( 319634 )  2025/08/28 03:28:10  
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法務大臣は法の定めるところにより粛々と死刑執行書に署名してください。執行まで4年半が早いとか?いいえ遅すぎます。ご遺族のことを思えば、もっと早く執行できなかったのかと、怒りと呆れと歯痒さを感じます。 

 

▲33661 ▼784 

 

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遺族の思いは完全には見えないにしても、自分の大事な家族や友達が同じ目にあった時にどう思うか想像はできると思うけどな。身体が少し引き締まったとか、本を読んで知識が少し増えたとか、人と話せて楽しかったとか、こいつが感じたらしい小さな喜びを感じることもできなくなった被害者達や遺族を思うと彼一人の死の償いだけじゃ足りないようにも思える 

 

▲385 ▼11 

 

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白石さんは筋トレの成果として腕まくりをして力こぶを見せてきました。鍛えたいというより、独房の中では他にやることがないのでしょう。ムキムキではないけど、健康そうな体でした。 

 

弁護士の考えに違和感を感じました。 

 

死刑囚にも人権があるのは理解できます。 

「やることがないから筋トレ」と弁護士さんが言うのはどうかと思います。 

 

しかし、罪にしっかり向き合わせるのが弁護士さんの役割なのではないでしょうか。 

関係づくりのために金銭の要求に応えたり、たわいのない話をしているのかもしれませんが、 

9人も身勝手な理由で殺害し、罪にも向き合わず、もし自身の家族が殺害されたとなれば、読んでいて腹が立ちます。 

 

▲1136 ▼48 

 

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本来は判決確定から6ヶ月以内の執行が法の求めるところですよね。 

弁護士であれば法の定めるところでの執行を守っていく立場かと思いますので、むしろ現在の9年6か月も税金が投入されていることを疑問視する立場かと思います。 

死刑は世の中を変えるために執行されるのではありません。 

犯した犯行に対する罰として執行されるのです。1人の死刑執行で世の中が激変することなんかありません。誰がどのように死んだとしても数日こそ世間の話題になるだけで落ち着けば粛々と社会は回っていくのです。 

結果的に犯罪の抑止効果はあるのかもしれませんが抑止桜花の性質的にそれを目にすることは難しいと思います。他の方より多くの時間接したことにより、特別な感情があるのでしょうが、そこに意味を求めることも不毛な気がします。個人的には確定死刑囚は孤独にただ粛々と死刑を執行していくべきだと思います。 

 

▲15204 ▼266 

 

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動機というのは重要なのかって気はする。 

1人なら動機も重要かもしれんが、2人・3人ましてや9人ともなると、「なぜやったか?」は、今後の犯罪心理学や被害者の心情を落ち着かせるためには重要かもしれないが、この件の判決に対してはさほど重要な部分ではないと思う。 

ましてや、犯行が明らかで当人が罪を認め控訴しないと言っているのであればだらだらと最高裁まで伸ばす方が無意味かつ被害者の感情を害していると思う。 

執行までの期間についても冤罪の可能性があり、本人が再審を望んでいる場合を除いては法通りに執行すべきだと思います。 

 

▲1 ▼0 

 

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死刑が確定したら他国のように即日執行でいいと思う。 

ただし、冤罪があってはならないので裁判・起訴・書類送検は間違いがあってはならない。 

特に警察の見込み捜査や誤認逮捕はその後の検察庁・裁判所に大きく影響を与えるから冤罪はあってはならない。 

最近は冤罪で無実の人が有罪判決になっているのでキチンと裏取りの裏まで執るように職務を全うしてほしい。 

 

▲60 ▼4 

 

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法律だと死刑判決が出たら半年以内に執行しないといけないんじゃなかったっけ?なんで何年もかかるの?どんどん執行すれば良いんですよ。獄中で病死なんかされたら無期懲役と同じじゃないですか。きちんと執行しないと。 

 

▲11106 ▼164 

 

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4年半も延命してもらえたことに憤る。 

平均は9年6か月と聞くと、さらに憤りが大きくなる。 

刑確定後は速やかに施行されるべきだと思う。 

 

死刑囚って役務がないですよね。 

働きもせず、差し入れをもらい読書しながら税金の生活で延命される凶悪犯罪者の命。 

 

改めて。 

4年半という長い時間に憤りしかない。 

 

▲11148 ▼144 

 

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今でも小田急線であのアパートの前を通る都度、この事件を思い出します。おそらく死ぬまで忘れないであろうと思います。それは凄惨な現場となった場所が今でも苦労せずとも見えること、さらには9人もの犠牲者が出ても周囲が全く気付かなかったことが私にはショックだったからです。 

自分の家族がそういったことに巻き込まれないことを完全に防ぎようがない現代ですが、同じようなことが二度と起きない世の中であって欲しいと思います。 

犯行理由が永遠にわからなくなったのは残念かもしれませんが、わかったとしても再発防止が難しいのが生きずらい現代だと感じています。 

 

▲5188 ▼110 

 

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殺された方の家族も明日は普通に会えるつもりだったはず。 

それを奪われた。もしかしたらあなたも同じような感情でしょう。 

かたや理不尽に殺され(願望があったとしても)、 

かたや然るべき処罰として殺された。それだけの違いがある。 

この差は大きいと思う。 

 

▲5085 ▼55 

 

 

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先ず、4年強での死刑執行は決して早い訳ではなく、本人が全て認めているのだから、刑確定から半年以内に執行すべきだと思う。 

それと、死刑制度の是非に関しては、先ずは被害者側から考えるべきで、加害者側から見るべきでは無い。 

前に読んだ被害者側の考えかたとしては、加害者が死刑になった所、被害者が生き返ることはないけど、のうのうと加害者が生きているのは許せない、と言うもの。 

やはり、やった罪の重さから刑罰は考えるべきで、人を殺害した者にはやはり死刑制度のある刑罰は必要だと思う。 

 

▲3975 ▼63 

 

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死刑囚だってその家族とか親しい知人とかからしたら大切な人だったり良く知った人だったりするだろうからこういう記事になるのも理解できるが、4年半も掛かってようやく執行されたのを、異例の速さだとかあまりに突然だとか言うことではないと思う。 

 

また死を持って償うということは実際に執行された日の前後で世の中が変わるかどうかというよりも、死刑が確定した前後で考えた方が良いと思う。あんな犯行を行った犯人が、死刑に処されると決まることが世の中にとって大きなことであって、脱獄するとか再審請求するとかあれば別だけど、いつ執行されたかはあまり影響は感じない。 

 

でもそれはあくまで世間としてであって、被害者遺族にとっては刑が執行されることにも意味や心境の変化があるだろうし、それは加害者側の立場で言えるようなことではないと思う。 

