( 323932 )  2025/09/13 04:08:57  
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この一連のコメントは、日本の政治における責任の取り方や進退、民主主義の仕組み、メディアの役割、そして個人の意識の変化に関する議論が中心となっています。

 

 

1. **責任と進退**: いくつかのコメントでは、政治家が不祥事を起こした際の責任の取り方が議論されています。

「引き際の美学」や「潔く辞める」ことが美徳とされる一方で、現代では辞任することでさらなる責任追及を受ける可能性があるため、簡単に辞職を選ばない傾向が強まっています。

 

 

2. **有権者の役割**: 選挙の結果が誤りであった場合でも、次の機会に選び直すことができるといった意見があり、民主主義の重要性が強調されています。

選挙はコストがかかるが、健全な民主主義を維持するためには必要なプロセスだという意見も見受けられます。

 

 

3. **メディアの影響**: メディアに対する信頼性やその役割に関するコメントが多く、特にSNSの影響で以前のようには世論操作ができなくなっているという指摘もあります。

これは、現代の情報環境が変化していることを示唆しています。

 

 

4. **個人主義の台頭**: コメントの中には、個々の権利主張が強まる一方で、社会全体の調和や責任が軽視されているという見解があります。

これにより、自己中心的な行動が増えているとも考えられています。

 

 

5. **文化的背景**: 日本の「恥の文化」が薄れ、自己中心的な考え方が広がっているとの意見もあり、教育や家庭環境が影響しているという指摘もあります。

 

 

全体として、現代日本の政治や社会における責任や選択の重み、個々の意識がどのように変化しているのか、またそれによって社会がどのように影響を受けているのかが浮かび上がる議論が展開されています。

責任を果たさなくなることや、自己中心的な思考が広がることに対する懸念が強く表れています。

(まとめ)

( 323934 )  2025/09/13 04:08:57  
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よく再選挙になって税金の無駄遣いというが、その選挙費用こそが間違った当選者を選んだ有権者への代償でありペナルティーなのです。つまり、選ぶのに失敗するとそういうことになりますよという話し。 

間違えたら軌道修正しなくてはなりません。健全な民主主義はお金がかかる場合があるということです。だから投票は多局面を見て慎重に判断することなのでしょう。 

 

▲2649 ▼311 

 

=+=+=+=+= 

 

田久保市長、斎藤知事、石破首相、この3人を一括りにして語るのは違うんじゃないかな。 

それぞれ事情が違うから比較のしようが無い。 

というか、そもそも引き際の美学というのは引き際を突きつけられる前に自ら身を引くことであって、引き際を誰かに突きつけられて身を引くというのは引き際の美学の定義からは外れる認識。 

 

もし引き際の美学を体現するのであれば、斎藤知事の様に再当選して、そこから県政で結果を出し、批判者の手のひらを返した上で惜しまれながら去る場合だけだろう。 

現状で引き際の美学への挑戦権があるのは今のところ斎藤知事のみ。 

今後、市議選を経て田久保市長が不信任決議を突き返してこのスタートラインに立てるかどうかだね。 

 

▲2443 ▼370 

 

=+=+=+=+= 

 

武士道にみる責任の取り方と言うのも一理有るが、もっと単純だろう。 

幼少期に「世代の違う環境で育ったか」です。 

例を挙げれば「寺子屋」や「大家族」です。 

大人や年長者の作法やら行動を間近に見て育ったら、その方の真似をする様になる。 

道を外す、失敗をする等、「恥じ」と言う概念を持ち、それを修正する方法を先輩から学んで育つ。 

大人に成ったら、先人達の行動を学び実践すると言う事を自然と身に付けている。 

他者から学ぶ姿勢。 

現代人はこう言う環境にない。 

集団生活をしたとしても、同級生が主だろう。 

行動の学びが無い。 

一言で言うと、「幼稚」なのだ。 

 

▲336 ▼60 

 

=+=+=+=+= 

 

まるで責任をとって身を引くことが日本人の美学のように書かれているが、世界中のスポーツチームでも成績不振による監督の辞任はごく普通のことです。実際にフィールドでプレーするのは選手ですが責任は監督が持ちます。そうした信頼関係がなければ選手は全力でプレーできません。それはスポーツ以外の世界でも同じです。 

責任を取らない指揮官は部下の信頼を得られません。斎藤知事は知事職に留まっていますが議会や県職員との溝は深く、県政に影響が出ています。2020年のラグビーワールドカップでは「ワンチーム」と言う言葉がはやりましたが2025年の現在は「自分ファースト」がキーワードなのです。 

 

▲94 ▼169 

 

=+=+=+=+= 

 

以前と比べると個が持つ権利というものが強くなっているのが今の日本 

それぞれの考え方や生き方が尊重される様になった事は素晴らしいのですが、それがこういった責任を問われる場面に於いても反映されているのではないかと少し前から思っています 

「私には続ける権利があるのだ」と 

 

権利と義務は隣り合わせ 

アラフィフの私は親からそう教えられてきましたが、日常を見ても、権利だけを声高に叫ぶ人が増えているのも確かですよね 

 

▲970 ▼98 

 

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「疑わしきは罰せず」と言う司法対応が受けられるのは一般の非権力者だけ。 

選挙で選ばれた公職者や社会的地位が高い権力者は 

その説明責任を果たし、身の潔白は自分で証明しなければならない。 

出来なければ辞任するのが当然。 

権力者に「疑わしきは罰せず」を適用するのが間違っている。 

日本人の引き際の「美学」とはあまり関係の無い問題だと思います。 

 

▲173 ▼156 

 

=+=+=+=+= 

 

メディアはかつての様に誘導できない苛立ちや焦りを感じる。世論誘導こそメディアの役割りとばかりに、、、。叩かれるべき人、そうでない人。 

意図的なのか、又は目先の利益によるものか? 

変化したのはメディアに対する世論の目。メディアの標的になった人も、そこを意識しているに過ぎない。引き際の美学よりも正義の美学。 

履き違えている方も居られるようだが、そうなってしまった背景には、メディアの怠慢に抗う正義に見える。 

近い将来、子供に就いて欲しくない職種、第1位にオールドメディアが輝くであろう。 

 

▲629 ▼75 

 

=+=+=+=+= 

 

たまたま三人が重なっただけだろう。特に石破首相は、不祥事の問題ではない。国家の運営はそう簡単ではない。たとえば、今日、大地震に見舞われたら一定のメドがつくまで現政権で対処するほかはない。総理だけでなく、担当大臣、政務官などの意思決定の体制を変えるわけにはいかないだろう。トランプ関税も、「地震対策」のようなものだろう。一定のメドがつかずに担当者を変えることは国益を著しく損なうだろう。それも赤沢大臣が米国側担当者とぎくしゃくしているのならわからぬでもないが、それなりの信頼関係を築いて交渉に当たっていることは多くの国民が認めるところだろう。 

 それにもかかわらず、野党がワイワイ騒ぐのならわからぬでもない。責任与党の自民党議員が、現在進行形の日米外交交渉を妨害しようというのだから、呆れてしまう。そんな無責任与党だから、国民の支持率はあがらないんだ。あとは、野に下るしかないのが自民党の運命だ。 

 

▲59 ▼102 

 

=+=+=+=+= 

 

ここに兵庫県を混ぜるのはどうなのか? 

