( 320485 )  2025/08/31 04:58:41  
00

「対立や憎悪を煽れば金を稼げるひどい状態」人権軽視、外国人差別を公言する政党の躍進、醜悪になった日本の選挙と今後の課題…プルラリティが多様性を拓いていく

集英社オンライン 8/30(土) 10:01 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/0b0e37303c35ddefb3bb8ac205ca4101c6dfcb4c

 

( 320486 )  2025/08/31 04:58:41  
00

対立や憎悪が煽られる現代社会において、新たな視点として「Plurality(プルラリティ)」という考え方が提唱されている。

これは、多様性を認め合い、民主主義とテクノロジーの共生を目指すことで、相互理解と尊重を高めることを重視するものである。

田中優子氏は、江戸時代の文化においても「いくつもの自分」を持つ人々が多様なコミュニティを形成し、創造的活動を行なっていたことを例に挙げ、個人の関係性の重要性を指摘している。

 

 

「PLURALITY」という本は、リバタリアニズムやテクノクラシーを超える新たな道を示し、個々の人間の相互関係の中で多様性を広げるための方法論を提供している。

田中氏は、編集工学という視点からも、社会の中での関与と多様性の拡張を進める必要性を語っており、今の日本社会が進むべき方向性を示唆している。

 

 

このように、個人の創造性や相互関係を重視することで、未来志向の社会の実現を目指すことができるという考えが示されている。

(要約)

( 320488 )  2025/08/31 04:58:41  
00

対立と憎悪を煽りインプレッションを稼げば、儲けられる設定になっている 

 

「Plurality」(プルラリティ)とは多様で多元的な考え方を認め合い、テクノロジーと民主主義の共生を目指すことで、社会的・文化的な違いを超えた相互理解と尊重を育む新たな道である。マイノリティへの差別を公言することで支持者を獲得するような現在の日本の危機的な状況に対しての希望だ。プルラリティの考え方が「いくつもの自分」をもった人々が生活していた、江戸の文化にも通じると指摘するのが、江戸文化を研究する田中優子氏だ。多様性に開かれた社会を取り戻すために、ひとりひとりに必要な態度を解説してもらった。 

 

『PLURALITY』日本語版刊行の前、私は李舜志著『テクノ専制とコモンへの道』を読み、「新たな帝国主義と自己利益を追求する究極自由主義。そのいずれでもない第三の道を示す希望の書」と推薦の言葉を寄せた。そして李舜志氏と対談した。『PLURALITY』も、まさにそのような本である。 

 

同書の542頁には 

 

「プルラリティは、リバタリアニズムとテクノクラシーを超えた第三の道なのだ」 

 

とある。 

 

つまり両著書は、同じ方向をさし示している。オードリー・タンは『テクノ専制とコモンへの道』への推薦文で、「社会の対立を前進する方法に変え、・・・共通の物語を紡ぎ直す方法」を示している書だと述べ、E・グレン・ワイルも「(PLURALITYの)レッスンを、学術的かつ日本的な視点から再構成したもの」と述べている。 

 

『PLURALITY』は日本および日本の著者たちと関わり、響き合っている。 

 

そう言えばかなり前のことだが、鈴木健著『なめらかな社会とその敵』を読んで、「何かが変わりつつある」予感をもった。 

 

この本については『PLURALITY』に、「人々が複雑性を最大限に活かして生きることのできる、よりネットワーク的な社会を生み出すビジョン」と紹介されている。その鈴木健氏は『PLURALITY』の解説者でもある。 

 

なぜ私がこのような、「複雑性」や「なめらかな社会」やリバタリアニズムとテクノクラシーを超えた第三の道に関心をもったのか。そこには二つの理由があった。 

 

 

一つは、1970年代に開始した江戸文化研究の中で、「いくつもの自分」をもった人々が小さな連(グループ、コミュニティ)を無数にネットワークさせて創造活動を展開している現場を知ったことだった。 

 

芭蕉のような俳諧師も、世界中に知られている喜多川歌麿や東洲斎写楽や葛飾北斎も、そしてとりわけ「狂歌連」を世の中に書籍として刊行していった、今年の大河ドラマの主人公・蔦屋重三郎も、「自我意識」や「個人の創造」としてものを作っていたわけではなかった。 

 

複数の名前を複数の連で使い、連はその成立や出入りや解散が自由で、俳諧や狂歌や本草学(博物学)のコミュニティは、全国ネットワークでつながっていた。 

 

近代文学を学んでいた私はそのありように衝撃を受けた。つまり孤立した個人の自我意識など、どこにもなかったのである。 

 

その代わり創造活動に大きな意味を持っていたのは、多様に交差し合う「関係」だった。 

 

人々は助け合うが密接になりすぎず、全体主義的にもならなかった。個人と個人の間の隙間が維持されつつ、その隙間で情報のやり取りをして、そこに自分という存在が更新されていったのである。 

 

本書は「多元性という人間の条件、つまりひとりの人間ではなく人間たちが地球上に住み、世界に暮らしているという事実」と、「活動とは、物や物質を介さずに人間同士の間で直接行われる唯一の行為」という「事実」「行為」についてのハンナ・アーレントの考えを基盤にしている。 

 

したがって西欧でも、多様性と関わりに注意を払う人はいた。しかし何もかもが金銭を媒介にするようになったことと、自己責任思想による政治の責任回避が、私たちの社会に大きな勘違いをもたらしていた。 

 

むろん江戸時代社会には、本書が前提としている「人権というオペレーティングシステム」はなかった。その上に成立した民主主義もなかった。コラボレーションは深く、その深部感覚は今と比べ物にならないほど強かったが、多様性の広さはなかった。 

 

しかし今の日本人が人権をオペレーティングシステムとして意識し、民主主義を失ってはならないものと位置付けているかといえば、政治を見る限り、甚だぼんやりしている。そこにSNSが出現した。人権意識が薄いところに対立や憎悪を煽れば金を稼げる、となって、選挙も巻き込んでひどい状態になっている。この醜悪をどう乗り越えるかは、今の日本の大きな課題である。 

 

 

『PLURALITY』に関心をもった第二の理由であるが、それは「編集工学」と関わったことだ。1980年代に編集工学研究所を立ち上げた故・松岡正剛氏とは、1980年代末から一緒に仕事をしてきた。 

 

編集工学は複雑性の理論を基盤にしている。したがって「知」を積み上げ型のものとしてではなく、そもそも身体に絶えず起こっている自己編集と、脳の中に仕組まれている編集能力として見ている。自己編集は内に閉じられて起きているのではなく、外部と情報を交換しながらなされているので、「孤立した私」は存在しない。 

 

個々の人間が生まれ落ちる世界はすでに組織化され、名付けられ、記述されている。すでに関係づけられ、相互ネットワークの中にいる。ルールがあり、制限も受けている。ではどうするのか。松岡正剛はどうせルールがあるのだから、自己修正ルールを生成すればよく、相互関係ネットワークの中にいるのだから、そのネットワークをさらに広げればよく、すでに投げ出された存在なのであるから、相互編集しながら自己編集し続ければ良いのだ、と説く。 

 

それを「編集的自由」という。 

 

本書の322頁にはコラボレーションを深めていくことと、多様性を広げていくこととを、同時に表現した図が掲載されている。まさに編集工学はそれを目指している。 

 

そのために松岡正剛は2000年に「イシス編集学校」を作り、本書で言うところの「ゲーム化された学習」「エデュテイメント」のメソッドを完成させた。私は今、その学長を務めている。 

 

この学校において「編集能力を拓く」とは、社会の中に投げ込まれた自分が、すでに持っているものを柔軟に変化させ、動かし、柔らかくすることで、「偶発」を呼び込み、可能性を増やし、異なるカテゴリーの多様な価値(スコア)を重ね、矛盾ごと駆動し、よくよく練られた逸脱に向かうことである。 

