( 321953 )  2025/09/05 06:15:45  
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横田大介さん(仮名)は北海道在住の会社員です。今年の夏、亡くなったお母様の三回忌の法要に合わせて都内の実家に帰省した際、お父様からとんでもない相続の提案を受けたと言います。お父様の相続人になるのは、横田さんと、お父様と同居する1歳下の妹さん。なんと、その妹さんに時価1億円以上の実家の不動産を引き継がせ、預貯金や生命保険から相続税などを払った後のお金をきょうだいで2等分するというものだったとか。 

 

「よく考えれば、僕の取り分は7分の1程度という“ワンサイド相続”なんですよ」と横田さんが振り返ります。とはいえ、横田さんはお母様が脳梗塞に倒れた時に妹さんに世話になったという負い目があり、「ノー」と言えなかったのだとか。そんな時に思いがけぬ援軍が現れました。横田さんに同行していた奥さんでした。「はっきりモノを言う妻に救われた」という横田さんに、冷や汗ものだったというその話し合いの様子を聞きました。 

 

〈横田大介さんプロフィール〉 

北海道在住 

47歳 

男性 

会社員 

妻と高校生の長男、中学生の長女の4人暮らし 

金融資産1200万円(世帯) 

 

私は北海道の大学を出て現地で就職し、地元の女性と結婚しました。子供2人は生まれも育ちも北海道です。 

 

東京の実家には、今年喜寿を迎える父と、私の1歳下で未婚の妹が住んでいます。母は脳梗塞を患って3年ほど寝たきりになった後、一昨年に亡くなりました。 

 

東京のお盆は7月で、今年は母の三回忌でもあったので、法要に出席するため、先月、妻と2人で帰省しました。子供たちは部活があるので留守番です。 

 

菩提寺での法要を終え、足を運んでくれた親戚と会食をした後、実家に戻って父が「ちょっといいか」と切り出したのが、家の財産に関する話でした。 

 

父は60歳で定年を迎えるまで、区役所に勤務していました。母はパートなどで働いていた時期もありましたが、基本的には専業主婦です。今の家は役所の斡旋で父が30代の頃に購入し、定年時にはローンも完済しています。 

 

父の時代の公務員は恵まれていて、父は20年近く前に2500万円以上の退職金を手にし、今は月額で25万円の年金を受給しています。しかし、蓄財にはあまり熱心でなく、現役時代から好きなバイクや山登りにお金を使っていました。定年後は旅行好きな母と何度か海外にも出かけています。 

 

一方、妹は都内の大学に進学しましたが就活に失敗し、実家に両親と同居してフリーランスで添乗の仕事をしていました。私たちはいわゆる氷河期世代で、妹が希望していた旅行業界はほとんど求人がなかったのです。 

 

住宅ローンや私立に通う2人の子供の教育費に汲々としている私と比べれば、シングルで家賃も要らない妹はいいご身分だなという思いがずっとありました。しかし、母が倒れたのはコロナ禍だったこともあり、不幸中の幸いというべきか妹には仕事のオファーがなく、妹が父に代わって母の介護を主導してくれました。 

 

母が初期治療を終えた後にタイミング良く365日24時間体制の介護施設に入居できたのも、妹が知り合いの介護関係者などを通じて施設探しをしてくれたおかげです。母のことに関しては、私があまり役に立てなかったこともあり、妹には頭が上がりません。 

 

そうした中で、父が突然、家の財産や自分の相続に関する話を始めたのです。親しくしている元同僚から税理士さんを紹介してもらったとかで、遺言書を作成するために私たちの意向を確認したかったのだそうです。 

 

 

父は私たちの前に自分の財産の状況を手書きした紙を広げ、ざっと説明してくれました。それによると、郵便局や銀行などへの預貯金の残高が2500万円ほど、生命保険が2000万円。実家は敷地50坪ほどの狭い一軒家ですが、最近の地価の上昇を受けて固定資産税評価額は1億円を超えていました。 

 

父の希望は、その実家を独り者の妹に残してやりたいということでした。そして、相続税が発生するので預金と生命保険から相続税や登記の費用などを差し引いた額をきょうだいで折半する形ではどうかと提案してきました。 

