( 323834 )  2025/09/12 06:54:58  
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メッセージ性や大義があれば落書きが許されるのか。答えはノーだと思う。 

そんなことを言い出したら際限がなくなります。 

自分は裁判所の厳格な判断を支持する。文化財だというなら春日大社を始めとして、ひとごととも思えない。 

もしバンクシーが日本の寺社仏閣に同じことをしたら、粛々と逮捕して素性を白日に晒して欲しいとすら思いますからね。 

 

▲26407 ▼4170 

 

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「落書き」の善悪を論じても始まらない。特に今回のケースでは、敢えて社会的に逸脱した行為によって、しかも裁判所の外壁に司法批判とみられる絵を描いたことに意味がある。順法行為の形で行っては、その社会的意義は半減してしまうだろう。そしておそらくは作者の目論見通り、話題になった後、すぐに撤去された。この撤去されることをもって、司法批判は完成したはず。 

 

▲139 ▼85 

 

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キース・ヘリングやバンクシーの絵が高値で取引される為に 落書きが後を絶たない 

当方、デザイン学校出身ではあるが やっぱり落書きを認めてはいけない 

どんどん強行姿勢を取らないと、落書きは永遠に無くならないよ 

 

▲8306 ▼1065 

 

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芸術作品として受け止めるよりは、風刺作品としての印象のほうが強い。 

バンクシー作品の発生の仕方を見ると、集団で活動し、ベースになる下書きを貼り付けか版画のようなもので描きつけ、色塗りや細かい仕上げ作業をしてるんじゃないかなと思う。 

それも芸術作品の生まれ方の一つだとは思いますが、内から生まれる創作意欲を形にしていると言うよりは、世にある理不尽への訴えを形にしているんだろう。 

芸術のための作品ではなくて、風刺のための芸術。そのために目立つからと勝手に描いていいわけではないと思う。許可は取る必要はあるし、許可なしであれば消されても仕方ないと思う。 

 

▲976 ▼132 

 

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世界中、なんとなく、潮目が変わった。今までなら、バンクシーの絵なら大切にされたんですが。最近は、世界中多くの国が、一般市民が政治や移民やイスラエルの事に意見するのを良しとされなくなりつつある空気を感じる。何故だろう、どうして同じ時期に多くの国がこうやって一般市民の言論統制の空気感になっていくんだろうか?なんか、イギリスもフランスも、ドイツも最近ちょっと以前のイギリス、フランス、ドイツでは無い気がしますし、今のイギリス、フランス、ドイツの姿は、これからの日本が体験するだろう混乱を現してると思います。 

 

▲54 ▼66 

 

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バンクシーと言えば、かつて『風船と少女』という作品がサザビーズのオークションにかけられた際、約1億5000万円で落札のハンマーが振り下ろされた直後に絵の下半分がシュレッダーで裁断されてしまうというセンセーショナルな出来事が2006年にあった。 

 

その後あの作品は『愛はごみ箱の中に』に改題されこの時の落札者が所有していたが、2021年にふたたびザザビーズのオークションに登場。 

 

再競売では9人の参加者が入札を競り合った結果、バンクシー作品としては過去最高額となる約29億円で落札されたんだとか。 

 

▲50 ▼11 

 

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イギリスの状況に疎いので分からないが、真実は歪んだ法廷で決定すると言う事なのだろうか?しかし壁を塗りつぶしたことは世界へマイナスのメッセージ働かないのかな?むしろ壁に描かれたモノが意味することを説明し課題認識をアピールすることで国家の置かれている立場を語って欲しかったなあと。移民問題や暗黙のヒエラルキーや格差問題などこの話題を通して知りたかったな。 

 

▲16 ▼34 

 

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前から疑問がありました。バンクシーさんは、壁に書いてますが、一瞬に書けるわけなくて、誰かしら書いてる所見てるんじゃないかと。夜描いてたら、必ず明かりを灯すし。ホントに素朴な質問です。 

 

▲3373 ▼123 

 

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東京にいるけど、街の落書きは日に日に悪化していて、どの交差点でもまともな綺麗なところは少なく、端のほうに必ず落書きやら謎シールやら貼られてる。 

さらにシャッターは当たり前のように、自動販売機や郵便ポスト、地図案内板などの裏、陸橋の柱、本当に汚らしいスプレーの悪戯書きが多い。 

もっと刑罰を厳しくすべきだと思います。 

 

▲1606 ▼77 

 

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絵のメッセージ性や何やそんなこと以前に、元々落書き家のこの人が評価されてありがたがっているのがとっても不思議に思っています。 

どこぞのヤンキーが描いたものか分からなくても、すごいきれいな絵もあったりして、独特のタッチでバンクシーだって騒いでもてはやすのってどうなのかなあと。 

画家であれば、落書きではなくちゃんと壁画の依頼を受けるとか許可を得るとかして表現してほしいと思う。 

 

▲2999 ▼584 

 

 

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裁判所の壁に書いたんでしょ。 

しかも、裁判官が抗議者を一方的に叩いているかの絵で、明らかに、裁判所を非難しています。 

そりゃぁ撤去するでしょ。 

 

それに、どんな絵であっても、保存するか、撤去するか、又は、器物損壊で訴えるか、それは、壁の所有者又は管理者の自由でしょ。 

 

周囲がとやかくいう事じゃないと思う。 

 

ただ、バンクシーって正体不明なんでしょ。 

複数のグループっていう説もあるし、模倣犯の可能性もあるんじゃないのかな。 

 

▲2602 ▼320 

 

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私は描いた風刺画が権威者によって黒塗りにされるところまでが1セットの作品なんだと受け取リました。 

 

東京の埠頭エリアで発見されたネズミの絵も同じです。防潮堤に描かれた落書きなら消されるのが本来の取るべき処置なのにどうもバンクシーらしいと言うだけで持ち上げられて保存されるなんて馬鹿げてると思ったものです。 

