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【独自】さようなら、ハルウララ…〝113連敗した負け組の星〟が天国へと旅立っていた

FRIDAY 9/9(火) 17:40 配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/b0da17fd90c401bf04a08a573286524fd89975bd

 

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ハルウララは、かつて日本中を魅了した「負け組の星」として知られる競走馬で、113連敗の記録を持っています。

彼女は千葉の牧場で余生を過ごしていましたが、9月9日未明に亡くなりました。

宮原優子さんは、急変したハルウララの死を悲しみ、死因は疝痛であったことを明らかにしました。

現在29歳で、人間に換算すると約90歳に相当します。

彼女は、リストラ時代のシンボルとしてブームを巻き起こし、その姿から多くの人に希望を与えました。

また、競走馬を擬人化したゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』の人気キャラクターにもなり、若い世代からの注目も集めていました。

ハルウララの存在は、多くの人々に夢や楽しみを提供し、彼女の人生は多くの思い出に彩られています。

彼女の死は多くのファンにとって大きな悲しみとなっています。

(要約)

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2週間前のハルウララ。元気いっぱいだったが…… 

 

かつて「負け組の星」として日本中を熱狂させた一頭の馬を覚えているだろうか。’04年に高知競馬で113連敗という前人未到(?)の記録を打ち立て、その〝弱さ〟ゆえに国民的アイドルとなった「ハルウララ」だ。千葉の牧場で余生を送っていたが、9月9日未明、スタッフらに見守られながら、天国に旅立っていたことがわかった。 

 

「8日の朝は糞をしていなかったので、これはちょっとまずいな、と思い獣医さんを呼んで処置してもらって、夜の間も付きっきりで対処していたのですが……。明け方に容態が急変し、そのまま亡くなってしまいました。本当に残念でなりません」 

 

悲痛な声でそう語るのは、ハルウララが繋養されていた『マーサファーム』の代表であり、『春うららの会』代表でもある宮原優子さん(42)だ。 

 

死因は『疝痛(せんつう)』で、食べ物がうまく消化されないことで腸にガスが溜まったり、腸の動きが悪くなると発生する。馬にとって、発生頻度、死亡率ともに高い危険な病気である。ダービー馬のウイニングチケット、サニーブライアン、ロジャーバローズらも、疝痛が原因で亡くなっている。 

 

「ウララは29歳で、人間でいえば90歳近い年齢だったんですが、本当に昨日までは元気でした。それが急に…。最近は日本どころか、海外からもウララを見学に来てくれる方が増えてきてたんですよ。なので、本当に残念です…」(以下、宮原さん) 

 

◆交通安全のお守りにも 

 

本誌が取材のためハルウララのいる『マーサファーム』(千葉県御宿町)を訪れたのは、8月末。記者の前で牧場を走りまわったり、砂遊びに興じる姿を見せてくれていた。29歳という高齢にもかかわらず、その足取りは若馬のようにしっかりしていた。大きな病気もなく、食欲も旺盛。まさかこの2週間後に亡くなるなんて……。いまだ亡くなったのが信じられない。 

 

ハルウララの現役時代は、まさに異例ずくめだった。1998年のデビューから一度も勝てず、連敗街道をひた走る。普通ならとっくに引退させられるところだが、そのひたむきな姿が「リストラ時代」の世相と重なり、「負け組の星」として大ブームを巻き起こした。1着になることがないから「当たらない」と、その単勝馬券は交通安全のお守りとして飛ぶように売れた。 

 

ブームの頂点は2004年3月。当代きっての名手・武豊が騎乗することになったのだ。当日の高知競馬場には1万3000人のファンが詰めかけ、入場制限が行われるほどのパニックに。日本中の期待を背負ったが、結果は11頭中10着。武豊をしてもハルウララにはまったく“歯が立たなかった”のである。 

 

引退後、ハルウララは千葉県や北海道の牧場を転々とするが、最終的に宮原さんの引退場預託施設『マーサファーム』に辿り着く。宮原さんはウララの余生を支えるため、会費制の『春うららの会』を設立。会員を50人と決め、それ以上は募集していない。 

 

「ウララで金儲けをしていると思われることだけは絶対に避けなければ、という思いが強くありました。今の会費で、ウララを養う分には十分なんです」 

 

◆「感謝の気持ちでいっぱいです」 

 

そんなウララに、予期せぬ転機が訪れた。競走馬を擬人化した大人気ゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』のキャラクターに選ばれたのだ。作中では、負け続けてもけっして諦めない、明るく健気なキャラクターとして描かれ、再び人気が沸騰。若い世代のファンが牧場に足を運ぶようになった。そして2025年6月、ゲームの北米・ヨーロッパ向け英語版がリリースされると、その人気は世界に飛び火した。 

 

「これまでも中国、台湾、韓国あたりの人たちがけっこう見学に来られていたんですが、英語版が出てから、状況は一変しました。牧場見学の問い合わせメールの送り主が、アメリカ、フィリピン、この間はポーランドからも来ました。最近の見学予約は3分の1ほどが海外の方でした」 

 

日本中を駆け巡ったブームから約20年。多くの人に夢と希望を与え続けてくれたハルウララ。ウララが『マーサファーム』で過ごした時間は、彼女にとってもっとも穏やかで幸せな時間であったのだろう。 

 

「最後までわがままを通してましたよ。疝痛の時は腸を動かさなきゃいけないので、昨日も歩かせようとしたのですが、ウララは『イヤだ。私、歩きたくない』って止まっちゃって。でも、わがままなウララだからこそ、たくさんの楽しい思い出があります。ウララには本当に感謝の気持ちでいっぱいです」 

 

FRIDAY9月26日号では、亡くなる直前の2週間前、牧場で目撃したハルウララの元気だった姿を報じている。 

 

取材・文:酒井晋介 

 

FRIDAYデジタル 

 

 

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コメントセクションでは、ハルウララの死を悼む内容が多く見られ、彼女の特異な競馬人生が持つ意味と影響力について深く考察されている。

彼女は113連敗という記録を持ちながらも、多くの人々に勇気を与える存在として愛されたことが強調されている。

特に、「負け続けること」や「諦めない姿勢」を称賛する声が多く、ハルウララが競馬だけでなく、広く社会において重要な教訓を提供したことが伺える。

 

 

また、彼女の引退後の生活についても言及されており、マーサファームでの余生が心温まるものであったことが伝わってくる。

多くの人々が彼女に対して感謝の気持ちを表し、彼女の存在が高知競馬や地方競馬の復興に寄与したことを認識している。

 

 