議会が勇み足で不信任決議を可決し失職、出直し選で斎藤知事は再選したのであって、疑惑を抱えながらずっと地位にしがみついているわけではない。 

百条委と第三者委の結果を踏まえた上での不信任決議可決だったなら知事選の結果が変わっていた可能性は大いにありえる話で、兵庫県議会の責任もまたかなり大きいものと言える。 

 

▲2040 ▼557 

 

=+=+=+=+= 

 

別の視点で考えると、3人それぞれ事情が異なるので、一緒には出来ないが、共通して言えるのは仮に選挙の選択が間違えていたとしても、必ず次の任期で選び直しが出来るということ。その間の影響はあるとしても、独裁国家のように民主的な選挙制度がなかったり、批判者に対する権力者の圧力や暴力、不正な選挙が当りまえのようにある国と日本は違う。民主主義はコストも時間もかかるが、絶対にこの権利を手放してはいけないし、しっかりと考え、熟考してこの権利を行使する必要があると思う。 

 

▲65 ▼7 

 

 

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これらの個別のケースはさておき、日本は引き際の美学が強すぎるとは思うけどね。相撲の横綱もそうなんだけど。 

障害があっても自分の信念を突き通すことが結果につながることもある。いつも全会一致する方がもおかしいしね。 

 

別にこれらの個別ケースを擁護するつもりは毛頭ありませんけど。「何で自主的に辞めないの」ということの議論に時間を使い過ぎてもしゃーないと。民主主義の仕組みに則って粛々と慎重に投票することが大事。 

 

▲6 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

コンプライアンスが叫ばれる昨今において政界の体質はあまりにも緩すぎる、政治家や行政機関の不祥事や問題を起こした場合には何らかのペナルティを与えるべきである。 

今回のような市町村において社会的問題を起こした場合には地方譲与税の一定期間減額や停止処分とするなど自治体に制裁処置を行うべき地方創生も良いがただ金をばら撒くだけでは無く国による監督調整をした方が良い 

 

▲247 ▼53 

 

=+=+=+=+= 

 

進退の論議を報道の軸にしてるのは、違和感を感じています。 

進退よりも、真実とそれに対する対応を精査し追及すべきだと思う。 

市長の場合は、利権の報復に疑念より進退が強く押されいるような気がする。 

そんなに進退を急ぐ必要はないんじゃないかな。 

知事さんの方は、真実への対処が置き去りにして進退で決着つけようとしているように感じる。 

 

▲33 ▼47 

 

=+=+=+=+= 

 

辞めれば良いというわけでもないでしょう。 

目に見えている現象、特に報道から流される情報は、スポンサーからの広告になっているという見方をされることもあります。 

よくオールドメディアと呼ばれる既存のマスコミ情報だけを信用するのではなく、YouTubeをはじめとしたSNSなどの情報も含めて総括的に解釈することが大切かもしれません。 

よく、SNSの信頼性を批判するマスコミがいますが、「お前が言うな」と思っている国民は増えているんじゃないでしょうか? 

私自身も「真実はしるよしもない」のは事実。それぞれが得た情報を元に判断するしかないですけどね。 

テレビが批判しているからといって、その批判がまともかどうかなんて、わからないということだけが、真実として浮き彫りになったのが最近のこの願書でしょう。 

 

▲7 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

この人は、自身の信を問うために辞職して再選した。色んな疑惑がある中でも、有権者は彼を選んだと言える。だから、知事が原因で何か混乱が生じたとしても、県民の責任になるでしょう。 

一方、田久保は責任転嫁して逃げ回っているだけです。真っ向から立ち向かい、それで再選すれば誰も文句言えないと思うんですけど、そうはしないんですよね。 

引き際は肝心だと思いますが、一度権力を持つと、気持ちよくて手放したくなくなるのかなと感じます。 

 

▲9 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

「言行不一致」の方を信じる、お花畑な方が増えたのが原因だと思います。 

 

やると言った事と正反対の事をやったり、やらないと言った事を平気でやる方の言葉を信じる行為は、愚かで危険な行為だと言えます。 

 

先の大戦で『俺もあとから行くぞ』『お前たちだけを死なせはしない』と言っていた将官が、「俺は死ぬ係じゃないから」 と言い放ったことを絶対に忘れてはいけないと思います。 

 

▲110 ▼19 

 

=+=+=+=+= 

 

引き際の美学といっても、この記事であげた例を見てもそれぞれ事情が異なるように、根本原因によって(例えば、引責なのか自身の不祥事なのか等)見方は変わると思う。自身が問題を起こしながらなお居座り続けるなら、それは現代でも非難されるだろうし、それは冷静に見極めたい。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

単純に、自分にとって何が得かが優先されるようになったためだと思います。不祥事で辞めても称賛されるわけではありません。国民ファースト、都民ファーストが堂々と叫ばれるのと同様に自分ファーストを実践しているだけだと思います。 

 

▲50 ▼16 

 

=+=+=+=+= 

 

時代の流れもあると思うが、メディア側が不都合な真実を隠しているケースもある。真実を捻じ曲げられているケースに対して頑として戦う人が増えた、とも取れる。 

具体的には斎藤知事ですが、民意で当選している。 

田久保市長についても、メガソーラー絡みで企業にはめられているのでは?とも思うので市民が本当にやってほしい政策を実現する人を選べば良いだけだと思う。石破さんに関してはそもそも民意が届かない形で選ばれているが、石破さんを選んだ自民党がボロ負けした、ということが民意だと思う。 

オールドメディアだけに民意が左右されなくなったということが根底だと思う。自分たちのやりたいことを叶えてくれる人を選ぶ、任せたい人を選ぶ、そのために選挙で決着をつける、というのは本来全員が望んでいたことではないか?と思う 

 

