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「大卒」に意味がある「学歴社会」はもう終わり…東大中退のホリエモンが思う「日本で唯一行く価値のある大学」

プレジデントオンライン 8/19(火) 8:16 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/97d3e1a6595454968d2093a8988978b0b8dce6ea

 

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堀江貴文氏は、日本の学歴社会が変わりつつあると語り、「大学全入時代」において「大卒」という肩書きの価値が低下していると主張しています。

彼は「学校は不要」とし、学歴偏重主義が根強い日本社会に疑問を呈しています。

大学はブランドとしての価値しかないとし、真に価値のある大学は東京大学だけだと断言。

今後、AIの発展により、多くのホワイトカラーが職を失うと予測しており、企業の中で生き残るのは高学歴の一部に限られると述べています。

この見解から、東大以外の大学に行く必要はなくなっていくと考えているのです。

(要約)

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ranmaru_ 

 

日本の「学歴社会」は今後どうなっていくのか。実業家の堀江貴文さんは「大学全入時代となったいま、『大卒』という肩書き自体に意味がなくなってきている。今日本で行く価値がある大学は一つしかない」という――。 

 

 ※本稿は、堀江貴文『バカ親につけるクスリ これ以上ニッポンをダメにしないための教育意識改革大全』(主婦の友社)の一部を再編集したものです。 

 

■ホリエモン「学校は不要」 

 

 「学校は不要」と僕は断定している。また、僕ほど強い論調ではなくとも、学校制度の問題点はさまざまな人たちが長年指摘してきた。それでも、小・中学校から高校、大学と、学校という教育機関は現在に至るまで綿々と維持されてきた。 

 

 その背景には、根強い「学歴偏重主義」がある。未だに多くの日本人が学歴を崇拝し、学歴をより高くしようと奮闘したり、学歴で他人を値踏みしたりしている。 

 

 人材を採用する企業側も、現時点では依然として、人材を選ぶ際に学歴でフィルタリングすることが多い。 

 

 だが、こうした学歴の役割も、近い将来崩壊するのは間違いない。僕はずっと前から、「大学にはブランドとしての価値しかない。だから、東大以外に行く必要はない」と公言している。炎上しようが批判されようが、撤回するつもりはない。 

 

■大学は「ハイブランド」と同じ 

 

 偏差値の高い有名大学を出たからといって、その人が優秀な人材であるとは限らない。つまり大学とは、いわば「必ずしも実態の伴わない幻想」と化している。だから「大学はブランドに過ぎない」のだ。 

 

 そういう意味で大学は、ルイ・ヴィトンやエルメスなどの「ハイブランド」と同じだ。ハイブランドの価値が失われないのは、作り手・売り手と買い手とがブランドの価値という幻想を作り上げ、お互いにそれを信じ、ビジネスとしているからだ。 

 

 彼らは「ハイブランドの品を持っている」という「ステータス」を売り、それを欲する人が買う。「ブランドのステータスなんかいらない、自分に似合うかどうか、機能性は高いかどうかなどのほうが大事だ」と考える人は買わない。シンプルな需要と供給の話なのである。 

 

 

■真に価値がある大学は東大だけ 

 

 大学に関しても、「大学に入学した」あるいは「大学を卒業した」というブランドステータスが欲しい人は、大学に行けばいい。 

 

 ただし現在は、進学先を選ばなければ大学に入学できる「大学全入時代」に突入している。2024年度の全国の国公私立大学の総入学定員に対する定員充足率は、98.1%と、記録が残る10年度以降初めて100%を切った(文部科学省調べ)。私立大学に至っては59.2%が入学者の定員割れを起こしている(日本私立学校振興・共済事業団調べ)。 

 

 かつて、大学への入学あるいは卒業自体がブランドステータスだった時代はたしかにあったが、それはとっくに終わっている。 

 

 となると、「どんな大学でも行く価値がある」わけではない。しょうもないブランド品を持つ必要がないように、ブランド価値が低い大学には行く必要がない。 

 

 せいぜい「入学志望者が殺到するような上位の名門校なら、まだ行く価値がある」ということになる。大学側としても、特に上位の名門校に関しては、今後ブランドビジネスに突き進む可能性が大いにある。そうなれば、「名は知れていても教育の中身はない」という、教育機関としてあるまじき事態も出てきそうだが。 

 

 日本で真にブランド価値のある大学は、東大くらいだ。だから、「大学に関するブランドステータスが欲しい」と考える人は東大に行くべきであり、むしろ東大以外なら行く必要はない。 

 

 以上が、「大学にはブランドとしての価値しかない。だから、東大以外に行く必要はない」と僕が断言する理由だ。 

 

■ホリエモンが東大を卒業せず中退したワケ 

 

 僕自身は、「東大中退」という学歴である。わざわざ時間をかけて卒業しなくても、「東大」というブランド価値はすでに手に入れることができた、と感じたから中退した。 

 

 親を含む周囲の人たちからは、「せっかく東大に入ったのに、中退するなんてもったいない」「卒業はしておいたほうがいい」などとさんざん言われ、心配された。 

 

 しかし日本社会においては、「東大に入学することは難しい」という共通認識が世間に浸透しているため、東大に入学した人物だというだけで十分「箔」はついた。それは中退しようと卒業しようと変わらない。だから、「やっぱり東大を卒業しておけばよかった」などと後悔したことはない。海外の大学の場合は、入学よりも卒業のほうが難しいため、こうはならないが。 

 

 とはいえ僕が東大に入ったのも、中退しても箔はついたなと感じたのも、「学歴偏重主義」最盛期だった頃の話だ。ちなみに僕は1972年生まれなので、団塊ジュニア世代であり、受験戦争は今よりも厳しい時期だった。 

 

 

■「学歴フィルター」はやがてなくなる 

 

 「そうは言っても、企業に『ホワイトカラー正社員』として入社するには、やっぱり学歴が必要でしょ」という反論が聞こえてきそうだ。 

 

 もちろん就活の現場では、学歴によって応募者をふるい分ける「学歴フィルター」が存在している。たとえば何万人分ものエントリーシートが送られてくる大企業は、人数を絞るために学歴を選考の手段にしているし、エンジニアを採用したい企業は、応募者が大学で何を専攻してどんなスキルを持っているかを確認する。 

 

 ただしそれは、これまでの話だ。これからは、ホワイトカラー正社員なんて過去のものになる。就活自体が激変するのだ。 

 

 そもそも、なぜ会社が設立されるのかといえば、投資家からお金を募るためだ。会社は個人よりも信頼があるため、お金を集めやすい。資金は成し遂げたい大きなプロジェクトを遂行するために用いられ、そのひとつの例として、給料を支払って労働者を雇っている。労働者は、労働力(知力)を切り売りすることで、対価(金銭)をもらう。 

 

 しかし、今まで当たり前に成り立っていたこの構図も、今後は変わっていく。 

 

■AIに多くの人が仕事を奪われる 

 

 インターネットや産業ロボット、そしてAIの発達により、昔よりも労働力が必要ではなくなっているからだ。今後、ホワイトカラーの9割は仕事を失うことになると僕は予想している。 

 

 企画書やプレゼン資料、プレスリリース、議事録などの書類作成、情報収集、営業事務、会計処理、メールのやりとり……。こうした知的労働や事務作業など、今まで人間の手作業で行われてきた仕事の多くが、AIで代替可能になった。 

 

 つまりこれらの仕事をしている人たちは、まもなくお役御免となる可能性が高い。日本の全労働者の4割以上がホワイトカラーなので、その9割となると、労働者の約3人に1人が職を失うことになるわけだ。 

 

 企業の「ホワイトカラー正社員」でいられるのは、一握りの経営幹部と、将来の経営幹部候補だけである。 

 

 そしてこの「一握りの経営幹部」と「将来の経営幹部候補」は、結局のところ東大卒レベルの「超高学歴」で頭のいい奴しかなれない。 

 

 やはり、東大以外の大学に行く必要はないということだ。 

 

 

 

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堀江 貴文(ほりえ・たかふみ) 