ハルウララは、競馬界の中だけでなく、一般社会においても多くの人々に知られ、愛されるような「象徴的な存在」であり、「ただ勝つだけではない競馬の魅力」を教えてくれた馬として語られている。

彼女の存在が競馬の概念に変革をもたらし、ファン層を広げたことが強調され、特にウマ娘などのメディアによって新しい世代に受け入れられたことも言及されている。

 

 

ハルウララがどれだけ多くの人々に影響を与えたかを示す意見が多く、彼女の名前が記憶に残り続けることが期待されている。

こうした背景から、ハルウララの死は単なる一競走馬の死に留まらず、競馬界全体にとっての大きな損失であるという意見が目立つ。

 

 

(まとめ)ハルウララは、113連敗を重ねながらも多くの人々に感動を与え、高知競馬の象徴的存在として愛された。

他の競走馬とは異なり「負けても走り続ける姿勢」が評価され、彼女の存在は競馬界における重要な教訓や価値観の変革をもたらした。

彼女の死は大きな損失とされ、多くの人々によって追悼される。

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=+=+=+=+= 

 

普通なら一介の地方馬がここまで取り上げられる事は無いわけで、弱い馬も突き抜け切ればこういう事は起きえます。流石にハルウララには話題性で敵わないものの、今でも時折連敗街道まっしぐらな地方馬がネットニュースで取り上げられる事があり、これもある意味ハルウララのおかげかもしれません。 

 

ちなみに「113連敗」というワードだけ見れば、最下位近辺をウロウロ…というイメージを持たれがちですが、あの超暗黒期の高知競馬にあって何だかんだ言って100万円以上の賞金は獲得しています。最下級クラスの1着賞金10万円、5着賞金5000円の時代ですから意外と入着はしているのです。 

 

▲5237 ▼149 

 

=+=+=+=+= 

 

いろいろな要素が重なって話題になったね。 

名前も覚えやすいし。 

頑張ったからといって必ず報われるわけではないことを象徴するような戦歴だけど、諦めずに何度も何度も挑戦する姿は人馬に関係なく立派だと思う。 

オーナーや調教師も根気よく使い続けたと思った。 

話題になる前から相当負け続けていたわけで、それでも引退させずに走らせていたことで脚光を浴びることになったからね。 

いろいろとお疲れ様でした。 

あっちの世界では他の馬たちと仲良くすごしていればいいなと思います。 

現役時代から今の今まで携わった関係者の皆様と、最後の余生を過ごす場を作ったファームの皆様及び会員の皆様、お疲れ様でした。 

 

▲226 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

負けても走り続けたハルウララ。現役時は武豊も騎乗したり、ウマ娘のキャラクターにもなっていた。未勝利馬でここまで知名度のあった馬、自分は記憶にない。引退直前、急にいい加減な女性馬主に変更となり、いつの間にか引退し、どうなるのか心配になった時もあったがその後、思いやりのある方が引き取ってくれ、悠々自適に今日まで過ごせた事は本当によかった。100戦以上、走り続けたハルウララ。ある意味、彼女も無事是名馬。ご冥福をお祈りします。 

 

▲2191 ▼49 

 

=+=+=+=+= 

 

競馬に一切興味がなかった自分でも知っていたディープインパクトとハルウララ。最近はウマ娘で話題も増えて、ただの治安の悪いギャンブルでしょから賭けないまでも時折ラジオや中継を見るぐらいにはなりました。 

きっかけはウマ娘関連のニュース等でしたが、そもそも擬人化された中でも元を唯一知っていたハルウララがいたからこそ、自分の中で競馬へのイメージ改善等がスムーズに進んだのかなと思います。そういう意味では私の中の競馬の始まりの内の1頭でした。 

競馬の裾野を広げた偉大なる競走馬の御冥福をお祈りします。 

 

▲357 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

引退競走馬の余生は厳しいものと聞くけど、最近では引退馬協会とか後援会や沢山の方々の支援で余生を健やかに過ごせる馬が少しずつ増えている。 

はるうららにはうま娘からこの馬を知った方々から沢山の支援があった様です。この流れが続いていく事を願っています。 

 

▲114 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

愛地球博で働いていた2005年に話題になっていて、今の万博の話を聞くたびにうららちゃん、どうしているだろうと考えていました。 

可愛いお名前に話題性、競馬を知らない人でも印象深かったのでは。 

引退後ものんびり暮らせてたんだね。処分とかじゃなくて安心した。 

愛され上手な馬だったと思います。天国でも人気者だね。 

 

▲237 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

武豊の騎乗したレースの馬券を100円だけ買って、同年に買ったばかりの新車の中にお守りとしてしまっていた。そのお陰が16年間27万キロを無事故で走り通した。廃車にする時に出したら既に真っ白になっていた。 

ハルウララは勝てなくても一所懸命に走り続けた。そんな姿に大きな勇気をもらった。氷河期世代に生まれ苦渋を味わってきた人生だがハルウララの懸命な姿を目に焼き付けて今後も生きて行きたい。本当にありがとう! 

ゆっくり休んでくださいな。 

 

▲1307 ▼23 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララはまさに負け組の星。記事にあるような意味だけでなく、経済動物である競走馬でも、人に愛され、生きる道があることを示してくれた稀有な存在。そして勝てない馬ばかりが集まる、競走馬の終着点とまで言われた高知競馬を救ってくれた希望の星でもあった。生きているうちにマーサファームで会えてよかった。御冥福をお祈りします。 

 

▲1269 ▼37 

 

=+=+=+=+= 

 

そうかぁ…亡くなってしまったのか… 

勝つことこそはできなかったけど、大きな故障もなく100戦以上のキャリアを積み重ねた愛された名馬。 

ハルウララという名前も愛された理由の一つだろう。 

大往生だとは思うけど、牧場関係者の気持ちを思うと悲しいだろうし辛いだろうなぁ…。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲1188 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

高知競馬の救世馬。運命って最後までわからないですよね。ハルウララはこういう運命だったんでしょうね。記録も記憶にも多くの人達に残る無事是名馬。ほんとうにお疲れ様でした。ひたむきで諦めない姿でたくさんの人達に希望をくれたね。ほんとうにありがとう。安らかに…。 

 

▲845 ▼16 

 

 

=+=+=+=+= 

 

本当に波乱万丈な馬生だったと思う。活躍したとは言えないけど、高知競馬を救った馬ではあるし、勇気付けられた方も多いはず。でも引退後にいろいろあり、一時は殺処分もありえたとか。 

心ある方やファンに支えられて長生き出来て良かった。 

 

