( 325421 )  2025/09/19 03:06:34  
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仙台イスラム文化センター(ICCS)の代表、佐藤登さん(83)は、宮城県内でのイスラム教徒向けの土葬墓地設置に関する検討が、知事選挙の争点になった事例について語りました。

しかし、村井嘉浩知事が白紙撤回を発表したことで、土葬墓地の設置計画は頓挫しました。

佐藤さんは土葬を希望しており、文化的背景への配慮が不足していると感じています。

現在、日本では土葬が行える場所が少なく、特に東北には存在しないため、イスラム教徒が亡くなった場合、遺体を母国に運ぶケースが一般的です。

佐藤さんの体験や宮城県内のイスラム教徒の状況についての努力や希望が語られ、移民受け入れに関する日本社会の課題が浮き彫りになりました。

 

 

(要約)

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仙台イスラム文化センター(ICCS)代表で、イスラム教徒の佐藤登さん(83) 

 

任期満了に伴う宮城県知事選挙(10月9日告示、10月26日投開票)。選挙の争点のひとつとして、宮城県が進めてきたイスラム教徒向けの「土葬墓地」設置の検討が注目を集めましたが、9月18日、村井嘉浩知事は県議会で白紙撤回を表明しました。 

 

白紙撤回へと急旋回したのは、新人候補が「移民に繋がりかねない」と、県主導での「土葬墓地」の取りやめを公約に掲げたことなども背景にあります。働き手の確保として、インドネシアなどの外国人労働者の積極的な誘致を進めてきた村井知事に対する反発の声が大きくなっていました。 

 

一方、少数派ながら日本生まれの人の中にも「土葬墓地」を必要としてきた人々がいます。 

 

仙台イスラム文化センター(ICCS)代表で、イスラム教徒の佐藤登さん(83)は、「自分もできれば故郷で埋葬されたい」と、土葬墓地の設置を県に訴えた経験もあります。 

 

これまでハフポストの取材に「土葬に馴染みがないわけなので、県民が不安に思う気持ちも理解できる」と話していた佐藤さん。白紙撤回の一報を聞くと「残念ですが、仕方ないことだと思う。私たちは願い続けていくしかないです」と答えました。 

 

佐藤さんが土葬墓地を望んできた背景にはどんな経験があったのでしょうか?そして、今どんな心境なのでしょうか?話を聞きました。 

 

【高橋愛 / ハフポスト日本版】 

 

仙台市のマスジド・仙台イスラム文化センター(ICCS) 

 

筆者は宮城県内で最初に誕生した仙台市のマスジド・仙台イスラム文化センター(ICCS)に、佐藤さんを訪ねました。 

 

緑が多く静かな場所で、近くを広瀬川が流れています。北西約500メートル先には、市営墓地「葛岡墓園」があります。 

 

仙台市青葉区で「多くはモスクという言葉に馴染みがあると思うのですが、あれは英語。アラブ圏では、マスジドと言うんですよ」と柔らかい語り口で教えてくれたのは、代表の佐藤さん。仙台市泉区出身で、会社員の傍ら、40年近くICCSの代表を務めてきました。 

 

「定年を迎えて、やっとイスラム教徒らしく決まった時間にお祈りをささげられるようになりました」と佐藤さん。 

 

「元々、自分は強く何かを主張するタイプではないんです。他の人はどう思うか分からないけれど、古い人間なのでなるべく迷惑にならないよう、周りに合わせたい」と、会社員時代は、昼間のお祈りなどは遠慮していたそうです。 

 

建物の中は、祈りの場にもなっています。毎週金曜日の礼拝の時間には、隣の山形県などからも約90人が集まり、礼拝を捧げるそうです。年2回の行事の時には、県内外から約400人が集まることもあるといいます。 

 

ここに集うのは多くが留学生や、技能実習生として来日している人で、日本生まれで仙台モスクにくるのは、佐藤さんを含めて数人だそうです。 

 

 

仙台イスラム文化センター代表の佐藤登さん 

 

佐藤さんによると、ICCSは1977年ごろにできたそうです。 

 

エジプトやパキスタンなどから東北大に留学するイスラム教徒の学生とその家族約20人が、「祈りの場所がほしい」と作ったのが始まり。当初は仙台市中心部に場所を借りるなどしていましたが、2007年に現在の場所に移転しました。 