実業家 

1972年、福岡県生まれ。ロケットエンジンの開発や、スマホアプリのプロデュース、また予防医療普及協会理事として予防医療を啓蒙するなど、幅広い分野で活動中。また、会員制サロン「堀江貴文イノベーション大学校(HIU)」では、1500名近い会員とともに多彩なプロジェクトを展開。『ゼロ』『本音で生きる』『多動力』『東京改造計画』『将来の夢なんか、いま叶えろ。』など著書多数。 

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実業家 堀江 貴文 

 

 

( 317612 )  2025/08/20 05:41:25  
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このスレッドには、大学教育の意義や将来の学歴の価値についての多様な意見が寄せられている。

特にホリエモンの「行く価値があるのは東大だけ」という発言に対する反発や賛同が見られる。

 

 

1. **大学の自由と人間形成**: 多くの意見では、大学時代の自由な時間や人間関係の形成が強調され、単に学歴を重視するのではなく、学びの過程や経験が重要だとする立場が示されています。

 

 

2. **学歴の価値の変化**: 学歴が企業での待遇に影響を与えることに疑問を抱く声が多数あり、特にAIの進化により学歴だけでは競争に勝てない未来を見据えた意見が多い。

新たなスキルや適応力が求められることが指摘されています。

 

 

3. **専門的な技能の重要性**: 一部の発言者は、理系の教育や専門的な技能が重視されるべきであり、大学は単にブランドとしての価値だけではなく、専門知識を学ぶ場であるべきだと主張しています。

 

 

4. **多様性の必要性**: 大学の多様性とその役割を支持する意見も多く、つまり特定の社会的役割を果たすためには多様な教育機関が必要であるとの考えが強調されています。

 

 

5. **社会人としてのスキル**: 学歴が直接的な職業能力に結びつかない場合も多く、卒業論文や自主的な研究の重要性が言及され、単なる学歴の積み重ねではなく、実践的な能力が求められています。

 

 

(まとめ)全体として、大学教育は単なる学歴を超え、個々の人間形成や専門的なスキルの習得、生涯学習の場であるべきとの考えが反映されている。

学歴の重要性が揺らぎつつある今、大学の役割や教育のあり方について再考が必要とされている。

( 317614 )  2025/08/20 05:41:25  
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=+=+=+=+= 

 

ホリエモンがいうところの行っても仕方ない私学の卒業生の60歳台のおじさんです。 

大学時代は好きなスポーツも研究したい課題にも没頭でき、アルバイトでもいろいろ体験できて、貴重な友人もできました。 

何よりも自由があった。 

今の大学生みたいに3回生から就活することもなく、4回生までしっかり大学生活を送ることができました。 

最高学府と言われる大学、人間形成の大切な青春のとき、その存在の意味が今、ホリエモンの考え方のようになっていくことに寂しさを 

覚えます。 

大学のあり方は人間のあり方のように 

思います。自由闊達さを失い、国策、企業のためだけの存在するようになってはならないと思います。 

 

▲1219 ▼263 

 

=+=+=+=+= 

 

ホワイトカラー、ブルーカラーとか言う言葉がそろそろ死語になりそうですね。 

高校と就職の中継ぎで大学へ進学する慣習は時間もコストも失う物が多すぎるので確かに止めた方が良いと思います。 

 

ただ社会人になってもリスキリングのニーズは高まっているように感じます。大学と企業が連携して現場の人間が仕事に必要な専門知識を速やかにアップデートできるシステムがあれば大学の存在価値もあると思います。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

東大が日本で一番のハイブランドであることは間違いないが、一番でないと全く意味がないかというとそんなにゼロイチの世界ではないのでは?時計だって、格ではトップと言われるパテック・フィリップでないと他はすべて意味ないのか?と言われたら異なるように。オーデマ・ピゲ や、さらに広く有名なロレックスが好きな人もいるでしょう。逆に大学のブランドに意味がないというなら、東大自身も意味をなくす。 若干、言っていることが自己矛盾を起こしているような気がする。逆に、大学での真の学びは依然として大切だと思う。AIを作ったのだって、恐らく世界のトップ大学に入ってその後も研鑽を積んだ人たちでしょう。東大に合格しただけでその後、専門的な勉強をしていない人ではとても作れないのではないか。関連の派生ビジネスなどに若干の出資はできるようにはなるにしても。 

 

▲674 ▼97 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は高卒で就職して19歳で結婚しました。妻が9歳年上で国立大学を卒業しています。 

両親も国立大学を卒業しているので(同じ大学で出会った)あまり口にはしませんでしたが、大学には行ったほうがいいという雰囲気はありました。 

ですが、追究したい分野があまりにもサブカルだったため、大学に行くよりは就職してお金を稼いで独学したいと考えていました。 

 

妻とは高校生の時からの付き合いでしたが、妻からは大学進学よりは就職したほうがいいと助言もあったことと、そう言ってくれた妻と一緒に生きていきたいと結婚も意識しました。 

 

40代になった今でも隙間時間に勉強して、成果物は同人イベントで頒布しているので、それなりに学問を楽しんでいます。 

家族の理解や妻の応援があったおかげで大学に行かなくても好きな研究ができていますが、自分みたいなのはレアケースなんでしょうね。 

 

▲43 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

卒論書くところまで行ったことのない人が大卒を語るものじゃないと思う。大学は、これからの人生において自分が自由に学び、それを語るためのノウハウを身に着けるところだと思うので、卒論を書くプロセスを経験していないと話にならない(その点、高専は卒研をしっかりやって卒論を書くので良いと思う)。 

大学そのものは、ちゃんと卒研ができるところならどこでもいいと思う。 

裏を返せばちゃんと研究に取り組むことのできない大学が星の数ほどある。動く歩道のごとく半自動で進んで、気づいたら卒業していた、という人も後を絶たない。そういう大学だと初めから承知の上で起業準備にいそしむならともかく、ただヒナのように口を開けて待っているだけの人間なら、そのままのポーズで就職先まで行ってしまうだろう。 

 

▲898 ▼191 

 

=+=+=+=+= 

 

日本では高校を卒業することは義務ではないけど、日本人の大多数は高校を卒業する。当然、社会で中卒の人が絶対高卒の人より上にいけないなんてことはないが、可能性を広げるためにいく。 

大学に行くのもさらに可能性を広げるため。基礎学力の向上、専門知識の取得は大切。受験や大学の一般科目試験でこんな知識が世の中で役に立つ?と思うようなことでも試験日までに工夫して覚えるプロセスは自分を成長させる。 

企業は新卒の大卒を高卒より高い給料でとるのもそういった経験がある人がほしい、いい人材を獲得する可能性を広げるため。 

なりたい職業によっては大学より高卒や専門学校の方がいいし、 

偏差値や先行した学科によって社会で役立つ差がでることは間違いない。だけど、どこの大学でも行くことに価値がなくなることはない。 

 

▲89 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

大学で見れば東大等の国立だけかもしれませんが、秋田の鉱山や信州の繊維、長崎の熱帯医学などはとても価値のある学部で国内よりも海外で評価されていると思います。 

どこの大学であろうと「カリキュラム」を踏まえた目的で進学することは価値があると思います。 

それ以外の場合本質的には価値が小さいかもしれませんが、海外でビザを取るときは学歴は極めて重要なポイントになり、東大中退よりもどこかの卒業にこそ価値があります。 

 

▲450 ▼42 

 

=+=+=+=+= 

 

その方が、何を大切にして生きるのかによると思いますけどね。ある女性のお話ですが、卒業後に出身大学を聞かれて正直に「東大です」と言うと、その瞬間から壁が築かれる、と言って、ずいぶん後悔されたとか。 

それでも、自分が目指して、積極的に選んだのであれば、まだ後悔の念は軽くなったのかもしれません。こんなことなら、私学にしておくんだったとか。 

自分から好きになったブランドならいいんです。でも、堀江さんの言うブランドって、周囲の視線を引き付けるためでしょう。なんだかんだで、彼は注目されることが好きなんだろうね。 

 

▲12 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

自分は三流大学出だけど、大学に行った価値は十分にあったと思ってるよ。 

自分の通った大学は入るのはそんなに難しくはなかったけど、きちんとした教育をしてくれ、単位を取るのも厳しかった。 

そこで必死に勉強したことが今確実に役立ってると思う。 

確かに学歴自体に意味はないと思うけど、教育内容には意味はあると思う。 

 