▲622 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

馬に疝痛はつきものと言っていいくらいよくある病気で、それも突然やってきたりするし回復する馬もいれば残念ながらそのまま死んでしまう馬もいる。 

私が見てきた中では季節の変わり目など急な気温変化があると起こりがちだったので、そんな日が2〜3日続くと警戒するようにはしていた。 

しかし本当に何がきっかけで起こすかわからないし、ついその朝までは変わりなく元気だったのに日中様子がおかしくなって手当ての甲斐なく翌朝までには死んでしまったりということもあった。 

これまで牛・馬・羊・山羊などと接してきたしそれぞれいろんな病気があるけど、そういう点では馬が一番デリケートな気はする。 

ハルウララは2週間前の写真を見てもかなり元気そうで高齢には思えないくらいの活力が伝わってきた。 

最後に苦しい思いはしたけど、老後を元気いっぱいに過ごせていたんだろうね。 

 

▲419 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

高知競馬界にとって神様のような馬だったと思う。 

負けた馬にスポットライトを当てることに疑問を持っていた人もいたけど、この馬がいなければ今の高知競馬もなかった。 

一つの競馬場を救った名馬でした。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲545 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

先日のグラスワンダーといい対極ながら記憶に残る名馬たちがぞくぞくと…。 

過去から現代にかけてハルウララという存在でどれだけの人間や馬達が救われてきたか。 

オグリキャップなどとはまた違う成績だけど人に愛されることの大事さを伝えてくれました。 

本当にお疲れ様でした。 

ゆっくり休んでください! 

 

▲331 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

当時高崎に買いに行って、馬券を今でもお守りと信じて持ち歩いてます。長い間よく生きてくれたし、引き取ってくれた関係者の方に感謝しかないです。そんな方々に少なからず募金が出来るようならしていきたいです。無事是名馬。 

今まで勇気を与えてくれてありがとう。安らかに。 

 

▲247 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

今年の7月頃でしたか、引退した競走馬にファンが牧草代を応援できる「生牧草バンク」というクラウドファンディングで、ハルウララに数年分の牧草代をまかなえる寄付が殺到してるというニュースを見たばかりでした 

あれから2か月たったばかりで、こんな悲しいニュースに接するとは思いませんでした 

ハルウララが安らかに旅立ったことに、哀悼の意をささげたいと思います 

 

▲218 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララと言えば競馬知らない人でも知ってるビックネーム。 

高知競馬場に人々の注目を集め、その後の高知競馬場復活の礎になった女傑です。 

武豊が騎乗したり、引退後一時期行方不明になったり、ソフト競馬で念願の初勝利を掴んだり、某ゲームのせいでとんでもない量の生牧草を世界中から集めたりと話題に事欠きませんでした。 

 

競馬関係者からは決して良い印象は無かったようですが(やはり勝ってナンボの世界ですし)、競馬に興味のない人に対してもその間口を広げたと言う意味では大きな活躍をしたと思います(ナイスネイチャやディープボンドと言ったいわゆるブロンズコレクターとはちょっと違いますが)。 

 

▲193 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

何年か前に運よく予約が取れたので見学に訪れました。餌をあげるタイミングで凄くアピールしてきたのを覚えています。 

競馬に詳しくない自分でも知っているくらい知名度は抜群の馬だったと思います。大きな故障もなく100戦以上のキャリアを積み重ねた愛され、そして1つの競馬場を救った名馬だと思います。 

引退後にソフト競馬で1着取ってましたね。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

▲97 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

引退後、色んな変わった人や思惑を持った人が集まってきて、一時ハルウララの消息が途絶えたと聞いていた。 

しかし最後、しっかりした牧場に引き取られて、会員制で予算を組んで、余生を送っていたのは知りませんでした。 

 

競走馬の引退後は暗い。ほとんどは馬肉の産地に送られて、ドッグフードなどになる。自分は乗馬をやっていたことがあるんですが、競走馬上がりの乗馬は難しい。気性が激しい子が多く、人間が嫌いになっている子も多い。ただ国体で優勝するような馬は、子供の頃から乗馬用に調教されており、むちゃくちゃ高額。そこで時々、競走馬上がりで、乗馬に引き取られる子もいる程度。だからそこまで数がいるわけではない。 

 

ハルウララも人間に翻弄された馬生だったと思うが、最後は穏やかな時を過ごせてよかったと思う。 

 

▲193 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

2000年代、地方競馬が軒並み廃止されていく流れの中で高知競馬ひいては四国の競馬を救った大英雄。 

私としては高知競馬だけでなくマーサファームのある御宿町を知るきっかけになった馬なので、もう会えないのは残念です。 

先に逝ったハヤテくんやゴットフリート号らに会えているといいですね。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

▲106 ▼4 

 

 

=+=+=+=+= 

 

運営がカツカツで1着賞金も最低レベルだった高知競馬を救ったヒロインです。80連敗をした頃から昼のワイドショーでも取り上げられて連敗を重ねる度に報道され黒船賞で武豊騎手が高知競馬に来るから騎乗してもらった時には溢れんばかりの人でごった返していました。 

 

弱くても誰かを救えるヒーローという存在でした。ハルウララで種を撒きグランシュヴァリエが育ててきた苗が高知競馬を復活させ、賞金もドンドン上がり馬房に空きが無くなるほど人気競馬場へ復活しました。今までお疲れ様でした 

 

▲111 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

うーちゃん、今までありがとうございました。 

以前、ファームに差し入れをさせてもらって、うーちゃんに食べてもらえたのは良い思い出です。 

人間によって生を受け、競走馬として一生懸命頑張ってくれて、紆余曲折ありましたが、終の棲家で過ごした29歳の馬生。 

仲良しのアミちゃんも出来て、きっと幸せな日々だったと思います。 

皆がこのような馬生を送って欲しいと切に願います。 

仲良しのアミちゃんも寂しいでしょうね。 

今の高知競馬があるのも、ハルウララブームがあったからだと聞きました。 

うーちゃんはただだた一生懸命生きただけだと思いますが、彼女は偉大な存在でした。 

寂しいですが、どうかゆっくりおやすみください。 

ご冥福をお祈りいたします。 

 

▲129 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

最初はテレビで特集されたことで注目を集めたと思いますが、景気が悪化の一途を辿っている時代もあって、負け続けても走り続けるという姿に感銘を受けた人たちも多かったですね。 

高知競馬自身も中津競馬の唐突な終了によりなんとかして注目を集めようとしていたのもありブームとなりましたが、 

この時のブームで一時的にでも浮揚しなければ今日の高知競馬はなかったでしょう。 

競馬は当然1着を競う競技ですが、馬と人の関係というものはそれだけでは計れないということを教えてもらった馬でもありました。 

謹んでご冥福をお祈りします。 

 

▲14 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

もちろん現役時代にはなんとか1勝をと思っていたが負け続けても走り抜く姿には感動しかない。負け続けても無事におうち(厩舎)に帰れることは当たり前ではないんです。 

大好きだったライスシャワーも不慮の事故で亡くなった。ライスシャワーだけではない。無事にゴールしておうちに帰れることが奇跡かもしれない。勝てることは出来なかったが最後までおうちに帰れたハルウララこそ「無事是名馬」です。 

ありがとうハルウララ、、、レースの無いお空で元気よく疾走してね。 

お疲れ様でした! 

