( 317812 ) 2025/08/21 04:22:13 1 00 この一連の意見は、日本社会における犯罪加害者の家族への視点とその影響についての多様な見解を反映しています。
1. **加害者家族の監督責任と実生活の乖離**: 裁判で家族が監督を誓うことが減刑に繋がる一方で、その実績が伴っていない場合が多いとの指摘があります。
2. **犯罪と家族の責任**: 日本では、「個人の犯罪は家族に影響する」という考え方が根強く、家族が社会的に責められる傾向にあるとの意見があります。
3. **被害者の扱いと社会の反応**: 被害者側の支援が不十分であるとの声が強く、加害者やその家族への配慮が優先される状況に対する不満があります。
4. **ネット社会の影響**: SNSやインターネットの発展により、誹謗中傷が広がりやすくなっているという意見もあり、加害者家族に対する攻撃の背後には、社会全体の不満があるのではないかとの指摘があります。
5. **法制度の不備**: 現行法では加害者に対する罰が軽く、被害者への補償も不十分であることに不満が集まっています。
(まとめ)これらの意見からは、日本における犯罪、加害者、その家族、被害者の複雑な関係性が浮き彫りになり、特に加害者の家族が受ける社会的な圧力や批判、加害者への法的処遇の不満が強調されています。 |
( 317814 ) 2025/08/21 04:22:13 0 00 =+=+=+=+=
裁判で加害者家族が監督を誓うことで減刑になることがあるけど、その後きちんと監督しているかどうかなんて誰も確認しない。 私の知ってる加害者家族は、本人にお酒を一生飲ませませんし自分達も飲みません、通院にも付き添います、同居します、家族みんなで監督します、とか裁判で言って執行猶予になったけど。本人も両親もお酒飲んではSNSにあげてるし、通院もしてないし、同居もしてない。挙げ句の果てには、兄弟たちは自分の家族が犯罪を起こしたこと自体を知らない。こんなの再犯防止になるわけない。実刑になればよかったんだ。
▲3141 ▼179
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日本では犯罪は個人だけの問題ではなく、「問題を起こした人は本人だけでなく血筋やら関係しているコミュニティ全体にも責任がある」と考える傾向がまだまだ根強く残ってるよね。 だから犯罪者の家族なんかはこれでもかと叩かれるし、犯罪者が子供だと親の方が本人以上に叩かれたり、酷いのになるともう成人していい大人の犯罪であってもいまだにその親が叩かれたりもするし。 これは家族だけでなく組織でも同じで、組織の上層部が問題を起こした場合、なぜか末端の社員すらもが非難されたり、謝罪しなければならなかったりする。 日本は結構個人主義の世になっているようにみえて、このあたりはまだまだそういう一蓮托生、連帯責任的な文化が根強く残ってるってことなんだろうね。
▲97 ▼21
=+=+=+=+=
不法滞在外国人の問題等もそうですが、オールドメディアが「人権擁護」の名の下に、加害者側・法律を犯している側を過剰に擁護して報道する事が、怒りや義憤の感情を生んでしまう一因です。 もしこうした事を問題だと考えるのであれは、まずは自分達の報道が、被害者に寄り添った適切なものとなっているかどうかを冷静に振り返り自省すべきです。
▲6146 ▼1506
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今の犯罪は子供がやった事とは言えない重大な事件が多い。大人でも躊躇する殺人や暴行事件。 被害者が報われないことが多く、加害者はいつか社会復帰して何事もないようになったり。 今は起きた事件は拡散され犯人もネットで追及されるようになった。 家で教えれることは犯罪に手を出さないとかはもちろんだがその後どうなるかを教えておいた方がよいのかもしれない。
▲2118 ▼200
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また加害者保護か。 それ以前に、被害者保護が必要だと思うが。
犯罪被害者は、まず、加害者から被害を受けた側だ。 そして司法で損害賠償などの二次的な補償を受けても、実際に賠償額を 受け取れるケースは非常に少ない。 まず順序として、こういった被害者側の状況を改善する事が必要だ。
加害者家族について考えるのは、その後で良い。
▲4320 ▼1034
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ドイツ男性といろいろな意識の違いで子連れで離婚した女性が、その男性の兄が殺人を犯していたのを結婚した後に知り、「なぜ教えてくれなかったのか」と言ったところ「自分と兄は違う人間だから関係ない」と答えたそう 日本では兄弟や伯父が殺人犯なら結婚などに影響がでる可能性もあるが、「人権意識」の進む欧州では違うようだ ただ、「家族を巻き込むから」という意識が犯罪を抑制する力にはなっていると思う
▲250 ▼72
=+=+=+=+=
日本では加害者側が保護されて被害者側が泣き寝入りするケースが多い。加害者の量刑も軽すぎて被害者家族が救済されるケースはまれである。加害者家族の人権云々よりそもそも犯罪を犯さなければ周りから揶揄されたり追い込まれる事もない。加害者や加害者家族が居心地が良ければ犯罪が減らないし犯罪の抑止力にならない。被害者家族に比べて加害者家族が非難や批判を背負うのはある意味仕方がない事である。
▲1867 ▼320
=+=+=+=+=
佐世保の事件は、子供の毒盛りや猫殺し事件が先に度重なり、家族が子供にバットで殴られるなどして父親も逃避しようとしたけれど逃げ切れず自殺したと記憶しています。親子の縁の問題です。 障害のある子供から親は逃げられません、犯罪を犯し続ける子供からもしかりです。 人生の先輩達から、親になるとは全て引き受けることだと意味深に言われたことを思い出します。
▲989 ▼135
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今の犯罪は子供がやった事とは思えないような重大な事件が多いですし、大人でも躊躇する殺人や暴行事件もあります。 被害者が報われないことが多く、加害者は有期刑であれば刑期を終えればいつか社会復帰して何事もないように生きています。 今の時代は起きた事件は拡散され、犯人もネットで追及されるようになりました。
子供に教えられることは、犯罪に手を出さないとかはもちろんですがその後どういう人生を過ごすことになるのかを教えてあげるべきです。
▲36 ▼1
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この問題の根本はネット社会に対応出来ていない誹謗中傷への法対応だと思います 過去から新聞などで殺人事件が取り沙汰されればプライベートな場で誹謗中傷をする人もいたと思います ネット社会になり顕在化し更には同じ様な方々を巻き込み増大するのが大きな問題だと思います 彼らに犯罪意識がない事も大きな問題
私の知り合いは合唱団の団長をしていました コロナ禍が始まった当初にクラスターを起こし全国の批判を浴びました 夫婦でしていましたが高齢な事もあり夫婦共にコロナで亡くなりました 同居していた娘さんもコロナになりましたが、幸い回復 ただ、自宅へは全国からの誹謗中傷が寄せられ、壁にも落書きされる始末 その後に自殺されました
当然ですが、彼女を自殺に追い込んだ方々は何のお咎めもありません
子供のイジメが問題化していますが、やっている事は同じ 人数が多いだけに更にどうしようもない 残念な世の中だと思います
