( 323112 ) 2025/09/10 03:32:49 1 00 このスレッドでは、野生動物、特にクマとの共存やその管理に関する意見が交わされています。
1. **人間の安全第一**: 多くのコメントは、人間の生活空間に進出したクマは脅威であり、安全を確保するために殺処分が必要だと主張しています。
2. **教育と認識の必要性**: 一方で、クマとの共存や保護を唱える意見もあり、人間の行動(餌を与えるなど)が問題を悪化させているとの指摘があります。
3. **歴史的背景の考慮**: 過去の狩猟文化や、クマが人間を恐れる存在であった時代が記憶されており、現在の保護政策が逆効果を及ぼしているという意見もみられます。
4. **バランスの重要性**: 環境や生態系の観点から、ただクマを駆除するのではなく、適正な個体数を維持し、同時に人間の生活圏を守るための方法を模索する必要があるとの見解もあります。
5. **個人の体験に基づく意見**: 具体的な遭遇や被害体験に基づいて、野生動物の危険性を具体例として挙げ、理解を求める意見が多く見受けられます。
(まとめ)全体的に、人間の安全を最優先する意見が多数を占め、クマを含む野生動物との適切な距離や共存の形を模索する意見が交錯しています。 |
( 323114 ) 2025/09/10 03:32:49 0 00 =+=+=+=+=
「動物愛護は人の安全が確保されて初めて成り立つ」という点を欠いてはダメ。
人に危害を加えないからこそ保護すべきなのであって、飼い犬でさえ他人に噛み付いて大怪我を負わせれば殺処分対象になり得る。
ましてや、野生の猛獣なんて、人間の居住地域に侵入した時点で処分対象だろうし、人が山に入って襲われたとしても、襲った個体は人肉の味を覚えてしまうのでやはり処分対象とすべき。
▲12167 ▼640
=+=+=+=+=
昔は、マタギが狩猟して人里に熊が降りてくることは少なかった。熊もここから先に行けば危険だと認識していたと思います。今は、マタギも減ったしメガソーラーなどにより森林伐採が進み樹の実も減った。人里に降りたら生ごみがあり、食べたらおいしかった。 楽して餌にありつけると学習すればますます人里に降りてくるでしょう。TVで、ベアドッグを使ったり、ゴミ箱は熊に開けられないような仕組みにして山林に囲まれながらも熊被害者は十数年無いとのこと。税金をそういったところに投入できないだろうか。人命が何よりも大切。
▲2011 ▼124
=+=+=+=+=
ヒステリックな動物愛護主義者は人間愛護精神が足りていない場合がほとんど。実際の被害を知らないから「クマがかわいそう」と言えている部分がある。現実はひどい。「命に別状はありませんでした」というが、とくに顔面を襲われるケースが多く、命こそ助かったが修復不可能な傷を負い、その後の生活にも支障が出るケースがたくさんあることを知ってから考えて欲しい。
▲7149 ▼304
=+=+=+=+=
農業をやっているワイ
熊ではないが今年になってからイノシシを目の前で2回見てます。うち1回は3月に獲れ始めたウチのタケノコをむしゃむしゃ目の前で喰ってる途中でした。すぐに逃げてくれたので我が身に被害はないですが、熊のニュースは本当に他人事ではないです。
動物愛護を叫んでる方々。 本当に生で野生の動物を見た事ありますか? 動物園の安全な場所ではなく腹を減らした野生のやつと対峙してみて下さい。
やっぱりね、動物と人間は一定の距離が必要です。
▲6558 ▼233
=+=+=+=+=
田母神さんの記事、拝見しました。クマによる被害のニュースは本当に痛ましく、住民の方々の不安は計り知れないものがあるでしょう。
記事で田母神さんが指摘されているように、人間の生活圏にまで進出し、危害を加える可能性のある動物に対しては、過去の野良犬一掃の例にもあるように、毅然とした対処が必要だと感じます。
動物愛護も大切ですが、それが人間の命や安全を脅かす状況でまで優先されるべきなのか、という問いかけは非常に重いものがあります。クマが人間の生活圏に出てくる原因も考えるべきですが、それと同時に、危険な存在に対しては、人間の安全を最優先に考えるべきでしょう。
「見つけ次第殺処分」という言葉は強いですが、それは現状における人間の安全確保への強い意志の表れだと受け止めました。動物との共存のためにも、危険な存在への対処は、冷静かつ毅然とした態度で進める必要があると感じます。
▲517 ▼43
=+=+=+=+=
野生動物との問題で無理難題を主張するクレーマーを減らすことは難しい。 今できることは、苦情の窓口になっている各行政の担当者たちをどうやって守るかです。 一般企業の不祥事に対してのクレームと違い、そもそも問題のないことに対しての個人的な主張なのでまともに取り合っても無駄です。 個別の自治体レベルでは限界があるので、国が何かしらのシステムを作るべきだと思います。
▲1009 ▼64
=+=+=+=+=
熊に襲われて亡くなった方が発生した後、スレッドで昔ムツゴロウさんが小さな熊を追いかけて必死で殴っている映像を見ました。ムツゴロウさんは熊を含めて動物が大好きだから、小さな子熊のうちに人間はこんなに怖いんだぞ、人に近づいてはいけないんだぞと教えていたのです。残念ながら人を恐れなくなった熊は駆逐するしかありません。そういう不幸を産まない為にもどうやったら熊が人里に降りてこないようにできるか考えていきたいです。
▲3742 ▼113
=+=+=+=+=
大事なのは「人間が行動する場所で見つけた」と前提条件がついていること。
本来は熊は人間のいるところにまで降りてこないのに、人間を恐れなくなった背景に、キャンプしている人が無責任に捨てた残飯でエサの味を覚えたり、極論として人間に害を与えた事があり、人間を恐れず、エサと認識している熊が増えてきたのでは。そんな熊を森に帰したところで、すぐに戻ってくるに決まっている。
わざわざ山狩りして、熊を根絶やしにするまで駆除しろと言っている訳でないのだから、あくまでも防衛のための手段で仕方がない話です。
▲2947 ▼92
=+=+=+=+=
