( 317723 )  2025/08/20 07:37:36  
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広陵高校野球部の中井哲之監督 

 

 夏の甲子園で大会途中に出場を辞退した広島代表の広陵高校。前代未聞の事態を引き起こしたのは、SNSで立て続けに拡散した「知られざる不祥事」だった。屈指の強豪校で、長きにわたって“君臨”する指揮官の光と影に迫る。 

 

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 広陵は春夏通算で甲子園出場53回、全国制覇3回(いずれも春)の言わずと知れた名門。が、コロナ禍でのチーム感染によるケースを除き、大会期間中の出場辞退は春夏通じて初めて。高校野球史上に残る不祥事となってしまった。 

 

 そもそも一連の騒動の発端は、今年1月に野球部の寮で暴力を受けた元生徒の保護者が、7月下旬になってSNS上でその経緯を投稿したことだった。 

 

「そこでは、寮で禁止されているカップ麺を食べたことを複数の先輩からとがめられ、息子が激しい暴力を受けたとつづられています。息子はいったん寮から自宅へと逃げ、“10人以上の上級生に囲まれて『死ぬほど』殴られ蹴られた”と保護者に明かしたという。後日、保護者に連れられて寮に戻るのですが、そこで面談した中井哲之監督(63)から『うそはつくなよ』『(高野連に報告して)2年生の対外試合なくなってもいいんか』などと“恫喝”されたとも記されています」(スポーツ紙デスク) 

 

 さらに、 

 

「7日に拡散した元部員による実名告発でも、今大会に出場した3年生の主力メンバーらの実名が加害者として挙げられています。熱湯をかけられたり性器を触られたりしたといった内容で、こちらも県警に被害届が出されているとのことです」(同) 

 

 また、この中では、 

 

「中井監督や、その息子で現在部長を務める惇一氏(30)らが、生徒に暴力を振るうところを目撃したとも記されていたのです」(同) 

 

 1月の事案で広陵側から調査報告を受けた広島県高野連では、堀正和校長が副会長に就いていた。そのため今回、SNSでは“隠蔽(いんぺい)があったのでは”といった臆測も乱れ飛んだのだが、 

 

「堀校長自身が20年以上前、中井監督の下で数年間、部長を務めており、広陵の実力者はあくまで監督。現在は部長である長男と共に“中井王国”と言っても過言ではありません」 

 

 とは、県内のさる野球関係者である。中井監督は1990年4月に27歳で母校・広陵の監督に就いて以降、35年間指揮を執り続けている。中井監督が内野手として甲子園に出場した当時の指揮官で、後任を中井監督に託した松元信義氏が言う。 

 

「昔の中井ならいざ知らず、今は暴力などあり得ないと思います。ただし、現在も150人以上が寮生活を送っていると聞いています。ある程度、規則を厳しくしなければ部はまとまらなくなるでしょう」 

 

 

 実際に91年3月に卒業した元部員の父が言うには、 

 

「中井監督は、怒ったり褒めたりのメリハリがある方でした。練習中に生徒がミスをするととにかく怒り、延々とノックを受けさせていた。当時は監督も若かったから“ケツバット”もありましたし、練習中に水を飲んだ子も怒鳴られていました」 

 

 その3年後に卒業した元部員も、こう明かすのだ。 

 

「私たちの代は、事あるごとに『広陵始まって以来の弱小チーム』と中井監督から言われており、特に厳しく指導されました。監督は当時、寮に週2〜3日寝泊まりしていて、スリッパで廊下を歩く独特の足音を聞くと『今夜は泊まるんだ』と恐れたものです。私自身、複数の上級生に暴力を受けましたが、ある時、監督は『お前ら、先輩からどれだけシバかれてしんどい思いしているか知らんけれど、ワシらの時はこんなもんじゃなかった』と漏らしたことがあります。そういう試練に耐えて若くして監督に就き、そのまま広陵の“伝統”を継承していったのでしょう」 

 

 その監督の元を訪ねると、代わって夫人が、 

 

「学校の顧問弁護士が対応しており、記事に書かれるから一切お話しするなと言われているのです」 

 

 さらに「中井王国」について堀校長に尋ねたところ、 

 

「本校なりの回答をしていこうと思います」 

 

 そう言うのみ。当の学校はといえば、 

 

「今般の多くのご指導を受けて、硬式野球部の指導体制の抜本的な見直しを図るべく検討をしております」 

 

 先の会見で、堀校長は中井監督について「当面は指導から外れてもらう」と明言したものの、解任となる可能性は低いという。“中井王国”が築き上げられるに至った経緯と、監督の進退については、8月20日発売の「週刊新潮」で詳報する。 

 

「週刊新潮」2025年8月28日号 掲載 

 

新潮社 

 

 

 
 

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