( 320524 ) 2025/08/31 05:44:15 0 00 =+=+=+=+=
20年前は会社帰りによく行ってたなあ。ぐるなびとかはあったけど飲食店のスコアとか口コミで店を選ぶとかしてなかった時代、あんまり飲食店のない駅で、駅前の養老に行けばだいたいなんでもあるという安心感から常連化してたかな。行ったら誰か会社の人がいたり、部長とかいたら一緒に飲もうやとか、別で飲んでても知らん間にこっちの会計もしてくれてたとか。常連と言っても店員と話しこむわけじゃなく、まいどとかいつもありがとねーとか挨拶されるくらいだけど、それくらいの距離感が居心地よかったなと。
▲1252 ▼42
=+=+=+=+=
飲酒撲滅で煽りを喰らったのは居酒屋だけではなく飲食店もだと思う。田舎の電車がない地域はかなり寂れてしまった。飲食店も夜のドリンクで稼ぐところが少なくなく、駅前でなければ飲めなくなったため客単価と原価率が悪化する店が増えた。
そもそも飲酒運転を当てにしてる時点でおかしいのだが、コロナ以降は田舎はタクシーも運転代行も減ってしまいなかなかに厳しい。実家近くの養老乃瀧も閉店して久しいが、メニュー刷新とあらば探して行ってみたい。
▲6 ▼4
=+=+=+=+=
昭和生まれです。 私的に養老乃瀧は居酒屋チェーンの老舗中の老舗で子供の頃から自宅近くあったし、ただ正直少し近寄り難い雰囲気のある店でもありました。 この後沢山の居酒屋チェーン店が出て来ましたが、私が40歳くらいになった時に一周回って一番好きな居酒屋チェーン店になりましたね。苦笑 なので店舗が激減しているなら凄く残念です。 私の自宅近くと会社近くには今でも養老乃滝のお店がありますが、確かに出先ではあまり見かけないかも。汗 応援しているので頑張ってください!
▲203 ▼28
=+=+=+=+=
初期のキン肉マンにちらっとネタが出てきましたけど、その店舗網を利用して牛丼を出していた時期もありましたね。 吉野家が並300円の時代に並200円で出して、味もそう引けを取らなかったんでよく利用していたんですが、なんでもソーシャル・ダンピングだと批判が出て生卵付き並300円になり、しばらくして牛丼自体取りやめになりました。 「設備も業態も流用できるから、ランチメニューとしてこれだけの価格で出せる」と表明していて当時話題になりましたけど、SNSで自由に評価できる現在同様なサービスをやる企業が出たらどうなるんだろうな、と興味があります。
▲764 ▼76
=+=+=+=+=
記事にもある創業者の木下藤吉郎氏の生まれ故郷である長野県松本市の山奥には、バブルの財力を注ぎ込んだ信州ゴールデンキャッスルという周辺との異物感がすごいお城がある。公開はされていないが、館内には黄金の間もあるとかないとか。現在は石庭と紅葉の名所になっているようです。
▲5 ▼1
=+=+=+=+=
昔は居酒屋と言えば、「養老乃瀧」と「村さ来」のイメージだったけど、現在は、個人経営のお店も増え、また、メニューが増えたり、価格も低価格になったりして、利用する側の選択肢が増えたような気がします。また、何か一つに特化した専門的な個性のある店などもあり、若い世代の方たちは、そんなこだわりのあるお店を選ぶような気がしますね。
▲621 ▼38
=+=+=+=+=
若い頃よく飲み会で行ってましたが、今もちょくちょくお世話になってます。なんてったって安いし美味しい!店長のおすすめがあって、これは店舗で異なるようですが、ご贔屓の店舗の店長メニューは本当に美味しいので飽きません。安定の養老ですね、すごく頑張ってるのが伺えます。
▲455 ▼37
=+=+=+=+=
居酒屋チェーンの凋落は2010年前後から顕著になりはじめた。ちょうどその頃は、スマートフォンの普及と食べログなどの口コミサイト隆盛の時期と重なって来る。それまで居酒屋チェーンのウリは「多種多様なメニューが全国どの土地に行っても安定した品質・値段で楽しめる」事だったが、口コミによって行った事のない店もメニューや価格帯、雰囲気などが可視化されるようになると、前述のウリは「安かろう・悪かろうの代わり映えしない店」にひっくり返ってしまった。飲み会でも接待でも、チェーン店を使おうものなら即座に「気が利かない」「センスがない」と烙印を捺されてしまう。以前と違い飲み会の機会が減った事で、一回一回の飲み会が”ハレの日”に代わりつつある事も拍車をかける。チェーン店は普段飲みにはまだいいかもしれないが”ハレの日”には相応しくない。こんな価値観の変化がこの10~20年で一気に訪れたのは大きいよね。
▲262 ▼18
=+=+=+=+=
確かに昔会社の近くに小さいながら養老の滝があって、決まった固定客がかならず居てなかなか飛び込みで入れない感じだったような記憶があります。 時代も流れて店主も高齢化で企業固定客も定年で自然消滅していく流れが全国的に波及していた感じなんでしょうね。 固定客に人気であるがゆえに業態を変えれずに時代に飲み込まれていく自然な流れで店舗数が減ったとしても、それはそれで一つの時代をともに生き抜いてきた感じでいいんじゃないでしょうか。
▲43 ▼3
=+=+=+=+=
養老乃瀧という言葉を初めて聞いたのは大学の先輩の口からでした。 高校卒業したてで大学入学したばかりの自分は「そういう観光名所の滝があるのかな?滝に連れて行かれるのかな?」と思ったことを覚えています。 あれから約30年。 店舗数が大幅に減少したとはいえ、入れ替わりの激しい業界においてコロナ禍なども乗り越えて息の長い馴染みのあるチェーン店だと思います。
▲154 ▼7
=+=+=+=+=
