
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戦争にしても事故にしても、多くの人の命があっけなく消える。どんな形にしても亡くなった方々に思いを馳せ、今生かされていることに感謝をする。命の尊厳について考える夏。そんな日本の夏の一側面を忘れてはいけないと思っています。
▲5 ▼0
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黒木瞳と北原遥子は同期でも仲良しだったし、事故後も欠かさずずっとご両親とも交流を続けていた。 事故翌日に2人は会う約束していたし、当日にも連絡取っていたから、退団公演中の黒木瞳にとって親友の死は、精神的に本当に大変な事だったと思う。 本人の年齢的に、今のうちに一度は登山しておきたい…と思ったのではないでしょうか。
▲24 ▼0
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話題作りって?黒木瞳さんの様な現役で活躍されてる方が、何をこんな悲惨な事故を使って今更話題にする必要があるんですか?いくらなんでもそんな事を言う人は酷すぎる。昨日まで一緒に舞台や練習に励んだ友人があれほど酷い事故に遭われたなら、衝撃が強すぎて、目を背けたかったかも知れません。40年経ってようやく遺品を見る気になった遺族の方の話もありましたし…いつか必ず行こうと思ってらして、ようやく機が熟した感じなのではないでしょうか。
▲81 ▼11
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同期の方4、5名と相談して一緒に登ることにしたんですよね。40年という節目、このタイミングを逃すともう登れないかもしれないという気持ちはとてもよく分かります。どこに批判の要素が?と思います。 関連記事のところに動画もあるから見られるといいと思います。音楽学校の校歌と、すみれの花咲く頃をみんなで歌われていました。この動画を見たら「話題作り」とか言えないと思うけどな。
▲25 ▼0
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話題作りとか、40年経って今更とか、酷い書き込みが散見していますが、「宝塚同期が犠牲」の見出しになってる方の御両親のロングインタビューを、随分昔に読んだことがあります。黒木さん、事故当初から、今の今まで、片時も事故のことなど、忘れていません。身内以上の深い心の傷を抱えている、という言葉が印象に残っています。昨日、今日,各ニュース番組で慰霊登山の参加者に「40年経って、どうですか?」と投げかける。祝い事ではない。思い出を語るうちに涙があふれるのは、40年前と心の痛みが癒えていないから。事故から20年後、30年後は、各局、ドキュメントや追悼ドラマが放送されていたのに、40年後は皆無。戦後何十年と同じで、毎年、夏は来ます。追悼そして、心に寄り添う番組を届けてほしい。
▲20 ▼8
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何の話題作りなのか? 当時の映像やこれまでの数々の悲劇を知らない、あの事故の後に生まれた人のコメントなのだろう。 あの事故を知っていれば、そんな事思えるはずがない。 そんな意見は相手にする必要はない。
当時墜落事故で亡くなられた方、険しい山深い場所に慰霊碑を建てる為に林道整備で事故で亡くなられた方、JAL関係者の方など、関連事故が多数起きている場所でもあると聞きます。
黒木瞳さんもその関係者だったとは初めて知りました。 同期の死に気持ちの整理で40年かかった、そんな人に話題作りとかよく言えたもんです。
▲11 ▼3
=+=+=+=+=
北原遥子さんは、当時夏目雅子さんと同じ事務所で、夏目さんから妹の様に可愛がられていたと。
2人で楽しそうに、海外で撮った写真を当時の週刊誌で見た事があります。
北原さんが日航機墜落事故で亡くなられ、葬儀の様子をテレビで報道していましたが、その時に、今では見られなくなった大きな花輪に、夏目雅子さんの名前があったのを覚えています。
病床から手配をして、送られたのでしょう。
その日航機事故から、1ヶ月くらい経って、夏目雅子さんも27歳という若さで旅立ちました。
その当時、まだ10代でしたが、何とも言えないお2人の縁を考えて心が締め付けられる思いをしたのを遠い記憶として、残っています。
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話題作りなんかじゃないと思います。 黒木さんも、もう60代半ば。人生終盤になり、 いろいろ考える事が多いと思います。 そんな黒木さんにとって、生きているうちに、 そして身体が動くうちにやっておこうと決めていた 事のひとつが、あの慰霊登山だったのだと思います。
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親友を偲んでの登山だと思いますが スマホで録画に必死になっていて ちょっと引きました。 ひっそりと涙するタイプではなく いつも人に見てもらいたい自己顕示欲の強い人だなぁという気がしました。 芸能界で生き残っていくには必要な欲ですが、 時として、 黒木さんに抜け目ない強かさを感じ 家庭的な母性や奥ゆかしさ が少ないようにみえるのは こうゆう所かなぁ思いました。 お綺麗で友達思いの方とも思いますが
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リアルタイムでは知らない世代ですが動画や書籍で当時のことを事細かに調べました。 毎年お盆の時期になると話題にもなりますが、遺族の方はそんな思いを一年中、これからも思い続けるのだと考えると心中を察します。
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皆さん夏の暑い時期に登山、本当に頭が下がります。 黒木瞳さんも同期の方を亡くされたこと、知りませんでした。 本当に想像するだけで心がちぎれてしまいそうです。 生きてるだけで丸儲けですね! 本当に無力ですが、生きてることに感謝して頑張ります!