 

▲3248 ▼56 

 

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証拠不十分や議論の余地がある限りは執行されなくても仕方ないでしょうが 

このケースの様に冤罪の可能性が限りなく低い中で早すぎるも何もないでしょうね、そしてこの筆者は被害者遺族と同じ感情にはなれないのだから 

自分の感情を入れて記事を書くべきではないと思う。 

 

▲3269 ▼67 

 

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記事では「裁判を続けようと説得しきれなかった」とあるが、このケースで説得していったい何の意味があるのだろうか。 

事実関係には争いがなく、異常かつ理不尽な凶行であることは間違いない。遺族は極刑を望んでいて、事件の内容からしてもそれが相当と司法が認めている。 

そもそも、死刑執行までにかなりの時間を要するのは、その時の法務大臣の判断もあろうが、万が一の冤罪を避けるためという側面が強いと思う。この事件では冤罪の可能性は無いのだから、裁判を続ける意味も、死刑執行を長引かせる理由も無い。言い方は悪いが、このケースにおいては、単に弁護士の自己満足なのでは無いだろうか。 

 

▲2625 ▼33 

 

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高校生や大学生なら騙せると思ったからでしょうね。 

本当にひどい事をした。欲望のままに人を殺めてしまった者に対して、何の情けが必要か。被害者や遺族の方々の無念を思うといたたまれません。 

こうやって、ある日突如として執行される。恐ろしい事です。これが犯罪の抑止につながることを祈るしかありません。 

 

▲2044 ▼21 

 

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動機がわからない、金銭目当てとは思えない、だから? 

これほど単純明快な人物はいない。 

欲望の赴くままに。 

金も欲しかった、性欲も満たしたかった、殺人もしたかった、ただ欲望のままに犯行を重ねただけで、特に解明しなければならないような事はない。 

 

その死刑執行が早過ぎる? 

逆でしょう、むしろ遅過ぎると言える。 

冤罪の可能性もない、本人も生きて償う気もない、その状態で4年以上も経過している方が異常。 

 

平均してってのは、冤罪の可能性があるかもしれない死刑囚も含めてであって、その可能性がない者だけに限ればどの位なのか。 

そういう都合の悪い事は調べていないのか。 

そういうトコは、ご都合主義っぽい。 

 

▲2110 ▼22 

 

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自分の周りに犯罪者が居たとして自分に被害が及ばず普通の日常を送るに支障が無い関係性ならその犯罪者への悪感情は持たないのは当たり前です。 

 

犯罪者だと知ってからは何らかの考えを変えるだろうけど犯罪の内容次第でその変化の幅も変わるでしょう。 

 

この弁護士さんは仕事で関わる内に感覚が麻痺して誘拐犯に協力する被害者的な関係性になったんではないですかね? 

悪い人であるはずの前提を日常で普通に接してる内に前提が崩壊してしまい協力者になるミイラ取りがミイラに〜に自分がなってる自覚が無いし弁護士をやるならそこは警戒して臨む必要があるのに感化され死刑制度を批判してるのは本末転倒です。 

 

死刑制度を批判し廃止させる為の記事にしたいならこんな誤魔化した内容にすべきじゃないし違うなら弁護士としての資質の欠如を晒してる内容です。 

 

人だから割りきれないのは仕方ないとする記事だとするには中途半端だしね。 

 

▲1780 ▼75 

 

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その現場の凄惨さ。 

元は願望を抱いていたとは言え亡くなられた方の恐らく思っていたのとは違う形での死。 

弁護士の方は比較的話が通じるがゆえに情が動いたのだと思いますが、それは弁護士自身の気持ちでありなんの問題提起でしょうか。 

起こした事件の重さから注目され、一万の本代を受け取れるというのも執行されたのが早かっただけで、されるまで続けられるおつもりだったのでしょうか。 

 

▲1428 ▼28 

 

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元弁護人氏の疑問はわかるような気がする。 

それは元死刑囚にそれだけ懇意に接してきたから。できる限りの力で支えてあげたい気にもなるだろう。 

 

しかし理不尽なようだが判決は判決。悲しいが彼はこういう事件を自ら起こしたのである。どんな感情をもってしても我々の生きる社会で犯してはならないことをしたことへの罰は受けてもらわないといけない。それが刑罰であり、けじめだ。 

 

人間の心の闇など他人にはわからない。 

理解したかったと思うのは多分に担当した元死刑囚への思い入れだ。ある種、私的な感情は抑えるべきでは?肩入れが強い見方に過ぎない。 

 

▲1037 ▼39 

 

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まだ刑である以上そう遠くないうちにそういう日が来ると予想できるだけましではないでしょうか。 

被害者はそんな余地もなく突然命を奪われているわけですからね。 

国家権力によって罪人といえども命を奪うこと、また冤罪による死刑は本当に冤罪被害者の可能な限りの回復も不可能だし死刑執行自体に慎重になることは理解できないわけではない。 

状況証拠の積み重ねや警察の調書による自白が根拠で裁判の場で被疑者が否認している事例は確かに冤罪の可能性を残す。それに関しては執行に慎重になることも理解できるが、そうでない以上は基本的に冤罪ではない。法令通り半年以内の執行を目指すべきだと思う。 

 

▲863 ▼18 

 

 

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死をもってしても償えないが正しいかと。人の死が快楽につながるような他人や社会に害をなすと分かっている人になってしまったからには、本来なら殺人を犯さずとも隣人としては迎えられません。そういう嗜好があるということを口にしただけでも隔離して欲しい。毎晩被害者と同じ殺され方の体験を毎晩VRで再現してあげていたら、1日も早い執行を自らのぞむのではないでしょうか。そのくらいの残酷なことを何回もしてきたのではないですか?筆者はなんのための法なのか刑罰なのか改めて考えるべき。 

 

▲743 ▼22 

 

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執行されたら取り返しがつかない、というのは冤罪の可能性を含んでいるのだろうが、それは死刑に限ったことではない。罪の大小問わず「有罪」という判決が出てしまった時点で、むしろ裁判になった時点でその時の被告の人生に対して取り返しがつくことはない。記憶に新しいと思うが、袴田さんの人生は取り返しがつくだろうか。死刑制度と冤罪は切り分けて考えるべきだ。最高裁判所において死刑判決が出されたならば、それは冤罪の余地が無いものであり、冤罪の余地がないからこそ、その判決を出すべきだ。疑わしきは罰せず、という基本に忠実な原則のもと、疑わしくない場合は速やかに刑を執行して欲しい。 

 

▲750 ▼32 

 

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刑の執行は半年以内に行うと決められてます、期間が長くなる事自体が違法状態であるという認識を持って頂きたいです。 

勿論冤罪と言う可能性はありますが、本件についてはそうなる可能性が皆無であり、動機がどうこうはどうでもよくて被害者の遺族は明日も会えるはずの機会を一方的に奪われている事はどう思われているのでしょうか? 

