( 317378 )  2025/08/19 05:55:07  
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調味料メーカーのミツカンが、Xで投稿した内容が物議を醸している(写真:Rise/PIXTA) 

 

 調味料メーカーのミツカンが、Xで投稿した内容が不適切だったとして、削除のうえ謝罪した。 

 

 「冷やし中華のつゆ」販促のために、つゆだけをかけた具なしの麺を写真付きで紹介したのだが、ネットユーザーから「女性蔑視だ」といった批判が出たためだ。 

 

 炎上に至った背景には、そのタイミングで「料理の負担」をめぐる論争が、SNS上で行われていたことがあった。 

 

 しかし筆者は、さすがに削除までは行きすぎだと感じる。そこで今回は、ミツカンが「過剰な反応」をしたと考える理由を話したい。 

 

■背景にあった「そうめん論争」 

 

 ミツカンは2025年8月13日、Xで「冷やし中華なんてこれだけでも充分美味しいです」との文言とともに、同社の「冷やし中華のつゆ」を中華麺にかけた写真を投稿した。具材がなくても、つゆだけで冷やし中華は成立するという内容だった。 

 

 しかしミツカンは15日、「当社の8月13日の投稿により不快な思いをさせてしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます」と謝罪。あわせて「これだけでも充分美味しい」の投稿を削除した。 

 

 なぜ削除することになったのか。 

 

 背景には、数日前からSNS上で議論されていた「そうめん論争」がある。簡単に言えば、「そうめんの調理が楽か否か」の話題において、「薬味を添えたり栄養バランスをととのえたりするから大変だ」とする人々と、「ゆでるだけならさほど手間ではない」とする人々が真っ向から対立していたのだ。 

 

 そして、その言い争いは、単なる「料理としての完成度」の域を超え、「家事負担が多い傾向にある主婦に同情的か否か」といった対立構図のもと、拡散されていった。その結果、ミツカンの投稿は「女性蔑視だ」として批判の的になったのだ。 

 

 謝罪文でミツカンは「当該投稿は、暑い日でも、手軽にごはんを楽しんでほしいと、日々頑張っている人たちの後押しになったらという思いで、夏季休暇の時期に合わせて投稿を企画していたものでした」と説明。今後は発信内容に一層の注意を払うとした。 

 

■謝ることによるデメリット 

 

 謝罪文に対して、SNS上では「なにがダメだったのか」「問題ない投稿だった」といった好意的な反応も少なくない。しかし、一部からは「削除は当然だ」「こうした内容が問題ないと感じるセンスに問題がある」といった批判も続いている。 

 

 

 筆者はネットメディア編集者として、これまで多くの「企業SNSによる不適切投稿」を伝えてきた。その感覚から言うと、今回のミツカンの投稿については「過剰反応」といった印象を覚える。ハッキリ言ってしまえば、謝る必要などなかったと感じるのだ。 

 

 むしろ謝ることにより、今後の企業活動や「広報SNS界隈」に大きな制約が加わる可能性が高く、むしろリスクだらけだとまで推測している。では「謝らなくてよかった理由」を説明しつつ、謝ることによるデメリットをひもときたい。 

 

 それにはまず、そもそもこの投稿は「そうめん論争」を冷やかしているのか、ということから考える必要がある。広報担当者はおそらく、その文脈を意識していただろう。ただ、投稿では直接の言及はない。 

 

 つまり「におわせ便乗」であることは、ほぼ確実なのだが、直接明言をしていない以上は「論争に一石を投じた」とする判断材料に乏しい。 

 

 状況証拠からグレーでしかないものを、安易に「クロだ」と決めつけることの危うさは、改めて説明するまでもないだろう。 

 

■謝罪自体が「女性軽視だと認めた」ようなもの 

 

 もちろんミツカン側にも落ち度はある。「冷やし中華なんて〜」という言い回しは、謙遜のつもりだったのかもしれないが、結果的に料理をバカにしていると思わせた。本来ミツカンが訴求したいのは、「具材なしでも冷やし中華が成立するほど、存在感のあるつゆ」だったはずだ。 

 