▲29 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

失敗をキャリアに傷と見がちな日本の組織文化だからではないか。斎藤氏は地位にしがみついているとしか見えないが、辞任=自己の関与を認めること、になってしまう、と本人が考えるから絶対認めないぞ!辞めないぞとなる。一旦コケてもまた出直せばよい、とはなかなかならない。斎藤氏は出直し選挙で勝ったではないか、という人もいるかもしれないが、斎藤氏の場合、再選すると思った人は少数だったはず。あくまで立花氏の大暴れがあって再選しただけ。もっと海外に打って出て世界市場で戦うことを良しとして拍手を送るべきではないか。 

 

▲3 ▼25 

 

 

=+=+=+=+= 

 

個人的に思うのは「潔く辞める」ことそれ自体の価値が下がってるのではないかということ。 

昔だと、誰かが責任を取って辞めたりしたらそれ以上の追及とかはせずにとりあえずの解決ということにできていたので、不本意ではあるが「潔く辞めて問題を終わりにする」という選択肢があった。ただ、今の場合は「責任を取って辞める」という行動を取ってもさらに責任追及されたりするし、むしろ「辞めた」ということは責任を認めたということと見なされて更なる追い討ちを掛けられるような場合も生じている。徹底抗戦した方がメリットがあるなら、そりゃ潔くなんてことはしないだろう。 

 

▲38 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

戦後の民主自由主義が曲解されている結果だ。それは個人の自由主義のはき違えで、自己中心主義が受け入れられている現状にある。これは少子化、核家族化、集団生活やその活動の減少等で、社会性やそのモラルが個人に反映しづらくなった。これは当然自分の言動が、周囲や社会に与える影響を、勘案しずらくなる。それは政治家や社会のリーダーに、その態度が現れると、社会が混乱するしかなくなる。この傾向は今後増えていくだろう。これは一朝一夕に改善するものではない。基本は個人の人間性の問題ゆえ、余程大きな体制の変換でもない限り、解決されないだろう。 

 

▲20 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

三者三様ですね。  

 

自分に都合が悪いことにはウソをついたり答えなかったたり、関係者にマスコミの取材を受けないようにと依頼したり、犯罪行為と思われることを繰り返しているという点で同列には語れませんよね。  

悪質という点では石破さんは別になるのかなとと思うんで、2者に分かれると思います。  

基本的にくだらない言い訳や嘘をついている人が嫌いなんで、そんな人が組織のトップに長々と居座っていられるシステムを何とかしてもらいたいと思っています。 

 

▲10 ▼14 

 

=+=+=+=+= 

 

石破さんに関して言えば選挙で自民党が負けたが関税交渉が佳境に入っていた為、落ち着くまで続投した。自民党総裁として責任を問われた石破さんと自らの不徳による騒動である斎藤知事と田久保市長とは性質が違うのでそこと一緒にされるのは石破さんが気の毒。石破さんは私の政治的な考えとは異なるものの、他の二人のような低レベルな騒動を起こした訳ではないのだから労いの言葉くらいは掛けたい。 

 

▲18 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

ルールがあるから、それに従いいずれの側も目一杯対抗して来るのは仕方がありません。ルールも双方の権利と資格を勘案して作られているから、安易に改定し難い面があります。小生も潔くないと感じますが、潔いという美点も古くなりつつあります。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

石破さんの場合は、組織におけるトップの責任の取り方なので記事で言うことに当てはまるかもしれないが、 

斎藤さんの場合は、告発に関する真偽と姿勢の問題で、それは民意による知事継続が決定していること、 

田久保さんは、性格的にも思考的にも特異な人なので、論理的な説明ができるはずがない 

 

▲335 ▼44 

 

=+=+=+=+= 

 

もう日本には価値観が異なる外国人が沢山いるし、SNSも凄いし、良くも悪くも大いに変化して行くものと思われます。 

一昔前はマスコミの情報が全てだったが、兵庫県知事選挙の結果のように、マスコミによる印象操作はもうできなくなってきている気がします。 

そうなると、政治については選挙制度があるので、その結果が全てで、間違った人を選んでしまったら、次の選挙で落選という本来の仕組みで行くのかなと思います。 

個人が全世界に自ら情報発信できるので、マスコミ陣も印象操作ばかりしていると信用されなくなり、そう遠くない将来で経営が成り立たず、淘汰されてしまうかと思います。今後ますます、AIによるフェイク情報も飛び交うので、客観的に事実だけを報道できるところだけが信用され生き残れると思います。 

 

▲14 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

SNS の普及で、疑惑が出てから組織に与える影響が格段に大きくなっている。そういう意味では新浪がサントリーは辞めて、経済同友会は自粛という判断は理解できる。 

 

やったことに対して問題があるかどうかは賛否あるだろうが、トップである以上その後の組織への影響に対する責任はあると思う。 

 

▲31 ▼55 

 

=+=+=+=+= 

 

私は、中小企業で社長をしているが、同族企業のためなかなかやめられないと思っていた。いつでも辞めれて誰でも社長ができる状態を作ることが重要だと考え、今は、いつ辞めても大丈夫である状態にすることができた。そうすると余計に社長のカリスマ性みたいなものがクローズアップされてくる。そこでやはり誰でもできる状態ではなく、次世代のリーダーと執行部を人を決めて育てることにした。やはり、辞めるときには、次のリーダーがきちんと決まっている状態を作り上げなければならないし、そのために決めたリーダーに情報を公開し、教育しなければならない。全ての情報が、一番トップに集まってくるこれの処理方法の指示がトップリーダーから出されて内容が進行していくと、責任を捨てて辞めるのはいいが、まともなリーダーは、辞めないでしっかりと引継ぎ時期を確保するべきだと思う。アメリカの大統領選のようにある一定の期間は、必要だと思う。 

 

▲22 ▼57 

 

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比べ方が少々次元の違いが有ろうかと思うが、武士の世の責任の取り方に「切腹」が有った。これは自分の責任は自分で取る事を意味する行為である。当時の武士は武士の身分を剥奪されればその後の生活は途端に不安定な状況に陥る。この切腹は少なくとも武士の身分を最低限守る為の身の処し方だったのではないかと推測する。これを今の時代に置き換えれば、公職にある身分の人の場合、不祥事を起こせば「懲戒免職」という処分が下る。この懲戒免職が下れば退職金授受等々の一切の権利が無くなる。少なからずこれを避ける為に依願退職扱いに成る事も有ろうかと思います。政界に於いて責任ある地位に存ずる人はそれこそ潔さは必要でありましょう。庶民の事を考えればその潔さによって救われる人は多いであろうと思われるからだ。然し昨今その潔さが失われつつありますね。個を強調するあまり全体の利益を喪失してしまっているんです。個を重んじる立場では無いのに。 

 

▲13 ▼24 

 

 

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結局「辞任」する人はよくいますが、政策や判断を誤った時にきちんと「謝罪」する日本の政治家って少ない気がします。 

 

ドイツのメルケル首相はコロナ対策に失敗した時に、しっかりと謝罪をした上で「失敗をしておきながら本当に申し訳ないが、コロナ抑え込みのために国民の行動を制限させてもらう」と発信していました。 

ハイコ・マース外務大臣も、ドイツ軍のアフガン撤退が遅れ混乱が生じた時に、自らの判断ミスであることを認めた上で謝罪していました。 

2人とも、その後職務を全うしています。 

 

「謝罪」がないと、その政策が良かったのか失敗だったのかケジメがつかないんですよね。明らかにダメだった政策でも、それを推進した責任者がケジメをつけないのが日本の政治の状況だと思います。辞任はしなくても別にいいですけど、政治家には失敗をしっかりと認める勇気と誠実さを持ってほしいです。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

なんでこれらのことを一緒くたに報じるのか? 

