( 322421 )  2025/09/07 05:54:14  
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筆者は、ネット上での「残クレアルファード叩き」の背景について分析した。

フィルターバブルやエコーチェンバーによって、偏った情報が拡散され、批判が自己強化されているという。

実際の市場データは無視され、批判は主に経済的不満の投影に基づいている。

特に、「アルファードを買う人は質が悪い」「運転者は品性がない」といった意見は、感情的なものであり、実際のデータや統計に基づいていない。

改善策として、統計データの公開、金融教育の普及、プラットフォームの健全化を提案している。

最終的には、感情的な批判ではなく、事実に基づいた議論へと進むべきと強調。

ネット上の批判は自己防衛の心理に根ざしたものであり、建設的な議論に変える必要がある。

(要約)

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自動車(画像:写真AC) 

 

 筆者(伊綾英生、ライター)は先日、当媒体で「「破産する」「ドンキしか行けない」 ネットで“残クレアルファード”を叩く人が、全然幸せそうに見えないワケ」(2025年8月30日配信)を書いた。記事では、ネット上に広がる「残クレでアルファードを買う人は身の丈に合わない」という批判的言説の構造を分析した。配信先の「carview!」には900件以上のコメントが寄せられるほどの反響を得た。 

 

 前回も書いたが、SNSや動画サイトで見られる「残クレアルファード叩き」は、 

 

・フィルターバブル 

・エコーチェンバー 

 

によって増幅されている。 

 

 フィルターバブルとは、アルゴリズムやユーザーの行動履歴により、同調的な情報ばかりが表示される現象である。異なる視点や批判的情報は遮断される。SNSや動画サイトで特に顕著だ。例えば、ユーザーが一度「残クレアルファードを笑う動画」を視聴すると、同種のコンテンツばかりが次々に提示される。結果として、偏った情報だけが目に入る環境が自動的に形成される。 

 

 一方、エコーチェンバーとは、同じ意見を持つ人々が集まり、互いの主張を反響させることで信念が強化される現象である。匿名掲示板やSNSで「残クレでアルファードを買うのは身の丈に合わない」といった書き込みが増えると、他の参加者が同調し、批判が自己強化的に拡大する。こうした環境では、異なる意見は排除されやすく、事実の吟味が阻まれる。 

 

 フィルターバブルとエコーチェンバーが組み合わさると、「残クレアルファードは馬鹿げている」という認識が、根拠を欠いたまま社会的事実のように扱われる。情報環境の構造自体が、誤った印象を固定化してしまうのである。 

 

 実際の市場データや金融商品の実態は、ネット上の批判ではほとんど無視されている。アルファードはリセールバリュー(再販価値)が高く、2024年には2019年購入車が新車価格の約8割で売却された例もある。残クレの金利負担があっても、供給制約や中古車市場の高騰によって相殺され、資産形成に寄与する可能性さえある。さらに、法人需要や輸出需要も価格を支える要因となっている。にもかかわらず、ネット上では 

 

「手取り20万円で残クレ」 

「ドンキ(ドン・キホーテ)しか行けない」 

「破産する」 

 

といった言説が拡散されている。こうした批判はしばしば、自らの経済的不満や価値観を他者に「投影」する行為となる。心理学でいう「投影」とは、フロイトが提唱した人間の防衛機制のひとつである。自分の 

 

・受け入れがたい感情 

・不快な面 

・欠点 

 

を相手に映し出し、あたかも相手が持っているかのように認識するのだ。こうした心理が、根拠の薄い批判や偏見を生み、フィルターバブルとエコーチェンバーで加速され、オンライン空間での議論を歪める要因となっている。 

 

 残クレアルファード批判は、この投影がネット空間で可視化され、他者の消費行動を「馬鹿げている」「浪費だ」と評価することで自己正当化がなされる典型例といえる。この結果、正しい市場理解が阻害され、合理的な選択肢を狭めることになる。この状況に対して、 

 

・金融商品の透明性向上 

・金融教育の普及 

・プラットフォーム運営の情報健全化 

 

が不可欠である。具体的には、残価ローンの仕組みや車両資産価値の変動を可視化すること、学校教育や社会教育で資産形成の基礎知識を体系的に教えること、そしてSNSや動画プラットフォームで偏見や誤情報が拡散されない仕組みを整えることが求められる。 

 

 前回の記事には“典型的な反論”も寄せられた。それは 

 

「アルファードやヴェルファイアに乗っている人は質が良くない」 

「運転者の多くが品性に欠けるから馬鹿にされる」 

「ただ乗れればいい、見栄を張りたい人が多い」 

「残クレ購入者は深く考えていない」 

 

という四点である。一見もっともらしく思えるが、いずれも感情的前提に依拠しており、事実や数値で裏付けられていない。これもまた、投影によって生まれた認識の歪みといえる。ここに論理の矛盾が存在する。 

 

 

「質」のイメージ(画像:写真AC) 

 

 ひとつずつ説明していこう。 

 

 まず、「アルファードやヴェルファイアに乗っている人は質が良くない」という批判を検証する。「質」とは 

 

・学歴 

・所得 

・職業 

・居住地 

・犯罪歴 

 

