( 320092 ) 2025/08/29 06:58:11 1 00 飲食店における味の変化に関する議論が主なテーマとなっています。
多くのコメントでは「味の進化や食材の質の変化」、さらには「加齢による味覚の衰え」が原因であると考えられています。
さらに、飲食店側の事情もなり、原材料費の高騰や調理法の変更、店主の変わり具合など、様々な外的要因が絡むことも強調されています。
(まとめ)飲食店の味の変化について、個々の味覚や期待、店側の事情が複雑に絡み合っており、長期間の訪問がない場合には過去の思い出と実際の味とのギャップが生じることが多く、多様な要因が味の評価に影響を与えている。 |
( 320094 ) 2025/08/29 06:58:11 0 00 =+=+=+=+=
自分は飲食店二代目ですが父が亡くなる15年前から私が味付けをしていました。 ところが父が亡くなったとたんお客さんの一部から味が変わったという意見を聞くことがちょくちょくありました。 お客さんにどう変わりましたか?と尋ねたら色んなご意見を聞くことができましたが15年以上前から自分の味付けですよと伝えたら、え?と言われて黙り帰り際に余計な事を言って申し訳なかったと謝れるお客さんもいました。 味が変わったなと自称グルメぽいお客様と相変わらず美味しいと言ってくださるお客様とは半々ってとこでしたね。
▲7339 ▼731
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名のあるお方はこういった発言は控えたほうがいいと思います。 親しい身内の間でこういった会話は全然いいと思います。ただ世間に出てしまうと周囲は『あのお店では?』と考えてしまう方もいるかと思いますので… 美味しくないと感じたお店には何も言わずに二度と行かなければよいと思います。 良い思い出を大事にして欲しいです。
▲815 ▼99
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自分の経験ですが、体調悪くなって薬を服用するようになると不味く感じますよ。猛暑で体調崩してたり、加齢やコロナ経験後とかで味覚が変わることもありますよね。あと、調理者も年を取ると動作が以前のようにうまく出来なくなったり、味が先に書いたように分かりにくくなったりする可能性もありますよね。おごりでもなんでもなく、仕方がないことだったら、なんか気の毒ですよね。
▲1103 ▼70
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他人の味覚を参考に五つ星やらいいねが沢山着く店に行くとかあるけど、いざ来店したら、ん?と思う味だったりして。コレで二つ星か何て店世の中に沢山ありますよね。どっかのタレントがここが一番と言われたらゴゾって行ってみたら、えっ?とかないですか。それとも自分がおかしいのか悩みどころです。自分自身が美味い!と思ったら他人の評価何てどうでもいいんですよ。 黒沢さんも年齢的なものもあると思うからその鰻屋さんを責めるのはどうかと思いますがね。
▲270 ▼28
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逆に行きつけのイタリアンは初代オーナーシェフの時の味は格別で何度も通ってました。しかし高齢につき引退してそのご子息が後を継ぎ2代目オーナーシェフとなりましたので、あの味はもう無理だろうと思い試しに食べに行ったところ全く同じ味を再現しておりました。びっくりして思わず泣きました。2代目になってから10年以上経過しましたが今では完全に親父の味を超えています。あっぱれです。
▲3323 ▼238
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数十年ぶりというなら味が変わることもしかたないのではないでしょうか。身近な人や常連客の好みに無意識に近づけてしまうこともあると思います。黒沢さんが足繁く通っていれば違う結果になっていたかもしれませんね。
黒沢さんの落胆する気持ちもわかります。 好きだった店の味が変わるとショックですよね。
ただ歳をとると塩味を感じる力が弱くなり以前と味の感じ方が変わるそうです。嗅覚も同じく。
黒沢さんの感じ方が変わった、もしくは大将の味覚が変わった可能性もあるので、慢心と断ずるのもいかがなものかと。
▲2658 ▼143
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他の方のコメントにも散見されるが、「味が落ちた」ことに関しては、確かに久しぶりの訪問ならば店側だけの問題、とも言いきれないところは多々あるでしょうね。思い出補正然り、食する側の(加齢に伴う)嗜好の変化然り、また、店側としてはよりアップデートしたつもりの味付けの変更、かもしれないし。 だから、それらを殆ど考慮せず一方的に「味が落ちたのは店側の驕り・勉強不足」と断じ、ましてやSNSでわざわざ発信する、というのは、有名人の行いとしていかがなものかと。具体的な店名こそ明かしていないものの、私ゃむしろこっちの方が引っかかるな、「有名人の驕り」がそこはかとなく感じられてしまって……
▲2636 ▼128
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人気になった鰻店の惨状が散見される。 人数を捌くため下処理の小骨の処理が荒い。 遠火で焼かずに脂が落ち切らない。 全て待たされると、直ぐに苦情を入れる客 予約してじっくり時間を取らせない客などが 増えているからだが、店側も矜持を保つべきだ。 日本全体に、余裕が無くなって来ている気がする。
▲120 ▼55
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こういった言葉を発信する前に、自分の味覚が変化した可能性を微塵も思わないのでしょうか。私は体調やその時の状況によって、水でさえ違う味に感じます。同じものを食べたとしても味が違って感じられることはありますし、年と共に変化もすると思います。
▲1584 ▼111
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飲食は難しい。味の好みは十人十色。味覚も年齢とともに変化するし、時代にあわせてアップデートしたつもりが裏目に出ることもある。鰻であってもラーメンであっても、我が家の中だけでも好きな店が別れる。勉強不足は言い過ぎなので、自分の好みとは違ってきた。位で留めておいて欲しい。
▲729 ▼31
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昔の味と違う何て話をよく聞きますが、昔の事象は美化されがちです。私も学生時代の下宿先近くの定食屋さんに久しぶりに行きましたが期待していたレベルではありませんでした。ただバイトの給料日に封筒をもって腹一杯食べた広東麺定食の味は今もピカイチの思い出です。
▲887 ▼76