なんにも勉強していませんから同じようなものに見えてますと、自社の恥をさらしているようなもの。 

斎藤知事は不信任を受け入れて議会解散を選ばず、たった一人での再選挙に臨んで、その結果県民の信託を得て再選されているのですから、どこにも辞める理由など存在しない。 

そして今も続く妨害、誹謗中傷に見事に対応しながら県政を粛々と進めているのには感服させられます。 

 

▲48 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

不信任決議が可決されても、失職を選ぶか議会の解散を選ぶかは首長に委ねられている。それが法治国家。それで首長の座を追われた典型例は前岸和田市長だ。だから、法的に何も問題がないのに「潔く辞めない」と非難するのはおかしい。それこそが、このネット社会に横行する「民意」を装った「私刑」ではなくか。 

 

加えて、この社会心理学者が言う切腹の解釈は間違っている。「切腹が名誉」だったことなどない。あと、相変わらず「昭和の時代は」というステレオタイプな批判をしているが、時代や世代にするな。「そういう人もいた」という個人の資質の問題だ。 

 

あと、この原稿、下手すぎる。 

 

▲23 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

自分の責任を自分で取れない人が 

増えと言う事です。どの様な時でも自分は 

常に正しく、悪いのは他人だと考える人が 

多い世の中に成ったと言う事です。 

行政も司法も全てがそう考える人の集まりに成ったのです。最近司法で不起訴処分が非常に 

多く成ったのもその一環だと思います。 

 

▲9 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

石破氏とこの二人は違うと思っています。改革をしようとすると抵抗勢力が必死に足を引っ張ってきます。彼らには彼らの生活がかかって来ますから当然です。ここで変な口実を作られなければこんな問題にはならないんです。大阪の橋下氏の場合も下手をすればこうなってたと思いますが彼には維新が後ろに控えてたのでこんな問題にはならなかったですけど、彼の改革にも相当の反発が見れましたし、口実が無ければ命を狙うぞと脅迫もありましたから。田久保氏の場合は大きな口実を与えてしまいました。斎藤氏の場合は上手に口実を作られそこにオールドメデアが乗っかったからおかしくなってしまった。背景は各全然違います。ここで引き際だけで議論してもダメですよ。事の本筋を見なきゃね。石破氏の場合だけは問題の本質が違いますよ。 

 

▲162 ▼58 

 

=+=+=+=+= 

 

組織のトップが責任を負うからこそ部下は不満があろうとなかろうとついていくわけで、それがないなら組織としての形を成さなくなってしまう。任命責任というのもそれ故だと思う。 

とはいえ、この3人はそれぞれ背景が違うので並べられて語るのもいかがなものかと思ってしまう。 

 

▲62 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう心理学者の意見が駄目なのは彼らには政治の常識がないから。安っぽい文化論で説明するのが適切かどうかが彼らには分からない。総選挙で大敗して与党過半数割れになった首相が辞めない例は過去の日英独豪にはほぼ皆無。心理学者は英独豪の首相の方が石破氏よりずっと潔いことを知らない。これで辞めないのなら党首は選挙の惨敗に責任を負わなくて良いという常識ができ、日本政治の大きな影響を及ぼすだろう。ほぼ全ての政治学者、評論家、記者は衆院選惨敗後に辞めろと言わなかったから、今後そう言えなくなる。日本政治はまともな議院内閣制の国と異質の意味不明な政治になった。 

 

今はナルシシズム政治の時代で、その傾向がある政治家はトランプのように批判されても批判者を人格攻撃をするか、バリアで自分が守られていて、バリアが批判を撥ねつける。こういう政治家は教祖的で熱烈な信者がいる場合が多い。彼らは信者にも守られている。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

日本の文化から「恥の文化」が消えていっているのでは。代わりに出てきているのが「自己中」。「自分さえ良ければ他人はどうでもいい」という考え。自分が生き残れば他人は死んでも良いと言う考えは間違っていると思いますが。原因は教育ですね。親の教育。親からしてそんな考えだから子供も同じ。「躾」「我慢」を親は子供に教えない。だから子供も引き際が分からないというのが現実ではないでしょうか。 

 

▲6 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

生活の些細な事も含めて、社会の規範を本来人間としての成長や道徳観で守るべき範囲も「決まり事」だけで守ろうとした今の風潮に無理があると思う。 

結果、自分の甘さや弱さを晒して恥を感じず逃避する人間が増えて、それが「決まり事」だけで守られていく。 

「法に触れてないからいいでしょ」で守ってはいけない物が本来社会にはあるのだ。 

 

まあ、昔の自決ってのも違う形での逃避と言えた側面があるけれども。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

私たちが勘違いをしてはいけないのは、こうした一般論でかたずける問題ではないということです。何より法に反したことをしているか否かということ、そのことが問題なのだ。いわゆる道徳論で片付けてはならない。斎藤氏も内部通報違反など数々の法違反で告発告訴されているし、田久保氏も新浪氏もそう。ただ石破氏はそれとは違うだろう。彼はいわば政治的責任だろう。ここには自らの決断の余地がある。潔いかどうかは問われるだろう。問題は前者3人だ。とりわけ兵庫県政を見るとその弊害は大きい。法律を守らない責任者に一体何を期待できるというのか。法を守る守らせるために政治はある。自ら法治主義を否定するような行いは自治を破壊するに等しい。絶対に正当化できない。 

 

▲5 ▼7 

 

 

=+=+=+=+= 

 

理由はそれぞれだし、少なくとも斎藤知事の場合には、辞める理由が見当たらない。 

 

パワハラが問題だと言うが内容はせいぜい厳重注意のレベルだし、真相はわからないが、自殺した職員の自殺理由としては無理があるレベル。 

 

つまり、斎藤知事には辞めなければならない理由はない。 

 

問題なのは、 

議会や第三者委員会の方である。 

 

