( 325149 )  2025/09/18 03:05:18  
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心神耗弱というのなら、むしろしっかり治療して欲しい。 

任意入院は本人の意思で退院できてしまい、薬の調整している最中に退院されてしまうリスクがあり、治療できないこともある。 

事件待ちになることさえあるか、警察は軽微な事件では対応してくれない。警察の問題もある。 

司法はしっかり治療をすることを命令してもらいたい。 

こんなことで若者の命が失われることのない制度や仕組みが必要だと思う。 

 

▲702 ▼40 

 

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心神喪失や心神耗弱によって刑が減刑されることは絶対にあってはならないと思います。 

精神に異常があろうと人を殺したことに違いはないのだから、何がなんだろうと死をもってして償うべき。 

そうでないと被害者家族は一生報われない。 

家族を失い苦しみ、その後の司法や法律にも苦しめられる日本の今の現状に憤りを感じます。 

なぜこんなに加害者に甘く、被害者に厳しいのでしょうか。普通逆でしょ。 

 

▲85853 ▼1792 

 

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ほとんどの人はお酒に酔っても精神的な疾患を持っていても人を傷つけたり殺したりはしません。心神喪失や心神耗弱であっても犯罪行為を起こさないのが当たり前です。心神喪失や心神耗弱の状態で人を傷つけたり殺したりする人はもともと非常に危険な人だといえます。むしろ平常の状態での犯罪より刑を重くする必要があると思っています。麻薬中毒患者の犯罪も同じです。 

平常心でなくなった時にその人の本性が表れていると思います。 

 

▲1321 ▼72 

 

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加害者の精神状態や障害の有無を理由に減刑するのは差別には当たらないんだろうか?ましてや施設にも入らず地域社会の中で生活していた人間が事件を起こしたのだから、普通に裁かれるべき。それができないのなら、適切な治療を受けさせず野放しにしていた保護者にあたる人物に連帯責任を負わせるとかしないと辻褄が合わない。いつも加害者ばかりが守られて被害者は置いてけぼり。「刑事責任能力」って言うけど、能力に関わらず罪の重さで刑を決めるべき。 

 

▲29226 ▼437 

 

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事件前に通院歴があり精神疾患の診断がある状態であれば周囲も気に止めれるし減刑材料になるのも理解出来るが、事件後の精神鑑定による結果って『事件の経緯や要因の解明』として犯罪心理を理解し、後の事件を防ぐ目的のみで良いと思う。 

 

事件当時の精神状態を被害者が把握出来る状況に無い場合(まったくの他人)、特に被害者が亡くなってしまう殺人事件では、被害者に対する罰ではなく〟殺人という罪〝に罰が充てられている。 

法律上そういう事だとは思うが、被害者視点での状況や不可逆性を考慮し、事件後の精神鑑定の結果は裁判で扱わない方が良いと思う。 

 

法律だから仕方ないけど精神鑑定による酌量条項に合理性は無いと個人的には思う。 

 

▲437 ▼18 

 

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刑法39条に基づき「心神喪失」は刑事責任を問えず、「心神耗弱」は刑を減軽できるとされています。今回の事案で地検が「心神耗弱」と判断したのは、被告に妄想などの精神疾患の影響が認められつつも、善悪の判断能力や行動制御能力が完全には失われていなかったためと考えられます。 

つまり、無罪放免ではなく「限定的な責任能力」を前提に起訴される見通しであり、裁判員裁判ではその程度が量刑の焦点となるでしょう。 

被害の重大性を踏まえ、適切な量刑判断と同時に、精神医療・地域社会における予防体制の強化が議論されるべきだと思います。 

心神耗弱の判断は「精神障害がある=刑罰を免れる」という誤解を避けることが重要です。本件では鑑定結果からも一定の責任能力は残存しており、法的には処罰可能です。むしろ問題は、精神疾患を抱える人が事件に至る前に支援につながれなかった社会的仕組みの脆弱さです。 

 

▲653 ▼203 

 

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この精神状態において不起訴になったり減刑されたりする法律どうにかならないかなと思う。自分が何をしたのか100%理解できない人を更生させるというのは難しいかもしれないけど被害者や遺族がいた場合、その人達はどんな気持ちでいればいいのか。民事を起こして勝ったとしてもそれで少しは気持ちが晴れるのか。被害者より加害者が守られている事になってはいないか。そういう考え方が学校のいじめ問題で「加害者にも今後の人生がある」という理屈になってはいないか。個人的には本当に納得できない法律です。 

 

▲15095 ▼213 

 

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中学生2人を襲い、一人の命を奪ったという事実は極めて重大であり、社会に大きな衝撃を与えました。 

にもかかわらず、「笑われたと勘違いした」という動機で、心神耗弱とされ刑が軽くなる可能性があるのは、到底納得できるものではありません。 

被害者やその家族の苦しみを思えば、責任能力を理由に処罰を軽減するのではなく、社会を守るために厳正な刑罰を科す仕組みが必要だと強く感じます。 

もし現行法がそれを許さないのであれば、速やかな法改正が求められるべきです。 

 

▲9470 ▼117 

 

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心神喪失や心神耗弱で減刑される制度は無しにした方が良い。被害者の受けた結果は変わらないのだから。犯した罪のみで、粛々と刑罰を言い渡せばよいだけ。 

日本って何で犯罪者に寄り添った法律なのか謎で仕方がない。コレも全ては自民党議員の責任。法律を作り改訂できるのは議員のみだからです。ましてや与党。その、自民党議員は自分たちとその一族の金と利権のことしか考えておらず、国民のことなど考えていないから、いつまで経っても法律が真面目な国民の民意に寄り添ったモノにならないんです。 

自民党議員はいい加減にしろ。 

 

▲9749 ▼365 

 

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例えば長年連れ添った配偶者の介護を何十年も続け、心神耗弱により配偶者を手をかけてしまった。といったケースと今回の事件、両方とも心神耗弱により刑が限定的になるような法律ってどうなんだろう?加害者が心神耗弱だったから、まずは減刑、それから状況等を鑑みていこうという流れしか見えてこない。心神耗弱より、被害者や被害者家族への影響、凶悪性、社会に与えた影響等により重きをおいた裁判をするべきではないかと思う。 