あの時、落書きの横で嬉しそうに写真に写っている都知事を見た時に作品は完成したと思いましたね。 

 

▲1442 ▼122 

 

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ちゃんとキャンバスに描いて出せばいいのにね。でも建造物に描くから面白いんだろうな。社会情勢を題材にした作品だから要は風刺画の世界なんだろうな。そういう意味では山藤章二も良かったよね。建物に描いたら消されるのはしょうがないよね。 

 

▲1974 ▼320 

 

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良い大人が風刺として壁に落書き。 

 

そりゃダメよ、日本で言うと器物破損とかじゃないかな。 

 

何かをうったえるのであれば、ちゃんと法律を守らないと筋が通らない。 

 

それを芸術だとか言って高値で売買するのも違う。 

 

買う側のモラルも問われる。 

 

アートで色々物申したいなら、せめて自分に所有権がある物でやってくれ。 

 

▲1758 ▼353 

 

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私はバンクシーの作品(?)に対して芸術的な価値もアートとしての魅力も感じないんですよね…。 

表現はわりかし直截的でひねりがないし、アート(というかデザイン)としても特に優れているようには思えないんです。 

まあ単に私にセンスがないだけなんでしょうが、同じ風刺画ならジョルジュ・ビゴー(日本と清と露を風刺した魚釣り遊びが教科書に載るほど有名)の方がエスプリが効いていて好きなんですよね。 

 

▲1325 ▼337 

 

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まあ裁判所だしね。あれはのこしてはおけないでしょう。客観的にみればいたずら書きと同じだし、内容も問題。あれをそのままにしておくとその内容を支持してるということにもなるし、裁判所としての公平性を損なう可能性も高い。 

 

▲572 ▼89 

 

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重要な建造物に落書きする行為が国際問題や社会問題になっている昨今、特定の人物なら赦されるというのは法の下の平等にも反してる。辻褄が合わないよ。 

キャンバスや依頼を受けての壁画では何故ダメなのかね。反政府や反権力の証としてゲリラ的に市中の公共物に描いてるんだろうけど、やり方がカッコ悪い芸術家だな。ラクガキは芸術であってもラクガキだよ。本人も解ってるだろう、消されて当然だと。寧ろ残すとか言われるのを面白がっているんだろう。 

 

▲531 ▼90 

 

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バンクシーはかつて落札により人の手に渡った瞬間、自身の絵画を遠隔操作で細断した。バンクシーの絵画はそれ自体でなく、人々の中に宿る印象にこそ価値がある。言うまでもなく平和であればこの絵は胸に突き刺さりはしない。  

 

ただ、もし日本で自分の家の壁に描かれたらどうだろうか。メディアに晒され盗難や破壊行為に怯え、平和な日常は一変する。塗り替えの費用、保存をするならセキュリティ。塗り替えを選ぶとすると批判も覚悟しなくてはならない。自分の家なのに。そしてバンクシーの絵画だと判明するまでは価値すら分からない状態であり、考えただけで厄介ではある。 

 

▲300 ▼71 

 

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このような記事が、発信されるから益々つけあがる。 

 

当局が本気で取り組めば、人物が特定され器物破損?で拘束されると思うけど、人気に二の足踏んでいるとしか考えられない。 

 

国内で同じ事象が発生した場合、日本の警察は、毅然とした態度を取って逮捕してほしい。 

 

▲946 ▼255 

 

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メディアやsnsの反応を見て、自分たちの行動に酔いしれてるところもあるのでは。スリル中毒を伴った社会変革への情熱。今後はこれ以上のインパクトを追求する場所とテーマを計画すると思う。用意周到にやりながら、最悪の場合、逮捕も想定しているにちがいない。その場合、その様子は世界中のメディアで拡散され、賛成派と反対派の間で激しい議論が巻き起こり、それら一連の出来事もオプションの一部なのだろう。今回の場合は、警察も壁画の捜査に動いている。これを想定済みなら、自身を作品内の抗議者になぞらえているとも見れる。壁画が消されながらも、残像として、現在進行形のバンクシーの抗議者としての姿も脳裏に刻み込まれる仕掛けに見える。 

 

▲103 ▼36 

 

 

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直近のSNS情報では、落書きを消したのも本人で消してその後を残すところまでが彼の作品だ、とまで言われていますね。(たしかに、本気で消すなら跡形もなくキレイに消すはずなのに上手く元の姿が影のように残るようにして消していますよね。) 

真偽は定かでは有りませんがもしそこまで計算してやっていたのなら大したもんだと思います。 

 

▲15 ▼8 

 

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バンクシーの作品は撤去されるまでが一つの作品でありストーリー。 

撤去しなければならないくらい痛いところを突かれていたり、描いた場所含めて皮肉が込められていたり、本人も長く残る事を望んでないと思う。 

以前、オークションで作品をシュレッダーにかけたのも皮肉。 

すぐに絵が無くなっても、SNSで広がれば世の中には残る。非常に現代的なアート手法だと思います。 

 

▲14 ▼8 

 

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アーティスト、とくにグラフィティアートは上から上手い人に上書きされたり、こんなふうに壁をきれいにされて元通りにされたりするので「残す」ことにあまり興味がない人たちなのだろう。多くのアーティストにとって作品は結果ではなく創作の過程や技術の向上を楽しむこともアートの一つなので消されたとしてもバンクシーがグラフィティアートを貫くのであればそういうこともあるだろう。 

 

▲0 ▼5 

 

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どうせなら壁面に合わせて白塗りにすればよかったのに。 

あと、感心してはならないのかもしれないが、瞬間とは言えども毎回描いている(吹き付けている?)ところを誰にも発見されていない技術とスピードはすごい。防犯カメラにも映ってないようなところを事前に確認して描いているのでしょうか。 

 

▲6 ▼1 

 