更に言えば、自殺した職員は問題が多い。 

正義の告発と言うなら、自殺などせずに戦えば良い。 

 

自殺したからといって全てが正しいわけではない。 

 

▲50 ▼21 

 

=+=+=+=+= 

 

3人を同列のように併記して、それらしく決めつけるのはやめてほしいものですね 

 

私は兵庫県民ですが、ずっと県政を見てきています 

あの時最初はテレビ・新聞の論調に影響されて酷い知事だからやめさせなければと思っていましたが、その後ネットや知合い、業界の人から色々聞いて、斎藤知事を応援して今まで続いています 

前知事を核とする地元では巨大な利権集団と闘いながら、県政では、国からの天下り組織へのお金を廃止し、施設の老朽化が課題だった県立高校などへそのお金を回したり、65歳や70歳で退く規定であった県の天下り用の組織で、80歳を超えても居座り続けていた人を辞めさせて交代させたり、公共事業についても問題がある事業を見直したり、本当に県民の思いに沿った県政をしてくれています 

 

少なくとも齋藤知事と田久保市長とを同列に並べるのは、兵庫県民にとってみれば侮辱でしかありません 

 

▲40 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

こういう趣旨の話は嫌いではありませんが、兵庫県知事を他の人らと同じ序列に並べるのはいかがなものかと思います。兵庫県民ではありませんが、不正や利権に立ち向かう姿勢は、高く評価されるべきだと感じます。他の人は自己の利権や地位を保持したいだけに見えます。 

 

▲154 ▼29 

 

=+=+=+=+= 

 

是非は別として時代の変化なんでしょうね。 

かつて王貞治さんは40歳シーズンで30ホーマー84打点を挙げながら「王貞治としてのバッティングができなくなった」という理由で引退されました。130試合の時代なので今に換算すれば33ホーマー92打点に相当します。現在の感覚ならちょっと考えられないことですが、当時はその潔い退き際に我々一般人はとくに驚かなかったと記憶しています。 

しかし現在は野球選手や大相撲力士など、けっこうボロボロになるまで現役を続ける人が目立つようになりました。サッカーの三浦選手などはその典型例でしょう。 

 

政治の世界でも福田武夫さんは総裁選の予備選で敗れた時点で本選を辞退されました。それは福田さんがかねて予備選で敗れた者は辞退すべきと発言しておりそれに従った行動でしたが、今の政治家ならどうだろうと思います。 

 

退き際に限らず、「美学」というものは時代によって変化するものですね。 

 

▲55 ▼94 

 

=+=+=+=+= 

 

色々個々の事情は全て違うけど、この様なタイトル記事でやっぱり流石に、斉藤さん、田久保さんと石破さん同列に書くのはいかがなものかと。 

最初の2人は「引き際の美学」の問題で無く事実なら解任レベル(特に田久保さんは)の話で生前説に立つ選挙で通った首長レベルの解任規定が難しいことが課題の話では無いかな。 

(確かに結果はまだだけど、この流れで田久保さんが首になっても、無駄な選挙での税金投入や需要な予算執行が止まる市政混乱の損失など解任レベルでありながら無いことによる課題の大きさが。。。) 

 

石破さんは政治家としての「引き際の美学」の話でいいけど。。。 

 

▲258 ▼55 

 

=+=+=+=+= 

 

田久保さんの場合は辞めるほどの悪事じゃないと思ったし、斎藤さんのは悪事ですらなく、むしろ被害者だと思いました。石破さんの場合はあれで辞めさせられたら気の毒と…。悪事判定のツボは人によって様々だから、「あいつは悪」と部外者が一方的に決めつけるのはどうかと思います。 

 

▲6 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

今も昔も引き際が潔かった人もいれば往生際が悪い人もいるというだけではないでしょうか。現に「往生際が悪い」という言葉が存在していますし。記憶や記録の中だと潔い方が残りやすい伝えやすいというのもあると思います。 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

ウチの娘もこれをやる 

と、言ったら言うことを聴かないし 

強情極まりない… 

田久保に似た部分もある。 

斎藤知事はサラリーマンの鑑で 

決して反面教師ではないのでは… 

石破さんは総理になって嫌いになった人物のベスト3に入ってしまった… 

茂木さんもそうなるだろし、 

小泉なら政治の世界から脱却する。 

高石ならどうだろか? 

大陸と真っ向勝負するのも面白いか… 

 

▲2 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

田久保の場合は、自らの詰めの甘さに原因がある。素直に認めて初期消火を図ることもできたはずだが、そのままズルズルと行ってしまった印象である。当選してからわずかであり何も実績がない状況だからしがみついているだろう。 

斉藤の場合は、そもそもが告発者や斉藤を支持する主要人物も含めた兵庫県庁職員と結託した茶番劇である。告発者もメディアが散々面白おかしく報じていた働かない公務員の典型的な人物であったこともあり、メディアも含めた既得権が絡んでいることもあり複雑な状況で混乱が進んでいる。 

真相をステークホルダーである兵庫県民に、全ての情報を見せて各々で判断してもらうしか混乱はおさまらないだろう。 

そもそも、過去の報道でも感じたことだが、預かり知らない不祥事でトップが座を退くことには違和感があった。これを美学と考えていたことこそ異常な思考だったと思う。 

手続きをした上で引きずり下ろすやり方が正しいと思う。 

 

▲19 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この3者は、だいぶ質が違う。同類のように論じるのは強引かな。特に斎藤知事は自ら自動失職、出直し選挙に臨み当選した。石破首相は確かに居座りが長過ぎたが、自身の不祥事はなく権力闘争の側面が強い。国政の舞台ではしばしば起こる現象でもある。たちが悪いのは、やはり伊東市だろう。大したこともない学歴詐称を、ここまでの騒動にしてしまい、しかも本人は居座り議会を解散してしまった。先日逮捕された、岸和田市のケースと似ているが、市町村レベルの地方自治を担う人材不足が深刻なのかなと考える。 

 

▲52 ▼11 

 

 

=+=+=+=+= 

 

責任を取って辞めることを美学とは全く思わないけど、持ち得た権力を手放す必要があるから、辞めるべきだと思う。 

権力を持つ人が誤った使い方をした、もしくは誤った形で権力を持ってしまったなら、それは手放す以外に責任の取り方がないと思う。 

引き際に美学なんて求めちゃいない。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

最後に取って付けたように石破を並べているが、前者2名はもちろん問題となるスキャンダルはあれどNo!メガソーラーなど利権と戦い、県民市民に有益な実績を上げている。方や石破は日本そのものを著しく毀損し貶めている。関税合意? んなもん交渉にもならず思惑に嵌った数字が15%だろ! 