▲482 ▼31 

 

=+=+=+=+= 

 

理系の専門分野の勉強をするには、大学に行かないと難しいと思います。一人で専門書を読んでも理解するのに時間がかかるし、ネットで見られる内容は、一般的なことだったり、内容が薄かったり、やはり限界を感じると思います。先生、同僚と議論したりして、考えたりして、理解を深めるような大学の場は、必要だと思います。 

 

▲198 ▼10 

 

 

=+=+=+=+= 

 

理想はやりたいことがあれば、それを叶えてくれる可能性がある大学なり学科にいけばよい。 

 

やりたいことを探しに行くための大学進学でも良い。 

 

要は、生きていく術を見つけられるなら、大学なり、専門学校なり、弟子入りなり、何でも良い。 

 

学歴社会は、人を峻別する物差しとして楽だっただけ。 

 

結果、それに囚われる理由は、比較的に楽して、生活が出来るようになるためだけ。 

 

それに囚われず、清貧でもよければ、純粋に学問を楽しむのもありです。 

 

▲224 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

今50代だけど今思うと学歴だけを求めるだけに大学いくなら、あまり意味はないのかもしれないけど、大学時代は必ずしも学問だけじゃないしあの10代20代での自由な時間がものすごく大きかったなあと思いますね。 

自分の奥さんとも知り合ったのもこの時だし。 

あの大学時代の時間が人生にとって貴重な時間だったと今更ながら思います。学歴社会は薄くなっていくだろうけど大学時代は経験したほうが良いと個人的には思いますよ。 

 

▲130 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

企業側の待遇も大卒と高卒で差をつけすぎてるのも問題だと思う。 

4年間かけてその仕事を専門的に勉強してきた人を高待遇するのは当然だが遊ぶことだけを覚えてきた人でも一括りで大卒にしてある。生涯年収を考えれば三流大学だろうが出たくなるのも当然だ。 

高卒は不出来、大卒は一般的という固定概念を捨てないといつまでもこのままだと思われる。 

 

▲90 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

ホワイトカラーの仕事はAIに取って代わる時代は来る。資本家+AIVS労働者と言う構図に変わるが、資本家+AIの時代にり労働者が不要になる、アメリカのある会社はAIエージェントのみで会社運営している。AIは権威主義を無くし平等な社会を目指すツールかもしれない。人が働かず、AIに稼ぐ方法を考えさせ実行させればいいことになる。と言う様な考え方も成り立つ。 

 

▲12 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

勝手な理論だと思いますが、ようは高卒であれ、専門卒、大卒、大学院卒、また卒業できないかった人それぞれ学歴はありますけど、 

大事なのは社会に出てどうしているかだと思います。学生生活でスポーツやサークル、勉学、生涯の友など人間形成の場です。 

勤務先でホリエモンが言う、唯一行く勝ちある大学の卒業生が新入社員で入社してきましたが、勉学は出来るが社会人としての常識がなくあっという間に退職しています。 

学歴はもちろん大事で、学歴は必要な場合もあるが、人を否定してはいけない。 

 

▲44 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

昭和生まれ平成育ち40代男です。 

私の時代は【1本の決まったレールの上を歩く人生】が大多数でした。 

そのために、”大卒”であることが重要でした。 

しかし、私が就活をした時に人気上位だった日本企業の多くは見る影もなく凋落しています。 

 

現在は、レールが1本では無く無数にあり、その中で【今の自分】にとって最適なレールを見極める力、そして必要のたびに臆せず新しいレールに乗り換える胆力が重要だと感じています。 

 

企業はもちろん個人でさえも【安定】なんてない中年以降には大変な世の中ですが、若い世代はしっかり順応していけるでしょう。 

ただ、親が上記したような古い価値観で子を縛り付けてしまうと大変かもしれません。 

 

▲61 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

取扱商品が何であれ、時代を投影する商品とやり方を先んじて市場に送り出した点で、卓越した商才に恵まれていたのは間違いがないし、金が回るから人も近づいてくるし、さらにチャンスは拡大したんだろう。 

 

しかし卒業と中退はかなり違う。 

 

自分が定めた基準に到達すれば途中で関係性を放り投げる人と、そうでない人。 

中退を決めた時にさんざん止められた、その周りの人たちの気持ちはどうだったんだろう。身内だからその後も関係性は続くが、他人なら心は離れる。特に金だけでつながる世界では顕著なんだと思う。 

 

そんな極めて日本的な浪花節をものともしない発想と行動と発言で、成し遂げることなしに関係性を維持しながら走る人生もこれまた立派なもの。 

でも何か、成功!と言えるものを残して欲しいものだ。 

 

▲24 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

うちの子は、逆上がりができるようになったとき、最高の笑顔を見せてくれたよ。 

もう、生きててよかったーって思えるようなやつ。 

価値があるかどうか。 

物の価値は金銭でも算定可能だけど、生き方の価値ってなんだろう。 

 

それは、誰にも応えることのできない問いなのかもしれない。もちろん堀江さんにも。 

 

けど、人がその短い一生の中のある程度長い期間を過ごすその時間について、他者が価値の有無についてあれこれ言うものではないんだろうな。 

 

逆上がりができたとき子どもの笑顔のような、何と言うか、「絶対善」がところどころにある人生。私はそれを、価値のある人生だと思うよ。 

 

▲31 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

今の大学も昔の詰め込み教育とは違い学びかたも変わってきている、学生同士の対話を通じ、ビジネスとして実践的な教育を重視しており、学部も専門的なものが増えた、例えば看護学部なら、通常は専門学校で学ぶのだが、大学の学部に組み込まれていたりしている。大学で学ぶ事は優良企業に面接を受けられる切符は一応もらう事は可能だが、実力は大卒だからとは関係はない、中途半端な大卒プライドを作り、企業に過剰な期待をして離職していく若者を作るなら、今の日本は、人手不足なのだから、本当に意味のある大学だけに絞ったほうがよいのては 

 

▲11 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

これからの社会でさらにAIは進歩し、人間が担う事務仕事は急速に減少していくだろう。大卒であるか否かの問題ではなく、決められたこと、覚えたことをアウトプットするだけの人は淘汰されていく。私の周りの東大卒の人間でも、そういった人間が腐るほど存在する。覚えたことをただひたすらアウトプットさせるだけの子供の小学校受験や中学校受験に血眼になっている、AIが世に出てくる前に生まれた親たちは、AIが発展していく未来を明らかに見誤っている。むしろ問題はそちらではないか。日本において、自ら仕組みやルールを作れるような創造力を鍛える教育が早く重視されることを祈る。 

 

▲12 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

会社を経営し従業員を雇う側とすれば、上から言われた、与えられた目標に向かって努力を続けられる能力かわ有るかどうかを見極める、明確な数値として現れたのが学歴で、仕事を覚えさせる事は企業の役割であり、その吸収力、応用力がどれだけ有るかの指標も学歴に掛かってくる。 

東大を出たから仕事が出来るとは限らないが、確率的には他の大学よりも高いのは明らかだ。 

そして、学歴エリートが持つ大学系列と言う人脈も、今原材料では仕事をする上で非常に有利に働く。 

AI化でホワイトカラーの多くは淘汰されるであろうが、AI には出来ない分野が生まれる筈だ。 

おそらくそれは、人間同士でしか生まれない関係性だと考える。 

 

▲114 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

ホワイトカラーもピンキリだが、社会の階層に合わせて組織のリーダーは必要だ。ピンの人材がどの階層でも通用すると思ったら大間違いだ。学歴だけを誇りにする人材は何処に行っても通用しない。直ぐに化けの皮が剥げて、相手にもされない可哀想な現実が待っている。各々の組織には雰囲気を大切に人材が大切だ。 

 

▲20 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

分野によっては他大のほうが研究や施設が整っていて優れているところもありますし、あくまでも堀江さんは文系レベルでのお話しをしているように感じますが、理系となると研究施設も必要ですし、専門知識もなかなか独学で得るなんてことも難しいでしょうから東大以外の大学は無意味ということはないと個人的には思います。また企業側も東大卒業だけを採用するなんてことをしていたら人員足りませんので大手企業も他大のランキング順に採用していくということは変わりないかと思います。堀江さんのように起業して成功出来る才能がある方はそれこそ学歴は関係ないかも知れませんが。 