 

佐藤さんが通うようになったのは、ICCSがスタートして1年ほど経った頃。幼い頃から外国語に興味があり、地元紙に「アラビア語クラスの案内」が載っているのを見つけ、仕事終わりにICCSに通い始めたのがきっかけでした。 

 

「NHKラジオ講座で英語やドイツ語、フランス語などを学んでいましたが、当時のNHKではアラビア語講座はなかったので。経験したことのない言語なので興味を持っていました」と振り返ります。 

 

「毎回、アラビア語のレッスンが終わると、イスラム圏では子どもが必ず暗唱するコーランの重要な一節を唱えたりしていました」。 

 

佐藤さんは35歳ごろにイスラム教に改宗し、「ムハンマド」の名前も与えられています。周囲の勧めで、その後すぐに代表に就任。その頃、ICCSに集うのは、ほとんどが東北大に留学してくるイスラム教徒の学生や研究者だったので、彼らの相談に乗ったり、サポートしたりしてきたそうです。 

 

「イスラム教の人が日本に住むのは本当に大変。例えばハラルフード。昔は今みたいに簡単に製品の成分の情報が手に入らなかったので、よく『豚と酒の漢字は覚えててくださいね』と声を掛けていました」といいます。 

 

「最初は語学に興味を持って、たまたま私は深く付き合ったのがイスラム教の人たちでした。みんな良い人ばかりで、違和感も距離も感じませんでした」。 

 

では宮城県内のイスラム教徒が亡くなった場合、どうように対応されてきたのでしょうか。 

 

県などによると、土葬墓地は全国に10カ所程度ありますが、東北には公営・民営を問わず土葬できる墓地がないといいます。 

 

佐藤さんによると、一時的に東北大に来ていた外国人がほとんどだった頃は、亡くなった場合も、ご遺体は母国に帰ることが多かったそうです。 

 

「例えば昔は、仕事のために来たパキスタン人の方が亡くなると、費用はパキスタン側が持って、母国に遺体を運んだケースもありました。でも大勢の人たちが日本に滞在するようになると、そうした仕組みはいつの間にか無くなりました」 

 

今では、亡くなった本人の希望に応じて、家族などが母国に遺体を運んだり、東北地方以外の国内の土葬墓地で埋葬したりするそうです。 

 

印象に残るのは、およそ20年前。日本人女性の夫で、イスラム教徒の中国人男性が亡くなったことです。その時は、元々ある山梨県の土葬墓地に運んで埋葬したといいます。 

 

この出来事をきっかけに、「いずれは土葬墓地が問題になるだろうな」と佐藤さんも意識し始めたといいます。 

 

 

イスラム教徒である佐藤さんも、土葬を希望している1人です。「イスラム教の教えを守ろうとすればするほど、火葬はできない。土葬になってしまうんです」 

 

家族で唯一のイスラム教徒である佐藤さんは、もしもの場合に備えて家族には「仲間と相談してほしい」と伝えています。 

 

一方で、東北には土葬墓地がありません。「既に日本にある土葬墓地に運んでもらうしかないかなとは思う。他県になるでしょうね」。 

 

とはいえ、仙台生まれで長年仙台に暮らしてきた佐藤さんは、「自分が亡くなった場合、故郷の宮城に埋葬できたら」という思いも静かに抱いてきたそうです。 

 

「実は、土葬墓地の問題を考え始めた20年前に、宮城県にあてて『土葬墓地が必要だ』という手紙を送ったことがあるんです。その時は、返事も何もありませんでした。なしのつぶてです。どこまで、その手紙が(県庁の中で)共有されていたかはわかりません。元々、私も強く何かを訴える性格ではないので、当時はそのまま、手紙のことは立ち消えになりました。今回、事態が動いて驚きました。私としては、ありがたい気持ちではいます」 

 

佐藤さんの元にも昨年から、県職員が何度かヒアリングに訪れたといいます。 

 

宮城県内の在留外国人数は2万8000人(2024年県統計)で、20年前の1万6000人(2004年、当時は外国人登録者数)から比べて倍近くに増えました。 

 