 

誰かがオールドメディアの集中砲火を浴びてる時こそ真実を注視する必要がある。 

 

▲6 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

斎藤は潔く辞めて出直し選挙で勝利したのではないか。 

むしろ県議会こそ解散して民意を問うべきであった。 

引き際とかいう問題ではなく、どれだけ国民のためにより良い政治ができる能力と熱意があるかどうか。 

田久保は自分ファーストで、辞めるのではなく議会解散という最悪の手段をとった。 

 

▲77 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

我が家がお世話になっている方上様は、90歳過ぎても日本中の生きた方々に説法して歩き、側溝に落ちて大怪我をされても止めようとしませんでした。葬式坊主が本業ではないと仰るその方は無縁仏をご供養するお墓しか持たなかったので我が家のお墓は霊園にあります。日本人は桜が好きだからいけないんです。と仰っていたのを思い出しました。 

政策の筋道や成果、なぜそれが必要なのかを考えたり知ろうとせずに、手近な不満や利益の為に潰そうとするのは最終的に自分の首を絞める可能性があります。国民に反応の良い政策変更を隠れ蓑に国民の不利益にしかならない利権がのさばらなければいいのですが、、 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

二度の選挙で県民に選ばれた斉藤知事と直近3回の選挙で負けた石破を一緒にするな! 

 

田久保市長に関しては次の選挙で市民に選ばなければそれまで。 

 

民主主義を勉強してから記事を書け。 

 

だから2025年の報道の自由度ランキングで、日本は180カ国中66位でした。G7諸国の中では最も低い順位になるんだよ。 

 

マスコミの情報に信用が無い事が加速して行く一方だ。 

 

▲25 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

公益通報者保護法違反、公職選挙法違反と言われている斎藤、学歴詐称、文書偽造の田久保と、関税が確定するまではやり切ると言って辞めた石破とは明らかに違う気がするが。前者は犯罪未確定だとしてもそういう咎がありながら地位にしがみついているだけという印象。石破については賛否あるが一番辞めさせたいと思っているのは麻生や党内の有力者であり勢力争いでしょう。なんでもまとめればいいものでは無い。 

 

▲6 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

そんな仰々しい話ではなく、結果を踏まえた責任者の責任の取り方に合理性があるのかどうかだけ。一方で、どうしても目立つ個人が持ち上げられたり叩かれたりするが、個人の顔が見えない(責任の所在が体良く曖昧なままにされた)組織の側に後ろめたいことがないのかにも、思いを巡らせるべき。 

顔が変わる自民党は、一体今まで何をしてきたのか?兵庫県の組織や行政は正しかったのか、もっとメディアが取材と情報発信をするべきだと思うのだが。 

 

▲9 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

石破さんも混ぜるのは、ちょっと無理があるよなぁ。選挙大敗の責任て言われても、石破さんが総理になったときって、すでに裏金問題などで自民党の信用はがた落ちで、誰が総理になっても選挙で勝てない状態だったでしょ。 

石破さんは、第一期安倍政権のときの安倍おろしに強くかかわったわけだけど、石破おろしを真っ先に言い始めたのは、安倍派の連中でしょ?でもって、安倍派と言ったら自民党の派閥の中で、裏金問題にかかわった議員が最も多い派閥だよね。 

彼らとしては、石破さんをおろして、敵討ちをしたつもりだろうけど、自民党に具体的にダメージを与えてきたのは安倍派の連中なんだよね。 

そんな状況下で、「潔く辞めない」って言われてもなぁって思う。 

 

▲4 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

どれもケースとして違うと感じるので、一括りにするのは違うと思う。それにこの場合の潔さって個人の主観になると思う。選挙制度そのものの見直しや有権者の思考力、選定能力の上昇が大事になることは間違い無いが。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

見出し「潔く辞めないトップ」という言葉には、日本人が長く抱いてきた「潔い引き際」という美学が前提として織り込まれている。辞めないことが、まるで「悪」であるかのような印象を、読者の心に静かに染み込ませる。 

 

本文に登場する「正当化」という語もまた、説明や反論を「言い訳」として処理する響きを持ち、当事者の言葉に「信用できない」という評価を添えている。それは、事実の報道に見せかけながら、記者の視点を巧みに織り込む技法とも言えるだろう。 

 

言葉は単なる伝達手段ではなく、印象を形づくる刃にもなる。一文、一語が出来事の輪郭を変え、人物の像を歪める力を持つ。この記事は、事実を並べながらも「辞めないことは異常だ」という価値判断を強く滲ませている。 

 

報道に触れるときには、何が事実で、何が解釈なのかを見極める目が必要だ。言葉の力を知ることで、情報に流されず、自らの思考で世界を見つめることができる。 

 

▲0 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

3名の政治家の「潔く辞めないトップ」ってありますが、ケースバイケースでひとくくりにするのちょっと厳しいでしょう。 

「引き際の美学」になると政治家の場合はまずは選挙でしょうね。選挙で勝てないのなら「引き際」なのでしょう。 

田久保市長は不信任案可決後、議会解散で市長としての生き残りを賭けたのでしょう。斎藤知事は不信任案可決後、自動失職を選択をして県知事選で再当選して今に至ってます。石破首相は国政レベルの選挙で3連敗してそれも大惨敗で国会で与党を両議院で少数与党にした党首であり総裁でした。 

「引き際」なら市長・知事はまだですし、石破総裁辞任は「引き際の美学」なら遅すぎたって事でしょう。「美学」を求めるのなら昨年の衆議院選挙で少数与党になった時点だったんでしょうって思います。 

「引き際の美学」って難しいです。本人がそう思えばそれだし、他人がそう思えばそうなのでしょうね。逆もしかりです。 

 

▲9 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

国内外で指導者が潔く止めないという問題が続いている。 

例えば安倍元首相も総裁任期は2期までという党則を変更し3期までに伸ばした。 

ロシアのプーチン大統領も様々な手法で任期を伸ばしている。中国の習近平氏も2期10年という憲法を改正して制限撤廃している。 

それがどれもろくでもないことが今ではわかっている。 

ただ記事にある斎藤知事、田久保市長はそれぞれ選挙で選ばれている。従って任期途中で辞めさせようとすれば規則に則り手続きを踏む必要がある。 

たとえマスコミが気に入らなくても自主的に辞めないことを非難するには至らない。 

特に斎藤知事に至っては県民の支持を得て再選しているのだからそれを非難するのは不合理だ。 

石破総理も同様だ。重大な失政が有ったわけでもなく、それでも辞めさせようとするのは自民党の内輪事情だ。マスコミは政策の是非を非難することは有っても自主的に辞めないことを非難すべきではない。 

