( 326168 ) 2025/09/21 06:52:21 0 00 (※写真はイメージです/PIXTA)
老後の生活への漠然とした不安、インフレでお金の価値が目減りしていくことへの恐怖……真面目な人ほど抱える切実な思いが、時として判断を鈍らせ、取り返しのつかない事態を招いてしまうことも。短期間で大きな損失を抱えた、ある男性のケースです。
長年勤め上げた市役所を退職し、手にした退職金は2,200万円。さらにこつこつ貯めてきた預貯金は1,300万円。計3,500万円の貯蓄は、元公務員の鈴木太郎さん(65歳・仮名)にとって長年頑張って働いてきた結果でした。
生命保険文化センター『2022年度 生活保障に関する調査』によると、老後の生活に「不安感あり」と回答した人は実に8割を超えます。「人生100年時代」といわれる昨今、鈴木さんもまた、漠然とした不安を抱える一人でした。
「少しでも資産を長持ちさせたい。インフレでお金の価値が目減りしていくのは怖い」。そんな思いから、鈴木さんはある証券会社の窓口を訪れることにしました。そこで鈴木さんを迎えたのは、爽やかな笑顔が印象的な若手社員の佐藤さん(仮名)でした。丁寧な言葉遣いと物腰の柔らかさに、鈴木さんはすぐに安心感を覚えたといいます。
「長年、真面目に働いてきた大切なお金なんです。ですから、とにかく安全第一でお願いしたい。元本が割れるようなことは、絶対に避けたいです」
鈴木さんの切実な訴えに、佐藤さんは安心させるようににっこりと微笑んでこう言ったといいます。
「もちろんです、鈴木さん。私どもがご提案するものは、その点を一番に考えておりますから。絶対に大丈夫ですよ」
その力強い一言に、鈴木さんは強張っていた肩の力がふっと抜けるのを感じました。佐藤さんは続けます。「おっしゃる通りです、鈴木さん。これからの時代、資産を『守る』意識は非常に重要です。しかし、ただ普通預金に置いておくだけでは、物価の上昇に負けてしまい、お金の価値が実質的に目減りしてしまう……いわば『守っているようで、実は失っている』状態になりかねません」
その丁寧で論理的な説明に、鈴木さんはぐっと引き込まれました。
「そこで、私どもが今、特におすすめしているのが、今話題の新しい技術分野に集中投資するタイプの投資信託です」
佐藤さんが差し出した分厚いパンフレットにはグラフや専門用語が並んでいます。
「これは単一の企業の株ではありません。世界中の有望なAI関連企業数十社に投資を分散させるものですから、ひとつの会社が不調でも他でカバーでき、リスクもかなり抑えられます」
佐藤さんはさらに続けます。
「もちろん投資ですからリスクはゼロではありません。ですが、このテーマの将来性を考えれば、1年後、2年後にご夫婦で世界一周旅行という夢も、決して大げさな話ではないと私は考えております。安全性を重視される鈴木様だからこそ、専門家が厳選した有望な分野で、しっかり資産を育てていく選択肢もご検討いただきたいのです」
佐藤さんの言葉は、鈴木さんの安全第一という気持ちと巧みに結びつけられていきました。そして退職金の半分である1,100万円で、その投資信託を購入する契約書にサイン。そして悪夢は、わずか3ヵ月後にやってきます。アメリカの金利上昇をきっかけとした世界的なハイテク株安の波が、AI関連セクターを直撃。ファンドの基準価額は暴落し、鈴木さんの資産は見る影もなく目減りしていました。
「リスクは抑えられるって言ったじゃないか!」。
鈴木さんの訴えに対し、返ってきたのは耳を疑うような冷静な声でした。
「ですから、分散投資でリスクは“抑えられる”とご説明しましたが、ゼロになるとは申し上げておりません。市場全体の動きは誰にも予測できませんから。投資は自己責任が原則です」
鈴木さんのような悲劇は、残念ながら決して他人事ではありません。証券・金融商品あっせん相談センターが公表している『紛争解決手続事例 2025年4月〜6月』をみていくと、誤った情報の提供や説明義務違反などによる紛争事例が多いことがわかります。
●担当者から勧められて投資信託を購入した際、商品性やリスクについて十分な説明がなかった。また、本件投資信託に要した手数料についても、説明を受けなかった(60代後半)
●「元本が減ることはない」、「間違いなく儲かる」と言われたことを信用して投資信託を購入したが損失を被った後、その挽回策として「絶対にいける」と言われて株式を購入したが、さらに損失が拡大してしまった(70代前半・男性)
●「絶対にいける」と言われて株式を購入したが、損失を被った(70代前半・女性)
金融商品取引法では、「必ず儲かる」「絶対に大丈夫」といった断定的な表現を用いて投資勧誘を行うこと(断定的判断の提供)を禁止しています。今回の「1年後には世界一周旅行も夢ではない」といった表現も、顧客に過度な期待を抱かせ、正常な判断を妨げる可能性があり、不適切な勧誘と見なされる場合があります。「リスクは低い」「限定的」といった言葉で安全性を強調しすぎるセールストークにも注意が必要です。
金融機関には、顧客の知識や経験、財産状況、そして投資の目的に合った商品を勧めなければならないという「適合性の原則」が課せられています。「元本割れを避けたい」「安全性を重視する」と明確に伝えていた鈴木さんに対し、たとえ分散投資されていても、特定のテーマに集中するハイリスクな投資信託を、そのリスクを十分に説明せずに勧めた行為は、この適合性の原則に反している疑いがあります。
鈴木さんのような失敗を繰り返さないために、「うまい話はまず疑う」、「リスクについて具体的に質問する」、「記録を残す」と、3つの鉄則を心に留めておきたいもの。
また鈴木さんのように実際にトラブルに遭ってしまった場合でも、泣き寝入りする必要はありません。金融庁に設置されている「金融サービス利用者相談室」や、中立・公正な立場から裁判外での紛争解決を目指す「金融ADR制度」といった公的な相談窓口があります。
そして老後のための大切な資産は、誰かに任せきりにするのではなく、最終的には自分で守るという意識が不可欠です。甘い言葉に惑わされず、正しい知識を身につけて、慎重な資産運用を心がけましょう。
[参考資料]
生命保険文化センター『2022年度 生活保障に関する調査』
証券・金融商品あっせん相談センター『紛争解決手続事例 2025年4月〜6月』
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