( 320048 )  2025/08/29 06:21:08  
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表彰台でWBCの優勝トロフィーを掲げる大谷翔平(中央)をはじめとした日本代表選手たち(写真:時事) 

 

 Netflixが2026年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)を独占配信すると発表され、物議を醸している。国民的イベントを無料で視聴できなくなったことに、野球ファンを中心に猛烈に批判の渦が巻き起こっている。 

 

 2023年のWBCは確かに盛り上がり、野球に興味のない私も後半はほとんどのゲームを視聴した。とくに大谷翔平が決勝戦で「憧れるのはやめましょう」とチームを奮い立たせたエピソードは、コロナ禍に疲れていた日本中を鼓舞した。 

 

 日本人にとって大切なコンテンツとなったWBCを、外資の配信事業者がカネに物を言わせて放映権を獲得し、気軽に地上波で見られなくなったことに、怒る人がいるのも当然かもしれない。 

 

 そもそもWBCは、世界の人々に野球を広めることを理念として生まれた大会だそうだ。有料配信を負担できる人だけしか見られないのは、その理念に反するとの意見もある。「アメリカでは無料で見られるのに」と不満を言う人もいる(実際はFox Sports Channelの独占で、視聴するには有料ケーブルテレビとの契約が必要)。 

 

 Netflixは巨費を払ってまでどうしてWBCを独占したかったのか。また、WBCを運営するWBCI(World Baseball Classic Inc.)は、なぜあれほど盛り上がった日本で、地上波ではなく配信を選んだのか。私なりにそれぞれの思惑を推測してみた。 

 

■視聴データで浮かび上がったWBCの現実 

 

 ヒントは「2023年のWBCを誰が見たのか」だ。 

 

 テレビCM領域のテクノロジー企業であるスイッチメディアが提供している視聴計測サービス「TVAL」で、2023年のWBCの視聴率を調べてみた。TVALはビデオリサーチが公表している視聴率とは調査パネルが違うので厳密な数字は異なるが、大まかな傾向はほぼ一致する。これを用いて、平日午前にもかかわわらず世帯視聴率42.4%を記録した決勝戦の視聴率を性年齢別で分析した。 

 

 

 ビデオリサーチのデータと混同を避けるため、縦軸の目盛はあえて外している。一目瞭然だが、男女ともに50歳以上、とりわけ65歳以上の高齢者が圧倒的に多い。午前中だからという事情はあるが、ほかの試合でも高齢者が断然多い状況は大差ない。夜の試合では若い層が少し増えるにせよ、基本的にWBCは高齢者が愛するコンテンツなのだ。 

 

 WBCの理念が「野球の楽しさを伝えること」にあるなら、この結果をどう受け止めるべきか。高視聴率だったとしても、危機感をいだかざるをえないのではないだろうか。高齢者に愛されるのはうれしいが、本来の理念や今後のことを考えると、若い層にこそ見てもらう必要があるはずだ。 

 

 Netflixは昨年、日本国内の会員世帯数が1000万世帯を超えた。データはないが、配信サービスの傾向として50歳以下の若い層が中心なのは間違いないだろう。「テレビ離れ」で地上波放送をほとんど見ない層にこそ、野球の楽しさを伝えたい。そう考えるなら、Netflixに配信権を与えるのは自然なことに思える。 

 

■両者のニーズが合致した見事なディール 

 

 一方、Netflixの思惑はどうだろう。1000万世帯を達成したとはいえ、若い層が中心。次のステップへ進むなら、より高齢者層を狙うのが今後の成長のカギになる。それはつまり、テレビをよく見る層であり、前回のWBCをテレビで視聴した高齢者たちだ。 

 

 だから、WBCの配信権を独占的に獲得することで、高齢者層をがっちり獲得する可能性が出てくる。「イカゲーム」でも「地面師たち」でも「新幹線大爆破」でも獲得できなかった層をWBCでつかめるのだ。 

 

 そう考えると、Netflixの現ユーザー層に見てもらいたいWBCIの意向と、WBCファンの高齢者層をつかみたいNetflixの意向が、見事に合致して今回のディール(取引)に至ったといえる。 

 

 世界では、スポーツのライブ配信が大きな潮流になっている。それは、既存の地上波中心の見せ方では今後がないとの強い危機感からだろう。 

 

 

 日本は地上波テレビが強いと言われ、これまでは必ずしもこの潮流に乗る必要がなかった。だがWBCIの選択により、日本にもいよいよ本格的に世界の奔流が到達したといえそうだ。日本のメディア環境は実はそこまで変化しているのだ。 

 