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やはり、他人の建物に勝手に描いたのですから落書きと言われてしょうがない。風刺だろが抗議だろうが裁判所の歴史的建造物に描くが許されたら、無法地帯になってしまいますからね。 

場所によっては有名無名とわず、素晴らしい絵が描かれてる事もありますが、やはり他人の壁に勝手に描くのはだめだよね。 

 

▲16 ▼1 

 

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落書きが云々いうのはイタズラの落書きが多いからでしょう。迷惑な落書きはなくなってほしい。 

 

ただ、古今東西、時の権勢に対して書かれた落書きが、歴史にも残っているからバンクシーの落書きもその類になりそう。 

 

絵の上手さ表現力ではなく、どこにどういう意図で描くというパフォーマンスが彼のアートなんでしょう。 

 

バンクシーの絵を高値で所有するのはなんか違う気がします。 

 

▲50 ▼24 

 

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バンクシーの絵は好きですが、これまでは早晩壊される予定のものに描くことが殆どだったのになぜ今回は裁判所の壁に描いたのでしょうか。これまでの行動とあまりに違うので本当にバンクシーなのか、疑問が残ります。自分の絵を残すことが目的でない人なので、オークションでシュレッダーにかけられたのはまだみんな記憶されていると思います。考えられるのはそもそもバンクシーは1人で描いているのではなく協力者が数人いるらしいので、その1人が裁判の判決を不服に思いバンクシーの意思とは別に描いてしまったのではないでしょうか。 

勿論、公的機関への落書きは蛮行なので罰せられるのは当然と思います。 

 

▲14 ▼1 

 

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たとえ消されたとしても、その行為が、単に落書きされたから、ではなく、書いてほしくない内容を書かれたから、つまり図星だった、と周りに受け取らせたら勝ちなのでしょう。なかなか上手い仕組みですね。消される行為にも意味を持たせてアートにしてしまう人、そんな域に達した芸術家ってそうそういないのでは。 

 

▲30 ▼18 

 

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バンクシーが作品を撤回したというニュースは、かつての彼の存在感を知る者にとって複雑な印象を残す。 

 

バンクシーは匿名性と反体制的なスタイルを武器に、鋭い風刺で社会の矛盾を突き、アートを通じて問題提起をしてきた。 

その挑発的な姿勢は、多くの人に衝撃と共感を与えた。 

 

しかし、近年の作品には、そうした洗練された風刺よりも感情の吐露が目立ち、表現として稚拙に映るものが少なくない。 

鋭さを失った風刺は、ただの怒りや嘆きに留まり、かつての切れ味を期待する者を落胆させる。 

 

さらに理解しがたいのは、彼自身の作品がオークション市場に繰り返し出品される点だ。反資本主義を標榜しながら、資本主義の象徴であるアート市場に作品を委ねることは明白な矛盾である。 

 

もし社会正義の旗手であることをやめ、市場の一画家として活動するのなら、それはそれで一つの選択肢だろう。 

 

▲8 ▼3 

 

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芸術ってなんなんでしょう。私は素人ですが、誰かが大切にしているものにある日無断で描くことを芸術と認めてしまうならば、何とも暴力的で一方的な行為だと感じます。描く場所やシチュエーションも含めての瞬間的な芸術ということなのでしょうが。。 

 

▲20 ▼9 

 

 

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「公共施設に落書きをしてはいけない」ことを前提としてバンクシーは『作品を残さない、残せないもの』としてのコンセプトがあると思う。良い言い方をするなら詫び寂び、悪い言い方なら単なる器物破損。なので新作が撤去されても当人(達)は痛くも痒くもないでしょうね。そして実物が撤去されようとも、ひとつでも画像が残ればあっという間に世界中に拡散されるご時勢。なのでメッセージ性の強い風刺作品ほど撤去されるスピードは上がるし話題にも上がると。そうして各々に大なり小なり何かしらの感想や感情を引き起こすのだからアートとしては成功しているのでしょうね。毎回メディアを通して掌で転がされている気持ちになります。 

 

▲7 ▼1 

 

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ウチの前の大通りでも、よく落書きを見かけます。 

なんか、どうも他にも同じような落書き絵になっていて、いつもそれを見るたびに「見苦しい!!怒 ええ加減辞めんかい!!怒」と、心の中でフツフツと怒りが込み上がってしまいます。 

 

落書きされた大通りですとか、同じように落書き被害に遭われた空き地の隣りのおウチやお店は、凄い厳格に対策をなされているのですが、それでもどうもイタチごっこになってしまっていて、もうこの問題は以前からある社会問題として、『落書き反対』を訴えたいです!怒怒怒 

 

世界各国の中で落書き被害事件が起きた警察は、もっと今までよりも地域と企業と連携して、どうすれば技術的に落書きを防げるのかを考える事が、今、最も大切だと考えます。 

 

▲144 ▼60 

 

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描かれたメッセージ性と裁判所に描く事でよりメッセージ性を強める意図があるんだろうけど、上手かろうが下手だろうがやってる事は廃墟や街中にある落書きと変わらない。やりたいなら許可を取ってからやればいいだろ。それがスプレーアート(ステンシルアート)ってもんでしょ。無断でやれば落書き、許可があればアート、それだけの事だよ。 

 

▲4 ▼7 

 

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消されたり、本当は消されるべきなのに様々な思惑から消されなかったり、どちらに転んでもあれこれ言われたり言われなかったりする、までを含んでの作品なので、これはこれでよい、というか要するにそういうことだ。消しても消さなくても「コンセプトとしての作品の存在・永続性」には結局手を貸してしまう、というのがこの造り手の悪賢いところだ。そして、作家一番嗤っているのは「経済的価値」に還元された俗な価値観や安易な肯定だろう。 

落書は駄目に決まっているが、それとアートとしての成立や意味は関係ない。違法な、モラルに反した落書きに過ぎないことと、アートとして成立することは元々別次元で相反もしなければ、片方によって片方が否定される(違法だから芸術でもなんでもない、とか、作品だから許される…)こともない。口当たりの良い「良識」の範囲内にアートがあると安心しているひとは呑気で幸せだが実はそうでもないのだ。 