田母神さんに大賛成。動物愛護云々と言う人は、本当の熊の恐ろしさを知らない。自然界の熊は可愛いぬいぐるみの熊ではない。一撃で人間を倒して食らう虎などと同じ猛獣。やっと猟銃の市街地での発砲が許可されたが遅すぎる。警官の威嚇による発砲も許可してほしいくらいの昨今の状況だ。
▲1519 ▼117
=+=+=+=+=
ある意味正論だな。人間も野生動物の一つと見れば、野生のクマを狩るというのは自然の摂理の範囲内だ。野生グマはペットではないのだ。ただ、天敵のいない人間は自然の循環に重大な責任をもつ。種を根絶やしにしてしまうような乱獲、大量殺戮は許されない。秩序ある管理が必要なのだ。何でも保護というのも違うし、何でも殺処分というのも違う。やはり棲み分けというのが一番正しい。そこが崩れる事態が生じれば、一定の駆除はやむを得ないと思う。
▲1025 ▼93
=+=+=+=+=
先日、道の駅につきの輪熊のはく製が展示してありました。特に注意書きも囲いも無い状態でした。体長は1m程度の大きさでした。 興味本位で爪の長さを見てみました。見た目の爪は3~4cmでしたが毛に隠れた爪の部分を含めると12~6cmもあり非常に驚きました。 鋭い牙も5~6cmはありました、体長1m程度でしたが、まさに猛獣で恐ろしさを感じました。複数の大人が掛かっても、熊1頭にかなわないでしょう。 熊に対する認識を新たにした出来事でした。 熊の出没する地域にお住まいの方々の命を守る対策強化を望みます。
▲723 ▼32
=+=+=+=+=
「熊は人を恐れる」と言われてきたのは「人と出会ったら撃ち殺される」という情報を熊が代々引き継いで来たからで、保護活動が行き過ぎて人を恐れなくなった現状は危険極まりないのです。 当分は見つけ次第射殺して、再度人を恐れるよう熊に意識付けさせるのはやむを得ないと考えます。
▲887 ▼63
=+=+=+=+=
軽井沢町のクマ対策を全国各地で出来れば良いが訓練された犬と猟友会のハンターが必要になる。おそらく何年もかかるだろう。北海道の知床では観光客がエサを上げていたなんて罪の意識も無い不届き者もいるのが現状だ。熊の個体数を確認すると共に街に繰り出す熊は駆除をする事と同時に軽井沢町パターンの熊避け策を進行して行くのが行政の最低限出来る事だと思います。
▲216 ▼14
=+=+=+=+=
田母神俊雄氏のご意見に大賛成。他の発言は,ほとんど反対やけど(苦笑) 今さら,「人間がクマの生息地まで開発したのが原因」と言っても手遅れ。 現実問題として,今や市街地まで出没して,農作物を食い荒らし,家畜を襲い,さらに人間の味まで覚えてしまったクマは駆除するしかない。田母神氏にお願いして,国民の生命と財産を守るべく,自衛隊に「クマ駆除特殊部隊」を編成していただきクマ対策に本格的に取り組む時期だ。
▲726 ▼91
=+=+=+=+=
熊など野生の生き物の話には昨今思う所があります。自然を熟知している人達はみな、山に餌がないからとか今年はどんぐりが不作でとか言いますが、そもそも数が増え過ぎて一昔前の山の中だけで餌を賄える状況ではないということ。それと動物には行動範囲があり熊の場合は季節の餌によってオスの方が広くまた繁殖の為や自分の血筋ではない小熊は餌の対象になってしまいます。交尾の時期などにもよると思いますが必然的に母熊と小熊はオスのテリトリーからなるべく離れたいはずです。そうなれば餌だけではなくオスを避けるために山すそに降りてくるのが母熊と子熊が多いのではないでしょうか?
▲119 ▼21
=+=+=+=+=
今の日本は動物愛護や弱者救済などの意味が誤解運用されている気がします、市民生活に被害を及ぼしている、カラスやムクドリは追い払うことしかできず、どの地域も毎年悩まされている。きちんと年金を収めた人が6万5千円で義務を果たす逃げ回った人が生活保護で14万円、人が殺されているのに凶暴な動物の保護を唱える人にはクマ注意報が出ている地域で一週間の移住生活を義務ずけてみたら面白いと思いますよ、出没地域の人の切実さを分かってもらいたいものです。
▲381 ▼50
=+=+=+=+=
ネットで身バレがしないことをいいことに、動物愛護者でもないのに殺処分に反対し、おもしろがっている人間も少なからずいると思う。もっとネット上での法律も厳しく規制すべきだと思う。
▲631 ▼56
=+=+=+=+=
海外のレンジャーみたいなのを作らないと。雇用にもなるし。 ・野生動物を守る ・マナーの無い観光客の排除、逮捕 ・人間を動物から守る クマを射殺する能力と馬鹿な人間を逮捕する能力、両方可能な武装が必要ですね。 取り急ぎ警察では負担が大きすぎるので自衛隊の内部組織にするか、自衛隊と連携した専門組織にするしか無いんじゃないですかね。 自衛隊員に希望を募ったら大勢参加してくれそうですけど。
▲612 ▼106
=+=+=+=+=
動物愛護を叫んでる人たちは、自分が襲われたり肉親や知人が目前でクマに惨殺された場合のことを考えて物を申して頂きたい。当事者意識を持って、自分がこのような事態に遭遇した場合でも「動物愛護を叫びますか?」を改めて問いたい! 第三者的な立場でものをいうのではなく、当事者の気持ちになればおのずと答えが出るはずです。このまま野放しにしておくと、巡り巡って明日は我が身に回ってくることも考えられます。
▲127 ▼24
=+=+=+=+=
クマによる大怪我って、本当に悲惨ですよ。 野生動物は例外なく人間の顔を狙って攻撃してきます。顔を狙うのは目を狙うのと、皮膚が剥き出しだからです。そして次に狙うのが首です。 相手がクマなら第一撃を食らっただけで顔は治療しても元に戻らないほどの損傷を受けます。 野生動物に容赦や加減はありません。一撃必殺で襲ってきます。その一撃で、命が助かったとしても二度と元の生活には戻れないほどのダメージを受けます。 こちらが慈愛の心を持とうが関係ありません。
▲37 ▼3
=+=+=+=+=
餌やりなども問題視するべきでしょう。 人間が生活してる所に熊が来てしまうなら殺処分などはやむを得ないと思います。 そして、その前提として熊が出た山などに行って撮影したり餌やりなどを行なっていくなどもあり それらも規制していくべきとは思います。 熊被害はかなり多くなっていて山に戻すとかそんなものでは防げないし共存は難しいでしょう。