 

▲7527 ▼119 

 

 

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無敵の人はやっぱり無敵でした。このままでは一般人はなすすべなく傷つけられ犯人はほとんど罰せられません。一般人も武装化や正当防衛がないの拡大とか考えないと無事ではいられないかもしれませんね 

 

▲4956 ▼97 

 

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心身衰弱は、平等な判決ができなく不条理だ。 

殺人者に心身衰弱を検討するのを廃止すべきだ。 

被害者にとって犯人の精神状態など関係ない。 

被害者目線にたつべきだ。 

外国人犯罪者の刑期があまりぬも短い事、 

不起訴処分が多発している事も含め 

今の司法は異常だ。 

 

▲4677 ▼100 

 

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事件の背景に精神疾患の影響があったとはいえ、未来ある中学生が犠牲になった事実は消えません。 

「心神耗弱」だからといって命を奪われた子どもたちや遺族の無念が軽く扱われていいはずがない。 

責任を問える部分があるなら、しっかりと裁かれ、再発防止のために社会全体でどう守れるかを真剣に考えるべきだと思います。 

 

▲3738 ▼39 

 

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子ども2人を殺傷しておいて精神鑑定で減刑はありえない。 

ご近所の方から、拡声器で大声、爆竹やロケット花火を鳴らしていた、などのインタビュー映像がテレビで流れていました。 

減刑するのだとしたら、この状態の被告を放置した国や自治体、警察の責任や体制を考え直すべきではないでしょうか。短い刑で釈放したら、また誰かがいつか被害にあう可能性があります。 

先日も精神病院の入院に制限をかけ、自宅で訪問看護で経過をみる、とニュースで出ていましたが、心配です。 

 

▲2919 ▼49 

 

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人を襲ったツキノワグマやヒグマが駆除されるのは、クマたちが「悪」だからではない(そもそもクマには、悪意も罪の意識もないし、反省もない)。 

クマたちは、「悪」のためにではなく、差し迫った「害」だから、危険だから、駆除されるのだ。 

 

人間はどうだろう。「悪」が罰されるのはもとより当然だとして…。 

他人の生命、健康、財産、幸福、尊厳を具体的に「害」する危険がある人間は? 

市街地に入り込み、人間の生活圏をおかす危ないクマたちと、何が違う? 

 

駆除とまでは言わずとも、永久に隔離くらいはしてほしい。 

 

▲3215 ▼65 

 

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精神疾患を理由に減刑するのは良いのですが、完治するまで刑の執行を猶予した上で、医療隔離して欲しい。 

 

完治してから刑が執行される形にすれば治療意欲も出る他、詐病なら即完治するなど、怪しい挙動をする可能性もあるから見抜く端緒となり、そういう怪しい挙動をする人物は記録に残して監視対象にして欲しい。 

 

生きていれば、事故や病気など防げない死はありますが、被害者には何の落ち度もないのに飲酒運転の車にはねられたとか、精神疾患の人に刺されたとか、幼い子どもを持つ親としては、そんなのが数年で街を徘徊するようになるかと思うと怖いです。 

 

▲4654 ▼701 

 

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未だに法律がなぜこのような仕組みになっているのか謎。 

人を殺したという事実のみで等しく裁かれるべきだと思います。 

心神が耗弱しているから何? 

無差別に見ず知らずの子どもを殺す人間ですよ。 

加害者ではなく被害者・これから被害者になるかもしれない人々を守らなければならないでしょう。 

そろそろ性犯罪者や妄想の中で生きている、どうやっても無理な人間をどうにかすることを考えたほうがいいと思う。 

 

▲1925 ▼47 

 

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この事件で犠牲になった女の子と、同じ歳の娘を育てている親です。 

今年の卒業や高校入学の節目で、この女の子の親御さんのことを想っていました。 

私なんかでは想像できない、苦しみ悲しみの中に、今いらっしゃるのだろうと。 

せめて被害者の御家族の希望に沿った、司法判断がなされること。 

親御さんに心の安らぎが訪れることを望みます。 

 

▲1917 ▼34 

 

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精神異常がある人で取り返しがつかない犯罪を犯したのなら、厳罰化する法律の改正が望ましいですね。 

精神に異常があったから責任能力ないからで何でも許しては駄目だと思います。 

裁判で「心神耗弱」が認められるような判決でも出たのなら、被害者は泣き寝入りですね。 

そんな事しない裁判官なら良いのですが、裁判官も自分が遺族さんの立場になって正しい判決を下して欲しいものですね。 

 

▲934 ▼41 

 

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人に危害を与える可能性のあるペットの動物が放し飼いにされていれば飼い主の責任が問われるのに、人に危害を与えても責任を取らない人を自由にさせておいても誰も罰せられないのは、どう考えてもおかしいです。最初から、責任能力のない者は自宅か施設のみにいなければならない、保護者の監視下にいなければならない、と法律を変えなければなりません。それができないなら、精神状態に関わらず同じように罰するべきです。 

 

▲707 ▼27 

 

 

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日本の刑罰が反省と更生を主眼に置くのは理解するけど、被害者からしたら関係ない事情でしかない。 

ほとんどのケースが賠償を受けることもないという現状を鑑みると、被害者を慰藉するという視点は全くないのかと思ってしまう。 

せめて刑罰は通常通りに与えた上で、処遇の一環として治療を受けさせるべきではないのか。 

弁護側も安易に精神鑑定を要求するという風潮を反省すべきで、普段から権利公平と騒ぐのなら、例え依頼人がいたとしても、少しは被害者の権利にも思いを馳せるべきだと思う。 

 

▲447 ▼19 

 

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精神錯乱状態により、身体のコントロールが利かずに思わず人に対して「怪我」をさせてしまった。 

または、食い逃げや窃盗等をよくわからないまましてしまった。 

ここまでは精神鑑定により減刑や場合によっては不起訴処分にするのは理解出来ます。 

殺人に関しては一定の意志が存在しない限り出来ないし、または車で事故を起こす等はそもそもさせてはいけない行為を監督者がしていたという部分に問題があります。 

殺人の場合はいくら精神鑑定の結果が深刻なものであっても無期懲役を下回る判決はあってはならないと思います。 

死刑か無期かの部分は残しておいたとしても、それを下回る事は「罪を償う」人権を侵害することになるのではないでしょうか? 