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520人が飛行機事故で、一瞬の内に尊い命を失った悲惨な事故でした。 その中には、坂本九(妻柏木由紀子さん)さんも。 もう、40年もたちましたか。 月日の経つのは早いものです。
確か、若い女性の生存者がいましたが、表には出ませんでした。 とても辛い心境なので周囲も気を使ったでしょうね。 就寝しても、トラウマが・・・。 今、お元気で暮らしているのだろうか。
黒木瞳さんの友人も、犠牲になられたなんて知りませんでした。 黒木瞳さんは、1986年の「化身」で知りました。 体当たりの演技を披露し、それからは順風満帆の芸能活動。
年齢もかさんで、御巣鷹山に登る事が出来なくなる前にと歩を進め、宝塚の友人の元へ歩を進めたのでしょう。
お疲れ様です。
友人と同乗されたお客さん達にも、哀悼の意を伝えて下さい。
飛行機事故で、尊い命を失った方々へ、ご冥福をお祈り申し上げます。
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黒木瞳さんがお友達に会いに40年かかってやっと行けたのわかる気がする。 黒木さんの年齢が一番大きい気がする。 私も黒木さんより少し下だけど、今できることは後回しにしないでしないと後悔すると思うようになった。 平均寿命ではなく健康寿命はあとどれくらいかと思って。 お友達は会いに来てくれて喜んでいるね、きっと。
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私は正直、黒木瞳さんは好きではない。 でも今回の慰霊登山に関しては、40年という節目であり、自分の体力のあるうちに、そして亡くなった友のお母様がご存命のうちにと思いたったのかなと思い、心がしめつけられた。
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話題作りとか思う人がいることに驚く。 歳をとってくるとわかることもある。 死ぬまでにやっておきたいと思いながらもやらないできたことを、今やらないともう出来なくなるかもと思うこと。 テレビで見ていても結構な急な山道だし、年々夏が暑くなるので、体力のあるうちじゃないとできませんよね。
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この記事のことを昼のニュースで観た。 日航機墜落事故の慰霊登山のニュースの後半に個人が取り上げられて何だろう?と思ったら黒木さんだった。40年経って初めてだったとしても否定的な印象は受けなかった。インタビューで少し言葉を詰まらせてるのを見て、涙腺の強くはない自分には少し影響を受けた。 人にはそれぞれ事情や想いがあって皆同じではない。この記事のコメで否定的なこと書いてる人がいるのを知って、よかったそっち側の人間でなくてって思った。
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悲惨な事故ですが、この墜落事故には色々な憶測が有ります荒唐無稽なものまで。しかし事故調査委員会も原因は厳密に言えば推測です。ボーイング社も修理ミスは認めていますが、事故調査委員会の推測原因を否定して居ます。ボイスレコーダーの内容を完全にオープンすれば原因はよりはっきりすると思います。アメリカ軍もかなりの情報は持って居ると思いますが、これもオープンにはし無いと思います。現実は小説よりも奇なりと言います、真の原因は藪の中かも知れません。
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現在の飛行ルートもあの日あの時の飛行ルートと 同じ、若しくは似た所(微調整程度)を飛んで居るのかな。
爆発する前までは今と変わらず私達と同じ景色を見て、 同じ様な想いを抱え、空の旅を各々が楽しんでいたはず。
あの頃は景気も良かっただろうから、きっと今よりも 未来に希望を抱いていた人も多かっただろう。
それだけに寸分先の未来の自分の身に起こる悲劇を 一体誰が想像し得たと言うのだろうか。
コントロール出来ず下がり続ける機体、 希望が無情にも絶望へと塗り替えられて行く時間。
どれだけ怖かっただろうと考えると言葉も無い。
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信じたくない、だけど自身もそういう年齢になった時、生きている、体力のあるうちに、自分の足で友に会いに行く。若い時は、自分の宣伝になるようで嫌だったというのが、本音かな。毎年この時期になると葛藤があったはず。友は穏やかに過ごしていましたか。
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黒木さんも心の整理がついて、ようやく慰霊登山に来られてたのですから、メディアは、そっとしておいてあげればと思います。 それをマイクを突き付けてコメントを求めるとは呆れます。 メディアの姿勢は、事故当時と全く変わっていませんね。