など、具体的な社会統計に紐づく場合に意味を持つ言葉である。しかし、警察庁の交通事故統計や自動車保有者の属性データには、アルファード保有者が質が悪いという因果関係を示す数字は存在しない。実際には、購入層の多くは相応の収入があり、前述のとおり、法人需要も高い。中古車市場では輸出需要が価格を支え、安定した経済基盤を持つユーザーが多いことを示す。したがって、「質が悪い」との決めつけはデータに基づかない印象操作に過ぎない。 

 

 次に、「運転者の多くが品性に欠けるから馬鹿にされる」という主張も論理的に自壊している。「品性がないから馬鹿にされる」という議論は、循環論法に陥っており、結局 

 

「馬鹿にされるのは馬鹿にされるからだ」 

 

といい換えられるに過ぎない。また、運転マナーが悪いという指摘も、特定車種だけに当てはめるのは誤りである。警察庁の違反件数は車種別に統計化されていないため、アルファードだけを悪質と断定する根拠は存在しない。仮にマナーの問題がある場合も、それは車種ではなく運転者個人の問題である。車両の価値や金融商品を論じる場で、「品性」という曖昧な概念を持ち込むことは、議論の本質をすり替える行為に他ならない。 

 

 さらに、「ただ乗れればいい、見栄を張りたい人が多い」という批判もステレオタイプに過ぎない。見栄消費は 

 

「すべての耐久消費財」 

 

に当てはめられる。高級腕時計やブランドバッグも社会的シグナルの役割を持つ。自動車は耐用年数が長く、移動手段であると同時に資産保全や売却益の可能性を持つため、単なる見栄消費とは区別されるべきである。アルファードの購入層には子育て世代や法人役員も多く、実用性と快適性を重視した合理的な選択である場合が多い。法人需要は新車販売の約3割を占め、送迎や接待などの業務利用も目立つ。購入は見栄だけでなく、利用価値と資産価値を両立させた判断だといえる。 

 

 最後に、「残クレ購入者は深く考えていない」という指摘は事実と逆である。残価設定ローンを理解し、手元資金を温存しながらリセール価値の高い車にアクセスする行為は、金融戦略のひとつである。 

 

 トヨタファイナンスの調査では、自動車ローン利用者のうち、残クレを利用する割合が70%を超えている。また、高級車市場ではレクサスやアルファードなど、リセールバリューの高い車種で残クレ利用率が50%以上に達しているという報告もある。これらの情報から、残クレの利用は高額車種や高級車市場で特に多く、全体の新車販売においても一定の割合を占めると推測できる。 

 

 消費者は支払総額だけでなく、キャッシュフローや資産価値を考慮しており、深く考えていない層はむしろ軽自動車や低価格車を現金一括で購入する傾向が強い。したがって、「深く考えていない」という批判は実態を誤解している。 

 

 

ネットで笑う人のイメージ(画像:写真AC) 

 

 ネット上で見られる反論の共通点は、数値で裏付けられない感情的な決めつけにある。自らが経済的に選べない対象を 

 

「品性がない」 

「見栄だ」 

 

と矮小化し、自己正当化を図っているのだ。問題は、この感情的言説がオンライン空間で集団強化され、事実に基づく議論を妨げる点にある。 

 

 このような偏見や矛盾に満ちた批判環境を改善するには、いくつかの具体策が必要だ。まず、統計データに基づく議論の普及である。車種別のオーナー属性や残価ローンの利用状況を公開し、偏見的な言説を数値で否定する仕組みが求められる。業界団体や中古車販売事業者は、年齢、所得、職業別の所有傾向を定期的に明らかにするべきである。 

 

 金融教育の制度化も必要だ。学校教育で、耐用年数の長い資産と消費財の違い、リセールバリューの仕組み、金利や為替の影響を体系的に学ぶカリキュラムが必要である。これにより「ローン = 悪」といった単純化を防げる。 

 

 最後に、プラットフォーム運営者の責任も重要である。偏見や感情的言説を拡散させるアルゴリズムを見直し、誤情報や根拠のないレッテル貼りには注意表示やファクトチェックを導入する必要がある。 

 

フィルターバブルのイメージ(画像:消費者庁) 

 

 これらの議論は、単なる車種批判にとどまらず、日本の消費行動全体の課題を映し出している。根拠のない否定を続ければ、合理的な金融活用の機会を失い、家計の資産形成は遅れる。逆に、統計データの公開や金融教育の充実、プラットフォームの健全化が進めば、車の購入は「見栄」や「浪費」ではなく、資産形成戦略の一環として社会的に評価される。 

 

 感情的な叩きは、結局、自らの選択肢を狭めるだけである。数値や事実に基づいた判断を行う文化に移行できるかどうかが、日本の消費行動の未来を左右する。 

 

 ネット上で顔の見えない相手を揶揄する行為は、自らの経済的不安や心理的な不満を他者に押し付けて批判する行為に過ぎない。これにより、一時的な優越感を得ようとしているに過ぎないのである。いい換えれば、他人を茶化す行為は実際には 

 

「自分自身を茶化している」 

 

のと同じである。壮大なブーメランである。匿名性に守られた空間での批判は、自己防衛の心理に裏打ちされた虚構の正義にすぎない。先日ネットで話題になった 

 

「正義感の9割は嫉妬」 

 

というつぶやきは、この現実を端的に示している。ネット言論をもっと建設的なものに変えていこう。 

 

伊綾英生(ライター) 

 

 

 
 

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