 

▲8 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

元はスポーツ選手からかも、昔はもうこれ以上はとなった時、前例に倣って引退するしかない空気があったが、個人が納得いくまでに変わっていった。 

それは個人の追求のことなので構わないが、そういう姿を自分に都合よく政治家や社長業も居座ることが責任を果たすことだと解釈を変えて止まる理由にした。 

政治家なんて理由は何でもよくて、やるつもりがないことを国民に対し丁寧な説明というくらいだから終わっている。 

兵庫県知事に至っては長年の積んだ官僚語録官僚理論を駆使して居座っている。 

社長業での責任は山一證券が潰れた時、社員に責任はありませんと言ったあの時が最後かと感じる。 

 

▲22 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

会社などのトップは社会的責任を取るためにいるようなもので、頭を潰す代わりに体である会社組織を残すに近い。会社さえ残れば何とかリカバリーできる可能性は残る。そもそもトップはいてもいなくても会社の体制は揺るがない。企業のトップとは責任を取る事が仕事のようなものだ。では知事や市長はどうなのかとなると一般企業とは違ってくる。役所は必要だから維持される。それはトップが責任を持たなくても潰れる事はないという事です。そうなると企業のような会社を守るためにトップが責任を取るという発想は無い。これなら無責任も居座りも可能だ。だから政治家の類には良識が求められる。良心がない人がなっては駄目という事ですよ。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

この中で斎藤知事は明確に違うと思うが。一度失職した後、ちゃんと出直し選挙で当選しているわけだから。 

田久保市長は自分の都合で議会解散していらない選挙引き起こしたということで最悪。石破さんもほぼ同レベルで自分が居座るために言い訳して、総裁選の前倒し求める議員を様々な手で間接的に脅したりして、どうにもならなくなってようやく退陣することになった。解散総選挙も考慮してたというのだから驚きでしかない。こっちはちょっとやってみて欲しかったが。 

 

▲44 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

今回の田久保さんがどうなるかはまだ解らないけどね。 

でも斎藤さんは再任した。 

県民が選んだのだから他県の私はどうこう言うつもりは無い。 

少しは何で?って思うくらい。 

地方自治体の長を選ぶのは地元民。 

正しい判断力が無いと相応しくない人がトップになって、泣くのは地元民。 

 

▲8 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

田久保市長はともかく、斎藤知事や石破首相には辞任すべき明確な理由はないと思う。それにもかかわらず、ニュースの取り上げ方が世論を巻き込むような形で報じられている点に違和感を感じます。本来リーダーとして必要な人材が退き、結局は多数派による支配が続く、そんあ日本に未来を感じられない。多様性や個性を掲げながらも、それが表面的な話にとどまり、互いの強みを連携して活かしきれていないことが残念だと思います。 

 

▲70 ▼100 

 

=+=+=+=+= 

 

石破首相や田久保市長の問題と兵庫県の斎藤知事を同列に並べて語るこの記事はどうかと思う。兵庫の場合は議会の不信任決議に対して出直し選挙で斎藤知事は再選されたのだから、疑惑云々など言われる筋合いなど無い。むしろ斎藤知事が再選されたことに対して県議会は不信任決議の責任を感じ県議全員が辞職するべきです。それもせずにのうのうと県議を続けていられる人たちの人間性を疑いますね。彼ら県議やマスコミが今さらながらに斎藤知事の違法性をどうこう言うなら刑事告訴して裁判で決着をつけたらいい。それをしようとしないのは県議たちやマスコミ自体に後ろめたい何かがあるからだということでしょう 

 

▲37 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

斎藤知事はこれと一緒にできないでしょ 

あれだけ報道にやられても選挙で再選したんだから 

立場によっては「辞めさせられなかった」のかもしれないが、ちょっと話が違う。 

マスコミが「俺らがダメだと言ったのになんで辞めないんだ」はおかしい 

不信任→自動失職→再当選 

不信任→解散→再度不信任?→失職 

これは雲泥の差があると思います。 

 

▲83 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

兵庫県に関しては、県議会の読みが甘かったんでしょう。 

あれだけネガティブな情報をメディア使い流したからこれまでなら余裕で落選していたが、SNS等でそれを否定する情報も流れ、結果的に斎藤知事が再選された。 

 

再選されたから斎藤知事はそりゃ辞めますとは言わずに強気にでられる。 

 

▲5 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

本人自身が関わる問題に対する責任追及と、組織としての成果が出せなかったことに対する 

トップとしての責任追及、これを同列で語ろうとする意味が分からない。 

どちらも相応の責任があるのは間違いないが、その責任の取り方は全く違う。 

 

▲7 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

石破氏は党内改革をきっちりやれれば、党内からはともかく有権者からの支持はもっと得られたんじゃないか。直近の支持率の高さがそれを物語っていると思う。 

あと故人だから仕方ないかも知れないが、この話題で安倍元総理の名が出ないのは違和感が大きい。 

 

▲2 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

それだけ選挙で寄せられた民意は重いということ。であるならば、解職請求の意思表明ももっと重視されるべきと思う。あまりにも選任されたことだけに重きを置きすぎだと思う。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

田久保さんは選挙広報には大学『卒業』とは書いて居ない。 市の発行したパンフレットに卒業と書いて有り騒ぎに成った。 自身のチェックミスだが、対応が悪かった、議会の議員も訂正して下さいで済む話を経歴詐称や公職選挙法違反だと話を大きくあえてしている。 雇った弁護士が不幸にもポンコツだったのもあり本人も引くに引けなかったと個人的に理解出来る部分も有る。 只、次の選挙で金がかかると言う人が居るがこれは必然的な物で惜しいとは私は思わない。 それよりも、需要の極めて低い図書館に何億も掛けるより遥かに意義が有る。 それも解らない議会議員も再度民意を問うた方が良い。 

 

▲5 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

引き際、散り際 昔の武将は往生際は立派だった。 

そのDNAを引き継いでる日本人たるもの、引き際は潔くしたいもの。 

このニュースの人物達は、座り心地の良い椅子にすがる女々しさには呆れるしかない。 

選挙は人気取り。政治力が無くても口が上手けりゃ、握手されれば、投票する有権者も有権者。 

 

悪事ではないかもしれないが、ルールを守れない、良識に欠如した方々に対しては議会解散や首長の辞職勧告、民意で辞めさせられるルール作りをするべきでは。 

この方々に支払われている給与は『税金』なのだから。 

 