 

これは「関わりを深くしながら多様性を広げる」方法であり、これからの日本社会が、挙国一致ではなく、ネットを利用した自己利益の最大化でもない、多様性に開かれた社会に向かうために、必須の方法だと思っている。 

 

『PLURALITY』の価値観に非常に近いものを感じている。また私は複数の女性コミュニティで法制度の改革を実現する運動も展開しており、政治の仕組みにも大いに関心がある。本書は多くの事項を扱っている。すぐさま全てを理解し実行に移せるわけではないが、本書には、試したいことが溢れている。 

 

文/田中優子 

 

---------- 

田中優子(たなか ゆうこ) 

 

1952年生まれ。法政大学社会学部教授、同大学総長などを経て、同大学名誉教授、同大学江戸東京研究センター特任教授。専門は日本近世文学、江戸文化、アジア比較文化。著書に『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)、『遊廓と日本人』(講談社現代新書)、『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神 』(集英社新書)、『江戸の想像力』 (ちくま学芸文庫)ほか著作多数。 

---------- 

 

田中優子 

 

 

( 320487 )  2025/08/31 04:58:41  
00

この記事のコメント群から浮かび上がるのは、「多様性」と「多文化共生」に対する賛否が激しく分かれているという現状です。

一部の意見は、江戸時代の多様性を理想化し、現代の多様性とは異なるため、単純に比較することができないという考えを示しています。

その一方で、現代においては、政府やメディアによる国民の声の抑圧があり、複雑な社会問題が絡み合いながら議論されている様子がうかがえます。

 

 

また、多文化共生の意味や現実味についても質疑があり、多様性を受け入れることには負の側面も存在し、実際には摩擦や対立を生む可能性があるとの意見も散見されます。

一部のコメントは、特定の文化や価値観が他国の影響下におかれることで、日本の伝統や文化が脅かされる懸念を示しています。

 

 

さらに、多様性を評価しつつも、現実理念の欠如や、具体的な解決策が提案されないことへの批判も目立ち、またSNSが言論の場として機能している側面を評価する意見もあります。

最後に、文化的背景や法的整備の不足が摩擦を引き起こす原因となっているとの見解もあり、多様性の進展には多面的なアプローチが必要だとの共通認識が芽生えつつあるようです。

 

 

(まとめ)

( 320489 )  2025/08/31 04:58:41  
00

=+=+=+=+= 

 

「江戸の多元性」は 文化内部での柔軟さに基づいているのに対し、現代の多様性は異質な文化同士をどう橋渡しするかが問われているので土台が全く違います。 

江戸文化を「多文化共生モデル」と見るのは無理がありすぎると思う。 

共通言語・共通文化・共通の価値観といった土台があったからこそ日本独自の文化が作られてきた訳ですからね。 

 

▲1825 ▼112 

 

=+=+=+=+= 

 

田中優子氏の文章は、一見すると江戸文化やPlurality論を結びつけ、多様性の可能性を語る試みのように見える。しかしその実、冒頭から「憎悪を煽って利益を得る醜悪な日本政治」と断じ、検証も統計もなく読者に結論を押し付けている。 

 

江戸期の「連」を引用して現代と接続する議論も、比較枠組みを恣意的に操作した歴史レトリックにすぎない。加えて「対立を煽る政治を批判する」と言いながら、自身の言説もまた敵を醜悪と罵り、憎悪を再生産している。この倒錯こそ記事全体の核心である。 

 

Pluralityを讃えるふりをしつつ、冒頭から結論を押し付け、敵を醜悪と罵倒する。学問を装った呪詛であり、批評の姿を借りたプロパガンダにすぎない。 

 

極めて悪質性が高い。 

 

まずはご本人の差別意識を自己評価すべきだと思う。 

 

▲280 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

SNSは昔に比べたらかなりまともになったし 

まだ新しい文化でこれからもさらに整備が進んでいくから 

国や特定団体が言論統制ついでにイジるようなことはして欲しくないかな 

 

メディアみたいに独自の解釈や見解を垂れ流して 

批判されてたり誤りを指摘されてもそれを正す場がないような環境じゃなく 

 

発言をすればソースを求められて意見交換ができ 

常に第三者やAIが誤りやファクトをチェックしている 

バズればバズるほど嘘や誇張は突っ込まれる 

それに米国首相本人が本人の言葉で発言をしたり(変な語釈も無い) 

各省庁が公表している数値や条例等正規の文章を原文も貼り付け 

提示しながら意見交換をしたりしている 

 

当然嘘や誤報も多いけど指摘できる分古報道より健全 

 

対立構造云々は古報道も行っている 

言葉の悪さや煽り合いに関してはより良くなるといいけど 

まだ発展している最中だからある程度の軋轢は言論の自由の範疇では? 

 

▲148 ▼54 

 

=+=+=+=+= 

 

まず多様性=無条件にいいもの、という幻想を捨てる事だと思うよ。 

多様性にはメリットもあるが明確に負の側面もある。 

一つには多様性が増すほど争いが増える事。 

宗教でも人種でも考え方でも何でもそう。 

平和を目指すならむしろ相容れない存在とは距離を置く、隔離の自由を認めなければいけない。 

 

▲1901 ▼151 

 

=+=+=+=+= 

 

左派はリベラル、左派、極左に都合良く分けられるが、右派は極右の一択で、人権軽視だの差別、排斥だとなる。多様性を理解していないのは左傾論者なのは明らかだ。 

発言の揚げ足を取ったり曲解を重ねる前に、現実の社会問題をどの様に解決するのかの議論が先であろう。 

 

▲58 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

色んな意見があって良いと思うが、国のルール、常識を守ろうという姿勢すらない人達を受け入れる事は難しい事だと思うけどね。 

知らない、分からないなら知ろう、理解しようという姿勢が先ずは大事でしょ。 

それと、この文章を読んで。 

本当に賢い人は、分かりやすい言葉で自分の考えを他の人に伝えるものだということを再確認した。 

 

▲1282 ▼86 

 

=+=+=+=+= 

 

対立や差別感情を一番煽っているのは国民の声を無視して外国人優遇を強行している政府ですよ 

移民反対の意見を全て差別認定、排外主義認定でシャットアウトしようとするメディアが更にそれを加速させている 

北風と太陽の話と一緒で外国人受け入れをゴリ押ししようとすればするほど反外国人の考えは余計に強まります 

 

▲1332 ▼100 

 

=+=+=+=+= 

 

左派は理想主義、右派は現実主義というのは昔からほぼずっとそうだからある程度は仕方ないが、 

SNS時代においては様々な事件や発言、困りごとなどが露見しやすく左派の理想論が全く地に足についておらず、現実に生活する庶民の実情を無視し過ぎている。 

そのため、経済政策については一定の共感を得られてもその他の政策、特に移民含む外国人政策にまるで共感が得られていない状態。いい加減左派も理想論に逃げるのではなく少しは日本の庶民が置かれている状況を真剣に考えたらどうか。 

 

▲867 ▼91 

 

=+=+=+=+= 

 

長いこと社会問題関連の文書を読んできましたが、ハンナ・アーレントの名前を出す人は、多くが社会学者的な回りくどい書き方をしている事が多く、要点が分かりにくい上に有益な部分がほとんど無いので、途中から斜め読みになって終わる事が多いです。 

今の日本社会に対する意見対立が目立つのは、ただ単に既得権益による世の中の不合理が、なかなか改善されない事にあると思います。 

ニュースに出てくる政治家は、石破首相をはじめ小泉や前農相の江藤のような世襲議員ばかりであり、オールドメディアは何かとSNSに責任転嫁する論調を取ります。 

 

▲620 ▼41 

 

=+=+=+=+= 

 

それは国連のことでは? 