 

▲144 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

大学でしかとれない資格を取得して資格を生かして学んだ専門分野で働いている。 

雨風をしのげる家に住み、家族を養えている。物価高でも食べさせて、習い事もさせてあげられる。 

 

これが高卒だった場合、今の半分以下の収入だったと思う。 

 

何を学び将来への活かし方の見通しが立つのであれば、東大以外の大学でもいいと思う。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

米国では、10年後も安定した収入が得られる仕事は、配管工、電気工くらいしかない、と言われている。 

この技術を得て、会社を立ち上げる人は勝ち組だそうだ。 

米国では全然足りないから。日本も同じ道を辿る。 

ホワイトカラーの競争は熾烈になる。 

 

日本は文系学部を減らして理系人口を増やした方が良いと思う。 

米国人の親族がボストンにある大学にいるけど、近隣の他大学の学生や教授達から学んだり、情報を交換したり、有名企業からの高額バイトを紹介しあったり、とても有意義に過ごしている。おそらく、理系は日本も同じだと思う。 

専門性を活かしたい人に大学は必要。 

 

日本のFランから米国アイビーで博士号とっている人を沢山知っている。米国は、その後の努力が評価されるからだ。 

30代以降にアイビー卒を自慢する人は稀。競争社会で、その人が今何をしているかが評価されるからだ。 

東大中退が箔になる日本を含むアジアの方が特殊。 

 

▲95 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

文系については、全ての学生に対し、4年夏に一斉に国家公務員のキャリアに相当する教養試験を受験させる仕組みが必要。 

高校までは学習指導要領の縛りがあるが、大学は各校の裁量で卒業要件が決まる。しかし、これは覆せない。ただ、人文、社会、自然関係無く、社会人としての必要な教養を身に付けることは大学の義務なので、一斉教養試験の受験を課す。これで、ある程度卒業時の大学の格付けが可能となる。 

学校教育法第83条(大学の目的)には「・・・学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し・・・」と定めており。このうち「広く知識を授ける」と云うのが、大学が社会人としての必要な教養を身に付ける義務があることの根拠である。一斉教養試験を受験した学生の大学ごとの平均点で、大学の教育力を測定していけば、淘汰される大学が見えてくると思う。 

 

▲8 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう勉強がしたい、流されないようにしよう、と心積もりをもって進学したにも関わらず、あの4年間は何だったのか、と思うことしばしば。 

地方の国立大学。学生のための講義をする講師はいなかった。積み上がらない教養。それでも単位が取れればいいか、で進級。 

研究テーマは入学前、思い描いていたものとはかなり隔たりがあって、専攻をクジで割り振られ、よくわからないテーマの中で研究書を丸写しのような卒論で卒業。 

〇〇大卒、という肩書きだけ手に入れた。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

「学歴の役割が近い将来に崩壊する」という堀江氏の見解には賛同しがたいところがあります。 

 

社会に出ると、「人を教育する」という性質よりも「互いに選択する」という特性が重視されます。その意味で大学は、特定の領域に知的関心を持つ若者を集め、基礎的な知識を体系的に提供するとともに、共同作業を通じて仕事に必要なソフトスキルを養う場でもあります。 

 

加えて大学は「出会いの場」としての機能を社会に提供しています。冷徹に言えば、「良質な雇用」は個々人の事情によって異なるだけでなく、グローバルな産業競争が存在する以上、日本に限られた若者にしか行き渡らない希少な資源でもあります。 

 

したがって、社会に人材を供給する大学にも多様性やランクが存在せざるを得ません。適切な人材が集まり、新たな価値を創造するという社会の構造が変わらない限り、多様な大学が必要です 

 

▲28 ▼18 

 

=+=+=+=+= 

 

大学は研究機関でもあり学生は学士であっても研究手法の一端を「本来であれば」学びます。 

それは論理の積み重ねであったり仮定を実証するプロセスであって、それまでの記憶を重視する教育からは一歩抜け出た、真に課題を解決するための手法の基礎の基礎であるのです。 

故に、まともに卒論も書かせないような大学は、行くだけ無駄ということになるでしょうね。 

そして昨今は、単位が足りていれば卒業できるような大学も結構あるようで・・・ 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

一部の才能のある人や図抜けて優秀な人は、 

学歴は必要ないと思います。 

ただ、普通の人はないよりかはあった方が良いと 

思いますよ。 

大卒自体を否定して、必要がないというふうにしたら、 

知低レベルの低い人ばかりになってしまう可能性が 

出てきます。 

そうなってくると何をするのも手間がかかるし、 

犯罪も増えてくるでしょう。 

今までしないで済んだことが増えてきそうです。 

AIが出てきてAIに仕事を奪われるとのことですが、 

より便利になって、少子化対策にプラスの要素に 

なるかもしれません。 

日本人が購買力のない人たちばかりになったら、 

優秀な経営者も困るでしょう。 

 

▲51 ▼20 

 

 

=+=+=+=+= 

 

我が国の大学の多くはビジネススクールと化しており、教育研究機関として本来の大学としての機能を維持しているのは東大をはじめとする指定国立大学ぐらいと思われます。 

大学や専門学校、高専の在り方を今一度整理し、真にこの国の将来を担う人材を育成する機関としての大学を設立して集中的な資源投下と貧しいが優秀な人材の取りこぼしがない様すべきではないかと思います。 

 

▲75 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

大学を出ていませんのでよくわからないのですが、似たようなことなのかなと思いつくことがあります。 

私は工具を使いますが、例えばネジ回し一本にも110円から数万円まで色々あって、数万のネジ回しを持っていると職人として少しだけ気分も良いかもしれません。 

しかしネジを絞めるならば自分の締めたいネジが絞まれば良くて、その時ネジ回し選びには答えが生まれます。数万円が不要の現場もあるわけです。 

 

ひょっとすると大卒の世界には締めたいネジが良くわかってないということが通常で、よってネジ回しのブランド選びに異論が飛び交う、、この記事の騒ぎはそういうことではないでしょうか。 

 

▲73 ▼64 

 

=+=+=+=+= 

 

大学生が卒業論文を書かなくても卒業できるようになってから学卒の権威は失墜した。 

大卒というのは企業では即戦力とされ、将来の経営幹部候補である。 

しかし卒論を書いた経験のない大卒社員は高卒社員と代わらず、教えられたことを忠実に守って仕事に取り組むだけだ。4~5年すると研究熱心な高卒社員に成果で負ける者までいる。 

少し多くの専門知識があっても探求研究能力が未熟だから、それを実社会で活かせず、経営課題、営業施策、商品開発、政治的国際的交渉やコストダウンなどの重要かつ創造的な業務で成果を出せない。 

卒業論文を書き良好な評価を得ることを卒業の必須条件に戻すべきだ。 

 

▲17 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

彼の言う大学とは「頭の良さの証明ラベル」でしかない。だから、ラベル(東大入学)があればよく、卒業に意味が無かったので中退した、という理屈。 

彼は日本が主な活動範囲なのでこの理屈だが、世界の中では東大学部入学なんてブランドでさえない。彼の理屈で言えば、世界で活躍するなら東大でさえ行く必要のない大学だ。 

ここで分かる人には分かるだろうが、これは大学の一面でしかない。 

そもそも大学には色々な役目あるが、基本は高等教育機関だ。 

つまり、入学後何を成したか。成せるように学習し研究する機関だ。彼には取っては違う。 

また、アカデミアの人達が彼の言説を無視するのは簡単。論じるレベルでさえないから。アカデミアでは自分たちに関係ないことには徹底無視、そもそも関心が無い。(笑) 

実社会では確かに彼の考えは一定の支持を受けるだろうし、ある面では正しいのかもしれない。多面的に物事を考える教材としては意味はある。 

 

▲17 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

以前、タレント?のパックンが言ってました。 

彼は名門ハーバード大卒業ですが、彼は言うにはハーバード大に入学するには 

頭が良いだけでは入れないそうです。 

それは入学必須条件として、本人の日頃の素行を問われるのだと言ってました。つまり、いくら頭が良くても品行方正に近い日常生活を送ってる事を証明出来なければ、面接で入学は拒否されるそうです。これが本当であるなら、 

俗っぽい現代人にとっては勉強や試験よりも厳しい難関だと思えます。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

中退してるからこんな意見しか言えないのだろうか? 

