( 320588 ) 2025/08/31 06:56:28 0 00 金融政策決定会合を受け、記者会見で質問を聞く日本銀行の植田和男総裁=7月31日午後、東京・日本橋本石町の同本店 Photo:JIJI
● 7月消費者物価8カ月連続 日銀はなぜ金融緩和を続ける?
日本銀行は7月の金融政策決定会合で、政策金利を0.5%で据え置くと決めたが、政策金利据え置きは、1月会合で0.5%に引き上げて以来、4会合連続だ。
だが直近でも7月の消費者物価(生鮮品を除く総合)上昇率は前年同月比3.1%増となり、3%以上の上昇は8カ月連続だ。
実際の物価上昇率が2%物価目標を上回って3年以上推移しているにもかかわらず、なぜ日銀は緩和的なスタンスを維持しているのか?
植田和男日銀総裁は、5月27・28日に行われた2025年国際コンファランス開会挨拶で、1月の利上げを最後として、それ以降利上げを行わなかった理由について次のように述べていた。
それは「基調的な物価上昇率が2%を下回っているから」であり、「予想物価上昇率は足元、1.5から2.0%の間にあり、2%の目標水準を下回っている」からだという。
基調的な物価上昇率について、日銀は「一時的な変動要因を除いた物価上昇率」としているが、「完璧なデータは存在しない」ので、「総合的に判断する」という。
完璧なデータはないとして、では日銀はどのような指標を見て、基調的な物価上昇率や中長期の予想物価上昇率を判断しているのだろうか?
期待インフレ率の動向もそうした指標の一つのようだ。だがこの指標に依拠すれば、金融政策はますます袋小路に陥る懸念がある。
● 展望レポートの物価見通しは上方修正 それでも企業や家計の実感とは乖離
7月決定会合では、日米関税合意などを受けて新たに改訂した「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)が公表され、日銀は、生鮮食品を除く消費者物価指数の前年度比上昇率の見通しを、2025年は2.7%、26年は1.8%、27年は2%とした。
この見通しは、これまで公表されていた見通し(4月展望レポート)からは各年ともそれぞれ引き上げられてはいる。
だが日銀の他のいくつかの調査の結果よりは低い。
「短観」の最新調査(2025年6月調査)では、企業(全規模全産業)の物価見通しは、1年後が+2.4%、3年後も+2.4%だ。5年後は2.3%だ。このように、中期的にも2%を超え2%目標は達成されることになっている。
また、8月14日に発表した「生活意識に関するアンケート調査」(第102回、25年6月調査)によると、「5年後の物価が現在と比べ毎年、平均何%程度変化すると思うか」の問いに対する回答は、平均値が9.9%上昇、中央値が5.0%上昇だった。
この調査の回答者は、「物価」という概念を正確に消費者物価指数とは捉えておらず、食料など身の回りの購入品の物価と捉えている可能性が高いが、それにしても、展望レポートの数字とは大きな開きがある。
● 「基調的な物価上昇率」何で判断? 「BEI」が参照されている可能性
日銀が、いかなる指標を見て、「基調的な物価上昇率」や「中長期の予想物価上昇率」を判断しているのかは、5月のコンファレンスの植田総裁の説明では、はっきりしたことは分からないのだが、今回の「展望レポート」では、図表40でいくつかの指標を挙げているので、それが参考になる。
そこで挙げられている指標の一つが、期待インフレ率を測定するBEI(Break-even inflation rate:ブレイク・イーブン・インフレ率)だ。
これは、次式によって定義されるものだ。
BEI=10年国債名目利回り-10年物価連動国債利回り
この指標は、日本相互証券によって計算されている。物価連動国債というのは、物価の動きに連動して元金額や利払いが変動する国債だ。
最近のBEIのデータを見ると、2025年7月29日時点では1.521%程度でしかない。これは日銀が物価目標とする「2%程度」よりかなり低い値だ。
したがって、BEIを見る限り、インフレ期待はまだ十分な高さになっていないと判断することができる。そして、インフレ期待をさらに高めるために、当面は政策金利を引き上げないという判断がされることになる。
● BEIは政策金利に依存する 政策金利が低ければ低くなる
では、BEIは、なぜ1.5%というような低い値になっているのだろうか?
実は、日本ではBEIは、政策金利によって影響を受けている。
現在の金利体系の形成では、まずは日銀が政策金利を決定する。今はイールドカーブ・コントロール(長短金利操作、YCC)は行われていないので、政策金利が決まれば、マーケットで、将来の景気や物価の予想を反映しながら、債券の償還までの期間に応じて金利が決まり、10年国債の名目金利はこのイールドカーブによって決まる。
一方で、10年物価連動国債利回り(10年国債の実質金利)は、金融政策とは独立に、マーケットの判断によってすべて決まると考えることができる。これに影響を与えるのは、将来における財政状況などに関する予想だ。
現状の金利体系では、BEIは政策金利の動きによって変動するはずだ。
つまり、政策金利が引き上げられれば、イールドカーブによって10年国債の名目金利が上昇する。他方で10年国債実質金利は、政策金利によっては影響されず、将来の財政事情などによって決まる。したがって政策金利が上昇すれば、BEIが上昇することになる。
このように、BEIは政策金利に依存する。政策金利が低位に抑えられればBEIは低い値となり、政策金利が引き上げられればBEIは上昇するのだ。
● BEIは22年から緩やかに上昇 今の政策運営の考えは疑問
実際、BEIのデータは、そのような傾向を示しているだろうか?
まず10年物価連動国債の利回りは、この数年間、ほぼ-0.5%から0%で、あまり大きな変化がない。
やや詳しく見ると、23年の4月には-0.2%程度だったが、4月末から低下。その後、回復し、-0.5%程度の水準が続いた。24年の夏ごろから徐々に上昇し、25年6月以降は、ほぼ0%となっている。
これはインフレ要因を除けば、将来の日本の財政環境は現在とあまり変わらない状態が続くという見通しを示していると解釈できる。
一方で10年国債の名目金利を見ると、2016年から22年ごろまでの期間は、日銀のYCCによって強制的に0%に抑え込まれていた。YCCは24年3月に解除され、10年国債の名目金利は徐々に上昇した。
23年初めには0.5%程度だったものが、24年6月には1%を超えた。25年7月には1.5%を超え、直近8月22日には1.615%と、約17年ぶりの水準まで上がっている。
この間、BEIはどうかというと、22年から現在までの期間を通して見ると、緩やかに上昇している。これは、それまでYCCによって0%程度に固定されていた10年国債の金利の上限が、22年12月20日に引き上げられたことによって生じている。
したがって、「BEIを期待インフレ率と考え、これがまだ低いので、政策金利を抑え続ける」という考えには、大きな疑問が生じる。実際には「政策金利を抑えているから、政策金利を抑えることが正当化される」のだ。これは、ある種の循環論法だ。
日銀が適切な金融政策運営をするのなら、こうした状態からは脱却する必要がある。
(一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)
野口悠紀雄
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