 

▲519 ▼26 

 

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少年法もそうだけど刑法39条は見直すべきだと思う。 

山口県光市の件もそうだけど、弁護士が台本を書いて指南して主張することがあったりするのを見ても、「減刑のための道具」に使われる可能性もある訳だし、仮に精神的に問題があったとしても「やった事」に対して裁くべき。 

 

こうなると加害者のための法律と言われても仕方ない。 

 

▲630 ▼18 

 

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被害者側には非常にやるせない判断ですね。 

事件当時、犯人の自宅や周辺の取材では、屋外に向けたスピーカーを設置して大音量でお経や軍歌を流したり、通行する人を突然怒鳴ったり、刃物のような物を振り回したりしていたそうで、元々ヤバい人だったんだなぁと思いました。 

例えば精神耗弱の犯人を精神病院のような場所で勾留し続けるくらいなら、犯行の残虐性や回復の見込みが無いことから、本来であれば極刑の方がこうした犯人の刑罰として当てはまるのではないかとも思う。 

 

▲240 ▼9 

 

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親御さんの気持ちを思えば犯人が今でも生きていることが苦痛でならないと思う。 

娘さんは帰ってこない。どんなことがあっても減刑などあってたまるか。  

 

現場を知っているが半年以上経ち、みんなこの事件を忘れてしまっている。普通にドライブスルーや店内飲食をしているが、私はいまだに現場のマクドナルドには行けない。 

あまりにも可哀想だから近づくことができない。当時の従業員やアルバイトも辞めた人が多いと聞いた。 

 

事件後、ショックと不安から学校は休ませていたが、登校している生徒もいた。犯人の住まいは小中学校からとても近い場所にあった。 

事件があった12月まで、あと3ヶ月で1年になる。時折、被害者の親御さんのことを思うと涙が出てくる。減刑などあってはならぬ。 

 

▲326 ▼18 

 

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心神喪失や心身衰弱で減刑や無罪となってそのまま治療もさせず社会に復帰させるのは考えたほうがいい。 

もしも、再犯したら責任は司法では取らないんだよね。それならば、隔離措置をとるとかすべきなんじゃないかな。 

通常の犯罪者でも殺す気はなかったで減刑されたりするんではなく社会とは隔絶するか、長い期間監視をするようにすべきなんじゃないかな。 

 

▲354 ▼22 

 

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犯罪を犯した時点で精神状態派が正常であるはずもない、たとえ健常の人であってもだ。犯罪の刑罰は精神障害の有無に関係なく同じ土俵でさばいてもらいたい。それが人格を平等に扱うということになるはずだ。もし精神状態を刑罰に加味するのであれば、それは刑務所のなかに入ってからの話しだ。精神的な問題でさばけない人、しかもそれが理由で実際に事件を犯した人を野放しにすることだけは絶対にあってはならない。問題があれば同じことを繰り返す可能性も高いということだ。 

 

▲122 ▼8 

 

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精神疾患が犯罪を軽減させる一因となるならば、そんな法律はいらないと個人的には思います。感情論になりますが、犯罪は犯罪として裁かなければ被害者救済などは机上の空論に過ぎなくなります。何故被害者が救われない法が存在するのかも議論すべきではないかと思います。将来に希望を持った子供が未来を絶たれなけばならなかったのか。被害者家族が救われるような(生命は戻ってこないので救われることはないだろうけど)審理を望みます。 

 

▲82 ▼6 

 

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法律に則して責任を限定するのは致し方ないのですが、最も重要な点はその殺傷事件を予防することができるように、事件の背景・経緯・詳細を検証して少しでも同様の事件の発生が少なくなるような対策を設けることだと考えます。 

もちろん、かなり難度の高い課題であると思うのですが、たとえば(あまりいい案ではないが)入店扉に金属探知機を設けるとか、刑罰が抑止力にならない「無敵の人」対策を検討してほしいと思います。 

 

▲2 ▼0 

 

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家族が精神を病んだことがあります。 

妄想が止まらなくなり、四六時中喋って歩き回る姿に「誰かを傷つけたらどうしよう」と不安になり、医療措置入院になりました。 

そのような経験をした上で、大切な家族であっても心の病が原因で誰かに加害をしたら、裁かれるのは当然だと思っています。減刑なんてあってはならない。どんなバックグラウンドがあれど、起こしたことへの責任を負うべきです。 

 

奪われた命、負わなくて済んだ傷、歩めたはずの未来に対して「病気だから仕方なかった」と司法が認めてしまうなんて、社会性とは、法とはなんなのかと考えさせられます。 

 

▲76 ▼1 

 

 

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責任能力が有る無しに関わらず犯罪行為の内容や被害が変わる訳では無いのでそれによる減刑などはもっての外で、心神喪失や心神耗弱だからこそ正常な判断が難しいとするならば、こんな危険な人を野放しにしてはむしろ危険だから、通常の量刑よりも重く長期の刑を与える事が次なる犯罪への抑止になるのではないか。 

次の被害者を出さない為にも。 

 

▲32 ▼6 

 

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毎回思うけど、心神喪失や心神耗弱で善悪の区別がつかないならそもそも社会に出しておくのは無理だと思うし、それで犯罪を一回でもおこしたら社会に対してリスクが高過ぎると思うので一生一人で外は歩けないってしないとダメだと思う。 

障がいを持っている方全員に優しい世界であって欲しいという理想はあるけどそれで障がいを持っていない方が不幸になるなら、障がいを持っているけどちゃんと生活している人たちの為にも悪い事をした人たちには思い罰を与えなきゃいけないと思う。 

 

▲25 ▼4 

 