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昔の、というか遠い過去の。まだまだ自分が貧しかった頃の。 ごく稀に、ご馳走していただいたり、自分で勇気を振り絞って食べたりしたもの。 それは別格のおいしさ。 その当時の黒沢さんと今の黒沢さんでは違う感覚にもなるでしょう。 老人ホームの「特別食」にも及ばなくなってしまっていると。 今は、「市販のかば焼き」も遠い過去のものとはダンチ。おいしい。 人によっては老舗のよりおいしく感じられそうなのもあります。 その老舗の味が落ちたかどうかは、今の黒沢さんでなく、当時の黒沢さんでなければわからないかもしれません。
▲498 ▼53
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お店のことは分からないけど、黒沢さんも健康になったのかも? 昔よりも健康になって、塩味をよく感じられるようになったのかなぁなんて思いました。
親戚は、味が分からないと言って醤油をジャバジャバかけるので。。何言っても無駄で、まぁこっちがストレスで身がもたないので、放置なんですが。。
薄味に慣れ、塩味を感じられるのは、健康な証拠かなって思う。
せっかくの健康な身体、元気で色々楽しんでほしい。
▲370 ▼46
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加齢により味蕾は鈍化するのはよく知られた話で、子供の頃苦くて食べられなかった例えばゴーヤやサンマの肝などは、味蕾の鈍化により苦味の裏側にある旨味などを感じ取れるそうになります。 逆に鈍化する前ならば、カレーやハンバーグなどの味の濃い物が刺激が強く「美味しい」と感じ、それが幼少期の記憶として刷り込まれて人の人生の味覚に影響を与えるそうです。 黒澤さんも幼少期や青春時代など元気であり、味蕾が鈍化し切る前の記憶が鮮明で、鈍化した味覚とのギャップに気づけなかったと言うか、ご自身の加齢による変化の差ではないかと。
これは良い悪いでは無く、人は誰しも落差の差はあれど必ず起こる事なので仕方ない。 高齢者向けに味付けされた物の方が好みで、今のお店味が自分の味覚に合わなく「二度といかない」と言うのも仕方ない。
▲51 ▼3
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思い出の店が受け継がれ現存している事自体幸せだと思います。 小さい頃家族でよく行った焼肉屋さん。普通のガスのロースターで焼くカルビ、味噌ベースのタレ、レバ刺し、牛テールクッパ、ミリンダオレンジ、テーブルに座って笑顔で話しかけて来たり、お肉を焼いてくれたりする店主、全て脳裏に焼き付いているのにどんな有名店へ行ってもその味を超える事はない。 もう、味わえないあの味。無くなってしまった後、あれこそが幸せなんだと実感しています。
▲55 ▼3
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黒沢さんとはレベルはかなり異なるが学生時代に寒い中ありったけの小銭で食べた駅のお蕎麦。空腹に染み渡る暖かいお蕎麦。汁まで飲み干し、完食。うまかった。今まで食べた駅のお蕎麦の中でもナンバーワンのお蕎麦だった 社会人となり学生時代と比べれば自由に使えるお金は増えた。 そこであのとき食べたお蕎麦を食べたが、味が落ちたという事でもなく、あのときの感動は蘇らなかった。 学生時代のように貧しくて、寒かった日々ではなくったのだな。やはり、自分という人間が汚れて、心の貧しい、感謝や感動を忘れてしまったのだろうな。
▲217 ▼12
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数十年ぶりなら代替わりした可能性もある。 そうなれば時代に合わせた味の変化や当代が求めた理想の味が黒沢さんの思い出の味と異なる場合だってある。 更には鰻も天然が減ったから養殖に変更するとか仕入れ値と提供するサービスの値段を上げないようにするための工夫した結果、味が変わってしまったなど色んなケースが考えられる。 それだけの時間が経っている。 少し表現は悪いけど黒沢さんの年齢も考えると思い出の味で誰と食べたとか美化されることだってある。これで訪れるのは最後になるという覚悟で訪れたのかもしれないし、その後に美味しい物に沢山出会い舌が肥えたことで、訪れた店の味が変わってなかったとしても黒沢さんの思い出や肥えた舌など状況の変化で味が落ちたと感じたのかもしれない。
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最近お気に入りの市販のチョコレートを2枚買ったんだけど 1枚目は最高に美味しかった 次の日同じ2枚目を食べると味が全然違って感じられた。 全く同じものなのに。 自分でもびっくりするぐらい違った。 なんの差かわからないけど他人にだけじゃなく自分にも原因が あることも結構あるんだろうなと感じた。 歳を重ねると余計にその差が出やすくなりそう。 プラシーボ的な事象もあるだろうし、実際に味が落ちてることもある。 生きるって難しいね。
▲33 ▼0
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東京・荻窪にある、とある有名な老舗ラーメン店の創業者の言葉 『お客に飽きられないように、お客に分からないレベルで味を少しずつ変えていく、そこまでやってようやく「いつも変わらず美味しい」と言ってもらえるのだ』 これはなかなかに含蓄のあるお言葉。
自分の実家のそばに有名な老舗生姜醤油ラーメン店があるが、30年前といま現在を比べると、食材料の量は倍近いとのことだ。 だから結果的に値段も30年前の倍近い値段になっていて「あいわらず美味い」のよね。
▲112 ▼17
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こればかりはデータではなく個人の感想だから仕方ない 加齢による味覚の衰えもあるだろうけど、一番は加齢による消化器官の老化で鰻のような脂っこいものは老人には厳しいと思う 老人ホームや老人相手の商売なら相手の老化具合によって油抜きや塩分濃度を加減もできるけど、万人向けのお店では高齢者用の食事は病人食のようなものだから無理 『もう行かない』は多分強がりで、ほんとうは加齢による自分の限界が見えてしまった悲哀なのだと思う
▲34 ▼3
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もう亡くなった私の父は『あの店は昔のほうがうまかった。』ばかりでした。 うまいもんが食いたいというから連れていったり買ってきても晩年は思い出ノスタルジー補正の愚痴ばかりでした。 記事は本当に味が変わってるかもしれないが読んだら思い出補正があるんじゃないと思った。
▲489 ▼35
