( 321333 )  2025/09/03 04:50:13  
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古賀茂明氏 

 

 コロナ後の経済回復が遅れているのは、日本だけではない。中でも、経済の優等生のようなイメージがあるドイツは、2023年に続き24年もマイナス成長を記録した。25年も第1四半期に0.3%のプラス成長となったが、第2四半期はマイナス0.3%となり、今後もトランプ関税の影響もあって見通しは明るくない。ドイツ連邦銀行(中央銀行)は8月21日に公表した月報で、第3四半期もゼロ成長となる可能性が高いとの見通しを示した。仮に3年連続マイナス成長になれば、東西ドイツ統一後初という憂慮すべき事態だ。 

 

 ドイツでは、連邦議会選挙でキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)が議会で第1党となり、社会民主党(SPD)との連立政権を樹立して、5月にCDU/CSUの党首であるメルツ氏が首相に就任した。 

 

 それからわずか2カ月後、ドイツの最低賃金委員会は、最低賃金を26年から13.9ユーロ、27年から14.6ユーロに引き上げるようドイツ政府に勧告した。円換算で27年には2500円という水準だ。米国のニューヨーク市の最低賃金が16.5ドル(約2400円)なので、それに肩を並べることになる。経済が停滞しているのに賃金だけは上げようという意図が明確に見て取れる。   

 

 一方、日本では、8月4日に2025年度の最低賃金の目安が、全国平均1118円に引き上げられた。厚生労働省の審議会で、すったもんだの激論の結果、ようやく決着した数字なのだが、ドイツの半分にもならないのがいかにも「貧乏国」日本を象徴しているようで寂しい。 

 

 それでも、前年の1055円に比べて63円の引き上げではある。この結果、全都道府県で1000円を超すことになった。過去最大の上げ幅で伸び率は6%。昨年、今年と春闘の賃上げ率が5%上げと大はしゃぎしていたのだから、確かに「大幅」引き上げと言っても良いのだろう。 

 

 しかし、食料品の価格は、昨年10月の最低賃金引き上げから今年6月までの平均で前年比6%を超えている。7月の「生鮮食品を除く食料」の上昇は、なんと前年同月比8.3%だ。所得の低い家庭は、食料品の消費の割合が高い。実質賃金は、伸びないどころか大幅賃下げとなっているのと同じだ。 

 

 

■減税の見通しが立たない 

 

 実際、厚労省が出している実質賃金指数では、昨年まで3年連続マイナスのあと、今年に入っても1月から6月まで毎月マイナスが続いている。一般庶民は、今も継続的に確実に貧しくなっているのだ。 

 

 石破茂政権は最低賃金を20年代に全国平均で1500円とする目標を掲げているが、その実現には、年平均7.3%の引き上げが必要だ。つまり、25年度の6%アップでは足りない。初年度から目標を下回っているのだ。 

 

 石破首相は、「今後さらに努力をしたい」と語ったが、すでに中小企業では、人手不足倒産、すなわち、必要な賃上げができずに人手が集まらず倒産する企業が増えている。25年1~7月の「人手不足」が一因の倒産は、213件(前年同期比18.9%増)に達し、年間で初めて300件を超す可能性が出ている。トランプ関税の影響はこれからだし、ここへ来て、金利が上昇を始めたので、これも企業を苦しめる。来年以降は、賃上げ率を上げるどころか、賃上げそのものが難しい状況になりそうだ。それを考慮すると、石破首相の目標達成には最初から黄色信号が灯ったと言っても良い状況だ。 

 

 現在、厚労省の審議会の答申を受けて、各都道府県がそれぞれの最低賃金を決める手続きを進めているが、大揉めに揉めているところが多いようだ。ただし、県によっては、答申よりもかなり大幅な引き上げを決めたところもある。 

 

 石破首相のお膝元の鳥取県では、厚労省の審議会が示した目安64円を大幅に上回る73円引き上げの答申を県の審議会が出して話題になった。 

 

 ちなみに、ドイツでは、飲食店の消費税の税率を現行の19%から7%に引き下げる方針が示されている。人手不足で賃金コストが増す飲食店にとっては、これで売り上げが増えることが大きな支援策となるだろう。また、一般庶民にとっては、外食する場合119円のものが107円で食べられるわけだから、1割以上の値下げ効果がある。このように庶民目線で大きな政策変更を機動的に決めるヨーロッパ流が羨ましいと感じる人も多いだろう。 

 

 日本では、参議院選で消費税減税を訴えた野党が勝利したにもかかわらず、本当に減税できるのか、できるとしてもいつなのかが全く見通せない状況だ。国会は閉じられたまま、密室で与野党が協議をしているようだが、庶民には何の情報も入ってこない。国民置き去りの状況が続いている。 

 

 

■海外旅行に出かけることさえ難しい 

 