 

▲62 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

競馬はしませんが、当時ハルウララだけは買いました。勝てなくても勝てなくても、走り続ける姿が、何か心に訴えるものがあると思ったから。結局はどんな人間も、勝ち続けるという境地に至るまでには、そうとうな努力とひたむきさが必要な訳で、ハルウララはそのひたむきさを教えてくれた馬だったなと思います。亡くなる晩年まで走る姿を見せていたと言う事は、やっぱり走るのが好きだったのかも。穏やかな引退生活を送れていたようで、良かったです。空の上でも、自由に好きに駆け回れますように。 

 

▲45 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

昨今ウマ娘の影響で若い世代を中心に世界規模で日本競馬の馬たちがたくさんの方に愛されてる。 

とくにハルウララは人気が高く日本を含め世界中のファンにとって今日はとても悲しく寂しい日になりますね…。 

どの馬よりも勝てなかったけどどの馬にも負けないくらい沢山愛された名馬、どうか天国で安らかに、楽しく穏やかに過ごされますように。。 

 

▲75 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

高知ではマイネルバルビゾンという16歳の馬が現役で走ってます なんとゴールドシップやジェンティルドンナと同期の馬です 

ハルウララと違って彼は未だに掲示板圏内に好走したりします 今年も2度馬券に絡みました 

おじさんとしては応援せずにはいられません 

くれぐれもケガに気をつけて頑張ってほしいです 

 

▲68 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

負けても負けても挑戦する姿は、何か忘れていた大事なことを教えてくれたハルウララ。負けることが恥ではない、一生懸命に頑張って負けたなら仕方ない。だが、挑戦しないことが恥、真の負けだし、一番やってはいけない負け方なんだよと教えてもらった名馬。一生懸命に走った。最後まで頑張った。お疲れ様、天国ではゆっくり休んで、またたくさん走って、いつか勝利を手にして欲しい。 

 

▲19 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

平成以降で最も話題になった馬を3頭選べと言われたらディープインパクト、オグリキャップ、そしてこのハルウララではないでしょうか 

競馬を知らない人たちでもこの3頭は圧倒的に認知度が高い 

前者の2頭は強さで人気を得ましたが、ハルウララは弱さで人気を得ました 

しかし、高知競馬を救いネット馬券の普及に襷を繋ぎ地方競馬までをも救ったと言っても過言ではない存在(ハルウララがいなければ高知競馬は閉鎖し地方競馬の閉鎖の連鎖は加速していたでしょう) 

日本競馬を支えるレジェンド武豊を背に乗せひたむきに走る姿 

弱さで人気を得ることに否定的だった武豊の競馬への向き合い方や考え方まで変えてしまった馬 

競馬の歴史を語る上で避けて通れない存在にまで上り詰めた"本当の名馬"だったと思います 

今はただ天国でも元気に走り回る姿を想像することしか出来ません 

御冥福をお祈りいたします 

 

▲78 ▼10 

 

=+=+=+=+= 

 

最近はウマ娘の影響で海外にも日本の競走馬ファンが増えたようですが、その中でもハルウララはすごく人気だったみたいですね。他の方も触れられているように一時期は所在不明になっていましたが、最終的に天寿を全うできたことはハルウララ自身にとってもファンの皆さんにとっても良かったのではないでしょうか。ご冥福をお祈りします、向こうでゆっくり過ごしてください(⁠^⁠^⁠) 

 

▲15 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

鉄火場の数字でしかなかった馬に、素晴らしい生き様・ドラマがあると伝えたのがハイセイコー。競馬はただのバクチではなく、老若男女が感動して楽しめるスポーツだと知らしめたのがオグリキャップ。競馬は勝利だけが価値ではなく、好きな馬を推してもいいという概念を生んだのがハルウララ。日本競馬の概念を変えた三大名馬です。 

 

▲54 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

高知競馬でも全く勝てないような馬がワイドショーで取り上げられ、引退後もウマ娘によってキャラクターとなった。 

譲渡問題もあったし、波乱の馬生であったが、29歳は大往生だ。 

天国ではゆっくりと休んでほしい。 

 

▲289 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

当時競馬も出来るような歳でも無く、競馬に興味があったわけでも無いがテレビで結構放送していたのは覚えています。 

競馬に興味を持ってからハルウララの功績は競馬で勝つ以上の結果を出した馬だと知りましたね。 

高知を盛り上げて日本に勇気を与えたハルウララは凄い馬だと今は分かりますね。 

お疲れ様でした。 

安らかに 

 

▲10 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

先日のグラスワンダーに続いて、現役時代を観戦していた馬たちが次々を天国へ旅立っていってしまう、 

年月が過ぎていけばいずれ来ることはわかっていましたが、いざ来てしまうと胸が苦しくなってしまう 

本当にご冥福を、競馬界に多大なる貢献をありがとう 

 

▲82 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

連敗記録ならもっと負け続けている地方競走馬は他にいたが、ハルウララが注目を浴びた。 

競馬は勝負の世界で勝者が賞賛されるべきと苦言を呈していた豊さんも、負けて喜ぶ高知のお客さんを直に見て、ハルウララの存在を認めるようなことを言った記憶がある。 

特別な星の下に生まれたんだろうな。弱かったけど特別な何かがこの子にはあったんだろう。 

一度会ってみたかった。安らかに。 

 

▲30 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

祭り上げられたヒロインだったとしても、ヒロインを演じ切った偉い馬だと思う。蓄えを作って高知競馬を救い、ギャンブル以外の競馬の魅力を改めて世に知らしめた。 

行方不明じゃ後味悪かったけど、ちゃんと生き延びて、ウマ娘ファンにも顔を見せて天寿をまっとうした。本当の意味での名馬ではないかもしれないけど、莫大な功績に見合う幸せな生涯でよかった。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今ネットを開いてニュースを知り、ショックです。 