養老乃瀧と言えば、養老ビール。 昔は、大手のビール以外に唯一飲めるオリジナルビールだと思っていたが、のちに中身は黒ラベルだと知りました。 それでも、日本で初めてオリジナルのラベルのビールを出したのは養老乃瀧では? 今は、中身が黒ラベルだと分かってるので、敢えて養老ビールを頼みます。
▲77 ▼4
=+=+=+=+=
一時期、それは大手居酒屋チェーンが幅をきかせる前の時代、物凄い勢いを持っていましたね。 でも次第に客足を大手に奪われてゆき、トドメを刺したのは飲酒運転撲滅運動…が自転車をも対象となってからか。 郊外では教職員等、公務員の顧客離れが深刻だったという話を店長から聞いた事があります。 そもそもスケールメリットを享受出来ないビジネスモデルなら、店舗数が単純に経営の良し悪しを論ずる指標とは成らない筈で、むしろ健全性という意味で適正な店舗数かと思うのでした。
▲31 ▼5
=+=+=+=+=
地元に鳥貴族がないので東京に行ったついでに訪問しましたが満席で近所の養老へいきました。 20年ぶりくらいに入りましたが価格も相応で3人で8000円弱で収まり良心的だったと思います。 やはり鳥貴族と比較してお客さんは少なかったですが、選択肢の一つとして生き残って欲しいなと思います
▲116 ▼1
=+=+=+=+=
数十年前に行った養老の滝は安っぽくてまずくて二度と行くまいとは思ったが、 今 メニュー 刷新 した後の養老の滝はめちゃくちゃいいと思う。 他の店が満席でたまたま行って気づいた。 イメージチェンジが目的なんだろうからロゴも含めて くら寿司のようにリブランドした方が良かったのに。なんとか頑張ってほしい。
▲6 ▼2
=+=+=+=+=
自分もだけど第二次ベビーブーム世代がちょうど学生の頃、その前後くらいが最盛期だったのではないかな。駅前に居酒屋から出てきたであろう学生数十人が、よく固まっていた。店に入っても時期によっては団体客で埋め尽くされていたし、それが一つ二つのグループじゃなかったから、それは景気良かったでしょう。 養老乃瀧は安くて居酒屋の代表格みたいなものでした。 今はサークル活動も昔ほど活発ではないし、グループと言ってもこぢんまりとしたグループになってるかも。物価高で家飲みも増えただろうし…
▲27 ▼1
=+=+=+=+=
懐かしい名前で記事を読んだが、今のお洒落な街からは信じられないが、むかし原宿駅から100m程表参道に向かって行った右側に養老乃瀧があって会社帰りに同僚達と赤坂や六本木の少し高い店に行く前に安い酒で下ごしらえの店として利用していた。その内店長と仲良くなって店長の親戚の九十九里浜の民宿に店長や会社の皆んなで行った事もあった、懐かしい思い出である。
▲39 ▼5
=+=+=+=+=
最近は焼鳥屋だけ見ても、一昔前のフレンチのような価格設定で驚くが、従業員のサラリーを考えたら、真っ当な設定とも思う。 飲食業を発展させようと思ったら、かつての徒弟制的やり方では事業は成り立たないだろう。一方で、働き方改革の影響で、就業時間や休日の設定などの波は、修行によって学ぶ部分もある飲食では悩ましい問題だ。
▲6 ▼7
=+=+=+=+=
ラーメン屋と居酒屋は時代の流れの淘汰が目立つってニュースなどで社会面報道されていた。他にはCVSも大きな淘汰がはじまっていると,時代を見抜けるか先をどうよむか,本当に難しい。現代は,賃金,税金,物価,労働者の問題で客対応大中小企業の経営者は頭が痛い。規模縮小,人の削減,または,他業種へ変更,買収など様々な対応を考えないといけない。しかし,何かヒントは必ずあると思う。あきらめず前に進み視野を広げてみるべきだろう。国は取るばかりで与えてはくれないね。
▲3 ▼7
=+=+=+=+=
何十年も前だけど、学生の頃や会社に入って若手だった頃はよくチェーン店居酒屋に行って、若い勢いでガンガン飲んでたなぁ。養老乃瀧、つぼ八、和民、白木屋とかの店員さんに、3000円で飲み放題付きのコースにして、とかその場で交渉してました。単価も安いし、やかましいし、お店にとっては迷惑なお客だったと思うけど、特に学校から近くの居酒屋はそんな若者ばかりだった気がする。大学の近くの居酒屋には行く機会が無いけど、昔とは雰囲気変わってるのかなあ。
▲35 ▼4
=+=+=+=+=
居酒屋の経営者にとって、繁盛すると良いことだが、 スタッフの適切な接客や請求代金の正確性を保つのは大変であろう。
数年前から、時々、複数の居酒屋で請求代金の間違いにあることがある。
店主やアルバイトが客の注文をメモして、最後に電卓で代金を計算するような小さい店だけでなく、 スタッフ(アルバイト等)が端末に注文を入力する店でも、 計算間違いや、他の客の注文が含まれていたり、 注文を受けたスタッフと客に提供するスタッフが同じ注文を2回端末に入力する等のために、 実際に飲食した代金より請求代金が多くなっていた。
このため、一部の居酒屋(焼鳥屋等)では、客が自身のスマホで注文するシステムを導入している。 これなら、請求代金を間違う可能性は減少するが、 客にとっては、お酒に酔っている中、スマホで追加注文するのは面倒と思い、追加注文を減らす客がいるかもしれない。
▲11 ▼4
=+=+=+=+=
店舗数が減ったのは記事の通りですが、時代の変遷の中で金製品販売の〈SGC〉を主業態に据えたのが一番の理由ですね。 SGCとは信州ゴールデンキャッスルを略したもの。もともと社長の道楽で始めたものが金価格の高騰もあって一大事業に。今や全国の百貨店に店舗がありますね。
▲71 ▼11
=+=+=+=+=