 

▲681 ▼12 

 

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執行されたら取り返しがつかない死刑判決と書かれているが冤罪であればそうだろう。証拠も証言も揃い切っていれば執行は妥当としか思えない。故意で人を殺めて死刑判決が出ない場合がほとんどだが、故意での行為は反省など誰も信じられるものではない。チャンスを与える事で次の犠牲者を考えると死刑がNGというなら終身刑でも作ってもらいたいもんだ。無期なんぞ出てくるチャンスはあるわけだし。犯罪者の再出発より被害者を如何に減らすかの方が重要と思える。 

 

▲389 ▼7 

 

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この事件をよく知っていてどうして「死刑執行が早すぎる」と思えるのか理解に苦しむ。もしご自分の身内がこよ犯人によって無惨に殺されても同じように思えるのだろうか。この記事を読む限り死刑という刑が妥当ではないかのように受け取れる。こんな人間がまた世に出ても構わないと言うことか?こういう考えの人間が一定数世の中にいるから昨今のニュースで取り上げられる極悪非道の性犯罪に対しても異様に刑が軽かったりするのではないだろうか。被害者を減らすどころか増やしている現状の法律は見直すべきであると私は強く思う。 

 

▲376 ▼8 

 

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肉親を殺された上に遺体を冒涜(死姦や解体など)された遺族の絶望と被害感情は甚大で、そもそも死刑判決が出てから執行されるまで5年や10年もかかること自体がおかしいと思わなければいけません。「4年半で死刑執行とは短すぎる」と弁護士が語っておりますが、死刑囚の執行を長引かせている間に被害者のご遺族が亡くなるようなことがあっては本末転倒ではないでしょうか。 

4年半で刑の執行は短くて変だ、ではなく9年以上も刑が執行されない現状の方を疑った方が良いのではないかと考えます。 

 

▲371 ▼7 

 

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死刑判決になると言う事は、それに相当とする犯罪を犯したと言う事であり、被害者の立場からすると執行までが凄く遅すぎる。マスコミや人権派弁護士等々は普段から加害者の素性・性格や生活環境など加害者の人権など言うが、人殺しに人権はあるのか?加害者が元々真面目な人物であっても、理性なく『人』一人でも殺せばそいつはもう『人』では無い。法律に基づいて粛々と死刑執行するべき。 

被害者遺族の事を大事にして頂きたい。 

 

▲181 ▼3 

 

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刑が確定したならば速やかに執行されるべきでは?本件のように、事実を争わないという事であれば、執行までに4年も掛かっている方が異常だ。死刑という制度の是非と、速やかに執行する事は全くベクトルが違う話で、決まったものは粛々と執行するのが正しい運用と言える。 

 

▲248 ▼5 

 

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既に9人殺害してる人間の本当の動機が知りたかった、、知ってどうするのか。被害者や遺族がどうしても知りたいのならわかるけど。知る事でさらに被害者の尊厳や遺族の心情が傷つくかもしれない。被告は精神鑑定には引っかからないけど、相手を懐柔して思い通りに扱う事に長けているパーソナリティの持ち主だったのかなと思う。 

 

▲317 ▼12 

 

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犯罪者の心の中は他人がどうしようと解明などできないと思う。 

例えば犯人が言葉で語ったとしてもそれは心の内をすべて語れているのかもわからない。 

その上、言葉を受け取る側の解釈次第だから。 

だとしたら疑いようがなく犯人も犯行を認めているのなら 

判決通りに刑を執行することが犯人のためであり被害者のためであると思う。 

 

▲151 ▼4 

 

 

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執行を迅速にするべきだというコメントが多い中、少し違った観点からコメントします。私はもう20年近く前に本当に些細な事で拘置所に入ってしまいました。その時に、他の被告人は明らかに違う舎房があり、その舎房だけは外まで段ボールが積み重なっており後に刑務官や雑役から世間を震撼させた大事件を起こした死刑囚で、その段ボールは独居房の中に入りきらない裁判関係の書類や支援者からの差入れだと聞きました。わたしは略式で3ヶ月程で社会復帰し、真っ当な生活を送る事心掛けていますが、死刑囚と身近にいたのかと身震いがしたのを鮮明に覚えています。 

今も彼は自弁の食事や菓子を食べ何不自由ない生活を送っています。 

一説によると1人の確定死刑囚を執行するまでに平均で10年と換算した場合、それらに係る税金は1000万円単位だと聞いたことがあります。 

この観点からも今一度、執行までのスピードを議論する必要があると思います。 

 

▲180 ▼11 

 

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良くわからない記事だなぁ。 

>>高等裁判所と最高裁判所でも審議が尽くされるべきです。 

とあるが、本人が罪を認め、刑を望んでいるのであれば何を審議するのか? 

いたずらに刑の確定、執行の先延ばしになるだけではなのか? 

また、 

>>「楽をしてお金を稼いで、性欲も満たしたかったから」と語っていた。だが被害者のうち1人は大学生、3人は高校生で、とても金銭目当てで狙う相手とは思えない。 

とあるが、金額は少額であろうとも楽に金を稼ぐと性欲を満たす。となれば、件数を重ねれば合理的という、彼なりの判断だったのではないか。 

 

▲423 ▼9 

 

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死刑囚との人情ドラマを作り上げているようだが、この報道姿勢で良いのだろうか?もっと被害者遺族に寄り添うべきではないのか?被害者感情を考えれば、そりゃ死刑囚の方がインタビューは楽だろうし、遺族へのインタビュー等針のムシロかもしれない。だとしても遺族の気持ちに寄り添ってこその報道のではないか?偏っていないだろうか?一方的ではないだろうか?犯人はヒーロー等ではない、野に放った瞬間に怪物になりか弱い犠牲者を作り続けるだけだ。被害者の気持ちに寄り添ってこそ真の報道ではないか。 

 

▲99 ▼6 

 

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死刑執行するのが4年で早すぎる事はなく、むしろ遅すぎると思う。面会していた元弁護人は多少なりとも面会を重ねていくうちに情が入ってしまったのではないか。しかし、9人も殺害、バラバラにして遺棄するような猟奇的殺人者には答えなんて常人がわかるはずもない。死刑執行で殺害された方々が戻る事はないけれど、一つの区切りにはなるのではないかと思います。殺害された方々のご冥福をお祈りいたします。 

 

▲44 ▼2 

 

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死刑判決が出たのにも関わらず、執行されにくい(されないわけではない)パターンがいくつかあって。 