ハルウララ、不遇の身の上で一時期所在不明、生死不明になり 

ようやく発見されて晴れてマーサファームにて落ち着いた経緯を知ってます。 

時折、引退馬協会のHPを見てウララちゃんの近況を楽しんでました。 

戦績は113戦、獲得賞金が112万円…馬主さんと厩舎の努力は大変なものだったでしょう。それでも高知競馬をもり立て、「引退馬」の知名度アップに貢献し、恵まれた馬生だったと思います。 

たくさんの人に惜しまれて旅立ったハルウララちゃん、お安らかに。 

 

▲26 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

アイドルホースとして勝てる見込みがないレースに出され、引退後はチヤホヤされてた現役時代とうってかわり一時は消息不明になるほどに人間に振り回された馬生ではあっただろうけど 

最後は優しい牧場に引き取られゆったりとした余生を過ごせた様で本当に良かった。 

ハルウララが現役時代はもちろん引退後も大きく日本の競馬界に影響を与え 

その功績が後の引退馬達への道標にもなって本当に凄い 

 

レースに勝つことだけが名馬ではないのを体現した数少ないが紛れもない名馬だった 

 

▲33 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

なんかドキュメントで見たんだけど 

 

レース前に競馬場の待機所から馬場に出るとき足がブルブル震えていたらしいですね。レースが怖くて 馬もおとなしい性格の子もいますからね 

 

それでも一生懸命走る姿にみんなが心をうたれたんだね。 

本当に一生懸命に生きたと思います。ゆっくり休んでほしいです 

 

▲43 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

あの頃日本中が応援していると言っても過言じゃなかった。現地に赴くとか競馬番組見るとかでなくニュースで偶然勝敗聞くだけの人とかまで含めると。無敗となるとやはり次こそは勝たせてあげたいと思うし、あと見た目もすごく可愛いし。 

特に競馬ファンではないけどこの訃報には涙が出た。ご冥福をお祈りします。 

 

▲0 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

当時、競馬には興味がなかったが、テレビニュースで取り上げられているとみていた記憶がある。負け続けていても応援したくなる、何か人を惹きつける魅力がある馬だなと思ってみていた。最近ではウマ娘でみて懐かしいなと思っていた。天国でもたくさんの人に可愛がられてすごして下さいね。ご冥福をお祈りします。 

 

▲9 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

高知競馬存続の立役者ハルウララのご冥福をお祈りいたします。 

紆余曲折あって命の危険もあった中、誠実な対応され最後もしっかり看取っていただいたマーサファーム代表へも感謝申し上げます。 

記事にもありますが、海外のウマ娘ファンにも人気の名馬です。1勝も出来ずこれだけワールドワイドな競走馬と考えると唯一無二の存在でしょう。 

個人的には存命のうちに会いに行きたかった。 

 

▲31 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

今の高知競馬があるのもハルウララブームのおかげで、その貯蓄でコロナ禍を乗り切れたと聞いた。 

当時すごい盛り上がったけど、勝てない馬の馬券をこんなに売ることは正しいのか、って葛藤もあったとか。 

でも、みんなあの走る姿を応援したよね。 

 

▲51 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララがアイドルホースとして脚光を浴びて高知競馬に盛り上がりを見せてくれたのも良い思い出。 

1勝も出来てターフを去った馬は他にもいるのに、ハルウララは幸せだった。と言われれば詭弁かもしれないが、ファンの助けがあって養生が出来たのは詭弁ではなく幸せだったと思う。 

 

▲59 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

武豊騎手が乗ったときは高知にすごい人が集まった。当時は地方競馬が生き残るかどうかの瀬戸際だったので、ハルウララは間違いなく高知競馬の救世主だったと思います。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲161 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

競馬ファンではないアラ還の自分には70年代のハイセイコー・ブームと重なる面がある。ハイセイコーの場合、地方競馬出身の雑草馬が中央競馬界で活躍、といったストーリーが(現実とは異なっても)受けて歌まで作られた。 

 ハルウララの場合も、まず名前からして日本人がはかなさを仮託しそうな名前であり、ちょうど就職氷河期、リストラ時代に共感を呼んだのではないか。ハイセイコーも30歳で天寿を全うしたようだが、ハルウララもしあわせな余生だったのではないか。特にゲームの普及で海外でも人気が出たところなど今の時代を反映している。昭和のハイセイコーと並んで平成の「世相馬」と呼べるかもしれない。 

 

▲32 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

競馬を知らない方でも、「オグリキャップ」「ディープインパクト」に続き、「ハルウララ」と言う名は知られていたのではないか。 

 

可愛くて、食欲が旺盛で。 

あの怒涛の世代の中でも、ひときわ輝いていたと思う。 

例え優勝レイがなくても、何よりも素敵な名馬です。 

 

お疲れ様でした。 

これからもずっと大好きです。 

 

▲31 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

人々に感動を与えた「負け続けても走り続ける」その「ひたむきな姿」は、実は、「走りたくない」と言うハルウララの「わがまま」だったのかもしれない。 

マーサファームの宮原さんの言葉を聞いて、ふと、そんな事を思った。 

ハルウララが当時、「何を思って」走っていたのかは、知る由もないが、「負け組の星」として輝き、人々に勇気を与えたのは紛れもない事実。 

どうか安らかにお眠り下さい。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

「29歳という高齢にもかかわらず、その足取りは若馬のようにしっかりしていた。大きな病気もなく、食欲も旺盛。まさかこの2週間後に亡くなるなんて……。」 

↑。 

という事は、あまり大きく長く苦しまれる事無く、この年齢までずっと元気で大事にしてもらえてたと思うと本当に幸せだったんだと思えました。 

うまく話題性に乗れたためとはいえ一介の未勝利馬でここまで末永く大事にしてもらえるなんて実際にはあまりないと思うと同時に、本当に良かったと思います。 

負け組どころか人生的にはものすごく勝ち組だったのはすごい強運の持ち主で「当たらない」からこその交通安全のお守り化でしたがこの子にとっては大当たりだったのではないかと。 

何の事故でもなんでもなく最高の形で天国へと旅立たれたと思えばこそ、素直な気持ちでご冥福をお祈りしますと言えて良かったです。 

 

▲24 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

競馬を知った頃から地方競馬が連鎖廃止て 

高知も首の皮一枚状態 

そこに現れたのがハルウララだったな 

私としては、ウマ娘よらりもニッポーテイオー産駒のハルウララだな 

長い間本当に本当にお疲れ様でした 

心からご冥福をお祈りします 

 

▲85 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

高知出身の私にとって、高知競馬場で活躍するハルウララは故郷の星でした。(負け犬の星ですが) 