▲9 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

石破首相が斎藤知事と田久保市長と同じ扱いか、何を持って同じと評しているのかこの記事を書いた方の考えが判らない。 

石破首相が形振り構わず「すいませんでした」と早々に辞める事が潔いのですか、そもそもの参院選挙の結果が石破さんに責は有るだろうが重責との判断は何処の部分を指すのか、自民全体だろう特に流れに乗っかった若い者も同罪じゃないか、どの様な対策で挑んでいたかそれで良かったか考えて。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

どこの大学か?分からないような…専門家なる人が、今さら赤穂浪士の話を持ちましても理解に苦しむ。 

今は、価値観の多様化を認める社会であるが…だからこそ、価値観の違う他人を攻撃することは認めてはならない。 

他者への寛容がなくなると、社会の分断に繋がる…今、そういう事が起きている気がする。 

真っ当な専門家の、意見がほしい。 

 

▲19 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

ジャーナリズムの驕り高ぶりを反映した記事だな、と思う。 

マスコミが叩いて辞めさせようとした地方自治体の首長2人はマスコミ叩きに動じないで再選の道を選んだ。背景は辞めるな、という住民の声を受けて辞職を拒否した。 

石破首相はネットを中心とした辞めろという声に屈せず、マスコミの擁護をバックに居座ろうとしたが自民党内部の声に押されて辞任を決めた。 

潔く辞めるかどうかは民意が決めるんだよ。 

マスコミにはもう情報操作も大衆扇動の力も失いつつあるのを証明しただけだ。 

 

▲46 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

石破は衆参議員選挙で負けた責任を取るのかどうかで、何か法を犯した訳ではない。 

結局辞めることになったし、あとの二人とは居座る質が違う。 

あとの2人は刑事告訴を受け、幼稚園児でもクロとわかる事案を抱えている。 

記事中にはパワハラの謝罪をしたとあるが、不快にさせたことについて謝罪しただけでパワハラについては認めず実際は謝罪はしていない。 

公益通報者保護法を無視して通報者探索を行い処罰を科し、消費者庁からの技術的助言も「一般的解釈」とあしらう。 

今だに消費者庁の見解は「知事の解釈は消費者庁の指針とは違う」というまま。 

斉藤元彦人民共和国は日本におけるあらゆる法律は適用されず、知事の解釈こそ法律だと言いたいのだろう。 

間違ったことを「適切」といい、誤りを認めない輩をトップに選ぶと、辞めないトップが生まれてしまう。 

地方公共団体の首長に関しては、トップの質より有権者の質が問われている。 

 

▲7 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

切腹、武士道というが、武士階級は日本人のごくごく一部だと思う。大半は農民であり、日本人の気質を論じるときには農民にむしろフォーカスを当てるのが正しいのではないかなと感じる。 

ムラ社会では不祥事があったら辞めないと今後、色々まずいので辞める。そこには潔さ、という観点はあまりないような。 

 

▲5 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

田久保市長、斎藤知事、石破首相、新浪氏・・・、これらのトップの身の処し方には、それぞれ背景が異なり、一概に言えないでしょう。 

 

ただし、ここで最も大切な点は「法に照らして、問題がないか?」という一点です。 

田久保市長、斎藤知事には、すでに告発もされ、斎藤知事の事案では、二件の告発が受理され、司直の捜査・事実解明が進められているはずです。 

検察には、我が国は歴然とした「法治国家」であること、三権分立の国家であることを矜持を持って示して頂きたいものです。 

 

▲9 ▼28 

 

=+=+=+=+= 

 

辞めない流れは、旧安倍首相が作った。自分も含め謝って済ませる大臣などドンドン出てきました。最たるは、昭恵夫人か絡んだ、森友問題、関係性があったら辞職すると言っていたがごまかして辞職しなかった。不正があっても辞職しない流れは、ここから始まった。良心や、美学にうったえることはもう意味がない。きっちりと法整備して、悪い犯罪者は簡単に数年では浮き上がれないシステムを作るべきです。 

 

▲13 ▼25 

 

=+=+=+=+= 

 

選挙後の市議会で再び不信任案が可決されると市長は失職するという規則は、選挙にかかる費用を考えると、明らかに税金の無駄遣いだと思う。 

 

選挙で選ばれた市議会が、百条委員会を設置したり、疑惑を解明する機会を設け、必要な手続きを踏んだ上で不信任案を可決したのだから、一度目の可決で市長の失職を決定して良いのではないでしょうか。 

又はその可決を受け、国会や裁判所が最終決定を下すという建て付けで良いと思う。 

 

▲24 ▼24 

 

=+=+=+=+= 

 

三人を比較すると斎藤知事だけが、部下が自殺して、その因果関係が明らかにされていない事件性のある状況で知事を続けている。他の二人は人の死には関係していない。事態の大きさが違うものを辞任のいさぎ悪さで比較するのはおかしいかもしれない。でも斎藤知事が悪い前例を作っているのは確かにそう思う。 

 

▲3 ▼9 

 

=+=+=+=+= 

 

元兵庫県民かつ元兵庫県関係者だが、ここでも斎藤知事を石破や田久保などと同列に扱う記事に強い憤りを覚える。斉藤知事以前の兵庫県政を十分に知り尽くした上での記事なのだろうか?自分の経験に照らし合わせればいつまでも粘着して非難されるべきは現職ではない。 

 

▲70 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

潔さに対する美学というか、不祥事を起こしてもそこだけは一部の人が辞め方に頷いてくれる時代があったんだよな。ネットが発展してからは何をしようがとにかく叩く傾向が強くなったので、潔さは無意味と考える人が増えたのもあるとは思う。 

 

▲3 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

言いたいことは分かるけど、さすがに「居座り3兄弟(石破斎藤田久保)」と山口百恵を比べるのはどうかと思う。「今すぐにでも辞めろ」と批判されるのと「辞めないで欲しい」と嘆願されるのでは事情が異なる。根本的な部分は今も昔も変わらないと思う。 

 

▲0 ▼6 

 

=+=+=+=+= 

 

いわゆる地位が高い人ほど人のせいにしたりして責任を取らなくなってきている様に感じる。 

それを周りが見て同じ様に責任を回避する様になり、今の日本はモラルハザードが多発しているのではないだろうか? 

 

▲3 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

田久保市長の場合は、単なる学歴詐称の疑いであり、自らの政策のミスや汚職でもないのでやめるべきではないと考えているのでしょう。ただ、やり方がまずい。 

一番分かりやすかったのは、「学歴なしの私でも市長を続けても良いか市民の信を問いたい」して辞任・再出馬が分かりやすかったのではと思います。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

以前なら潔く辞める、が正解でしょうが現在は真偽不明なまま雰囲気だけで盛り上がるケースが多いと感じます 

悪意を持った言いがかりも少なくない今の世の中が、こういう人物を生みだしているとも思います 

 

▲0 ▼1 

 

 

 
 

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