冤罪事件の可能性がある場合、なんらかの病気がある場合、精神に問題が発生している場合、再審請求がある場合など。 

そういうのも含めて平均10年弱なので、冤罪の可能性もなく、精神も安定していて、再審請求も拒否しているといった場合は逆に執行しやすいと言える。だから4年半というのは決して短くない。 

ただ共感したのは、償いの意味について。加害者の死について、わずかでも救いになるのか被害者遺族に聞きたいけど、遺族の気持ちを考えると聞けない、という姿勢は正しいと思った。 

 

▲160 ▼60 

 

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被害者遺族が長年死刑執行を待たされる現状は、無念さと苦しみを深めるものであり、深い共感を禁じ得ない。こうした「終わらない苦しみ」から遺族を解放するためにも、制度の見直しが求められる。一方で、近年、死刑を廃止し仮釈放のない終身刑を導入することが世界的潮流となっており、終身刑は人道的批判を和らげつつ、重罰性を確保できる点で注目されている。日本では世論の多数(約8割)が死刑制度を支持しており、現実的には制度を維持したうえで執行の迅速化が必要である。冤罪の可能性が極めて低いケースに限定し、早期執行の基準を明確化するとともに、法務大臣の裁量を制度的に制限(例:死刑確定から一定期間内に執行と法定化)することが望ましい。これにより実際の執行による抑止力の強化も期待される。なお、日本には終身刑が存在せず、最高刑は仮釈放の可能性がある無期懲役にとどまっている。 

 

▲1 ▼1 

 

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判決が確定した時点で即死刑執行で良いと思う。この受刑者の場合、冤罪の可能性もないし生かしておく必要も理由もない。被害者のご遺族のお気持ちは想像を絶するし、もしかしたら、いつ死刑執行されるか分からない恐怖に苦しむ受刑者が生かされている方が心が救われるのかもしれない。でも、殺された人達は、刑が執行されるまで生きながらえてる自分を殺した人間を見て納得するのだろうか。こればかりは確認のしようもないけど、多分違う気がしてならない。 

 

▲35 ▼2 

 

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弁護人と世間の目は当然違うだろう。 

ここまでの凶悪犯となれば親兄弟でもない限り死刑執行は当然のことと思われても仕方ない。 

死を以てしか償えない非道な犯罪を犯したからであり、どれほど悔い改めようが長期間収監されようが贖えないと判断された結果の死刑である。 

元弁護人がどのように受け止めようとも厳然とした司法の判断があるからこそ社会秩序が保たれることを忘れてはならない。決して感情に流されてはいけないと思う。 

 

▲14 ▼2 

 

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現代の日本の中では白石の刑の執行は早い方ですよね。 

10年20年と労働をするでもなく、暇を持て余し毎日を過ごしてる死刑囚。 

国民の税金で衣食住を賄っていると思うといい気がしません。 

直ぐ執行が無理なら死刑囚も労働に従事させ、僅かばかりでも得たお金を被害者遺族に送るようなシステムにできないものでしょうか。 

被害者に対する償いということを、常に念頭に置いて過ごしてもらいたいと思うのです。 

 

▲38 ▼2 

 

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主任弁護士は、執行されたら取り返しがつかない死刑判決は、高等裁判所と最高裁判所でも審議が尽くされるべきです…と言っているが、最高裁まで引き延ばして動機や心理状態を明らかにする必要があるのか?間違って死に至らしめたのではなく、まず性的欲求を満たしてからの犯罪だから何も情状酌量の余地は無い。情状酌量を求めるなら、地裁でのはっきりすべきであった。死刑廃止論者に言いたいのは、身内が事件と同じ事をされて死刑を反対することができるのか?身内が無の状態であるのに、刑務所で生きながらえる死刑囚を赦すことができるのか考えてもらいたい。 

 

▲50 ▼3 

 

 

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極刑は犯罪を犯した人間に反省を与えるのではなく遺族側の気持ちを優先した判決だと思う 

よく死刑囚が朝の点呼終えて今日も執行されなかったと安堵してる描写をみるけど遺族側からすれば死刑囚が生きてる時間が苦痛の時間 

死刑執行されたからといって苦痛から解放されるわけでもない 

判決から数年で死刑囚は解放されるけど拘禁生活とはいえ普通に三食食べて限られてるとはいえその中で自由を謳歌して執行されたらそれで終わり 

遺族側からすりゃその限られた自由でさえ理不尽に感じるはず 

冤罪とか難しい問題もあるかもしれないが今は科学捜査も昔より飛躍的に進歩してるし死刑判決が出るような事件で冤罪はほぼないんじゃないか? 

ちゃんと法整備を厳格化して死刑判決が出た場合は必ず期間内に執行するべきだと思う 

 

▲14 ▼3 

 

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冤罪の可能性がある死刑囚も少なくないかもしれません。しかし、本人の自供や証拠、アリバイなどがすべて揃い、極刑が確定した死刑囚であれば、その執行の優先順位を前に持ってくること自体は、必ずしも悪いことではないと思います。 

動機があったとか、家庭環境に問題があったという事情があることは理解できます。けれども、それが人の命を奪ってよい理由には決してなりません。事実として9人の命が奪われたのです。 

さらに重く受け止めるべきなのは、9人の被害者だけでなく、そのご遺族が存在し、生涯にわたって深い苦しみを背負い続けなければならないという現実です。もし死刑囚に出会わなければ失われることのなかった命だと考えると、胸が締めつけられ、心が病むような思いになります。 

 

▲22 ▼2 

 

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自分にも娘がいるが私なら加害者の理由なんてどうでも良く法の力で一日でも早く執行してほしいと思う!事件の関係者や世間は今後のために動機を知りたがるが殺された身内はそんなこと関係なく感情が先走るよね!実際のところ加害者本人も言葉では表すことは不可能な感覚で犯罪を行なっていると推測する!人としての心があればそんなことしないと思うし、例えば当初より憎しみがあれば説明はつくだろうけど説明のつかない感情もあるんじゃないの?今回の兵庫の事件は違うと思うけどね!普通の人間、刃物を携帯する訳がないし、短時間の間でも計画性がありありと見えるし初犯の時もそうだけど刑を軽くするための虚言癖があると思う!次も再犯するよ!長々と入れて税金使うより死刑でも仕方ないよね!! 

