( 324403 )  2025/09/15 03:23:03  
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外国人観光客で賑わう東京・浅草=米倉昭仁撮影 

 

 多くのインバウンド(訪日外国人客)が訪れる東京。凝縮した日本文化を楽しめる浅草は、活気に満ちているように見える。だが、周辺住民にとってインバウンドは「デメリットしかない」という。 

 

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■平日でも祭りのような賑わい 

 

「人力車で浅草観光はいかがですか?」 

 

 浅草寺前の歩道では威勢のいい客引きの声が飛び交っていた。車夫は日焼けした手に外国語のパンフレットを持ち、外国人観光客に英語で対応している。雷門では外国人のグループが赤い大提灯をバックに撮影中だ。「撮りましょうか」と、車夫が声をかけている。土産物屋や飲食店が軒を連ねる仲見世通りも外国人観光客でいっぱいで、祭りのようなにぎわいだ。 

 

 日本政府観光局によると、インバウンドの都道府県別訪問率ランキング(2024年)のトップは東京都(51.5%)で、大阪府(39.6%)、千葉県(36.6%)、京都府(29.5%)と続く。 

 

 25年夏、浅草の国際観光拠点としての存在感は上がっているように見えた。国策としてインバウンドに力を入れた成功例のひとつで、浅草らしい下町の気さくな雰囲気も、国際化に寄与したのかもしれない。そう感じていた。 

 

■周辺住民は「無関心」 

 

 だが、意外にも、周辺住民の心情は冷めていた。浅草に近い鳥越1丁目町会の細谷清防犯部長は、こう語った。 

 

「インバウンドですか? はっきりいって、周辺住民は無関心です。外国人観光客相手に潤っているのは雷門周辺で商売をしている人だけです。昔からここに暮らしている住民にとって、インバウンドはデメリットしかありません」 

 

 細谷さんは決して「外国人」を嫌っているわけではない。率先して町内の外国人住民と良好な関係を築き、今春、警視庁から表彰されたほどだ。 

 

 何が起こっているのか。 

 

■わずか6年で世帯が半減 

 

 細谷さんが指摘する「デメリット」の一つは、地価の上昇だ。 

 

 7月1日、国税庁は全国の路線価(今年1月1日時点)を発表した。インバウンドに人気の浅草1丁目・雷門通りは前年比29%も上昇。上昇率は都内トップ、全国でも3番目だった。地価が上がれば、土地取引も過熱する。バブル期の地上げを彷彿させるような取引が目立つようになり、対象は鳥越1丁目にも及んでいる。 

 

 細谷さんが憂慮するのは、下町コミュニティーの崩壊だ。古い町並みが残る鳥越1丁目にはかつて1300世帯ほどの住民が暮らしていた。だが、わずか6年ほどで従来の住民は600世帯あまりに減ってしまったという。 

 

「金の力で追い出されてしまったのです。このままでは、町が壊れてしまう。言葉は悪いですけれど、開発業者は住民を札束でひっぱたいているんです」(細谷さん) 

 

 

■「言い値で売って」業者が毎日アプローチ 

 

 細谷さん本人も例外ではない。 

 

「うちは築101年だから、真っ先に狙われる。ダイレクトメール、電話、直接訪問で、開発業者が毎日のようにアプローチしてくる。『言い値でいいから、家と土地を売ってもらえませんか』と」(同) 

 

 開発業者から渡された資料を、細谷さんは見せてくれた。表紙に印刷された「価格目安表」には、土地坪単価が300万円から700万円まで記されている。 

 

「狭い裏通りに面した土地でも坪500万円(公示価格の222%)から700万円(同311%)が相場。表通りだと坪1千万円を超えます」(同) 

 

 鳥越1丁目には8~10坪の小さな住宅が多いそうで、この場合、立ち退き料を含めて、開発業者が提示する総額は、「1億円くらい」。大金だ。 

 

 町には70歳を超える高齢者が大勢暮らしている。 

 