養老乃瀧ってフランチャイズで店によってメニューも流儀もそれぞれなイメージが強くて若い頃はそれであまり選ばなかったなぁ、村さ来とか天狗とかいろはにほへととか、どこのお店に入っても安心だった。 年取ると「居酒屋」そのものに慣れて動じないというよりそういうのも含めて楽しめますが
▲6 ▼0
=+=+=+=+=
養老乃瀧は平成はじめの子供の頃親が飲みに行くのに連れられて何度も行ってました。座敷で食べるでっかいホッケが大好きでした。瓶のジュース頼んでもらったり、眠くなったらそのまま親の横で寝てたり。田舎にもあったし、その後平成中期?大学生になり本格的にお酒の飲み方覚え始めた頃に大学の近くの駅にも養老乃瀧があり懐かしさで何回か行きましたね。その頃はつぼ八もよく使いました。 今はあまり見かけないので、懐かしさ満点の記事でした。
▲37 ▼4
=+=+=+=+=
今46歳ですが、20代の頃よく行ってました。歳をとる事に行く店も変わる。 多分大体、普通の飲食店もまずはチェーン店からですよね。最近の人は飲まないと聞きます。 この前久しぶりに数十年ぶりかな行きましたけど、美味しかったですよ。懐かしさもあって、またたまには来ようかなと思いましたよ。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
学生時代バイトしたことがあります。 良い思い出です。
思い出深いのは、一日だけ人手が足りずに料理人させられたことがあります。焼き鳥と揚げ出し豆腐のみ担当です。焼き鳥は振りかける塩が多すぎたかな? 揚げ出し作るのは意外と簡単だったので美味く作れたと思う。
▲144 ▼47
=+=+=+=+=
うちの地域も養老乃瀧は何店舗かあったけど今はなくなってしまった グループの店は一軒あるくらいですかね 当時はやはり安かったので週末は常に満席で養老乃瀧以外の店も今より繁盛してて活気がありました 最近はネット予約入れないとなかなか行けない店増えましたから行き当たりばったりも出来なくなって逆に行きにくくもなりました 福岡のような屋台がズラリ見たいなとこに憧れます
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
養老乃瀧、庄や、村さ来といえば80年代〜90年代に流行したチェーン店で、飲み会よくここへ行っていた。懐かしい〜 今は街であまり見かけないし、見かけても、つい足が躊躇してしまうのは何故だろうか。 どこか頭の片隅にチェーン店は最初から料理が作られていて温めるだけとか、一皿の量が少ないとか、そんな勝手なイメージがある。 バブル時代は景気が良く、味より店の雰囲気重視で、お帰りなさい、喜んでと威勢の良い店員さんが出迎えてくれて、楽しく飲めれば良かった時代だった。 遠のいた理由の一つに和民の参入かと。この3店が同じイメージにされてしまった。和民は後で色々問題があり、この3店も影響受けたんじゃないかなあって思う。 後は流行に着いて行けなかった。ネットの口コミ評価が進み、そこにこの3店は載ってない。店の得意とする売り特徴がないなど、客足が遠のいてしまったのは多様な要因が重なってかなあと。復帰して欲しいもの
▲4 ▼1
=+=+=+=+=
安かったのでよく牛丼食べた記憶がある 味はあまり好みではなかったが安かったので使っていた 最近は見なくなっていたが時々思わぬところで看板見ると懐かしさを覚える
機会があればまた一度は行ってみたい 知合いが昔は会社の帰りは必ず寄って本当にビールジョッキ1杯とツマミ2品位食べて飲んで帰っていたという 当時にしても今でいうワンコインということだった
今はそんな店ないのがさみしい。
▲71 ▼5
=+=+=+=+=
「創業者の木下藤吉郎は、かつてアメリカを視察した記憶を思い起こす。すでに現地では、数百店舗を展開するチェーン店が先行していた」のが60年代後半、70年代にはアメリカ視察から帰ってきた「すかいらーく」の幹部が「ジョナサン」を始める(最多400店舗→現在はガスト転換が進み100店舗くらい)。
ジョナサンは数店舗以外はほぼ直営。看板には「コーヒー&レストラン」と入っている。アイドルタイムをどう乗り切るか問題への対応で「コーヒー」が入っている。1人でホッとしたい時にもどうぞご利用くださいと。これはアメリカの「ドライブイン」を徹底的に模倣したから。
という訳で、オーナー店舗、直営店舗は関係なく、アメリカのやり方が通用した、いや、むしろ新しいと感じた80年代、90年代を経て、今は日本流の新たなオペレーションが必要とされている。
▲1 ▼2
=+=+=+=+=
新潟競馬場に初めて訪れた時に2階に養老乃瀧があり驚いた。街中で見かけなくなった店が競馬場にある…20代の頃、新年会や忘年会、歓送迎会は職場の近くにあった養老乃瀧だった。リブランドもアリだけど個人的には今だからこそ昭和が残る養老乃瀧が風情があっていい。
▲22 ▼6
=+=+=+=+=
こういう総合型の店は、今の時代だと厳しいのかもしれない。 昔のように大勢での飲み会があれば、無難さで選ばれていたけれど、最近はそういう機会も減り、少人数で行くなら何かに特化した店を選んでしまう。
それでも、ふと足を運びたくなる瞬間がある。行けば学生時代を思い出し、どこかノスタルジックな気持ちになる。 逆に言えば、もう遺物のような存在になってしまったということなのかもしれない。
▲106 ▼12
=+=+=+=+=