負けても懸命に走る姿が素晴らしかったですが、勝てなくてもすぐに引退させるのではなく、見守る方々も素敵だったなと思います。 

また、引退後も、穏やかにすごされたようで良かったです。 

2003年のブームの時だけでなく、ウマ娘でも取り上げられ、幅広い国の方、幅広い世代の方から愛されたのですね。 

どうか天国で安らかにお眠りください。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

高齢になり病気になると容体が急変するって事は、人間も馬も変わりがないと言うことか・・。 

競走馬は怪我をすると安楽死させる可能性が大きいと聞いたことがあるから、それを思えば例え負け組であっても長生きできたことは良かったのかも。 

ご冥福を祈ります。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

59歳、役職定年を過ぎてしまいした。 

自分かそうなるのかを知ってか知らずか、20年前、黒船賞の単勝馬券を買いました。 

今も大切にしまってます。 

けど、この20年を振り返れば、自分なりには精一杯頑張ってきたと思っています。 

ハルウララもそう思いながら天馬になったと思います。 

ありがとう、ハルウララ 

 

▲41 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

馬が好きで走っていたかどうかは別ですが無事これ名馬の代表ですね 

負ける続けても当たらないだから安全のお守りとか言われてとっても人気が出ましたね 、武 豊にも騎乗してもらって 

高知競馬のアイドルホースでした 

あの世でゆっくり休んでください 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ウマ娘の海外版スチームを出してから 

海外でウマ娘が人気になり 

ハルウララが大好きになった外国人が大量に現れ 

ハルウララに牧草支援をする外国人が余りにも多く、引退競走馬への牧草プレゼントを受け付けるサーバーがダウンするほど集まった 

 

ウマ娘からリアルのハルウララを知った外国人達が実際に会いたいと懇願し、みんな長生きしてるハルウララに目を細めていた 

 

寿命を全うしたのは素晴らしい事 

ハルウララのおかげで立て直した高知競馬場 

ネームバリューだけならオグリキャップやハイセイコー、ディープインパクトにも劣らない 

 

ワガママで気分屋なタイプだったハルウララ 

天国でも気の向くままに過ごして欲しい 

 

お疲れ様でした 

 

▲58 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

競走馬として活躍出来ませんでしたが 

勝てない馬として社会現象になり結果的には高知競馬を救った。 

最高のアイドルホースでしたね。 

引退後は色々ありましたが 

 

最近はウマ娘の影響で日本はもちろん海外の人にも愛され 

マーサファームで幸せな晩年を過ごしてましたね。 

 

本当にお疲れ様でした。 

 

この先このような社会現象になる競走馬が出てくるのは難しいでしょうね。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

競馬をやらない私でも名前を知っている数少ない馬、ハルウララ。レースでは負け続け賞金も稼げなくても、懸命に走る彼女を見たいと人々が集まる。勝負は勝ち負けだけじゃないと教えて貰った気がします。誰より弱くても、老若男女の誰からも愛された稀有な競走馬。辛いこともあっただろうけど、最期まで愛され大事にされた幸せな「勝ち組馬生」だったと思います。ゆっくり休んでね、有難うウララ。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

頑張って馬生を全うしたと思う。 

一度だけマーサファームに会いに行った。もう一度会いに行こうと思っていた矢先の訃報。残念でならない。 

彼女は負けても負けても走り続けた馬。自分が高知競馬ファンになるきっかけをくれた馬。本当に感謝しかない。今はとにかく安らかに眠って欲しい。ありがとう、ハルウララ! 

 

▲25 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

当時の人気も凄かったが、今の若い人達もウマ娘等を通じて好きになってくれた人達も多いよね。 

ましてや海外にまで知れ渡るとは…。 

現役時代は勝つことが出来なかったが 

 

「愛されるという勝ち方もある」 

 

本当に君にピッタリなフレーズだと思うよ。 

向こうでもいっぱい愛してもらうんだよ。 

 

▲30 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

父にニッポーテイオーを持ち、Wikipediaには主な代表産駒と記載されており一時期ニュースにも取り上げられた名馬(?)でしたね。 

逆に強かったディープインパクトは好きでしたが最近はサンデー系の割合が多く面白くなくなったので古くからの零細血統から爆発が出ないかなと夢見ています。 

 

▲1 ▼4 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララは負け組ではなかったと思います。本当の負け組は、挑戦することもせず言い訳ばかりして行動することができない臆病な人のことを言います。そんな人はハルウララの足下にも及ばないので自分とハルウララを重ね合わせるなどという愚かな思考は持つべきではないのです。弱々しい一歩を踏み出してゲートインするべきです。きっと笑われることでしょう。しかしそれもまた人生です。 

 

▲29 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

こないだのグラスワンダーに続きハルウララまで… 

今は足を洗っていますが自分が競馬をやってた頃の馬が旅立ってしまうのは仕方ないとは言え悲しいものですね 

ウマ娘で久しぶりに名前を見た時はなんだか旧友と再会したような気持ちになったのを覚えています 

潰れかけの高知競馬を救った英雄でしたね 

そういう意味では歴代の名馬たちに勝るとも劣らない功績を残したのではないでしょうか 

御冥福をお祈りします 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

子どもの頃、競馬に興味のない自分でも知っていたのはオグリキャップとハルウララでした 

ハルウララは名前の可愛さもあって一時期はワイドショーをホントに賑わせましたよね 

武豊の「なんで勝てない馬を応援するんだ」からの騎乗後の「少しわかった気がします」が 

ハルウララという存在がエリートジョッキーの競馬観に少し影響を与えたのかな?とか 

長い間本当におつかれさまでした。天国では人間に振り回されることなく自由に走ってください 

 

▲17 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララが現役だった頃に 

高知競馬場にちょうど行く機会があり 

現地で買ったハルウララのスタンプを押した馬券を 

免許証と一緒に財布に今でも持っています 

 

引退後も波瀾万丈で 

一時行方が知らされていない時期もありましたが 

ここまで長生きできてほんとよかった 

 

▲8 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララ 競走馬として最後の最後迄 

走り切る姿はみんなの心に感動を与えたと思う 

確かに成績は113連敗ですが、 

何でもそうですけど力尽くしてやる懸命な姿は 

とってもとっても素晴らしいし、感動があります お疲れ様でしたと言いたいです 

ご冥福をお祈りします 懸命な姿を見せてくれて 

有難う 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララ名馬では無いものの負けても走り続けるその姿投げ出さず立派でした。 

後年ではその姿を可愛らしくウマ娘になりましたね。 

 

勝ちはなくとも見事に生き抜きました。 

お疲れ様でした…上の世界ではゆっくりと過ごしてください。 

 

競馬場を楽しませてくれてありがとう。 

 

▲5 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララは本物の馬は見たこともないし知らなかったんですがウマ娘をきっかけに名前と一度も勝ったことない馬っての知りました! 