 

▲1 ▼1 

 

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バンクシーはパレスチナ問題に深い関心をよせてきました。どうすれば盗まれ換金されコレクションされないで人々の関心を喚起できるのかとても効果的な場所を選んだと思います。 

撤去されるのは本望だろうと思います。 

 

▲53 ▼17 

 

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そこに描かれたモノを遺すかどうかは、描かれた壁画の所有者やその時々の民衆や権力者が決めればいいよ。後世に伝えたい壁画なら遺せばいいし消したエピソードが後世に伝わるのも面白い。太古の人類の洞窟壁画だって許容されて現在観られるわけだし、時の権力者が気に入らなかったモノは消されただろうし。 

 

▲0 ▼2 

 

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正しい対応だと思います。 

落書きはあくまで落書きであり、違法で迷惑なものです。 

「バンクシーだからいいんだ」などというのは差別的対応であり認められません。 

そういうのを黙認容認していると、世界でも「落書きはやっぱりアートなんだ、いいものなんだ」と勘違いして落書きが増え、多くの人々が迷惑をこうむることになります。 

 

▲79 ▼17 

 

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成る程、その考えはじめて知った勉強になります、落書きとすればその通り 

いくら有名人といえ人の所有物の建物いて描いて所有者が落書きと言えば落書きに 

なる、分かりやすい考え方である 

バンクシーの風刺画は沢山の言葉より 

大くお語つている、抗議してる 

素晴らしい絵なので保存されたいと願う 

 

▲15 ▼31 

 

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社会問題や思想を表現した絵を描くのは表現の自由だとは思うが、それを建造物など、自分の所有物じゃないものに描くのはダメかと。 

 

バンクシーだから許されると言うわけではありません。(東京でも描かれたものがありましたが、保管しようと考える都庁の考えは不適切としか言いようがありません。) 

 

バンクシーも、やるならSNSとかで写真を撮ったやつにペイントソフトとかで描いたのをアップすれば、そこまで問題じゃなかったかと。(まぁ、それでも建造物に対して電子上だが汚しているので器物破損とかになるだろうけど…) 

 

▲2 ▼2 

 

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器物損壊罪などの容疑で捜査すべきですね。 

社会を風刺するなどメッセージ性があったとしても勝手に建造物に描いてはいけない。 

それを許してしまっては、メッセージがあると勝手に勘違いした者共が見境なく落書きをしてしまう。 

そこに芸術性があるかないかは関係ない。 

世界に訴えたいことがあるのなら、正々堂々とキャンバスに描いて発表すれば良いだけの話。 

ただ、こういった議論をすること自体が芸術の世界では重要なのかもしれないですね。 

 

▲16 ▼8 

 

 

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まぁ結局、同じ事の繰り返しを時代毎の捉え方の違いや、新たな造語で誤魔化しているだけで、権力側の姿勢は変わらない。 

 

民衆をコントロールし、如何に労働に勤しみ搾取、国交間の情勢に利用するだけだ。 

 

全てが巧みにコントロールされていた。 

聖書とコーラン、タルムード、 

侵略と支配、 

産業革命と中央銀行の設立、金融システムは、それらを合理的に更に加速させた。 

 

民主主義に対する社会、共産思想の推進運動は仮想敵国として《協力体制》を取り、 

民主化運動の加速は最終的に世界的な社会主義政府の設立に繋がる。 

 

反乱因子はメディアと工作活動によるプロパガンダ、また国家権力によって封じ込める。 

時にはそれさえ出来レースとして。 

 

確かにその思惑に気がつく人は危険だと言える。 

感覚的、考察的、偶然でも。 

それら少数派に圧力が掛かるのなら、この世は逆転現象化している証拠だと思う。 

 

▲4 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

「バンクシーの絵だからって、勝手に壁に描いても許されるの?」って言う人がいるけど、 

実際のところ、バンクシーならOKっていう法律はどこにもない。 

たとえ有名なアーティストでも、他人の建物に無断で描けば、それは法律違反。 

でもその絵がすごく価値あるものだと、あとから評価されることもある。 

逆に、誰かが「これはアートだ!」って言って描いた落書きでも、 

誰にも価値があると思われなければ、ただの迷惑行為になる。 

だから結局は、描かれた側がどう思うかが大事。 

「いい絵だな」と思えば残せばいいし、「いらない」と思えば消せばいい。 

描いた人を警察に通報するかどうかも、その人次第。 

 

▲5 ▼13 

 

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家の前に冷蔵庫が不法投棄されてたら普通に迷惑だけど、1000万個に一個中に金が入ってる的な話ですよね。 

基本不法投棄だから許してはいけないが、誰が見ても価値があるなら、上手く使えばいいんじゃないかという気もする。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この絵、我々が死んでから教科書に載ることも有ると思うけど、その時の人は、「あ、デモに裁判所が悪い判決出したんだね?」程度に思うんだろうか? 