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最近ありました。ある蕎麦屋に行った時1回目は凄い美味しかったので2回目に行った時蕎麦がゴム見たいで美味しくなくて、3回目に行った時、蕎麦の腰がなくて麺つゆがダダ辛くて行くたびに美味しくなくなりました。修行して最近開業したばかりの蕎麦屋で人気のお店で今もたくさん来る蕎麦屋さんですが、人気だけで繁盛して味が落ちて来たら1回きりのお客が増えて長く続かないんだろうなと思いました。
▲0 ▼0
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何度か同じことがありました。 あの味を求めて来たのに悲しいですよね。 でも10年以上期間が空いた時は、もう別のお店と思った方がいいです。 お店もコストカットなどで、仕方のないことなのでしょう。 そのことから、私は好きな店は無理しても頻繁に訪れるようにしています。味を守ってもらいたいなら、客も応援し続ける必要があると思う。 数十年も応援していなかったのに、味だけ守ってくれと言われても、その責任はないです。
▲3 ▼0
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味覚の記憶って視覚や音声より遥かに曖昧になりがち。それと実験室で特定の食物を取り出して味わったわけではなく、小さい頃なら親御さんと、また長じて彼女や家族での食事という楽しい思い出と一緒になっていると思うんだよね。年をとって孤独が進む人とそうではない人といると思うが、楽しく幸せだった時代を思い出しながら一人で食事すれば、同じ料理でも味気なく感じるとは思うねぇ。さらには、若く新陳代謝も活発な頃は、多少塩味油ケがしっかり目の方がおいしく感じるもの。年いってくるとあっさり好きになってくるので、ここら辺も影響あるでしょう。まあ「どこそこも味が落ちた」ってぇのは、「最近の若いものは」と同じ年寄りの繰り言というのが相場だからね。
▲8 ▼0
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いや、この店なんとなくわかる。 老舗の有名店ですが自分も久しぶりに行ったとき「なんでこのたれしょっぱいだけなんだろう」と驚いたことあります。(以前はおいしかったのに)
「客側の味覚の変化」とのご意見もありますが、黒沢さんも10代から一足飛びに80歳になったわけでもなく、その間も連続的な飲食体験あったわけで、その誤差も考慮したうえでの感想だと思いますよ。
▲14 ▼15
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単に店だけの問題なのか、食べる人の味覚や好みが変化したことにも起因しているのか、どっちもあると思うし、今の好みで店を選べばいいだけのことだと思う。だってそのお店も経営が続いているということは、それなりに受容されて支持されている証なのだろうし。 自分を戒めるというところに落としどころを見つけたのは、皮肉っぽいけど批判だけの話題にしなくて良かったと思う。自戒は大切ですよね。
▲6 ▼1
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自分にも覚えがあるが、後期高齢者ぐらいになると、それまでの「感覚」を維持できてない衰えが出てくる。 例えば夏の暑さに対して鈍感になり熱中症に罹るとか、車の運転の注意する感覚が鈍るとかは典型で、さまざまなところで感覚の衰えが出てくるのは事実だ。 きっと味覚にも感覚の衰えがあるのではないかと思います。 黒沢さんも後期高齢者で、そういう事を少しは疑った方が良いかと思いますし、自分でも判断を主張する前に少し自戒をしておいた方が良いと思っている今日この頃です。
▲13 ▼1
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思い出という調味料が味を濁らせることも大いにあるし、美味しくもすると思う。そんな私も学生時代に通った食堂に行きたいと思って30年が過ぎた。2度訪れたが2度とも営業時間終了、お世話になった大将は亡くなられており線香をあげさせてもらった。今は二代目がやっている。思い出調味料てんこ盛りの状態で、次こそ食べてやると思っている。泣くだろうな。
▲38 ▼4
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まあ食の評価は色々だけど、数十年ぶりなら食う方の口の奢りと店主の高齢化に伴う塩味の感覚のずれが原因でしょうね。 歳が進むとどうしてもだんだん塩味がわからなくなる傾向はある、、 弟子に言われても自分が正しいと信じきっていて「自分の味」を指導し続けるとかね、、 常連客の反応でやっと認識して引退を決めたとかもよくあるみたいだけど、それは良いケースで、「自信のある職人」ほど難しいでしょう。 で、老舗だと余計に、代替わりしても「先代の味」をきちんと継承しようとするが故におかしいと感じても「これがうちの味」と変えられなかったりするとかね、、 老舗=味を守るという意識が悪い方に出た結果で、奢りとか勉強不足とかとはちょっとまた別に問題のような気がする、、 それでも生き残るのが「本当の老舗」なんだからそれでいいんじゃない? 良くも悪くもそれが「老舗」なんだから、わざわざ表立って批判するのもどうかと思う、、w
▲11 ▼0
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味が落ちたかどうかが分かる人ってある意味凄いな。 私には理解出来ない。 例えばウナギだって個体差があって当たり前で、こないだ食べたウナギと同じ個体は食べられるわけない。 自分の体調もいつもいつも全く同じではないし、精神的な捉え方も同じものを見ても違って見えたりする。 何か違うなって思った時に他人の腕のせいにしてしまえる感覚ってちょっと…私は怖いと感じる。
▲151 ▼25
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人間の舌の味蕾は二週間で入れ替わるんですけどね…… 時間が空けば空くほど味蕾は大きく入れ替わります。 10年以上となると全くの別物で近年好んで食べて居る食べ物が大きく影響するでしょうね。 体調にも大きく影響しますし、その時の感情や欲している味にも影響します。 人間の思い込みやなどは悪影響しかなく勉強不足なのは人間の身体を理解していない黒澤氏だと感じました。 お歳を召すと食べる物も大きく偏り他の味を受け入れずらくなります。 おそらく黒澤氏も少し時間を空けながら2,3度食べ続ければ脳の処理も追い付き違和感も無くなるでしょうね。
▲12 ▼4
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味覚は年齢とともに変わるし体調によっても変わる 汗を大量にかいたら塩味が強い方が良いし 若い時は脂が強くてもいいが 年をとると 抑え目が口に合う
しかし客も調理人も体調や加齢で味が変わる 全く同じ味でも感じ方は変わる ただ 傾向として有名になったり 行列店になると味が落ちる場合が多い
▲3 ▼0