 

▲110 ▼6 

 

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「執行されたら取り返しがつかない死刑判決は、高等裁判所と最高裁判所でも審議が尽くされるべき」などという発想はどこから出てくるのだろう。 

少なくとも、本件のように被告が起訴内容を認めているのであれば、速やかに執行されるのが法の定めるところでしょう。それをそんなに早く執行されるとは、などというのは死刑が確定しても執行されるまでに何年もかかっている現在の悪しき慣例に馴染んでしまっているだけと思う。 

そもそも、取り返しのつかないことをしてしまったから死刑になるんだろう。 

 

死刑判決の中にも、あってはならないが冤罪の可能性があるものも含まれているかもしれない。しかし、だからと言って死刑執行が遅らせられてしまう理由にはならないと思う。冤罪を生まない体制、環境を作るのは別の議論。厳格な捜査と死刑を遅らせることを混同させる議論は避けなければならないと思う。 

 

▲3 ▼1 

 

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当たり前だけど、弁護人であるがゆえに犯罪者にずっと寄り添ってきたから、完全にそっち側になってしまったからそういう気持ちになるんだよね、間違いなく。 

遺族の話や気持ちも直接耳に入れるべきだよ。 

どちらかに偏れば、この特殊な状況下、精神的にもバランスが保てなくなる。 

こんな凶悪事件では、どうか遺族の方を重きにおいて考えてほしい。 

犯罪者の心理を中途半端に追ったとしても、人間の心など100%なんて掴めない。どちらにせよ推測にしかならない。 

とすると、遺族の悔しさは100%間違っていない心理状況なのだから、犯罪者の弁護人とはいえ、やはり遺族側が最優先だよ。 

 

▲4 ▼1 

 

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白石死刑囚により殺された9人のことを考えると、死刑は当然である。 

償いとは、経済的な余裕があれば金銭で行うしかないが、白石死刑囚に9人分の補償金を支払えるはずもない。となると、自らの命を差し出すしかなのだろう。殺された9人の残された家族の視点からの考察も必要である。 

 

▲180 ▼7 

 

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冤罪の可能性が少しでも有るなら、この記事の弁護士の仰ることは妥当性が有るが、この白石元死刑囚の場合は、本人も認める疑いようのない実行犯であり、その場合の審議長期化、減刑を図っても、9人も殺めているならば、極刑は避けられず、もう罪は確定・動かしようがない。逆に白石死刑囚を延命させる事に、社会的にどういう意義が有ったのだろうか。日本は何でも先送ってきて、現状が有るが、法整備ももう一度検証してみてはどうか。 

 

▲8 ▼2 

 

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被害者からすると、何度死刑を執行しても足りないかもしれない。 

それでも死刑囚も命は一つしかない。死刑囚は、最低限の償い(死刑)しか要求されない。どんな人権侵害をしても、最高刑は死刑囚一人の死刑までなのだ。 

残酷に思うかもしれないけど、禁止はされているんだけど、苦しむ死刑をしてもいいかと思ってしまう。それができないので、いつ執行されるか怯えながら待てばいい。犯した人権より保護される人権があるとは思えない。 

本来は死刑確定後半年以内に執行されるべきだろうけど。 

 

▲0 ▼0 

 

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弁護人はその人を見るべきではあるが、その人のみを見てもしかたがないと思う。 

理解しようとして出来るかどうかは分からないが、その量刑がどうであるかは社会的に、被害者、被害者の遺族、そうした人たちも見なければならないのでは。 

どちらか一方だけをみて、分かる事は限られるのでは。 

片方だけを理解するというのは不自然と思う。 

償いという意味では、最終的な終着点が死刑であるとしても、そこへ至る道もまた、償いの一環では。自分の犯した罪と向き合うかどうかは本人しか決める事ができないので、知らないが、社会的に裁かれて、その重さに応じた監督をされ、終着点へ向かう。 

諸々の手続きの中に償いの道が続いており、重い罪を負った人は命をもって最終的に償うのだと思う。 

何も、出所してから償うというばかりでは無いと思う。 

収監されてから一生を終えるまで、それが続くのだと思う。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

どんな理由があろうと9人の命を奪った事は許されないし重罪加害者を擁護する意味はない 

また来るねと被害者も会う約束していた大切な人も居たはずなのに加害者は許されるの? 

執行は当然だが執行されるまでにキチンと被害者に反省の気持ちを持てたかどうかは重要だと思うな 

加害者より被害者を救済できる仕組みをもっと充実させるべきだよ 

 

▲59 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

弁護人が面会した3日後に死刑執行が、それほど特異なことか。最終判決から死刑執行までの平均が9年数ヶ月からすると、4年数ヶ月は早いというが、平均がどうだとかいうようなものではない。9人も殺害し、冤罪ではないことが明らかなわけだから、4年数ヶ月も生かされているのが長過ぎるくらいだ。税金で無駄に無料の飯を食べさせる必要などなし。冤罪可能性がない場合、徒に執行までの月日を費やすことなく、速やかに執行すべき。 

 

▲10 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

人が人を捌く、複雑な感情を持つ人もいる。しかし、法律も戒律も人が作り出すものであり、裁きを与えるとしたら、それは神や仏が下せるものではないのだから、人間が捌くしかない。人を殺めたのであれば本来自身の命を持って贖うしかないのではないですか。命を奪われた本人、その家族は加害者が例え死刑になろうと、安堵することはないのでないか。あくまで一つの区切りであって重たい十字架を背負って生涯を過ごすことには変わらない。私が被害者家族なら、やはり自身の手で復讐をしたいと思うから…でも、やはり人は人の命を奪ってはいけない。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

罪人であろうと死刑になる上で確実にその人は死ぬ。死刑にあたって、その人自身がどうかよりも、裁判で審理を尽くされることは判例が残るという点において今後に活かすことができる貴重なサンプルの意味もあるから、とても意義があると思う。骨までしゃぶるようで悪いけれど、解剖学のような考え方。ただ、遺族は辛い時間を過ごさなければいけないから、難しい。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

担当した弁護人の立場からは色々と思うところもあるでしょうね。死刑制度の意味として個人的に思うのは、単純なのですが「復讐」です。自分がもし被害者の遺族の立場だったら、犯人をそれこそ同じ目に合わせてやりたいだろうと思いますが、そのようなことは無理なので、法的にそれを託すものと考えています。もちろん学術的な意味が他に色々あるのは知っていますが、根本はそれではないのかと思っています。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

加害者のことだけを擁護しているから、この様なことを言えるんであって、被害者遺族のことを考えればこのようなことは言えないと思う。 

死刑の執行の平均年数などは、単に法務省の都合であって、外部者が言及することではない。 

死刑の執行規則を作るのなら、死刑が確定してから1年以内とした方が、被害者遺族のことを考えれば長い間死刑を執行しないことは、被害者遺族の苦しみの期間をいたずらに長くすることである。 

死刑囚が刑を執行されて亡くなったからといって、亡くなった被害者が返ってくることはなくても、人生を故意に短くされた被害者遺族からすると、死刑判決が確定しても、長く生き延びていることに憤りを覚えるのではないか。 