学生の頃や社会人になりたての頃に よく行ってました。 1990くらいでも既に 養老の滝や 村さ来 甘太郎 あたりは ちょっとダサいかなぁ....というイメージでしたね。 サークルの大勢で利用するには都合が良いんですけど.....。 最近、特にコロナ以降は 数十人規模の飲み会は少ないでしょうから その点でも難しいでしょうね。 それに最近 お若い方は あまりお酒を飲まないですからね。 スイーツ系メニューが充実しているお店の方が人気ありそうですよね。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
養老乃瀧は、岐阜県養老郡養老町の“本物の”養老の滝と関係があるのかな?と子供時代に初めて店の名前を見てから思っていましたが、岐阜県とは全然関係が無いのですね。 岐阜市にもあったか無かったかというぐらいに、岐阜県民には馴染はありません。 養老山地から流れ落ちる本物の養老の滝の前は「養老公園」という大きな公園になっていて、養老鉄道の養老駅との間に観光客向けの店舗が集まっていたり、少し離れた高田地区にまとまった市街地もありますが、居酒屋の「養老乃瀧」は結局一度も進出しませんでした。
▲9 ▼8
=+=+=+=+=
リニューアルした店舗より昔ながらの赤看板のタイプの養老乃瀧が好きですね。 若かりし頃どこにでもあり、間取りは違うが同じ雰囲気。 たまにしか行かなれないけど、たまらなく懐かしい雰囲気で非常に心地よく酒が飲める。 しかし、かなり減ってしまったのが寂しい限り。 まあ、時代の流れですから仕方ないけどね。
▲8 ▼0
=+=+=+=+=
学生時代から社会人駆け出しの頃(ざっくり30年前)はよく通っていたな。 かわえび、ビールが定番で毎回オーダーしていたな。
社会に出て今は終盤に差し掛かってきたが、単身赴任で東京に来て、たまたま住んだ所に1店舗ある。 残念ながら店にはもう通わないが、若い頃の思い出の場所だね。
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
養老の滝といえば、ビールが安い。そういうイメージだったかな。ツマミは何が美味しかったかは覚えていないなー。駅前にあったので昔は仕事帰りに寄り道して飲んで家に帰ったこともあったが、ここ何年も養老の滝に行ったことがない。他の店との差別化として、ビールを安くしてたことは経営戦略として効果があったのかもしれないが、他に魅力があるものがなかったから衰退したのだろうか。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
バブルの頃、3大居酒屋チェーンは養老、つぼ八、村さ来の赤ちょうちん系だった。バブル後に、つぼ八から派生した白木屋、和民とか天狗、甘太郎などの洋風居酒屋が台頭し赤ちょうちん系は庄やなんかが上場した。その後デフレやリーマンショックで魚民、チムニー、鳥貴族、金の蔵、はなの舞、土間土間など安売り居酒屋がしのぎを削った。 この後、各居酒屋チェーンは料理の質を上げようと海鮮にこだわったり、イタリアン居酒屋やフレンチ居酒屋が出てきて客単価が向上した。更にファミレス居酒屋やファストフード居酒屋など融合した。コロナ禍以降は宴会需要が落ち大量閉店の嵐だった。ブラック企業や衛生面の意識低い業界イメージの為、客離れが顕著だった。昔は大手でも元ヤクザの重役や元暴走族の店長などが更生した人が普通にどの会社にもいて、受け皿的職業であった。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
養老乃瀧の牛丼は、キン肉マンが、なか卯の牛丼の次に大好物な牛丼だったんだよね。 キン肉マンが投獄に囚われてた時に、ロビンマスクが差し入れてくれた牛丼が養老乃瀧の牛丼だったんだよね。 懐かしいね。 出来れば、もう一度食べてみたいかな。。
▲13 ▼2
=+=+=+=+=
養老乃瀧はなん店舗か見たことあるから、フランチャイズかなにかなのかなってのは思ってたけど、他の居酒屋と違ってマスターがいて、お通しがマスターの手作りで日によってバリエーションもあって、おいしくて、そこらへんの居酒屋とは違う、親しみある店だなと思いました。でも近所はマスターのご高齢によりなくなってしまって悲しい
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
養老乃瀧はブランドだと思います。マクドナルドやディズニーランド、ドン・キホーテのように、これが養老乃瀧だよねっていう雰囲気こそがブランドだと思います。常連さんとブランドを守りつつ、すき家のように新しい養老乃瀧も加えていくのが良いのでは。
▲8 ▼5
=+=+=+=+=
確かに30年前はよく使ってました。どこに行ってもあるし、 安心感があるし。20年くらい前からはネットで探していく ようになったから、今まで行かなかったような個人店などにも 行くようになったし、まず第一に居酒屋系の飲食店が一気に 増えましたよね。安いチェーン店から、個人経営の専門店やら、 ネット(今はスマホでより簡単に)で簡単に検索して選べるように なったから、養老の滝みたいによく行った店は逆にいかなくなりました。 そして、店のほとんど見なくなってしまったからなおさらです。 今度是非、何十年ぶりかで行ってみます。店があればですが。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
近所の道路沿いの「養老」は潰れたけど駅裏の「一軒め酒場」は昼から賑わってるけど?正午前は他閉まってるし。 集合場所で利用してる若い子らや散歩ついでの老夫婦に、カウンターでひとり大瓶開けてるおっちゃんもいてはる。 たしかに座敷は不要になっているかもね、飲み会離れにコロナ禍の自粛期間も拍車掛けた感じで。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