坂本九さんのご遺族が過去に慰霊登山に来られたかは判りませんが、もし慰霊登山されたとしたら、メディアを避けて別の日に来られたかもしれませね。 ご遺族の中には、メディアを避けて別の日に慰霊登山をされたり、また、遺族会と距離を置いている方もいると思います。
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このあいだの土曜日、長崎原爆投下の日に黙祷をしました。 この数日後が123便の事故日だということは毎年この黙祷をするときに心に浮かびます。 長崎はもちろんですが123便の悲惨な事故により、あまりに酷い目に遭われた犠牲者の方々のことも決して忘れてはならない。 犠牲者の苦しみ、遺族の苦しみはこの世の地獄だったことでしょう。他人の自分には理解するなど到底不可能であり不用意に語る事もおこがましいくらいですが、せめて風化だけはさせてはならないと思い、毎年心の中で犠牲者の安息を願うとともに、世の中の安全を願うところです。
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野球界でも当時の阪神タイガースの球団社長が日航機墜落事故で亡くなっています。 だから、今日は「勝たなければならない日」だったと私は思っていたのですが、今日のオーダーは選手の休養を優先したものでした。 確かに選手の休養も必要だし、優勝に向けてこの一つの敗戦はたいした問題では無いのかも知れないが、8月12日は40年前に日航機の墜落事故で球団社長が亡くなった日であることを忘れたのだろうか。 勝ち負けは勝負事であるからどうしようもないが、はたして今日のオーダーはそういった「勝たなければならない日」にふさわしいメンバーだったと言えるのだろうか? 選手全員が生まれる前、監督やコーチも幼い頃で記憶に無いことなのかも知れないが朝からテレビやラジオ、ネットでも日航機墜落事故の追悼特集が流れていて誰も気づかなかったのだろうか。 だとしたら本当に情けないというか、さみしく感じた。
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黒木さん痩せられたな。どこかお悪いんじゃないですか。ご無理はなさらずに。。 私も歳をとってきて、昔を思い出したり、昔の友人に会いたくなってきました。亡くなった友人を思い出すのは一番の供養だと思う。こんな暑い中、慰霊登山をした皆さま、お疲れさまでした。
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色んな意見は当然出るだろう。ただ何かのきっかけで友人の墓標に手を合わせる気持ちになったのであれば、それはそれで良いことでしょう。赤の他人が口出すことではない。他コメにもあるように、有名人が参加することで、40年の時も思い返す人が余計に出れば、結果的には良いことと思うけど。
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年齢的にも今やらないと登山なんて出来なくなる可能性があるからな 寿命もどこまで持つか分からんし 宝塚あっての俳優業だろうし色々区切りや整理をつけたかったんだろう
こういうのは一般に記事公開するんじゃなくて宝塚の学校内で通知だけ出して、親しい人にだけ公開する、とかで良かったようにも思うが
あの事件を一般層に風化させない為に情報流したんだろうか? 今ほど便利なツールも無かった時代 結果論からもっと生存者がいたから救出作業をもっとやってれば沢山の人が生還出来た可能性があるという意見もあるが たら、ればでしか無いし 当時のマスコミが叩いた機長は他のパイロットに真似出来ない最高のフライトを最期まで続いた、そのおかげで生存出来た方がいた事実といい
当事者やその家族・友人らには思うところが多いだろう マスコミも反省してるなら風化させないように番組をたまに組んでしっかりと後世に伝えるべきだと思う
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お子さんのことなどでプライベートでのイメージがあまりよろしくない方なのでネガティブコメントも散見しますが体力あるうちに慰霊登山に参加して手を合わせたいという気持ちがあってのことだと思われます。
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時間が経過したから行けるってこともあると思う。人の気持ちなんて当人でないと分からないことが多いもの。 例えなんの関わりもない有名人がそういう場に行くこともいいと思う。風化させないって大事だし、ダイアナ元妃もよく地雷のある現地に行っていたけど、偽善者と言われても構わない。自分が行くことでマスコミが着いてきてこの現状も伝えてくれるなら私は何を言われてもいいと昔言っていました。 偽善者や売名と言われるのが嫌だからと、行かないよりずっといいよね。
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黒木瞳といえば、TBS日曜劇場『GOOD LUCK!!』。 ANAのCA役だった。空前の大ヒット作。 ANA職員のオーケストラが羽田で作中曲を披露したり。 20年以上経っても、ANAとは切っても切れない名作ドラマ。 自分は、DVDボックスもCDも買ったくらい。 黒木瞳が、社は違えどJALの事故現場へ慰霊登山 というのは宝塚のことを抜きにしても繋がっている。