 ところで、食料品価格の上昇分を超える賃上げができず、人々が継続的に貧しくなるというのは、政治的に見れば、大変な失政だ。普通の国では、それだけで政権がひっくり返る事態である。 

 

 そんなことは、私が若い頃には想像もできなかった。私が経済産業省の前身である通商産業省に入った1980年は、第2次オイルショックの直後で、決して景気は良くなかったのだが、日本は、米国に次ぐ経済大国で、中国に追いつかれるのは何十年も先に起こるかどうかという程度の認識だった。バブルが弾けた後の90年代でさえ、日本が先進国の中で貧しい方の国になるなどとは誰も想像できなかった。 

 

 21世紀に入ってからでさえ、日本は、世界第2位の経済大国で世界で最も裕福な国の一つ。それが日本人の認識だった。 

 

 信じられないかもしれないが、私が課長補佐時代には、日本の物価は、国際的にみて高いと言われていた。89年から90年にかけて行われた「日米構造協議」では、日本の輸出価格は安いのに国内物価が高いのは、国内でカルテルが横行しているからではないかと米国に厳しく批判され、協議項目の6本の柱の一つが「価格メカニズム」(内外価格差)というタイトルだった。日本は「国際的」にみて「高い国」だったのだ。 

 

 当時はインバウンドブームなどなかった。したがって、高いものを買っていたのは、国内に住む一般の国民だった。それだけの購買力があったということだ。 

 

 その頃、パリに出張した際、人気のビストロで食事をしても、美味しさに見合った価格だと感じ、決して「高い」とは思わなかった記憶がある。 

 

 私はブランド物には全く興味はないが、当時、パリの有名ブランドの店には、日本語で「免税」の文字が躍り、日本語を話す店員がいて、日本人専用カウンターがあるのが普通だった。「田舎者」だが「金持ち」の日本人に売り込むために、フランス人がプライドを捨てて特別扱いをしていたのだ。ブランド好きの日本人にとっては、とても居心地がいい雰囲気を作っていたのだ。 

 

 しかし、今や日本の若者が欧州に出かけても日本人をちやほやしてくれる光景など見つけることはできない。 

 

 そもそも日本人は海外旅行に出かけることさえ難しくなってきた。アジアは別として、欧米に行こうと思えば、庶民としては相当な覚悟が必要だ。 

 

 

■先進国の中で唯一賃金が上がらない日本 

 

 実は、この分野の統計にも日本人の貧困化が表れている。 

 

 日本からの海外渡航者数は、コロナ禍前の19年には2000万人を超える2008万人だったが、24年はわずか1301万人と35%も少ない水準だ。それより少ない渡航者数の年をコロナ禍前まで探してみると、なんと1993年の1193万人という数字まで遡ってしまった。30年以上前のことだ。 

 

 それとは対照的に、訪日外国人数は増え続けている。コロナ禍のショックを経て、わずか2年で史上最高を更新し、24年には3678万人を記録した。今年も上半期で2152万人だが、このペースなら年間4000万人超えになる。すごい増え方だ。 

 

 日本の魅力や関係者の努力もあるが、なんと言っても外国人が日本に惹きつけられる理由は、何もかも「激安の日本」ということだ。 

 

 以前、知り合いの米国のビジネスマンが、「毎日が天国」と言いながら、高級レストランに昼夜立て続けに通う姿を見て、なんとも言えない気分にさせられたのを思い出す。 

 

 米国で起業したばかりの日本人の若者が「日本に帰る理由を考えたけど、一つもなかった。強いて挙げれば、そこそこおいしいご飯がタダ同然で食べられることかな。アメリカだと、日本の何倍もするからね。まあ、その分稼げばいいだけだけど」と笑って語ったというエピソードを本コラムで紹介したこともある(2018年4月30日配信「南北会談で“外交の安倍”のウソが露呈 今そこにある日本の危機とは?」)。7年前のことだ。 

 

 その頃の日本は既に「安くて美味しい国」だった。しかし、それにも少しずつ変化が見られるようになった。日本人が先進国の中で唯一賃金が上がらない貧しい国民になったことで、人々の平均的な味覚は確実に落ちていくからだ。 

 

 テレビでは、毎日のように、コンビニ、ファストフード、ファミレスなどのとても美食とは言えない料理や食品の宣伝めいた番組が流れている。インスタ映えだけが取り柄のメニューを有名レストランさえ提供する現実も目にするようになった。「貧すれば鈍す」の象徴のような現象だ。 

 

 人々が貧しいから、飲食店の方も、とにかく「安く」料理を提供せざるを得ない。食材の質を落とし、手間も省く。一方、売り上げは増やしたいから「映える」食事を提供する。「努力」の先が袋小路に向かっているように思えてならない。 

 

 

 
 

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