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精神疾患、心神喪失、心神耗弱、刑事責任能力の有無などで減刑するのはやめるべき。特に未遂も含めた殺人や傷害罪。 

 

命の尊さは誰しも平等なのに、その命を脅かすような犯罪をしておきながら加害者に疾患があれば減刑するのは平等ではない。これでは法の下の平等がなされていないのでは? 人によっては目に見えない精神疾患をいいことに詐病をする可能性もありますから。早急に司法の見直しを求めます。 

 

▲86 ▼10 

 

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裁判官、検察官はもう少し現代に合う刑事罰に更新した方が良い。 

何でもかんでも社会復帰や更生を前提に減刑にしたり、過去の事例をもとに罰則基準を決定するだけではいけない。もちろん参考にするのは良いが、昨今は事件が凶悪化し、さらにあまりにも稚拙な理由で犯行に至っているケースが多い。人を傷つけるような事件を犯した場合は重大な罰を受けるという教育をして、そもそも事件を犯さない環境を作ることが重要だと思います。今回は「心身耗弱」という判断をしているが、病院などに相談していたのでしょうか。事件を起こす直前まで車を運転したり、外食したり、普通に生活をしていのであれば普通の人間と全く変わらない刑罰で良い気がします。それに亡くなった中学生の明るい未来を奪った罪を簡単に減刑して欲しくないです。 

 

▲39 ▼6 

 

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これでは被害者が浮かばれない。先日厚生労働省が精神科病院での入院について、治療効果の見込めない人を将来的には対象外とする考えを示したという報道があったが、罪を犯した場合に刑事責任能力問えない「心神喪失 (無罪)」や「心神耗弱 (刑の軽減)」にある患者は退院させるべきではないだろう。また、責任能力は犯行時の精神状態が問題になることも不安点だ。介護疲れによる悲しい事件が起きることも目に見えている。未然に防止することが大切ではないのか。 

 

▲7 ▼1 

 

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普通に考えて加害者の精神状態で刑が減刑されるならもれなくそれを装うのでは? 

と言うか精神障害があって一般の人を殺害する恐れのある人を他人が監視しない状態で放置してはダメでしょ 

個人の自由や権利があるのは自分で責任を負えるから其れ等があるのであって自分のコントロールが出来ないなら他人の監視下に置くべきだと思います。また放置するなら代わりに責任を取る人を明確にしなければならない様にするべきだと思います。 

 

▲34 ▼6 

 

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日本では精神状態の不安定を理由に減刑されるのが当たり前なので自然に受け入れていたが、よく考えるとなぜそうなのか理由がわからない 

 

日本の刑罰とは違法行為を行った「判断」に対する刑罰なのか「行為」に対する刑罰なのか 

 

前者であれば精神状態の不安定で減刑されるのがやむを得ないが、後者であれば等しく罰せられるべきだろう 

 

「判断」に対して減刑するのは、情状酌量とかもそうだけど逆に犯罪へのハードルを下げている気がする 

 

兎角加害者寄りと言われる日本の刑罰は犯罪抑止の観点からも見直されるべきだと思う 

 

▲42 ▼9 

 

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犯人の精神状態で刑を軽減するのがいまだによくわからない。 

虐待などの追い詰められた状況で心神喪失や心神耗弱になるのと、精神疾患で心神喪失や心神耗弱になるのは違うのではないか。 

今回の犯人は後者で、例えば鬱や統合失調症だからと言って大多数の人は殺人を犯さないのだから、そこまで行ってしまう異常性をもっと深刻に評価して欲しい。 

せめて刑を軽減した分(30年を15年に軽減したらあと15年分)は精神科の閉鎖病棟に入れておくなどの対策は必要だと思う。 

人を殺してしまうほどの妄想は重度の病気で、刑の軽減云々ではなく治療が必要だし、そこまで悪くなったら病気の完治はもとより寛解もかなり難しいのではないだろうか。再発リスクも高いと思うし、再犯率も上がると思う。 

凶悪犯罪を犯した場合、責任能力がないならないで、ただ野に放つのではなく通常の刑罰と違った方法で服役させるなどの手立てを考えてほしい。 

 

▲9 ▼2 

 

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この事件の状況から判断して、人を殺す行為事態がすでにまともでないのに、わざわざ人道に反する精神分析が必要なのでしょうか。これでは、世の中、黒色がすべて灰色になってしまいます。 

すべての人間に慈悲の心は、当然必要ですが、この事件の悲惨さを冷静に考えても、慈悲の心を与えるべき程度のものではないといえます。 

 

▲7 ▼4 

 

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心神耗弱の減刑されるのは、殺人以外に限定されるべきだと思う。窃盗等軽犯罪は対象にするのは理解できるけど、殺人は被害者の命が奪われており、取り返しがつかない罪。被害者の人権は蔑ろにされたまま、どうして加害者の人権を尊重されなければならないのか、理解できない。この制度が見直されない限り、類似犯罪は絶対に減らないし、被害者は増え続ける。 

 

▲76 ▼10 

 

 

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いまの法は、被害者負担や社会負担と犯罪者への人権とバランスがおかしいと感じる。やった事に対しての罪が有るのに理由が有れば許される事とそうで無い事柄が有ると感じる。ましてや本人が刑罰とも受け取れ無いで、野放し再犯では意味成してない。被害者には犯罪者が警察に逮捕されようが刑務所入れられようが負担は全く軽減されて無い。その上更なる社会負担を強いるのは司法か法の取り違えしてると感じる事件多過ぎると感じる。 

 

▲1 ▼1 

 

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近代刑法は責任主義に基づき、神経耗弱者に減刑を認めるが、それは刑罰の免除を意味せず、実際には強制入院など医療的処遇が課題となる。この責任主義というのは国家が人を罰する際の極めて根本的な原理原則だが、法律を学ぶことがないと受け入れ難い原則のようである。他方で民事責任は存続するものの、加害者に資力が乏しい場合が多く、相続財産や将来所得からの回収も実効性に欠け、費用倒れにより被害者は泣き寝入りを強いられがちである。この不均衡を是正するには、責任主義の理念を貫くと同時に、被害者救済を公的資金によって制度的に保障することが不可欠であるとおもう。 