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昔食べたのは何故かとても美味しいと感じるのです さんまにしても、七輪で焼いた一塩のさんまに、ネギの小口切りをちょっと乗せたもの美味しかったです 飯坂温泉近くにあった餃子も初めて食べた時が一番美味しかったです。 飽食の時代の今舌が肥え過ぎたのだと思われます 何も無い時代に食べた初めての物に勝る物は無いと私は思っています
▲5 ▼1
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アラフォーの私が小さい頃から月に2.3回必ず食べてる某有名なお店の豚まん。 先日人生で初めて、これおいしくないって思ったんです。食べてる時にそういえば、作ってる様子が買う時見えるのですが、新人さんが作ってましたし、だいぶとやり直ししてたなと、そして形もよくない。 何がいいたいかというと、これまで一度ハズレがない。どの店で買っても変わらないし美味しいことに感銘を受けました。味を引き継ぐって大変なこと。人の味覚変わるのに…この企業すげえなと思いました。 もちろん、そのあとは相変わらず美味しいです。
▲0 ▼0
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老舗と有名店の驕りは確かにある。 その伝統を守りつつ、今の時代に合わせ変化していく事はとても難しいと思う。 老舗の看板だけで成り立っている店も多いと思う。 2代目以降の苦労を知らない倅たちは裸の王様で好き勝手にやりがちで、馬か息子と呼ばれたりしてる。 今回のそれは分からないが、黒沢年雄さん側の見方をした意見でした。
▲2 ▼2
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まあ味というのはあくまでも主観的な判断ですし、「味が落ちた」と言うよりは、「好みの味ではなくなった」というような表現の方が適切かなと思います.その結果として「もう行くこともないだろう」ってのは、個人的な判断ですしね.店の味が変わったのかもしれないし、自分の感覚が変わったのかもしれない.その味でお店が繁盛しているのであれば、お客さんの好きな味の中央値が移動してしまって、現代のお客さんには昔からの味は好まれなくなっているという変化かもしれないですし.
▲7 ▼0
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年齢などで好みや味覚が変わるのは良くあることだし、最初の衝撃がここ何十年?も 行っていなかった事で何倍、何十倍に膨れ上がる事はよくある話。 # めちゃくちゃ薄い記憶だけど美味しんぼにもかつ丼だったか?で、成功して #何十年かぶりに行って食べたという話で、いい感じで終わってたと思うけど。。。
出前をしてくれる蕎麦屋さんが店主が亡くなり閉店とワザワザお店の人が挨拶に 来てくれたし、その2~3年後かにメニュー表が入ってたので電話したら再開した とのこと。 もちろん楽しみにして大晦日出前を頼んだら、、、 親子丼、鶏肉は何故か焦げているし、縮んでるし、そもそも卵と分離してるというか 玉子焼きの端を入れただけ。 味は鶏肉は食べるごとにまずさが口の中に広がる。 肝心な蕎麦も麺は茹ですぎ、つゆは甘すぎでそれ1回で頼んでいない。 多分閉店かなと思った。。。
▲6 ▼0
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舌も歳をとる。 味の好みも変わる。 久しぶりの行きつけ店でガッカリするのは良くあることだけど、それは相手のせいばかりではないことも覚えておいた方がいい。 いつもの味を求めるなら、間髪入れずに通ってあげて欲しい。 そのくらいのお客人になら何言われても仕方がないと店側も思ってるよ。 私も最近、30年ぶりの鰻屋へ。 味の印象が全く違っていて、夢は夢のままにしておけば良かったなと後悔。 もしかしたら違う店に入ったのかも、というくらい食後の感動が薄くなってた。 世の中そんなもんだろうよ。
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自分の味覚の変化を微塵も疑わず、相手だけを一方的に非難するのはいかがなものか? 私の父親は料理をするが、2年程前から味が濃くなり、今は、私には濃くて食べられたものじゃないが、本人は平気で食べている。 同じ料理を食べても、人それぞれ感想は違う。
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看板(名前)だけで売れる状況に甘えて手を抜いてしまう人もいます。満場一致で味が落ちたと感じるなら味が変わったのは事実かもしれません。しかし、味を感じる自分も年を重ねて変化しています。もちろん、タレを作る店主もです。データを元にきっちりとした分量で調味していれば味は一定になりますが、作り手の味覚頼りであれば老いて塩味が感じられなくなるとしょっぱくなってしまいます。昔と変わらず美味しいものを作ろうとしている可能性はあるので、味が落ちた→怠慢、驕りがある、と決めつけてしまうのは悲しいと思います。
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必ずしもおごりと勉強不足とも言えない気がします。長らく行っていなければ機器の故障や衛生上の指導などで、継ぎ足して大事に使っていたたれを安全のためにやめたりすることもあるでしょうし、よく通っていたころには常連さんとして好みに合わせて味を調整してもらっていた可能性も。人間の味覚は勝手なもので、疲れていたり、精神的な変化があるだけでも同じ味と認識できないこともあります。経営者が変わったりすると、全く同じ出来合いの製品でも、ちょっと味が変わったのでは。と言われたりすることも珍しくないようです。一方で人並み外れて味覚が鋭い人もいて、毎日誰が淹れたアイスコーヒーか言い当てるレベルの人もいらっしゃるとか。
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好まれる味は時代によっても変わります また自身の加齢よっても味覚は変化します さらに過去の思い出を美化しているかもしれません
原価の高騰や職人の質の低下などの理由で料理のクオリティが下っている可能性も否めませんが
今もそのお店にお客さんが付いているなら、お店の変化と自身の加齢のギャップでしょうね
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お店の味が変わったのではなく、黒澤さんの味覚が変わったか、普段食べているものに味覚が慣れてしまったかでしょう。又は昔の思い出か記憶の中で美化されていったか。 もしかしたら他にも美味しい鰻のお店が増えたこのお店の優位性が相対的に下がったのかもしれませんが。 毎日通って、今日はチョット塩辛いね、って言うなら食通だねって言えるかもしれないけど、十数年ぶりなら、余計なこと言わないほうがいいね。どんな美食でも理想化された記憶の味には叶わないのだから。 ホントにお店の味が悪くなったのなら、廃れてるか、無くなってるでしょ。黒澤さん以外の人が全てバカ舌なわけないんですから。