他の馬でも全く勝てない馬がいたと思うんですけどなぜハルウララだけはこんなにも愛されたんだろう?って知りたくなりましたね! 

ご冥福をお祈りします 

 

▲9 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

私も人生につまづいているときに、高知競馬場に行き、初めて「馬券」というものを買いました。 

もちろん「ハルウララ」で。 

女の子らしいかわいい鞍のカバーが印象的で、一生懸命走っていました。 

結果はやはり勝てませんでしたが...。 

 

あれから20年経ち、私は無事に定年退職できました。 

「ハルウララ」に励まされたおかげです。 

馬券は、今も私の免許証に入っています。 

 

ありがとう、ハルウララ。 

あの世でも、伸び伸びとマイペースで楽しんでください! 

 

▲10 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララは本当に高知競馬の救世主。累計88億もの負債を抱え高知県がそれを負担したことでこれ以上の赤字を出せば競馬場の廃止だった。それをたった一頭の馬が継続を決定させひっくり返す。しかも未勝利で。 

敗戦記録で言えばハルウララより上もいる。ただ時代やブームもあってハルウララの記録保持者だったと思ってる人もいるだろう。 

地方競馬出身と言えば笠松の星オグリキャップも地方から頂点へ駆け上がりそのサクセスストーリーと白毛の見た目がブームになった。しかもあの引退試合の有馬記念で日本中を熱狂と涙にした。 

そんな王道ストーリーがあるなら人気になるのもわかる。 

ただハルウララの本当に凄いのはただ負け続けただけ。 

なのにハルウララ専用の馬券販売スペースができたり、地方に全盛期の武豊が騎乗したり(あの日は1日で8億もの売上を出した) 

こんな負け続けることで救世主になるほどの活躍をする馬は今後現れないと思う。 

 

▲20 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

とうとうハルウララが向こうに旅立ったか。 

現役引退の原因となった当時馬主だったA女史は許せない(ハルウララで金儲けして最後は面倒見切れなくなり放棄した)けど、その後マーサファームに行き着き、代表の宮原さんが立ち上げた『春うららの会』に支えられてきた余生は幸せだったんじゃないかと思う。 

 

▲2 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

僕はハルウララ現役当時まだ生きてなかったけどめちゃめちゃ弱い馬として名前は知ってる 

でも見たことはないけど競馬ファンとして当時の競馬を盛り上げた記録より記憶に残る馬だったと思う 

安らかにお眠りください 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

勝てなきゃ用無しというような扱いを受ける競走馬の世界で、どれだけ負けても大人気で応援してもらった馬も珍しいですよね。 

 

正に大ブームの盛り上がりで、競馬に興味がなくとも知っていたり、それがきっかけで競馬場へ向かう人も現れたほどでした。 

 

亡くなったことは非常に残念ですが、最後まで元気に余生を過ごせたこと、そして何より、これだけの年月が経っても尚、亡くなったことが取り上げられるのはそれだけ愛された証拠ではないでしょうか。 

 

天国でもお元気で。 

 

▲33 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララ、本当に人間に翻弄された馬でしたね。 

現役時代のローテーションを見れば分かりますが、あんな使い倒しのローテでは勝てるわけ無いんですけど、出走手当は貰えるのでそれ目当てのハードローテで5年以上も走らされ続けて(武豊騎手が乗った時はレース後に「こんなに負ける馬じゃない」との発言もありました)。 

引退時も大変な人気があったので基金を設立すれば引退後は安泰だったはずなのに行方不明に(引退までに馬主も数回変更されてますけど、名義貸しとか金目当てとか色んな噂が飛び交ってましたね)。 

その後かなりの時間が経ってようやくマーサファームに来た頃にはもう高齢になってましたけど、そうじゃなかったらハルウララの子供や孫が競馬場で走っていたかもですね。これほど競馬界の闇を孕んだ馬も少ないかと思います。 

今までお疲れさまでした、ハルウララのご冥福を祈ります。 

 

▲13 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

涙が出そうです。「マーサファーム」さん、ウララを看取ってくれてありがとうございました。ウララは波乱万丈の人生(馬生)だったと思います。人間でいえば90歳なら天寿を全うしたと言えるでしょう! 

 

北海道で生まれ、競走馬としては小柄で引き取り手がなく、高知競馬ならと 牧場が馬主となり、宗石調教師さんのもとに預けられた。いつしか連敗馬として大人気、武豊も騎乗(この時がピークか)その後,交代した馬主の強制的引退などがあった。行方の知れない時期もあったけど最後は幸せな引退牧場で過ごせてよかった。高知競馬時代、あのウララの桜色の泥除けマスクは、調教師の宗石さんがウララのために手作りで作ったものだった。宗石さんは今どんな気持ちでいるのだろうか。 

 

▲24 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

人間にも言えるが、高齢になると昨日まで元気だったのに翌日に容態が急変して亡くなるのは、よくある事です。私の曾祖母がそうでした。 

ブームの時は人間の思惑に振り回されたけど、引退後は穏やかな日々を送れたのはハルウララにとって幸せだったと思います。 

心より、ご冥福を祈ります。 

 

▲16 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

負け続けた事がピックアップされていますが大きな怪我もなく100戦以上走り抜いた事が何より凄い事だと思います。 

 

負け続けた事により大きく取り上げられ余生を穏やかに過ごせた事は本当に稀有なケースで天国でゆっくりと休んでねって気持ちです。 

 

▲73 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララとは完全に別の話で申し訳ないのですが、 

2年近く前、名古屋競馬に所属していたヒカルアヤノヒメという馬がいました。 

彼女は2023年19歳で生涯を終えたのですが、なんと19歳まで現役で走り続けたのです。通算成績は311戦14勝。素晴らしい記録ですが、何より記憶に残る馬でした。この記事をきっかけに名前を出しておきたいなと、投稿しました。 

ハルウララが高知競馬を盛り上げた一旦を担った存在であるのは周知の通り。地方競馬にも色んな馬がいます。JRAのスターホースとは知名度が天と地ほどの差がありますが、こういった記事をきっかけに地方競馬で毎週のように走って頑張っている馬達にも目を向けて頂ければと思います。 

 