▲114 ▼8
=+=+=+=+=
「人間の領域に来たクマは見つけ次第殺処分にすべきだ」という意見には何ら異存はないよ。ただ、OSO18なんかの件でも、プロの猟師の事後評価には、「OSO18は人間が作り出したモンスター」という意見もあるんだよね。実際、車から野生の動物に餌を与えたり、山菜採りがたばこの吸い殻や弁当の残りを山に放置したりするのをこの目で何度も見た。クマをどうするかもいいけど、こういった人間側への教育をどうするかという視点も必要だと思うんだよね
▲96 ▼13
=+=+=+=+=
動物愛護など人の命があってこそ成し得るもの。安全な家の中でテレビを見ながら動物愛護を叫んでもなんの成果も上がらない。そこまでの熱意があるのなら自分でやらないと。現地に赴き熊を捕獲し、山へ返すと。麻酔銃を使ってもいいし、檻を使ってもいい。一度自分で手を掛けてみないと分からないと思う。
▲86 ▼18
=+=+=+=+=
先日も東北の山間集落に同じ熊が何度も出没し、木製の仕切りを破壊し鳥などがやられたと家人はインタビューに答えてました。味をしめたのか再度姿を表し捕獲されたらしい。 熊と共存なんてあり得ません。もし近所で熊被害発生したらそれでも動物愛護だと叫び続けるのでしょうか疑問ですね。
▲80 ▼9
=+=+=+=+=
熊は日本全体でも1990年代より約2倍に増えています。熊が絶滅する環境なら殺処分はダメだと思いますが、今は、里に出没する数を減らすことを優先するべきでしょう。 熊の天敵は子熊を襲う狼でしたが、今、狼は、絶滅状態ですから、天敵のいない熊の敵は、増えすぎた熊で、これから餌の取り合いになれば里にどんどん降りてきます。 人間が天敵にならなければ増殖に歯止めが効かなくなります。 駆除した熊は、食べて供養しましょう。牛を平気で食べる人が熊を食べることを動物愛護と反対するのは矛盾しています。 熊を適正な数に戻し、メガソーラーなど自然を破壊する開発をやめて熊と人間が共生できるようにしていってほしいです。
▲73 ▼10
=+=+=+=+=
日頃は全く組みすることなど出来ない田母神さんですが、このご意見には大賛成です。 そこで田母神さんにご相談ですが、たとえば自衛官経験者の有志に猟銃免許を取得していただいて、万一の熊の出現に備えるということは出来ないものでしょうか。元自衛官の方々であれば、一般人よりも銃器の扱いに慣れていると思います。
▲300 ▼63
=+=+=+=+=
人の生活圏で見かけるクマの殺処分は大事ですし、積極的に行うべきと思う。 ただ、人も安易に獣の生活圏に踏み込まないよう注意した方が良い。 獣が人に近づかないよう対策すると同時に人も獣に近付かないよう気をつけるべきとは思う。 安易に登山やらキャンプやらで危険な領域に踏み込む人間が殺されるのは最早自業自得としか言いようがない。 都市部の熊の駆除を推し進めると共に野生生物の危険性を周知し、安易な行動を慎むよう勧告していくこともまた重要と思う。
▲14 ▼3
=+=+=+=+=
熊鈴つけて登山していた頃が懐かしい。 人が怖いと思っていた頃の熊は、人里に降りて来なかったし、熊鈴で人が居ることが分かると自ら去っていた。 今では大人しい熊よりも凶暴な熊が増えている状況であり、「人に近づいておいしいものを食べられたなど成功体験をしたクマにとっては、ご飯の合図のベルになってしまう。」という記事の通り、熊鈴をつけていても襲われるだけでなく、死亡事例まで発生している。 田母神俊雄氏の言うことはもっともだと思う。
▲19 ▼7
=+=+=+=+=
動物を守ろうとする気持ちは大切だけど人からではなくクマから向かってきたこと 人間と同じように動物も優しい性格と凶暴な性格があると思う 凶暴なクマを駆除するのはみんなを守るためです クマを殺したいわけではなく凶暴なクマに殺される人間を出さなくするためにしょうがなく駆除するんです 動物愛護は悪いと思わないけどやっぱりクマが出没しているところで暮らす人たちの不安もわかってあげてほしい
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
特にヒグマは、体も巨大で、肉食である。テレビの動物愛護番組なんかに影響されているのか知らないが、人間の生活区域に平気で出てくる熊は、殺処分の対象としてもしょうがない。人間が安全に暮らせることが、第一である。人の生活圏に入れば、何か食べ物があると分かってくるのであるから、そうした習慣を根絶するしかない。
▲5 ▼2
=+=+=+=+=
熊が出る地域に住んでいます。 今までは山の中に入らなければ遭遇することなんてなかった。 でもここ数年で山削って工業団地誘致用の土地整備したり、ソーラーパネル敷き詰めたり、熊の生活圏にガンガン入り込み、生活を脅かす、餌も減って朝夕に人里に出て来る。 危険だから駆除しかないんだろうけど、なんかもっと考える必要あると思う。 少なくとも事業をする前に野生動物の生活状況や個体数など調査した上でことを進めないと。 今の状況見るととても考えてやってるとは思えない。
▲15 ▼2
=+=+=+=+=
昔の事ですが近畿地方の山奥へ渓流釣りへ 装備は登山と同じで熊と遭遇した事があります 幸い向こうもこちらに驚いた様で逃げて行きましたが熊が気になり釣りどころでなくなり 下山した事がありました。最近の熊は人慣れ しているのか民家近くに出没してます 動物保護法、エサ不足、温暖化によるのか 熊含め野生動物が増えていると感じます。 実際に遭遇したらかなり怖いです 人間を殺める人間の生活圏に出没する様なら駆除しか無いと思います。
▲6 ▼2
=+=+=+=+=
特に本州においては、クマが人里に降りてくるようになったのは、自然と人里を隔てる役目をはたしてきた里山が地域のあまりの高齢化・過疎化で管理できなくなってしまっているからだと思っています(北海道はまた違う理由があるかもしれない)。国が関与して森林政策を見直さない限り、人が自らの安全を守るにはクマを絶滅に追い込むしか方法がないのではないかと悲観しています。
▲21 ▼12
=+=+=+=+=
