( 324728 )  2025/09/16 04:26:22  
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取材に応じる冨田真由さん=2025年5月 

 

 「つらい、苦しいという言葉が当てはまる日の多い9年でした」。2016年に東京都小金井市のライブ会場でファンに刺され、一時重体となった冨田真由さんは、事件後の日々をそう振り返る。心的外傷後ストレス障害(PTSD)と後遺症に耐えながら、ストーカーによる凶行を防げなかった警視庁などの責任を明らかにしたいと裁判を続けてきた。 

 

記者会見する冨田真由さん=2025年7月、東京地裁 

 

 今年7月28日、ようやく迎えた裁判の結末は、再発防止に向けた対策強化と見舞金支払いという「勝訴的和解」(代理人弁護士)だった。冨田さんはどんな思いで闘ってきたのか。共同通信に寄せた手記をご本人の了解を得て、全文公開する。(取材・構成 共同通信=山脇絵里子) 

▽「殺されるかもしれない」 

 

 事件が起きたのは2016年5月21日。当時大学3年で音楽活動をしていた冨田さんはライブハウス前の路上でファンの男に首や胸などを刺され、一時は生死をさまよった。その12日前、男が一方的にプレゼントを送りつけ、SNSに執拗な書き込みをすることに恐怖を感じ、警視庁武蔵野署を訪れて相談していたが、署は「切迫性がない」と判断して本部のストーカー専門部署に報告していなかった。 

 

 警視庁は事件後、「安全を早急に確保する必要があると判断すべき事案だった」との検証結果を公表し、謝罪した。ただ、冨田さんが「男に殺されるかもしれない」と訴えていたことは「聞いていない」と否定した。 

 

(写真:47NEWS) 

 

 2019年7月、冨田さんは警視庁が会場周辺の見回りなどを怠ったとして、東京都などに損害賠償を求め、提訴に踏み切った。 

 

▽心えぐられた証人尋問(手記より) 

 

 事件に遭う前に相談していた武蔵野署の担当者から直接、話を聞きたい。警察の対応のずさんさが明らかにされることで、ストーカー行為への認識や対応がさらに変わってほしい。そして、同じような事件がひとつでもなくなり、ひとりでも多くの人が救われるきっかけになってほしい。そう願い、提訴することを決めました。裁判当初、私は正義感や使命感、そんな強い気持ちに満ちていたように思います。 

 

 警察は、はなから非を認める気はなかった。6年間続いた裁判の中で、一番感じたことです。書面でのやり取りを通して返ってくる不誠実な答え。真実を述べることを誓う法廷で、真実を装って語られる作り話。非を認めるどころか、必死に身を守ろうとする姿をずっと見てきました。裁判が進むたびに、やるせなさを痛感する。それはとてもつらい時間で、覚悟を決めてはいたけれど、強い気持ちを持ち続けることは難しかったです。 

 

 

記者会見する高橋正人弁護士=2025年7月、東京地裁 

 

 特に心がえぐられたのは、証人尋問の日でした。事件に関して話さなければならない私に、なるべく負担がかからないようにと、細かく休憩をはさみながら尋問を進めていただいていました。私への反対尋問も始まって、その途中のこと。警察側から、犯人の顔写真が載った新聞記事を見せられたのです。張り詰めていた糸が切れ、事件に遭ったときの身の毛もよだつ恐怖が一気に呼び起こされました。目の前に犯人が現れて、刃物をまた向けられたような苦痛でした。心がえぐられたと同時に、警察側の人たちは私の苦しみを理解していない、考えようともしていないことが、よく分かった瞬間だったと思っています。 

 

 裁判になったら明らかにすると警察は言っていたけれど、残念ながら最後まで真実を知ることはかないませんでした。事件が起こる前から、犯人は危険だと、私も、家族や友人も、私の周りにいて犯人を認識していた人は感じていました。危険を感じなかったのは、警察だけです。なぜ警察だけが分かってくれなかったのか。事件後、武蔵野署の署長からの謝罪や、安全を早急に確保する必要があると判断すべき事案だったと警視庁から発表があったのに、なぜ裁判になってからまるっきり否定し始めたのか、疑問が残るばかりです。 

▽裁判官に届いた思い、和解へ 

 

手記に添えられた手書きの署名 

 

 事件の恐怖がフラッシュバックするつらさに耐え、法廷に立った証人尋問の日。冨田さんが震える声で伝えた思いは、裁判官たちに届いたようだ。尋問を終えたその日のうちに、裁判所から和解を目指して話し合いを始める提案があった。 

 

 冨田さんの代理人・高橋正人弁護士によると、裁判官から「冨田さんが『裁判をしてよかった』と思えるような和解にします」との言葉もあったという。 

 

 その後、裁判官が起案した和解条項には、警視庁が事件に遺憾の意を表し、被害者の声に真摯に耳を傾けて同種事案の再発防止のための対策を強化すること、そして「国民の目線に立ち、時代の流れに即した適切な対応に努める」との文言も盛り込まれた。 