そもそも大学で勉強する気がなく、大学をトロフィーとしか考えてないのだろう。 

 

大学で本人に学ぶ気持ちさえあれば、学べる事は沢山あります 

 

ホリエモンが言うように、AIが多くを賄う社会は来るとは思うが、AIベースにした社会になれば、それが崩れた時のダメージは計り知れない 

 

5月に起きた太陽フレアが、もしこの時にコロナ質量放出が地球に向いていたら、電子機器への甚大な影響があったと言われている 

 

必ず予測して対応を考えておく必要があるのが、不慮の事象です 

 

AIを基本にするも、多くの人間がAIに任せている業務の仕組みを理解していないと、かような時に取り返しのつかない影響が出ます 

 

ホリエモンは楽観主義なのか、この人の発言に危機管理と言う概念が感じられない 

 

▲20 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

話の方向性としては概ね同意できますが、「行く価値があるのは東大だけ」 「ホワイトカラーの9割はAIに代替される」というのは視野が狭いように感じますね。 

話に時間軸がないので具体性に乏しいです。 

100年後のことであればホリエモンさんの言うとおりかもしれないし、 

10年後であればホワイトカラーの9割がAIに代替されることはないですね。 

職業全体だとせいぜい1~2割程度ではないかと思います。 

もちろんプログラマーやタクシー運転手など特定の職業はAI化はもっと進むと思います。 

 

▲14 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

亡き父は東大を出て大手銀行で偉くなった。20年ほど前だったろうか、落ちぶれだした日本を憂いて、「日本は一体どうしてこんなになっちゃったんだ…」と父が呟いた。私が「日本を作ってきたのは東大卒の人間じゃないの?」と言うと、父は目を見開いて私の目をじっと見つめ、黙った。陽気でよく喋る父が突然黙って私を長いこと見つめた。私は父のプライドを傷つけ、遂に殴られるのかと一瞬怯えた。が、私から視線を逸らした父は、ずっと黙って何かを考えていた。 

 東大以外の大学に行く必要はないと言うホリエモン。東大卒レベルが「超高学歴」で頭がいいと言うホリエモン。そのような考え方しか出来ない彼は何と心が貧しく可哀想な人だろうか。 

 世の中の全ての人が幸せを感じながら暮らせる社会を追求し、それを少しずつでも実現できる人が、真に頭が良く最も優秀な人なのだと私は思っている。 

 

▲13 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

人種・民族・国籍・性別・年齢など本人が選べない属性による選別は差別である。採用にあたっては選抜をしなければならない、それは属性以外で評価しなければいけない。とすれば本人の努力で獲得できる「学歴・資格・経験」で、判断するしかない、評価の高い大学に入学できないのは本人の努力が足りないから、一流会社に入社できないのは学歴が低いからとなる。高学歴は、属性によらない差別なき社会で、人の選別基準としてこれからも機能していく。そして、この判定基準はなおもハードルを上げていく。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

東大はあくまでも国内問題です 

私は海外に住んでいた経験があるので言えるが、日本人は「考えをまとめるのがとても苦手」だし「資料の作成の完成度も低く、内容の説明も上手ではない」 

欧米人の頭の良い人は自分のやることが明確で説得力がある 

YouTubeなんかでも、とにかく日本語力がなく何を言いたいのか直に伝わってこない 

変な日本語が氾濫しているので優秀な翻訳ソフトでも変な英語が出てくる 

だって、そもそも、おかしな間違った文章なんだから、当然そうなる 

「これが我が社の新製品になります」じゃなくて「これが我が社の新製品です」と言い切らないといけない 

「なります」なんて表現はそもそも間違っている 

 

▲6 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

正しい部分と間違いがある。 

正しい部分は学士【大卒】の価値は無くなる。 

それは例え東大だろうが変わらない。 

堀江が言っている東大以外の大卒は、間違いでしか無い。 

AIの下りも勘違いしている。 

以前は工場勤務だとか、所謂知識をそんなに必要としない作業から不要になると言われていたけれども、AIの特性からして一番得意なのは知識ボリュームとその検索能力なので、要は東大含めた知識ボリュームとその検索能力を競う日本の大学入試での能力は、AIが一番得意とする分野なのではその能力で幾ら秀でていても余り意味は無い。 

例えば米国の大手法律事務所なんかは判例データベースを保有していて、それが即座に出て来るので、依頼者と裁判ではこういう判決が予測出来るので、この辺りで相手方と交渉しましょうかとなる。 

要は知識産業こそ置き換えられる。 

ただ大学院レベルの研究者なんかは、置き換えが出来ない。 

価値が有るのは修士以上 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

半分くらい同意ですが、大前提として、サラリーマンとか起業家も含めてだけど、研究以外の場所で働くことを考えている人にとってはそうですね。弁護士も会計士も大学に行く必要はないですよ。大学に行かないと医師のように免許が取れないなら別ですけど…。 

苦難の道だけど、研究者になりたい人だけ大学に行くようになった方がいいですね。学問にのめり込んで、身を滅ぼすくらいの情熱ある方だけでいいんですよ。そういう人を支援して欲しいんですね。頭のキレとか、回転なんか学問にほとんど役に立たないですからね。 

 

▲7 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

ホワイトカラーは「一握りの経営幹部」だけど事務的な仕事は全て人工知能が行う、という時代には少なくとも堀江さんが生きている間にはならないと思う。 

 経営幹部がこういう会社と協力してこういう製品をこれだけ生産してこういうふうに販売する、という判断をしたら、まずは、協力する会社がどういう会社でどういう点に注意してどの人をどういう折衝をするかを検討して、それを踏まえてその会社との協力関係を築かなければならない。 

 そういうことをするためにはインターネット上では公開されていない情報が重要になるし、人と人との信頼関係が重要になるから、全て人工知能がやってくれるとは思えない。 

 なので、中間管理職や有能な係員の役割がなくなることはない。 

 

▲29 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

日本でだけ働いて、生活していこうというのであれば記事の内容も理解出来ます。ですが、世界に目を向ければ話は別です。 

日本ではまだ学部を卒業して働き始める人が多いですが、ストレートに言えば海外では学部卒というのは低学歴の部類です。MSでも高学歴の内には入らないし、専門色の強い職業ではph.Dが当たり前です。 

残念ながら、日本はこれから更に貧しくなり、海外で働く選択肢を持つならば、更に学歴がモノを言う世界がやって来るでしょう。 

 

▲32 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

なるほどです。ホリエモンの主張は、「大学に行けば安泰」という幻想を壊し、AI時代を生き抜くために自分で考え、動く力を持てという現実的なアドバイスだ。東大ブランドは現時点で有効だが、それも数年で価値を失う可能性がある。彼は強制ではなく、一つの考え方を提示しているにすぎない。ただ、率直すぎる物言いや他人を見下すような表現が誤解を招き、彼の本質的なメッセージが届きにくくなっているのは惜しい。AIが代替できない仕事とは、例えば起業やクリエイティブな創作、人間関係を軸にしたカウンセリング、共感力や表現力が求められるエンタメなどがある。つまり、“正解を探す”のではなく、“自分の価値を創る”ことがこれからの時代に必要なのだと思いました。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

全体としての趨勢はホリエモンのような道を辿るし資本家はその一部の経営幹部やその候補生さえも必要としないAIをベースにした企業体を作ると思います。また昨今盛んに開発されているヒューマノイドロボットもやがては現業業務をこなすようになるとなると、結果的に東大卒も不要だし中卒、高卒の現業職さえ不要になるでしょう。となると後は人間が敢えてAIに渡さない仕事を残す仕組みを政府が早々に法整備しないとほとんどの人は無職になり金が稼げず結局は政府の生活保護を受けて生きるしか無くなります。さらにその後AI資本家は富を独占し貧富の差は極大化しその結果、政府の機能が一部の巨大な財力の資本家の行動を制御できなくなり政府の財政も破綻し貧民は完全に生きて行けなくなる。最終的には巨大化した資本家と屍のような貧民が彷徨う世の中になると思います。そんなに遠い未来ではないと思うので世紀の時代転換点をライブで見ている凄い時代です 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「AIの普及でホワイトカラーが不要になる」はもっともらしい話だけれど、 