僕は北海道の生まれで、小さい頃、博物館で立ち上がった熊の剥製があり、口を大きく開け、腕を振り下ろそうとした姿がとても怖かった。説明では体長2mぐらいのヒグマ。また、中学の時、先生から子熊でも引っかかれれば大怪我すると教わりました。田母神さんは好きではないけど、この意見には賛成。絶滅は良くないけど、熊・鹿・猪などはある程度駆除は必要。野生動物と人間は同じ世界で生きていけません。
▲38 ▼7
=+=+=+=+=
もう人間を餌と認識してるのではと思う程人里へ出没するよね。 今の熊は人里へも出るし山は彼らのテリトリーだから気を付けないと。 熊の餌に対する執着は異常など執念深いからそれがわからない人間が襲われる。 例え人的被害はなくても人間の営みを阻害するような害獣は人間を恐怖に陥れ子供たちの環境に悪影響がある。 畑や人家・人間に危害を加えた熊は基本的に駆除されるべき。 熊との共存など夢物語だよ。
▲52 ▼10
=+=+=+=+=
「なぜ熊が人里に下りてくるようになったのか」 この点を解決しない限り、単に熊を保護して森に返すというのは意味がない。 動物愛護団体が熊を森に返すべきというのであれば、 この解決策を示して実践して見せるべきではないのか。
実際には、熊を保護的に扱うようになって絶対的個体数が増えた。 そして異常気象等で森林内での食糧が減った。 総じて食糧不足による活動エリアの拡大ではないかと思う。
食糧問題はすぐには解決できないため、 人間に死傷者が出ている以上、個体数調整しかないと思う。 人里に出てきた熊の殺処分は、人里の危険性を知らせ、熊個体数の減少と言う意味でも必要と思う。
▲72 ▼9
=+=+=+=+=
熊は知能がとても高く、一度人を襲った熊は、人の血と肉の味(性別も)を覚えていて、執着して再度襲う性質がある。一度襲うと、その時から人=食料と認識する。 子熊も親熊からそれを学ぶほどだ。
人を襲った熊を山に返せという人達は、熊の知能の高さを見くびり舐めていると思う。
その人達が思うより熊はずっと賢く、生存本能が高い。
逆にその賢さを利用して、人は怖い、人里は怖いところだと教えることで、人の被害も熊の処分も結果的に減ると思う。
熊に人は食料だと認識させてはいけない。
▲12 ▼3
=+=+=+=+=
子連れの母グマが凶暴になるのは子供を守るためであって、
人間だって家族を守るために凶暴になるのは、生き物としての当たり前の本能だと思う。
何も、山奥の熊野根城まで追い詰めて殺せってことではない。
向こうから迫ってくる範囲に対しての殺処分は、どんな生き物にだってある種を守るための当たり前の行動だと思う。
▲10 ▼1
=+=+=+=+=
熊に限らず、動物は我々人間が想像しているよりも、遥かに利口だからね。 以前、家の隅にアシナガバチの巣が見つかって、それを業者に駆除してもらったんだけど、業者が言うには無防備に見えて、実は家の軒下などの狭く見えない所に見張りの蜂が10匹ほど身を潜めていて、巣を壊そうとする敵を攻撃してきたんだそうだ。素人である自分が何の防護対策もせずに駆除していたら、危うく蜂の集団に身体を刺されていたところだった。 しかも、以前あった巣の場所を覚えていて、巣があった場所付近に駆除剤を蒔かないと再び同じ場所に巣を作るのだそうだ。現に、駆除してから、しばらくはアシナガバチが巣のあった場所近くをウロウロ飛んでいた。
▲8 ▼2
=+=+=+=+=
人間の生活エリアに入ってきた熊は問答無用で殺処分する。どこの地域においても例外なく徹底的にやる。何年も何年も継続してずっとやる。人間に見つかったら確実に殺されるって徹底的に覚えさせる。親熊は子熊に下の方(人間界)には降りてはいけないって覚えさせる。 すごい長い年月がかかるけど、こうやって熊の本能に人間の怖さを植え付けさせることによって、結果的にそれが動物愛護につながると思うんですよね。
▲9 ▼4
=+=+=+=+=
人間の生活圏に近寄らせないように努力をした上で、それでも人間の生活圏に入ったのなら殺処分も致し方ないと思う。人間の食べ物の味を知ってしまったら山に戻したところでどうせすぐに戻って来る。それを繰り返すうちに人間に危害を加える可能性が高くなるのなら殺処分と言う選択に行き着くのもやむなしでしょう。 恐らくだけど人間の生活圏で目撃されたクマを殺処分にしたところでクマと言う生き物が絶滅の危機に瀕することはないと思う。
▲18 ▼6
=+=+=+=+=
多分、殺処分についても現実的でない場合もある 今は1頭2頭と一桁台なのでこんなことが言える 現時点での殺処分は確かに妥当でしょう それが例えば100頭単位まで増えてその地域の住民が50人程度だったら、1000と単位まで増えてその地域の住人が500人だったら、熊のテリトリーに人間が入り込んでいると言われ環境破壊と言われる つまりは程度の問題だと思う その時はどこに人間と動物との境を設けるかを真剣に考えないと
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
人間の居住区域とはどこですか住宅を作れば熊は追い出されるのは当然なのですか更にそれは野生動物の生息圏とは別になっているのですか。今回人が被害にあってる場所はほぼ熊の居住区域の範囲でもあります。人は元々は野生動物の生活区域に侵入していったのではないですか。現状や原因をしっかり分析しこうした熊が出現しない対策を立て被害に会わない方策を考えるべきでしょう。そうしなければ殺しても切りはありませんし何より人間は素手では熊に勝てません、力で対抗すれば本能的に凶暴化します、みんなが武器を持ちますか。
▲7 ▼6
=+=+=+=+=
わざわざ森に入って、熊を見つけて駆除わけではなく、市街地に出て、人間の生活を脅かした熊を駆除するのだからいいと思うけど。 仮に。市街地に現れた熊が箱罠にかかって、森に還したところで、その熊は一度覚えた「市街地の生ゴミ等」の匂いを嗅ぎつけ、再び市街地に現れる。 熊の嗅覚は、1キロ離れた血の匂いを嗅ぎつけるといわれている。 市街地に現れた熊の駆除は仕方がないと思う。
▲5 ▼1
=+=+=+=+=