▲713 ▼133
=+=+=+=+=
はっきり言って法律に問題があると言わざるを得ないです。海外なら長めの懲役刑や終身刑が下るような刑でも日本では大した刑罰に問われないことも多い。それでいて被害者に対してのフォローがしっかりしてるかと言えばそんなこともないわけで。 加害者の家族が誹謗中傷に遭うようなことはあってはならないとは思いますが、まずは加害者本人がしっかり裁かれるような法律作りをやっていくべきだと思います。
▲102 ▼12
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加害者家族への攻撃の根底には「加害者への罪が軽過ぎる」「被害者・被害者家族が可哀想過ぎる」という想いがあると思う。 「人を殺したお前の子は少年法に守られて数年で社会復帰するんだろう」っていう怒り。
被害者家族への手厚いケアと、加害者本人に厳しい刑が科されたら、少しは加害者家族への中傷は減ると思う。 そのためにも、少年法は見直すべき。
▲242 ▼17
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たいていの場合、こういった話に該当するのは殺人事件だろう。 であれば被害者家族はさしたる落ち度もなく家族を突然失う。
加害者家族においても同程度の衝撃を受けるべき、そうであっても構わない、という心理が働くのは幼少より平等を教え込まれた民族にあってはあり得ることだろう。
逆に被害者の家族は悲しみにくれて毎日涙を流して暮らしているのに、加害者家族は関係ないからとのうのうと生きている姿を平等と言える人間は少ない。
家制度がどうとかいう以前に、日本における平等の観点、教育の賜物だろう。
▲438 ▼90
=+=+=+=+=
加害者の家族に直接の過失はないのだから責められるべきではないのは分かりますが‥ それなら裁判で加害者の家族の監督が見込まれるとして減刑されるのはおかしいと思います。 だって家族が監督していたら再犯は防げると思うから懲役刑が執行猶予になったりするんですよね。 それなら、もし家族がしっかり監督していれば元々の犯罪もなかっただろうということ。 まずは加害者に有利な法整備を直してほしいです。盗撮やわいせつなど性犯罪では減刑が多過ぎると思います。
▲39 ▼4
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難しい問題ですよね。 テレビで『誰も守れない』、映画で『誰も守ってくれない』が放映され、自分はそれで加害者家族のことを知りました。 自分はそのような経験をした訳じゃないので、適切かどうかわかりませんが憎むべきは加害者家族ではなく加害者だというのが自分の考えです。ただ、それには加害者家族の気持ちや態度などで謝罪の気持ちが汲み取れればという前提で、それが見られるなら個人的には加害者家族を追い込むような真似はしたくはないです。 もちろん、加害者に対しては罪を償うと言っても亡くなった家族が戻って来ることはないので一生許さないと思います。
▲55 ▼3
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加害者家族だけがスポットライトがあてられるが、被害者家族のほうが悲しいと思う。 被害者家族には何もしなくて、加害者家族にだけ焦点を当てるような不公平なことをするからだと思うし、加害者の家族だから無関係で謝罪もしないというのはおかしい。 加害者の家族は無関係ではないから、責任をちゃんとするべきであって、特に未成年の犯罪に対してきちんとするべきだ。
▲267 ▼62
=+=+=+=+=
凶悪事件では、最も深刻な被害を受けるのは命を奪われた被害者と遺族だ。突然の日常の断絶、取り戻せぬ喪失感、世間からの注目や心ない言葉が遺族をさらに苦しめる。一方で、加害者家族も事件に関わらず中傷や孤立に直面し、時に自殺や失職に追い込まれてきた。日本社会には「家も同罪」とみなす家制度的な意識が根強い。被害者支援がなお不十分な中で、弁護士会や民間団体が加害者家族の相談窓口を広げる動きもある。被害者と加害者家族、双方が孤立せず再発を防ぐ仕組みを築くことが、社会全体の課題だ。
これ雑な指示でチャットGPTが書いてくれたけど、300文字という無茶な中でも両論併記されてるねえ。既存のメディアさん、やばいねぇ。AIが事件を見て客観的に評価するようなニュースや雑誌でてくるよ、必ず。今からでも遅くないから、仕事無くなる前に筆を見つめ直すべき。
▲58 ▼52
=+=+=+=+=
確かに被害者、加害者に加え、その家族への誹謗中傷は問題であることはよく理解できます。 ただ、これらを問題にする前に被害者やその家族への同様の問題を解決してからで良いと思います。 被害者の前に加害者をことを考える必要はまったくないと思います。
▲224 ▼47
=+=+=+=+=
刑罰が犯した罪に釣り合ってないのだと思う。 人の命を奪ったのなら人数や判例でなく「命」と等価で償わせるべきだと思う。 殺された被害者側よりも生きている加害者の更生に主眼を置いた判決では遺族も納得出来ないだろう。 更にマスコミの報道のあり方も被害者や加害者の自宅に突撃したり、SNSでの身辺情報の特定など行き過ぎたものもある。 家族構成から生い立ち、周辺の評判、事件の背景を1つの見せ物としてワイドショーなど特集を組んで有識者と無責任なコメンテーターを出して放送することの是非も問われるだろう。 また未成年者の凶悪犯罪であるほど親の監督責任や教育といった面から矛先は親にも向かう傾向があるのではないだろうか。 私達の常識では考えられないような凄惨な事件も増え未成年者だからと死刑が回避されることの議論も必要だろう。
▲78 ▼12
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確かに気の毒かもしれないが、身内に犯罪者が出るという事はそういう事だと理解する事の方が大事だと思う。近年は犯罪が起こる背景も解説される。状況によっては同情の余地が起きないにもかかわらず、犯罪加害者への対応が緩い、甘い。犯罪のやり得逃げ得が横行し過ぎると感じる。そういった泣き寝入りした見えない被害者や社会的弱者の叫びや願いを無視し続ける限りこの問題は減少しない。
▲24 ▼11
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犯罪被害者の被害補償や心の救済がほとんどされていない現在の状況を鑑みると、追い詰めらる犯罪加害者家族の救済なんてずっと後回しで良い。
そもそも、重大な犯罪を犯す犯人は突然に重大な犯罪の前に何らかの前兆を起こしてる場合が多い。 それは、割れ窓理論やハインリッヒの法則が証明している。
もしくは、遺伝的や家庭環境が犯罪を助長している場合も多いので連帯責任で良いと思う。
▲115 ▼54
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加害者の家族責任については、未成年加害者の場合は保護者も監督責任を負うのは当然である。 そして、加害者が成人の場合も、特に同居の場合はある程度の責任は負うべきだと思う。
しかし、記事に取り上げられているのは、上記の話ではない。 被害者や被害者家族、つまり当事者が加害者や加害者家族を責めるのは当然だ。
翻って、第三者はどうか? 第三者に、加害者家族まで過剰に責め立てる権利はあるのか? 第三者が加害者家族にも悪感情を持つことは仕方ないと思う。気持ちは止められない。自由だ。 しかし、だからといって、第三者に過ぎない人間が、まるで自身が被害者や被害者家族であるかのように、過剰な加害者家族バッシングを行う権利はあるのか?