 

「マッチポンプ」という見方を整理すると: 

・国連や国際機関が「移民・難民問題」や「開発援助」を強調。 

・民主主義国が拠出金を支払い、支援スキームが設計される。 

・移民は結局、受け入れ国で並行社会を形成し、摩擦が増える。 

・その摩擦を解消するために、さらに「予算」「援助スキーム」が要求される。 

・予算が拡大し、実態の検証が曖昧なまま「流用・中抜き」が常態化。 

 

つまり、「問題を解決するのではなく、維持することで利権構造が肥大化する」というマッチポンプとなっている。 

 

▲587 ▼33 

 

 

=+=+=+=+= 

 

多文化共生は考え方としては素晴らしいとも思いますが、課題は山ほどあるのでは?と思います。 

 

中東には女性が自動車免許を取れない(取れなかった?)国もあると聞きます。 

そんな、強い男尊女卑の考え方を持つ国の人達とも共生しろと考えているのでしょうか? 

 

イスラム教を信じるのは最大限尊重しますが、給食はどうするのか? 

少数派イスラム教の人達に合わせて、多数派である日本人の子供達が我慢を強いられるのであれば、やっぱりおかしいと思います。 

 

既に日本に存在してしまってますが、朝鮮学校のような金一族を礼賛するような学校は人権という意味でも受け入れがたいと思います。 

こんな学校に通わされる子供達も可哀想です。 

 

多文化共生という言葉を軽々しく使うべきではないと僕は思います。 

 

▲392 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

法やルールを守らない人や犯罪者などと、どのように多文化共生していくのでしょうか。ヨーロッパの移民問題の治安悪化や財政ひっ迫を見れば、結果は明らか。日本国民の被害者は、我慢して泣き寝入りし続け、増税や社会保障費増などでも苦しみ続けろでは、ないと思いますが。最近のリベラル(反日の左翼)オールドメディアなどは、人権軽視や差別だと明らかに異常すぎるほど騒ぎたて世論誘導し、とても日本のメディアとは思えないことが多くなってきましたね。 

 

▲195 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

スウェーデンでは移民比率が20%を超え、 

銃撃事件が過去最多を記録。 

ドイツでは難民受け入れ後に性犯罪や暴動が急増し、 

フランスでは移民2世・3世の社会統合に失敗し、失業率や暴動、テロ事件が多発している。 

 

日本でもすでに兆候は現れている。 

川口市ではクルド人コミュニティとの摩擦が顕在化し、 

地域住民との対立が報道されている。 

にもかかわらず、 

政府は制度の拡大を続け、 

2025年までに50万人超の外国人労働者受け入れを見込んでいる。 

 

このままでは、日本も欧州と同じ轍を踏むことになるだろう。 

「多文化共生」という理想の裏で、 

現実の摩擦と分断が進行している。 

 

政治家は何を受け取って政策を進めているんだ?? 

今こそ、冷静な議論と法整備が必要だ。 

 

▲105 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

税法によって国民が超上層、上層、中間層、下層にしっかりと4層に分けられ、下層の奴隷感は増大した。 

そして下層が増大した結果、その声も大きなものになっている。 

中間層だってヘロヘロになりながら、何とか人並みの生活を維持している。 

しかもそんな中で、税法だけでなく安価で適当な仕事をする外国人達によって自分の仕事の対価も低く押さえられるようになった。 

外国人受け入れに対するコストを、まずは日本人に回せよという不満が出るのは当然。 

自民や立憲がこの潮流を予見出来なかったのは、国民生活に全く関心を持たず誠司をしてきた事の証明。もう少し真面目に日本人の生活と向き合った政治をした方がいい。 

国として外国人を受け入れる必要が本当にあるなら、まずは税法の抜本的見直しからしなければどうにもならないんじゃないか。 

貧乏に突き落とされた人が増えれば増えるほど、外国人に対する反発は増大する一方だと思う。 

 

▲269 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

道徳や倫理観、理性といった社会や治安に影響するものが他国民と日本国民では大きくかけ離れていると思う。日本国内で日本国民によるプルラリティはすんなり受け入れられるだろうが他国民となるとそれは受け付けない人が多く現実的には無理でしょうね。多文化共生は理想と思う人もいるかもしれないが現実は他文化強制と感じる方が多くを占めていると思う。 

 

▲70 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

外国人差別を煽って支持を集めてるというが、その背景に外国人犯罪や地域トラブルが実際に起きていることも事実。 

そこを無視して「人権をオペレーティングシステムに」と日本人だけに説くのは一方的だよな。 

 

人権は日本人も移民も同じ土台で守られるべきだし、同時に法やルールを守る責任も双方にある。 

差別と政策を一緒くたにせず、現実の課題に正面から向き合ったうえで、多様性や共生を語らないと説得力を欠く。 

 

▲11 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事は、8月28日の集英オンラインの記事と同じソースの内容を変えただけじゃないのか。 

 

以下参考情報 

 

「多数性を否定しようとする権威主義に対して、私たちは戦っていかねばならない」テクノロジーに支えられた政治的思考「プルラリティ」とは 

 

市民による政治参加とテクノロジーを結びつけた台湾の政治家、オードリー・タン。 

 

多数性(複数性)を否定しようとする権威主義に対して、私たちは戦っていかねばならない。そのためにはテクノロジーに支えられた政治的思考が不可欠である。本書をそのための宝箱として活用する読者が一人でも増えることに期待している。 

 

文/宇野重規 

---------- 

宇野重規(うの しげき) 

 

▲59 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

文化的共存関係の発展無くして多様性は 

存在し得ない価値観という事は分かる。 

そして現実に起きている摩擦については 

恐らく理想だけを説いても解決はしない 

いくら面倒でも現実の是々非々と対峙を 

しなければ、問題の本質には辿り着かず 

ロジカル思考の耐性は必要だとは思う。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

多様性とは未知との遭遇、いつも通りが通用しない面倒なもの。 

時間と気持ちに余裕のある者しか付き合っていられない。 

 

現代は余裕のない人が多いのだろう。だから多様性が憎まれ敵視される。付き合ってみて慣れてみれば意外に面白いかも知れないのに。 

 

かく言う私も最近の音楽などは多様化し過ぎて手に負えないと思っている。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

不満や鬱屈を抱えているが打開する方法がない時、一部の人は敵を見つけて攻撃的になる事で、ストレスを解消しようとする。典型的なのがいじめ。 

学校の先生がいじめを煽っても稼ぎは増えないが、選挙に当選すれば数年間は他より高額な給与が出る。手当もある。ネットで煽れば広告収入が入る。給与は税金だが直接取られる実感はないし、ネットは無料で広告費が商品に転化されるがそれも実感がない。 

言いにくいことや不満を的確に言ってくれてすっきり。お金もかからないしって一見思えるが、いじめっ子がいつまでたっても不満の塊で、相手がいなくなっても特に幸せでもないように、不満は解消しないだろう。だからこそいつまでももの言う人に惹きつけられる。 

とりあえず、英語混じりで書かれた文は、理解されにくい。使うなら、1つだけ、簡単なものにしないと。 

 

▲0 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

江戸時代は身分が固定されていたため、一人一人が生まれたときから決められた職業を追及するしかなく、追及し極めた結果、文化の多様性が生まれたのだと思います。異文化共生といった思想から生まれたわけではないという点で現代とは全く違うと思います。 

 

▲23 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

これは参政党をターゲットにした記事なんだろいと思うけど、別に参政党の参議院選挙時の日本人ファーストってキャッチコピーが外国人差別でも排外主義でもないことは一般人でも理解出来るし、突然支持率上がって注目され表舞台に出てきたことで戸惑う人が居るのも事実。また、既存政党は割食って自分ら政治家の椅子が減ることに対して危機感があるんだと思ってる。 

