( 319488 ) 2025/08/27 06:21:01 0 00 Photo:JIJI
ユニクロの創業者・柳井正氏はある言葉を好み、社内の壁に貼っていたという。そんなリーダーに部下としてついていくのは、さぞ大変だろうと思うが、マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏と共通点があった。(イトモス研究所所長 小倉健一)
● 柳井氏の経営の中心思想
ユニクロの創業者・柳井氏が、好んだという「泳げないものは溺れればいい」という言葉は、グローバルに成長する会社経営の厳しさを端的に表すものだ。
元は英語の慣用句「Sink or Swim」に由来し、環境に合わせて進むか、適応できずに失敗するかという2つの結果しかないという考え方を示す。自ら努力して困難を克服することを求め、助けや猶予を前提としない厳格な姿勢だ。
この考え方は、変化の激しい市場で企業が生き残るために必要な覚悟として、これまで多くの経営者に受け止められてきた。
柳井氏の言葉は比喩にとどまらず、組織文化や人材育成に影響を与える経営の中心思想となった。経営者としての強い危機感が、適応できない者を容赦しない姿勢を形づくった。
この姿勢は組織に緊張感をもたらし成長を促す一方、冷たく過酷な側面も抱えている。企業という共同体で、個人に自律と成果を徹底的に求める考え方は、肯定と批判の両方を呼び起こしてきた。
柳井氏が「Sink or Swim」の考えを好んで語ったのは、経営に対する強い不安を常に抱いていたからだ。
ノンフィクション『ユニクロ帝国の光と影』(横田増生著)によると、柳井は友人に「毎晩のように会社がつぶれる夢を見る」と話していたという。父から事業を継いだときに背負った恐怖が、失敗を許さない厳しい姿勢をつくり上げた。
● 「成功は一日で捨て去れ」にも通じる経営姿勢
同書には柳井の言葉が紹介されている。
《「(前略)商売で失敗するということは、自分の財産を含めて全部がなくなるということなんですよ。毎日夢を見たかどうかは、もう覚えていませんが、絶対に商売に失敗してはいけない、というプレッシャーはいつも持っていました」》
これは創業者が抱える孤独な覚悟をよく表している。
柳井氏が実際に「泳げないものは溺れればいい」と語ったのは、社内に緊張感をもたらすためだったと同書は記している。あえて厳しい言葉を選ぶことで、社員の意識を引き締めようとした。
この考えは「成功は一日で捨て去れ」という柳井の別の言葉とも通じる。過去の成果に安住することを禁じ、常に新しい仮説を立て挑戦し続けることを求めた。楽な繰り返しに流されれば、企業は変化に取り残されてしまう。だからこそ、社員一人ひとりが考え、動き、泳ぎ続けることが不可欠だった。
この厳格な思想こそが、ユニクロを世界的企業に押し上げる原動力となったのであろう。
● ビル・ゲイツ氏の「Swim or Sink」的思考
ビル・ゲイツ氏も「Sink or Swim」の考えを実践した経営者だった。
マイクロソフトの創業時が克明に記されている「Show Stopper!: The Breakneck Race to Create Windows NT and the Next Generation at Microsoft」には、マイクロソフト社に入社する新人が「Sink or Swim」、つまり自分で努力して成功するか、さもなければ失敗するしかない」という、極めて厳しい環境に置かれることが描かれている。
ゲイツ氏はインターネットを破壊的な変化と位置づけ、マイクロソフトが生き残るにはすぐに方向転換が必要だと強調した。彼の「Sink or Swim」という方針は、大企業が自ら変わるための強い決意を示しているのだ。
同じ年に出版された著書『The Road Ahead』(邦題『ビル・ゲイツ 未来を語る』)でも、ゲイツ氏はインターネットを「情報の津波」と表現し、従来のビジネスモデルを根本から変える力があると述べている。
ここでも「Sink or Swim」という言葉そのものは出てこないが、変化に対応しなければ淘汰されるという考えは一貫している。
柳井氏とゲイツ氏に共通するのは、変化を恐れず挑み続けなければ生き残れないという信念である。この考えはダーウィンの進化論、つまり適者生存の考え方と重なる。企業や人は環境に適応できるかどうかで生き残りが決まる。
ただ、ある学術論文を読むと、受け止め方が少し変わってくる。
● 「泳げる力」は生まれつきの資質によって異なる?
「Darwinism, behavioral genetics, and organizational behavior: A review and agenda for future research」には、ビジネスで成功する力、すなわち「泳げる力」が、後天的な努力だけでなく、生まれつきの素質にも関係している可能性を示している。以下に論文の一部を引用してみたい。
《進化論的観点から見れば、遺伝的特性は、人類が適応問題を解決するのを助けてきた、進化した心理システムの多様性を反映している。個人差の根底にある遺伝的多様性は、異質な環境ニッチ全体で適応度を最大化し、それゆえ適応的価値を持つと考えられている》
難しすぎて何のこっちゃ、と思われるだろうが、要するに、人の持つ遺伝的な違いは、いろいろな環境にうまく適応して生き残るために役立ってきた。だからこそ、多様性には価値があると考えられているということだ。
ちょっと脇に逸れるが、この指摘は、経営における人材の見方に大きな問いを投げかけるかもしれない。
もし「泳ぐ力」が個人の持って生まれた資質に強く依存するのであれば、企業は教育で全員を同じように育てるのではなく、最初から泳ぐ素質を持つ人を見つけることに力を入れるべきだという結論にたどりつく。
だからこそ、ゲイツ氏は「泳ぎ方を学ばない者は溺れてしまうる」として、「Sink or Swim」とは少し距離を置いた可能性もある。
● 適応できない人は切り捨てられる!?長期的に考えると組織に悪影響も
「Sink or Swim」という思想は、企業を成長させる原動力になった一方で、冷たい側面もある。挑戦を促す力が成果を生んだ半面、適応できない人を切り捨てる仕組みにもなっていた。
『ユニクロ帝国の光と影』には「泳げないものは溺れればいい」という言葉が社内の緊張感を保つために使われたと記されている。この言葉は社員を鼓舞するメッセージであると同時に、適応できない人を排除する論理でもあった。
短期的には業績を高める効果があるかもしれないが、現代の経営では持続可能性や心理的安全性といった価値観が重視されている。心理的安全性とは、組織の中で安心して意見や感情を表せる状態を指す。
過度に「Sink or Swim」を強調すると、失敗を恐れる文化が広がり、心理的安全性が大きく損なわれる。社員は常に淘汰の恐怖にさらされ、精神的に疲れ果ててしまう。
その結果、創造的なアイデアや率直な議論が失われ、組織全体の力が長期的に落ちてしまう危険がある。
挑戦を続ける姿勢は企業にとって不可欠である。だがそれを支える教育の仕組みや、失敗から学ぶことを許す環境づくりも欠かせない。個人の努力だけに頼るのではなく、組織が「泳ぎ方」を教え、必要なときには支える体制を持たなければ、持続的な成長は望めない。
結局「泳げない者は沈めばいい」という言葉は、柳井氏やゲイツ氏が経営に臨む覚悟を表した強いメッセージだったということだろう。
現代のビジネスパーソンには、この言葉の厳しさを踏まえつつ、柔軟さや包み込む姿勢をどう取り入れるかが問われている。適者生存という原則は変わらないかもしれないが、何を「適応」と呼ぶかは時代とともに変化している。
生き残るのが本当に大変な時代に突入した。
小倉健一
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