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40年で同期の死を見つめる時間ができたんだろうなぁ こんな事は周りがとやかく言う事はないし 関係者、遺族、そしてリアルタイムで観てきた人間が発信するべき おそらく誹謗中傷する輩はこの事件を知らないし、リアルタイムで観てない奴だろうな 御巣鷹山で亡くなった方のご冥福をお祈りします。私は当時20歳で仕事場で一報を聞きました フジテレビのスーパータイムでこうだシャーミンと露木さんがJAL機の行方不明と報道してた事も、そして日本中が大騒ぎになった事も ついこないだのように感じます。
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話題作りという人もいるけれど事故から40年。風化していく日航機墜落事故を少しでも人の記憶に留めておきたい。忘れないで欲しいという思いがあってもいいんじゃあないかな?人はスイッチを切り替えるように、亡くした人を思い出したり忘れたりできない。ましてや家族ならなおのこと。
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事故後すぐに慰霊登山したら今以上のマスコミが押し寄せて周りにも迷惑をかけていただろうし、なかなか気持ち的にも行けなかったのだろう。40年という節目と、体力的にも今登っておかないとという想いが彼女を行動に移したのだと思う。
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日航123便に、帰省目的で乗る予定だった悪友。 空港到着が遅れて乗れずに居たが、数時間後事故の報道を聞いた。 『命拾いした!』と喜ぶ悪友に…『お前の代わりに死んだ人間が居るんだ!喜んでいる場合か!』と… 悪さばかりしていた友人はこの事故の後少し真人間になりました。 代わりに搭乗した人とは比べることも出来ません。 彼と会うことは無くなりましたが、この季節になると思い出す…… 本人も同じだと思いたい。
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行ったら認めた事になるしね。 なんだろ。 ずっと多忙でそれを言い訳に認めたくないと避けてきたけど、仕事も落ち着いて色々考えてやっと向き合えるようになったのかな。 当事者にしか分からないけど、同期の方も喜ばれてると思う
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行かないより行った方が遥かに比べものにならないくらいに善行だろう 行かない人が行った人を酷評してるとか生きてる人にも亡くなった方にもどうなのかと カメラに映ってるとか派手だとか何とかかんとかSNSの承認で自分を買い被ってる一般人とは訳が違うのに いじめがどうのこうのと言う人も人に指差される行為は一度たりともした事すら無い聖人なのかと、その書き込み見ながら不思議でならない
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家族や知人が亡くなって、仕事や私生活での忙しさとは別に心がついていけなくて行けない事ってあると思う。 私も父が亡くなって仏壇には挨拶してるけどなんとなく父との思い出の場所には行けないんだよ。 それに黒木さんのインタビュー見たけどとても話題づくりなんて思えないよ。
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北原さんと黒木さんのおはよう朝日土曜日は見てました。お二人とも絶世の美女ですが北原さんは黒木さんに比べても互角以上の美しさでした。しかもこのお二人はライバルでもありましたが非常に深い親友だったようです。黒木さんが言われていたのをテレビで観たことがあるのですが、「私たちは一心同体だったんです。」と。
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子供の頃にある詩集を買った。 好きな詩が沢山あった。 その中に、とても悲しい詩があった。 あとで、それは飛行機事故で亡くなった友人への詩だと知った。
「指飛行機」
飛行機雲を指でなぞって指ひこうき 西方浄土の向こうまでもすぐ行ける そこに眠る君 指ひこうきに僕の心を乗せて 腕を伸ばして指ひこうき 君に追い付けるか 君を捨てた飛行機で
著者は黒木瞳さんです。
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年齢.体力.筋肉.気力 これ以上年齢を重ねたらそういうのが全て衰え登れなくなるから他の同期も一緒に 今会いに行こう という事で行かれたんですね、皆が一緒に来てくれて嬉しかったはず。
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