正直、大手メディアの中で産経新聞以外はほぼアンチ参政党なので参政党批判の記事出すのはいいんですが、参政党支持者と参政党アンチの対立煽ってるのはメディア側の報道によるところも大きいんですよね。 

公平中立とは言わずも、今参政党支持が拡大している中で参政党批判したいがための記事はメディアの信頼下げるだけです。反対に支持率上がっちゃうので逆効果ですね。 

 

▲335 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

違う文化(民族と読み替えてもいい)の人が一か所にまとまって一緒に暮らしたら、どうしても薄まって均一になる=多様性がなくなると思うのよね。 

最初は文化への帰属意識があるからアイデンティティを保とうという意識もあるだろうけど、世代を経るごとにどうしてもその意識は薄まり、均一化していく。 

長期的に見れば多文化共生と多様性は相反するのだけれども、これを同時に推し進めようとしている人はこの矛盾をどう考えているのだろう。 

 

▲32 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

江戸時代は鎖国して外国人差別もしていたが、世界でも類を見ない200年以上にもわたる平和と繁栄を享受し、近代日本の基礎を築いた。 

反面、開国してから進んだ西欧文化を得た一方で様々対外的な紛争に巻き込まれたり加わったりした。 

それに近年のグローバル時代になっても世界で戦争が無くなるどころか減る様子も無い。 

SNSは個人の発信や通信に真の自由を与えた画期的なモノだが、それによる弊害やトラブルが後を絶たない。 

過ぎたるは及ばざるが如しとはまさにこれらのことで、グローバリズムやSNSというボーダーレスに一定の歯止めをかけようとする企図は世界的に高まっている。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

多様性の起源はケネディ時代の人種差別禁止なのだが1行も出て来ないですね。 

米国ではどこの企業でもダイバーシティ研修をやるが、これは企業での人種差別禁止のため70年代に始まったそうです。 

 

ただしレーガン政権では、差別禁止のアファーマティブアクションをやり過ぎという考えもあったそうです(既存の労組の雇用に悪影響があるため)。 

つまりダイバーシティとは、人類共通の考えではなく、重度の差別があった米国での是正措置として出てきた思想です。 

 

バイデン時代にはオカシオコルテスらの民主左派が強く、ダイバーシティを強力に推進。しかしやり過ぎとして今は大企業でもバイデン時代の多様性を取りやめる企業が出てきた。 

このようにダイバーシティは金科玉条でなく、また常に手直しが必要。 

これが実情ですね。 

 

なおスターマー首相もメルツ首相も厳しい移民管理、ビザの厳格化を主張しており、これが欧米の標準です。 

 

▲101 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

そういうことではないと思います。人権軽視とか外国人差別と言ったことではないでしょう。日本人ファーストは当然なことです。今の日本がそうでないから支持を集めたのだと思います。ある種の政治に対する不満や憤りを訴えてくれる政党が支持されて当然です! 

 

▲221 ▼35 

 

=+=+=+=+= 

 

目指すべき方向性は、良いと思うのですが、9割以上の人は、この文章を読んでもよくわからないんじゃないかと思います。 

一般庶民向けの記事なのであれば、分かりやすくする工夫も必要かと。 

 

▲181 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

政治家、政党、中央の役人が法整備を確固たるものにせず抜け穴を作る。 

 

その不備を突いて様々な問題が起こる。 

 

官製差別とでもいえると思う。それに群がる人権派弁護士、NPOなど差別するなと声高に訴える。 

 

それを懸命に訴えるメディアたち。 

 

この構図で差別でも無いものが差別になり加害者、被害者と分断が起こる。 

 

誰も責任は取らない。 

 

戦後のこういった構図にいい加減辟易し、タブーとされるもののほとんどがこういうモノであり、それに群がる人、団体。 

 

国民はそれに気が付いた。国民主権の意味を知り、それを行使する時が来ただけ。 

 

特にメディアの罪は重く、そもそも存在すら否定されるときも来るのでないか。 

 

▲36 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

仏教でも回光返照(えこうへんしょう)という言葉があります。簡単に言えば、周囲に振り回されて自分を見失いかけた時に我を振り返りなさい、という意味です。自分の足元を疎かにして外面だけ綺麗に整えても上手く行かないと思います。  

行き過ぎたグローバル化は本当に世界平和に繋がるのだろうか?と立ち止まって考えるのは悪いことではないです。参政党や日本保守党は良い気付きを与えくれました。日本と日本人のことをいろいろ振り返る良い機会です。 

 

▲12 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

江戸時代は、ベースに日本があり、そこに異文化が入ってくる際、日本的なアレンジをして取り入れていた。田中優子氏はその日本的なアレンジと評価されていたはず。 

 

しかし、今のリベラル勢が言う多文化共生は、外国人に日本人が合わせろ。日本に外国の文化そのままを再現しろ。リトル○○を作る話しかしていない。 

 

その点が従来の日本とは大きく違う点であり、現代のグローバリストリベラル勢が大きく劣っている点です。 

 

日本という方法を求め続けられた松岡正剛氏がご存命であれば、今の多文化共生のスタイルには反対されるでしょうね。 

 

▲17 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

多文化共生とは、レフトの方々の目指す理想郷です。 

 

まず無理。 

 

世界各国で揉めていますが、日本で言えば「給食で鶏肉しか出ない!」「宗教上の理由で昼ごはんが食べられない生徒がいる」「授業中にメッカに向かって拝礼する」「宗教上火葬は出来ないのでそのまま土葬したい」「河口にいる牡蠣を取って殻を捨てて何が悪いの?」などなどすべてを書き出すと1週間かかる。 

 

外国から移住して来た方々が日本の慣習に従うのならばまだいいと思うが、まず無理。 

 

技能実習生制度や観光立国などの制度・政策を推し進めた自公政権と官僚が、この間の参議院議員選挙の結果。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

とりあえずこの田中優子氏のマンションの両隣上下に最近増えてきたアフリカ系移民に来てもらいましょう。クルド人よりさらに治安の悪そうなとこから来られてるのでさぞかし満足されることでしょう。 

引越代と生活費は政府支出で払ってもらいましょう。民意は得られると思います。木更津や春日部市民の合意も得られると思います。 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

日本ファーストの何処がダメなの? 

別に、ルールを守って、日本に住む外国人に対して、出て行って下さいとは、言ってないですよね。 

むしろ、そういう外国人に対しては、日本人と同等の行政サービスを受けてもいいと思う。 

ただ、ルールを守らない外国人に、出て行って下さいと主張してるだけ。 

ここは、日本人の国です。 

日本人が、暮らしやすい環境を作る事が、最優先されるべき。 

 

▲75 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

同じハチでもミツバチのような日本とスズメバチのような外来種と共存できるのだろうか。 

共生を言うのであれば、入れる前にどういうことが起こるのか考えるのが筋だろう。入れてから考えましょう、何か起きたら地方公共団体や現場に任せましょう、というのが今の国のやり方。しかもどんどん勝手に国民の知らないうちに色々決めてくる。こんなことが許されるのか。 

 

まぁ、この著者はサンデーモーニングの常連。どういう人かそれだけでわかるだろう。 

 

▲18 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

リベラルと称する人々は、弱者の人権を守るという看板を掲げているため、政府や強者やマジョリティを悪の加害者側に設定します。 

加害者と被害者が存在すれば、リベラル勢力は存続てきます。 

そのため、資金のあるノイジーマイノリティと連携したり、自ら偽の被害者を作り出します。 

左派のように革命を起こして、弱者を見捨てて権力側にのし上がる事は求めません。 

 

また、彼らは、ひとつの国の中で、強者と弱者を分けるため、その国が外国から攻撃されても、政府やマジョリティ国民と協力することができません。 

国民として一体になって防衛することができません。 

 