加害者家族に悪感情を持つことと、実際に暴言を吐いたり、嫌がらせをして良いかはまた別だ。 記事で取り上げたいのは、そういうことだと思う。
第三者は当事者ではない。
▲59 ▼6
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私は事件のルポルタージュをよく読みます。重大な犯罪を犯した犯人の家庭には問題があることが多い、と本を読む度に感じます。秋葉原無差別殺傷の犯人だって母親からの教育虐待が人格を歪めたと言われています。なので加害者の親が責められるのは仕方ない事ではないでしょうか。たとえ成人であったとしても。ですが犯人の兄弟には全く罪は無く、ある意味では日常を突然奪われた被害者と言えると思います。
▲97 ▼22
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加害者本人が悪いので有って家族には責任はないというのも違うと思う。未成年の場合親権者の責任がある。ただし親権者以外を含めた社会にも同じく責任がある。その責任をどう分担しているかを議論して共通認識として確立していないから家族だけに責任追及が集中してしまうのだと思う。
▲5 ▼1
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ネットというものはその利便性にメリットがあるのだが、その一方でその利便性がゆえに人の心の暗部を引き出したり、あるいは犯罪に使われたりする。 本当の意味でのネットリテラシーというのは、実はそれを身に付けるのは不可能。四六時中肌身離さず持っているツールで、空き時間があれば簡単に世の中に自分の考えを発信できる。それが正しかろうが間違っていようが。それぞれの価値観が異なる以上、「ネットリテラシー」を声高に叫んだところで、今のネット環境なら「ネットリテラシー」をみんなが身に付けることは不可能だろう。 であれば、何らかの規制を掛けるより他ない。それがどのようなものになるのかはわからないが、いずれはネットも規制でがんじがらめになってしまって、不便なツールになってしまう、そんな気がする。
▲25 ▼8
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でも、それも犯罪抑止力のひとつなのだよね。 親兄弟や妻子友人などの関係者に迷惑をかけてしまうという事実が、一線を越えることを躊躇させることもある。まあそんな事を気にしないケースもあるけれど、実際そこで踏み止まる人もいるので影響力は侮れないと思う。
これは我ながら人でなしだとは思うけど、限度はあるにせよ、どうせ暇を持て余したマスコミや野次馬の餌食になるなら、被害者家族が理不尽に追い込まれるよりは健全なんじゃないのとも思う。
▲7 ▼5
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加害者家族、被害者家族、風潮など関係なく抑々、集団で1人を傷つけるような人達は、昔から多くいた。 ネットが普及したから更に増えたのではなく、根本的にそういう人が多かったのでしょう。 また、他人とのコミュニケーション不足やストレスを抱える人達が多い昨今、これを減らすのは非常に困難。 そして、そのような人達は自分に降りかからないと先ず気づけないし、誹謗中傷を永遠に続けると思う。 これは本当に難しい問題で、この先も増え続ける非常に悲しい問題。
▲10 ▼1
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犯罪と家族との関連はおそらく、明確には立証されていない。 また、反社会的な存在になる原因は環境因子だけでなく、元々の性質が現代の社会規範とどうにも噛み合わない、という人は現実に存在する。
いずれにしても家族を叩く理由にはならない。
ただ、叩く人たちの、事件とは全く無関係に膨れ上がった攻撃衝動の捌け口として、あたかもトイレのように、家族を攻撃しているだけだと思う。
多分、元々の攻撃衝動を持たない人、小さい人には、そういった行動が起こることはない。
加害者家族への攻撃は、社会内で破裂しかかった攻撃衝動を内に秘めた人間であることを自己紹介しているようなものだと思う。 そして、おそらく多くの場合、その攻撃自体、刑法に触れる。要は、犯罪加害様に成り下がっているわけだ。
▲7 ▼2
=+=+=+=+=
病める時も健やかな時もとはよくいったもので、良いことを共有する関係であれば、悪いことも共有するしかないのかなと。それは家族であれ、仲のいい友人であれそうなのでは。良いことは共有するけれど、悪いことは知りませんなんてことは難しいですよね。芸能人が結婚した時は親にインタビューにいくわけで、「独立した大人なので関係ありません」なんて絶対言いません。記事の中で言われているように、法的責任はなくても、家単位での責任共有意識は消えない文化なのかなと思います。被害者遺族からしたら犯人家族は一生背負って生きていってほしい気持ちもゼロではないでしょうけどね、、被害者側が一生救われないのに加害者側がどこかで救われるのもちょっと違和感あるような、、厳しいのかなぁ
▲42 ▼12
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とても難しい話だと、私はそう思います。 自身だけでなく、身内とはいえ他人の事にまで責任を持たせるつもりか?という疑問自体はおかしい反応ではなく、それによって加害者の家族までも不当な批判に晒されている状況も実際に存在すると考えられます。 その点においては、究極の自己責任まで突き詰める事も一つの案ではありますし、海外ではその傾向が強くなっているという事なのでしょう。
しかしながら同時に、これがあった事でこれまで日本の治安が維持出来ていた一部要因になっていたのでは、とも考えてしまいます。何の事かと言いますと、究極の個人主義が進むと身内であろうが自分ひとりの責任になるという結果が得られるので、家族に迷惑は掛からない。であれば、極端な行動に踏み切ってしまう心のハードルが現在の状況から遥かに低くなっていく事は想像に難くありません。家族にも迷惑が、という意識が、最後のブレーキになる状況もあったかなと。
▲9 ▼3
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犯罪を犯したのは個人であって、家族は関係ない・・。 もちろんその通りだが、犯人の家族はその罪を犯した個人と濃密な関係者であって、その人格形成過程やに深く関わっている事実は否めない事や、証明出来ない遠因を作り出したかもしれない。 そこは犯罪ではないので守られるべき人格なのも事実。 守られるべきだが、それは従来と無縁な環境で悟られないように生活して行くべき。 これは被害家族に対しても必要な事だと思う。
▲209 ▼106
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確かに犯罪を犯したのは家族ではない。 家族を責めるのはどうかと思うけれど。 ただ、ケースバイケースで子供が重大犯罪を犯した場合 その両親や家庭環境に起因している事も有るのではないだろうか。 とは言え、被害者とその家族が責任追及するのは理解できるが 全くの関係ない他人がSNSを使って追い込むのは 全く別な問題ですべきではないと感じる。
▲46 ▼8
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加害者に対して罰が軽すぎるというのも不満が溜まる要因ではないでしょうか。しっかり罪を償ったよねと思える判決が出てない。 またSNS等が発達して、そこで騒がられると社会的制裁をくらったので減刑とか精神を患っているから減刑、不起訴など納得できない。 賠償金などの判決が出ても加害者がそのお金持ってないから支払われないとか被害者にさらに苦痛を与える今の司法がおかしいと思う。
