( 326173 ) 2025/09/21 06:58:14 0 00 行くところがありません…年収1,000万円・60歳元営業部長、あと5年は第一線のはずが「家をウロウロするだけの毎日」のワケ
「契約を取ってこその営業マン」…確かに間違ってはいないかもしれません。しかし、数字至上主義のままでは、思わぬ最後が待っているかもしれません。見ていきましょう。
Aさん(仮名・当時59歳)は、大手企業で営業本部長を務めていた会社員。年収はピークで1,500万円、役職定年後もなお1,000万円を稼いでいました。妻は専業主婦、長男は海外勤務、娘はすでに結婚。誰が見ても順風満帆なキャリアと家庭を築いてきたように見えました。
学生時代は野球に打ち込んだ根っからの体育会系。「実力主義」「数字を取れる人間がえらい」という価値観を体現してきました。会議で部下が弱気な数字を出せば、「そんな目標で食っていけるのか」と机を叩く。顧客の前で言い訳をした社員を、商談の帰りに営業車の中で1時間叱責し続けたこともあるほどです。
Aさんにとって「指導は愛情」。自分がそうされて育ってきたからです。営業部の飲み会では「数字を取れないのに、なんでここにいるんだ」と半ば冗談のつもりで語り、場を凍らせることもありました。
しかし時代は変わります。ハラスメント研修が行われ、会社は威圧的な指導を問題視するようになります。Aさんも表面上は態度を改めましたが、部下に質問されれば「ちゃんと自分で考えているのか?」と突き放し、若手社員が出したアイディアも切り捨てる。そんな偉そうな空気は最後まで抜けませんでした。
59歳のとき、Aさんは当然のように「継続雇用になっても65歳までバリバリ働く」と考えていました。ところが60歳を目前に、まさかの通達を受けます。それは営業とは無縁の「閑職」への異動。誰が見ても社内左遷とわかるポジションでした。
若手や女性社員からの評判は極めて悪く、「下から見れば絶対に残したくない上司」とまで言われていました。時代錯誤ともいえる態度は、組織の中で完全に浮いており、継続雇用への切り替えというタイミングで、その悪評が現実となって返ってきたのです。
Aさんが密かに下に見ていた同期は、これまでと同じ営業のポジションに残ると言います。
「あいつが残って俺が異動? ふざけるな!」
しかし、Aさんに異動の拒否権はありません。結局「あんな部門に行くくらいなら」と継続雇用を断り、会社を去る決断をしたAさん。勤続37年、まばらな拍手と共に見送られました。
しかし、今さら転職活動をする気力も湧きません。昼間は自宅でテレビをつけっぱなしにし、意味もなく冷蔵庫を開けてうろうろするだけ。妻はそんなAさんを避けるように習い事を増やし、外出時間を長くするようになりました。
退職金は3,000万円、貯金も1,000万円以上あり、当面の金銭的な不安はありません。それでも外に出て、同年代の人が通勤に急ぐ姿を目にすると、「行く場所がないことがこんなにむなしいなんて」と胸が締めつけられ、ますます家にこもりがちになります。
「全部俺が悪いのか? こんなの、あんまりじゃないか……」
Aさんのケースは、決して珍しくありません。今の組織では、単に結果を出すだけでなく、「人と協働できるか」「若手を育てられるか」が同じくらい重視されます。むしろ、威圧的で空気を乱す存在は“マイナスの実力”と見なされてしまうのです。
「数字を取れる人間がえらい」という考えが最後まで抜けきらなかったAさん。しかし、その実力主義の勘違いが彼を孤立させ、60歳での“静かな退場”につながりました。
時代が変われば、求められるリーダー像も変わります。50代・60代にとって最大の実力とは人を活かし、柔軟に関係を築ける力。それを持たない人は、たとえ実績豊富でも、気づけば「家をさまようだけの人」になってしまうのです。
THE GOLD ONLINE編集部
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