専門家とやらは今だにドングリが不足だのバカの一つ覚えのように言っているが単純に熊の個体数が増えて山に餌が足りなくなり、一方で現世代の熊も人里に降りれば美味しくて大きな果物や農作物があることを学習したから、山でちまちまドングリ拾って食うより人里に下り農作物を食う方が効率が良いことを学習している。今後どんどん被害は増えていくだろう。 対策としては熊をジビエとしてどんどん活用するべくハンターへの補助や処理施設の拡充などを急速に進めるべき。
▲27 ▼11
=+=+=+=+=
人と動物の住み分けは当然必要である。 動物愛護も良いが人間に危害を加える動物はやはり危険動物として扱う必要がある。 昔は熊やイノシシやタヌキ狐等は人間の住み地域にはめったに入ってこなかった。 しかし、今は林が消えて森が開発されてどちらかと言うと野生動物の領域に 人間が入っているようだ。 又最近は気象条件の変化で森のえさが少なくなってきた。 動物たちは人間界に入ってエサが容易に手に入る事を覚えて山より人里の方に 行動範囲を移して来たことが人間と動物の接点が身近になっている。 近年特に熊が人間に危害を加えている。 罠にかけて捉えると山に返す事をしてきたが今はそんな悠長なことは言っていられない。 従ってやはり熊が人里に下りてきたら殺処分も仕方ない。 人命一番が不可欠。
▲6 ▼10
=+=+=+=+=
熊を見つけた場所による、と思う。人の居住地域、特に昨今のように”少し人里離れた民家”に現れるだけではなく、街中を徘徊するようになった個体と、ヒトが山中に、ハイキングで有れキャンプで有れ、あるいは山菜取りであれ、ヒトの方から熊の生息地に踏み込んで遭遇、という二つはマゼコゼにして話すと先に進まなくなる。熊の巣に近づいて山菜取りだとか、クマに臭いをかがせるような熊生息地でのキャンプ・炊爨で遭遇するのは、言っちゃ悪いがヒトの方が避けるべきで、街中に現れ(あるいは牧場・養鶏場でも)普通に住んでいる人に被害を与えそうなのは、少なくとも捕獲→山中への移動、あるいは殺処分。見つけ次第殺処分と言うのも、”共存万歳街中でも熊の好き勝手に”と言うのはどちらも、本当の共存・共生にはならない短絡的思考に過ぎていそう。(何かが何かの役に立ちそれで人の生活が成り立つ部分もあるエコリングの全体をヒトが知る訳ではない故)
▲5 ▼12
=+=+=+=+=
その通りだと思います。 自分の地域でも頻繁に熊の出没が通報されてます。 熊の命より、人間の命のほうが大切です。 もし殺処分反対の貴方の家族、愛犬が熊に襲われたらそんな事言えるのでしょうか? 知床の観光客が熊に餌や食べ物をやってるニュースをよく目にしますが、あの行為が人間を恐れない熊になってしまう事をおわかりでしょうか? 道路に弁当のゴミやなど捨てる輩がたくさん目にします。 その行為が熊の出没に影響する事をわかっているのでしょうか? いずれにしても、熊は見つけ次第殺処分でお願いしたいものです。 私や貴方の家族が被害に遭わない様に…
▲237 ▼27
=+=+=+=+=
殺処分は当然で特に人を襲った熊は必ずまた、人を襲うから殺処分すべきだと思う。 ただ、なぜ、自然に暮らす熊がこんなに人里に現れて人間に接近するようになったのかの検証は必要だと思う。ただ、人間の生活区域に来たから殺せばいいと言うわけではない。 以前、知床の漁師が漁師小屋に熊が鮭を欲しがり近くに来るのを声だけで追い払っていた。絶対、餌をあげないし人間が上だと教え込むと言っていて完全に自然の中に溶け込んでいた。
▲70 ▼19
=+=+=+=+=
昔はマタギなどの狩猟対象になっていた熊、人間は怖いと「記憶」されていたて、親熊から子熊にも教えられていた。過度な野生動物保護により、増えた上、人間への恐れも無くなった。昨今のマナーの悪い登山者が人間界のゴミを山に捨て、人間はうまいものを持っていると知ってしまった熊が里に現れ殺処分されることは不憫な面もあるが、これは棲み分けが出来ていた過去に比べ、お互いにとって不幸なことである、人間への畏怖の再植が必要な時期に来たのだと思ふ。
▲21 ▼5
=+=+=+=+=
賛成です。 熊が人を避けて行動していたのは、人里に出れば熊が殺されていたから。 人間に殺されることなく、人里で美味いものを食った熊は腹が減ったら人里に降りてくる。 何よりも熊鈴や車の音を怖がらない熊は何処で遭遇するかわからず何度でも人が死ぬこととなる。 熊を愛護する人には顔面を剥ぎ取られ目玉が転げ落ちた被害者の写真を一度見てもらいたい。
▲5 ▼5
=+=+=+=+=
北海道の例ではヒグマ保護を33年間行った結果、頭数は2.3倍の12200頭まで増えた。単純計算なら年間160頭くらい増えている。道では、ヒグマの春駆除を再開し、頭数管理に舵を切ったが、ハンター不足などで成果が出るのはいつになるだろうか。全国的にも同じような状況ではないか。
▲10 ▼3
=+=+=+=+=
まだ農耕が普及しない狩猟が主だった古の人達ならば熊であっても食料という認識だったのではないか。きっと勇敢に戦い仕留めたことだろう。ところで熊の数倍、猪は獲られているがクレーマーが騒ぐということは聞いたことがない。何故、クレーマー達は熊は駄目で猪は良いのか。これは熊は食うものだという認識がないからではないか。これからはもっと熊を食うべきだ。
▲1 ▼6
=+=+=+=+=
日本には、オオカミやライオン。虎(タイガースでは太刀打ち不可能)がいないので、動物会の頂点は 必然的に熊になります。 なので、熊は誰にも襲われる危険がないので。どうしても個体数が増える傾向にあると考えられます。 なので、駆除や殺処分ではなくて命を頂く。ジビエ料理店を増やして、熊肉。毛皮。熊の胃などの薬として、人間が食べてあげる。食べ供養が必要だと思っています。 動物愛護団体ではないですけど、駆除や殺処分って 何様なんだよ!神にでもなったつもりですか? と、すごく偉そうで嫌です。 鉄腕ダッシュの考え方が、非常に私には合っています。無益な殺生ではなく有益なさ殺生。豚や牛を食べても愛護団体は騒ぎませんよね? 害獣とは言え、生き物。生き物を殺して良い理由はただひとつ。食べるときだけであるべきです。
▲1 ▼7
=+=+=+=+=