いわゆるリベラルの人々が、単純に政府の対立勢力として自己規定している事が、現在の日本を危機に落とします。 

 

▲12 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

プルラリティとか難しい横文字を使う必要なんてない、日本には昔からある神道や仏教の考え方を思い出せばいいだけだろう。 

どちらも宗教と言えるけれどそれらの異なった文化や人の考えの多様性を受け入れる日本の文化の根底にあったものだ。 

今の日本人はそれらを忘れかけているからこんな暴力が生まれる。 

日本人は無宗教だと言われるが自然に神や仏を意識せずにその道を理解していた。 

学問で解決できる問題ではない。 

 

▲15 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

赤羽のタワマンから見下ろす荒川は、ただの川ではない。それは、都民ファーストの理念が引いた無言の境界線 川の向こう、川口に住む人々は、東京の光を見上げながら暮らしている。赤羽の住民は言う。「川口?ああ、埼玉の玄関口ね」と。その言葉には、優しさよりも距離がある。 

 

かつては同じ通勤電車に揺られ、同じ商店街で買い物をしていたはずなのに、今では荒川を越えるたびに、見えないラベルが貼られる。「都民」と「その他」 川口に住む若者が赤羽のカフェで働けば、「通ってるの?偉いね」と言われる。褒め言葉のようでいて、そこには確かな上下がある。 

 

分断は政策ではなく、日常の言葉に染み込む。差別は制度ではなく、無意識のまなざしに宿る。今日も荒川は、静かに流れながら、誰にも見えない国境を運び続けている。 

 

▲3 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

多様性とは、相互理解と言いたいのかな?なら、日本で他人の敷地で排便する事も相互理解だから、仕方ない事になるの?公共の場で叫んだり、大声を出しているのも相互理解で仕方のない事?これらは、日本人にとって当たり前にしてはいけない事だけど、外国人はこの常識を持ち合わせているの?多様性として受け入れろって言うの?それは、日本に居る以上受け入れられないよね。多様性の適用範囲って、その国の常識を守れる外国人が適用されるんじゃないの?誰彼構わず適用してたら、めちゃくちゃになるのは目に見えてる。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「何となく外国人がうざい」という感情で決めてはならないのは当然として、 

それを「多様性が解決する」というのは論理が逆のような気がする 

まずそれぞれのコミュニティの真水の部分を良く知った上で、 

どうすれば多様性を許容できるのか?という現実の判断があるように思う 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

筆者が言いたいことは、人権軽視や差別発言が酷いから国民のSNSによる発言を政府が規制すべきということなのだろう。 

多様性を強調する左巻きな論調は、よくある「行き過ぎた自由主義が弱肉強食の自己責任社会を招いたから政府の強権でそれを抑止しろ」という結論に結局は行き着く。 

こういう人達は、毎年増税され規制も増え続けている日本の現実を無視して所謂新自由主義批判を繰り返すことで、反対に人権を棄損する政策に加担する。 

 

▲77 ▼4 

 

 

=+=+=+=+= 

 

日本人ファースト賛成、多文化共生反対、移民反対の意見を持つ私ですが、 

人権軽視や、外国人差別や、外国人排斥も反対です。 

 

海外でも移民反対に移行しています。 

外国人とは仲良くしながら、日本を守っていきたいと思います。 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

差別があるのは世界中どこの国でもあるもんです 

日本来るほぼ100%の外人がこの国で稼ぐのが目的で共生しようなんて思ってないし、ルールや日本の習慣を守ろうなんて思ってないのに多様性とか言って一緒に暮らそうなんて無理に決まってます 

警察の方や入管の方には感情論に流される事なく粛々と取り締まりをしてもらいたいですね 

 

▲120 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

イギリスでは殺人事件の犯人がイスラム系移民だというデマがSNSの書き込みで拡散され極右政党やその支持者らが迫害を行った結果、イスラム系移民の大暴動が起きた。日本では移民の数自体が極めて少ないので大きな事件に繋がるかは微妙だがヘイトを向ければそれにカウンターが来るのは覚悟しておくべきだろう。 

 

▲5 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

「醜悪な日本の選挙」と断じていますが、現実には有権者は自分の意見と価値観に基づき投票しており、多様な意見が政治に反映されることこそ民主主義です。「対立や憎悪を煽れば金儲け」という単純化は事実を歪めています。政治の課題を議論するなら、個々の政策と実績に基づいた冷静な分析が必要です。 

江戸時代や編集工学の話を持ち出し、多様性やネットワーク社会の美談として現代政治と結びつけていますが、現代の政策や選挙の現実とは大きく異なります。理念や理想を語ることは自由ですが、現実の課題解決には具体的な政策提案と法制度の検討が欠かせません。 

「人権意識の薄さ」と現代日本を批判しますが、日本には法制度として人権保障や差別禁止の仕組みがあり、政治家や市民も守る努力をしています。「差別的政党の躍進=社会全体の危機」と断定するのは、事実を一面的に捉えた偏向です。 

 

▲19 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

現代の多様性は無法無差別化され平均値された考えの強制社会じゃないか、江戸の文化的な多様性は今も日本の芸能芸術、マンガ、アニメって引き継がれているが。 

日本の文化的多様性を壊すのが現代の多様性というか平均化平凡化を進める欧米主観での多様性を強要する流れだろ? 違いを違いとして受け入れ区別し先鋭化させるのが日本の多様性だと、判断しているが区別をした方がより良い色彩を放つ。全てを同化させてなにが面白いんだ? 違いがあるからこそ魅力が出る、そこを無理矢理色を混ぜるのが今の多文化共生社会とやらだろ? 

外国人には外国人の色がある、日本人には日本人の色がある、互いに色を無理に混ぜる必要はない、色活かし無理無く調和出来る物だけでいい、相手活かし此方活かす政策が必要だ。無理矢理な同化など軋轢を生むだけだ。 

 

▲14 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

世の中はこうあるべきって理想論を戦わすのは全然良いが、理想は1つに収束すべきみたいなメタ理想論?の成立は案外難しい。 

何故ならメタ構造特有の『「全てのクレタ人は嘘つき」とあるクレタ人が言った』で有名な、自己言及パラドックスが発生し易いから。 

 

正しいと間違いの堂々巡りは、時間経過がある場合はさほど問題じゃない。ブレーキとアクセルみたいな関係で、正しいスピードが上下に振れ間違った域に達した際に修正し、動的平衡状態を保つ調整が働くからね。 

 

一方「多様性を認めよ」って構文は時間軸のない「論理」である故に「こっちの言う通りにせよ」という多様性と矛盾するメタメッセージ、こっちは余り有名じゃなさそうだが、ダブルバインド/二重拘束(二律背反)/ダブルミーニングを内包してる。 

 

では、時間軸を有する現実での「多様性を認めよ」はどのような現れ方をするのか? 

 

おっと、字数制限か…苦笑 

またいずれの機会に… 

 

▲5 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

力があり余裕のある国であれば、他国へ共感を示すことで文化を広めたりファンを作ることを通じて自国の利益を追求することができる。貧乏になり後進国化すると他国への憎悪は広めやすい。日本は今や一人当たりGDPは世界38位。こういう傾向は仕方ないのかもしれない。 

 

▲7 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

「これからの日本社会が、挙国一致ではなく、ネットを利用した自己利益の最大化でもない、多様性に開かれた社会に向かうため」。確かに、魅力的な提言だ。 

 

今の日本社会に広がる外国人嫌悪は、自分を変えたくない、自分の価値観と異なる人とは接触したくない等という、防衛志向の現れのような気がする。それが、変化を恐れて活力を失った衰弱の現れであることは明らかだろう。 

 

しかし、防衛志向を強めて自分たちの殻に閉じこもるほど、その共同体や組織は衰弱して行く。そうかと言って、無理やり外部に開くことも、恐怖心を高めて逆効果になり兼ねない。多分、少しずつ外部に開いて異質な人や価値観に慣れて行くことが、社会的にも個人的にも最良の道だと思う。 

 

▲10 ▼48 

 

=+=+=+=+= 

 

本件記事内容を拝見すると、多様性とは何か、日本人と、また民主主義と多様性の関係性はどうなっていくのかを問う内容になっていると思慮します。 

 

つまり『外国人差別を公言する政党の躍進』が描かれた部分はありません。 

と言うか、『外国人差別を公言する政党』はどの党を指しているのでしょうか? 