飲食で30年前はーとか言ってることのほうがおかしいよ 栄枯盛衰、それこそ30年前はお世話になってました! 今だとトリキもそういう扱いでしょ、しかも多分もう古い情報 チェーンで安い居酒屋なんか言い出したらきり無い
Googleマップとかで写真を回顧できるけど養老の滝だけが看板古くなっていくの笑ってたけどもうそういう入れ替えの番よ 春巻か餃子の皮に枝豆入れて揚げたやつはどこのチェーンだったかなw あれ美味かったな
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
昔はコンパだの華金だの居酒屋の需要が高かったけど、今は若年層の飲酒人口も減ったし、コロナ禍で飲み会も激減してそのままないままが多くなってる。時代の流れなんだろうなと思う。あとは個人の飲食店が増えた。どうせ行くならオリジナリティを求めてしまう。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
学生の頃は週一で行ってたなあ もうべろんべろんでした 卒業してから数年後に行ってみたら閉店してた データ見たらゆるやかに衰退が始まってるくらいなのでちょうどそういう時期だったんだなあと懐かしく思います
▲64 ▼6
=+=+=+=+=
学生時代の街にあり、ど田舎に帰っても確か複数あり、 親しみがありましたが、 地元でいつしかみなくなり、 すでにもうないものだと思っていたので、 まだ180も店舗があったと言うことに 驚きました。懐かしい!
▲63 ▼8
=+=+=+=+=
昔は近くに養老乃瀧しか無かったので家族でよく行ったな。子供が食べられるメニューも多いから楽しかった。 大人になった今も時々利用してますが、料理も酒も値段も悪くないと思います。ふらっと行ってさっと飲んで帰れる。近くにあるとありがたい店だ。
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
居酒屋チェーンの歴史を振り返ると、だんだんと「店舗数を増やすこと」が目的になってしまったのが見えてきます。
本来は、大衆が気軽に立ち寄れる居心地の良い酒場を提供し、地域ごとの人々に寄り添うのが出発点でした。しかし高度経済成長期の勢いに乗り、数百、数千という規模を目標にしてしまうと、味やサービス、働く人の環境といった本質的な部分が後回しにされやすくなる。
養老乃瀧の最盛期1800店舗という数字は確かに驚異的ですが、その裏では人材育成の遅れや現場の疲弊が積み重なり、最終的に縮小へとつながりました。つまり、数を追うほどに“原点”から遠ざかっていったわけです。
今、鳥貴族が最大手になっているのも、ただ数を伸ばすより、ブランドの一貫性や働く人の環境づくりに重きを置いた結果と言えるでしょう。飲食業界にとって大事なのは拡大スピードではなく、顧客と従業員に長く支持される仕組みを育てることです。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
30年以上も前ですが高校2年生の時、高1クラス会が養老乃瀧で行われました。クラス会という物自体、その時初めての経験でしたが、座敷にどんどんビールや日本酒、ワイン等のお酒類が次々と運ばれてきて呆気にとられたことを今でも覚えてます。今では考えられないくらい「緩い」お店でしたね。当時なら養老乃瀧に限ったことではないですが…。その後も卒業の謝恩会まで養老乃瀧にはお世話になりました。
▲20 ▼5
=+=+=+=+=
今は都市部じゃ安い居酒屋が増えたからね 呑兵衛にすれば選り取り見取りだから、価格、料理の質、飲食物の種類、雰囲気で費用対効果で他店と比べ納得感が無ければ次の来店は無いでしょ 例えば 商体としてビール大瓶300円の看板 勇んで入店、お通し500円とかの店まである 酒飲みなら良いだろうが、大瓶一本、安アテ目当ての方なら二度と行かないだろう 他にも商法では税込価格掲示とされているはずなのに店内飲食場所では税抜価格のメニュー表、掲示のみでレジにメニューは税抜表示だと掲示する店まで存在 こんな店も商法を知っている人なら食を掌る店として信頼出来ないと感じ行かなくなるだろう 要は呑兵衛はシビアに居酒屋を何時も見て評価して気に入ればリピートするという事
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
平成初期の大学時代は色々な居酒屋で飲んでた。 当時は人口減少って現実的じゃなかった。 今は若者も減って、客離れというより、客そのものが少ないのも遠因なのかな。 養老は今後も頑張ってほしい。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
私がまだ子供だった頃、養老乃瀧は意味もなく怖かった 昼間から飲んでる労務者風のおじさんたちがいて薄暗い店内、店舗前のいろいろな汚れをよけて歩いた 初めて連れて行かれた時、値段の安さと料理の不味さに驚いた 野菜サラダのレタスが凍っていたのが衝撃だった なんでこんなお店にいつも客がいるのだろうと不思議に思った でもなぜか駅のすぐ近くに店舗を構えていることが多かったような気がする 何軒かハシゴして飲みたらずトドメに入る酔っぱらいも多かった結果、店内もかなり汚れていた これが私の養老乃瀧の印象かな
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