動物愛護者は動物をペットとしか見ていないのではないかな。自分の家でかわいがっている犬や猫と、山で暮らしている熊も同じ生き物なんだからいじめてはならないという、単純な動機に動かされているのだと思いますね。よく見かける光景として公園でキャットフードをばらまいて野良猫やカラスに食わしている人たち。自分が動物を保護しているという間違った正義感にとらわれている。自然動物に餌付けをすることは、自然動物が自然の中で自活していくという習慣を捻じ曲げ、かえって自然の中で生きていくことを困難にする間違った行為だという事に気付いてほしいです。熊は増えすぎていることは間違いなく、大昔から人と熊は縄張り争いをして殺し合ってきたのだから、人から見たら熊は敵だという事は忘れてはならないと思います。
▲19 ▼8
=+=+=+=+=
熊、イノシシ・鹿などは、生態系の頂点の人間が、狩猟をして、食用・防寒用毛皮・漢方薬などで、個体数を調整してきたと思います。
ところが、代替品の出現で、狩猟による所得の減少と、高齢化により、猟師の人数が激減し、森林の整備も不十分で、個体数が増加していると思います。
また、温暖化によっても個体数の増加になり、餌不足で、人間の居住地まで、侵入して、農作物・人的被害を起こしているのですから、田母神氏の仰る通り、個体数を減らす殺処分は、当然だと思います。
害獣の野生動物は、ペットではないのです。
▲2 ▼1
=+=+=+=+=
クレーマーを真面に相手をするのが問題だと思います。クレーマーと判断したら ”クレーマーは相手にしないので二度と電話はお断りします” と明確に丁寧に伝え、一方的に電話を切れば良いだけです。 クマが人間を怖い物だと認識しなくなっており人や農作物に被害を与える事態になっていますから、人の生活圏に近づくクマは処分するしか無いと思います。
▲9 ▼3
=+=+=+=+=
その通りだと思う。熊の出没には様々な理由が重なってるとは思うが、人が生活する事により、国土は守られていると思うし、人が安心して暮らせる事が優先されるべきです。鹿の駆除同様に、人里に現れた熊は、即、殺処分で構いません。猟友会任せにせず、機動隊なりスワットなり、を派遣出来るようにして欲しいです。
▲10 ▼6
=+=+=+=+=
人の住むテリトリーに入ってきたのを見つけ次第殺処分すれば、クマも人を恐れるだろう。
人が死んでも動物愛護、という意見は、ある条件で人が犠牲になれば沈静化するんじゃないかなと思っている。
ある条件とは、未就学児や小学生が被害にあうこと。そんなことは起こってほしくないが、人は殺されてもクマは殺すなという意見は沈静化するんじゃないかな。目が覚めるだろう。
大人なら、クマの危険を回避できるだろう、という潜在的なバイアスが”クマ類憐みの令”に入っている気がする。
▲8 ▼4
=+=+=+=+=
見つけ次第殺処分、その位の意気込みは必要かもだが。誰しも殺処分出来ないのが現実、そんな事出来たら子供でも殺傷能力のある物を持っていることになる。 1番良いのは殺処分せずに熊に痛い目をあわせて山に帰り熊仲間に、人里は恐ろしい舐めてかかると殺られるから絶対に行っちゃ駄目だぞ。 となる事が理想ですね。
そして熊の愛護団体を名乗るのなら電話代にお金かけるより熊が山から降りずに食って行けるように頭使って考えてからその対策にお金を出せよ。 せめてドローンに樹の実や肥料を大量に乗せて山奥でばら撒き成長するのを観測したり、成長の早い樹の実の木を探すとか?文句言う時間あったら未来的に頭使えばいいのにね。
▲6 ▼12
=+=+=+=+=
動物愛護を主張している方達は、被害にあっている人々の痛みと恐怖には向かい合わないのでしょうか 現実に人命が失われる事もおきています。 「殺さずに山へ返すべき」この主張に、自分が費用も出して処置も致します!という方はいますか? 見たことがないのですが。 主張をするのなら、市町村、警察、などに全ての責任を押し付けるのではなく、自らも費用を出し、 処置を行うべき。そして被害に遭った方たちにお見舞金くらい出した方が良いですよ。
▲17 ▼5
=+=+=+=+=
基本的には田母神氏の言う事には賛成。しかし動物愛護も必要だとは思う。「それはそれ、これはこれ」で両立させなければいけない事に思う。
人間の生活圏に出てきてしまった野生動物で人間に被害が及ぶような生物は殺処分も仕方なしと思っている。殺処分にしろ愛護にしろ人間の我儘勝手なのは違いない。
しかし人間には人間の生活や命を守る必要があって、それが確立してから初めて動物愛護という事に神経が使えると思う。自分の生活や命が野生生物によって危ぶまれる中で、どうして動物愛護なんて言ってられるか?
駆除(殺処分)に文句を言う人は恐らく都会生活で野生生物からの危険のない安定した中で生きてる人だろう。当事者の事を考えられない、違った価値観を考えられない残念な人なんだろうなと思う。いくら言っても理解できないんだろうな。
▲4 ▼6
=+=+=+=+=
ボランティアのハンターだけではもはや手詰まり状態。 銃器の扱いに慣れ且つ法律上も許されている警察官と自衛隊から特別に組織化し熊狩専門の訓練をして当たって頂きたいです。 一定数まで駆除しないと住民としては安心して暮らせません。 都会で安穏としていながら実際は何もしない熊森協会などのクマ保護団体の宗教じみた反対意見などメディアも封殺しないとつけ上がります。 駆除する側の安全確保の意味でもカメラと爆薬をセットしたドローンでクマを確実に仕留めるなどの方法も検討すべき。 日中の有視界飛行での誤爆は無いかと思います。 シーシェパードの様な海外の動物過保護な団体からは批判が来るでしょうが、メディアは日本の国土が狭く人間界との境が希薄な事や危険性と駆除しなくては人命が失われると言う事実を大々的に広報周知する責務があると考えます。 保護団体は自分の家族や本人が襲われて尚、花畑論を繰り出せるのか見ものです。
▲5 ▼0
=+=+=+=+=
このクマ災害増加は極めてシンプルな理由です、頭数が激増したこと です、北海道のヒグマ頭数は1990年台は推計5400頭、いま11000頭 と2.2倍です(北海道新聞)。
「野生動物 絶滅の危機」の真逆です、感情より実態・数字をよく 理解することです。 つまり動物(人間も含めて)増えすぎると生息域から外部へはみ出す、 だから人間界に頻繁に出没するのです、慣れすぎでは有りません、 敢えて言うと{危害を加えない(駆除しない)人間界}だから 安心して出没しているのです。