▲56 ▼7
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集団的な制裁心理だとかSNSを持ち出している教授がいるが、そもそもこういった攻撃は昔からあった。でも、その行動が広範囲で協力になっているのは何故かの考察が足りない。言いたく(書きたく)なるには、それなりの理由があるはずだと考えるべきだと思う。何故か...正直に真面目に生きても、誰からも評価されず、自分が不甲斐ないと思っている人達が多くなった現世のだからだろう。真面目に頑張っても、まともに給与は貰えず、全てがすげさんでゆけば、明確に罪をおった人を色々といいたくなるという心理が大きいと思っている。ニュースなどもそういう書きぶりの方が売れるから、心無い人間である記者がそれを記事にする。SNSはそれをし安くしているだけのツールであって、SNSが今の形だからこのような状況を運でいる訳では無い。偉いと言われている先生も、もう少し考えるべきだと思う。
▲11 ▼12
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犯罪加害者の家族が必要以上に追い込まれ、命まで断つようなことは悲しい事だと思います。 しかし、被害者側にも家族があり、当然失わなくても良かった命を失ったとすればどうだろうか。
決して、加害者家族が被害者だとは思えない。加害者を産み育ててきた家族の責任があると思う。成人しているので…という理屈が被害者家族に通用するだろうか。
特に最近の傾向として「想像力の欠如」を感じる。 もし、自分が犯罪を犯したら…自分はどうなるんだろうか、親は兄弟姉妹は…どうなるんだろうか、被害者にも家族はいるんだろうか、その家族はどんな風になるんだろうか…。 自分にも3人の子がいて、子育てが上手くやれているとは言わないが、とにかく「自分がされて嫌なことは、人さんにもするな」とは言ってある。 加害者家族(特に親)は、決して被害者ではないと思うし家族である限り、責任は感じ続け取り続ける必要はあると思っている。
▲13 ▼13
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子を持つ親としては、子供が罪を犯した場合、親にも責任があるとは思います。それまで育てた子供が罪を犯したのですから、これは仕方ありません。 しかし責任の果たし方が社会で何も準備されていないことが問題です。 親を皆で糾弾しても社会の留飲が下がるだけ、再発防止に役立ちません。 親は自分の育て方を社会に明らかにし、何が失敗であったのか、どうすればよかったのか、それを社会に情報として提供することが責任の果たし方だと自分は思います。
日本社会は「留飲を下げる」ことに夢中で再発防止の観点が希薄です。 先の大戦中も敗北すると責任者に腹を切らせて一件落着としていたケースが多いようです。おかげで日本軍は「同じように敗れる」戦いを繰り返しました。 犯罪加害者の親は、失敗の教訓を社会に還元するという形で責任を取るべきだと思います。
なお親以外の家族に責任はないと思います。
▲64 ▼56
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佐世保の事件を例に出すならば、その概要は記事でふれないと… 事件現場は当時15歳の犯人が一人住まい。前年死去した実母の一周忌も立たないうちに再婚した継母と関係が起因。また父親自身も金属バットで襲撃されるなど危険な兆候があったのに十分な対処をしなかった。自殺要因がバッシングだけかのような印象操作を感じます。 >少女は昨年、法令が規定する少年院収容上限である26歳となり、社会に復帰した。 果たして社会復帰できる程改善していたのか?むしろその点が気がかりな点です。
▲46 ▼4
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加害者が起こした罪は重いがそれを家族に擦り付けるのはいかがなものかと思う。今はこうしたネット投稿も投稿者を特定できると聞く。それが証拠として認められるなら、無意識に攻めている我々も特定され逆に罪に問われる可能性もある。法整備が整えばすぐにもできることかもしれない。
▲9 ▼3
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「被害者は取り返しがつかない被害を受けているのに、なぜ加害者は社会復帰できるのか?」という、根源的疑問に対する行動ですね。
被害者と加害者で「衡平性」が無いことに対する、一般市民の司法に対する不信と言ってもいいかもしれません。
ハッキリ言いますが、「家族は関係ない」は法的な話であって、実際のところ、家庭環境を原因とした人間関係構築ができないなど、家族は加害行為と全く無関係ではありません。
その上で、現在の「加害者の更生ばかりに目がいっており、被害者を考慮しない司法」のあり方には、自分には疑問があります。
▲27 ▼8
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明治の家族制度が原因だ? 馬鹿なこと言ってんじゃないよ。 どこの国であろうと、どんな制度であろうと、社会の最小単位である家族を個人の次の責任単位ととらえるのは当たり前のことだろう。 行き過ぎた誹謗中傷はやめるべきだが、家族を責めるのは不自然なことではない。むしろ、犯罪を犯すような資質を持ったの人間の抑止になって良いと思う。 それよりも、被害者をもっと保護することが必要だと思う。
▲59 ▼40
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昔から連帯責任がとても高い社会で構築されている日本の特質でしょう。 特に戦前までがとっても強かった。 家族じゃなくても従業員が法を犯すと主人家族も監督責任で罰せられていた。 もっというと、村全体でバッシングされたりした。長屋の大家さんが店子の責任を取らされたりもした。 未成年の我が子が加害者になったら保護者である親が責任を取らされるのは至極当然かと思いますが、ただ生活が成り立たないまで、自殺に追い込むまで、叩くのは異常です。 普段穏やかな日本人ですが、個人じゃなく団体で生きている日本社会では、社会的ルール違反をしたり多数と違うことをした他者へのバッシングがエスカレートする傾向もある。日頃の鬱憤を晴らすように。 自殺するのは大概が加害者の父や兄弟など男性が多いようです。女性より責任意識が高いと言えるかもしれませんが、それ以上に死んでお詫びするとか現実から逃げたいという意識が高いのでしょうか。
▲15 ▼6
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被害者側からしたら、加害者だろうと加害者の親だろうと関係ない。特に加害者が子供であった場合、私ならその親に矛先はいく。産み育てた段階で責任はあると思う。いや、恨みをそこにしか持っていけない。被害者家族がもう娘には会えないのに加害者の親は会おうと思えば会える。そんな理不尽な事は許されてたまるかと思うのが普通ですよ。
▲25 ▼16
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加害者家族に責任がないとはいえ加害者がそれだけの事をした結果なのでそれは致し方ないだろうと思う。 むしろ被害者や被害者遺族の苦しみの方が遥かに大きく。 人を殺める、傷つける等の行為は人生をかけて償わなければならない程やってはいけない事と認識が広まれば加害者の家族がどうとかは確実に減っていく。 むしろ、加害者がそういう人間になる過程で確実に家族との関わり合いは関係する訳なのだからそれらを含めて家族にも影響が及ぶのは当然。 こういう部分を甘くしていくから同じ様な犯罪がどんどん増える。 昔はこういう事件が本当に少なかったのだから。