 

▲8 ▼3 

 

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心神耗弱により責任能力が限定されるのであれば、犯罪を犯す前の段階から権利が制限されていなければおかしい。責任がないのなら権利もない。または、その責任を別の誰かが代替する必要があります。子どもであれば、その保護者が責任を負う。 

 

心神耗弱なのであれば、その者の自由を担保することの代替に誰かが責任を負う必要がある。もしくは、その者の自由を制限する、もしくはその者が全責任を負う。この3択以外にないと思います。 

 

▲31 ▼6 

 

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いつも思うのだけど、正常な精神を持っていたら殺人なんて犯さないわけで、心神耗弱で減刑していたら全ての殺人犯を減刑しなければならなくなる。情状酌量はまだ分かるが、心神耗弱で減刑をしてはならない。 

 

また精神疾患に原因を求めると、精神病患者は潜在的に危険性を孕んでいるということになってしまう。なのでこれも安易に認めてはならないと思う。 

 

▲33 ▼9 

 

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精神疾患の方に対する偏見をなくすためにも、罪に対して罰する事を原則として、精神疾患を理由に減刑する事はないようにするべきです。 

精神疾患を持つ方も、超えてはならない一線を超えないために、必要な努力をする必要があります。実際、多くの方々が病気と戦われています。 

そのための支援が不足しているという状況があるかもしれませんが、それは罪を軽くする理由にはなりません。 

 

▲19 ▼3 

 

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心神喪失や心神耗弱による減刑が判決として妥当ならば、そういう人達を放置してはならないという議論になりかねない。 

 

そうでなければ、安全な社会生活は実現しない。 

 

刑期を終えた後、また同じことを繰り返す可能性もある。 

 

刑法も裁判も、判決のその先にあるのは何かを見据えて欲しい。 

 

▲3 ▼2 

 

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心神耗弱の人間の表情じゃないんだよなぁ。そもそも殺人を犯す時点で普通のメンタルでは無いわけだし、そういう人間を減刑して早期に社会に戻してもまた「心神耗弱」に陥るだけなんだよな。自分も精神病経験者だけど、1回罹患すると何回も繰り返すんだよ。事故とかではない殺人を犯した人間は出所後もGPS等で管理のもと、一生奉仕作業してて欲しい。 

 

▲63 ▼7 

 

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地検としては、裁判で平原容疑者の刑事責任能力を確実に問えるよう、長い期間に渡って二度の精神鑑定を行った中で、妄想があって限定的な責任能力と言った所が裁判にどう言った影響を与えるのかは、気になります。容疑者は理不尽にも何ら罪のの無い2人の子を襲い、無残な事件を引き起こした罪は極刑に値する重罪です。だからこそ、地検も容疑者を罪に問えるよう念入りに鑑定を行なったのだから、裁判でより重い罪を課すよう願うばかりです。 

 

▲31 ▼6 

 

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心神喪失や心神耗弱で無罪や減免されるのはその状態に陥った原因が被害者にあると認められた場合のみでいいのでは 

そうでなければ重大な精神疾患であると診断されれば強制入院しなければならないとか法改正しないと殺人が良いか悪いかも分からず罪に問われない人がその辺をウロウロしていることになる 

こんな恐ろしいことがあるだろうか? 

法的責任を負えないなら自由に過ごせる権利に制限を設けるべき 

 

▲9 ▼4 

 

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心神耗弱で事故とかならまだしも重大な犯罪において減刑ありきは見直した方が良い 

責任能力が問えないというなら責任が取れない人間を社会に放ってはいけないでしょう 

かといって家族・親族が面倒見切れるわけでもない 

当然人道には配慮しつつも強制入院等も含め一定の拘束力は検討されるべきかと 

 

▲5 ▼2 

 

 

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「限定的な責任能力にとどまる心神耗弱状態だったものの、罪には問えると主張する方向」→人1人の未来ある若者の命を奪っておいて減刑濃厚? 

本当に馬鹿馬鹿しい法律ですね。 

加害者に優しく、被害者に厳しい司法。普通逆でしょ? 

こういう古い司法の改憲に、積極的に取り組まないと日本はダメになる。 

 

▲766 ▼32 

 

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心神喪失や心神耗弱状態は、その時点で判断能力に異常があってとしても、そこに至るまでの過程では判断能力を有している時期があったはず。それを放置して危険な状態に至ったのならそこになんらかの責任はあるでしょ。 

飲酒運転だって事故を起こした時は運転能力が低下していたから罪がないとはならない。精神疾患の場合完全な予測は無理でもある程度の予測はできるでしょ。 

この犯人にしたって時間前から奇行が目立っていて、いつか事件を起こすと思われていた。 

そういう危険人物を放置した家族や、通報を受けたにも関わらず事件を防げなかった社会の仕組みがおかしい。危険人物はマークしてある程度のラインを変えたら施設に入れるべき。 

 

▲7 ▼1 

 

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私も仕事のストレスから精神疾患発症したけど、まず人を殺そうとは思わない。大概の人は病気があろうがお酒を飲もうが、どんな状況でも人を殺そうと思いませんよ…。殺人するまで精神がおかしくなっていたなら何故強制入院など家族や主治医は対応しなかった?本人に罪問えないなら周囲の人に責任取らせるべきだと思いますが。被害者遺族のことを思うと胸が張り裂けそう、被害者遺族の心情も汲み取って欲しいです。 

 

▲5 ▼3 

 

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精神疾患や犯行当時精神耗弱であったにせよ、社会的道義的観点からは凶悪犯罪は許されるべきものではなく、その理由で罪が軽くされることには常に疑問を感じます。 

今回被害に遭われた方たちのように普通に生活している人が理不尽に被害者となる事例について、犯人に等しく厳罰を望むことは一般人の当然の感覚ではないでしょうか。 

 

▲35 ▼6 

 

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この事件ではないが、加害者が逮捕された時の供述で 

正しい判断が出来る精神状態じゃなかった 

みたいな自身の精神状態について言っているやつがいたんだが 

自分の精神状態がおかしかったと把握できるならそれはもう冷静だと思ったんですよね。 

 