そういうことも加味したうえで、死刑はなくすべきではないし、死刑の執行に期限を設けたほうが犯人に反省を促すことができるのではないかと思う。 

 

▲13 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

1人の人間として全てを理解する事は不可能。 

犯人の気持ちに想いを馳せても分かり合うことは出来ない。 

 

起こった犯罪とそれに対する罰。 

現場で触れることで感じる事は有ると思うけど、罪を犯してはいけないのだ。それを理解出来たら良い。 

 

粛々と生きていく。そして向き合っていく。 

それがどれだけ尊くて素晴らしい事か。 

誰かから奪っても駄目。 

奪われても駄目。 

皆が生きる事を大切に出来たらと思う。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑制度は必須だと思うし現在の執行のスピードは遅いと感じる程です。 

 

弁護士は本人が望まない時にも「裁判を続けよう」とかどの立ち位置から説得してるのか分からない、裁判を長引かせお金を稼ぎたいのか自分が納得出来ないから裁判を続けさせようとするのか、どちらにしても弁護士の勝手さを感じてしまう執行に対して何故悔いが残るのかも共感出来ないし遺族からしたら死刑執行が救いになる事も有るでしょう。 

 

弁護士はどんな犯罪者でも弁護しなければいけない大変な仕事とも思いましたがこの記事の弁護士に対しては何も共感出来る部分が有りませんでした。 

 

▲15 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑の執行は判決から6カ月以内とされているが、実際は平均8年以上と聞く。死刑が確定しても犯行動機など今後に役立てるデーターを収集するためだという。 

しかし、6カ月は法律で決めたこと。法務大臣が法律を反故にしてどうすると言いたくなる。また、犯罪心理のデーターというが、時代の目まぐるしい変化の中で人間そのものが一昔前とはもう質が違っているとも考えられる。これから先どんどん新たな異質な犯罪が生まれるかも知れない。先のことは予測できないので現在の社会を中心に考えるべき。冤罪などが起こらないよう判決までに時間がかかるのは納得もできるが、確定した刑は粛々と執行すべき。 

 

▲11 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的考えとしては殺人等に対しての償いは不可能でしょう。幾ら自殺志願者だったと言ってもそれ以外の事までやっるししょうがない。それよりも死刑囚への刑の執行への期間の事が気になる。刑が決まってからの順番で執行されるのが普通の考えだと思うのだが。 

 

▲24 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

日本は「死刑制度」があり残酷だという話を聞くことがありますが、自分の欲望やわがままで他者を殺めておいて自分は死にたくないっていうのは変だし殺人犯を弁護士刑を軽くしようとする弁護士も好きではありません。「死刑」制度は存続してほしい、何故なら外国であれば複数人を殺した犯人はその場で警官に射殺されますので死刑はいらないかもしれませんが、日本ではそのような許可は警察官には出ていません。この事件は無慈悲であり残虐で殺されたひとやその家族や親族の心労は一生消えないでしょう、死刑の執行は4年半での長いくらいで自分が被害者の家族だったら、とっとと消えてくれと思います。 

 

▲5 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

弁護士さんは対話を重ねるうちに、白石の極々普通の青年の部分を感じて葛藤しているようですが、実際、猟奇殺人を犯した人間の心の内までは知ることは出来ないと思いますよ。もし白石がナイフを手にしたら大森弁護士を躊躇なく一突きで刺せるくらいの非道さを持っていると思います。 

 

▲53 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑は生命刑だから、慎重に慎重を期すべきというのはその通りだと思います。 

しかし、疑いを挟む余地のない犯罪については粛々と執行されるべきだと思います。この弁護人が言うように、白石元死刑囚は普通の人に見えた、異常を感じないということだそうです。つまり、普通に見える人間でも猟奇的に人を殺める訳です。そういう普通な?人を死刑という基準で社会から消していく国家の安全装置が死刑制度であると思います。 

我が国で死刑制度が未だ強く支持されるのは、自らは絶対にそのような犯罪は犯さないから、死刑なんて怖くないし、冤罪が疑われる案件も戦後3件程度です。つまり、万が一巻き込まれる可能性があるとしても、8000万分の1程度、統計学的にはゼロです。 

我が国の国民性が死刑を容認しているのでしょう。 

 

▲302 ▼15 

 

=+=+=+=+= 

 

被害に遭われた方やその家族には、またという可能性はありませんでした。言葉巧みに誘い出し被害者は逃げることもできませんでした。そのご家族は今も闇の中にいらっしゃるでしょう。親が子供を育て上げるときは、自分の時間や資産を費やし愛情を注ぎます。子供は親の全てです。それを簡単に快楽のために亡き者にした。償ってもらっても子供は帰りません。死をもって償っても足りません。 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

刑が確定してそれを不服とせずに受け入れる姿勢を取り、尚且つ覆すことが困難な程の証拠があるのなら比較的速やかに刑を執行した方が良いのでは? 

執行待ちはかなり生活に自由が効くと聞いたことがある。 

人の命を故意に奪っておいて犯人は刑が執行されるまでのうのうと税金でぬくぬくと生活が出来、さらには警察病院で執行前に高齢受刑者が亡くなるケースもある。 

遺族は本当にやるせない気持ちになるのではないだろうか? 

 

▲22 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

弁護する立場から見れば、情が入るのは分からないでもないが、9人の尊い命を奪った死刑囚に、私たち一般人から見れば、同情する余地は全くない。生きる権利から死刑制度が議論されているが、生きる権利を奪った者に、その権利が認められてよいのだろうか。 

被害者家族からすれば、大切な家族の命を奪った犯人が生きていること自体、やるせないのではないだろうか。死刑判決が出たら、一刻も早い刑の執行を望むのは、私だけでしょうか? 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑囚とはいえ、親身な面会を繰り返していれば情が湧くことも理解できます。 

しかし、死刑執行までの平均が9年、今回が4年と聞いてもあまり短いとは思えません。 

もし、私が被害者遺族なら、判決から1ヶ月も経てば遅いと感じるでしょう。 

罪を悔い改める期間と言われても、喪った娘より1分1秒でも長く生きていることが許せないと思います。 

 

どうしてこのような事件に至ったのか、それを解明したい気持ちも分かります。 

安心したいからかもしれません。 

しかし、起きてしまったことは変えられないので、やはり判決後は速やかに執行されるべきと思います。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者側にたったら同じことは言えないと思う。人が人を殺す時、正常な状態でないことは殆どだと思います。だから精神鑑定をする意味はわかりません。おかしい行動を分析したところで同じ事案は減りません。だから、償うことは必要ではないでしょうか?それを機に被害者が多少でも救われるならと思います。いつまでも生きていると思う方が辛いだろう 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