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菊乃井の村田吉弘氏の著書にもあったが、高齢になれば味覚は落ちる。苦味酸味は感じにくくなる。 甘辛ダレは最後までわかるらしいが、それでも昔感じたような深みは感じられないだろう。 加えてシニアマンションなら当然高齢者向けに特化した味付けだろうから、高齢の黒沢氏が名店より美味しく感じられても無理はない。 思い出補正もあろうが、数十年ぶりなら味覚が落ちていることも考慮に入れなければならないだろう。 あと期待しすぎると良くないってのもあるかな。 まあ昨今の物価高で材料の質を落としてるってのもなくはなさそうだけれども。
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思い出の味は5つの味覚に加えて曖昧というぼかしフィルターがかかるからなあ。 普段から食べてて味が変わったとかなら残念だけど、数十年ご無沙汰じゃ店の味も変わるのも仕方ないし、自分の味覚や好みの変化もありそう。 夏だからしょっぱめの味付けにしてるのに、食べてる本人は運動量が減って塩分の必要量が変わってしまったとかね。 自分も環境も歳を取るってそういうもんでしょう。
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わかるような気がします。大正時代から味を変えていないと言われている有名な親子丼のお店に行きましたが味わいが昔すぎて普通に美味しくなかったです大正時代の旨いものを今食べてほとんど美味しいはずがないと思う。長続きしている美味しいお店は常に味を研究して変えているのも事実です。
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10年経つと味覚が変わることもあるし、お客様に合わせて字を変えて行った方も有ると思います、自分の味覚を過信しない方が良いと思います、味覚はど当てにならない物は無いですよ。
こんな所で言わないで口に合わなければ行かないで口にある所にいけば良いです。
世の中に全ての人の口に合う物は存在しないと言う事を覚えるべきですね。
▲1 ▼0
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長く生きてるといろいろ思うところありますよね…思っていることを発信すると仕方ないですが「そう言う言い方はどうなんだ??」と意見されることもあるかも知れないですが誹謗中傷はダメですが自分の意見を持つ事は大切と思います。お店の名前も出されてないし言いたいことは伝えたほうが精神衛生上良いと思っています…
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自分も昔良く行ったひつまぶしの名店があるが、当時は炭火でバリッと焼けた香ばしい鰻がいただけた。そのうち、客が増え待ち時間が長くなり、値段もドンドン上がり足が遠のいた。支店も増えたけど、中々行くことはなかったが、何となく気が向いて昨年行ってみたら、値段は倍近くになっていたが、バリッと香ばしいひつまぶしじゃなくなっていてガッカリした記憶がある。 名店の奢りかもしれないが、職人がいなくなったり、備長炭でじっくり焼くのはコストが合わないなどの制約もあるのだろう。
▲13 ▼1
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野︎岩ですね 自分もそう思いました。 しかし自分の味覚の変化や時代と共に微妙に味を変える事もあるし同じ主人であれば味覚もお衰える可能性もあるので心の中でしまっておき、いかなくなりました。 まぁ、この世でこんな美味しいと思いながら10年以上から20年近く行ってなかった方が気の毒でしたね
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私も同じ経験があります。
亡くなった祖父が好きだった鶏料理屋に祖母を連れて行った時のことです。 祖母は「おじいさんと食べた鶏はこんな味はしなかった」といって泣き出すのです。私は祖母がボケたのだと思いました。
そのことをちょっとグータラな同僚に相談すると、おばあちゃんはボケたんじゃない、しっかり味を覚えてるというのです。
同僚が持参してきた放し飼いの地鶏を食べると祖母は「これだよ!おじいさんと食べた鶏は!」と感激しボケまで治ってしまいました。 その料理屋の鶏は環境の悪いところに閉じ込められて育てられたブロイラーだったのです。 ボケていたのは私達の舌の方だったのです。
日本人は効率や豊かさに溺れ大事なものを失ってしまったのでしょう。 そのうなぎは本物のうなぎではない、そう思います。 中国産を最後だけ日本の湖で育てただけなのでしょう。
▲5 ▼3
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飲食店で働いてた頃、本店の味の方が美味しいと言われましたが、新店のの前は本店でずっと自分が料理しててその事を伝えると黙った人が居ました。 人の味覚は雰囲気と自分の美化した思い出が最高のスパイスだと思った事がありますね。
▲22 ▼2
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御高齢なので。コメントだけでは味が落ちたのか味覚が落ちたのか分からない。そこの考えを考慮した発言なのかどうか。味覚が落ちた可能性を考えていない発言なのであれば味なのか味覚なのか人間性が落ちたかに変わってくると思います。ストレートな発言を聞く限りうちの父と同じような人なんじゃないかと思ってしまいます。
▲1 ▼0
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鰻だけで言えば、養殖鰻は数十年前と比べて全然違います。 昔は冷凍サバを餌にしていたのですごく油が乗っていましたが最近は安価な魚粉等を餌にしてるので油が乗らず焼いても佃煮みたいですね、昔の味を知っている人は現在のうなぎは比べてはダメです、私はスーパーの半額の鰻を安かろう不味かろうで食べてます(半額でも高いですが)。 サバも高昇して中国からの安い鰻に対抗する為にはしょうがないです。 昔のようなうなぎが食べたければ自分で養殖するしかないですね。 昔は自分で焼くと鰻の油で炎が燃え上がり焦がさず焼くのに苦労しました。
天然鰻は美味しいらしいですが食べたことが無いのでなんとも言えませんね。
▲144 ▼137
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味が変わったかどうかは、分からないけど老舗?って言うなら何年も店を運営してるんだから、良いと思う。それだけ、お客様が来るって事だから。以前と言っても同じ味でもその時々で微妙に味が違うのでは?季節・環境・お客様の体調など まぁ、これからも行く行かないは、人それぞれだけど自分の思い込みで奢りとか批判は、しない方が良いと思う。
▲1 ▼0