勿論、「理屈と膏薬はどこへでも付く」の諺の如く、偏った思想に湯立ちながら、屁理屈をこねれば「関係が無いことない」と言えなくも無い部分もありますが、普通はそう受け取らないでしょう。 

 

『集英社オンラインの編集部』には、某論破王のフレーズを贈ります。 

 

「それ、あなたの感想ですよね。」 

 

▲26 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

対立や憎悪を煽ってるのは、自民党では? 

自民党が岸田さんが、自分達の利益や反日活動のために移民を大量に入れようとしてるから怒ってるのですよ。 

今まで在日外国人に対して 例えばクルド人、ベトナム人に対して行政は何もしてないですよね?日本国民は彼らによって多大な迷惑をかけられてるのに、なぜ我慢しろって言うのか?それこそ差別では? 

人権派っていつでも加害者の人権をって言うけど、被害者の人権をとは言わない。人権派は人権派と名乗らず、差別主義者と今度から名乗ったらいい。 

 

▲34 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

多様性が大切なら、なぜ多様性を否定する意見を否定するのでしょうか。 

様々な意見が存在してもいいではないですか。矛盾を感じますね。 

多文化共生は最終的には雑種を作ることが目的です。 

日本国ではなく、日本地区になり、公用語が英語になり、日本語は方言として扱われるでしょう。 

日本を守るためには棲み分けるしかないのです。 

 

▲32 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

例えば、日本の小学2年生程度の教育で成人し、日常的に、窃盗や暴力の多くを許す法や文化習俗、宗教的習慣のある国があるとする 

そのような国の人が日本に来た時に 

多文化共生をお題目として、日本の法や規律、文化習俗を無視し、自国の文化圏やり方や権利を押し通すのをどこまで認めらられるのかというお話 

 

日本語や英語の読み書きもできないどころか母国の文章すら読み書き出来ない 

そういう人々を多数招き入れて、習慣が違うからしょうがない、人権が大事だなんだと言って、彼らの法や規律やマナー破りを黙認する、その在り様が今回の参政党の躍進を招いたんでしょう 

 

庶民の迷惑をろくに知ろうとせず、ツケを押し付け、利益のみを得ようとする国や企業や弁護団や、人権団体が彼らを野放しにしてきた、そのことに庶民が苛立ち怒っている 

いかに参政党が立とうと庶民が票を投じなければ躍進などしない 

反省すべきは誰かよくよく考えるべき 

 

▲24 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

差別は良くないよな 

キチンと日本人も外国人も法の元で正しく過ごせるようにするべきだわ 

どちらかに天秤が大きく傾いてる状態ってのは良くないもの 

 

日本は特に島国で外国人に対して免疫は薄いし語学も日本語以外に使える人は未だ未だ少ない 

数を大幅に絞って少しづつ慣らしていかねば地元民との衝突どころか差別を超えた対立、敵対意識を植え付けかねない 

 

そこに至ってからでは遅いのだから 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

本稿は集英社オンラインに寄せられた記事のようだ。その集英社の役員人事をみればなんとも多様性のない日本人と思われる人名が並ぶ。この記事を自信をもって載せるなら役員人事をもっと国際色豊か、様々な宗教思想し、人種や性別を持つ人になるように見直してみませんか?笑。 

 

多様性が無いのは経営戦略やコミュニケーションの問題という合理的な背景があるのだろう。 

自分たちは営利主義を盾に合理性をとる一方で他者には合理性を許さず多様性は押し付ける風潮は支持されないよ。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

路上演説や各党広報を見ていれば普通にわかると思うが、主張そのものや柱とする政策は外国人差別ではないだろう。 

税金を納めている国民へ国からの還元がなされていないこと、財政政策の失敗、トンチンカンな方面への公金投入が不満や不信感となり、結果的に新参政党の躍進に繋がっただけだし。 

 

てか、こんなしょうもない記事の見出しで対立煽りや特定政党へのネガキャンをしても、このご時世効果薄いですよ。 

 

▲47 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

昔、日本の車をハンマーで壊すパフォーマンスやっていたアメリカの議員がいた。外国から輸入品で自国の産業が衰退して失業者が溢れた結果だけど、日本も20年前位に製造拠点が外国に移りリストラ騒ぎがあったけど今の様に外国排斥運動が無かった。あの頃は外国のせいでなくグローバルに展開すれば世の中が良くなるとマスコミから扇動されていたように思う 

 

▲93 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

記事のカタカナが全然入ってこない。 

小難しいことを書いているけど、要するに多様性を認めようという話に持って行きたいのはわかります。 

しかし多様性を主張する人たちは「私たちの主張こそが正しい、それ以外は間違ってる」という多様性のなさ。 

参政党は別に全ての外国人を排除せよとは言っていないのに拡大解釈して排外主義だと騒ぐ。 

参院選はそればかりがクローズアップされましたが蓋を開ければ参政党の躍進。 

日本人は理想論すぎる左派の主張よりも現実に寄り添い改善を考える政党を選びました。 

それだけ今の日本は余裕がないのです。 

余裕がない国に外国人をたくさん入れると、その国の人々の居心地はますます悪くなるばかり。本当に日本のことを考えるなら人口減にどう日本人を主体として進めていくのか、外国人に頼るのは最小限にした政策を進めてもらいたいものです。 

 

▲35 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

どんだけ多様性を神聖視してんのか。 

現実も見れないメディアはいらんわな。 

海外での数多の失敗って実例があるのに、それから目を逸らして自分たちの見たい景色だけ見てるから凄いフィルターだと感心するわ。 

というかジャーナリストがうがった見方してんじゃないよ、だからオールドメディアと批判されて信頼されない。中立公平にどちらの視点でも見て記事にしないといけないってそろそろ気づいた方が良い。 

 

▲20 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

そういう難しい話じゃないんです。 

迷惑してるのに何もしてくれない既存の与党野党にうんざりなんです。 

土地の文化風習法律を無視して好き勝手振る舞うのは、外国人関係なく法に基づいて処罰してほしい。与党も野党も、それを差別だ多様性だなんだのと理由をつけて放置した。その反動が今の状況ではないのか。 

参政党が危険な政党だって、9割以上の人はちゃんと理解してると思う。それを度外視しても、今の状況をなんとかしたい人が多いのだ。 

既存の与党野党は、この状況を真剣に捉えて国と国民のための治世を行ってほしい。 

 

▲51 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

学者先生が色々考察する事は良い事だと思うが、現実社会が近づくかどうかは、時々の社会情勢に左右される。 

 多様性やグローバリズムを強調し過ぎて、反作用起こってしまってるのが今の日本社会。外国人を受け入れる明確なルールもないまま、なし崩し的に受け入れてしまって軋轢が生まれてしまった。要は制度の準備不足が原因。 

 そこで、俯瞰する学者先生方の登場を願いたいところだが、形ばかりの御用学者によって何一つ改善されてない。  

 先ずは衆愚に訴えるよりも、学会内でよくよく検討して政府に善きご提案を願いたいもの。 

 

▲21 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

米国ヨーロッパは、移民を受け入れ過ぎて治安悪化し、規制している。フランスも海外はもっと差別がすごい。川口市は、暴行多発。神社 皇居でも落書きされ 毎日、外国人犯行が繰り返される。司法も理由なき不起訴。中国は、80周年反日映画もある。被害者もいる。擁護している人が、責任をとり保証人となり自宅で保護したらい 

 

▲39 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

人種差別と移民をごっちゃにしてないかな? 