イスラム教徒が大半のインドネシア国籍の人は2004年にはわずか258人だったのが、2024年には2419人に。これは国が技能実習生を積極的に受け入れてきたことが影響しています。 

 

ICCSの一角にあるパンフレットケース。たくさんのパンフレットに紛れてあったのは、「土葬墓地」が可能な霊園を案内するパンフレット。霊園の場所は静岡県ですが、霊園側が案内を送ってくれたのだと言います。 

 

数年前、ある外国人イスラム教徒の夫婦の赤ちゃんが亡くなったことがあったそうです。生後4週間でした。夫婦はパンフレットにあった霊園に問い合わせ、佐藤さんと夫婦で簡単な葬礼をした後、夫婦が赤ちゃんの遺体を静岡まで運んだと言います。 

 

「イスラムの教えに従ってやれば、神様が後は良きに計らってくれる。そう信じて、子どもを埋葬するのです。日本ではほとんどが火葬ですが、土葬できる場所があるだけで、あの夫婦は安心できたのではないでしょうか」と佐藤さん。 

 

あるイスラム教徒の幼児が亡くなった時は、県外のある寺院の一角に土葬できる場所があり、そこに埋葬したこともありました。 

 

「以前は、土葬墓地がなくてもほとんど問題になりませんでした。しかし、社会が大きく変わり、近年は留学した後も研究などでそのまま日本に留まったり、仕事などを理由に日本に長く住む人も出てきています。若い外国人であっても、事故にあったり、病気などで万が一のことがあるでしょう。その時に、どうするのかという問題は必ず出てきます」 

 

 

その上で佐藤さんは、問題の本質は「ICCSがスタートした当時と似ている」と感じています。 

 

「ここが始まった時も、当時の日本は『好きな勉強をしに日本にきていいよ』と留学生をどんどん受け入れました。しかし、最先端の技術や知識を学べる環境はあったかもしれませんが、例えば、祈りの場所が全くなかったわけです。『祈りの場所がほしい』と、当時の留学生たちがここを作ったわけですが、留学生の勉強以外の日常生活を配慮したりする視点は十分でなかったと思います。 

 

今は『労働力などで日本に来て欲しい』と外国人を受け入れているわけですが、文化的背景がどうのこうのではなく、とにかく人を受け入れることだけが先立っていて、細かい問題は後で気づく……みたいなことが起こっているとも感じます」 

 

お祈りを捧げる佐藤さん勉強熱心で、新聞は欠かさず毎日読む佐藤さん。インターネットで配信されている大学教授の講義を聴いたり、時には海外のニュースサイトなどにも目を通したりして、いつも多角的に社会や物事をみようと心掛けているそうです。 

 

「多文化共生と言っても、これまでは、外国からの観光客を増やすとか、働く人を増やすとか、『人を受け入れる』ことにしか焦点が当たっていなかったように思います。 

 

でも受け入れるだけ受け入れて、その人たちを受け入れていくための文化的背景への配慮や体制が国内になければ、問題が生じるのは当然だと思います。 

 

例えば、イスラム教徒を労働力として受け入れていくのであれば、イスラム教徒にとって大切な金曜日には、『仕事を離れて礼拝に行く』ため、休憩の時間をずらしたり、長めに休んだりするような時間が必要です。実際に海外では、イスラム教徒に金曜日の礼拝を認める法律を作って、受け入れているところもあります。しかし日本では、雇用主の判断によるところが大きいと思います。 

 

墓地に関しても、日本の労働現場で外国人労働者が亡くなったらどうするのかという問題はあるかと思います。若い外国人であっても、病気や事故だっていつ起きるかわかりません。こうした問題は容易に出てくると思います。お墓の問題もそうですが、そうしたことを地方で議論していくには、やはり限界があるように感じています」 

 

一方で佐藤さんは、ここで出会うイスラム教徒の外国人に「日本の習慣を学んで、できる限り、日本人と調和をとるように努めるべきだ、ということは機会があれば話すようにしています」とも語る。 

 

「外国人受け入れに関しては、国は国民にわかる形で議論しているでしょうか。これは難しい問題です。やはり日本全体で関心を持ってもらい、みんなで考えて、話し合っていく必要があると思います」 

 

 

 
 

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