▲36 ▼34
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記事を読んで思ったのは、まず被害者及び被害者家族の救済の方が優先でしょうに…と思いました。 なぜか被害者より加害者の人権を守る様な弁護士が居たり、死刑廃止を実現する目的で被害者及びその被害者家族に圧力かける団体が居たりと、こういうのを聞いてると加害者家族の救済迄考える事は難しいとも感じます。
まず被害者救済、被害者の家族を救済、加害者へ厳罰化、それをもって加害者家族へは被害が出ない措置を講じるという順番を踏まないとダメだと思いますし、それが無い限りいつまでたっても加害者家族の環境が良くなることは無いとも思います。
ほんとハンムラビ法典ではないですが、被害に見合う等価報復は他の被害者を発生させないという上で重要な要素ではないかと考えます。
▲7 ▼5
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加害者家族に怒りの矛先が向かうのは、加害者に対する罰が不十分だからです。 損害賠償すら被害者に支払われないこともあります。 まずは、損害賠償を支払い切るまでは、拘禁は解かずに強制的な労働をさせるような法制度が必要だと思います。
▲8 ▼7
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少年犯罪の場合は生育歴も原因の一端になるから、特にそうだと思う。 我が家も育てにくい子を育てていて、専門家の支援無しには育ててこられなかった。
家庭で抱え込まずに専門家に相談しながら子育てできる社会を進めていくことが大事だと思う。
▲97 ▼21
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日本は社会的に連帯責任を追及する国だと考えられます。おそらく5人組などの古い制度が生き残っているだと思います。老人の方で良く「世間様に申し訳が・・」と言う方が居ます。家族から犯罪者を出したら社会的制裁を受けるからこの言葉が有るんだと思います。この社会的制裁が一種の抑止になっているのです。米国のように犯罪を犯したものがのうのうとする社会ではないのです。
▲10 ▼4
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犯罪加害者の家族にすれば身内がやらかした結果で直接的な関与も無いのに世間から責められるのが理不尽って言ってんだろけど、それが犯罪抑止にもなってるはず。自分が被害者になったらとても加害者本人とその身内を区別なんて出来ないね。まして自分の大事な身内が被害者となればね。
▲3 ▼3
=+=+=+=+=
何か誤解しているのでは、冤罪でなくても、それなりに加害者やその家族に社会全体が同情できる要素があるならば、情状酌量なり更生への支援という声もでるのは事実だ。 加害者に対しての同情も共感も一切出来ないケースで、しかも加害者本人は法に守られて人権尊重とかで、お気楽な人生が過ごせるとなれば、その加害者の家族に何か責任はないかと追及がいくのは当然だ。 それこそ今の広陵の野球部で暴力をふるった高校生だけに罪があって、クラブの監督や高校、ついでにそういうところに進学させた親に問題がなかったのかと責任追及するのまで、考え直すべきとか言い出しそうで、かなり怖い論理だ。
▲15 ▼19
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子供や兄弟はともかく、親は責任を問われるべきであると強く思う。
凶悪犯罪を犯した犯罪者の子供時代に、虐待等が多いというのは統計でも示されている事実。 親の犯罪行為を家庭内だから、相手が子供だからという理由で許して良い訳が無く、また、それらが子供の犯罪行為の遠因となっているのであれば、親の側が罰されないというのは社会的にも道理が通らない。
▲5 ▼3
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加害者の親が、責任を持って被害者の救済にあたることが日本では少ないのでは? 加害者自身で責任が取れないなら、三親等くらいまで責任の追求や請求が行くのは当たり前かと思う。遺産だって息子や娘が先に亡くなったら孫に行くみたいなシステムがあり、負の遺産も同じ扱い。 賠償金も相続放棄して欲しくないですけどね。生前贈与の形できちんと賠償してほしい。 親には育てた責任もあるし、被害者は家族ぐるみで苦しんでいる。
▲207 ▼162
=+=+=+=+=
だったらまずは加害者更生を第一に考え被害者置き去りな現在の少年法や司法の判決から見直し、加害者には正当な罰を与え、未成年も実名報道するべきでは?勿論死刑を先延ばしにせずに法務大臣も職務を全うすべき。個人思想で死刑実施の指示を行わないなは職務放棄以外何者でもない。 まだ成人していないのだから未来を考えて過保護に守ります…犯罪者も罰則を与えるより更生させて社会復帰を…裁く権利、罰を与えられる権利を持つ司法が加害者過剰擁護に舵を切れば切るほど、バッシングは強くなるに決まっている。 逆に司法が権利を有する者として、冤罪が起きたら…と自己保身に走らず、妥当な罰を与えていけば、民衆も「あとは司法が裁いてくれる」と落ち着くでしょう。だいたい炎上させるのはいつでもメディア。ネット民が悪…と誘導したいのだろうが、以前からメディアの方がよほど悪だった。あと何気に家族制度を批判する辺り、あっち側の思想が見えるね
▲4 ▼2
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今回は加害者側の親族という内容だが、加害者が加害者となる要因は本人の持っていたものだとは思うが、それが全てでは無いのではないかとも思う。その環境などの要因も必ずあるのでは無いだろうか?そういった意味から、加害者と親族は別な個人だからという理由で何も非が無いとは言い切れないと思う。もちろんそれを理由にして、無関係な人間が誹謗中傷したり、追い込む行為をして良いとはならないが、一定の責任は負うものだろう。
▲7 ▼6
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個人という独立した存在ではない。 当たり前です。 人間が土から勝手に生えてくるわけないんだから。 子供は親が育てるものです。 少なくとも凶悪犯罪は起こしてはならない、社会性は自分に合わさせるではなく、自分が社会に合わせる。程度は親が教えて理解させるものです。学校任せではこういう事は学べないでしょうね。 家庭環境を言い訳に育ちが悪いままを受入れてもらうではなく、最低限の社会性を身に着ける人並み以上の努力を子供は求められます。親が禄でもないと。 親の育て方が悪かったと言うのは、全てではありませんが子供に多大な影響を及ぼすものです。 一蓮托生ではなく連帯責任です。 成人したら無関係ではなく関係は生涯続くものです。 家柄云々に脊髄反射で否定する人とは、お察しの生まれだなと感じます。 格式高い所は守るものが多いので、厳しく躾けられるものですし、それが当たり前と言う事です。
▲5 ▼7