遙かにイスラエルには甘く、移民にも甘く、社会通念で疑問が残る(日本もイギリスもアメリカも?)裁判所、また平和な時代が来て勘違いしてくれるならまだ良いが、今から歪んだ社会とネット規制が残るなら、この年代の司法判断に一定の不信感があった事を情報に入れて欲しい所。だから、誰かしっかり撮影出来たらな、と思う。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

落書きが否定的な皆さんのコメントをみて、私だけじゃないんだなと安心しました。ニュースで見るたびに落書きは器物破損なのにバンクシーは持ち上げて取り上げるのは何でなんだろうと不思議に思ってました。日本でネズミが描かれたときも小池さんが嬉しそうにインタビューに答えてましたよね。喜んでるのが不思議。 

メディアがそうやって肯定的に取り上げるから、違法行為で表現されたバンクシーのメッセージが世界に届いてしまう。落書きをわざわざメディアが発信しないほうが被害がないと思います。 

 

▲7 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

正直なところ、この対応が良かったのかは難しいですね。 

 

最も正しい対応は、絵を壁ごと切り出してオークションにかけて現金化することでしょう。 

 

権力への抵抗が権力を潤すだなんて、なんという皮肉。 

 

アートならアートらしく扱ってあげたら良いんです。 

 

▲8 ▼11 

 

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そもそも正体が分からない人が何でアーティストなんだろうね。この人が描いた絵が高価な作品になるなら自分の持ち家の壁を提供すれば良いんじゃないの。こんな正体の分からない人の作品に何で人は騒いでいるんだろう。メッセージ性が高いとか言っても、そんなもの見る人によって解釈が違うからね。メッセージ性の高い絵を描いてもこの様に撤去されたら元も子もないじゃない。メッセージなんてハッキリと発してこそ意味がるんだよ。人によって受け取り方が違うだろうモノにメッセージ性を謳っても仕方ないでしょう。こんなものそうであれば都合の良い人が騒いでいるだけなんじゃないのかな。なんとなくそんな気がするね。もし今外に出てその辺の壁にこんな絵が描かれてあったら誰でも❝上手な絵だね❞くらいにしか思わんと思うけどね。実際こんなものテロと同じでしょうよ。大体これだけの絵を描こうかとなったら時間掛かるんじゃないの。誰か協力者が居るよね。 

 

▲25 ▼12 

 

=+=+=+=+= 

 

この作品自体の表面的な芸術的価値というより、裁判所の壁にバンクシーがこの絵を描いたということに意義があるので、消されたことでかえってこの壁の価値が上がったのではないか。バンクシーという人は高値がついた自分の絵をいきなりシュレッダーを動かして驚かせそれでかえって作品の価値をさらに跳ね上げてしまうようなアーティストなので、無許可でこういう絵を描いたらどうなるかくらいは元から計算済だろう。そしてこの壁はバンクシーのあの絵が描かれた壁として、ちょっとした名所になり、バンクシーの代表作のひとつと数えられるようになり、時代が変われば芸術家本人の業績とともに文化財的な扱いになるんじゃないかと思う。きれいな絵ならAI使っていくらでも作れるような時代になったが、生身の芸術家ならではの挑戦を続けている。オレは評価する。 

 

▲63 ▼59 

 

=+=+=+=+= 

 

落書きだからこそ問題になり 有名になったからこそその絵の含む意味を世界中の多勢が考える 

日本に中近世見られた落首も 庶民が世や権力者に問い掛ける手段だった様に 

本人は消される事前提なのかも知れない 

一手段として落札された途端シュレッダーで切り裂かれ形を変えて世間の耳目を攫った 

落書きは決して肯定される事の無い手段だけれど 

 

▲4 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

消されるまでがこの作品の意味。 

様々なバンクシー作品がロンドンに登場し、一定数は盗まれたり破壊されたりもしたが概ね風刺を好意的に受け止められ保護をされた。 

 

そんな中、突如として登場したイスラムの人に殴りかかる裁判官の風刺画。 

イギリスという国の立ち位置を物語り痛烈に批判しているのは明白な作品である。 

司法はこの作品も保護をするのか否かで作品のメッセージも変わるのだが、イギリスは黒塗りに消す方を選んでしまった。 

 

残す選択肢をすればもっと違うメッセージになったろうに、残念だがイギリスにはバンクシーが描いていたもう一つの絵画が見えなかったようだ。 

 

▲6 ▼5 

 

 

=+=+=+=+= 

 

元の絵は消されても、ネットで、グッズへのプリントで拡散するでしょう。後世にも、伝わるでしょう。 

いつの世もプロテスタントはその時代の決まりを破っている。抗議の方法は罰せられたとしても、その思想が広く受け入れられ、説得力があるのなら、その思想のともしびは消せないし、むしろ、時代を超えて伝わっていく。 

 

▲4 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

「落書き」としては良くないが、司法のあり方にも大きな疑問がある。 

バンクシーは、世の中では落書きに相当するものとわかってやってる。でも、この方法しか思いつかない。 

抗議の仕方は消されたとしてもこの姿勢を貫くだろう。 

私も不思議に思うのだが、監視カメラとかないのかな?といつも思ってます 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

バンクシーだろうが何だろうが落書きは落書き。 

消し去るのは正しい判断だと思うし、日本も同様にこういったものには毅然と対応して欲しい。 

逆に、これを認めるなら族とかが描き残した落書きだって無名のアーティストによる作品ともいえるのだから、そちらも残すべきということになる。そのような形で、落書きをストリートアートと認めていくのであれば、バンクシーの作もそのうちの最も秀逸なものの一つとして認めるのは納得するけど。 

一方は作品として丁重に保護し、一方は落書きとして非難する合理性がない。金をかけて保護するかどうかは作品価値次第なところがあるから対応が分かれるのは仕方がないけど、一方だけ問題視する矛盾した対応を採る道理がない。 

 

▲9 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

バンクシーの絵もですが、許可なく壁に描くということもなかなか賛否両論といったところでしょうか。 

今回は特にわかりやすく、メッセージ性が大きいので、裁判所の判断は理解出来ます。が、いろいろすべて承知した上で、裁判所がこれを残すなら、またそれはそれで皆に考える機会を与えることになるのかなとも期待したのですが・・・   

多分バンクシーもこうなることを覚悟の上の事だったと思います。 

 

▲2 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそも、日本のヤンキーとかがやってる 

よそ様の建物に対しての落書きと同じだよね。 

ちゃんとキャンパスに描いて以前の様にオークションに出せば良いのに。 

あと、これだけ防犯カメラが普及してる現代でいまだにバンクシーが誰か判明しないのが不思議だったけど、この件をきっかけに炙り出されるかもね。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

アートそのものからも、この撤去に関わった関係者の声、この記事、世界各国の反応など、、色んな声が聞こえてくるのが凄い。 

 

バンクシーの1つの絵におけるポジティブな反応もネガティブな反応(落書き問題など)も凄いパワーとムーブメントがある。 

 

ニューヨークとかも凄いもんなぁ 

良い作品は残され、がっつり白塗りされてる作品もあり、、 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

撤去した理由が歴史的建造物への落書きということなら、恐らくバンクシーはその影響の無い別の場所にもう一度同じ絵を描くんじゃないかな。そして裁判所がその後どの様な対応を取るのかによってこの問題に対する彼らの考えがはっきりする様に思うね。裁判長はこの一連の問題(パレスチナデモに対する政府の対応の是非)について何か発信はしないのかな? 