「開発業者から『このお金があれば、郊外に引っ越して、いい家、マンションに住めますよ』とささやかれる。娘や息子が経済的に苦労していて支援したいと思えば、すぐに飛びつきますよ」(同) 

 

■「民泊」の急増もデメリット 

 

 住民から家や土地を買い取った開発業者は、単身者向けマンションや、外国人向けの住宅を建設することが多いという。インバウンド向けの「民泊」に改装される住宅もある。徒歩圏内に浅草やJRの駅があるため、民泊には好立地なのだ。 

 

 この民泊の増加が、地域住民にとって二つ目のデメリットだという。 

 

 2年前、台東区に届け出のあった民泊は510軒だったが、現在は1236軒と急激に増えた(8月29日時点)。鳥越1丁目を含む台東区の南部エリアは区内で最も民泊が多い地区で、約36%が集中する(23年12月1日時点)。 

 

 細谷さんに町内を案内してもらった。路地に面した古い2軒長屋の1軒が民泊に改装され、屋号を表示するネオンがともっている。一軒家の民泊もある。細谷さんは防音シートで覆われた家を指さした。 

 

「開発業者に買い取られて、改装中です。この家もいずれ民泊になるのではとうわさされています」(同) 

 

 コンクリート造、3階建てのマンションふうの建物も、「民泊として運営されていると見ています」(同)と言う。台東区に届け出のある民泊は町内7軒だが、実際、「少なくともその倍以上はある」と細谷さんは見る。 

 

 

 民泊の宿泊客が出すごみや騒音をめぐって、住民とのトラブルも増えている。 

 

「宿泊者がコンビニなどで購入した食品のごみを民泊の前に放置していく。朝になると、ネズミが食べたり、カラスがつついたりして、ひどい有り様です」(同) 

 

 生ごみだけでなく、スーツケースや衣類などを放置していくケースも増えているという。 

 

■町への貢献はゼロ 

 

 捨てられたごみは民泊事業者や管理会社に責任がある。だが、責任を果たさせるには手間がかかる。民泊、もしくは民泊と思われる建物に張り込み、宿泊客をつかまえて、民泊事業者や管理会社の電話番号を聞き出す必要があるからだ。 

 

「連絡すると、『わかりました、対処します』と言う。でも、大抵は何もしません。相手が根負けして対処するまで何度でも電話するほかない」(同) 

 

 こうした負荷を、いま、町のために細谷さんが受けている。細谷さんは憤る。通常、町内に店や会社ができれば、祭りや盆踊りなどの際、多少なりとも寄付や協力があるという。 

 

「民泊事業者の場合はそれが全くありません。町会費も払わない。稼ぐだけ稼いで、町への貢献はゼロ。それどころか、基本的なマナーをなおざりにし、町を損ねている。これ以上、民泊が増えるのは大反対です」(同) 

 

■住民の不利益の上に成り立つべきではない 

 

 観光地にこうした問題が起こるのは、致し方ないことなのだろうか。 

 

 立教大学観光学部の東徹教授は、「観光産業は、住民の迷惑や不利益の上に成り立つようなものになってはならない」と指摘する。 

 

「大阪では大型の民泊専用マンションが問題になったり、寝屋川市のように『特区民泊』対象地域からの離脱を表明する自治体も出ています。東京の北区でもアパートが民泊に転用され、周辺の住民が反対運動を起こしている。住民生活を守ることが行政の役割のはず。住民生活を脅かすような民泊を認めるべきではありません」(東教授) 

 

 国はさらなる観光戦略の強化を打ち出し、24年時点で年間約3700万人のインバウンドを、30年には6000万人に増やそうとしている。浅草周辺の不動産投資はさらに過熱し、民泊も増え続けるだろう。 

 

 バブル時代、盛んに地上げが行われた六本木などの都心部の下町は、現在、ほとんど消滅している。浅草も数年後にはすっかり様変わりしているのかもしれない。年月とともに人も町も変わっていくものとはいえ、一抹の寂しさを禁じ得ない。 

 

(AERA編集部・米倉昭仁) 

 

米倉昭仁 

 

 

 
 

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