▲19 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

色々な意見あるだろうが、ウララは負けても走り続け、勝てなくても粘り強く走り続け、最後は粘り強く生き抜いた。 

人間にも辛抱、粘りは人生において必要。 

 

決して最後まで諦めず、走り続けたウララ。 

大往生になるまで生き抜いた。 

 

ハルウララありがとう。 

安らかに。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ウララちゃんの馬券は、当たらないから、交通安全のお守りだって、義理の父がくれた。ちょうど武豊さん騎乗の時ので、馬券に赤いスタンプでハルウララと押してあった。 

まだ免許証入れの中に入ってます。 

ウララちゃん、天国でゆっくりとそてくださいね。そして私の車の事故が無いよう見守ってくださいね! 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

お悔やみを申し上げます。 

ハルウララは競馬に興味がない方にも愛されていましたよね。 

 

最近(といいつつもう数年前)では、ウマ娘で多くのユーザーがハルウララを最強に育て上げて歴代名馬をなぎ倒していたのが懐かしい。 

才能がなくとも走り続ける事で、花開くことを示してくれた稀有な名馬でした。 

 

▲3 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララは1着こそ無かったものの、2着5回、3着7回と奮闘してるし、大きな怪我も無く、1回しか蹄の不調で出走取り止めになっただけでレースを走り続け、絶大な人気と武豊騎手までタッグを組む機会まで得たことから、競走馬をプロアスリートとしてみれば十分凄い記憶と記録に残る競走馬だったんじゃないでしょうか。90歳くらいまで生きて往生しましたね。天国でものびのび走り回ってね。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

本来なら勝たなければ名前さえ知られる事のない厳しい競馬の世界で、勝てないがゆえに有名になり、獲得賞金は同世代のオペラオーの足元にも及ばぬ額だったが、潰れかけの地方競馬場を救うという誰にも真似が出来ない偉業を成し遂げ、最低馬主に振り回される不幸もあったが、心ある厩務員やファンの助力により余生を保証され天寿を全うし、ウマ娘ではスぺやテイオー、スズカら伝説の存在達と共にキャラとストーリーを与えれるほどに破格の好待遇を受け、日本のみならず世界にもその名を知られた彼女はレースで勝てなかったが、馬生においては勝利者の待遇を与えらえるという他馬とは一線を画す馬生を送った数奇にして異例の存在だった。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

当時は地方競馬、冬の時代で、2000年から2010年前半くらいまで上山競馬場 、宇都宮競馬場 、足利競馬場 、高崎競馬場 、三条競馬場 、益田競馬場 

などが閉場していた時、高知競馬場も存続の危機で話題になったのがハルウララ。 

ただ、ハルウララが2005年引退してまた経営難になったんだが、その後関係者の努力と、ネット販売の普及でV字回復、2008年には40億円足らずだった売上が、2016年は年間250億円以上になった。 

 

自分は岐阜出身なので、当時、笠松競馬場も存続危機で、救済と称して逮捕される前のライブドア堀江氏が来ていたのを思い出すが、ウマ娘やらネット競馬やら、地方競馬も盛り上がって時代も随分変わってきてるなと思う。 

(ウマ娘でチャンピオンステークスや有馬記念勝ってしまうウララちゃんw) 

 

武豊をもってしても勝てなかったが天国では勝ち負けは関係ないからね。 

 

▲16 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララさんのご冥福をお祈りします 

 

連戦連敗でもひた向きに誠実に勝負に挑むその姿は、何の能力も技能も微塵もない凡人の私の心に凄く響いたものです 

当時のハルウララさんのお陰でダメ人間の私も、何とか世の為人の為に頑張って汗して労働しようと奮起したものです 

 

連戦連敗でしたがひた向きに走るその姿に私は感動しました、どうか安らかに眠って欲しいです 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

本当に名前のとおり春うららのように癒しの競走馬でしたね 

人気が出てから競馬場などにも多くの利益をもたらしたと思いますし 

"勝ち組""負け組"という格差ワードの流行る嫌な社会に革命をもたらしたと言っても過言ではないと思います 

穏やかな最期であった事を祈ります 

 

ずっと負け続けても負けない事を教えてくれてありがとう 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

今でこそネット投票が発達して、高知競馬はなかなか馬を預けることができないほど賞金が高くなり盛況といえる。ハルウララの当時は地方競馬や場外発売所じゃないと馬券が買えなくて、馬券を買いたいけど買えないもどかしい状況で、高知競馬もかなり不況だった最中、救いの神こそがハルウララだった。ハルウララがいなかったら高知競馬存続できてなかったんじゃなかろうか。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララがブームになってたときは小学校低学年くらいだったので、競走馬として初めて知った馬でした。競馬を見るようになってから、あんなに負けてたのに人気のあるすごさを感じてました。 

機会があれば会いに行ってみたいと思ってたんですが、結局行けず。 

ご冥福をお祈りします。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

多分このまま長生きして天寿を全うしてくれるだろうと思っていたのでショックです。 

馬の疝痛は命取りですからね。高齢だったのもあるでしょうけどよく頑張ってくれました。 

ずっとお世話なかった関係者の方々ありがとうございました。勝てない馬がこんなに長生き出来た事に感謝です。彼女は素晴らしい運命の持ち主だったと思います。 

ハルウララのご冥福を心から祈ります。合掌 

 

▲13 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ハルウララが亡くなった事は残念ですね… 

 

あと馬の29歳は人間で言うと82.5才です。 

4歳を人間の20才として、その後一年で2.5才ずつみたいな加算方法です。 

と言うのも馬で長生きと言うと30歳を超えてからってイメージがあるので…トウショウボーイが20歳で早逝と言われたので、20代だとまだ若いイメージがあります 

シンザン、ナイスネイチャが35歳、マイネルダビデ、ウラカワミユキが36歳でした 

調べたら日本の長寿はアローハマキヨの40歳、世界一はオーストラリアのタンゴデュークで42歳だそうです 

もうちょい長生きして欲しかった 

オグリキャップとどっちが有名だったかな… 

オグリキャップが高知に行って13000人集まるか? 

集まりそうだな…あの時代の競馬ブームはとんでもなかったからなぁ… 

競馬をやらない人の知名度はハルウララだろうね 

 

ハイセイコー入れたら完全にハイセイコーだけど 

 

▲6 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

競馬を知らなかった頃の自分が知っている馬はディープインパクト、ハルウララでした。話題になった頃は世間は暗い話ばっかでしたが負けでも勝ち続けるハルウララは希望と明るい話題を届けるありがたい存在でした。 

御冥福をお祈りします。 

 

▲14 ▼2 

 

 

 
 

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