自殺志願だったのかも知れないが それでも金銭を奪ったり 性的暴行を犯した事は事実。更に9人を殺害し遺体を損壊まですれば 

死刑はやむを得ない。動機が解明されてないと言うが 仮に動機が判明したからどうなんだろう?犯した罪の責任を取るのは当たり前だし 法律で確定後6ヶ月以内に執行されるとあるのだから 冤罪が疑われる可能性が無い限り 粛々と執行するべきだと思います。法務大臣は職務を全うして頂きたい。死刑執行まで9年は長すぎると思うけどな。それから殺人も被害者1人だと死刑にはならないで無期懲役の判決が出る事が多いと思うが 人の命は1人でも多数でも同じ だから被害者1人でも死刑判決が出るといいと思う。 

 

▲5 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この弁護士さんに限らず、こんな猟奇的な事件を起こす人間の心理など解りようもないし、解りたくもない。 

被告人と弁護士と言う関係とは言え、長年に渡って関わりを持ってきた人との突然の別れに動揺する気持ちは解るが、刑罰は刑罰。 

この事件に冤罪はあり得ない。 

本人も認めて自宅にはご遺体もあった。 

ご遺族の気持ちを知りたいと思うのなら、もし私が遺族ならば執行は当たり前と受け止める。 

もちろん大事な家族が戻ってくるわけでは無いけど、残虐に殺害した犯人がのうのうと生きているのは絶対に納得出来ないから。 

無念が晴れる事は無くても気持ちに一区切りは付ける事が出来る。 

死刑は執行された。彼はその刑罰に匹敵するだけの大罪を犯したのだから。 

 

▲12 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的には一人でも殺めたのなら死刑で良いと思う。 

同情酌量の余地があるのであれば無期 

自己中心的にしかも計画的なものであれば被害者が1名であっても極刑で良いと思う。 

座間9人殺害事件では当然極刑であるわけだし早期執行もありだと思う。 

ってか死刑判決を受けたのであれば半年以内の執行でなんら問題ないと思う。 

いつまでもだらだら時間稼ぎしているから死刑判決受けても実際は刑の執行は稀だと思うから死刑にあたいする事件を起こす原因になっていると思う。 

判決が下りたら半年以内に執行された方が良いと思うしいたずらに時間稼ぎするのは被害者遺族にとっても死刑囚にとっても良くないと思う。 

早急に執行すべきだと思う。 

 

▲8 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

この弁護士の方は国選弁護人としてこの死刑囚の弁護を引き受けたのでしょうか?だとしたら気の毒ですね。9人も殺してしまっていては、最初から死刑以外は有り得ないでしょう。冤罪の可能性がある場合を除いて、殺人犯に弁護人なんて不要だと思うし、そんなのに税金使うくらいなら被害者やその家族のフォローしてあげてほしい。 

 

▲1 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

思うところはいろいろありますが、ただ、弁護士さんが「死刑判決は...最高裁判所でも審議が尽くされるべき」というのには賛成しかねます。 

下級審か上級審かに関わらず、裁判は法と証拠に基づいて行われるべきもので、国民がその結果に信頼を置いている、ということは司法の大前提だと思います。「下級審の判決だから慎重な判断ではない」とも取られかねないコメントは、死刑案件に限らず、すべての裁判についての信頼性を損なうものです。 

事実関係に争う点がない場合に、下級審の量刑を軽んじるのは容認できません。 

(でもって、裁判にそんなに時間ばかり掛けていたら、お金も使うし、犯人への処罰の効果も薄れてしまいます) 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

最終判決からは3ヶ月以内の執行、その代わり高裁で最高刑が出た場合は冤罪防止のため最高裁まで時間を十分にとるなどの制度にしてほしい。死刑が確定してからダラダラ生かすのはおかしいよ。本人にしても、被害者家族にしても税金を払ってる私達にしても。 

あと、この弁護士さんはダラダラ未練たらしく言ってるけど、死刑がでる事件の被害者家族は最後の別れもできず、いきなり日常を無くした人ばかりですよ。その人達の感情を忘れちゃいけない。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この弁護士さんは『何故こんなに早く(普通は9年以上なのに4年半)執行されたのか?』と驚き、憤りを書かれていますが、私は『何故こんなに長く執行されなかったのか?』と驚き憤っております。原則、死刑判決から半年で執行とのことです。冤罪は許せませんが、この記事の受刑者の方は、その可能性はなかったようです。死刑反対の方がおられるのは理解しますが、日本は法治国家です。死刑執行延期の正当な理由がない限り、速やかな執行を願います。 

 

▲10 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

高裁・最高裁で審理を尽くすべきなのはその通りだけど、一方で被告人には己の刑を確定させる権利がある。 

死刑囚の中には己の犯した犯罪行為を悔いてそのまま刑に服しようとする人が少なからずいる。 

 

検察と被告人が事実関係を争わず、量刑も妥当なのであれば、弁護人が控訴して争いたいというのは弁護人のみの意思であり被告人の意思に反する弁護活動であり、弁護人個人の主義主張の実現のために被告人を利用していると言えるだろう。 

 

この弁護人が「世の中が変わった気がしない」というのは本人のそれなりに感じているように、この弁護人の中に被害者や遺族の姿が存在していないからだろう。そうだとすれば、この弁護人には一生理解できないものかもしれない。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

弁護士というのは、本当に難儀な仕事だなあと思います。 

明らかに罪人であっても、弁護士なければならないことがあるし、接見していれば情も湧くでしょう。人間ですから、自分が弁護する対象なら、どこか良い面を見てしまうものでしょう。 

そして、自分が努力を重ねた相手が死刑になる辛さもあると思う。 

京アニ放火事件の犯人に治療した医師などもそうですが、つらい仕事だと思うし、そういう人がいてくれるから、社会が維持されているのだと思う。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

何故死刑判決を受けたのか。 それだけのこと、残虐なことをしたからです。 

亡くなられた方々、ひとりひとりの人生も根こそぎ奪い去った罪は死刑でも償うことは出来ないのではないでしょうか。遺族にとっては慟哭の日々です。 

弁護人の立場も理解しますが、もっと被害者とその遺族の想いに寄り添って欲しいです。 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