 

▲1 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

これこそバンクシーが待ち望んだ事態なんじゃないか。 

伝統的な法服とウィッグをまとった裁判官が、血の付いたプラカードを持つデモ参加者を木槌で殴りつける絵。 

消されなければ、ただのロンドンの新名所になったろう。 

しかし消されたことによって、「抗議の権利を消し去る権力」というテーマが生き生きと躍動することになった。 

作品は消えたが、多くの人がスマートフォンにその姿は残っている。 

一人一人のスマートフォンの中で、お金で買える金持ちの道楽としての芸術ではなく、今現実に叩きのめされている人にとってのアイコンとなり得るものに昇華したのである。 

 

▲18 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

歴史的建造物に落書きは許せないが、裁判所に書いた壁画には意味があると思いますね。 

消されることなんて承知の上で描いてる事に意味もあるんじゃないですか。 

バンクシーを批判する人も多いですが、必ずバンクシーの絵には社会的なメッセージがある。 

これを私は「落書き」とは思わない。 

 

▲9 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的にバンクシーの作品の良さが全く分かりません。 

専門家は何を評価しているのでしょうか? 

絵に関しては、よくある海外の本の挿絵レベルでは? 

メッセージ性と言いますが、そんなのは風刺画ならあって当たり前のことでは? 

まぁパフォーマンス性といっても、他人の所有物に勝手に書くなら犯罪行為です。 

まぁ今回の絵に対しては裁判所も、「覆面をした抗議者が裁判官を一方的に叩いている看板」でも作って、消した絵の前に置くくらいの皮肉を効かせてくれたら面白かったのにとは思いますけどね。 

 

▲26 ▼11 

 

 

=+=+=+=+= 

 

そこに描く理由意味がある社会現象みたいなもんなのかな。キャンバスにお利口さんに描いても意味がないというか。ただのその辺の落書きとはまた違うのだろうね。グラフィティーだってカルチャーではあるからな…迷惑だけど。 

家に描かれちゃたまったもんじゃないけど歴史的背景によってはメッセージ性強くて興味なかった人がそこの問題に気がつくという構造にもなるから悪いとも言い切れない。 

 

▲6 ▼17 

 

=+=+=+=+= 

 

黒塗りで後が影のように残るところまで見越しての作品だよ。オークションのシュレッダーの時とかも、オークション会社は状態確認で額あけてチェックするからシュレッダーが仕込まれてるのはバレる。結局は壮大な話題作りです。 

 

▲38 ▼11 

 

=+=+=+=+= 

 

黒塗りにされることも含めての作品ですね。 

ただ「絵を描いた」というニュースよりも、「それを裁判所がこの用意判断した」というほうがよりメッセージ性が強くなり、描いた意図が強力に世界に発信され、このように皆が深く考えるようになるわけですから。 

今回はすぐに反応した時点で負けですね。するのならもう少し世論が冷めたころに隠すべきだったかと。 

 

▲0 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

裁判所の壁に描かれたバンクシーの新作は瞬く間に黒塗りされ姿を消した。倒れたデモ参加者に向かって小槌を振る裁判官のイメージは、わずか数日で目に見えぬ事件となった。しかし、それこそが作品の本質を物語っている。 

UK的カウンターカルチャーは瞬発力と皮肉に宿る。即時性、メディア映え、匿名性。これらは単なる演出ではなく、権威と公衆の間に生じる見えざる力関係の可視化装置である。フランスの状況劇やドイツの長期的オルタナティブ・スペースは、理論や共同体によって抗議を持続させる。しかし、バンクシーの作品は「消されること」を前提に存在し、消える瞬間にこそ国家の過剰反応と市民の注視が交錯する。 

この作品が問いかけるのは、単に誰が描いたかではない。消えるものとして描かれることで、表現と権威の関係、匿名性と力の非対称性、そして芸術の価値そのものが、観客の目の前で立ち現れるのだ。 

 

▲11 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

確かこのチームに東京で勝手に描かれたのに消さずに 

残してますよね? 

多分このチーム3人の描いたのはこの先どんどん価値が下がると思いますよ? 

 

因みに戦争を起こされたウクライナの人達が夜中にバンクシーが描いてるのを見てます。 

更に言葉も交わしてます。 

2人が交互に描いて1人が見張り役だと言ってましたね。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

もし、バンクシーが壁では無くてカンバスに描いて壁に貼り付けて有れば良いのになあ。 

 

私ならば旅費を払ってでもその絵をパチって即座にヤフオクに出展する。 

 

もしかしたら、その絵で旅費は共より生涯遊んで暮らせる大金が手に入るかもなあ。  

 

私の在所はど田舎なんだからバンクシーのバの字も無いなあ。 

 

誰かバンクシーの連絡先を教えて下さい。私がバンクシーに連絡してそっこら中にペタペタとバンクシー絵画を貼り付けてもらう様にお願いしますよ。 

 