もはや災害ですから強力な行政力(予算計上)が要ります、 駆除を徹底することです。 ボランティアのレベルをとっくの前に越えています、 国会議員の出番です、”人が生きたまま 喰われる” 悲惨な事です。
▲46 ▼8
=+=+=+=+=
熊にとっては 人に遭遇すれば 襲ってくるし、人肉の味を覚えてしまえば あとはいわゆる猛獣だ。熊の命が人より下とは思わないが、人が人間だけのために人だけがわかる国社会を作り上げそこで生きているのだから、熊に遭遇したら殺すべきだろう。 彼らと共存することは出来ないし 普通に戦えば人が必ず死ぬ。 可哀想だけどそうするしかない
▲9 ▼4
=+=+=+=+=
いつもするしないの極論になってしまうのか。お金の問題があるかもしれません
県や市町村はクマが山から降りてこなくなる様にバリケードやGPS対策する膨大な費用はどれくらい出せるでしょうか、国は市町村だけに任せています。 降りてきたら美味しい味を覚えてしまい何度も来ます。クマはいつも猟友会の人頼りです。単発の賃金はボランティアに近いです。
降りてきて人に被害を与えたら殺処分する方が対策よりお金も手間も時間もかからないからなら、この議論は続いて、人やクマの被害は増えると思います。
▲3 ▼2
=+=+=+=+=
クマが人里に多く現れだしたのは、地球温暖化による食物不足や里山の喪失で人との隔離距離が減ったとかの理由が良く言われているが、 近年特に大きな要因と言われているのが、山に設置された太陽光パネルである 植物は育たないし、小動物もいなくなる 太陽光パネルで光は乱反射し生物がすめる環境では無くなる この太陽光で発生した電気を、クマの被害に全く関係のない都会の人間がその電気を利用する そしてクマの保護を叫ぶ 人の安全が第一で有り、クマがその安全を脅かすようであれば駆除しかない 再生可能エネルギーもエネルギーだけの取り出し(利用)はできない 何らかの犠牲とトレードオフなのだ 再生可能エネルギーのトレードオフ(負)の部分をマスコミは言わない 人間を取るかクマをとるか、現実的には何方かを選択するしかない 結果的に人間の安全をとる以外にない
▲52 ▼32
=+=+=+=+=
殺処分したら人の生活圏への出没がへるのかな? どんどん殺処分して絶対数を減らせば確かに減るかもしれませんが、それより熊が人間を恐れることが大事じゃないでしょうか。 熊を殺処分して、他の熊がそのことをどうやって知るのでしょうか。 熊を追いたてて、捕まえたらこわい印象を植え付けてから山に放すといったこと繰り返し、母熊が子熊に人間は恐ろしい生き物だから近づくなと教えるようになれば人間の生活圏に近づかなくなるのではないでしょうか。 徹底的に殺しまくって、ニホンオオカミのようにすることを望んでいるのでしょうか。
▲3 ▼5
=+=+=+=+=
動物愛護の観点から、というより野生動物との共生を考えるうえで、人はどう行動していくかではないでしょうか。 田母神氏の主張はすごく傲慢だと感じます。野生動物に餌付けをしたり、不用意に近づいたりなど一部のルールを守らない人間がいることで起きた事故も多くある中で、それをクマに責任を押し付けて、殺すことで解決しようというのは違うと思います。 私は、登山や山菜取りなどには興味がないわけじゃないけど、やはりクマがいる地域で生活していることを考えると、遭遇する確率がより高いと思われる場所には、行かない努力を心がけています。 クマに限らず、カラスやハト、野良猫に餌付けをする人を以前よく見かけましたが、野生で生きる動物に安易に餌を与えたり、可愛がるのは却って残酷です。人に慣れてしまった動物は自分で餌を取れなくなったり、虐待される危険性も高まります。 野生動物との適度な距離感が私たちには必要だと思います。
▲10 ▼21
=+=+=+=+=
クマが可哀想だと思う優しい心を持つ人が、毎日クマに怯えて時には命を落としてしまう方までおられる状況で、地元住民の方々に寄り添う心を持ってないのはどういう事なんだろう。
自然の中で人間と接点を持たずに生きているクマを殺すのとは意味が違うと思う。
▲58 ▼12
=+=+=+=+=
その通りなんだけどね。 クマから身を守る方法がないのに、人里に降りてきて危害を加える可能性が甚大な状況から保護して森に返すことがどれだけ難しい事か分かっているのか? そして森に帰っても一度人里に降りてきたクマは、味をしめているから何度でも降りてくるぞ。恐怖心何ぞ、一度味をしめたら抑止力にならんわ。
▲66 ▼3
=+=+=+=+=
「人間が行動する場所で見つけたクマは、見つけ次第殺処分にすべきだ」
『人間が行動する場所』って表現が抽象的ですよね。極論を言えば、どんな深山幽谷であっても人が入り込めば『人間が行動する場所』になります。そこで殺処分することを許せば、ニホンオオカミの二の舞になってしまうでしょう。 集落や農地・放牧地などに進出してきた個体を駆除することはやむを得ないと考えますが、深山幽谷で暮らしている個体は別に考える必要があると思います。
▲9 ▼42
=+=+=+=+=
人を殺す能力のある野性の動物人間は 共存できないので隔離すべきです。テレビを見ているだけの人がとやかく言う話ではなく、住人が判断すぺきレベルの話です。なにしろ子供達の命が懸かっている問題なのだから。大人が守ってやる義務があると思う。
▲0 ▼0
=+=+=+=+=
警察や猟友会もさほど当てにならない現状、先日のニュースで、熊を殺傷したニュースが有り地方在住者にお薦めの方法と思います。倉庫に保管の殺虫剤に食らいつき生き絶えたと言うもの、殺虫剤がどういうものかはわかりませんが農業やってる方ならわかると思います。ぜひ試してみて下さい。
▲6 ▼7
=+=+=+=+=
動物愛護と称して「主張の声が大きい人たち」の悪いところは、人間も動物だと考えないところです。
熊が出て来てヒトと対峙するときの優先順位を考えていない。 お互いの(種の)ためにどっちかを撃退しなくてはならないのは当然のことです。
動物好きなら闘犬のピットブルがチワワに噛みついたらどっちを優先的に守るかくらいわかるはずです。なぜクマ相手だと判断が鈍るのでしょうか?