現時点で未執行の死刑囚は約100人、無期懲役だと約1,700人もの数が収監されて税金を食い潰している。病気になれば無料で診療を受けて治療もしてもらえる。 

死刑や無期懲役になるくらいの犯罪をやらかしてこの待遇は、仮に殺人事件だとした場合、到底被害者の人権と釣り合うとは思えない。 

少なくとも極刑である死刑囚は速やかに刑を執行すべきだろう。 

よく刑務官の負担云々が問われるが、ならば機械的に執行するなり何とでも考えられる。 

殺人犯の人権の前に殺された人間の人権を考えてほしい。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

いつ執行の日を迎えるのかと不安に怯えながら過ごすことの方が拷問になるので、きちんと半年以内に執行した方がいい。 

病気や老衰で寿命を全うしても、罪を償えずに死を迎えるわけで誰も1ミリも救われない。平成前期くらいまでは信用ならない部分もあるけど、警察や裁判所がきちんと機能していれば判決内容は問題ない。ここ15年くらいの事件に関しては粛々とやるべきと思う。 

 

▲40 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

司法官が死罪の判決を出したことは、意味があること。それは人為的に死を与えること。それが制裁であり、被害者救済なのにそれを延期して、病死とか職務怠慢も過ぎる。 

執行者はもう一度心得直して欲しい。大臣は職務として確実な執行をして欲しい。それが法治国家。 

 

▲3 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

本人が罪を認めているのに三審制を良い事に弁護団が審議を尽くすという名目で裁判の長期化を図る。 

間違っている。被害者は声も上げられず、よしんば永久に蘇ることがないのに。 

加害者とはいえ生命の大切さを訴えたいのなら、死刑制度廃止を求めるだけで良い。下手に死刑執行を引き延ばすより速やかに執行される方が、死刑制度廃止へ結びつくのではなかろうか。 

 

▲46 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

殺人という起訴内容は争われていない。本人が控訴を取り下げている。精神鑑定でも異常なし。冤罪の可能性もなし。なら、刑の確定から6ヶ月以内の執行が定められているのだから4年半は長すぎる。 

犯人の動機などより被害者感情をもっと重点にすべき 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

弁護人としては、もう少し刑の執行が遅ければ真実を聴く事が出来たかもしれないという思いはあるのかも知れない。元死刑囚は普通の人に見えた。とも書いているが、普通の人は9人どころか1人も殺したりはしない。それだけ異常で猟奇的な事件だった。この事件の被害者は殺されたのが9人で、ご家族や親しかった人を加えると相当数の被害者がいる。それを思えば執行まで何人の法務大臣が先送りにしてきたんだろうって思う。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

どれだけ悔いても、どれだけ謝っても、亡くなった人が生き返ることはない。 

亡くなった人がいる世界は、永遠に失われたままだ。 

許されることはない。 

償い切れることなんてない。 

 

それでも生きている間は、悔いて、謝り、許されることを望むことは許されるような気もする。 

許されることを望んでいなければ、許さないでいる意味がなくなる。 

 

そんなサンドバッグのような状態で生き、もしかすると、いつか、許される日が来るかもしれない。 

そんな儚い希望に縋って生きるのが、彼らの贖罪なんだと思う。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

極普通を装っているからでしょう。安全だというアクリルの向こうにいるし、これが受刑者のいる側にいて仕事する刑務官だった武道の先生は、晩年、何かしら身の危険もあったのか、よく鍛えておられた。 

受刑者がやる事がなく健康的で鍛えられるという事は、刑務官もそれに対抗出来る力が要るから。 

普通の人を装い、自分の欲を抑えられない者にとっては、被害者の苦痛の表情がまたその者の顕示欲を満たす道具になるという。 

だから狂気に対する恐れを今まで知らなかった若い子を手にかける事にしてたんだろう。 

それを持ってる奴は普通ではない。ある程度人生経験を積んで来た年齢の人を被害者に選ぶと、白石受刑者のする事、呼び寄せた駅で携帯を捨てさせる、監禁された事に疑問を持ち、部屋から逃走する事に成功した人を見たから、人生経験の少ない、より騙される若い子を選んだ。 

そういう事をするのは普通の人ではない。狂人だ。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

弁護人とは、こうまで被告人に寄り添わなければならないものなのだろうか。 

被告人の「法的に不利」にならぬよう裁判を進めるのが本意であるのは当然としても、自白の任意性がはっきりしていて、証拠もそれをしっかり裏付けるものであれば、犯罪を犯したことは明白、且つ、事実と認めなければならない。 

その上で、被告人が自ら取下げるに至るまで控訴を勧め実行することは、被告人の意思を捻じ曲げ既に被告人の、法的ではなくとも「自由心を不利」にしていないだろうか。 

合わせて、死刑執行期の平均値などという、基本的に合法とは言い難い法務大臣の手抜きを当てにし嘆くとは、あるべき弁護人の姿勢や発言とは認め難い。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

「命をもって償う」といつ言葉と思想があるように、死刑の執行そのものは償いであることは間違いない。 

遺族感情としては一刻も早く死刑にしてもらいたいが、被害者が味わった無念さや恐怖を少しでも感じさせたいから、今日かも、明日かも⋯という日を長引かせたい気持ちもあるかもしれない。 

個人的には現在の日本では死刑に処されるのは2人以上を殺害した場合がほとんどなので、それはもう心から反省することなどできない人のすることだ。 

となれば遺族感情に照らし合わせてある程度早めに執行されるべきなのではないかと思う。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

あれだけの証拠があって、本人も認めていた、凶悪な犯罪である。死刑判決は当然で、早いということはない。確定した死刑囚にはなるべく迅速な執行が正しい。弁護士さんが寄り添ってしまう心情は理解出来るが、相手は凶悪な犯罪者であり、糾弾されるべき人物である。殺された被害者の親族からすれば、非常に不適切なことだと感じる。 

 

▲49 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

死刑執行の平均期間がむしろ長すぎる。冤罪の可能性も無く、慈悲のかけらも不要なこの事件では、いたずらに執行までの時間が過ぎるのはおかしいくらいで、弁護士が驚くことの方が変だと思うが。 

弁護士が、この猟奇的な事件を起こした人間を知りたい、動機をもっと深く追求したいというのは、記事を読む限り個人的興味を満たす以外に何も生みださないと思う。説明のつかない異常さを解明したところで、何も変わらない。 

償いの意味などに理窟を求めても、起こした凶悪な罪を肯定できるわけもなく、命には命をもって償ういという単純かつ他に方法が無いのが死刑。ただそれだけだ。 

 

▲2 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

事件が起きたら、その原因から過程から、今後の世の中に役立てるために調べ尽くさねばならないが、だからと言って、刑の執行までに時間がかかるのは、どうなのかと思う。どなたかも言っているが、刑務所では税金が使われる。犯罪者一人の食費を、こども食堂に回せたら、社会的弱者に回せたらどんなに助かるか、と思う。そんな単純じゃないことはわかっていても。 

 

▲30 ▼3 

 

 

 
 

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