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人々の加害者への感情は、その家族の含め加害者と言う意識なんだと思う。 ただ、SNSは、間違った正義感を煽り、あたかも悪者を成敗するかのように、振る舞い発信してしまうのは間違いだと思う。 しかし、加害者にも親がいて、その生育環境により子供が間違った方向に進み、それを抑えきれなかったから、犯罪をしてしまうと言う見方もある。 先天的に精神的におかしいや、歪んだ子供もいるだろうが、私はそれの多くが、幼少期の幼少期の成育環境によって左右されるものだと思っている。 ならば、成人になる前では特に親の責任は強ものだと考える。 要するに、最も近くにいて、責任を持って管理できるのは親でしかないからだ。 何かと社会の押し付け、子供がやったことだから、などと逃げたり責任転嫁するのは間違いであると思う。 この親は、社会的反応に待切れず、死して責任を取った以上
▲8 ▼10
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加害者家族の件ですが、以前はテレビのニュースやワイドショーもやってた事です。突撃取材的な事を行って加害者家族にインタビューとかで付きまとった事はあるでしょう。加害者だけではなく、有名タレントなどが不祥事とかの疑いがあっても玄関先にピンポンを鳴らした事はあったでしょうね。 正義の名の元になのか報道の自由の名のもとにやってました。今は情報社会でSNSが発達してます。一般人が真似をしてる感じがしますし、時には過熱になりすぎることも多々あります。 あと、逆もありますね。個々人が活躍してるのに、その家族を称賛する雰囲気もあります。これが良いか悪いかはあります。 最後に私が加害家族になった場合は、その地域に住めなくなると思うので引っ越しも含めて移動を考えますね。そのためにも加害者にならないようにしてますし、家族の方にも注意をしてます。
▲3 ▼0
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自分が同じ立場であったなら…と考えること、つまりイマジネーションが「思いやり」の基本だ。こんな連中と、間違っても縁がある訳がない…と最初から突き放すことで、SNSやネットでの集団的な制裁心理は醸成されていると思うが、直接暴力を受け、生命に危険を感じるような局面を除いて、人は他者をイメージできるし、そのことで同情や共感もできる訳だから、『加害者』の血を引く者であることを理由に、まったくそうした想像力をはたらかせないのは如何なものか。
▲3 ▼2
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万国共通に問題かもしれない。被害者家族優先の救済措置もそうだが、その後に加害者家族も救済措置取らなければならない。 それに天皇陛下も更生保護に関する式典で被害者と加害者を配慮する形で被害者救済と社会復帰と同時に加害者の更生保護と社会復帰の重要性を述べられ、また名指しは避けながらもメディアや全ての人々に警鐘を鳴らす形で被害者や加害者問わず他者の気持ちを尊重すべきと述べられ、同時に宮内庁も異例のコメントしたが我々としては明日は我が身かつ教訓と反面教師を心掛けるしかない。
▲7 ▼24
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加害者の家族を誹謗中傷したり 責めるのは違う ただ どういう環境や 育児がそうなったのか?ということは犯罪抑止にも繋がるので 協力してもらい 反省もかねて情報を公開 広く世間でも認知してもらいたい やっぱり 偏愛や親の愛情過多や 愛情不足など影響していると思う それに言っちゃ悪いが 特定の職業や 公務員の子どもに凶悪犯罪多いのもなんか体感している 割と生活に余裕がありそうなお医者さんとかもね もちろん犯罪者そのものが悪いのは間違いないが 未成年だった場合 その保護者の責任となるからね ある程度は協力してもらわないと ダンマリで逃げ回るばかりでは 被害者も遺族も浮かばれない
▲1 ▼0
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確かに罪は加害者本人の責任で 選挙違反を除いて連座制はありません。
加害者家族にとって加害者であっても家族だから 罪を軽くしたいのだろうけど、 裁判で情状証人になったり出所後にサポートを約束するのが 被害者を逆なでしているのが原因と思う。
殺人や性犯罪を行った場合、一切の縁を切って 情状証人としても出ないし出所後は知らん。という姿勢を貫かないと 加害者側として非難されても仕方ないように感じます
▲5 ▼6
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加害者の家族が責められ追い込まれる理由は、「家族、家という括り」が根強いからですよ。これは昔も今も変わっていないと思います。
例えば「女子高生コンクリート詰め殺人事件」や「名古屋のアベック殺人事件」は衝撃でした。加害者たちの残虐性に驚き、どういう育ち方をしたのかと思ったものです。加害者たちを育てたのは親であり家族です。育て方や家庭環境に問題があったのではないか、親や家族は何をしていたのかと思いました。赤ちゃんは、みんな同じです。その後の育て方で変わります。「育て方を間違えたから犯罪を犯した」と考える人がいても、おかしくないと思います。
昔は加害者宅に落書きをしたり、近所にビラを撒く程度だったから、中傷したとしても拡散性は低かった時代です。今はSNSが普及し、誰でも簡単にネット上に意見を投稿でき、それが拡散します。拡散力の差が加害者家族を追い込む面もあると思います。
▲22 ▼7
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実際加害家族が安穏と生きられる世界になったとして、「自分は良いが家族に迷惑がかかる」と思い止まっていた人間が犯罪に走る割合はどの程度あるんだろうか?獄中の犯人に「家族は心配いらないよ」と声をかけて安心させられるようになるのが良いことなのだろうか?家族に責任があったか、もしくは家族も犯罪者からの被害に遭っていたか、それを客観的に判断して知る方法はあるのだろうか?過剰な攻撃はともかく、犯人の異常性を知りながら放置していた、あるいは助長していた、最悪直接的な原因でもあったという可能性があるかぎり、加害者家族を忌避するのは致し方ないだろう。
▲79 ▼38
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家制度なんてものはないでしょ 明治時代に民法を作るときに、当時の家族観なんかを下敷きにしてそこで運用するのに必要な法律を作っただけの話、別に制度として導入したんじゃないよ で、それって今でも当然有効だと思うんだけどね
弊害も確かにあるだろうけど、そういった家族観が親が子どもに対する教育に対する責任を持つ義務を生じさせることは、社会的にはトータルで見れば利点のほうがずっと大きいと思うんだが
▲63 ▼34
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加害者が子の場合、それを産みし育てたのは親なのだから責任があるでしょ?というのはわりと自然な感情だと思う。 加害者がどこかから湧いてきて悪い人間に勝手に育つとは思えないし。 加害者が親の場合の子供なら保護して、犯罪を犯さない人間に育てていく環境が必要があるということはわかる。
▲33 ▼15
=+=+=+=+=
未成年の罪は親の罪でもあるでしょ。逆に、事の善悪を教えない親って親と呼べるのかも怪しいけど。子供を真人間に育てて社会に送り出すのは親の努めでしょう。関係ない第三者が加害者家族に凸ったり家に落書きしたりというのは、それはそれでおかしいし別の罪に問う必要あると思いますけど。
成人だって不慮の事故ならまだしも、自ら進んで罪を犯すのが悪いのだから、犯さないよう生きたらいいだけの簡単な話だけどね?何を優しくする必要があるのかわからん。犯罪やらないってそんな難しい話?