私も動物は好きですが、やむを得ない場合には処分も仕方ないと思います。
▲5 ▼3
=+=+=+=+=
この件については早急にガバナンスを定めないといけないと思う。 早急に決めないといけないことと、長期的にどうするかということについて国が動かないといけない。 誰かさんのエゴで政治が機能不全になってるため、ほったらかし。 動物愛護の方々、反対だけしてどう共存すれば人が死なないか案がなければ、本当の愛護ではない。人間が食物連鎖の中に組み込まれている今の現状は、「愛護」という考えとは全く異なった世界観だってわからないなら、一度野生で暮らしてください。熊の生息域に居る人にとっては、より強い生命体である熊から人間という生き物の「愛護」が必要なんです。
▲8 ▼4
=+=+=+=+=
鹿も猿も猪も熊もみんなそう、保護しすぎた結果、個体数が増えすぎて山の中では食物が足らなくなったのと、メガソーラーなどで山林を伐採し、住む場所が減ったから。むやみな駆除はいけないがある一定の数の駆除は毎年必要だと思う。特に人里に降りて来て餌をあさるような個体は捕まえて山林に放したとしても、また人里に降りてくる、そこには食べ物が簡単に沢山手に入るし、攻撃されないから。動物愛護も何事も過ぎるのは良くないよ。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
正直、人に危害を加えている熊を駆除するなと言う意見は想像力の欠如と、この問題を身近に感じていない無責任な意見だと思います。自分の息子の小学校の近所で熊がでて、休み時間や体育の時間に校庭を使用できなくなっており、妻が毎日車で送り迎えしている身としては残念ながら熊は駆除一択だと思います。
▲11 ▼3
=+=+=+=+=
田母神氏の言う通りです。現在、人の居住地域へ熊が侵入している以上、殺処分以外に方法はない。動物愛護を訴えている馬鹿な事を言っている人の家に熊を連れて行くという方法も一考。それか登別にあるクマ牧場へ動物愛護団体と自然の熊を同居させるという方法もある。それによって動物愛護団体も考え方を変えるだろう
▲20 ▼9
=+=+=+=+=
人里に下りたクマが山に戻って暮らすことは無いのでは。 木の実より美味いトウモロコシ食べたら戻れないでしょう。 クマを食べたことは無いですが、捨てるところが無いといいます。 自然の恵みを有難くいただきましょう。 それが何万年も続く日本人の文化です。
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
この熊議論は、血の気の多い論争好きな人たちの 格好のネタになってしまっており ほとんど議論する意味がなくなっていると思う
分かっている人ほど、冷めた目で見ている なぜ、そんなに主張したいのか、自分には理解できない
電気柵の設置や藪刈り払い、管理されていない柿栗の伐採、残渣の始末など やるべきことをやっても人里に出てくるなら ある程度の殺処分は仕方ないと結論が出ていると思う
▲1 ▼0
=+=+=+=+=
「動物の愛護及び管理に関する法律」(動物愛護管理法)は人の管理下にある全ての動物を対象としている。では自然界についてはどうかというと「鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律」(鳥獣保護管理法)によるとある。熊やイノシシは後者の法律によって人と鳥獣の共存を目的としているが、同時に鳥獣による被害を防ぐことも目的としている。熊が人に危害を加えたら殺処分できるのはこの法律によるからで、ここで動物愛護云々というのは勘違いも甚だしい。人に飼われている動物園の熊なら話は違うだろうが、人の管理下にない自然界の動物に「愛護」という概念はそぐわないから、このように二つの法律があるのだろう。かわいそうだというのなら自分で飼ってみたらいい。
▲2 ▼0
=+=+=+=+=
熊を捕獲し放つ際、そのまま放つのではなく電気ショックで人間に対する恐怖を覚えさせてから山奥に放てば人間に近かなくなるのでは? 昔はマタギが自然の調和を考え熊を狩っていたからバランスもとれ、熊も人間を恐れて人間より先に逃げていた。 熊に人間の恐怖を植え付けなければ、もっと悲惨な事が起こり得る。
▲4 ▼15
=+=+=+=+=
その前に自然動物保護区を物理的に作って、希少な野生動物を人間社会と隔離するほうが先。そのうえで人間が行動する場所での害獣駆除を進めていくべきだな。現状では人間のほうが野生動物のテリトリーに分け入って行って被害に遭っている。ロストワールドの世界じゃないけど、適当な無人島に保護区を作って、観光地化すれば新たな産業になるんじゃない?北海道のクマ牧場をそのまま移転してもいいし。
▲8 ▼28
=+=+=+=+=
クマの戦闘能力を見る限り、ライオンをその辺に放しているのとほぼ同じと考えるべき。かわいそうだと言っている輩はクマをプーさんくらいにしか見ていない。一見かわいい顔をしてるし。人里におりてきた熊は駆除一択です。そうしないと何度でもやってくるし、一度目を付けたものへの執着は恐ろしいくらい強いらしいです。
▲6 ▼2
=+=+=+=+=
人から見て熊というのはいかに大切にすべき動物であろうか…なんて事は、「熊自身」の意識の中で全く関係ないのだ。人間に恩義を感じる訳がない。
熊から見て人間は「駆逐すべき敵」あるいは「食べ物」でしかない。 熊自身のテリトリー内であろうと外であろうと、熊自身から人間が見えたら餌として存在しており、罪悪感なく自然に生えた樹木から果実をもぎ取るのと何ら変わりない。
それを柵がなくても山が豊かでさえあれば人間と共存できる、という愛護家の言い分は「熊に何割かの人間を与えれば共存できる」と言ってるのと同義である。
▲2 ▼3
=+=+=+=+=
今まで人里への恐怖で野生動物を遠ざけてきたけど最近は生ぬるいからな。ペットと野生の違いも理解してない。精神的に幼いんだよな。かわいそうと言ってる時点で幼稚な発想だよ。図体でかいけど子供かよと思う。かわいそうと思うなら自分たちで捕獲して調教すれば?と思う。都会のクマは自然が少ないからと同情はするけど田舎は違うだろ。
▲152 ▼11
=+=+=+=+=
一度でも人間を食べたクマは、人間を食べることに躊躇がなくなることは、村が全滅した事件で証明されている。 北海道では、語り継がれている事件のはずだけど、動物愛護団体の方は、ご存知無いのだろうか。
動物愛護は生命尊重としては分かるが、熊の被害は、想像を絶するもので、熊の生息地近隣に住まれる方にとっては、正に死活問題であることを忘れてはならない。
人間は弱く、脆い生物であり、銃で武装している猟友会の方でも、対抗できるかどうかと言う状態であり、命がけの行為である。
温暖化により餌の状態も変化、熊の行動も変化しており、猟友会の方も高齢化で減る一方な中、熊の捕獲も危ぶまれている。 これ以上のうかつな言動は慎まれたい。
▲3 ▼0
=+=+=+=+=
実際に目の前で見たらそんな動物愛護なんていってられないだろうなって本当に思う。 以前トラックに乗った状態で採石場でウリ坊がトコトコ歩いて来てめっちゃ可愛いと和んでたら親のイノシシ出現して感じたことのない恐怖を感じた。 人間なんて生身の状態では野生の動物には対してあまりに無力。熊を殺処分って言ってるはいるけど、一方的に狩る訳ではない、駆除するにも人間の命が掛かってるということを忘れてはいけない。
▲9 ▼2
=+=+=+=+=
私も賛成です。 被害に遭っていない地域の人や動物愛護団体が何を言おうが、罠にかかった熊であっても、一度人間の生活圏に出てエサにありつけば、味を占めて何回も人間の生活圏にやってきて、場合によっては人を襲う。 こんな危険な環境を放置することはできない。 罠をたくさん設置して、罠にかかった熊から駆除していくべきだと思う。 動物愛護団体や無責任な地域の人たちが文句を言うのなら、罠の中に入れてあげたら?
▲1 ▼1
|
![]() |