日本に住まうという事、それって世界の全ての人種の土地なのか? 

過去も歴史も我らの先代が苦労して守ってきた国もどこのだれか分からない人たちが当たり前のように税金や医療やインフラ、教育を受けて闊歩している。数十年に渡り税金を納め秩序をまもり、非正規の薄給が多い中で、日本の子供にあてるべき税金が外国人の子どもを育てることに使われるのは違和感しかない。 

働き手など少なくともまわりをみれば日本人いくらでもいるよ。 

だれなんだ、差別という言葉で一刀両断して、あたかも道徳的に利用して、真実は?真実がでてこない。、ブローカーの利益や安い労働力使って利益儲けて使い捨てにしている企業や農家は? 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

多様性は自然現象であり、人間が是非を論じるものではありません 

地球規模で人が移動していくのは、海洋の潮流と同じで、人が壁を作って止められるものではなく、いかにそれを受け入れて、国や文化の形を変えて生きながらえていくか、という問題です 

日本人ファーストは、視野が狭すぎて、物事を論ずるレベルではありません 

 

▲4 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

何を言おうと、どんな記事を書こうと、そういう政党が躍進するような社会を築き上げてきた政党と支持してきたメディアや国民の責任。 

多くの人が抑圧されて、言いたいことも我慢してきたのが、ネットによって表に出てきただけでしょ。 

多様性を標榜するなら、そういった思想の人達のことも含めて、全て受け入れるべき。 

それができないなら、そこには既に多様性は存在していない。 

 

▲7 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

外国人の人権は守って日本人の迷惑はどうでもいいのでしょうか? 

週末京都と大阪に行ってきましたが、電車、バス、地下鉄など使った全ての便で、外国人に割り込まれました。 

列で並んでいてもその後ろには並ばず、横に集団で固まります。 

そしてドアが開いた途端平気で割り込んできます。 

逆に降りる時はぶつかって押しのけるようにして降りていきます。 

昔は観光に来られるのはマナーの良い外国人の方が大半でしたが、昨今マナーが悪い外国人が増加したせいで、とても住みにくい日本になってます。 

日本人が当たり前の様に守ってきた秩序や街の美観、公共の場で騒がないなどがどんどん無くなっています。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

江戸時代ってそもそも鎖国してて、国内に日本人しかいない状態でしょ。 

現在の国も習慣も宗教も違う人たちとの多様性とは全然違う。 

日本人に余裕があって、少子化にもなっていなければまだ多様性という言葉が響いたかもしれないが、今はもう無理。 

余裕がない状態で、他人のことまで気遣える人は少ない。 

まず自分が食っていかないといけないのだから。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

なんで参政党なんてものが台頭したかって、外国人問題を訴える川口市民等を「そんなものは無い」「差別主義者」と弾圧してきた左派の所為で、共生が進まずに不満が募っていったからだと思う 

だから川口では参政党が最多得票を取り、隣の戸田市ではジョーカー議員がトップ当選した 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

この記事はひどい偏向、ねじまげで悪意を感じる。 

正確な内容がわかった時に信用をなくす、またこういった叩きが参政党の支持向上になったのにも気づいていない 

 

参政党の外国人施策は、現行制度の改善レベルで、基本は、少子化なので外国人を入れていくが、 現行の380万人は、人口の5%の600万人を上限とし、専門人材などは増加する 

 

ただし、技能実習生は、一部単純作業、低賃金、劣悪労働・住環境にあり、年間8000人が失踪し地下組織に入っている。 また、日本人の低賃金にもつながっているので、本来の趣旨に戻し、高賃金や日本語教育の徹底を図る改善を図るとしている。  

 

この他、来日間もない外国人が生活保護を受けることは、日本世帯の24%の非課税世帯で生活保護を下回る者が多いので取りやめるとしている。  

 

また、不法残留者8万人も就業不可なので地下組織に入るので、法に基づいた対応をするとしている。 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

江戸期の人間がこの多々の解釈を見聞きしたら失笑するでしょうね。「美化しすぎ。考えすぎだよ」ってね。 

 

『人々は助け合うが密接になりすぎず、全体主義的にもならなかった。個人と個人の間の隙間が維持されつつ、その隙間で情報のやり取りをして、そこに自分という存在が更新されていったのである』 

 

この方はいつからコミュニタリアン(風)立場に転向したのですか?キリスト教文化圏発祥の哲学でいう「自我」だの絶対者に向き合う「個人」だのという概念が江戸期にあるわけない。自己を規定する自己意識なんて必要とせず、伝統的観念とそれに立脚した統治制度の中で集団的自治があった社会ですので、リベラル風の「権利を行使し自由を享受する主体」として活動ができた訳ではない。 

 

そういう社会が「多様性が保障された社会」といえるのかね?近代の人権思想に違背する制約やサンクションが横行していたのか、研究者なら理解しているはずでしょ? 

 

▲18 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

グローバリズム、博愛を主張しながら負担は現地に押し付け美句に酔う 

主張するなら自ら受け入れて実践しては? 

その結果を見せてよと言う人もいるだろう 

寛容と言いながら弾圧、批判して、話し合いにもならないので信用されない 

何か問題起きた時は速攻で逃げる印象がある 

 

▲6 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

綺麗事には裏があると小学生からの教育を受け続けて数十年後にようやく理解できました。まやかしの多さではこの国はダントツだったのかと感じています。 

新聞なども疑うことが無かったけれども現状は火を見るよりも明らかだと思われます。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

まず、アーレントの場合、これは活動について言っているのだろう。多様性擁護はその通りだが、労働、仕事により喰うに事欠かず、安定があっての話だから、この文脈でアーレントを使うのは意図的な誤読かなと思う。 

 

▲26 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

参政党などの主張を外国人差別やら人権侵害と決めつけるから分断してしまい、議論が進まないのです。そもそも外国人をどれだけ入れるのか?入れるなら日本人が不安や不満を感じずにどう外国人と共生していくのか?という未来の国の姿を議論せずに、なし崩しになっている事がおかしい。逃げまくってきた政治や霞ヶ関の責任と思います。今からでも議論すれば良い。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この田中優子の文章を日本国民全員が読んだとして、すべての横文字(カタカナ語)が理解出来る人は何人居るのだろうか。 

(少なくとも、私は最初の1ページ目から挫折しまくった。「分からない言葉は自分で調べろ」との意見もあろうが、本当に分かりやすい文章を書く人は、読み手に余計な手間をかけさせないものだろう。) 

紀要などに発表する論文ならまだしも、ネットニュースの記事に載せる体裁の文章とは言い難いのではないか。 

 

あと、記事のタイトルに「外国人差別を公言する政党」とあるが…私の認識する限り、「『ルールを守らない外国人』を区別する政党」は存在すると思っているものの、単に無条件に「外国人差別を公言する政党」は思い付かないのだけれど。 

 

▲20 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

江戸時代に還れ、と言っているのだろうか? 現代は、SNSで対立や憎悪を煽ればカネになるという一面も確かにあるが、以前から存在していた利害対立や憎悪が見える化されてきた、可視化されてきただけ、という面もある。これまで同調圧力が強く、多数と違った意見を言うだけで「出る杭は打たれる」的なムラ社会で、同質的、集団主義的、和を以て貴しとなす的な社会だった日本もようやくマイナーな意見が可視化され、利害損得を異にする複数・多数の集団がそれぞれ「自分たちファースト」で主張を掲げ、選挙のたびに又は選挙でなくても色々な争点が明確になった、ということ。むしろこれまでマスメディアが一方的に押し付けてきた戦後リベラリズムの限界というか欺瞞が明らかになった、ということ。今は「延命治療費の自己負担」が言われているだけだが、いずれ「高額療養費制度」や「生活保護」も議論される争点になるだろう。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の完全失業率が高止まりし実質賃金が長らく上がらないどころか下がってるのに、尚も受け入れコストを一般の日本人に転嫁して安い労働力として無計画に外国人を入れておけば、社会は分断され、虐げられた日本人が声を上げるのは当たり前のことだ。 