バンクシーで億万長者に成り上がってみたいもんだ。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

バンクシーのやり口って、本質的にはテロリズムなのよね。 

もしも彼が本気で自分の作品に保存価値を見出させようとしているのであれば、きちんと額縁に入れられる商品として販売させようとするはず。 

そうではなくて「落書き」という形式にこだわるからには、彼(もしくは彼女)が本当に意味を見出しているのは「絵」ではなく「行為」そのものなのではないかと。 

そういう意味において、今回の「ほとんど誰の目にも留まらずに撤去される」という一件も、その顛末までを含めた全体の流れこそが彼のアートの一環なのではないかと思わされてしまう。 

困ったことに、大衆扇動を意図したテロ行為としては実に効果的だというところがまた、頭痛の種だとも言うか何というか……。 

 

▲81 ▼13 

 

=+=+=+=+= 

 

バンクシーなら、黒塗りにする=権力による表現や言論の封殺、を表現するものとして、黒塗りにして初めて作品として完成かれたものとしそうな気がする。  

 

ファンはそれでまた一層熱狂するんだろうね。 

 

▲9 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

バンクシーは元々、アートは上書きされていくものっていう考え方で、彼のアートの上に描き足していったり消したり、そういうことが全てアートなんだよ世界なんだよっていうメッセージを込めて描いているので、消されたところで問題はないはず 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

〉イギリス政府が、親パレスチナ団体の活動を禁止したことをめぐり、デモに参加した数百人が逮捕されたことが関係していると指摘する声もありました。 

 

移民により、今やロンドンのイスラム教徒の数はキリスト教より逆転したと本で読んだ。デモをきっかけに団結されるのを恐れての、牽制なのかも。ロンドンで作品を描くなら、旧来のロンドン市民にイスラム教徒の移民が手を振り上げる構造が良かったんじゃないのか。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

バンクシーの絵に芸術的な美や知なんて無いよ。無くて当然、狙いは金だけだから。 

バンクシー一味が行っているのはプロモーション活動と、それによる価格アップ。 

現代アートは新しい投資資産でしかないが、そのために資産価値あげるためラクガキをやってるだけ。 

 

もしカンバスに描いて、作者を明らかにして真っ向勝負したら、価値は下がるだろう。 

謎の人物が、一夜にして作品を、壁にラクガキした!ってストーリーが大金を生み出すだけ。 

 

そこに心を打ち震わせる美も、人を動かす知も存在しない。 

あるのはビジネスチャンスに群がる投資目的の成金だけ。 

 

わかってるから撤去するし、わかってるからゴネて価格を吊り上げようとする奴らがわく。 

 

▲7 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

黒塗りはやり過ぎでしょう 

イスラムに対する、西洋諸国の対応にバンクシーなりの絵で 

自分の思いを表したのに、それを・・・そもそも 昔 

イギリスとアメリカが勝手に、イスラム地域にイスラエルを 

建国させたのが、騒動の始まりなのだから だったらネバダの砂漠に 

イスラエルを作らせた方が イスラム社会とイスラエルの争いは 

無かった筈 最初のボタンの掛け違い、力で抑えたのが間違い 

 

▲2 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

いくら名の売れた画家で、その作品に億の金が動こうとも「落書き」の範疇になってしまうんだから仕方がないこと。 

キャンバスに描くことがほぼない画家だから、作品の希少価値が吊り上がる。 

彼の表現力は恐ろしく明確であり、素晴らしい。 

が、「落書き」でしかない。 

それが廃墟、板塀など、簡単に撤去保存できるなら「作品」として残るんだろうけど、彼はわざと「残さないように」場所を選ぶ。 

非凡な才能の持ち主は、「今の表現はのちに残す価値がない」とでも言いたげだ。 

 

▲6 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

パレスチナの旗を憶えてしまった。 

多くの良心を持つ人が、イスラエルと合衆国に阿る為政者、グローバル企業に対し怒りを表現している。 

大人しくデモをしても報道が取り上げない。 

であれば荒っぽく行動し注目を浴び、世情に対しパレスチナへのジュノサイドを抗議する人々がいるのだと見せつけるしかない。そう思い行動する人が出るのは自明だ。 

バンクシーの他人物への落書きという表現は好きではないが、社会活動としての効果は高いので悩ましい。 

バンクシーも同調してくれている、と心強く思う抗議者もいるだろう。バンクシーが新しい絵を描いた。その絵の意味を考える人もいるだろう。 

今、暴力的な抗議活動の標的とされているのが、ブエルタアエスパーニャだ。イスラエルをスポンサーに持つチームが出場故に、全選手が命の危険に晒されつつレースに挑んでいる。 

その選手でさえ抗議活動に一定の理解を示すほど、人々の抗議は実を結ばない。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

バンクシーの新作の表現方法が過激になった感がある しかし切り取って自宅の外壁にあればとても素敵なことだろう 実物も緻密に描かれゲルニカのピカソを一言で表現する素晴らしい作家だ 数日で撤去も値打をたかめる事に すでに目的は達成されたのに 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

パレスチナ自治区のバンクシーの絵を直接見に行きました。現地では観光資源になっていて助かっていると現地の方が教えてくれました。 

石ではなく花束を投げる絵は誰がみても感動すると思います。 

今回は裁判所なので消されたようですが、全否定する人は一回作品を自分の目で見るべきだと思う。 

 

▲17 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

絵は上手だとは思うけど、変なところに無作為に描かれた落書きでなければ、そんな価値ある?って値段ですよね。 

絵としては好きなだけに、もっとちゃんと勝負して欲しいとは思います。 

 

▲1 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

建造物への落書きがアートだなんて認めない。消されて当然。 

アートは迷惑行為であってはいけない。 

落書きはただの犯罪。 

建造物に描きたいなら、まずは許可を得るのが筋。真似する若いアーティストが現れない事を祈るばかり。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

芸術作品は見てもらってナンボです。目的は達しました。消去しても無数の人々の記憶に残っています。 

 

彼は落書きという罪を作りましたが、それは彼の人生の問題であって、我々には関係ないことです。我々の自宅の壁には落書きされていません。ましてや海外のことです。 

 

