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上毛高原駅は1982年に開業し、在来線との接続がないため「秘境駅」として知られています。

駅名は元々仮称であり、実際の地名は存在しません。

2020年、地元の商工会と観光協会が駅名変更を請願し、署名運動も展開されましたが、名称変更には億単位の費用がかかるため、JR側は積極的に動いていません。

筆者は、駅名変更が観光にマイナスになるとは限らないと感じており、既成事実化によって「上毛高原」という地名も活用できると考えています。

今後、駅周辺のまちづくりや水上温泉の再生が進むことで、地域の知名度向上が期待されます。

(要約)

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在来線との接続が無い、上越新幹線の上毛高原駅。(画像:菅原康晴) 

 

 1982(昭和57)年、上越新幹線の開通と同時に開業した上毛高原駅(群馬県みなかみ町)は、在来線との接続がない新幹線単独の駅として現在まで「秘境駅」として知られている。駅周辺は大きな開発が進んだとはいえず、40年経った今も山林の趣を残している。 

 

 実はこの駅名、開業前に設定された仮称で、もともと 

 

「実在しない地名」 

 

だった。駅が所在する月夜野町は2005(平成17)年の合併でみなかみ町に組み込まれた。地元では「存在しない地名のまま」は観光上マイナスになるとして、過去に駅名変更を検討した経緯がある。 

 

 比較的最近では、町商工会と観光協会が町議会に駅名変更を請願し、2020年12月10日に全会一致で採択された。その後2021年4月から署名運動を開始し、署名数は1万7702人に達した。町の人口約1万5000人を上回る規模である。 

 

 変更後の具体案は公表されていないが、旧月夜野町がみなかみ町の一部になったことから、駅名に「水上」を含める案が有力とされる。しかしその後、具体的な動きは確認されていない。駅名変更にともなう費用は億単位とされ、地元が負担しない限りJR側も積極的には動かない状況だ。 

 

開業から40年超、開発が進んでいない上毛高原駅前。(画像:菅原康晴) 

 

 筆者(菅原康晴、フリーライター)は、「実在しない地名」が観光上マイナスになるという意見にやや懐疑的である。実際、仮称が観光面でプラスに働く例は少なくない。 

 

 代表例として石川県の加賀温泉駅(加賀市)がある。1970(昭和45)年、国鉄は粟津、片山津、山代、山中の四つの温泉への玄関口として駅を開業した。駅名や位置は当時、さまざまな議論があり、妥協の産物といえる。 

 

 周辺の四つの温泉は総称で加賀温泉郷と呼ばれることもあるが、加賀温泉という温泉は存在せず、駅前に温泉街特有の街並みもない。駅前からは各温泉行きの路線バスや送迎バスが頻繁に発着している。 

 

 駅前の景観は温泉街を期待する人にはやや肩すかしだ。しかし、四つの温泉を1駅に集約したことで拠点性が高まり、結果的に観光面でプラスに働いたことは間違いない。2024年の北陸新幹線敦賀延伸時にも、新幹線駅は同名で設置され、駅名は変更されなかった。 

 

「高原」という言葉は本来、自然の地形を指すが、多くの場合、爽やかでプラスの印象を与える。1961年、伊豆急行線の開通にともない開業した伊豆高原駅は、こうしたイメージを先取りした駅といえる。 

 

「伊豆高原」という地名は実在しないが、駅は周辺の観光地や別荘地への玄関口として整備された。現在では沿線でも拠点駅のひとつとして機能している。ただし同駅は、鉄道事業者が国鉄やJRではなく東京の大手私鉄であることや、大規模な別荘地開発が事業利益に直結する特殊事情がある。そのため、「高原」を冠する実在しない地名でも、上毛高原駅とは区別されるべきである。 

 

 とはいえ、高原を含む実在しない地名を事業主体が戦略的に活用した例であることは明らかだ。 

 

 

首都圏の「北の奥座敷」として賑わった水上温泉(画像:菅原康晴) 

 

 前述のとおり、上毛高原駅が立地する旧月夜野町は2005(平成17)年にみなかみ町の一部となった。このため、駅名に「水上(みなかみ)」を含めるハードルは下がったとされる。 

 

 しかし、筆者は駅名に水上を加えても、観光面で必ずしもプラスになるとは考えていない。かつて栄えた水上温泉は、今や首都圏近郊の多くの温泉と比べても求心力のある観光地とはいい難い。 

 

 上越新幹線開通前は、JR上越線の水上駅に特急列車が頻繁に停車していた。首都圏から北の奥座敷として賑わい、アクセスの利便性も高かった。 

 

 しかし、新幹線開通後、北の奥座敷の中心は新潟県の湯沢温泉へと移った。湯沢温泉は越後湯沢駅の目の前に広がり、リゾートマンションも乱立するなか、観光地として発展を続けている。これに対し、水上温泉は上毛高原駅からバスで約25分とアクセスが悪く、来訪客が湯沢温泉へ流れるのは当然の流れだった。 

 

 水上温泉衰退の理由は、新幹線への移行だけではない。かつては団体客を中心に集客し、歓楽街もあった昭和型の温泉地は、平成・令和の時代に合わなくなった。駅前で廃墟となった温泉旅館は、現在の水上温泉の象徴的な景観となっている。 

 

 現状では、駅名を水上に変更しても、上毛高原駅からバスで25分の水上温泉に来訪客が戻る可能性は低い。 

 

水上温泉で開催された廃墟マルシェ(写真:東京大学大学院都市デザイン研究室) 

 

 現時点では、駅名の変更後の名称や地元負担額が明らかでないため、上毛高原駅の駅名変更による経済効果は未知数である。 

 

 しかし筆者は、実在しない地名の仮称が続くことを悲観していない。加賀温泉駅や伊豆高原駅は、 

 

「既成事実化」 

 

によって知名度やブランド力を高めた例だ。同様に、上毛高原という地名も、既成事実化することで、より戦略的に活用できると考える。 

 

 確かに駅周辺には大規模な観光資源は存在しない。しかし上毛高原駅は秘境駅と呼ばれつつも、水上温泉や猿ヶ京温泉へ向かう路線バスが運行されている。レンタカーを利用すれば、広域への玄関口として一定の機能を果たしているといえるだろう。 

 

 上毛高原駅を核としたまちづくり構想策定委員会は、2022年3月に「上毛高原駅を核としたまちづくり構想(案)」を公表した。構想では駅名変更と併せ、新幹線駅周辺のまちづくりプロジェクトを掲げている。 

 

・移住者向け住宅地開発 

・駐車場整備 

・高速バスターミナルの整備 

・テレワーク・ワーケーション施設の整備 

・商業施設誘致 

・公共・観光施設整備 

 

などが計画されている。公表時点では“絵に描いた餅”と思われたが、同町は2025年8月、行政・企業・大学が連携してまちづくりに取り組む拠点「アーバンデザインセンターみなかみ(仮称)」を駅前に2026年度設置すると発表した。具体化への動きが進んでいることを示す事例だ。 

 

 水上温泉でも、近年は空き店舗の再生や既存旅館の復活プロジェクトが進行している。廃墟を活用したマルシェも好調で、新たな動きが始まった。 

 

 こうした状況を踏まえると、上毛高原駅周辺のまちづくりや水上温泉再生が進めば、駅名に水上を入れなくても、上毛高原という「実在しない地名」の知名度は向上するだろう。同時に水上温泉の玄関口としての認知も高まり、既成事実化がさらに進む可能性がある。 

 

菅原康晴(フリーライター) 

 

 

 
 

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