今から15∼20年位前、今はなき養老乃瀧・大塚北口店によくお世話になっていました。店主の愛想がとても柔らかく、店の雰囲気もあたたか、出てくるおつまみがどれもおいしく、まさに「安定感抜群」の酒場でした。
その後勤務先が変わり、さらに転職などもして、お店から遠ざかっているうちに「閉店」を風の便りで知り、寂しくなりました。マスター、元気にしているかな。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
酒豪の私は、一人飲み放題をして、店員から参りました言われました。若いときに上司に毎日呑みに付き合わされたからね。 今は行かなくなりましたけど。 親たちは週末なると居酒屋で、 馬鹿騒ぎしていたけど、いざ 自分がオヤの年になったら金銭的に余裕ないしね。コロナから飲み会習慣もなくなりましたから。 今はいえのみを楽しんでます。 居酒屋のデカイホッケは、好きだったな。
▲93 ▼39
=+=+=+=+=
若い頃(バブル期)は毎日のように居酒屋に行ってて、天狗、すずめのお宿、村さ来、養老の滝が自分の中の4大居酒屋だったなあ。バブルが終わって不景気になると、昼間から養老の滝が営業してるのを見かけて入ったらランチをやってた。安くて美味かったのを思い出します。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
年金生活者です。 現役の頃は養老乃瀧一本でしたね。 一人でも仲間でも安く済ませてました。 毎日のように行ってましたが 退職後は呑む回数も減って 会社近くの店も無くなっていると 聞きました。 新事業が何なのか知りませんが サラリーマン時代の懐かしい 思い出の場所です。 ありがとうございました。
▲68 ▼7
=+=+=+=+=
養老乃瀧は郊外で車で行ける居酒屋といった感じの店が多かったと思います。 駐車場もあって車で来て飲酒してしまう人も多かったから、養老乃瀧近くでパトカーが待ち伏せして飲酒運転で検挙するのをよく見ていました。 飲酒運転はもちろんNG行為ですが、道路交通法が厳しくなってから、養老乃瀧は下降への道を進んで行ったように感じています。
▲12 ▼4
=+=+=+=+=
あの養老乃瀧がここまで変わるとは… まさに“栄枯盛衰”の見本だね。 30年前は“居酒屋と言えば養老乃瀧”だったのに、気づけば鳥貴族や他の新興勢に完全に押されてしまった。 でも副社長の話聞くと、ちゃんと時代に合わせてアップデートしようとしてるのが伝わってくるし、リブランディング店舗の努力も感じた。 とはいえ、地方や郊外中心だった昔の成功モデルが、飲酒運転の厳罰化で一気に崩れたのは皮肉というか、時代の流れには抗えなかったよな…。 今は居酒屋だけじゃなく別事業も柱になってるみたいだし、老舗としての意地を見せてほしい。 これからも“懐かしさ”と“進化”の両立に期待したいところだね。
▲10 ▼0
=+=+=+=+=
社会人一年生だった昭和62年。就職先の新人歓迎会は養老でした。 駐車場が広い居酒屋でしたね・・・・多くを語れませんが、昭和はそう いう時代でした。 歓迎会、納涼、忘年会とあの頃、養老乃瀧に一緒に集った先輩方、お世話
になり、昭和な指導をいただいた上席の方々が忘れられないです。 みんないい仲間でした。 本当にこの年齢になり、昭和62年がつい昨日のように思えてしまう。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
せっかくリブランディングしたなら、養老の滝の名前を変えたほうが良かったかも。本部は養老の滝はしっかりしたブランドだと思っているだろうけど、たぶん一般消費者はどちらかというのネガティブな感じのほうが多そう(つまり積極的にそこに行きたいわけではない)
▲1 ▼4
=+=+=+=+=
子供の頃、居酒屋以外にもフランチャイズか否かは別にして、いろんな業態で馴染みのチェーン店がありました ラーメン大学 どさんこチェーン パルナス 小僧寿し 等々 現在有名なチェーン店も20〜30年後に果たして生き残っているかどうか? 時代の移り変わりは早いものです
▲30 ▼1
=+=+=+=+=
90年代に20代だった私は 女性陣との飲み会に時々使いました。それは半額券をドンドン発行されていたため でも女性陣が途中から嫌がりました。味が既成調味料のためイマイチなのと いかにもバイトが作った料理の並べ方 グルメブームのあと舌の肥えた若造にはちゃっちにみえたのでしょう。 いまでもその建物ありますが 駐車場も広く 使い勝手のいいテナント物件として 活躍してます。
▲30 ▼55
=+=+=+=+=
養老乃瀧には子どもの頃に親に一度だけ連れて行ってもらったことしかないが、海老の塩焼きと梅茶漬けが美味しかった記憶が残っていて、大人になった今でも養老乃瀧が最高の居酒屋というイメージがある。
▲10 ▼2
=+=+=+=+=
創業者は確か矢満田富勝氏でしたね。 35年前、大学生だった私は居酒屋で飲んでましたね。 現在と比較すると、数字通り飲み屋さんのエリアが縮小しているような気がします。 コロナ前は普段から居酒屋で飲んでましたが、現在は年に3回程になり、ほぼ飲みに行かなくなりました。 何故か、自宅でも飲まなくなりました。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
味 雰囲気は別として新興の居酒屋との価格差はハッキリしていたね。 村さ来と養老乃瀧どちらかは何処の駅にもある印象だったけど気づけば…
決して高いと思った事もないし周りが安過ぎたので店舗が減るのは致し方ないと重く。 居酒屋ってのはあんな感じが1番しっくりくるんですけどね!
