( 316883 )  2025/08/17 06:21:14  
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(※写真はイメージです/PIXTA) 

 

長年勤め上げた会社を定年退職し、まとまった退職金を手にしたとき、多くの人が心に描くのは「第二の人生」ではないでしょうか。これからは、本当にやりたかったことをやるんだ――。長年の趣味を活かした新たな仕事や、社会貢献など、その夢の形はさまざまです。しかし、新たな挑戦は成功ばかりではなく……。本記事では、FP相談ねっと・認定FPの小川洋平氏が、後藤さん(仮名)の事例とともにシニア起業の実情をみていきます。 

 

「人生は一回だけだから、頼むよ。本当にずっと前からの夢なんだ」 

 

65歳になった長谷川昭一さん(仮名)は、妻にそういって土下座しました。大手企業を定年退職して退職金2,000万円を受け取り、年金は長谷川さん一人の分だけでも月18万円。老後の生活は安泰のはずでした。 

 

しかし、長谷川さんには長年の夢があったのです。それはラーメン屋さんを開業すること。 

 

学生時代からラーメンが大好きで、休日には有名店を巡るのが趣味だった長谷川さん。その傍らにはいつも親友の山本さん(仮名)がいました。2人は小学生のときの同級生で、同時期にラーメンにハマり、ラーメンについて語り合う最高のラーメン仲間。山本さんは食べるだけでは飽き足らず、自宅で自作のラーメンを研究するほどの熱の入れようでした。 

 

「山本、お前のラーメン、店の味を超えているよ」山本さんのラーメンを食べて感動した長谷川さんに、夢が芽生えました「俺が退職金をもらったら、お前の味で一緒に店をやろう」。それは、長年の約束でした。 

 

粘り強い説得に、妻も最終的には折れて夫の定年後の夢を許すことに。「退職金の半分、1,000万円までなら。残りは私たちの老後のために、手を付けないで。それが条件だからね」妻はついに首を縦に振りました。 

 

長谷川さんは退職金から1,200万円を元手に、駅近くの好立地な店舗物件を契約しました。約束より200万円も多い出費に妻は眉をひそめましたが、「立地が一番大事なんだ!」と聞く耳を持ちません。 

 

開店準備は、長年の夢が形になる高揚感に満ちていました。こだわりの国産素材を探し回り、山本さんは寸胴鍋の前で試作を繰り返す。その楽しそうな姿に、妻の不安も少しずつ和らいでいきました。 

 

息子の助言で始めたSNSでの宣伝が功を奏し、オープン初日からそこそこのお客さんがきてくれました。無化調スープに麺、チャーシュー、メンマ。一度来店した客が山本さんの味を求めて再訪してくれるなど、出だしは上々です。 

 

 

順調な滑り出しで上機嫌でしたが、2ヵ月、3ヵ月と経つと経営に暗雲が。 

 

「お客さんもそこそこ入ってて売上は出てるのに、ぜんぜんお金が残らない……」頭を抱える長谷川さんと山本さん。 

 

開店直後は忙しさで余裕がありませんでしたが、改めて経営を振り返ってみると、たくさんの問題点が浮かび上がってきました。こだわりの食材によって原価率は50%超え、立地のよさゆえの高額な家賃、スープの仕込みにかかる光熱費。さらに人手不足でアルバイトの時給も高止まり。定休日をなくして営業日を増やしても、利益はほとんど出ませんでした。 

 

そんななか、山本さんとの関係もぎくしゃくしていきます。 

 

「毎朝早く来てスープを仕込んでいるのは俺なのに、なんでバイトみたいな仕事しかしてないお前が俺と同じように毎月20万円も生活費として持っていくんだよ!」山本さんの不満が爆発しました。これに対し、長谷川さんが「誰が出資したと思ってるんだ! 俺が金を出したからお前は好きなラーメン作りができていたんだろうが!」と返したことから収拾がつかなくなります。 

 

やがて言い争いは日常化し、オープンから10ヵ月後、山本さんは「もうやってられるか。店を辞める」と言い残して去っていきました。 

 

その後、長谷川さんは山本さんのレシピを参考にスープを炊き、麺を打とうとしましたが、あの深みのある味はまったく再現できません。SNSの口コミには「味が落ちた」という辛辣な書き込みが増え、店のサイトの評価は下がり、常連客も離れていきます。そして開業から1年半後、店はひっそりと閉店しました。 

 

最終的に、開業資金1,200万円はすべて使い切り、閉店にかかる原状回復費や未払いの税金・光熱費の支払いなどでさらに数百万円が消えました。手元に残ったのは、退職金のうちたった500万円。がらんどうになった店舗で、一枚の解約書にサインをする長谷川さんの表情は、苦悶に満ちています。 

 

これからは、心許ない資金で老後の生活を送らねばなりません。 

 

 

定年後の起業は、生きがいを得て収入も得ることができ、人生をより豊かにすることができる選択肢です。一方で、計画的に準備をして始めなければ長谷川さんのように老後資金を食い潰してしまう可能性もあります。 

 

まず、長谷川さんは出資する前に、これからの生活に絶対必要な資金を見える化しておく必要がありました。そのうえで余剰分だけを事業資金として使うことで今回のようなリスクは回避できたでしょう。 

 

また、 自己資金だけでなく、借入も活用すべきでした。「借金は怖い」と考え、すべてを自己資金で賄おうとする人も少なくありません。しかし、計画的な借入を利用することは、万一の撤退時にも自己資産を守ることにつながります。 

 

加えて、初期投資が大きい飲食店をいきなりオープンしたこと。選択肢として、空き店舗や自宅の一部を改装したり、キッチンカーから始めたりするなど、初期投資を抑えて始める手段もあったのです。 

 

ライフプランと老後の資金計画、そして事業の資金計画をしっかり立て、かつ理想にできるだけ近い形で実現できるような事前のリサーチが足りていませんでした。できる限りローリスクで始めることができるよう、創意工夫と知識・情報の収集が非常に重要です。 

 

「友人と始める起業」の恐ろしさ 

 

中小企業庁の「2022年版 中小企業白書」によれば、60代以上の開業率はここ10年で増加傾向にあります。長谷川さんのように、退職金などのまとまった資金を元手に開業するケースが目立っています。一方で、起業後3年以内の廃業率は約50%にのぼる点も見逃せません。 

 

もし長谷川さんが、退職金の一部を生活資金としてしっかり確保し、第三者の専門家とともに事業計画を立てていれば、たとえ事業が失敗しても、老後生活にこれまでの深刻な打撃はなかったかもしれません。 

 

また、「友人と始める起業」は、友情とビジネスの境界が曖昧になり、トラブルに発展しやすいのも事実です。役割分担、報酬、責任等を明確にしてから始めるべきだったことは明白でしょう。結果、長谷川さんはお金も長年の友人も一度に失ってしまいました。 

 

本当に大事なことは「開業すること」ではなく、自分たちが提供するラーメンで多くの人に喜んでもらうことの満足感と、自分たちが望む生活を送るための収入を確保できることでしょう。夢の実現のためには計画が重要、人生のお金も事業のお金も計画的に考えて、最大限やりたいことを実現していってください。 

 

小川 洋平 

 

FP相談ねっと 

 

ファイナンシャルプランナー 

 

小川 洋平 

 

 

 
 

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