 

 高橋弁護士は「要は、警察のストーカー対応が国民の目線に立っておらず、時代遅れだと批判したということ。ここまで踏み込んだ和解条項を裁判所が書くのは珍しい」と評価する。見舞金額は非公表だが、「警視庁側が非を認めたに等しい金額」(高橋弁護士)だという。 

▽向き合った日々(手記より) 

 

 

 やっと終わった、というのが正直な感想です。大きな組織と戦うことの未知、終わりの見えないことに対する恐怖で、気が休まることのない6年でした。裁判をやると決めたのは自分です。嫌でも事件に触れなければならないことも、警察側が心無い主張をしてくることも分かっていたつもりでした。しかし、事件に触れ続ける日々は想像以上に自分を苦しめるもので、生活を送ることさえ大変なときもありました。最近の2年間は、負けてもいいから早く終わってほしいと思ってしまうくらい、不安に押しつぶされそうでした。それでも、自分の主張が伝わらないことでの後悔はしたくないという気持ちで、一生懸命、裁判に向き合ってきたと思います。 

 

 裁判のために使ってきた時間も、つらかった心も無駄ではなかったと言える結果になりました。裁判所は公平に判断してくださったと思います。 

 

 和解をする条件の中で警視庁は、同じような事件を繰り返さないために、被害者の声に真摯に耳を傾け、対応を強化すると約束しました。この点について、しっかりと約束された和解になったことに、ホッとしています。 

▽相次ぐ事件、形だけの約束にしないで(手記より) 

 

 裁判が始まってから6年。事件に遭ってからは9年という月日がたちました。9年の間にもストーカー事件は相次いでいて、ニュースで見るたびに悲しみと怒りを感じます。事件の中には、私と同じように警察に相談していたにもかかわらず起きてしまったものもありました。警察に相談に行って助かる人もいれば、助からない人もいる。ストーカーに対する知識のない人が対応にあたること、相談した担当者の受け取り方によって対応や結果が変わってしまうことは問題だと思います。 

 

 事件の後、警察の被害者支援室の方々と関わる中で、親身に寄り添い助けてくださる警察官がいることも知りました。相談に行く人は、そのような警察官がいることを信じて行くはずです。どれほどの不安を抱え、警察に助けを求めることを選んだのか。今回の約束が形だけのものにならないよう、何度でも考えてください。そして、助かるか、助からないかの分かれ目は、誰かのその後の人生を大きく変えるものになることを忘れないでいてください。 

▽「普通」落としながらの日々、それでも前へ(手記より) 

 

 

 これまでずっと、事件はまだ終わっていないような感覚がありました。裁判が終わることで、やっと事件にも区切りがついた気がしています。とはいえ、裁判への心配から解放されただけで、今の生きづらさ自体が変わるわけではありません。 

 

 事件に遭ってからの9年、PTSDや後遺症の影響で多くのことができなくなり、ほとんどの時間を家の中で過ごしてきました。眠れなくなったこと。1人で外出できなくなったこと。電車などの公共交通機関に乗れなくなったこと。できていたことが、できなくなるのは悲しいし、悔しいです。友人から、こんなことがあった、あんな場所に行ったと楽しい思い出の話を聞いたときは、「友人たちは楽しい経験をたくさんしているのに、私にはそれが難しいのだな」と寂しい気持ちになることもあります。だいたいの人が想像するような普通という形のものを、落としながら生きているみたいです。 

 

 また、今でもふとしたきっかけで、犯人に「死ね、死ね」と言われながら刺される光景がよみがえります。事件のあった5月21日が近づくと、また犯人が殺しにくるような気がして取り乱してしまう。犯人が刑務所から出てくると決まっていることへの恐怖が消えない。元の生活に戻りたいと歩を進めるほどに見えてくるのは、事件のあった世界で生きていかなければならないという残酷な事実です。事件が終わっても、被害が終わることはありません。 

 

  *  *  * 

 

 つらい過去を振り返るとき、あの出来事のおかげで強くなれた、成長できた、良かったと言う人がいます。私はその言葉に疑問を感じてしまうのです。「事件に遭わない人生の方が絶対に幸せなのに、なぜ?」「つらい経験なんてしない方がいいのに、なぜ?」と。けれど、つらい過去を良かったと思えるとしたら、どんなときだろうと想像することもあります。それはきっと、私が事件に遭ったことで救われる人がいたとき。起こるかもしれないストーカー事件を防ぐきっかけになれたとき。同じような事件で苦しむ人がいなくなったとき。初めて、良かったと言えるのかもしれないと思っています。裁判が終わった今、あらためて、このような未来になってほしいと願っています。 

 

 そして、さまざまな被害によって生きづらさを抱えている人の心が今より少しでも和らぎ、笑っている時間や幸せを感じられる時間が増えることを心から願っています。 

 

 この9年は、確かに、つらく苦しいものでした。それでも、手を差し伸べてくれる家族や友人がいたから、耐えて生きてこられた9年でもありました。 

 

 

 
 

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