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味覚ってものすごく主観的で不安定なものでブレがあるから、ご本人にどれだけ自信があっても本当に味のほうが変わったどうかは分からないです。熱中症だと経口保水液が甘く感じる(塩や酸味を感じなくなる)みたいに、自身のコンディションで味などいくらでも変わります。味覚障害や加齢による鈍磨で一部の味が弱く感じられるようになっても、人はなかなか気付けないものです。 人間どれだけ「味が変わった」と思っても、まずは「変わったのは自分の舌かもしれない」と考え口をつぐむべきだと思います。本当に味が変わったのかそれとも気のせいなのか分からないまま、今の自分の舌に合う店を探すほうが良いです。「美味しく感じない」は事実でも「美味しくなくなった」は自分の勘違いかもしれないので。
▲17 ▼1
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すごく美味しい思い出の店に10年ぶりに行けばどうしても勝手にハードルが上がってしまうし、年齢からくる味覚の変化もある。 勿論店のレベルが下がった可能性もあるけど、それなら「こんなものだったかな」ぐらいで済ませれば良いのに、勉強不足だとか驕りだとか言われたら店からしたらたまらない。 簡単に50万稼げるとかの発言もあるし嫌な歳の取り方をしてしまったみたいで悲しい。
▲2 ▼0
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その鰻屋さんはどうかはわかりませんが久しぶりの来店だと、行かなかった期間に味やイメージや好み、期待が膨らんでしまっていて、、てことはよくありますよね。特に年配になると塩分控えめ食に慣れていたり。
私のバイト先で出すマフィン、開店以来5年以上経ちますが一度もレシピも大きさ変わっていないのに、『あらずいぶん小さくなったのね』と言うお客様がたまにいます。常連ではない人々です。(2-3ヶ月に一度来るレベルの方でもだいたい覚えてるものです。)元々コスパ良い商品なのに、この2年ほどで何度か値上げしているのでコスパ的におやっとは思うかもしれないけど(それでも"かなり"安い)この値段なのにこの大きさで大満足!というイメージばかりが来ない期間に膨らんじゃったのかな、と思ってます。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
おそらく日本一美味いタンメンを出すお店。 ご主人とおかみさんのふたりで切り盛りされていたのですが… おかみさんに代わり、ご主人、若旦那のお店をされるようになっています。
以前は、ご主人が主に作られ、若旦那はそのサポート…という感じだったのですが、先日最初から最後まですべて若旦那がつくってくださいました。そして、とても美味しかった! そのご主人は物腰柔らかい穏やかな方なんですが、料理をされてるときは、ピリっと真剣な表情で取り組まれている。 このご主人が横目でチラッ、チラッとチェックをされながらも、料理を任されているんですから、遠い未来の代替わりも上手くいくんだろうな…と感じております。
足繁く通うお店にはそれだけ思い出もたくさん出来ますからね。 何となく足が遠のいていた、その間に味が落ちた…など言い訳せず、お店の移り変わりも見届けさせていただくことも大切なのではないでしょうか。
▲16 ▼3
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何度か行った事があるレストランで初めて食べた、炒めたピラフの上に焼いて半生になったタラコが乗っている料理がびっくりするくらい美味しくて、 その後行く度にそのメニューを頼むけど、 微妙に最初に食べたものと違います。 作る人も材料も同じだけど、タラコの焼き加減とか米の水分量とかが違って…
人に話すと「記憶を美化してるんじゃないの?」と言われますが、それだけじゃないんです。 毎回美味しいは美味しいけど、最初に食べた時はすべてが私にとってはベストな状態だったのだなと。 そのベストな状態を求めて何度も通ってますが、まだ最初の味には再会出来ていません。
▲28 ▼55
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高校生の頃、半世紀も前だが、学校の部活帰りに吉野家の甘辛い牛丼をよく食べた。 牛肉のにおいは強く。陳皮が多めのフリカケ(七味唐辛子)をたっぷりかけ、今よりも赤い紅しょうがをいっぱいのせて。最高に美味かった。 最近、久しぶりに食べたら、やたらと醤油が際立っていて、においの少ない肉は赤身が多く、普通の七味唐辛子と中国産の細かな塩辛い紅しょうがで、、、、思わず心の中で「シェフを呼んでください」、ごちそうさまでした。
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81歳だと若い時と味覚が変わると思う。 若い時に食べた感じと高齢になってから食べると食感、味覚などが変化することも多い。 その老舗の客が減っているなら店の味付けが変わったのかもしれないし、相変わらず人気があるなら自分の方が変わったと考えた方がいい。 シニアマンションだと高齢者に合わせた味付けにしている可能性が有る。
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自分も最近、老舗風の鰻屋に行く機会があったのですが、注文したら5分〜10分で出てきて(悪い意味で)ビックリ… 当然口の中でとろけるような食感もなく、スーパーの鰻をレンジでチンするのと大差なくて心底ガッカリしました。 鰻屋も当たりハズレが激しいので、クチコミなどで下調べしてから行ったほうが良いと痛感しました。
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数10年ぶりに食べに行かれたということなので、実はお店の味は変わっておらず、それまで食べてきたうなぎ屋の味に慣れて美味しいと感じるようになっていただけかもしれない 私も老舗のなまずやに行った際、同様にしょっぱいなと思った事がある。昔はこれが普通だったのかなと思いながら食べていた
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何を目的としての行動か、ですよね。 教師は、相手を叱る時、皆の前で立たせて説教しないように配慮します。相手を育てたいなら、わかる言葉で伝わるように伝える。 この件も、相手に対して直接裏で伝えて「また期待してるよ」ならまだしも、これではただの本人のストレス発散なだけ。すごく幼稚なやり方かと思います。
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ほんとに店の味が落ちたのかもしれませんが、高齢の場合、自分の味覚が落ちている可能性も高いので、自信満々に「味が落ちた」とか「有名店の驕りと勉強不足」と断言してネットで発信するのはどうかと。。