以前言われていた「インターネットの普及で商社が不要になる」と同じ程度の確度なのかな、と思いました。 

 

理論的には可能でも必ずそうなる訳ではないのが、未来予測の難しいところですね。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

4年間何も成果を残せず遊んで卒業した人は高卒より劣るという社会的認識を持ちましょう。 

大卒という枠に含めてはいけない人をしっかりと弾く取り組みを大学と連携して進めて行く必要があると思います。 

 

▲8 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

今やAIでも東大入試で合格点が取れるそうだ。でもAIが東大を卒業するのは難しいだろう。 

つまり「東大に合格したけど卒業できなかった」というのはまさにAIで置き換えられることなのだ。良かったね。 

 

▲13 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

最終学歴でその人の頭の良さ、ひいては仕事の能力も測れる、と主張する人がいる。 

それは、全ての人が同じ経済環境と学習環境を経ているという仮想的状況が大前提の話。 

実際には、中高一貫校から東大を出た人より、公立高校から東科大を出た人の方が仕事ができる、という事態は常に起こり得る。 

早慶の同学部の卒業生でも、一般入試で入学した人と付属上がりの人とでは、採用時の査定基準を変えている企業もあると聞く。 

また、「頭の良さ」を測る指標も多岐に渡る。 

大学入試で測れるのは主に認知能力だが、その多くをAIが超高精度で代替できるようになってきた。 

そのため、先進的な企業は、AIには代替不可能な非認知能力の突出して高いイノベーターの卵を強く欲するようになっている。 

しかし、学歴フィルターを掛けた後に非認知能力の高い人材を選べばよいとする旧来の採用方式だと、そのような稀有な人材を最初期に弾く確率が高まってしまう。 

 

▲46 ▼32 

 

 

=+=+=+=+= 

 

アメリカで起こっている変化を考えたら、日本の大卒資格に価値がないと言いたくなるのも分かる。AIやロボットの進化に既存のシステムがついていけないから。 

日本は高齢な政治家が物事決めるから制度を変えるスピードが追いつかなそう。 

そういう意味では、海外の変化をしっかり見張って海外の良い教育機関で学べたら1番良いのかもしれないけれど。 

でも本当に今のまま流されるとろくなことにならない気がする。 

 

▲11 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

氏は学生時代に会社を興したんじゃなかったっけ? 経営者で行くなら始まり意外は関係ないと言えは関係ない、新卒会社員はじまりとは違う 

人の肉体的精神的負担になる仕事からAI化させたいが、実際は意に反してホワイトカラーから人が要らなくなる残酷な未来が待っている 

氏の言う1/3になるスピードがどのくらいで、どんな経緯を辿るかでも違ってくる 

今は一部業界で人手不足で外国人にも手を借りたいが、その頃には上からところてんのように押し出されて人余りになっているだろう。 

そうなった時、奨学金を借りてまで大学に行く意味は?と余裕がない層から以前とは違う選択は迫られるとは思う 

実際、大手で先を見据えた黒字リストラ、人手不足が刷り込まれているが一部業界のみで求人倍率も良くない、訪日客ガーというが観光宿泊業は求人減等々、円安物価高や効率化は表れて来ているし、これにトランプ関税が加わって今期末は減速予想が出ている 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

堀江さんのこの意見は非常に示唆に富んでいて、「東大以外を否定する」というよりも、多様性を受けいれるものだと受け止めています。学歴偏重の画一的な価値観から脱して、(基礎的な学力が必要ですが)好きな勉強を好きな場所でする、ということに価値があって、それが大学とは限らない。 

ですので、私は子供の進学に関しては「東大以外はどこでも一緒。行きたいところを目指して頑張ればよい。学歴よりも本人がやりたいこと形にしようとする努力が大事」と考えるようにしています。 

 

▲3 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

>ホワイトカラーの9割は仕事を失うことになると僕は予想している。 

 

それはない。 

歴史を見れば明らか。産業革命以来便利なものは増え、生産力も経済成長も飛躍的に伸びたが、人の労働は減るどころか過大な労働は社会問題となり戦争にもつながったぐらいだ。つい最近も、20人以上前からパソコンの急激な進化はあらゆる仕事が楽になる必要なくなると言われながら、現在の労働時間は法律の規制によって少なくなったに過ぎない。しかも人手不足である。 

飽くなき利益を求める資本主義である限り、無くなる仕事もあれば生まれる仕事も大量にあるため仕事はなくならない。 

 

▲44 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

東大しか、、、は定かではありませんが、 

就職のための大学進学のルートは、安泰ではなくなるのは確かですよね。 

 

経済学が机上の世界であるのと同じで、 

人間の行動はやってみないとわからないんです。行動が球のように予測できることもあれば、謎の行動もある。 

 

隣の芝生はよく見えるのと同じで、 

大卒で鉛筆持って仕事しても事情で一旦仕事を辞めると時給職になりがちだし、手に職ありなら安い賃金になりがちですが再就職もしやすい。 

 

高学歴で何か一芸がある事が最強かな、と。 

でも、そんな人は一握り。 

そこを目指して二軍以降が頑張るのが、いままででしたが弊害が大きいことがわかってきた。 

だから、人生楽しめる範囲で、、と言う人たちも増えた。 

 

それぞれ、どの選択もありだとおもいますが、 

社会的に問題なのが、四軍五軍。基礎学習もままならないとマトモな思考にはなりづらい。 

このそうの人間が増えると社会が乱れる。 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

一理はある。 

自分も大学を出たが、入学試験の時が一番勉強したように思う。入学したあとは卒業するまでそれほど勉強した覚えはない。 

しかし、社会人になった後も大学で学んだこと、経験したことは以外と幅が広く、その後生きる上で役にたっている。高卒ではそこまで経験や知識は身につかないと思う。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

受験校にいたので、高学歴の人を多く知っています。 

東大って、勉強オタクみたいな人が多く、人間的なバランスが悪い。仕事では使い物にならない人も結構いますよ。 

私の知る範囲によれば、早慶あたりで一流会社に入社した人のほうが、出世する例が多い気がします。 

大学も高校もでていない、中卒の優秀な技術者とも付き合いが長いです。彼らは仕事上経験を積み実学を学んでおり、彼に教えてもらわないと何もできない。私(一応有名大学卒)は弟子入りして師匠と呼んでいました。 

 

▲9 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

学歴そのものにあまり価値があるとは思わないが、それを目指して努力する事に意味があるように思う。 

もし、国公立大学では無く、私立文系の学科を化学や生物を真剣に学ぶだろうか?地理や日本史や世界史を学ぶだろうか?知識は物事を考え判断するのに役立つのでは? 

ある一定水準の大学に入学(卒業ではなく)しているということは、ものを考え判断する能力があると考えられるのでは? 

ただそれで仕事が出来るとは別であり、上司や同僚や後輩と上手く協力して仕事こなせるかは別物。 

だから今は足切りに使われるだけでは? 

ただ、難関校の方が良い人材の可能性が高いのかもしれないというだけ。人事に見る目がえれば、多分分散され色んな大学から採用することになるのでは? 

 

▲15 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

大学は、教育・研究機関であり、AIのような新技術が出てきた現代こそ、その役割はより重要になる、というストーリー『も』展開できる。であるのに、片方の予測しか出さないのは、不適切だと思う。 

 

教育や研究のスキームは変わるかもしれないけれど、だから既存の大学には価値が無いと決めつけるのは言い過ぎでは…? 