▲3 ▼0
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被害者遺族も謂れのない中傷を受けたり、個人情報を晒されたりしている現状の中で、加害者側の個人情報が拡散するのは致し方無いと思います。 そもそも個人情報法規制が遅れているのが問題ですし、仮に規制されたとて悪事を忌み嫌う人や被害を受けた関係者の怒りは形を変えて加害者側を攻撃すると思います。 なぜなら日本の刑罰が軽すぎて、被害者側の救済が為されていないからです。 もし出来ていれば私刑のような行為は減ります。
▲95 ▼36
=+=+=+=+=
犯罪加害者家族だというだけで非難されるべきではなく,仮に犯罪発生前(犯罪を誘発した側面はないかなど)と犯罪発生後(犯人を匿っていないかなど)における個人の「落ち度」があっても,その点に限定して責任が問われるべきだと思う。しかし,そのことと「家制度」には何の関係もない。その証拠に「家制度」のないはずの欧米でも,犯罪加害者家族が不当に責められることはある。本来あるべき家族の一体性と「家制度」は異なる。この記事は,何らかの政治的意図で,家族の一体性を破壊しようとして,このような印象操作をしようとしているのだろう。
▲68 ▼52
=+=+=+=+=
自分がどっちの立場になるかわからないけど 加害者家族だったら関係ないと思うけど 被害者だったとした場合、 本人と話せないのなら、そりゃ家族に矛先が向くのは自然な流れだと思う。 本人は壁の中で守られ3食付き、 いつかは出てこれる。 家族は関係ないと、日常生活を送っていたら、そりゃ怒りは倍増するよ。 どっちの立場にもなりたくないけど、 その立場になった人じゃないとわからないと思う。
▲2 ▼3
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佐世保の事件は明らかに父親の対応に問題があったと記憶している 娘が非常に不安定な時期に新たなパートナーを見つけ、娘から被害に遭ったにもかかわらず、適切な対応をせずマンションで一人暮らしをさせているのだから
兄弟姉妹は関係ないとしても、成長過程の環境について強い影響力のある親には子供の犯した行為について、責任自体は求められて然るべきだと思う
▲17 ▼5
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被害者遺族だって仕事を失ったり、体調を崩して生活ができなくなったり、生涯大切な家族を失った苦しみに喘いだり、中には自死される方も少なくありませんよ。 賠償金をまともに払ってもらえないケースも多々ありますし、SNSで謂れのない誹謗中傷を受ける遺族もいます。 どちらを優先して守るべきか?は当然被害者側でしょう。 加害者の場合は遺族にも少なからず責任はありますからね。 育てた責任、保護者責任、監督責任、異変があっても見つけられなかった責任、異変には気づいていたが止められなかった、または止めなかった責任。 加害者が未成年であれば尚更ですよね。 被害者遺族の場合は大抵の場合責任はなく、一方的に被害に遭うケースが多いでしょう。 だからといって加害者遺族に対しての誹謗中傷を野放しにして良いとは言いませんが、まずは被害者や被害者遺族の保護やケアが先にやる事であり、それらが十分に実施されてからの話でしょう。
▲20 ▼9
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犯罪に対して過度な私刑が行われないよう、日本の憲法は定められている。これは明治の時代からそうで、GHQ統制の下に定められた現法も変わらない。法治国家とかそういうものだ。人の感情は統制するには限界があることから、感情による裁きを止めずにいるといずれ大惨事に繋がるからだ。 にも関わらず、昨今はSNSや匿名性を利用して、半ば合法的に私刑を行うことができる。法で縛ることが難しいので、感情のままに思想を押し付け放題だからだ。更に自分と同じ思想を持つ人を見つけるのが容易で、「みんな言ってるから私も言っていいんだ」とタガがはずれてしまい、暴走状態に陥っていく。 人間の良識が試される時代なのかもしれない。
▲2 ▼1
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自殺した加害者の家族も同じように罪悪感を持っているから、生き続けることができなかったのではないか。周りが非難?するから自殺に追い込んだということではないと思う。家族制度があったからとか言うが、大家族制度廃止後何年も過ぎようとしている今その影響というより自分が生んだ子どもの犯罪に耐えられなかったのではと思われる。
▲6 ▼12
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一般大衆に向けて「やめようね」なんて言ったところでまったく効果は無いのだから、犯罪に手を染めるなんて事はやめようねという話です。 もう一つ。高校生の授業で「犯罪者とその家族の末路」というものを、具体例を挙げて教えればよいのです。どのように惨めで苦しい毎日が自分や家族に訪れるか。一つ一つ陰惨な光景を具体的に教えてやればよいのです。もっとも効果的な抑止になると思いますよ。
▲3 ▼6
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理屈として、子供は親の行動を制御できないので、親が表でどんな犯罪行為をしても、子供に法的・道義的責任を求める事は不可能だし、理不尽だ。これは兄弟姉妹間でも同様だろう。 ただ、子供(特に未成年者)の犯罪行為について、親に法的責任を問うのは難しいにしても、道義的責任はあるんじゃないのかなあ。 あと自分は実家が商売していたので、親や祖父から「お前が警察に捕まるような事をしたら、お店は潰れるし、じいちゃん達も今の家に住めなくなる」と`孫悟空の輪っか`をかけられて育ったので、確かに`家族`の犯罪で、他の家族全員が社会的に責められるのは理不尽だと思いつつ、ソレが犯罪抑止に役立っている面もあるから・・
▲5 ▼0
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これが普通で、やりにげが許されない世界になっただけだと思うが。 虐め問題も一蓮托生になればいい。現在の法に抑止力がない以上、攻撃者とその一族は極端に肩身が狭くなるという社会構造で抑止するのがよい。 今般の高校野球の問題も、社会は絶対に許さなくてよい。それだけが未来の被害者を救うのだ。
▲2 ▼5
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確かに親子関係の破綻の結果とか、この親にしてこの子ありのような事件も散見されますが、そのこともキッチリ対応すべきですが、今の日本で、被害者(特にお亡くなりになっている場合)と加害者の人権に関して言うと、殊更加害者の保護に偏っているような気がしてなりません。 被害者やそのご家族の事が、先ず第一に守られるべきでは無いでしょうか。 勿論、極悪非道の限りを尽くされた挙句の反撃での加害者の場合は、考慮する必要があるかも知れませんが。
▲6 ▼2
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最近、既存メディアが自らの影響力低下への危機感か苛立ちなのか、SNSでの誹謗中傷やデマだけを、やたらと問題視する傾向にあると思います。 記事に書かれている様にSNSの無い時代も、既存メディアの報道により誹謗中傷はあったし、松本サリンや従軍慰安婦問題捏造等々の誤報や捏造報道もありました。 勿論、SNSでの誹謗中傷やデマは許される事ではないです。 そして日本は連帯責任論が根強く残る社会だと思います。 久しぶりに公平な記事を読みました。
▲11 ▼8