 

正直、私はそれまで父の相続についてあまり考えたことがありませんでした。 

 

先に亡くなった母には個人名義の預貯金がほとんどなく、生命保険から下りた死亡保険金の一部を受け取っただけでした。そもそも、資産家というわけでもない親の金を当てにしても仕方がないという思いもありました。 

 

まさか実家の評価額が1億円を超えているなんて想像もしていませんでした。 

 

妹も父の意向をこの時初めて聞いたらしく、驚いた様子でした。 

 

「で、どうかな。同居する子供が相続すれば、土地の評価額がかなり減らせるようだし(小規模宅地等の特例)。大介がそれでいいと言ってくれるなら、今の内容で遺言を書こうと思っているんだけど」 

 

父の畳みかけるような言葉に、隣で妹がぐっと息を飲む気配がありました。 

 

まぁ、親父がそういうなら仕方ないか。 

 

妹には母さんのことで世話にもなったし。 

 

私が口を開きかけたまさにその瞬間、後ろからよく通る妻の声が聞こえてきたのです。 

 

「お義父さん、それはちょっと、おかしくないですか?」 

 

部外者の妻がいきなり、父に楯突いたのです。北海道の女性は単刀直入にものを言うタイプが多いと言われますが、妻はまさにその典型。父の話を聞いていて、妻なりに理不尽と感じたのでしょう。 

 

そして、父に再考を迫ったのです。 

 

横田家の継嗣は私であり、遠方に住んではいるけれど、それなりの役割を果たしてきました。さらに、これから先、横田家の名字やお墓を引き継いでいくのは私の子供たちになります。 

 

そこに対する金銭的な手当てが多少はあってもいいのではないかというのが、まず1つ。 

 

そして、妹は確かに母の介護には大きく貢献してくれましたが、そもそも今までの実家暮らしで享受した経済的なメリットも少なくなかったはずです。 

 

家賃や光熱費、食事代、さらにお小遣いなどの金銭的援助などを合計したら、私や子供たちが受けた援助よりもはるかに大きいのではないか。妻が指摘したのは、その2点でした。 

 

妻は母とやり取りをする中で、「40を過ぎても結婚する気が全くなく、家を出ていく様子もない」「家にお金は一銭たりとも入れてくれない」「年金生活者の私たちに『旅行資金が足りないから援助して』と言ってきて、しつこいので10万円ほど用立ててあげた」といった妹への愚痴もさんざん聞かされていたのです。 

 

 

妻の突然の“参戦”に、父や妹は茫然自失の状態でした。しかし、妻の主張があまりに正論過ぎて、さすがの父も返す言葉がなかったようです。 

 

妹が「確かにこの家一軒引き継いでも、私ひとりじゃ持て余しそうだしね。お父さんはまだまだ元気なんだし、時間をかけてもう少し考えた方がいいんじゃないの?」としれっと言うと、父は「う~ん」と口籠ってしまいました。 

 

父の提案は、母に先立たれた今、自分の介護が発生した時の“保険”として妹に恩を売っておく意味合いも強かったように思います。そこでうまく話がまとまりかけた時に、予期せぬ方向から横やりが入ったのですから、さぞやがっくりきたことでしょう。 

 

とはいえ、それ以上話を続ける雰囲気ではなく、父の提案はうやむやになり、それから1時間もしないうちに、私たちは「飛行機の時間だから」と言って慌ただしく実家を後にしたのでした。 

 

あれから半月、父や妹からは何の音沙汰もありません。 

 

「言ってはいけないことを言っちゃったかな」としゅんとする妻を、私は、「いや、母さんが生きていたら、きっと同じことを言ってくれたと思う」と慰めています。 

 

むしろ、心の中では妻に大感謝です。あのままいったら、母のことで妹に負い目を感じている私は、絶対にワンサイドの相続案を受け入れていたはずですから。 

 

※プライバシー保護のため、事例内容に一部変更を加えています。 

 

森田 聡子(金融ライター/編集者) 

 

 

 
 

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