うちの高齢の父は、私が食べて「これはやばい、濃すぎた~失敗した~」ぐらいの味付けで「旨い」と言います。私が食べてちょうどいい味付けでは「何も味がしない」と言います。ケアマネさんも「高齢者は塩味を感じる力が弱るのでたいていそうなります」と言ってましたので、お店を非難するのはやめたほうが。。
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年齢とともに、人間の味覚の感覚は変化するものだと思います。 子供の頃は甘いものが好きですし、 年を取れば苦い味わいも理解できるのと同じように、 記憶は様々な外的要因に左右されますので、 のれんが新しくなっただけで味の印象に影響しないとも言えないと思います。味を昔と比較評価するのは難しい問題。ですよね。。。
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まあ、皆さん歳と共に感じる事です。 流石に塩分濃度計や糖度計では測定はしているでしょうが、寝かす、角を取るが足りないは、どうしようも無い。温度、湿度、時間で管理出来るが、最後は味覚と感覚に左右される部分が多い。 旨味成分分析まではしませんからね。
夏場は塩辛く、冬場は少し塩分を抑えるなど、物によっては変える事が有りますからね〜。 この部分の調整が勉強不足と言われているのかは謎ですが。
矢張り作り手もお客様も味覚は変わるものです。 同じ物でも店の雰囲気、器、仲居さん一つで、結構違って感じますから、こればかりはですかね〜
自分に合わなくなったな〜と思えば、店を変える他ないのですが、それも含めて老舗を愛して欲しい物ですね。
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荻窪春木屋の創業者は毎年少しずつ味を変えてると言っていた。その年の流行に合わせて味覚の迎合を試みていたのだ。常連客が帰り際にいつもと変わらず美味しいねと言うと「しめた」と思ったそうだ。作り手も客も変化を楽しむ余裕が欲しいものだ。
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自分の舌も年齢と共に変わると言われているので、長年通っている店の味わいや味付けに戸惑いを感じる事があるようだ。一概に店の味付けが変わったとは広言しない方が良さそうだと思う。しかしながら、昔ながらの味を求めて出向いて、思った味と違った時の寂しさは言いようがない。逆に昔の味と同じであった時の嬉しさは格別のものがある。
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黒沢さんがそうだとは言いませんが、うちの父も行った先々の店で「味が落ちた」「不味くなったなぁ」と同じような事を言います。 それは歳のせいで味覚が変わったのもあるし、それと美味しさに対しての記憶が薄れてしまい以前の感動だけが記憶に残っている為だと思います。 定期的に食べて入れば、都度味が上書きされるのでそんな事にはならないはず。 何故なら一緒に食べている私は変わらず美味しいと思ったからです。 黒沢さんも2度と行かないのではなく何回か行く事をお勧めします。 本当に不味くなったなら別ですが、多分また美味しいと思うかも知れません。 父も「今日のは美味しかったな」と言いましたから 笑
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81歳の人生の先輩がこのコメントをブログに書くのは残念。人生集大成の時期、こんな怒りに任せた投稿せず、後輩に学びのあるような発言をしてほしい。
数十年ぶりに行った鰻屋の味が変わっているのは当たり前。ご自身の舌や感覚が変わったのか、長らく訪問しない間に期待値だけ上がったのでは。 本当に老舗がコストダウンのために味を犠牲にしたのかもしれないが、それも昨今の鰻の値上がりの中、生き残る企業努力。
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数十年間通っている割烹料理店はオープン当初から味は変わらない。 最近来た元常連客は○○の味変わったねと一言。 只、私もその常連客とは知り合いなので大将が味変わったかなと私に聞いてきた。考えられるのは孫が大きくなり外食はチェーン店ばかり家でも孫が好む味付けで旨み調味料の味に慣れて本格的な味が分からなくなったのではと話した。 人は環境で味覚が変わってしまうので仕方ない。
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自分も小さい頃から家族で祖父母の代から通っていた老舗の蕎麦屋の味が格段に落ちたので行かなくなりました。 蕎麦はボソボソ、つゆもかえしの熟成が不十分なのかしょっぱいだけでうまみが感じられない。 終いにはお冷や(水)を頼んだらガラスの小瓶のミネラルウォーターを出されて600円取られました。断ってもよかったのですが栓を抜かれた状態で持ってこられたので無駄にしてはいけないと思い... 他の常連さんも見かけなくなり、成金のような派手な格好をした人や外国人観光客を多く見かけるようになって客層も変わっていたので、店の名前に胡座をかいて料理の手を抜き、商売に走ってしまったのかと思うと寂しく思いました。 加齢による味覚の低下や思い出補正はあり得る話だとは思いますが、老舗店が落ちぶれるという事も現実にはあると思います。
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数十年通う地元のラーメン屋さんが支店と一緒にセントラルキッチンになってから違う味になって同じ思いをしました。ところがスープ工場が火事になり、再建する間店ごとの寸胴での作りで復活。嬉しかった。
しかし工場再建後に元通り。値段と味の両立は難しいですね。
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まあ浴びるほどタバコを吸い続けた人間に、食べ物の旨い不味いを語られたくも無いわな店としても
喫煙習慣は、味覚も嗅覚も大幅に減衰させる
そんな状態で不味いと言うのは、裸一丁で店内の冷房がキツすぎるとクレームをつける様に似てる
彼は味の『変化』に言及しているつもりだろうが、いずれ味について『公に』語るのなら、最低限の準備はしていくのが礼儀では
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ユーチューバーが外国人旅行者に和食をご馳走してリアクションを撮るという番組で、うな重を食べての反応という回があり、これは絶賛されるだろうと言う期待感をもってみていたのですが、初めからどうも反応が良くない。なぜかな?と思いよく見るとウナギの皮が青々としていました。私も皮の焦げ具合に敏感なほうで手抜きのない適度な焦げ目がないとダメなタイプ。 案の定外国人旅行者の方は半分以上残されてがっかりのケースでした。 鰻屋さんもピンキリがあり高いから美味いという思い込みは持てなくなって来た様ですね。回転率を上げようとかが味を落としているのかもしれません。