 これは、このところの主要選挙で「オールドメディア」の影響力が後退し、「SNS選挙」と呼ばれるようになった状況と似ている。これまで少数派だった若い層のネット中心のライフスタイルが、地上波テレビの存在感をますます社会の隅に押しやっている流れが、野球の世界にも波及したのだと思われる。 

 

 WBCIとNetflixの思惑が一致したとして、日本のメディア業界、とくにテレビ局は、これからも世界の潮流を前に指をくわえて見ているしかないのだろうか。 

 

■大谷に甘え続けてきた日本のテレビ局 

 

 そもそも、日本のテレビ局は大谷に甘えていなかったか。まずその点を指摘しておきたい。 

 

 2023年のWBC以降、不思議なことが起きていた。大谷は遠くアメリカで活躍する選手なのに、その活躍を地上波テレビで見ない日はほとんどなかった。なぜか、ニュース番組のスポーツコーナーで最初に紹介されるのは、大谷のその日の成績だった。 

 

 ホームランを打ったならわかるが、二塁打を打ったとか、果ては三振だったことさえニュースやワイドショーで紹介される。NHKでさえ、ニュースの中で「今日の大谷」を紹介する。いくらなんでも異常ではないか。 

 

 理由は明快で、大谷を報じると視聴率が上がるからだ。高齢の、とくに女性の視聴が、視聴率全体を左右する。人数が多く、テレビをよく見るからで、それゆえ各局とも大谷をフィーチャーする。 

 

 大谷にテレビ局は頼ってきた。そこには、慢心があったのではないか。2026年のWBCでも、われらが大谷くんがまた大活躍してくれる。そのためにも、毎日大谷を応援する――。そんな安易な気分だったのではないだろうか。 

 

 

 そもそも2010年代までのWBCの視聴率はさほど高くなかった。2023年に大谷の大活躍で優勝したから42%超の高視聴率を獲得し、中高年女性の「推し活」対象に大谷を押し上げた。2023年の盛り上がりが突出していただけで、WBCが日本人にとって大切なイベントだというのは幻想かもしれない。 

 

 NetflixにWBCを奪われたのは、日本のテレビ局がそんな幻想に浸って、来年に向けた動きにアンテナを張っていなかったからではないか。 

 

 TBSは今回の件についてコメントを発表し、その中で「国民的関心の高いスポーツイベントを無料の地上波放送で中継することの意義や視聴者の皆さまのご期待は非常に大きいと考えており」とある。 

 

 これは「有料の独占配信」に異を唱えたいのだろうが、そう言うなら、やるべきことがあったのではないか。失礼ながら、負け犬の遠ぼえに見える。地上波で放送する意義があるからこそ、Netflixにしてやられたことは国民の期待に添えなかったと反省すべきではないか。 

 

■テレビ業界が進めていくべき2つの対策 

 

 反省するとしたら、日本のメディア業界はやるべきことが2つあると思う。 

 

 1つは、テレビ局自らスポーツライブ配信の実績を積むことだ。 

 

 Netflixは昨年来、ライブ配信を売り物に加えるべく、アメリカでNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)やWWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント)の試合を配信し、巨大なトラフィックをさばいてきた。 

 

 ひるがえって、日本もテレビ各局が有料の配信サービスを持っていたり、提携したりしている。日本のテレビ局もNetflixに比するような実績を積む。そうすることで、放送も配信もこなせると、WBCIのような権利保持者にアピールできる。放送だけではもう強みにならないからこそ取り組むべきだ。 

 

 もう1つは、Netflixのような“巨人”に対抗できる体制を一致団結して構築することだ。日本のテレビ局はもはや、個々ではNetflixに太刀打ちできない。だが、合体して強くなるヒーローのように、力を合わせることで対抗できるかもしれない。 

 

 そのためには、日本テレビグループのHuluやフジテレビのFODといった個別の配信サービスを一体化する必要があるかもしれない。具体的には、有料版のTVerのような事業体を組成し、大型スポーツのライブ配信を難なくこなせるようにするわけだ。 

 

 また各局とも現在、投資のためのファンドを組成しているが、大型スポーツファンドのような形で資本力を用意しておく必要もある。国民的イベントを放送することに意義があるなら、損を覚悟で投資してもいいのではないか。もちろん、多角的なビジネスを構築して利益を最大化する努力もすべきだろう。 

 

 大きく力を合わせることで、今回のような情けない事態が起きない体制が作れるはずだ。国民の期待に、ぜひ応えてもらいたい。「憧れるのはやめましょう」の言葉は、いま日本のテレビ局に向けられている。 

 

境 治 :メディアコンサルタント 

 

 

 
 

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