経営側の自公政府と御用組合という労働貴族みたいなのをスポンサーにもつ野党第一党等の下で延々と進められてきたステルス移民。それほど多くの雇用機会が日本、特に地方にあるわけでもないのに、そこに経営側の利益だけで外国人が連れてこられる。そして逃亡され、日本の治安が悪化している。日本の労働環境もだ。 

これでまだステルス移民をどんどん入れようとしてたら、諸外国の例を見ても今後、更に雇用情勢や治安の悪化につながりかねない。 

 

▲12 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

マスコミもいよいよこんなとこまで来てしまったか、と言うところか。 

大手メディアも含めてネガティブキャンペーンを繰り広げてるがその反面益々支持率が上がってる事実。これ以上少しでも支持者を増やしたくないという思いがあるんだろうなぁ 

 

▲51 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

「外国人問題」と一口に言っても、いろいろだよね。 

見出しにあるような、差別や人権上の問題もあれば、外国人労働のような問題もある・・・・・ 

もっと細分化しての問題対応が望まれるよね。 

 

労働力を補う意味で外国人に頼るのと、 

外国人が日本の土地を手に入れるというのでも、全く違うものね。 

これは一例だが、一つ一つ考えていく必要があるわね。 

 

▲21 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

▷「Plurality」(プルラリティ)とは多様で多元的な考え方を認め合い、テクノロジーと民主主義の共生を目指すことで、社会的・文化的な違いを超えた相互理解と尊重を育む新たな道である。 

↑ 

結構なお話ですね。 

日本人が日本に住み、クルド人が生まれた土地に住みながら、お互いに尊重しあい、お互いの考えを認め合うなら良いでしょう。 

しかし、現実は違います。思想も、価値観も、家族との関わり方も、法律遵守の考え方も、何から何まで違う人たちが、日本の一部に住みつき実力行使をしてまで自分たちの生活を広げようとしていることに多くの日本人は反発している。 

私は参政党を支持していないし投票もしていない。「核保有は安上がり」とは思わないし、核保有に短絡的に結びつけるのはあまりに未熟。しかし、議論は必要だ。 

戦前の価値観への回帰も絶対にイヤ。 

元大学学長の見方は、失礼ですが現実を正しく見ていない。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

もとを糺せば左がちゃんと建設的で説得力ある提唱が発信出来てなかったからでしょう。仮に揶揄だったにせよ日本は世界で一番上手くいってる社会主義国家と言われてたのにソ連崩壊でイデオロギーは有耶無耶と教条化の二極分化し、労働者寄りってのも小泉竹中路線に支持母体労組共々同調でこんにちの社会を作ってる。だから自民がイヤでも受け皿になり得ないんだよ。 

活動家ならまずはそこ総括してから。こなれない横文字使うとかのエリート意識だけ残っちゃって、それじゃ対立煽りの片棒担ぎの急先鋒。 

 

▲15 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

名前を使い分けながら複数の連に関わる、ってのはまさにハンドルネームだと思うが 

自分のどの部分を出しているかという話で、「個人がない」という問題なんだろーか?? 

まあ古典的な西洋哲学のガチガチな「個」はないかもだが、そもそもそんなもんあるのかとゆー 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

毎度思うが日本人相手の時とダブスタを平気でやって開き直りすぎなんだよ。 

 

命や財産を理不尽に奪われた日本人、ここに書けないような被害を受けた人に多様性のために我慢してね、時代だから仕方ないよねと言えるのか。 

 

▲25 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「プルラリティ」のように日本語に訳すと何なの?というような日本語の漢字が上手く当てはまらない概念は結局日本人には馴染まないと思います。LGBTQやジェンダーフリーもそうでした。上手くあてはまる日本語が無いので左翼系のオールドメディアが盛んに宣伝し普及に努めたけども、なんか違うよねと違和感を持たれ日本人には浸透しなかった。このプルラリティという概念も普及しないと思います。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

まあ、いいんだけど、もっと解りやすい文章にできないのだろうか。 

 

中学社会科レベルが理解できない人びとが日本には圧倒的に多いという現実が、昨今の選挙結果やら、「人権軽視」「外国人差別」等などという結果にも顕れてると思うのだが。 

 

こういう文章を書いても、そういう層の圧倒的多数いる人びとは読まないし、読んでも理解できない、ということを、アカデミア等の人びとは、どうして気付かない、気付かぬフリを続けるのか?  

 

そういう意味で、単なる「貴族のお遊び」と化してるなら、皮肉なことだが「共犯」と言われても仕方ないよ。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

途中までしか読んでいない。説得力も共感も無く、読むのがただの苦行で、耐えられなかった。 

 

「Plurality」が聞いて呆れる。他人にレッテルを貼り、話を聞かず、否定と攻撃しかしていないのは一体どちらだろう。結局自分達の(かなり歪んだ)価値観だけを正義として、異なる者は「曲解」「極言」を使って排除しようとしているのはこういう左派の方だ。 

 

結局左派の言う多様性とは左派の中での多様性であり、左派以外は含まれない。そして左派以外は「悪であり、排除すべき対象」という事だ。それは歴史が証明している(実際には左派内でも抗争や“総括”による排除が行われていたが...)。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

普通の行動は目立たない、 

そして普通では無い行動は目立つ。 

そんな中、SNSで目立つものを 

ピックアップしたらすぐに拡散して 

それがその中での普通と錯覚してしまう。 

まぁ、こんなところでしょう。 

 

後良く言われる自国ファースト、 

当然の話、度が過ぎれば孤立しますよ。 

そもそも何とかファーストってあんまり 

表に出すものでは無いですよ。 

例えば東京ファーストだから大阪人には 

治療にそこら辺の草でも食べとけって 

言われていい気分します? 

ファーストにはそこ迄含まれる危険性も 

有るんですよ。 

 

▲15 ▼59 

 

=+=+=+=+= 

 

「多様性」と名付けた「均一な価値観」に忌避感を覚える人も多いでしょう。 

 

それぞれの土地には土着の文化があり、それを尊重するのが本当の多様性。 

真っ当な成人なら他国に赴いた時に自国のやり方をごり押ししようとは思わないでしょう。 

 

▲4 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

綺麗な単語を並べて理想を語ってますが 

綺麗事では済まない問題が多数起きてます。 

反対派が100%正しいとは言いませんが 

国民の危機感をガン無視して移民を増やす国や自治体に分からせる為に、声を上げる以外の方法ありますか? 

人権とか差別に置き換えて綺麗事ばかり言う記事にはうんざりしかありません。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

外国人犯罪者への批判や日本人ファーストの主張を「排外主義」や「差別」といった言葉で封殺しようとしていますけど、 

 

外国人による犯罪を黙認し、被害者が救済されない社会こそ醜悪ではないでしょうか 

 

▲12 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

何をいっているか、分かりたくない。 

言葉が踊っている。 

この記事で語られている言葉たちは、読んでいると格好がよい。生きること、生活することを超越するように感じる。 

しかし、その言葉たちには、今、困難にぶち当たりながらも懸命に生きている人間、ひとりひとりの汗、涙、血を感じない。 

言葉が生きていない。 

こういった格好のよい言葉たちを、私は、分かりたくない。 

 

▲2 ▼1 

 

 

 
 

IMAGE