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犯罪者は塀の中、あるいは警察権力に守られ一般人やマスコミは接触できない。渦巻く憎悪嫌悪感忌避感をぶつけ不安を解消し自分は正常だと思いたいための行き過ぎた正義あるいはそれを利用した金儲けに晒されるのは、何者にも守られていない犯罪者家族。別に日本に限ったものではなく、家族に対する風当たりの強さは土地や時代が違っても変わらず強い。 そのような悪寒をぶつける先を作らないために行政・警察組織が犯罪者家族を守れば、次は守った組織対する強い憤りへと変わる。昔からから変わらない関係者へのいじめ。それが無くならないのは守った側が次の標的にされるから。それが嫌だから放置して犯罪者家族が叩かれるままにしている。 叩く風潮・心情がおさまるよう人間が成長すれば良いのだが、何百年だっても変わらない。それはどこかにガス抜きのようにぶつける先を意図的につくり、少数の犠牲のもとに社会の安定性を求めようとする業。
▲1 ▼1
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最近、特にリベラル派、人権派の人達の活動が活発化され日本を壊そうという意図が普段普通二暮らしている私たちの差し迫った感がある。これは、テレビ、新聞がより左傾化して日本を無くそうとする匂いを感じます。こういった中で少しづつ少しづつオールドメディアが国民を誘導あるいは洗脳していると思います。この一環として被害者を守り加害者を守るような報道ならいいですけど、視聴率や購読数が先に来て本来の目的を失った常識のない人達がこれに拘わっていると思います。これも戦前の状況と同じに感じます。もっと公共メディアとしての自覚と使命感を持っていただきたいと思います。
▲210 ▼138
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私は子供の頃から親から何があっても警察の厄介になることはするなと教えられてきた。それは本人だけでなく親や親戚などに迷惑をかけてしまうからだ。でも、犯罪を起こす原因って家庭環境やしつけができてないからと言うのもけっこう多い。それなのに加害者家族は関係ありませんはないと思う。加害者家族は白い目で見られる。これは仕方がないことだと思う。九州のひき逃げで指名手配中の身内が話していたけど、被害者よりも自身の家族の擁護ばかりしていたけど、そこは違うだろと思った。
▲3 ▼1
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加害者を厳罰に処していればこんな問題起こらないだろ。 人権の名のもと、加害者の人権ばかりが保護されては 誰が納得するってんだよ。
昔、ビートたけしが「我が子が他人を殺めたら自らの手で始末する以外ない」 と語っていた。 言葉通りに受け取る訳ではないが考え方は共感する。
▲28 ▼7
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犯罪の発生を防止する為には親族もある程度の社会的制裁を受けさわるを得ないと思う。 それよりも、日本の刑法は甘過ぎる、犯罪を防ぐ為にも、被害者親族を思いやった厳しい判決にすべき、また、日本人のみならず外国人にも平等に刑法を適用しないと日本の治安は保てない。
▲3 ▼2
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家族や親戚に影響を及ぼすという連座制であるから犯罪抑止に繋がっていることは事実。 それを外したら、もうやったもん勝ちの世の中となる。 だからこそオウム教祖の子供が大勢居るが全員の処罰が必要だった。 芽を摘まなかったことで現在は父親の後を継いで教祖となり大金にまみれる生活をしていると聞く。 娘も人権だなんだと主張しているが話を信じてはいけない。 生まれた時から特別な権力と金がある生活をしていて今さら一般人に戻れるはずもないのだ。 実際に公安の目が光っているはずだったアレフ教祖の息子と母親の元には大金が隠されていたわけだ。 被害者遺族に補償もせず自分たちは組織の頂点に君臨して潤い遊んで暮らせる生活。 そんな話に納得ができるはずもない。
▲31 ▼16
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>大阪経済大の坂野剛崇教授(犯罪心理学)は、明治民法で導入された「家制度」の影響があるとみている。「世間には、個人は独立した存在ではなく、家単位で捉える意識が今なお強く根付いている」と話す。
これの最たるものが戸籍制度です。もちろんメリットもありますけど。 あと生活保護を申請するにしてもほとんどつながりのない家族の有無のチェックとかありますよね(しかも厳しめの)。あとは各種保証人制度も基本的に家族に求めますよね。
▲3 ▼5
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この事件に関わらずですが第三者である個人の発言や行動が雑な気がします。 事件の背景によっては加害者も情状酌量の余地があるかもしれないし、逆に親御さん育て方に起因したものかもしれない。そう言った背景を分からずメディアの情報を鵜呑みにして行動してしまうというのは今のご時世ちょっとオールドタイプな気がします。メディアの情報すら怪しまれるご時世ですし。かく言う自分もそうなりがちなので発言は慎重にしたいと心がけてはいるのですが…
▲6 ▼0
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加害者の家族によって加害者の情状酌量が認められる
犯罪被害者になったことがありますが、 加害者の裁判では加害者の配偶者や子ども(2歳、4歳、6歳)が出てきて 家族が必要としているので情状酌量を求めますって弁護士が発言。 見事に情状酌量が認められていました。
この経験では、加害者もその家族も私に被害を及ぼした奴らにしか 見えませんでした。 そういった点では一蓮托生という見方もあるように感じます。
▲4 ▼1
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犯罪の加害者・犯人となった子供(未成年)といつも一緒に暮らしている親などが、その責任を問われるのは法的にも当然。そして、子供が成人してもまだ実家にいるのであれば、一緒に暮らしている元・保護責任者(親)が社会的・道義的な責任を問われるのもしかたない面があると思う。 でも、すでに成人していて、実家を出てもう何年も経つような子供の犯罪のせいで親や家族が責められるのは完全に筋違い。
▲3 ▼1
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今の所、どちらの経験も無いですが、 記事は未成年者の事件ですが、最近の先生方の変態案件で、上司、教育委員会?的な人が謝罪しているのを見ると、何故謝罪する必要があるの?と、思ってます。保護者には説明責任はあると思いますが、あんな事やる想定を雇う側はしてません、本当であれば。 こういった時に、親、家族、保証人が、謝罪するべきだと私は思います。 こんな子供を社会に送り出して申し訳ないと。抑止力にもなるかと。
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大学生の頃、父が犯した性犯罪の被害者のご家族に家族総出で謝罪にいきました。 何もしていない母や私、兄弟も皆床に頭をつけて土下座し、せめて娘の私にも恥ずかしめにあわせようと思ったのか、性行経験の有無や初体験の年齢を、家族の前で答えさせられました。その時は思考停止状態で淡々と答えていましたが… 今となってはなんでそこまでされないといけなかったのかと腹が立ちます 加害者家族だからと言って、一方的に責められるのはおかしいでしょう
▲23 ▼18
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加害者家族の問題も、新聞やテレビといったメディアの過剰報道が大きな原因である。 確かに家族によっては、加害者を犯罪に向かわせた原因になる事もあるが、大半は加害者本人だけの問題。 しかし、メディアは家族を特定し、執拗な取材と称した非難を投げつけ、近所迷惑になる位の取材合戦。 そう言った行動を見た人は、家族に対しての見方が変わり、偏見を持ってしまう。 新聞は部数の激減、テレビは視聴率の低減、何故そうなったかは、記者の低俗さと恣意的な記事、偏向報道を平気で行う姿勢。 しかし、苦しんでいるのは、被害者家族も同じなので、その方達にもサポートするよう期待します。
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