精神がおかしくなっていたら減刑されるかもしれないと分かってるから 

都合の良い言い訳として利用されてしまう今のシステムはおかしい。 

 

情状酌量を悪いと言っているわけではありません。 

本当に納得できるような環境でない限り、軽く扱っていいものではないと思ってます。 

 

▲40 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

精神疾患を理由にした減刑廃止の議論をすべきじゃない。 

結果責任は重大だし心神耗弱を理由に減刑や心神喪失状態で無罪で誰が納得しますか。 

刑罰は科されないが、医療観察法の対象となり、指定医療機関へ強制的に入院または通院させられ、社会復帰に向けた治療や支援が行われる。制裁を目的とする刑罰とは異なり、被告人の再犯防止と社会の安全確保を目的とした医療的措置。 

ならば一生閉鎖病棟にでも入れていてくれたほうが社会の安全確保ができる。 

 

▲7 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

世界的に責任能力の有無を争って厳罰を回避するってのが法廷戦略になってしまっているよね。 

でも、責任の能力が無い人間を野放しにしているって見方も出来るため、精神疾患を抱えた人間は危険なものという見方を生み出し、逆に差別を煽っているというのも世界的な話。今は日本も拘禁刑に統合されたのだから、責任能力の有無で量刑を判断せず、収監後の治療等で区別すべきだとも思う。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

行政制度内で、場面による人間観に乖離があると思う。 

障害者は能力を欠くので責任を問えない(問うても意味がない)というのが旧来の司法の考え方。「障害者は無能力であり半人前」という民事司法では救済的に否定されている考え方が、刑事では同じく救済的(保護的)に残存していることは、司法行行政の一貫性を欠くように思われる。 

さらに福祉的には、障害者の全人的な権利の拡充が福祉行政の中核的な要素であることはすでに広く認識されている通り。 

障害者に全く偏見を持つものではないし、常に持たないようにその業務に当たっているが、一人の人間において権利と責任は不可分的に共在するべきと思う。 

 

▲31 ▼8 

 

=+=+=+=+= 

 

心身耗弱、心理付き不安定、、 

確かに病気は病気であろうけど、犠牲神経の表現として最近は障害ということが多い 

頭では理解しても感情は追いつくわけがない 

じゃあ被害家族が加害者を傷つけたとして 

心神耗弱してました、で主張したら 

通してもらえるのかしら? 

無罪となることもあるが、ならばいくら本人が拒否しようが、治療は完了するまで受けさせる。GPSはつけ一定の期間は監視し 

再犯防止をするなど、義務を課す必要があると思う 

障害は理由になるもしれないが、自由の身とするなら義務は果たしてもらう、そうでなければ権利を主張することはおかしい 

世間も納税などの義務を果たしているからこそ、規範の中での自由の生活を権利として維持している。 

それが当たり前、と思うのだが。 

 

▲15 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

精神耗弱だと罪が減刑されるのは仕方ない。だがしかし、それならばそういった可能性のある、妄想癖がある状態の疾患の人を一人で行動させていいのかって思う。それならば、なんの落ち度も無い一般の人の命を奪っても罪が軽くなるような状態の人は、何らかの監視があるべき。事が起こってから精神鑑定とかじゃなく、通院してて危ない人は先に鑑定するシステムが欲しい。 

 

▲5 ▼1 

 

 

=+=+=+=+= 

 

犯人は凶器を用意して持ち歩いていたり、逃走したり、自宅に食事の配達を依頼したりしており、神経衰弱とは考えにくい。 

突発的な部分は多少あるだろうが凶器をあらかじめ用意してる点、逃走した時点で精神鑑定は外すべきではないか? 

亡くなられた方のご冥福をお祈りします。 

 

▲7 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

罪を与える根本的な理由から心神喪失や心神衰弱が減刑あるいは免責されるのは理解できるけど…それでも、その運用は道理が通らないと思う。 

それで本来償うべき罪が減免されるなら心神喪失や心神衰弱が認められた人間はその時点で強制的に社会と隔離しないと精神病患者への社会的な目は厳しくなる。 

それこそ患者に対する差別も自衛の為に許容されるようになるよ。 

 

▲20 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

いつも思うが精神疾患を患っていた者による殺傷事件で刑をその範囲において責任を問えないとする場合があるが、本当にそれでよいのか疑問である。そもそも責任能力の無い者を自由に放置しておく事自体に問題があるのではないのか?故に放置した責任が国あるなら国が賠償しなければならないし、または場合により心療内科医に対してもその範囲を広げるべきではないのか?私は加害者本人も含めて国または心療内科医の責任において被害者に寄り添って刑を確定すべきだと考える。 

 

▲1 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

今の日本には精神障がいを表面的に治療をしている人と、それに気づかず生活している人がどれだけいるんだろうか。 

事件がおこると、責任が問えるかどうかが争点だとか必ず言っているけど、被害に遭われた方、そのご家族、友人はそんなものどうでもいい、厳罰を求める一択しかないと思う。 

今の時代にと口に出すなら、都合のいい部分だけを切り取るのではなく、もっと障がい者、福祉に寄り添って答えを求める動きをしていただきたい。 

 

▲8 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

軽犯罪ならともかく、これほどの凶悪事件の罪を軽減する社会的意義がよく分からないな。 

 

識者の方々もそういうルールだから、日本だけでなく世界的にあるルールだから、なりすましは基本的に看破されますって話だけでなく、瞬間的に個別事案だけ見ると納得できない人もいるかもしれないが、長期的にはそういう人の罪を軽くしてあげる社会の方が全体にとってプラスなんですよ、という論文とかデータとか根拠資料的なものが欲しいな。 

 

▲1 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

笑われたと勘違い… 

精神疾患の妄想症状なら本人にとっては「勘違い」ではなく「事実」なんだろう。身近にいたが、四六時中自分を嘲笑う声に苛まれているらしく、常にイライラし「犯人」を憎悪していた。一般人の思う「妄想」「勘違い」とはレベルの違う「脳のバグ」。入院し投薬治療を受けたら普通に戻った。 