ヤフコメで彼を責めてスカっとしていると、「責める」という悪因縁を作ることになります。あの世に持って行くことになる唯一の、自分の心に良くありません。 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

イスラエルのやっていることについて大いに応援するのはなんだなって思うのだが、同じように、パレスチナの抵抗運動も大概なところがあって、複雑ではあるのよね。 

 

とは言え、公然と表現の自由を封殺せざるを得ないのもなんだよね。 

 

▲2 ▼2 

 

 

=+=+=+=+= 

 

ここまでの処分を受けるのもこの時代に発表する故の「ライブ感」、砂の城、線香花火のような価値がある。悲しむ惜しむのも良し、隠される前に肉眼で見たことを一生の自慢にしても良し。アートは様々な関係性で完成するものです。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

落書きされた建物の所有者側が、消してくれって言ってるのに、消しちゃダメって言われてるのは、理不尽の極みじゃないかなぁ。 

しかも裁判所に対して、裁判官を侮辱するような落書きをされてるわけでなので、消したくなるのは当然じゃない? 

そもそも単純に器物破損案件だろうしね。 

それでも「こんなのを描かれる方にも問題がある」っていう方がいるなら、それこそいじめっ子の理論になるので、パレスチナうんぬん言われるなら、もっとよく考えられた方がいいと思いますけどね。 

 

あ、でも日本だと公共物に落書きされたのに、それを消さずに後生大事に額に入れて庁舎に飾るとかいう、よくわからないことしてる自治体長もいらっしゃるので、その自治体で落書きしたら、また残してくれるんじゃないすか。知らんけどw 

 

▲3 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

一義的にはただの落書きであり、どこかの都知事のように公の仕事をする人間がありがたがるもんではない。 

イスラエルの行いは非道極まりなく、パレスチナを支持する声を上げることは大事だが、だからといって無秩序なデモに対しても主張が正しいから違法行為まで見過ごすべきとなってはいけない。 

人の意見など二元論では割り切れないことは昨今の社会を見れば明らかであり、個人的にはバンクシーの「弱者(に見える側)に寄り添う」という短絡的で一辺倒なメッセージにはもはや神秘性も説得性も感じない。 

 

▲164 ▼76 

 

=+=+=+=+= 

 

「消されることまで織り込み済みなのがバンクシーの作品だ」という意見が最も腑に落ちた。アートとは心を揺さぶるものだと思う。今回のバンクシーの作品も、その意味で確かにアートだった。反対意見も含めて、話題になって、メッセージを拡散させるというのも、バンクシーの意図どおりなんでしょう。 

 

▲195 ▼73 

 

=+=+=+=+= 

 

落書きなので消されるのは承知の上で落書きの場所は選んでる。言葉ではうまく伝わらないことはたくさんあるから絵に批判、皮肉や伝えたい事を込めてるだけ。今の時代は世界中、スマホカメラで記録に残す人が多いから原画が消されても絵で表したメッセージはほぼ永遠に残る。捕まれば犯罪、捕まらなければ覆面落書き芸術家ユニット?でいいんじゃない。それだけ。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

落書きのどこに大義があるんだよ。 

バンクシーだか何だか知らんが 

たとえ絵が上手くても 

たんなる落書き小僧でしかないな。 

彼、彼女の何が良いのかさっぱり分からない。 

柴崎春通先生の絵をYouTubeで御覧なさい。 

これが本当の絵描きであり 

プロの作品なんだと理解出来るよ。 

 

▲5 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

歴史的建造物ってただの言い訳ですよね。大切な建物の壁面でしたらなぜより落としにくい黒塗りにするのでしょうか?まだ書かれて数日ですから下地への影響が少ない薬品でそこそこ落とせたんじゃ無いでしょうか?どうしても残った部分は最後に削るとかで原状復帰は可能かと思うのですが。黒塗りにしてしまっては落としにくいし最後は全面黒塗りにでも仕上げるのでしょうか?その辺の落書きよりもっと酷いですよ。それが政府のアートなら仕方ないですが。 

 

▲7 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

>バンクシーが8日に公開したのは、倒れたデモ参加者に向かって裁判官が小づちを振り上げているように見える絵。イギリス政府が、親パレスチナ団体の活動を禁止したことをめぐり、デモに参加した数百人が逮捕されたことが関係していると指摘する声もありました。 

 

>政治的なメッセージとして注目を集めましたが、裁判所はあくまで「歴史的建造物に指定されている」ことを撤去の理由としています。 

 

イギリスの裁判所は、これを「表現の自由」それ自体に対する規制ではなく、表現の場所や態様に対する規制(だから表現の自由それ自体に対する規制よりも、より緩やかな合憲性審査)と考えているのだろうか。 

 

▲2 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

米国がそうである様に、英国でも徐々に自由民権から離れ、専制強権政治に移行してきています。 

 

その内、国内の治安維持で被害や損害を被る国民の数は、ロシアや中国と並ぶ勢いで増加するのでしょう。 

 

比較的穏やかな国民性と考えられる日本でも、伊東市如く自由民権をはき違え己の都合の良い解釈だけが罷り通るようになると、国は強権的政策に舵を取ることでしょう。 

ヤハリ大事なのは、自由には責任・権利には義務が伴うことを理解し全うできる国民の民度です。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

バンクシーにしてみたら、想定通りでしょうね、 

黒く塗りつぶされる、までが今回のアート作品の意味でしょう 

価値とか、資本主義的アートの価値観をずっと否定してきて、周りが勝手に盛り上がって自分の作品に値段をつける、こういう社会現象そのものが、バンクシーが世界に問い続けるメッセージなんだと思ってます、 

落書きが悪いことくらい、誰でも知ってるし、その社会構造の善悪すら問い続けているのでしょ、あとは、皆さんで感じてください、 

それがアートが昔から持つチカラだし、アーティストは言葉では語らないのだと思ってます 

 

▲5 ▼0 

 

 

 
 

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