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3000円程度のうな重というと養殖物の中国産ヨーロッパウナギ 黒沢さんが行くような店なら当然天然ものだから倍以上の値が張るはず よっぽどタレがまずかったんだね 自分も昔食べてた寿司屋が二代目になってネタ小さくなってガッカリした経験あるので気持ちはよくわかる
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これなぁ… 80歳と20歳では好みがまったく違うから一概に不勉強とは言えないんだよ。むしろ、今の味覚をよく勉強した結果『甘さを抑えたキレのある味』に変わっていったって事もあるんじゃないかな? まぁ、“鰻とはかくあるべし”みたいな伝統を守る事も重要だから【レトロ】と【モダン】の両方のスタイルがあって良いと思う。
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好きだったお店の味がかわってしまうことがありますね。 私はご近所でおいしいと評判の天ぷら屋さんに久しぶりに行ってだしつゆが「市販のめんつゆなのかなあ?」と感じたことがあります。昔よく言っていた頃はこんなに濃いめの味じゃなかったなと。私はめんつゆ味は好きなのでいいのですが、以前はお店がつくっていた薄めの味(だしの風味)だったのかなと。 てんぷらはとてもおいしくて特別感がありました。私の想像ですけれど以前の味付けだとお客に「つゆが薄い」と言われることがあったのかな。 今は子育て中でゆっくり天ぷら屋さんで食事をすることがなくなったので懐かしい思い出です。(再開発でその一帯のお店も閉店か移転してしまったようです)
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老舗の味は承継されるもので一朝一夕には変わらない。 黒沢さんも81歳で傘寿を超えて、加齢による味覚の変化があるのでは? 男性の平均寿命も超えて益々元気だと思いますが、残念ながら若い頃の味覚には戻れません。 もう二度と行きませんと述懐していますが、心配無用平均寿命を勘案すれば物理的に無理な年齢では?
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数十年ぶりだと色々な理由があるだろうな
代替わりなどで本当に店の味付けが変わっていたのかもしれない 黒沢さんの味覚が加齢によって変化していたのかもしれない 思い出補正で昔の味を美化し過ぎていたのかもしれない
昔の行きつけでも、久しぶりに行ったら今の俺には合わないかな、ってのはある程度は仕方がないと思う
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後期高齢者です。 代替わりできず廃業というケースが多くガッカリしてます。 それなりの名の通った店でも味が急に変わったどうしたというと代替わりというケースも多くあります。ほぼ40年前代替わりで同じ店かというくらいの凋落で、40年ぶりにどうしたかなといってみたら、やっぱひどい状態でよく暖簾が続いていると逆に感心しました。 名のある店では2代目3代目がやたら傲慢で、食パン買ったら次は予約しろといわれたり色々で、足が向かなくなります。 店主が文化人気取りになると店が荒れるというケースも幾つかありました。 町中華では、あれっ味が変わったと思ったら居抜きで店名もそのままで、経営も調理も大陸の人というケースにはよくぶつかります。
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店仕舞いするところが多い昨今の状況、常連客からすれば、個人経営の飲食店で後継者がいてくれるだけでとても有難い事なのに、さらに味をしっかり引き継いでくれるなんて、それだけでもその街は天国ですよね。子供の時からずっと食べてるものが変わらず存在し続ける。こんな幸せな事は無いでしょう。今の高齢者には分からないかもしれないね。
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この位の年齢の方は、甘かったら美味しいと勘違いしてる人が多い。ついこの間の食パンブームもそうだけど、本来甘くないはずの食パンが甘いだけで美味しいになってしまう年頃なので困ったものです。その鰻屋さんも、これまでどおり甘じょっぱくすれば美味しいと思われるのは理解した上で、健康や継ぎ足し文化の危険度を危惧して味変させてる過程なのかもしれませんよ。
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店の味が変わったのかご本人が変わったのかあるいは両方か...まあでもご友人も同じように感じたとのことだからお店の味が変わっちゃったのかもしれないね。私はいわゆるオーディオエンスーで音楽にも音にもこだわりがあったんだけど先日人間ドッグの聴力検査で高音への反応が鈍いという結果が出て衝撃だったんだよね。そういえば最近ちょっと好みが変わってきたかなくらいのことは感じてたんだけど。味覚は聴力と違ってスコア化するのは難しいけどまあ衰えてることもあるんだろうね。
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不味かったら黙って次から行かなければいいでしょう。いちいち批判めいた事を言う必要は無いと思います。気になったのは自分の味覚が確かだとする為に同行者も同じ感想だと敢えて付け加えている点です。どういう関係の人物かは知りませんが黒沢さんより弱い立場の人なら追従すると思います。一方的に店の味が変わったとの批判ですが数十年ぶりのご自身の味覚も変わっていますよ。黙って気に入った店に行けばいいです。
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私の場合は、子供のころから大好物の赤〇餅です、私の感覚では現状は甘すぎます。 世間の嗜好に合わせて甘さ寄りになったのだと思います、以前は甘すぎず甘さを感じる上品な程よい甘さでした。 ですが、味が変わっても子供時代からの思いがあり好物です。
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人間の感覚は歳と共に変わっているかもしれないし、常連として通っていないならお店が変えたのか、客の味覚が変わったのかはわからない 塩分を控えるようになるとしょっぱさの感覚はかなり変わるかもしれない
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同じくシニア向けマンションに入った親戚と帰省したときに久々に会いましたが、家の食事に同じような文句を言っていましたね。 おそらくですが、減塩で計算された食事に慣れたせいでは? そうでなくとも、年を取ると味の嗜好が変化します。 十数年ぶりだとなおさらかと。
一方的な断言が多い人物だと思いますが、奢りや勉強不足と言い切ってしまうのはどうなのかな。
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