精神疾患への適切な理解と治療に繋げる道を作っていかないと、またこんな哀しい事件が起きてしまう。 

 

▲126 ▼51 

 

=+=+=+=+= 

 

精神的な理由や言葉や文化の壁などの理由によって減刑される仕組みは撤廃でも良いと思う。過去に、それらの理由で減刑されたことで改心できた人間ってほとんど存在していないでしょ。少なくとも、日本においては減刑や簡単なカウンセリング、定期的な監視はあるものの、アメリカのようなカウンセリングプログラムが整っている訳でもないし、一般人が監視もしくは危機を察知できるシステムがある訳でもない。そんな状態で野放しにするのが日本の現状なのだから、体面だけを気にして法律を変えたくせにシステムの方を変えられないのなら法律もそちらにならわないとおかしいと思う。 

 

▲7 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

「心神耗弱」と判断されたとはいえ、刑事責任は問えるとの検察の見解は妥当だと思います。精神疾患が事件に影響を与えたことは否定できませんが、逃走や捜査への警戒行動があったことからも、判断能力が完全に失われていたとは言い難い。裁判員裁判では、責任能力の程度が大きな争点になるでしょう。 

 

▲6 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

何の罪のない子供が殺害されているのに犯人の精神状態で減刑の可能性があるっておかしすぎるでしょ? 

被害者にも落ち度があるなら減刑も理解できる。 

しかし犯人の都合で減刑なんてされていたら被害を受けた人はどんなに賠償しようともこれまでの生活に戻ることは不可能なのに、刑罰ですら軽くされるなんてたまったもんじゃない。 

それに精神がというならそんな危ない人間を拘束しておかないのは新たな被害者を作る可能性だってあるわけで、普通じゃないならなおさら厳しく扱わないといけない。 

 

▲21 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

心身耗弱による減刑は、心身耗弱の原因が被害者によるものである場合でのみ適用すべきで、その因果関係がない場合は減刑すべきではないでしょう。 

 

それを履き違えた対応ばかりしているからいつもこんな論争になる。 

国民感情と齟齬がでるのは、決して感情論ではなく心身耗弱と減刑の間にロジカルな思考が存在しないからではないでしょうか。 

 

▲1 ▼0 

 

 

=+=+=+=+= 

 

殺された側の遺族はどこに気持ちを持っていけば良いのだろうか、、、精神が正常でないから何をしても許されるのはおかしな話。精神を正常に保つようコントロールする、病気にならない様にする、事故に遭わない様にする、自分で何とかしないといけない、それでもおかしくなって事件を起こしたら犯した罪を償うべきだと思います。 

 

▲16 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

現行の法律での「心神喪失」、「心神耗弱」の扱いにはやはり違和感を覚えます。罪にとえない又は減刑されるという部分ではなくその後の部分だ、心神喪失、心神耗弱なら治療という事になるのだろうがその責任はどこに委ねられるか?その後完治したとして通常の生活に戻って再び事件を起こした場合誰が責任をとるかという部分まで規定されなければならない。 

 

▲0 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

やはり、加害者の精神状態に争点が行くのは釈然としない。本来は「犯した罪の重さ」と「相応しい量刑は何か」であって欲しい。被害者の未来はもとより、家族や周囲の人たちの幸福、その地域社会の安全性、加害者親族の生活も含めて色々なものを奪った。その重さを知り、償っわないといけない。が、それが判断できる精神状態になかったんだと言われても納得できない。というのも、その精神状態を克服するために加害者が通院治療をしていたわけでもなく、普通に暮らしていて、周囲や自治体が監視・管理していたわけでもない、まさに「後付け」で精神状態が出てくる…釈然としない。 

 

▲9 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

他害の恐れがある人は事件を起こす前に精神科での治療に繋げることが重要だと思う。警察との連携を含め、そういった環境整備が進んで欲しいが、今年6月には、27年4月までに精神病床5万3000床を削減することを自民、公明、維新の3党が合意したとのニュースを見たばかり。日本の与党がする政策は国民を守ることとは常に逆行している気がする。 

 

▲4 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

「心神耗弱」だろうが何だろうが、今問題になっている熊と同じで危険極まりない。 

見た目に普通に見えるとしたらもっと危険かもしれない。 

 

被害者とその関係者には、そのような「病気」の為に減刑というのは納得いかないだろうし、その他一般の人にとっても、そのまますぐ社会に出て来られるのも危険性が高い。 

 

「病気」ならば治療し、治ってからでないと社会に出て来られないようにして欲しいものだ。 

 

▲4 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

精神的疾患で罪を犯した場合には、これは病気が原因なので罪は軽くなって当然だと思う。病気だから罪は問えない。自分や家族が当事者ならそれは強く思う。しかしその場合、国が責任を持って病気が完治するまでは病院内に確保する事が絶対必要である。病院から退院させてもまだ罪を犯すのなら、それは国の責任を問うべきだ。 

 

▲3 ▼7 

 

=+=+=+=+= 

 

例えば工場で何かを生産する時どれだけ品質管理をしても一定の不良品ができてしまう。100%を完品にすることは不可能です。恐らく人間も同じで一定数の社会不適合者が産まれてしまうのでしょう。これは本人が望む望まざるも関係なくそうなってしまうのでしょう。この方も別に望んだわけではないけれども社会不適合者になってしまった。このような人をどうするのかの判断は難しいですよね。たまたま他人に迷惑をかけずに人生をまっとうしてくれれば問題なしだけど、今回のように迷惑をかけてしまったならば排除するしかない。それがその他大勢の適合者を守ることになるのですから。 

 

▲3 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

我々は普通に生活をしていて生命を脅かされる様な目には会いたくは無いと誰もが思っていると思いますし、脅かされない権限は持っていると思います。心神喪失や心神耗弱の方達とどの様に対して行けば良いのか?どちらかが何らかの制限を背負うべきなのか?事故が発生してしまった場合には諦めるしかないのか?何を諦めるのか?裁判ではキチンと議論をして欲しい。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