 しかし、どこか「具材を用意する人を見下しているような印象」を与える表現になってしまった。調味料メーカーが、消費者へのリスペクトに欠けているとなれば、それは批判の的になるだろう。 

 

 ただ、その敬意が向く対象は「あらゆる料理の作り手」だ。バッシングには「男尊女卑的な表現だ」といったものもあったが、その考え自体が「料理を作るのは女性だ」といった偏見をはらんでいることを忘れてはいけない。 

 

 その点、ミツカンの投稿は、特定の性別に言及したものではない。また謝罪文においても、「日々頑張っている人たち」に向けた投稿だったと説明されている。 

 

 しかし削除することにより、「女性軽視だと認めた」ように見えてしまう。老若男女を問わない表現である以上、たとえ炎上したとしても、ここはスタンスを貫くべきだっただろう。 

 

 

■「キャンセルカルチャーの成功例」となってしまった 

 

 そして、今回のミツカン側の対応で、一番大きな影響になりそうなのが、謝ったことにより「キャンセルカルチャーの成功例」として記録されてしまうことだ。キャンセルカルチャーとは、好ましくない表現をしたとされる個人や企業などを否定して、不買運動などを行うことを指す。 

 

 あくまで「好ましくない」は主観的なものであるが、削除や謝罪などの対応を行えば、客観的な事実となってしまう。すると、以降はその対応を基準に、あらゆる評価が行われることになる。ミツカンの件も同様に、テストケースとして扱われるだろう。 

 

 これが単に「ミツカンのやらかし」と思われるのであれば、まだ救いがある。姿勢を問われるのが、ミツカン単体だからだ。しかし、それだけにとどまらないのが、キャンセルカルチャーの常だ。 

 

 今後もし同様の事例が、他社で起きた場合、その企業はどのような向かい風を浴びるだろう。おそらくは「ミツカンは謝ったのに、なぜお前たちは謝らないのか」となるのではないか。そうした批判を突きつけられたとき、企業は強気の姿勢を保てるか。 

 

 そもそも、その手前で「批判が起きないような発信を」と、自主規制によってブレーキをかけてしまうこともあるだろう。どれだけ現場の広報担当者がノリノリでも、上層部からの「ヘマするなよ」といった重圧があれば、安全側にレバーを引くことは十分有り得る。 

 

■SNS運用の肝 

 

 一度こうした「前例」ができると、あらゆるSNSマーケティングに影響が出てしまう。そう考えると、やはりミツカンの削除対応は得策ではなかったと思われる。 

 

 よくネットスラングでは「消せば増える」と言われるが、削除することで「それだけ問題のある内容だったのか」と興味を持つ人が増え、より火に油を注ぐことになる。消せばそれで終わりではないのが、SNS社会の難しいところだ。 

 

 そして、最も大切なのは、「途中で断念するくらいなら、最初からチャレンジしない」ことだ。ミツカンの投稿時点で、そうめん論争はすでに「そうめん調理は重労働か」から、「男女の家事負担」に争点が移っていた。 

 

 

 つまり、このタイミングで、この内容を投稿すれば、一定数のバッシングが来ると、容易に想定できたはずなのだ。そうしたリスクを背負ってもなお、攻めたプロモーションをするのであれば、それはそれで戦略のひとつとしてアリだろう。 

 

 しかしながら、結局すぐさま削除してしまった。これにより早期の幕引きにはつながったが、ネットユーザーには中途半端な印象を与えるのみ。「消すくらいなら、そもそも投稿しなければよかった」と感じさせてしまえば、企業としてのブレを印象づけてしまう。 

 

 SNSユーザーから投げかけられる「お気持ち」に、いかに向き合うかは、いまや企業のPR活動において、重要な要素を占めている。無視すればしたで、「消費者の声に耳を傾けない不誠実な企業」とのレッテルが貼られる。 

 

 やはり、こうしたケースでは「何を言われても曲げずに投稿を続ける」、もしくは「そもそもセンシティブな話題には触れない」のどちらかを取るのがベストだ。それが無理なのであれば、SNSを運用するのはやめたほうがいいだろう。 

 

城戸 譲 :ネットメディア研究家・コラムニスト・炎上ウォッチャー 

 

 

 
 

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