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
自分が社会に出たウン十年前、勤務先近くに〈養老乃瀧〉があり、男性社員たちが飲むときに誘われて時々行きました。 いつも混んでいて、銀のオーバル皿で出てくる鶏の唐揚げが美味しかった思い出があります。 飾り気のない雰囲気が好きでしたが、客層は圧倒的に男性、サラリーマンで、煙草の煙もすごくて、女性たちだけだとちょっと行きづらいところがあったかもしれません。 その後、〈村さ来〉のようなカクテルサワーの多い店が次々にできると、女性たちだけでも行きやすくなりました。 しばらくすると、やっぱり〈養老乃瀧〉がいい、となり、20年ほど前に住んでいたところの最寄駅近くにも店があったので、よく行きました。 でも、そのうち閉店してしまい、残念でした。 昔ながらの〈養老乃瀧〉があれば、また行きたいです。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
居酒屋の時代ではないと思います。インバウンド客あるとはいえ、日本人客が減っているのは明らかで、若い子が、酒を飲まなくなっているのが、実態です。おまけに人が減っているのですから、業態事態が厳しいと思います。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
ロイヤリティが安く自由で店ごとのばらつきがあり、デフレ時代だと統一感のあるモンテなんとかグループやワタなんとか等におされていたが、インフレ時代になると商魂たくましい彼らより値上げペースが遅そうなイメージに見える。 しかし店舗激減で見かけなくなったし、他の居酒屋の料理少量化に呆れ果てて居酒屋業態を利用しなくなったので比べられないのが残念だ。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
昔某吉〇家でバイトしていたころ、お昼の客の入りが悪いときによく「おい、ちょっとよーろー見てきてくれ」と店長に言われ、隣の養老に偵察に行きました。あちらさんも慣れていて「今日はダメかい?うちもだ」なんてね。昼の営業を早く抜け、店長と食べにいったことも。また店の忘年会を養老でやったこともあったな。昭和の大学生時代の思い出だ。
▲11 ▼1
=+=+=+=+=
企業の交際費は1992年年度から2011年度までの間で約1/3にまで減少したとされる。零細企業の多い飲食店の経営を圧迫するだけでなく,消費の伸び悩みの一因とする声も上がっていた。
国税庁の出してるデータによると1990年代の企業交際費は6兆円超えてたが 2兆円台まで落ち込んでたからね 大企業の内部留保積み上がり要因の一つだとも指摘もされてた
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
我が家の近所に有ります。コロナ禍前は毎週のように行ってましたが、コロナ禍後は全く行かなくなりましたね。たまに店先を通りますが、元気に営業してるようです。頑張れ養老応援してます。
▲4 ▼0
=+=+=+=+=
確かに養老乃瀧にはよく行ってましたね。 そこしか無かった感もあって。 あっ!?つぼ八にも行ってたなぁ。懐かしい。 逆に行かなくなって30年近くにはなるかな。 平成はモンテローザやワタミが急成長してきましたからね。 近所の個人経営の居酒屋でも常に変化してる。 それが大事な業種なんではないかな。 と思ってます。
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
30年ほど前、大学のサークルの飲み会でしょっちゅう利用していました。店員さんもほとんど顔見知りになって、アットホームな宅飲みのような雰囲気でとてもお世話になりました。 通っていた店舗はまだあるみたいなので、久しぶりに行ってみようかな。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
去年東京郊外で夜に飲むところを探していたら、マイナー駅過ぎて全然店がなくて、たまたま養老があって、友人みんなで『うっわ!懐かしい!』と他に選択肢もなく入ったのですが、思いの外美味しくて、値段もリーズナブルで、養老今でも結構いいじゃんって満場一致したのを思い出しました。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
居酒屋に20台の駐車場ってあり得ないな 真面目に代行を頼む人間なんてあんまりいないよ いかにコンプラの意識が欠けた経営かがわかる
たしかに昔は地方の居酒屋だと平気で駐車場を設けてるお店もあったけど 20台なんてスーパーじゃないんだから
そんな経営を続けてたら事故で何人の人間が亡くなっただろうか 縮小してよかったよ
▲0 ▼2
=+=+=+=+=
木下藤吉郎社長。 山梨県から清水市に魚を買いに来て その魚を山梨県で売って大儲け。 その金を持って四代目次郎長一家の賭場で 名前を売る。 一次は四代目次郎長一家親分から お前の博打の張り方に感じ入った 五代目を継いでくれないかと言われて 本人もその気だったが、幸時魔多し…。 事業失敗で一文無しになり五代目の件も消えた。 その後始めた一杯飲み屋が養老乃瀧となり 大成功する。 山梨の豪邸に贅を凝らした悦を施した。 豪邸に入る階段に踏み締める力が入ると 自動的に石段に明かりが灯る。 宮様を設定して山海の珍味で持て成す。 その際名前を付けてくれませんかと?宮様に 頼んで木下藤吉郎を名乗る。
▲3 ▼1
=+=+=+=+=
単純に料理の質だと思うけど。 30年以上前の話だが、一度だけ行った。 料理が全然美味しくない。特に揚げ物系は2/3以上が衣と思われる増量ぶりで何を食べさせられているんだ? と思ったのを今でも覚えている。 その店舗だけの問題だったかも知れないが、チェーンである以上は他の店舗にも絶対行きたくないと思って今に至る。 言い方悪いけど今も残っているのが不思議で仕方ない。
▲12 ▼25
=+=+=+=+=