 

あと、ホリエモンみたいに優秀で「学歴に頼らなくても生きていける人」には、強い生存バイアスがかかるから、その言説をそのまま信じるのはリスクがあると思う。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

学生生徒には当然いろんな人がいる。Fラン大は、大学の問題というよりも、それ以前の初等中等教育で勉強に全くついていけなくなった児童生徒に対する問題がその本質。 

大学に限らず、それぞれの学校には学風、校風というものがある。医学部再受験の時に、東大(当時の後期)を考えたことはあったけど、学風が合わないといわれた。大学に行けば新しい出会いもたくさんある。最初に行った大学は中堅私大だったけど(正直高校時代はほんと勉強していなかった)、その後旧帝大の院を経て、地方の医学部に行った。結局田舎でしがない医者をしているけど、どれが欠けても今の自分はないと思う。大学教育、特に大学院などとなってくると、どこの大学で学んだかというより、だれから学んだかが大きなファクターになってくる。つまり東大以外にも優れた先生はいるわけで、自分に合う合わないはあるけど、自分に合う先生に巡り合えれば多くを学べる。 

 

▲2 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

堀江さんが「大学にはブランドとしての価値しかない。だから、東大以外に行く必要はない」と言えるのは、自力で学校教育の限界を越える能力を身に付けることができたから。自力で越えられるんだから、学校に入ることはむしろ能力を下げる結果にしかならない。 

 

でも、多くの受験生やその保護者は、自力でそこまでの能力を身に付け、つけさせることができない。その場合においては次善の策として他の大学に入る選択もあり得るということでは。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

確かにその通りである、五教科は学校で学ばずYouTubeやAI学習に移行、学校では道徳や倫理、税金、社会保険、年金制度、政治の仕組み、投資の仕組み、罪を犯した場合の仕組み、体育、音楽、美術、武道、技術家庭などを学べばよい。 

五教科の学習進捗は定期的に学校内でテストを実施すればよい。 

微分積分が分かっても、税の仕組みや株式の仕組み社会保険の仕組みが分からないのは問題である。 

 

▲9 ▼34 

 

=+=+=+=+= 

 

医師、歯科医、獣医師、薬剤師など、大学を卒業しないと国家試験を受けられない職業もあるので、一概に大学が不要とは言えないが、学歴だけみてヒトを見ないような企業は確かに問題だと思います。東大の価値も海外の大学、ハーバードやケンブリッジに比べると低いので、そのうちブランド価値は無くなるのではないでしょうか。 

 

▲7 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

儲かりもしない田舎の小さなクリニックを経営しています。 

お年寄りや独身の方も多く、スタッフ全員で挨拶、一言お声掛けをしています。 

たわいもない話をしたりしますが、少しの世間話に癒されて帰られる方もいらっしゃいます。 

治療の効果も、もしかしたら人との優しい時間がプラスで働いているのではないかと思う事もあります。 

最近でも、病状が悪くふらふらになりながらも治療に通われていた方が、もうわしはだめだ、でもここに来てできる事が増えて嬉しかった。楽しかったよと言われ翌日から入院され亡くなられました。 

今週、人と話したのは今日がはじめてと言われるおばあさんもいらっしゃいます。 

人との触れ合いを大切にしているので、電子カルテ入れたら事務さん減らせますよと言われても、人数は増やし、その分経営側の給与を減らしています。 

AIが仕事を奪っていくかもしれませんが、人との繋がりは大切にしていきたいと思います。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ひとつ言えることがある。大学はブランドと言い切るのはわかるがバカだからこそブランドに頼りたいのだ。 

東大以外にも難関と言われる大学はある。それなら堀江さんは自身が最大の難関に行けたから今の論調なのであろうがそれだけだ。って思っていたが色々と調べてみると堀江さんは先見の明、確かなリサーチ力と情報収集能力に長けた人物である事が経歴からもわかる。 

これから進めていく宇宙事業を中心とした活動を応援しています。 

 

▲10 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

これから起こるAI革命は産業革命よりはるかに劇的なので同じく知を売りにする大卒の価値は労働市場においてはほぼゼロになるのは確実である。私は経営者だが今ほど人間を雇うことがリスキーな時代はない。各種ハラスメント、人件費、うつ病や社員間の人間関係等々、人の存在自体が会社を不安定にしている。人が極力少ない会社が経営者及び株主の望むところなので学歴以前に人間の存在価値が問われる時代になるだろう。 

 

▲9 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

まぁ教育関係者の多くが今の時代から見るとかなりイケてない人種であることは間違いない。 

ただある程度の大学を出ている人のほうがマトモ(付き合いやすい、協調性がある程度)で日本の公務員やホワイトカラーの存在意義を保つための膨大な牛の糞みたいな事務作業や社内業務をこなすという一点に限っては一日の長があると思う。私がこれまで接した狭い世界ではあるが時間守れないとかレスを永遠にしない、著しく常識がないと感じたのは常に大卒ではない人種だったのも事実なんだよな。なので大卒かどうかではなく大学くらい行かせられる家庭環境や収入レベルがある親に育てられた可能性が高い、というフィルターにはなるかと。でもただそれだけ。本気で成長拡大したい魅力的な会社や組織はそれなりに選べるだろうから肩書なんか価値ないかと。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

友達がいない人の言葉は説得力が無い。 

裁判で罰金の有罪判決が出たけど国外逃亡して時効を待って難を逃れた人もいたけど、家族や友人を大切に思うなら出来ない。 

だからそこに責任が生まれ、いい加減なことができなくなる。 

それを平然とやってのけるんだから、まともな価値観を持ってるとは思えない。 

 

▲71 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

大学を語るのに箔が付くとかブランド価値なんて今更語っていることがナンセンス過ぎる。自分はもう引退した身だが、企業では理系大卒高専卒の採用面接官を長く担当していた。その経験から採用に際して大学をブランド価値として見たことが無い。これは別に主義でも何でもなくて、経験のなかから得たもの。東大卒もかなり前に何人か採用したことが有ったが、頭はいいけど周りと協力できないとか自分のしたいことにしか興味が湧かないだとかで皆やめてしまった苦い経験がある。企業に役立ったから優秀だと言い切れるものでは無いが、個人と出身大学・高専との相関関係は余りなく、あくまでも個人の資質による。なので「日本で唯一行く価値のある大学」なんて定義が幼稚に思えてしまう。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

>「一握りの経営幹部」と「将来の経営幹部候補」は、結局のところ東大卒レベルの「超高学歴」で頭のいい奴しかなれない。 

 

恐らく、これは正しい。将来的にはこの方向に進むだろう。 

 

 

>やはり、東大以外の大学に行く必要はないということだ。 

 

流石に、一握りであっても東大卒だけで、手当てできる人数ではないだろう。 

また、営業は無くならないはず。経営幹部が営業を知らない者だけになることも考え難い。そこに中下位大学卒が生きる道はありそうだ。 

 

▲2 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

東大は一学年約3000人。一方、日本全体では同年生まれは100万人以上、最近は80万人にはなっているが。100万人としても3000人は、0.3%。そんなにエリートだけに絞らなくてもよい。学問や勉強きらいな奴までこぞって大学行く必要はないが、0.3%まで絞る必要はない。もっと学問は多くの人に開放すべき。生涯学習。あと、人間社会はどうしても序列を作りたがるし、差別化は必要。人間すべて平等という世界は難しいので、東大以外大学不要という極論の考え方は理解するものの現実的ではない。 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的には、社会に出てからも不自由なく飯にありつけて、後に中流以上の生活を営めるようになって、最終的に穏やかな死を迎えられるなら、学歴なんてどうでもいいと思う。 

人生は一度きり。人によって進む道も様々だし、幸せの形も線差万別で十人十色。少しでも自分の理想に近づけるように創意工夫しようと常々から試行錯誤するようにしています。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

人口が増えていればブランドは維持され、拡大し、更に新たなブランドが生まれる。 

だが入学者が減っていく大学だから、ブランド維持が難しくなっていくんじゃないか? 

それは東大でさえも、かもしれない。 

丸井で並んで買ったDCブランド。 

どれだけが今残っているんだろうか? 

栄華を誇った日本の家電メーカー。 

皆買収だので形を変えてしまった。 

これまでの「学校歴社会」は終焉を迎え、レベルを下げても名前を残すか、レベルを維持していく為に他校と合併するか、そういう選択を迫られる事だろう。 

ジーマーチも日東駒専も大東亜帝国も、合併し1/3位になって、新たな大学が生まれ、新たな呼び名が生まれ、新たな秩序を作っていく。 

その過程で教育分野から離れた労働者が、新たな有望企業に勤めたり新たな事業を興すかもしれない。 

大学名だけで「負け組」と言われた人達が復権するかもしれないが、もう60歳を迎える。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

では東大などにはとてもじゃないが入れないという人はどうしたものか、それもまたよくわからない。 

単純な知識とは言えない創作や芸術の領域においてもAIは使われ始めているわけで、これやってれば一生食いっぱぐれないみたいな分野が思い浮かばない。 

大多数の人は大した策もなく状況の変化に翻弄されるしかないような気がする。 

Google等ネット広告会社の収益の変化が誰の目にも分かる大きな節目として意識される事になるのでは? 

