( 316778 ) 2025/08/17 04:18:09 0 00 市町村、実施隊員とともに人身事故の現場検証をする近藤さん(中央)
近年、日本各地でクマをはじめとする野生動物による人身被害が急増。その対策は喫緊の課題となっている。そうした中、捕獲後のクマの対応に対し、自治体などへ「殺すのはかわいそう」「もっとしっかり対応しろ!」といった声があふれることも少なくない。
報道等を通じてしか現実を知らない顔の見えない声の裏側に、どのような現実があるのか。秋田県で専門職員として、クマ対策の最前線で活動する近藤麻実さんに実情を聞いた。
「各種対策で対応していますが、それを上回る勢いでクマが出没しています」
逡巡(しゅんじゅん)しながら口を開いた近藤さんは、秋田県におけるクマ出没の現状をこう表現した。最前線でクマ対策に奔走する専門職員の言葉だけに、まさに生々しい「リアル」だ。
近藤さんは2020年4月、クマをはじめとする野生鳥獣の対策を担う専門的な職員として秋田県庁に入庁。学生時代から野生動物の生態を学び、クマ対策に携わって5年以上になる。
現場で日々、クマの状況を調査する近藤さんの言葉だけに、状況がいかに重篤で深刻かということがわかるだろう。
7月に北海道福島町で発生したヒグマによる新聞配達員の死亡事故。ごく普通の日常の中でクマが人の命を奪った事実は、大きなインパクトだった。
北海道では「日本百名山」のひとつ、羅臼岳(標高1661メートル)で8月14日に20代の登山者がヒグマに襲われ、死亡する人身被害もあった。
ほかにも「散歩中に」「自宅の庭で」「農作業中に」など、昨今、日本全国で日常の中でクマ関連の事故が続発している。これらはクマの活動域がすでに人の生活圏と明確に重なってしまっていることの証明にほかならない。
岩手県北上市では7月に81歳の女性がクマに襲われ命を落とす事故が発生した。その場所はなんと自宅居間。前代未聞で、最悪といえる事態だが、これについて近藤さんは専門職員の立場から「あり得ない」と声を大にする。
理由は明確だ。
「クマがいきなり人家に入ることは考えづらいです。空き家や小屋などへの侵入を繰り返すうちに行動がエスカレートしていくものと推測しています。ですから秋田県では、小屋への侵入などの”予兆”があればすぐにワナの設置について市町村と相談するようにしています。
捕獲できた場合は、小屋への侵入箇所などから採取しておいた体毛と捕獲個体のDNAを照合し、侵入個体を見逃さず確実に捕獲できたかどうか確認するなど、人家侵入やそれに伴う重大事故につながらないよう、迅速かつ積極的に対応しています」(近藤さん)
クマ対策の現場を担う各自治体は、常に最善の選択で最悪の結果を防ぐべく、地域住民の安全確保に尽力している。
もっとも、自治体がクマ対策に及び腰になることも否めない側面もあるという。その原因はクマ殺傷後の、ネット上などでの「殺すな、かわいそう」といった声だ。それにとどまらず、役所にクレーム電話などが殺到し、業務が滞ることもある。
「捕獲したクマを殺さずに逃がす場面を見たことがあるかもしれません。しかし、小屋や畑などで人の食物を学習してしまった個体は、離れた場所に放獣したとしても、再び出没してしまったり、人の食物を求めて別の場所でも問題を起こしたりするおそれがあります。
また、一度捕獲されたことで箱ワナを忌避するようになると、出没を繰り返したり、行動がエスカレートしたりした場合に、再度捕獲したくてもそれが難しくなります。もちろん、そもそも人の食物をクマに覚えさせないことが最重要ですが、一度人の食物を覚えてしまった個体については、放すべきではないと考えています。
ただ、そうすると、『殺さないで』と言った声が上がる場合があります。自治体によっては、そうした可能性を考慮して、殺さずに逃がしている面もあるのかもしれません」(近藤さん)
そもそもなぜ、クマによる被害が増加を続けているのか。大きな背景には少子高齢化がある。とりわけ、地方では住民が減少し、放棄される田畑が増えたり、刈り払いなどの手入れが行き届かない場所が増えたりしている。その結果、そうしたエリアがクマなどの野生動物にとって好ましい環境に変質する。
行動範囲に人里を含めてしまったクマは、人の生活圏にある農作物や庭木の実、生ゴミ、コンポストといった、一度に簡単かつ大量に得られる食物も覚える。
河畔林や集落周辺の雑木材には桑やミズキ、クルミといった、人が食物と認識していない、それでいてクマにとって利用価値の高い植物も多く生育している。人間に危害を加えれば食物が手に入るという学習をしてしまうケースもある。
そうやってクマは、これまで訪れなかった場所を「普段から生きる範囲」として認識するようになり、人の生活圏への出没が常態化する傾向が見られるという。上記3件の死亡事故は、環境変化によるこうしたクマの活動領域拡大がもたらした悲劇にほかならない。
個体数としてクマが増えている現実のうえに、さまざまな要因が絡み合い、対策はより困難になり、限界に近づいている。そうした中で、クマ処分時に外野から上がる声が、対策活動を萎縮させる…。
近藤さんが訴える。
「クマと人とのあつれきは決して、北海道や東北だけの問題だけではありません。もはや人の土地利用や産業構造の変化など、私たちの暮らし方の問題で、全国で起こり得る状況です。だからこの問題を他人(ひと)ごとと考えず、現場の複雑な現実も理解し、『駆除は、地域の暮らしを守るため必要な対策の一つ』であることを認識する必要があります。
行政は、必要に応じて捕獲を行っていますが、クマの出没は捕獲だけでコントロールできるものではありません。一人ひとりがクマを地域に寄せ付けない、通わせない努力をすることも不可欠です。
『殺さないでほしい』と願うのであれば、その声を建設的な行動につなげてほしいと思います。たとえば、人手不足で滞りがちな藪(やぶ)の刈り払いや電気柵の設置作業など、具体的な被害対策へ協力するといったことも可能です」
増え続けるクマ被害。最前線の状況から浮き彫りになるのはその深刻さがもはや‟災害級”といっても言い過ぎでないレベルに達している現実だ。日本全国で人口が減少する中、山の生態系から「ヒト」の定位置が脅かされている。
ここまでくると、クマ対策はピンポイントでは焼け石に水ともいえる。クマなどの野生動物とのすみ分けも視野に入れながら、地域再構築や都市計画を、国家レベルで検討すべき一要素として位置付けていく。真剣にそうした対策を考慮する必要があるほど、状況は危機的だと認識しておいたほうがいい。
<近藤麻実> 三重県津市出身。岐阜大学 農学部獣医学科(現在の応用生物科学部共同獣医学科)を卒業後、北海道の研究機関に就職。ヒグマの生態調査や被害対策を行う。2020年に秋田県自然保護課に着任し、ツキノワグマの被害調査などにあたるほか、クマに関する正しい知識を伝える普及啓発にも取り組んでいる。 ・秋田県自然保護課「ツキノワグマ情報」:https://www.pref.akita.lg.jp/pages/archive/23295
弁護士JPニュース編集部
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