かなり前に武蔵小杉駅近くの養老乃瀧で飲食。 エビの串焼きがいつまでも来ないので、お会計でその旨伝えた。 目の前で分かりましたと言いながら、後でレシート見たらしっかり料金に含まれてた。 それ以降二度と行かないと決めました。 大学生の時に飲んだ養老ビールがクソまずかったのも思い出した。安かろう悪かろうの典型的な店だったな。
▲2 ▼8
=+=+=+=+=
真面目な話、養老乃瀧という名前を変えるだけでいいのだけどね。言っちゃ悪いけど名前が古臭いし何屋さんか全く分からないじゃない。これでは若い子は絶対に来ない。名前を変えて常連が離れることが怖いし名前に愛着もあるんだろうけどね。 あとは何か一つ目玉商品となるものを作る。一つでいいんです。すでにあるメニューの中で一番自信のある商品でもいいんです。で、それをちゃんと宣伝費をかけてしっかり推す。 養老乃瀧に足りていないのはマーケティング力です。
▲19 ▼73
=+=+=+=+=
養老と村さ来には大変お世話になりました。 世の中がまだ緩い頃、高校生でも入れてくれて、あまーい初恋物語とか飲んでた記憶があります。 大学に入った頃からは、白木屋や魚民や和民が勢いを増してきましたね。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
懐かしい店の名前だな。 もしかしたら…養老乃瀧って店をもう一度、出せば50代から60代の方々は食いつくかもね。 俺は養老乃瀧って店見たら入るね。 懐かしいから。 あと、チェーン店違うかもしれないけど… 村さ来?だっけ? 見たら入るね。 後は量より値段安い小鉢系がいいかもね。 安いか量多いか?安いに行くだろうね。今の時代は。安ければはしごする事もあるだろうから。 頑張れ!
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
知り合いに養老乃瀧を経営している方がいます。
15年くらい前に聞いた話だと『看板』を貸してくれるだけで毎月のノルマ分が取られ、冷蔵庫や器具が故障しても個人負担でまったく儲からないしワンオペ状態が月に何日もありもう少し年老いたら無理だと言ってたのを思い出しました。
休み無しで営業しても満席にならなければその日は赤字になる…と嘆いてましたね。
確か年契約だから途中で辞めるには違約金も発生するから辞められないと……
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
バブル期入社のオヤジ。 昔はよく行ってたな~。でも「養老ビール」はビミョーに不味かったw
「嫌煙権」なるものが居酒屋では成り立たず、職場環境が長く禁煙になるにつれ、居酒屋自体ほとんど行かなくなった。タバコ禍で飲食しても美味くない。
コロナ禍以前から、自炊の宅呑みの素晴らしさに気づいたので、もう居酒屋に行くこと自体ないと思う。ファミレスはあってもね。
▲0 ▼1
=+=+=+=+=
30年くらい前の話だけど、新大久保の駅近くに養老あって、カウンターメインの小さい店舗で。そこは他店舗と違って定番メニューが無くて串焼きメインでやってて、熟練のおじさんが炭火で焼いててヤキトリ諸々めっちゃ美味しかった。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
居酒屋の養老乃瀧を大人になるまで知らなくて、それまでは、観光名所の養老の滝しか知りませんでした。養老の滝といえば、流しそうめん、ひょうたん、ラムネ、釣り堀、若返りの水だったので、大人になり職場の人に「今度、養老乃瀧に行かない?」と誘われた時、養老の滝がある養老町までどうやって行くのか、養老の滝に行ったら何しよう?滝は絶対みたいし、久しぶりにマイナスイオンを浴びれるなと思いながら会話していたら何か話が噛み合わなくて、勘違いに気が付きました。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
文科系サークル80代~90代のご高齢の方々と会の後に二次会に行く時は居酒屋を選びませんね。毎回サイゼやDonaなどのイタリアンです。 理由はご高齢の方たちはワインに合うイタリアンが大好きなので居酒屋での食事会を好まない。男女ともに家ではパスタをゆでたりピザを作るのは面倒だから避けているから外では思いっきり食べたいとのこと。 個人的にも居酒屋に行くことはないですね。 30代~女性たちが大人同士でいわゆるチェーン展開している居酒屋に行くことはあまりないような気がします。 幼児や赤ちゃんのいる家族連れには個室のある居酒屋は人気のようですが。
▲1 ▼1
=+=+=+=+=
20代の頃は、昼のランチがありよく行きましたし、田舎に帰ってきてからは、いろいろな飲み会に行っています。そんなに店舗が減っているとは思いませんでした。私の近くの店は、前ほどではありませんがぼちぼちはやっています。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
養老の滝。 よく利用したわ。 昼時は 牛丼 やってたからね 。 その牛丼も吉野家 より美味しかったと思うわ。 焼き鳥も美味しかったと思うわ。 串カツも少し大きめで美味しかったし。 急に 見かけなくなったし 倒産したのだと思ってたわ。 潰れたんじゃなかったのなら また行ってみたいと思うわ。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
養老乃瀧、つぼ八、村さ来、やるき茶屋といったチェーン店にお世話になりました 今みたいに洒落たメニューは少なかったが、年上の人たちと一緒にホッケつつきながらお酒飲んで語らってとても良い経験でした♪
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
居酒屋部門が斜陽になってるかもしれんけど、ここはめちゃくちゃ金製品で儲けてるよ 東京の高島屋で金の茶碗が盗まれたのはこの会社の大黄金展というイベントです 全国のデパートでこの催しはやっててCMもよくやってる
▲0 ▼0
|
![]() |