今の若い人は心配する事が沢山あって大変だ。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

この方の大きな視点の話ではないですが、東大卒時点が最高という人は実は多いです。企業でも官僚でも学歴は通用せず、鬱になって詰んでしまう。そりゃ東大卒やハーバード卒ばかりの職場に行ったら愕然としますよね。仕事ができるかどうかと学生時代の成績は関連しない場合も多いですから。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

何を経験値にして何を育てるかの問題だと思うので、価値はそこで何を見いだせたかであり、東大行ったところで無駄になる者も居ればFランで大きな物を得る者も居るだろう 

ただ天下り用の無駄でしかない、しょうもない学校もたくさんあるのは事実かと 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

大学を卒業すら出来なかった人が言っても説得力に欠けるなあ。大学の所定のカリキュラムを修了しオリジナルの研究論文を纏めあげた実績は人間形成として無視出来ないだろう。それに大学院進学や一部国家資格取得のためには必須と言ってもいいだろう。自分の中の世界しか知らない人間はこう言った結論になるのだろうな。 

 

▲13 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

元ライブドア社長と元大王製紙社長のお二人が大好きです。 

どちらも東大卒でありながら、幼稚園児並みのののしり合いをされて、学歴なんてなんの意味もないことを実践されております。 

たいへん尊敬しております。 

 

▲169 ▼20 

 

=+=+=+=+= 

 

大卒に意味があるか否かは本人次第では?大卒を卒業後の職業や社会的地位に結びつけると東大卒が1番かも知れないが、人はパンのみに生きるにあらず、で大学に通ったことが卒業後の人生に於いて目には見えない形の肥やしになるのでは?そういう意味では東大以外行く価値ないというのもどうかな? 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

私は大学名と合わせて、卒業期の成績も同じくらい重視すべきと思う。Aランクの大学の落ちこぼれとBランクの大学の成績優秀者なら、後者を取るべきだと思う。就活の際企業担当者も大学の成績を重要視してほしい。 

そうなれば大学名の独り歩きは少なくなるのでは? 

 

▲1 ▼1 

 

 

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旦那の職場に高校卒業して入社してくる子たちがいますが、たいへん礼儀正しく真面目で一生懸命。優しいこたちばかりです。確かに高学歴が必要な職種はありますが、私は高校や中学を卒業して働く方々を心から尊敬します。 

 

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大学を、学歴という箔を付ける目的でしか見てない時点でおかしいし、仕事も民間企業の所謂ホワイトカラーのサラリーマンしか想定されていない。 

まず大学には研究機関としての面もあるし、医学部や教育学部を経ずに医者や教師にはなれません。当面AIは医者や教師にはなれないでしょう。 

科学者やエンジニアなど大学の高度な専門知識が必要な仕事も多いです。 

また大学で学ぶ事や学生時代に経験する事、人脈など全てに価値がありますし、未熟な学生が、自分の適性や将来の夢を見つける時間でもあります。 

民間企業も、人口の1%に満たない東大卒だけでは足りません。地方の中小企業などは高卒だけで経営していかなければならなくなります。 

多くの仕事がAIに奪われるのは確かでしょうが、視野が狭すぎる意見ですね。 

敢えて反感を買う発言をして話題にする、いつもの炎上商法としか思えません。 

 

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しかし日本社会においては、「東大に入学することは難しい」という共通認識が世間に浸透しているため、東大に入学した人物だというだけで十分「箔」はついた。 

 

非常にドメスティックな価値観であったことが良く分かった。しかし、今後は「日本では、・・・・・こう見做す」というのがだんだん通用しなくはなってくる。博士号なくて大学の教員になれるとか。日本語で論文書くとか。新書を書くと研究者とみなされるとか。 

 

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>日本で真にブランド価値のある大学は、東大くらいだ。だから、「大学に関するブランドステータスが欲しい」と考える人は東大に行くべきであり、むしろ東大以外なら行く必要はない。 

 

そもそも、大学に通う意味は『ブランドラベルを獲得する』ことではありません。 

大学という研究機関の中で高等教育を受け、中身のある研究に取り組み、社会や企業に寄与できる”実力”のある高度な人材となることが大学の本当の価値です。 

また、その過程で有用な研究を社会に対して発信できることもありますし、大学自体がそれらの研究活動によってより高度に発展していくという効用もあります。 

 

もちろん、東大には日本で最も頭のいい学生が多く集まりますし、ブランドイメージから資金も潤沢に調達でき、最先端の研究に携われるといった良さはあります。 

ですが東大以外の大学も、専門性や独自性などがあり魅力的な研究が多くあると思います。 

 

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そう言う本人が1番学歴気にしてるやん 

東大に全ての学科があるならまだ分かるけど、現実はそうじゃないので自分の学びたい分野や実績なども踏まえて大学を決めるのは間違いじゃないと思う 

 

例えば建築士に関しては東大理学部より日大の方が毎年合格者を多く輩出しているし、必ずしも全ての分野で東大がNo.1とは限らない 

 

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昭和30年代後半の大企業の設計開発部門では、大卒はというと技術力、人格とも非常に優秀で、高卒の面倒をよく見てくれた人がいた一方、「なんでこんな人が?」というトンデモ問題児やボンクラが玉石混交だった。課長補佐は年中、フテ腐れていた。これで会社が成り立つのかと心配になったが、ある日、組織大改革があって皆な飛ばされ、残ったのはガリガリのモーレツ社員だけになった。そこからは過労で倒れ、自殺者が出るブラック企業に。大成長が始まったのだ。どっちがよかったのかなあ? 

 

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自分は大学に行って良かったと思っている。 

理由は簡単で、設備や研究費が潤沢にあるから。 

 

1台数億の装置をバンバン使って、1個数万の消耗品を使い捨てできるのは、大学や超大手企業ぐらい。年間60万程度の学費だけで1000万程度の実験が出来るって最高じゃないですか? 

 

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それなら、学びも仕事も国境を越える時代に、国際的なランキングで東大より上の大学を選んだほうがいいってことになる?例えばアメリカには東大より評価の高い(ブランド価値の高い)大学が10校はあるでしょ。ただし、アメリカの高等教育制度は入学よりも卒業に価値を見出す仕組みなので、卒業と中退は大きな違いだけど。 

 

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社会が学歴を重視することと、学生が大学に入ることは全く別の視点。 

学歴重視の現代社会への問題提起はあくまで社会に対する課題であり、学生が東大以外行く意味がないというのは論点がずれすぎていて全く理解できない。東大以外であれ関心のある分野を極めるための学問は国の発展においても必要不可欠だし、それこそ学歴のためだけに皆大学に通う世の中になれば国は衰退する。 

ホリエモン自身が大学を学歴としてしか見ていないからこういう考えになるのだと思う。 

東大でなくても、学生達にはどんどん学問を追求して国を豊かにし、次の人材育成にも繋げて欲しいと切に願う。 

 

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本来、大学は学問の府だから、偏差値ではなく、どんな学問を修められたかで大卒の価値は決まる。ただ日本は、現状では大学の研究内容よりも大学名をみる人が多い。 

それは、日本の大学がこれまで「成果」をないがしろにしていたツケだと思う。適当に講義して、無難にに単位を出して、どんな力が本当についたのかは知らない。そんな気風が昔の大学には強かった。大学で学問を修めることの意義、大学でこれを研究できてよかった、という感覚を感じさせる責任を大学が果たせてこなかった。 

堀江氏もまさに受験偏差値を大学の価値とする世界に生き、東大に入りながら学問の楽しさを感じられなかった人でしょう。「東大以外は...」みたいな発言を学歴厨と言うのは簡単だけど、実は大学が抱えてきた問題を反映してもいると思う。 

私は幸い恩師に出会い学問の楽しさを感じることができましたが、そんな会話がなされることは、研究者でもない限り、少ない。 

 

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