( 322048 ) 2025/09/06 03:47:26 0 00 参院選の投開票日前日、参政党の神谷宗幣代表の街頭演説に集まった聴衆=2025年7月19日午前8時25分、新横浜駅前
作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は防災の日に改めて考えた、「差別」との向き合い方について。
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私の祖父は関東大震災のときに10歳で、早稲田周辺に暮らしていた。当時は移動手段として馬を飼っている家もあり、地震の衝撃で大暴れした馬に顔を蹴られた近所の女性が即死したのを見たと話してくれたことがある。話し上手の祖父の描写はあまりに怖く、地震でパニックになった馬の鳴き声を私は聞いたような気がしている。それからしばらくして、祖父の家に遠縁の男性が訪ねてきた。途中、自警団につかまり「15円50銭と言え」と言われたという。その男性は吃音があり、うまく話せなかった。「〇〇(←祖父の家)のところに行く」と言っても、自警団はからみ続けた。その時、たまたま通りかかった人が「ああ、この人は〇〇さんのとこの人だよ、私が連れていくよ」と声をかけてくれたという。“たまたま”そういう人がいなかったら、その人はどうなっていただろう。大地震後、たくさんの朝鮮人が殺された。聾唖者や吃音がある人も「朝鮮人」として殺された。
満州事変が起きたのはそれから8年後。祖父の青春時代は日本が戦争に突入し自滅していく過程だったが、関東大震災前後で日本の空気は激変したことだろう。祖父の父は映画館を営んでいた。毎日のように様々な国の映画に触れ、大正デモクラシーの自由な空気や文化を愛する豊かな空気のなかで生きていた祖父だが、大震災に続く不況、軍国主義の高揚した空気のなかで、自由な発言は許されなくなり、文化は贅沢となり、言論は萎縮し、同世代の多くが戦争で死んだ。自由で希望に満ちた文化的な空気が、あっという間に萎縮していった時代を知る祖父は、戦後、当然のように平和の尊さを孫の私に伝え、死ぬ直前まで新聞をすみからすみまで読み、政治や社会情勢について独り言のように意見を述べていた。
今年の夏、躍進した参政党に抗議する人に対し、参政党支援者が「10円50銭と言ってみな」(発言ママ)とからかうように言う動画が拡散された。
東日本大震災が起きた2011年の夏に、フジテレビ前で韓国ドラマに抗議するデモや、新大久保で韓国人を攻撃するデモが起きたことは記憶に新しいが、いまだに私たちは「そういう野蛮」と決別できていないのだ。あの夏も「この国は壊れた」と思ったものだが、震災から15年目を迎え、この国はまた岐路に立っている。
参政党を巡っては気になることがある。参政党に危機感を持つリベラルな人たちの間で対立が起きていることだ。人権を重んじ、多様性を尊重し、平等社会を理想とし、個の自由を順守し、平和を求め、国家権力に疑いの目を向ける……政治的にはリベラルに立つ人たちが、参政党への「向き合い方」のようなもので対立している。
ある人たちは言う。「参政党は極右排外主義政党で危険だ。中立的な振る舞いをしている場合じゃない」。彼らの中には参政党の演説に怒声を浴びせ、演説を聞こえなくしたり、参政党に施設を貸した行政の人を取り囲んだり、女性議員に中指を立てて罵声を浴びせたりする人たちもいる。そういう運動を見て別の人たちは言う。「参政党がなぜこれほど支持を集めるのかを考えるべきだ。攻撃的な批判では現実は変えられない」。どちらも参政党の躍進に危機感を持っているはずなのに、互いへの批判・非難の声は高まるばかり。参政党に対する態度表明が、まるでリベラルとしての踏み絵のようにもなっている。
私は参政党の躍進に違和感と危機感を持ってはいるが、それでもこちらが「差別主義者」と断定した者に対しては何をやってもよいのだという姿勢には抵抗がある。差別は命を奪う、今はお行儀なんてかまっていられない、というのはその通りなのかもしれないが、それは結局、より暴力的、より攻撃的になった声のほうが勝つというループを自らつくることになる。女性の参政党支持者や議員に怒声を投げかけ、彼女たちに中指を立てる行為には、強いミソジニーを感じる。人には人の闘い方があるのだと私は思うが、自分と同じ感性で、自分と同じ闘い方をしない者を罵倒する一部のリベラルの闘いは、対話する力を自ら手放すことになっているのではないか。
本来ならば、「参政党」に対してどう振る舞うか、というよりは、この社会がどう「差別」に向き合うかが丁寧に問われるべきなのだろう。
立憲民主党の小川淳也幹事長が参議院選挙中、Xにこんな投稿をしていた。
「最初は外国人。次に女性、高齢者、子供、病人、障がい者へと差別と偏見、攻撃が向かう。しわ寄せは弱い方へ弱い方へ向かう。最後は暴力、内戦、革命、戦争も否定仕切れない」
驚いた。リベラルを代表する政党の男性議員の差別認識とはこういうものなのか、という衝撃だ。外国人→女性/年齢/健康と、差別がこんなふうにシンプルに語られることに。どの “カテゴリー”にも女がいることが忘れられていることに。なにより、差別が複合的なものであることが見えない立場の人が、常に社会のマジョリティーにいる現実を突きつけられたことに。
「自分は差別される側にない」と信じられる人は、社会と自分の関わりが明確なのだ。差別されるとは、この社会と自分の関わりに「確信を持てない」、この社会に自分が「いない」という不安と恐怖を知っていることでもある。だからこそ、男たちの怒声が世界を変える力にはならないと、女の身で生きてきた者としては考える。そういう闘いでは女の存在はまた消されることを、歴史は教えてくれるからだ。
関東大震災が起きた日、子供だった祖父は外で一晩を過ごしたという。不安と妄想が大人たちに広がる時間、祖父にはどんな景色が見えていたのだろうか。地震を生きのびたにもかかわらず、どれほどの人が殺されたのか。102年前に朝鮮人たちが感じた恐怖は決して過去のことではない。その恐怖への想像力を枯渇させず、歴史を学び、知り、対話することを諦めてはいけないのだろう。
北原みのり
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