精神障害の影響で事理弁識能力と行動制御能力にどの程度影響があったかという点が問題になる。直後に逃走しているのであれば殺人が悪いことだとは分かっていたことが推認され、善悪の判断能力に影響はなかったと考えるべきではないか。また、妄想症状しかなかったのであれば、「笑われた」という勘違いはあったのかもしれないが、「笑われた」という事象への反応として中学生2人を殺傷するか否かの選択には影響があったとはいえないから、行動制御能力にも問題はなかったのではないか。記事だけからは心神耗弱と考えた理由が判然としない。 

 

▲5 ▼2 

 

=+=+=+=+= 

 

そもそも、殺人などの犯罪を犯すこと自体、その人に精神疾患があるわけで。 

善悪の判断もできなくなってる特異な状態なんだから、それで刑事責任能力は問えない、起訴できません… 

という法がおかしいと思う。 

 

被害者、遺族の無念を晴らすような法になることを願います。 

 

▲21 ▼3 

 

 

=+=+=+=+= 

 

制度はわかる。この加害者に、そういう精神鑑定がでてもおかしくないこともわかる。 

でも、納得はいかないよね。 

元々、殺人は一人なので死刑ではなく無期懲役になる可能性が高かった。 

それが減軽されるということは、有期刑になるということであり、いつか出てくるということでもある。 

それはあってはならない。 

15年だとしても60歳前。まだまだ体力もある。 

せめて病院にずっと入って出られない、ぐらいの対応でないと、同じ事が起きてもおかしくはないと思う。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

被害者とそのご家族や友人らにとってみたら、精神鑑定なんて無関係。しかも、相手は自分よりゴツい大人の男性ではなく、中学生。冷静すぎて怖い。 

 

正当防衛以外で、人をあやめる時に精神的にまともな人っているのか?減刑もどうかと思うが、いずれにせよ今後はひとりで自由に外出させぬような制度、これ以上の被害者を出さない法改正を望む。 

 

▲7 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

精神の病気と犯した犯罪は別に考えてもらいたい。病気だから罪が軽くなったり無罪になったりしては、被害者やその家族はいたたまれないだろう。 

治療で構成できるかは全く不透明で、実際に再犯もあり中にはエスカレートして重大事件につながる場合もある。数カ月入院して服薬治療をしたらまた社会に出るのでは、何の解決にもならない。 

もういい加減、きちんと罪を償わせる判決をお願いしたい。 

 

▲16 ▼4 

 

=+=+=+=+= 

 

心神耗弱というけど 

人を傷つけようとしてる時点で 

もう、通常の精神状態ではない。 

罪を犯した方、みんなに心神耗弱や精神状態が悪いのは、当てはまるんじゃないかな? 

 

せめて、きちんと病院に行ったり 

第三者も介入できる環境で、努力してる人が 

量刑を減軽されるなら、分かるけど… 

心神耗弱の捉え方を、変えた方がいいと思う。 

 

▲6 ▼1 

 

=+=+=+=+= 

 

減刑せずに刑罰を受けながら治療する。 

治療料は、家族が負担する。 

亡くなった人の残された家族や友人は、その事件で精神疾患になる事もあると思う。 

そうならない為に、被害者の家族が納得する刑罰は必要だと思う。 

減刑されて、また再犯罪されても困ります。 

容疑者が自分を見つめ直す時間は、刑務所の中が一番良いと思う。 

 

▲1 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

精神障害があるかの明確、科学的な判断基準、方法がなく、それが事件に影響したかなど空想の域をでない。診断する個人の気分次第だ。 

それによって刑を減刑するかしないかを判断するというのはあまりにも理不尽で公平性を欠く。 

薬物が検出された、脳腫瘍など科学的に明確にわかる場合でのみ適用すべきであろう。 

 

▲0 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

責任能力有りと判定されてよかった(限定的という条件が、引っ掛かるけれど)。 

これで責任能力無しなんて事になったら、本人たちも浮かばれないし、遺族だって怒りの持っていき場がないだろう。 

 

ただ単にマックで並んでいただけで奪われた若い命。刺された記憶と後遺症を抱えてこの先ずっと生きていかなくてはならない若い命。 

どちらの子も本当に気の毒。 

その罪の重さを理解でき、悔やめるだけの精神を加害者が持っていることを祈る。 

 

▲2 ▼0 

 

=+=+=+=+= 

 

普通の人が無差別で人を殺すことは有りません。殺すという行為そのものが精神的におかしいので、心神喪失や心神衰弱等の理由は審判の判断の対象にする事は違うと思う。これから先楽しいこと経験することたくさんある人の将来を奪い、成長を楽しみにしていた身内の方々の無念は罪の重さとして、理由なき殺人として重い罪にするべき。勿論更生の道は大事だと思うけど、病院で更生するのか?警察で話をしてわかるのか?心神喪失の理由で殺人を平気でした人が社会に出てきて、審判を下した方々は24時間その人の行動を監視して普通の国民を守ってくれるのだろうか?そんな人が近所に越して野放しにされていると考えたらゾッとします。 

 

▲45 ▼5 

 

=+=+=+=+= 

 

精神疾患の人が加害者なら、 

被害者は死んでも仕方ない、ということでしょうか?運が悪かった、ということでしょうか?被害者が加害行為を受ける何らかの要因があれば別ですが、今回のような通り魔的な犯罪に加害者の事情など関係ないのではないでしょうか?逆に精神疾患の方で一生懸命生きておられる方への差別にも繋がるのではないでしょうか?被害者の遺族の心情を思うと無念でなりません。 

 

▲14 ▼3 

 

=+=+=+=+= 

 

完全に法律欠陥だ。心神耗弱とか精神疾患に問えるかどうかは、容疑者が日常生活において事前に診断を受けて治療歴があるとか、補佐人や代理人による法律行為が認められた場合に限り適用するべきだ。また精神疾患の場合は行動制限を法律で定めて一般市民の安全を守るべきだ。一体、何回こんな悲劇を繰り返せば真っ当に法改正するのか、法曹界の良識が問われている。 

 

▲8 ▼0 

 

 

 
 

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